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2012-11-08

2012年11月7日 東北角和美山-金瓜石縦走 海が見えるススキの山道

龍洞灣岬歩道からみる和美山、手前の尾根を登っていく
台湾の東北端は山が海に迫っている。十年以上昔まだ雪山隧道が開通する以前、宜蘭への往復には、山越えの北宜公路か海岸沿いの北部濱海公路を何度も車で通った。海の道は海岸線からすぐ山が上がっていく。当時は、これらの山々は通過する時の景色の一部に過ぎなかった。今年五月には、そうした山の一つ、基隆山へ登った。今回は、北部濱海公路をさらに進んだ先、龍洞から和美山へ登った。和美山は金瓜石付近から東に伸びる尾根の突端にある。この尾根を西に苦命嶺を越えて歩き、草山の中腹を巻いた後、戦備道を経て金瓜石へ歩いた。

龍洞から金瓜石へ歩く(図上クリックで拡大表示)
海から西方向に歩く
このあたりの山は、樹木が少ない。秋にはススキが山腹一面を覆う。和美山から草山までの尾根筋は、それでも樹木が多い。ただ、密度はそれほど高くなく、また樹木の高さもそれほどではない。台湾の東北部一般に言える、冬に吹く強い風のためだろう。和美山は、行楽客も含めけっこう登られているようで、登山道はしっかりしている。一方、和美山から先は健脚者ルートで、踏跡的な道だ。草山戦備道へ続く廃棄された産業道路は、自然の力がもとの姿に戻し、今は草深い細い踏み跡でしかない。草山戦備道は、走る車は殆どない幅広い山道のようなものだ。昨年九月に歩いた半平山との分岐点を過ぎ、本山地質公園への分岐から金瓜石へ下った。朝はまだ晴れていたが、そのうち曇りがちになり、昼ごろには海と空の境がはっきりしなくなってしまったのは、すこし残念だった。

龍洞湾岬歩道、和美国小の脇を行く、背後は鼻頭角
出発点の龍洞は、基隆から北部濱海公路を福隆まで行く791番バスが通る。今回は、MRT南港駅で台鉄に乗り換え、基隆駅へ行く。7時20分ごろに基隆駅に着いた。考えてみると、鉄道で基隆に来るのは初めてだ。朝の基隆駅周辺は、通勤通学客でとても忙しい。駅前の陸橋を渡り右側にある、基隆客運のバス停で791番バスを待つ。7時50分ごろやって来た。釣り道具をもった乗客も乗る。市街を抜けた後、バスは海岸沿いを走り、約40分で龍洞バス停に着いた。地元住人と一緒に下車した。

山道の入口、道標はない

龍洞は沿路ぞいにある漁村の一つだ。近くには龍洞公園もある。十数年前に、遊びにきた記憶がある。8時40分バス停から歩き始め、海岸方向に下る。海岸線にそって歩いて行くと、和美国民小学校がある。湾の向こうは鼻頭角の岬だ。振り返ると和美山が遠くに見える。小学校の脇に道標と案内板が設けられている。ここから右に龍洞灣岬歩道が始まる。そのまま行くと龍洞ロッククライミング場だ。学生時代に少しロッククライミングをかじったことを思い出した。龍洞灣岬歩道は立派な石段の歩道だ。道脇には休憩用の椅子が、わずかの間隔で設けられている。小学校の脇をのぼり、10分足らずで舗装路に一旦出る。これを行くとまた左に歩道が分岐していく。9時5分に丘の上に造られているあずま屋につく。海が眼下に広がる。反対側は、これから登る和美山の尾根が伸びてきている。草の間を登る山道が見える。

尾根上から振返る、龍洞湾と濱海公路が眼下に見える
急坂を登る、麓から見えていた山道のはこのあたりだ
ピークから和美山、背後に草山が見える
あずま屋付近で写真を写していると、三人グループの行楽客がやって来た。単独登山は、やはり少ないのか一人なのか尋ねられた。これから和美山から尾根伝いに金瓜石まで行くと話したら、驚いていた。すぐ下の二つ目のあずま屋の少し右先に、山道の入口がある。龍洞灣岬歩道は、そのまま海岸に下っていく。土の山道は、けっこう歩かれている。道幅も広い。場所によっては草が刈られている。草原から潅木の中に入り登る。道は尾根を忠実に追っていく。潅木の林から出て振り返ると、高度が上がっている。こうしたパターンが何回か続き、周囲の風景が広がっていく。下方につづら折りの北部濱海公路を行く、トラックやバスが見える。45分ほど登ると、草の間の道は急坂になる。ここは補助ロープが下りてきている。麓から見えていた地点だろう。脇に台湾山菊が咲いている。今日の山行では、多く見かけた。急坂を登り切ると間もなくピークを一つ越える。先に和美山とそれに連なる尾根や草山、半平山がススキの向こうに見えている。

