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2023-07-26

台湾登山ルートガイド:新北市新店區獅仔頭山 日本統治時代の遺跡を巡るハイキングルート

獅子頭山を巡るハイキングルート
日本は1895年間から50年間台湾を統治した。この半世紀にわたる統治の間に、さまざまなことが起きた。統治初期には、平地の漢民族の抗日運動、また山岳部に居住する原住民(日本時代には高砂族と総称した)との流血の衝突もあった。そうした事件が台湾各地で起き、本土人もまた日本人も死傷者があった。今からすると一世紀前の近代史ということになる。台湾の山岳には、そうした事件にまつわる遺跡が残っている。台北の近くにもある。その中で、特に新店の南にある獅仔頭山は、遺跡が当地政府によって保存整理され、それらを巡ることで日本統治時代の歴史を思い起こすことができる。
台北盆地の南二位置する
まだ新北市に統括編入される前の新店市が10数年前に、歴史的意義をもつ遺跡やその他の場所を整備し、またそれらを巡る登山道を整備した。その後時間が経ち、登山道に付帯する木製桟道や展望デッキなどはメンテがよく行われずに、残念ながら腐食したりして壊れたり取り除かれしたりしている場所がある。しかしながら、基本的な往来に関しては大きな問題はなく、また歴史遺跡はそのままある。台北を訪れ時間に余裕があれば、獅子頭山を訪れて日本統治時代の歴史をふりかえるのも、日本人としては意義のあることだと思う。

觀獅坪から見る獅子頭山(2015/4攝影)

登山対象 :

ルート 捷運新店站塗潭假日線新北市新巴士バス停(新店路)→(約40分)→新潭路三段275巷バス停(獅子頭山登山口)→(20分)→觀獅坪→木製梯子→(20分)→大樟樹→(5分)→獅子頭山前鋒→(10分)→防番古碑→(5分)→隘寮遺址→(8分)→獅子頭山一等三角點→(10分)→小土匪洞→(8分)→觀音洞→(8分)→大土匪洞→(15分)→獅尾坪→(45分)→觀獅坪→(15分)→登山口獅尾坪→新潭路三段275巷バス停 又は 獅尾坪→新潭路三段80巷60弄→(45分)→ 新潭路三段080巷口 約4時間、5㎞、登坂200m、下降580m コース定数11

獅子頭山  標高857m、新店區の最高点でその南に位置する、遠くからでもその特徴ある形状で目立つ山である。山頂には台湾北部5カ所一等三角点のうちの一つがある。獅子頭山の東側にある觀獅坪から望むと、すぐ前に獅子が頭をもたげ、そこから右に背中を伸ばし、その末端に獅尾坪がある。

新潭路を登る車窓から見る獅仔頭山
觀獅坪 獅子頭山の東にある平らな場所。ベンチや新北市指定古跡などの表示がある。春にはツツジが多く咲く。ここから左に獅子の頭へ登る急な木製階段の道、右に獅尾坪へとつながる山腹道が分岐する。

觀獅坪

大樟樹 樟樹はクスノキのこと。クスノキは、樟脳の原料である。今は化学合成品にとって代わられているが、一世紀前には重要な化学原料であった。医薬、工業さらには軍事用品の材料として大きな需要があった。台湾の山間部には、クスノキの原生林がありこれをもとに大量の樟脳生産が行われた。一時期は台湾は世界生産量の7割以上を占めていた、という。クスノキは、山岳住民のテリトリーに生える。クスノキを求める平地人とその侵入を防ぐ原住民との間に命を懸けた衝突があった。クスノキは、近代史を形作るなかで重要な役割であった。