和美山頂上
一旦下り、北勢坑から登ってくる山道と合流したあと、登り返す。10時15分、龍洞バス停から約1時間半で和美山頂上(標高356m)に着いた。中央に三角点のある頂上周囲は、草が密生している。ススキの背が高く、視界が遮られる。それでもその間から龍洞湾や鼻頭岬、先ほど越したピークなどが見える。天気が少し曇ってきた。海と空の境がぼやけてきている。三角点基石に腰掛けて食事をとり、これからの尾根歩きに備える。十数分の休憩後、苦命嶺へ向けて歩き始める。道はここから踏跡的な山道になる。標識リボンが適度に枝に結び付けられている。右に和美池を経由して龍洞へ下る道を分岐し、一旦鞍部に下る。そこからの登りは補助ロープがある急坂だ。尾根上は、雑木林で景観展望はできない。下草が茂っているいるところは、方向を見失いやすいので注意が必要だ。

幹に取り込まれた道標

和美山頂上から約25分で、左に北勢坑への道を分ける。ここには古いトタン板の道標が幹に付けられているが、その後この木が成長し、トタン板を樹皮の中に取り込んでしまっている。小さなピークを幾つか越していく。右側に木々の切れ間から、海岸線が望める。狭い尾根を登りつめ尾根が広くなると、11時15分に苦命嶺(標高428m)の頂上についた。ゆったりした頂上だ。ここは周囲全部樹木で、展望はきかない。別名紅毛山ともいう、苦命嶺は面白い名前だ。どうしてこんな名づけなのか、ある説では北勢坑の住人は九份、金瓜石に仕事へ行く時に、山をふたつ越して行かなければならないので、こう呼ばれたということだ。

稜線の木々の切れ目から見る鼻頭角方面
苦命嶺頂上
踏み跡然の山道
苦命嶺からは、草山を目指す。下って行くと竹の茂みがある。竹の茂みは前にも後ろにもここだけで、目立つ。下草も多くなり、時々立ち止まって方向を確認する。尾根から外れていいく場所もあり、標識リボンをしっかり追っていく。苦命嶺から歩くこと30分で、行く手の展望が開けた場所にでた。前には草山、その右に半平山がだいぶ近くなっている。一旦下り、また登り返す。サルスベリの木が多く尾根上に生えている。登り途中に、つい最近掘られた動物の穴がある。12時20分に石梯坑古道への分岐についた。苦命嶺から約1時間の行程だ。少しここで休憩する。

草山(左)と半平山が大分近くなってきた
ススキをかき分け進む、右は燦光寮山
少し登ると、廃棄された産業道路にでた。右に曲り進むと左に草むらの中に登っていく山道がある。草山東北峰への道のようだ。それを更に登ると草山頂上へ行ける。まさに草をかき分けて登るようなので、一人だと大変だと判断し、廃棄産業道路を行く。ただ、道は平だが、同じく草が密生し決して歩きやすくはない。廃棄されてかかなり経つのか、すっかり自然に戻ってしまっている。ところどころコンクリの電信柱が、ニョキッと草の上から頭を見せ、かつて産業道路であったことを示している。ススキをかき分け進む山腹の道は、緩い登りとなり方向を換えていく。半平山の左に燦光寮山が見えてきた。半平山は、屏風のように幅の狭い山だが、こちら側は絶壁になっている。道に水が流れている。その周辺にはかつて藍色染料の原料だった大菁が群生している。道が崩落している部分を乗り越え間もなく、13時8分に草山戦備道の分岐に着いた。

草山戰備道から見る燦光寮山、台湾山菊が道端に咲いている
草山は、先ほどの山道からも登れるが、もう一つ頂上の通信施設メンテのための車道がある。これを登ることを考え分岐を左にとり歩き始めたが、天気がもう一つなので引き返す。草山戦備道は、燦光寮山の山腹をつづら折りで登っていく。背後の草山がだんだん低くなっていく。カーブの付け根部分に標識リボンがある。その奥には山道が続いているようだ。燦光寮古道につながる道なのか。13時30分過ぎ、半平山歩道の分岐点に来た。このすぐ前から燦光寮山が登っていくが、以前なかった道標がすえられている。分岐の周辺は風が比較的強くないので、休憩し食事をする。

戰備道の登りから草山方向を振返る
金瓜石への下り道入口
休終え歩き始めようとしたとき、半平山のほうから単独登山者と三人のパーティが現れた。今日出会う初めての登山者だ。金瓜石付近の山は、人気がある。下りになった、草山戦備道をすすむ。また二人組の登山者とすれ違う。途中燦光寮古道を左に分け、歩いて15分で金瓜石へ下る歩道の入口に来た。ここからは石畳のよい登山道だ。ススキの間の道を下っていく。高度が下がり、金瓜石の街が足元に見え始める。左に本山地質公園の道を分け、さらに下る。

ススキ一面の山肌
下りきると、案内板があり道は左に山腹を横切っていく。これが終わると今までの立派な石畳の道が終わり、土や古い石の階段道となる。金鉱時代の廃屋が山の斜面にある。このあたりから見る茶壺山は、ほんとうに急須の形をしている。この名付けがうなずける。日本統治時代(1933年)に建てられた黄金神社跡に立ち寄る。もちろん社殿は無いが、石の鳥居や灯篭、社殿を支えていた石柱が残っている。社殿建物に石の柱を使用した神社というのも珍しいのではないだろうか。この地点からは、金鉱坑口(現在の黄金博物館の位置)や金瓜石の街が全部目に入る。黄金神社から下ることわずかで、黄金博物館だ。ここは観光地、大勢の行楽客で賑わっている。その中を下り、15時10分黄金博物館バス停にたどり着いた。15時30分にやって来た1062番バスで台北に帰った。

黄金神社からのパノラマ、金瓜石の街、すぐ下に黄金博物館、背後に茶壺山、半平山が見える、右は神社遺跡
高度プロファイル
今回の行動時間は6時間25分(休憩を含む)、歩行距離13.3km、累計登攀高度923mだった。海岸からの登りなので、標高はほぼ実際に登った高さとなる。前回二回の東北角の山登りに比べると、天気はもうひとつだった。和美山から草山までの間の道は、稜線縦走としては上下の差が多くなく、体力はそれほど要求されない。しかし、道の程度は踏み跡クラスなので、山慣れていないと迷うおそれがある。この山域は、海を見ながら登れる山なので、晴天のもとで歩くのがベストだ。次回天候を見て、別のルートを登るつもりだ。

2012-11-04

2012年11月3日 烏來拔刀爾山・高腰山 - 紅河谷古道から登る

烏來山登山途中から見る拔刀爾山(中央)と高腰山(右の三角ピーク)、手前は美鹿山(2012/3)
久しぶりに烏來の山に登った。今年三月の烏來山、大桶山以来だ。今回は、烏來の西に位置する拔刀爾山を紅河谷古道から登り、保慶宮を経て烏來に下った。紅河谷古道は、烏來成功から加九寮溪にそって登り、峠を越えたあと熊空溪沿いに下って三峽熊空へ続く。今回の拔刀爾山へは、紅河谷古道より高腰山の尾根を登る道もあるが、その更に奥の作業小屋のある沢沿いから登る道を行った。拔刀爾山からは、主稜線を東に保慶宮登山口へ向かう。途中、高腰山へ分岐して往復した。保慶宮へは、烏來から西羅岸產道が続いている。これを途中まで下り、近道になる保慶宮歩道を下って、烏來バス停まで歩いた。

北側の成功から烏來まで歩く
拔刀爾山山塊は烏來集落の西側に位置する
烏來は、台湾原住民の一族泰雅族の居住地である。山も原住民の名付けのものもある。日本北海道では、原住民アイヌの土地の名前が残っているのと同じだ。拔刀爾山もそのようだ。文字を見ると「刀を抜く」という意味があるが、もともとの意味は泰雅族の祭器の形が山の形に似ているので、その言葉が由来とのこと。その後音が近いこの漢字が当てられ、現在の名前になっているようだ。泰雅族をはじめ山に詳しい台湾の原住民は、文献によると日本統治時代は登山の道案内や荷役で活躍している。

南勢溪を渡る加九寮大橋
烏來の山は、台湾中央を走る山脈の北端にあたる山々で、標高が高く山が深い。拔刀爾山はその中では、まだ烏來の街に近いアクセスが便利な山である。特に保慶宮まで車やバイクで来て登る、比較的楽なルートも取れる。筆者の歩いた紅河谷古道からの道は、一番遠いルートになる。拔刀爾山登山も、実は以前から長く計画を持っていたが、距離、所要時間ともそれなりに長く、躊躇していた。最近、幾つかの山行実績から自信を得たので、登ってきた。

紅河谷古道、枕木道で登りが始まる
台北から烏來へは849番バスが、15、20分に一本ぐらいの頻度で往復している。朝は台北から烏來へのバスは、公館を6時50分ぐらいに通過する便が初便のようだ。今日は長丁場なので、できるだけ早く歩き始めるために、これにあわせて公館バス停へ行き乗る。途中乗ってくる乗客は、お年寄りが多い。7時45分、今日の出発点成功に着いた。降りたのは地元の人と自分の二人だけだ。秋が深まり東北風も吹き始めているので、空は青空だが風が強い。

烏來方向へ少し歩くと、右に紅河谷への案内板がある。曲り角の商店はまだ開いていなが、年老いた犬が一匹前に座っている。谷に向かって道を下っていく。下りきると赤い立派な加九寮景観大橋が南勢溪にかかっている。説明文では、台風で壊されたもともとの橋の替りに2006年2月に建設されたそうだ。橋を渡り少し登りが始まる、左に加九寮歩道への案内があるが、紅河谷はここではない。更に進むと紅河谷古道の入口があるが、大勢の人がいる。制服を着ている人がいるので、何かと思い尋ねてみると、義警のメンバーで紅河谷古道を三峡まで歩くそうだ。

紅河谷古道の休憩所、土地公の祠がある
8時6分、階段を上がり山道を歩き始める。はじめはコンクリートの道が続く。ほとんど平な道だ。ところどころ、道に大雨で流された土砂がのっている。古道入口に、八月の蘇拉台風で生じた土砂崩れがあるので、紅河谷古道は危険という表示があったことが、うなずける。歩くこと10分足らずで、コンクリの道は終わり、左に枕木道が登っていく。数分登ると高度があがり、角を曲がると前方に谷の行く手が見える。谷の奥には山がそびえている。谷底はだいぶ下だ。ゆるやかな登り道が、山腹を縫って行く。8時40分、道は少しひらけ長椅子がある。中年夫婦が休んでいる。どこへ行くのか尋ねられ、七時間ぐらいかけて拔刀爾山経由で烏來まで歩くと答えた。一人でかなり歩くものだと、驚いていた。ここには、キリスト像と土地公の祠が、山壁の穴に祀られている。雨よけに帆布の屋根も掛けてある。