獅子頭山前鋒 獅子頭山の頭に相当する部分、標高569mで上記三角点位置より高い。


防番古碑 番または蕃は、山岳原住民を指す。日本は1895年の台湾接収後、その殖民政策において、原住民をいかに管理するかが重要な政策として浮上する。山岳原住民は、清朝当時においては、半ば独立状態であり、政府管理外の存在だった。樟脳生産が国家財源に重要な役割を果たすようになると、専売制を設けそれを保護する対策をとる。それが隘勇線である。原住民との境界としての隘勇線は、日本統治下でも引き続き採用され、拡大していった。隘勇線は主に稜線上に設けられ、そのわきの樹木を10メートル以上切り取り、また監視点を設けて、原住民の往来を制限した。少数であるが、通電鉄線が設けられたところもある。防番古碑は、防番政策の初期である明治35 年(1902年)隘勇線の設置工事の際に、原住民に襲われ死傷した警察官など殉死を記念すべく設置された石碑である。本来の石碑はその表が崖に面しているので、そのレプリカが造られ本物の脇に据えられている。

石碑は左がオリジナル、右がレプリカ

隘寮遺址 隘寮とは、隘勇線上にある監視のための施設の総称である。隘勇線には、その管理システムとして通常日本人監督者もいる監督所、台湾平地人の隘丁と呼ばれる監視人が駐在する分遣所、そして監視所が設置されていた。隘勇線は、基本的に原住民が帰順し抵抗しなくなれば必要がなくなる、暫時的な施設である。長い年月が過ぎると、ほぼ自然に戻ってしまうが、この監視所は石造りであり十数年前に当時の政府により保存のための工事が行われた。屋根も取り付けられ、当時の規模や原住民攻撃に対応するための銃口や入口の構造などがわかるように、保存されている。

保護屋根下の隘寮遺址
觀音洞 文字通り仏教の観音を祭るオーバーハング状の石洞。不埒者が本来あった観音像を持ち去ってしまったようで、以前の観音像はなく祭壇だけが残る。

觀音洞

小/大土匪洞
 土匪とはいわゆる山賊である。日本統治初期には平地人の抗日運動があった。台湾各地で義民という名前で呼ばれた組織もある。武力による抗日運動は、しかしながら西洋式軍備が進んだ日本統治政府には勝てず、次第に山へと追われる。獅子頭山にもこもって抵抗した。本来は抗日運動であったが、次第にその武器も物資も底をつき、一般民間を襲うようなこともあった。また、政府も抗日組織を支持しないようにするため、土匪と称してプロパガンダを展開することもあった。この二つの大小の洞窟は、その際に使用されたということである。これも日本統治時代の近代史である。

大土匪洞

獅尾坪
 觀獅坪から見る獅子の頭に対し、ここは獅子の尾に相当する。単に丸い広場である。車を停めるだけのスペースはある。

獅尾坪

コース概要:

獅子頭山の登山口は、新潭路三段275巷の登山口と、新潭路三段80巷の二つある。前者は高度が高く登りが少ない。他方は300mほど多く登ることになる。前者も後者も、週末だけMRT新店駅脇のバス停から新巴士(運賃無料)が往復する。平日は、そこまではいかず、新潭路を多く歩くか、或いはタクシーなどを利用する。新巴士はマイクロバスで定員数も少なく、発車予定よりかなり早めに並んだほうが良い。

MRT新店駅脇の新巴士バス停
登山口わきの新潭路三段275巷バス終点
新潭路三段275巷の登山口のバス停は、登山口のすぐわきである。バスから降りて木製階段の道を登る。まもなく桟道はおわり、土の道になる。枕木を使用した整備がされており、また急坂には手すりもある。登ること20分足らずで、平らな台地觀獅坪にでる。天気が良ければ、正面に頭をもたげた獅子が右のほうへその体を横たえているのがわかる。

初めは木製桟道
尾根上の道を進む
觀獅坪
觀獅坪からは二つ道がある。左は木製梯子で獅子の頭の部分に登る急坂、右は獅子の胴体に沿って進む山腹道(獅子頭山古道)である。どちらから回っても良いが、一般的に左を登りぐるっと回ってくるのが多いようだ。階段を登り、三段ある梯子の最下部に着く。橋子はかなり急なので、注意して登る。一段目を登りきると、そこからは眼下に觀獅坪や、その先の山々が望める。二段目の高さはほんのわずかだ。三段目は、一段ほどではないが長いので注意して登る。