一番目の橋、鉄製の足場が渡してある
歩いてきた谷筋を振返る、遠くに直潭山,赤腳蘭山が見える
紅河谷対岸の山並みを見る
枝沢を越える橋がある。表面には建築現場で使う鉄の足場板が載せてある。もともとの木製橋は、流されたか古くなって危険なので取り替えられたようだ。橋を渡り少しいくと、左に山腹を登っていく道が分岐する。高腰山へ続く尾根道の入口だ。道は登り始める、登り切ると広場がある。ここからは、今まで歩いた谷筋が見える。谷の向こうには直潭山と赤腳蘭山が見える。写真を写していると、大勢の話し声が聞こえてきた。古道入口でであった、義警のメンバーが登ってきた。山岳救助を行う義警メンバーだけに、足がとても速い。20数名はいるだろう、ここでやり過ごす。三番目の橋を越し、ゆるい登りを行く。ところどころ、谷側の樹木が切れ、対岸の向天湖山の山筋が見える。切通しを過ぎ、道が左に曲がると枝沢が合流し橋を越える。ここは作業小屋がある沢の出会い場所だ。高台の右と左に小屋が造られている。準備があれば、十分に寝泊まりできる場所だ。追い越していった義警のメンバーや別の年配者パーティが、小屋の中や周辺で休んでおり、賑やかだ。時刻は9時20分、成功から歩き始めて1時間半なので、皆に混じりここで食事休憩をする。

作業小屋周辺で多くの登山客が休憩している、下方に沢を越える橋が見える
琉球雞屎樹の白い花と青い実
拔刀爾山への道は、二つの小屋の間から始まる。道は急な登りで沢を離れ、小尾根を進む。杉林の中をすすみ、そのうち左側の沢が近くなってくる。沢の脇に一旦降りる。枝沢だが山が深いだけに水量は多い。枝尾根のまたその右側の枝尾根沿いに道が登っていく。この山は花が多くないが、ところどころに琉球雞屎樹の小さな白い花が咲いている。青い実も少し実っている。水量の少ない枝沢を越えると道は山腹を巻いていく。道が右に折れて登る。ここはそのまま直進する道もあるが、これは間もなく踏み跡がなくなる。道筋に標識リボンはあるが、他の山にくらべると少ない。この付近の山腹は一面の杉林だ。烏來の山は、この杉林がとても美しい。杉林の中をずっと登って行くと、左に枝沢を見る。道が崩れて谷に落ちている部分を巻いていく。水量が少なくなった沢を越えると、また杉林の登りが続く。正面上方の木々の間に空が見えてきた。10時50分、拔刀爾山主稜線から下りてくる枝尾根に着いた。標高は約780m、拔刀爾山頂上まであと340mぐらいだ。

登山道脇の枝沢
杉の美林
杉の枯葉を踏んで登る
約1時間20分登ってきたが、ここでは休まずまた先へ進む。道は、枝尾根上の登りから左に山腹を巻いていく。まだ杉林の中だ。道には枯れた杉の葉が沢山落ちている。左に沢音が聞こえてきた。わずかだが水の流れる沢がある。先ほどの稜線にでたところから約20分の地点、標高は900mを少し下回る。頂上へは、あと少しだ。時刻は11時5分、小休憩をとる。休憩後、更に山腹をゆっくり巻いて登って行く。それが終わると、あとは主稜線まで標高差百六、七十メートルを直線的に登っていく。木々が少ないところから、周囲の山が見えるがすでに下方だ。山の向こうに街が見える。どうやら林口のあたりのようだ。11時40分、主稜線についた。ここは右に取り、拔刀爾山の頂上へ向かう。稜線上はけっこう風が強く吹き抜けていく。やはり秋の山である。なだらかな道を進み、途中右へ逐鹿山方面への道を分けたあと、わずかで11時48分に頂上に着いた。

拔刀爾山頂上から西方向を見る、卡保山とガスが頂上を隠す北插天山
拔刀爾山頂上と三角点
拔刀爾山頂上(標高1117m)は西と南方面は樹木が低く展望ができる。ただ、ススキの穂が高く、山々の眺めが遮られる。その他方面は、樹木が高くしげり展望がない。もし、北側が開けていれば台北市街や獅仔頭山などが見れるはずなのだが。西方向に卡保山、その左奥には頂上がガスに囲まれ始めているが北插天山がある。ここ拔刀爾山頂上は強い陽射しのもとだが、その先の高山はすでにガスの中で見えない。南側には、大保克山やその奥の峰々がススキの穂の向こうに見える。三角点に腰掛けて食事をする。座ると周囲の草木に遮られ、風は感じない。

小沢の中の道を行く
頂上で30分ほど休んだあと、下山開始だ。逐鹿山への分岐を過ぎ、その先登ってきた紅河谷への分岐は右に尾根道を取る。下って行くと、少し開けた場所がある。丸太で椅子が造ってある。ここから道は北東方向に変わり、谷あいを下る。石がゴロゴロしている。更に下ると小沢が現れた。道はこの沢の中を進む。幸いにして水はそれほどないが、水たまりは30センチぐらいあるので足を付けないように注意する。その先から、道は沢を離れ登り返して尾根直下を巻いていく。頂上から歩いて30分ほどで、分岐についた。ここは左にとれば高腰山方面へ行く。右はそのまま保慶宮へ続く道だ。まだ、時間が早いので高腰山へ往復することにし、左の道を取る。バサッと、音がしたかと思ったら、大型の鳥が前を横切った。黒色の体は分かったが、瞬間だったので何の鳥なのかわからない。更に下り10分ほどで、高腰山への分岐が現れた。この道をずっと行けば、紅河谷まで降りれるが、今日は高腰山頂上へ往復だけする。

高腰山の登りから見る遠景、遠くには石碇、平渓や坪林の山々が見える
近くに見える大桶山(左)と烏來山
高腰山頂上
割合と平坦な道が続いたあと、一度下りまた数十メートル登り返す。今回の山行はあまり景観展望ができないが、頂上の少し下で右側に樹木がまばらなところがある。遠くに翡翠水庫の湖面が少し覗いている。その奥には石碇や平渓の山まで見える。高腰山自身も尖った三角ピラミッドなので、遠方から判別しやすいが、同様に特徴のある中央尖峰頭尖、また皇帝殿山などが判別できる。その奥は四分尾山姜子寮山の山脈だ。近くには大桶山とその右に烏來山が見える。13時10分、拔刀爾山頂上から約1時間で高腰山頂上(標高976m)についた。周囲はすべて樹木で囲まれ展望はない。

先ほどの分岐へもどり、保慶宮へ下る。杉林が雑木林に変わる。分岐から20分で拔刀爾山から直接下ってくる道に合流した。こちらの道のほうが多く歩かれているようだ。尾根は幅が広くなり、道もゆるやかになる。一度登り返すと、左に美鹿山へ続く道を分岐する。この道は美鹿山を越したあとそのまま下れば、加九寮景観大橋をへて成功へ戻れる。今日はこちらを取らず、保慶宮から烏來へ下るので、右の道を進む。わずかの登りで美鹿南峰(標高850m)についた。近くの樹木の枝で造られた椅子がある。ここでしばらく休憩する。

美鹿南峰、椅子が造られている
保慶宮
ここから保慶宮へは標高差200mぐらいの下りである。補助ロープなども現れる尾根上の下りが終わると、山腹を巻いていく。ここで若い外国人四人組と行き違う。今日は好天の休日、それほど不人気の山とも思えないが、紅河谷から拔刀爾山を登り始めたあと、山道で出会った唯一の登山客だ。コンクリの道が現れると、程なく山道は終わりだ。14時45分に保慶宮に着いた。保慶宮はかなり大きな廟だ。野鳥観察のグループと思えるメンバーを数名見かけた。保慶宮は標高650mぐらいだ、標高約100mの烏來まで、まだかなり標高差がある。

保慶宮歩道の入口
保慶宮廟宇の前を通り、舗装路を左に下っていく。5分ほどで西羅岸産業道路と合流し、右に下っていく。つづら折りをくだると、ヘアピンカーブのたもとに立派な道標がある。烏來部落まで1.3kmとなっている。自動車用の産業道路が長い距離を下るのにくらべ、この保慶宮歩道はずっと近道である。入口付近から、遠くに台北方向がのぞめる。101ビルが判別できる。その奥には陽明山山塊も見える。歩道は枕木のしっかりした道だが、入口付近から雑草が多く、あまり歩かれていないことがわかる。しばらく下ると道に二、三箇所倒木がかぶさり、道を塞いでる。地元行政のメンテはほどんど行われていなのだろう。通り過ぎるとこはできるので、そのまま下っていく。



西羅岸産業道路(高度500m付近)から見る大桶山(左)と大保克山(右)のパノラマ
倒木が道を塞ぐ保慶宮歩道の様子
数分で下りきると、また産業道路に合流する。ここは樹木がないので、広く展望ができる。標高は500mを下回っているが、左は大桶山、烏來山から右は大刀山、大保克山までのパノラマがある。大保克山の中腹には、雲仙楽園が見えている。次回は大保克山へ登るか。また産道を下って行くと、道標が右に折れる細い舗装路を指している。これを下って間もなく左に、保慶宮歩道が現れる。これも雑草が生い茂っている道だ。倒木もある。これも10分足らずで下りきり、産道と合流した。標高は320mぐらい、保慶宮から半分ほど下りてきた。つづら折れの道を曲り、下るとまた右に烏來部落を示す道標がある。この道を下ると人家が現れ、犬が勢い良く吠えたてる。その先左に枕木の道が下っていく。下ると、枕木道が途切れてしまった。草むらの中に踏み跡があるので、それを下ると本当に道がなくなった。右側に駐車場があるのでそこに出た。どうやら温泉リゾートの中に出てしまったようだ。リゾートの中を下ると環山路に出た。保慶宮歩道は、ほとんど歩かれていないようで、ほぼ廃棄されたに近いのかもしれない。今はだれも歩いて保慶宮へ往復しないのだろう。