左は梯子へ、右は獅尾坪への山腹道
まず梯子の基部へ登る
一段目の梯子

梯子登り途中で見る付近の山々
梯子セクションを過ぎ、森の中を少し登っていくと大樟樹がある。大きさは、それほど大きなものではないが、樟脳の材料になることを逃れて今日まであるクスノキだ。脇には説明板がある。さらに登ると、獅子頭山前鋒(標高869m)に着く。このルート上の最高点であり、獅子の頭になる部分だ。だいぶ樹木が大きくなったので、山頂からのは展望はよくない。

大樟樹(2012/07攝影)
ゆるやかな下り道は、間もなく分岐にくる。直進すると獅子頭山の三角点山頂へと続く。左にとり、下っていく。この周辺は春には金毛杜鵑多く咲くところだ。尾根筋をくだり、石碑を見る。防番古碑だ。本来の物は、右の崖に面したもの、手前のものはレプリカだ。道はここで熊空山へと続く縦走路と右へ下る道に分岐する。

防番古碑(左)への分岐
階段道を下る
右に下って小沢を越える。そのうち階段があり道が分かれる。どちらも隘寮遺址へと続く。登っていくと、突如森の中に屋根がある。遺跡を覆う屋根だ。遺跡は広く、当時の規模がわかる。遺跡から、進んでいくと右へ斜面を登っていく道を分ける。そのまま進むと小土匪洞へと降りる。ここは、右にとって獅仔頭山山頂を往復する。途中にもう一つ分岐があるが、そのまま直進する。台北付近の台湾北部には、一等三角点が五か所ある。そのうちの一つが獅仔頭山である。本来この場所はよい展望ができる場所だが、今は樹木に囲まれ展望なない。

小沢を渡り登り返す
登り途中の分岐、どちらを行ってもよい
隘寮遺址の内部
外壁の銃口
右へ曲がり三角点山頂へ登る
この分岐は直進
獅子頭山山頂
登ってきた坂道をくだり、分岐からさらに下る。分岐で左にちょっと行くと小土匪洞がある。分岐にもどりさらに下る。次の分岐を左とり、ちょと下り気味にいくと觀音洞だ。戻って分岐から、少し登り気味に行く。現れた分岐の右に少しのぼると、大土匪洞がある。この辺りは、こうした見どころをつないだ道がいくつかあるので、方向に注意が必要だ。さもないと、元の場所に戻ってしまう。

小土匪洞
小土匪洞內部
この下が觀音洞への分岐

觀音洞
前方右へ大土匪洞へ曲がる
大土匪洞内部はけっこう大きい
大土匪洞から分岐に戻り、獅尾坪へとちょっと長く下る。獅尾坪は、表面が丸く舗装がされている。ここまで舗装路が来ている。左に粽串尖方面への土道が口を開いている。右に舗装路を下る。まもなく土道の入口がある。この道が觀獅坪へと戻る山腹道である。左に舗装路を下っていくと、途中康橋學校脇を過ぎ、新潭路三段080巷口へと続く。右にとると、山腹道は、基本登り気味に行き、最後の登りを過ぎて觀獅坪に着く。さらに往路を下れば、新潭路三段275巷の登山口だ。
獅尾坪へ下る
獅尾坪

右の道を行くと觀獅坪へ戻る(2015/4攝影)

新潭路三段080巷付近、バス停はないがバスはどこでも停車する

アクセス:

新北市の無料バスが、週末と休日にMRT新店駅脇のバス停(新店路)から運行される。このバス停は交通量が多い北新路やMRT駅出口のバスターミナルではなく、改札口をでて左にある新店路上なので、注意が必要。運行日以外では、タクシーで往復になる。

装備:

台北の他の郊外低山と同様で、天気が良ければ、時間も短いので十分な水や行動食で十分である。ただ、台湾は夏の高気圧に支配される時期を除くと、雨が降ることも多いので、雨具は必ず携帯することを勧める。

2023-07-24

台灣登山ルートガイド: 地元ボランティアが切り開いた忘憂古道から平溪峰頭尖を登る

平溪菁桐の南に位置する
台湾の山道は、政府が切り開きメンテする官製道がある一方、本来地元民が生活のために歩いた山道がとても多い。交通の発展により一時は見捨てられたが、登山活動が盛んになるにつれ手入れされてまた通行できるようになった古道と称される道もたくさんある。後者は、大部分が登山団体などによる自主的な活動によってメンテされている。今年2023年になって注目されている道の一つが、忘憂古道である。名前もユニークだが、この道を切り開きメンテしているのは、地元の高齢者である。このガイドは、そうした民間による新道を経て、平溪三尖のうち最も手強い峰頭尖(標高609m)を往復するガイドである。
台北盆地の東側の山塊に位置する

登山対象:

ルート 菁桐(鉄道)或は中埔バス停→(25分) → 忘憂古道入口(涼亭脇の橋)→(5分)→ 稜線路と沢沿路分岐→(15分)→稜線路休憩ベンチ→(20分)→展望台→(20分)→溪谷路分岐→(10分)→第二展望台→(20分)→稜線道と山腹道分岐→(15分)→主稜線分岐→(20分)→山腹道分岐→(10分)→東勢格越嶺古道分岐→(20分)→白石腳分岐→(10分)→峰頭尖山頂→(6 分)→白石腳分岐→(18分)→東勢格越嶺古道分岐→(10分)→山腹道分岐→(18分)→稜線道と山腹道分岐=溪谷路分岐→(15分)→古厝遺址→(10分)→石棚有應公→(15分)→小水壩→(5分)→古道入口涼亭→(15分)→中埔バス停 約5.6km 上昇下降各430m 5時間  コース定数15

峰頭尖 今やスカイランタンで有名な平溪は、一度さびれその後観光地として復活した炭鉱の街である。その中でも大きな坑道があった菁桐は、鉄道平溪線の終点でもある。この菁桐の近くには平溪三尖と呼ばれる尖った山峰をいただく山がある。石筍尖,薯榔尖そしてこの峰頭尖である。前二者は単一のピークであるが、基隆河を挟んだ対岸の峰頭尖は、西側皇帝殿山などから望むと三角ピラミッドが顕著だが、菁桐から望むと長々と峰々が続く山である。そのうち西側のピークが峰頭尖の山頂とされている。一方、この連峰の東には峰頭尖東峰がある。これらのピークを端から端まで縦走することができるが、稜線上には小ピークが次々と現れ、そこそこの時間を要する。最近は、ボランティアの道整理で草が刈られ、多くの場所で安全ロープが取り付けられてて、四方からの登山が可能である。
北側薯榔尖から望む峰頭尖、最右の峰が三角点山頂
西側皇帝殿山から望むと鋭い山峰を見せる

古道を整備した黄さん
忘憂古道 忘憂は憂さを忘れるという意味だ。本来は谷の奥にある民家などへの生活路であった。地元の82歳になる黄さんが自力で道を整備し、一般に公開している。その他のボランティアグループも協力し、今日の歩きやすい歩道になっている。入口近くで主稜線から北に伸びる支稜に沿って行く稜線路とその東側の沢に沿って行き、稜線に上がる溪谷路の二つのルートがある。そしてその合流した先からは、またそのまま稜線を行く道と、山腹に沿って行きさらに西側で稜線に上がる二つのルートがある。上り下り別々のルートをとって歩くと、違った風景が展開し面白い。