産業道路(高度320m付近)から見る大桶山(左)と烏來山
烏來バスターミナルまでは、あと僅かだ。環山路から温泉街へ入り、歩道の階段をくだった。この時間のこの場所は、カップルが多く道を歩いており、山を歩いてきた登山者は場違いの感じだ。烏來福徳宮に16時18分に着いた。保慶宮から約1時間半の下りだった。境内で少し休憩し、シャツを着替える。ここからは、南勢渓を挟んで対面に烏來山と大桶山が高い。烏來山は、急斜面で谷に降り立っている。三月に登ったときは、急な上りが続いたわけだ。吊り橋を渡り、バスターミナルへ着く。長い行列ができている。少し待つと16時40分にバスがやって来た。座れないが早く帰りたいので立席乗車し、17時20分MRT新店駅到着、MRTで帰宅した。

烏來吊橋を渡る、正面は烏來山
今回の山行は歩行距離約20km、休憩を含む行動時間は8時間40分だった。登攀高度累計は1290mの記録だ。本当に一日がかりの登山だ。烏來の山の登山は、今回のような歩き方だとかなりの距離で時間を要する。それだけ、山が高く深いということだ。それに対応するだけの景観があればもっと良いが、この山塊はそれとは別の深山の魅力がある。それは杉の美林であったり、渡っていく風のつぶやき、更に水量豊富な沢であったりする。このような山は、単独行であればあるほどエラーは許されない。今後も事前のルート確認など、十分な準備の上実行していくつもりだ。もちろん、同行者も歓迎だ。

2012-10-28

2012年10月27日 陽明山山仔頂古道-中正山 淡水から北投へ山越え

大屯山西峰の登りから見る面天山と向天山
先週はとても良い秋晴れの日が続いた。山登りに最適の季節だ。天気予報では、今日まで持ちそうだ。去年七月に陽明山の向天池のそばを歩いている時に、藍天隊の小さな標識を見つけた。そのころは、正規登山道以外を歩くことは慣れていないので、そのままであった。その後調べてみると、今春に花見に行った天元宮のそばから尾根を登ってくる古道であった。いつか歩くことを考えていたが、今回陽明山山塊北側を歩く第一弾として実行した。この道は、向天池山から向天山へ続く稜線の峠を越え、向天池へ下り、池の周囲を行く石畳の歩道に合流して終了する。ここから、面天坪へ石畳歩道を歩き、大屯山西峰を越えた後、南峰への分岐から中正山へ下る。その後は北投へ歩いて、山行を終了した。淡水側から山を越えて北投まで歩いたことになる。

陽明山山塊の西側が今回の山行場所
北側の淡水天元宮から山を越えて南側の北投まで歩く
山子頂古道は、向天池山から北にのびる尾根を標高約170mの麓から約870mの峠に登って行く、高度差約700mの登りが続く道である。標高500mぐらいまで上がった後はゆるやかになるが、登り始めのあたりは、一本調子の登りである。民家があるあたりは、淡水やその先の海岸線が望める。それを過ぎると林の中の登りだ。展望は殆ど無い。引き続き歩いた大屯山西峰や南峰は、陽明山国家公園の道としては珍しく、石畳ではなく補助ロープも登場する急な土の道だ。南峰への分岐からは、中正山へは尾根上の道と、谷を下り山腹をトラバースする道の二つがある。前者は途中、石段の中正山登山道と合流する。本来は、後者の山腹道を予定していたが、結局一部歩いただけだった。中正山から北投側には二、三本の道があるが、今回は台北市親山歩道である十八分歩道から郵政訓練中心步道を経由して、MRT新北投駅へ下った。

山仔頂への山道
陽明山の北側は、公共交通機関も発達し便利な南側とは異なり、アクセスはそれほど簡単ではない。それでも、登山開始点の天元宮へは北新荘行きの875番バスが、MRT淡水駅の前から朝は20分おきぐらいに発車しているので、まだよい。7時20分発の便に乗るために、自宅近くのMRT東門駅で6時半少し前に乗車、淡水には7時15分に到着した。875番バスは淡水客運が運行するので、淡水駅前中正東路を挟んだ対面の三箇所あるバス停のうち、淡水交通のバス停から発車だ。時間通りに発車後、淡水の街を過ぎ登輝大道を横切る。ここからは、これからの登る面天山の山塊がバスの窓越しに見える。登り気味の道をバスは進み、7時36分に天元宮バス停に着いた。自転車ライダー数名がやってくる。休みはライダーが多い。

山仔頂古道入口への途中、天元宮の天壇が見える
花見の頃は、行楽客で溢れかえり自家用車も制限されるこのあたりだが、オフシーズンの今はひっそりしている。101号県道を進み、天元宮の前を行く。県道の真ん中に土地公廟がある。道路が拡張されたので、今のような位置になったのだろう。その近くの路地を入る。ここでなく、更に先で右に曲がっても行けるようだ。右に天元宮の天壇を見て道を登っていく。そのうち左側に折れ、その先に道標がある。道標が要所要所に現れ、それに従い登っていく。石造りの民家の脇を過ぎる。石畳の山道が現れた。森の中を登って行くと、土地公廟の脇で舗装路に出て、石畳山道は終了する。有刺鉄線の囲い沿いに石畳の道が現れ登る。天元宮の天壇が下の方になってきた。もう一度舗装路に出ると、左方向に行く。コミュニティバスの山子頂バス停がある。舗装路は坂がきつくなり、最後の民家を過ぎると、古道が始まる。バス停から約30分の歩きだ。