古厝遺址 古厝とは古い家のことである。ここでは上記黄さんの親戚が住んでいた家とのことだ。台湾の山間の民家は、石を積み上げて壁にしている。屋根は昔はわらなどで覆っていたようだ。打ち捨てられると、屋根などが落ちてなくなるが、石壁は残りその存在を示している。近郊低山には、山から降りて移住していった後の残された古厝がたくさんある。中には石臼なども残っていて、当時の生活の様子が偲ばれる。

有應公 道教の神様である土地公に対し、有應公は台湾の民間で発生した信仰である。中国大陸から移民してきたが、不幸に病死などで行き倒れた人たちの遺骨を集め埋葬しその魂を弔うことから発生した。日本と同じに先祖を祭る中華文化圏では、こうした素性のわからない人は、まともな埋葬がされない。その隙間を埋めるような形でこの信仰が形づくられたという。土地公は、道祖神のように台湾各地に多く存在する、道教の地位ランキングでは比較的低い階層の各土地を守護する神である。有應公も、多くの場所にその祠が設けられている。

菁桐 大正7年(1918)に、藤田組と台湾五大財閥といわれた顔家の合弁で台北炭礦株式會社(後の台陽礦業公司)が設立され、採掘する石炭運搬のための鉄道が建設された。それが今日の平溪線の前身である。優良かつ大量の石炭を算出するこの地には、会社運営のための事務所や職員宿舎が設けられた。戦後も採掘は引き続け行われたが、日本の石炭産業と同じように、石油へのエネルギー変換、採掘の困難度増加や事故などで1970年代には衰退し、2000年には全面閉鎖した。残っていた当時の日本式家屋は、そのご修復され観光資源として使用されている。
基隆河の両側に広がる菁桐の街、手前に台陽公司の日本式家屋が見える

コース概要:

中埔バス停で下車し、菁桐方向へ少し戻る(菁桐からは基隆河の橋を渡る)。歡迎白石腳里と記す石碑の前の観光商店街に入り、まだ新しいトイレわきの道を登る。道なりに進み、谷にそっていくと涼亭がある。そのすぐ上にある橋が忘憂古道の入口だ。ここから先は山道で危ないから、遊楽客は身の安全のために入らないように、という役所の看板がある。

中埔バス停で795番バスを下車
歡迎白石腳里の石碑、背後は薯榔尖
この商店街から入る
舗装路を登る
このすぐ先に古道入口の橋
橋の前の警告板
橋を渡り道なりに畑の中を進む。すぐに藍天隊の道標がある。右は稜線道、左は溪谷道だ。どちらでも行けるが、右は所々展望ができる、左は沢沿いで水に近い、という特徴があるので好みに応じて選べばよい。上り下り別々の道を行くのも面白い。夏の時季は、暑いので朝方に稜線道を行き、午後は水に近い沢沿いを降りるなどというバリエーションもよい。ここでは、そのパターンで紹介する。

畑の間を登る
藍天隊の道標
道はつづら折れで高度をあげ、山道の様子になる。ロープの手すりの坂を過ぎると、ベンチが置いてある休憩所だ。手前が開けて、展望できる。風が吹き抜けて、天気が良ければ気持ちがよい。尾根上には、上り下りがある。少し下り、また登り返していく。ベンチから20分ほど登ると、右に展望台への表示がある。そのまま直進もできるが、天気が良ければ立ち寄ると、高度が上がったので広い範囲が展望できる。菁桐の街も眼下だ。

つづら折れの山道で高度を上げる
ロープ手すりの坂道
休憩ベンチ
一部稜線下を進む
展望台への道標
展望台からのパノラマ
基本は登りだが、ところどころで少し下り、登り返しもある。尾根から少し離れて、斜面をジグザグに登る箇所もある。途中で少し戻る形になるが、第二展望台もある。さらに20分ほどで、左に沢へ下っていく道を分岐し、そのすぐ上に稜線道と山腹道の分岐を見る。

稜線上を登る
斜面をジグザグに登る
第二展望台
稜線道(左)と山腹道の分岐点
稜線道は、急な勾配を登る。左の斜面に回り込み、安全ネットもある箇所をトラバースする。さらに急坂を登りつめ、アルミ製梯子を登る。これをさらに登ると主稜線に着く。主稜線を西(右)へと少し行くと、大きく砂岩が露出した尾根になる。岩の上を注意深く進む。天気が良ければ、岩の上からは南北広い範囲の展望ができる。雨の場合は、足元に注意が必要だ。
セーフティネット
ジグザグに切られた斜面の道
アルミ梯子
砂岩が露出した主稜線
岩稜上の眺め
急坂に取りつき、登りつめて下る。主稜線上では、こうした小さなコブがたくさんあるので、なかなか距離が稼げない。下ると、先ほど分かれた山腹道との分岐点だ。付近から前方に目的地の峰頭尖山頂とその背後の山々や、台北の街が望める。尾根上には露出した岩や急坂があるので、足元は注意だ。最近の整備でロープはたくさん取り付けられている。上り下りが過ぎ、左に東勢格越嶺古道方向へ道を分ける。この辺りはそこそこ平らな場所もあるので、休憩によい。
稜線上のコブを登る
山頂のピークを望む、右遠くには台北
急な下りそしてまた登り返し
東勢格越嶺古道方向(左)への分岐
分岐からさらに下り、また小ピークを越えていく。稜線下をトラバースする場所もある。右に白石腳への山道を分岐すると、山頂への最後の登りだ。登りきると樹木に囲まれた山頂(標高609m)が現れる。それほど広くないが、10人は座って休める広さはある。
稜線下をトラバース
山頂への登り
白石腳(右)への分岐
峰頭尖山頂
帰路は、往路を山腹道分岐まで戻る。帰りも小さな上り下りが続き、うんざりする。分岐から、急な斜面を下る。こちらも梯子がある。急な坂を下り、斜面をトラバースしていくと、稜線道との合流点だ。その先すぐに右に沢方向へ下る。ジグザグに道筋が切られた斜面を行き、谷間に降りる。少し登り返し、左に稜線道を分けて間もなく古厝遺址だ。この遺跡は、あまり壁が残っていないが、以前の広い前庭などがわかる。
山頂からの下り
主稜線上の山腹道分岐
谷間に降りる
稜線道との分岐に戻る
溪谷路へ下る
ジグザグ道を下る
古厝遺址
道は下って広くなる。以前は棚田だったように見える。すぐ左上に有應公の小さな祠がひっそりとある。さらに行くと、沢音が聞こえ水が近くなる。この辺りで休憩をとるのもよい。オオタニワタリなどが多く樹木にとりつき、ジャングルの様相だ。右岸に渡り沢沿いに進む。下って左に沢を見ると、それを横切り先ほどの稜線道との分岐に行く。そのまま下って行っても、涼亭へとつく。さらに下って、登りに通った観光商店へと戻る。
以前は棚田だったと思う広い道
素朴な石棚有應公
オオタニワタリが多く取りついている
右岸へ渡る
沢沿いに進む
ここを進めば稜線道との分岐
本コースだと約半日で終わるので、その後菁桐老街散策や、健脚であれば対岸の薯榔尖石筍尖などへ足を延ばすのもよいだろう。また、峰頭尖も、忘憂古道だけでなく、九龍山経由や白石腳登山道、或いは反対南側からのアクセスもある。これらの道はここ1年ぐらいは、まだ状態が良いはずだ。



アクセス:
鉄道平溪線菁桐駅、或いは795番台灣好行バス中埔バス停から往復する。795番バスは台北MRT木柵駅をでて木柵路上のバス停で乗り換える。

装備:
商店街脇のお手洗い

天気が良ければ、時間も短いので十分な水や行動食で十分である。木陰を行く部分が多いが、5月から10月ごろまでの熱い時期の好天下では、昼間は風がないと結構暑い。トイレは、上記案内中にあるように、観光商店街のはずれにある。