展望台から淡水方向を見る、淡水は住宅ビルが多く建てられベットタウンに変身している
古道の登り、下にすそ野が見える
古道の石段を登って行くと、まもなく展望台が右に設けられている。ここはコンクリート製の大きな水槽がある。標高約300mのここからは、淡水の街も見える。眼前は陽明山山塊から海岸へのすそ野が広がっている。展望台からしばらく、以前は耕作をしていたと思われる段々畑があるが、それも過ぎると竹や雑木の林の中に入り、ひたすら急な石段を登る。一本調子で登る石段が終わり、道が左に向かって行き、枕木が現れる。途中ロープの手すりも結構設けられている。周辺の説明文がいくつか道端に設けられている。このあたりは地方行政が道のメンテをしている。枕木道が終わるあたりにベンチが二つある。標高は約460m、天元宮から約1時間登ってきたので、ここで一休みする。これからの登りに備えて、握り飯を食べる。ここからは、一部景色が望める。古道登りでの最後の景観だ。

枕木の道
森の中に入り、道はゆるかな登りになる
石がゴロゴロする道を登りつめると、峠だ
道わきの大菁
竹林の中を行くと、右に白石腳への道、そのすぐ先に左へ百卡拉公路への山道を分ける。ベンチの休憩所までの急な登りは、ここから比較的緩やかな坂になる。樹木もまばらになり、下草も少ない。台灣山菊や黃苞根節蘭の黄色い花が、道脇に咲いている。石を積み上げた壁らしきものも、道端に残っている。更に登って行くと、紫の大菁もある。老夫婦の登山客が下りてきた。山仔頂古道で出会った唯一の登山者だ。山道は山腹をトラバースしていく。その突き当りは、大きな石がゴロゴロする涸沢だ。石を踏みしめて登って行くと、沢状の石から土の道になる。登りつめるとそこが、向天池山と向天山の鞍部の峠だ。時刻は9時53分、約2時間15分の登りだった。右に向天池山への道標がある。所要時間3分とのこと、とりあえず登ってみる。ゆるい登りを行った突き当りが向天池山(標高881m)の山頂だ。周囲は木々なので展望はない。そこから続く道も無く、登ってきた道を引き返す。峠からは、向天山経由で面天山へもいけるが、今回は向天池へ降りることにする。


向天池山頂上
登山道わきの楠木樹林
向天池、水はなく大勢のハイカーがくつろいでいる
石畳の歩道、王爺菊が咲いている
数分で向天池の周囲を行く石畳道に着いた。ここは、ハイカーが多い。歩道や水の無い池には多くのハイカーが歩いている。向天池から面天坪へ向かう。ここは昨年六月に一度登ってきた道だ。下り基調の山腹の道を行く。登ってくるハイカーとたびたびすれ違う。黄色い王爺菊が道端に群生している。清天宮への道との分岐へ来ると、背後にあとで登る大屯山西峰が木々の上に頭をのぞかせている。道標の柱に気温計が取り付けられている、表示している温度は25度だ。今日は、曇がちの天気で、陽射しは無い。歩道の両脇の草は綺麗に刈られている。路程ポストを更新中のようで、板切れに作業用の指示が書かれたものが、本来の路程ポストの位置に埋め込まれている。5分ほど道を行くと、左側に歩かれていない石畳の道が分岐して、草むらの中に消えている。もともとどこかへ通じる道だったのか。10時半、右から土の道が合流すると面天坪のあずま屋が現れた。


面天坪と清天宮への分岐、奥に大屯山西峰が見える
面天坪でみたリス
あずま屋は、歩道補修のための材料やセメント袋が中に置かれている。数名のハイカーが休憩している。自分もここで休憩する。リスが近くへやって来た。いつも餌をもらっているのだろう、あまり人を恐れない。少し雨がぱらついてきた。15分ほど休憩し、大屯山西峰を目指す。標高差は200mぐらいだ。土の道は、はじめ緩やかだが間もなく急になってくる。滑りやすいところには、補助ロープも現れる。登って約20分、直線の急な坂を登り切ると、ススキの草むらにでて視界がひらける。面天山が後ろに見える。右に道が分岐し下りていく。これはどこかに通じるか。緩くなった草の間の坂道を進む。右側に北投や更に遠くには淡水河が見えが、今日は曇りがちではっきりはっきりない。手前は、あとで歩く大屯山南峰から続く中正山への尾根筋がある。11時13分に巨石が重なる西峰頂上(標高982m)についた。ここも数名の登山客が休んでいる。雨が少しぱらついてきた。幸いにして大降りはなりそうではない。


大屯山西峰から見る南峰の尾根上ピークと中正山(右)方向、遠くは霞んでよく見えない
西峰からの下り道
写真を写した後、そのまま下る。西峰の下りはかなり急坂だ。岩の下りが終わると、土の急坂となる。ここには補助ロープが張られている。下から登ってくる登山客と数回すれ違う。20分ほどで大屯坪へ下っていく分岐の鞍部に着いた。11時半過ぎ、ここで休憩し食事をとる。しばらくすると、南峰方向から大勢のパーティがやって来た、20名ぐらいだろうか。同じくここで休憩となりあたりは賑やかになる。グループメンバーではないが、親切に果物を分けてくれた。


谷筋の道、小沢を越えるあたり







15分ほどの休憩後、中正山に向かう。山腹を横切る道を数分行くと、左側に急坂の登りで南峰への道が分岐する。そのすぐ先右に、藍天隊の標識が谷に下る道を指している。これが大屯谷へ下り、大屯国小へ続く道だ。途中左の山腹道を行けば、中正山につながる。道は直線的に下っていく。それまでの登山道に比べると、歩く人が少ないので、踏み跡的な状態だ。補助ロープはかかっているが、一部はビニールの管が代用されいている。20分ほど下ると少し平なところに石が半円形に積み上げてある。これは以前大菁から藍染料を取り加工する池の跡ではないだろうか。もちろん今は埋まってしまって池状ではない。更にそこから下る道には石段が造られている。道は左側に水平に進んでいく。谷状に山が凹んでいる部分を過ぎ、また登り返す。地図で見ると確かに沢を越え少し登り返したあと、水平に進むように描かれている。登り返しが随分と続く。しかし右にトラバースするような道にならない。結局、この道は先程南峰分岐から中正山に続く道に登り返した。帰宅して確認してみると、確かにこの道がある。少し事前調査が足らなかったようだ。ただ、沢筋から登り返した直後、右に折れていく道は気づかなかった。約150m下り、また登り返したわけだ。


石畳の中正山登山道
腹の膨れたヘビが道を横切る
登り返した道は、去年六月歩いた道だ。少し行くと、草の丘を歩く。ここも草が綺麗に刈られている。陽明山公園では秋口までは生態保護のため草刈りをせず、六月のときは草深い中を進んだ。振り返ると、南峰が高い。その右奥には大屯山が半分霧の中に見える。草の道はすぐ下り始め、森の中の急坂となる。下りきると左から石畳の中正山登山道に合流する。登山道は実に程度が良い道だ。こちらは面天山、大屯山周辺に比べると登山者が少ないようだ。十数分下って来た時、石畳の上を横切る蛇に気づいた。数十センチの小さい蛇だが腹のあたりが膨れている。最近大きな餌を丸呑みにしたようだ。もともと歩く予定だった、谷沿いの道と合流し程なく、13時5分に中正山の展望台に着いた。


中正山展望台からのパノラマ、七星山、紗帽山、士林方向が見える
展望台から見る、大屯山西、南峰と手前のピーク
山を下ってくると天気は少し良くなった。青空も広がっている。展望台の上で休憩し、周囲を見渡す。背後は大屯山西峰から七星山まで見える。紗帽山から天母士林方向、その手前には烏尖連峰の山々がある。遠く東側には、五指山から下っていく大崙頭.尾山、それをずっと追っていくと劍潭山がある。淡水河の対岸は観音山だが、逆光であまりはっきりしない。中正山は、とても良い展望台だ。もし車やバイクで登山路を上って近くの駐車場までくれば、それほど苦労なく展望台へ登ってこれる。


駐車場に咲く芙蓉の花
30分ほどゆっくり休んだあと、13時半過ぎに北投へ下り始める。ここからは台北市親山歩道である。10分ほどの下りで駐車場に着いた。ピンクの芙蓉が見事だ。ここから自動車道は、山腹を大きくジグザグに下るが、その間を近道として土の山道が直線的に下っていく。一応親山歩道の一部なのだろう、親山歩道のプレートが方向を示すため、石やコンクリートに貼り付けられている。数回車道を横切り、下ると車道脇に親山歩道スタンプ台がある。そのすぐ近くから下がる近道が、この登山道部分の最終セクションだ。下りきり、右に車道を下っていく。ここで左に折れ車道を少し登り返し、その先右におれて郵政訓練所步道への入口へ行く事もできる。車道はヘアピンカーブで曲がると、木々がきれ展望が広がる。北投の市街が眼下に広がる。更に進むと、郵政訓練所步道が横切る部分に来た。ここからは石畳の郵政訓練所步道を下る。左に見えるアンテナが建っている山は、弘法大師碑がのこる丹鳳山だ。途中二ヶ所舗装路を横切り、20分ほどで下りきった。途中土地公があった。この道は、今は親山歩道だが、昔から地元で往来に歩かれている道だったのだろう。入口から舗装路を下り、磺港溪の橋を渡ったあと、泉源路を登り返す。15時少し過ぎ、MRT新北投駅に着いた。


下りに見る北投の街、左側の山は弘法大師碑のある丹鳳山の山並み
今回は、淡水から北投へ山越えをした。歩行距離は約13km、所要時間は7時間20分だった。登攀高度累計は1060mである。今回は、大部分が登山道である。陽明山山塊の北側を登るのは今回が初めてだ。北側にも非正規登山道がたくさんあるようだ。今後これらを登って行こう。また、中正山から谷沿いの山腹道を大屯山南峰へ登り、今回どこで分岐すべきだったのか確認したい。