このブログを検索:山名などキーワードを入れてください

2022-02-20

2022年2月12日~13日 阿里山行:神阿縱走+大塔山 / 特富野古道+兒玉山+東水山+北霞山 阿里山山脈を東から西へ山越え

阿里山公園内の石碑
台湾の有数な観光地である阿里山は、日本でも知っている人が多い。その昔は、台湾の主要な林業地であり、林業が去ったあとは観光地に生まれ変わっている。世界でもまれな阿里山森林鉄道もある。多くの観光客が四季を通じて訪れる。標高は中心とでもいうべき阿里山の公園入口で2200mである。そこから望む阿里山山脈の最高峰、大塔山は2663mだ。すぐ東側にある玉山山脈に比べると高度は低いが、当山脈は特に東側は切り立った岩壁が目立ち、その独特な存在を示している。

赤の軌跡:第一日、青の軌跡:第二日
筆者は、観光客として過去に三回ほど訪れている。その後、この山脈の別の山も二度ほど訪れている。今回は、観光客としてではないが、山脈の東側から自分の足で歩いて登り阿里山を訪れた。阿里山公園の近くの宿泊施設で一泊し、翌日は山脈の西側に、特富野古道をへて下った。つまりは、東から西へ山脈越えをしたことになる。古道歩きだけでなく、一日目は大塔山を、二日目は兒玉山,東水山そして北霞山を登った。

東水山にて

=======================

第一日 2月12日(土) 台北 - 南投縣神木村 - 神阿古道入口 - 祝山線0.8K - 大塔山 - 阿里山

東側神木村から阿里山、大塔山を往復
台北を4時に中型バスで出発
台北から南部にある阿里山までは遠い。今では高速道路が完備し、一般道路も良くなったとはいえ、280㎞ほどの距離がある。優に四時間はかかる。そのため、未明4時に集合、中型バスで出発する。参加者は18名だ。途中高速道路南崁(桃園)インターチェンジで一人乗車し、一路南下する。ウトウトしている間に、大分南までやってきた。6時17分空が明るんできたころ、第三高速道路名間インターチェンジを降りる。台16号線を進む。10数分行くと、前方に集集大山のシルエットが浮かぶ。6時45分、水里の街で給油中コンビニなどで用をすます。

台21線の橋上から望む玉山山脈の山々
岩壁の目立つ阿里山山脈が近づく
神木巷を進む
台16号線から台21号線に入り、陳有蘭溪にそって進む。途中川を大きく登って越す橋からは、谷間の向こうに玉山山脈が姿をに現す。7時半、左に東埔への道を分け、さらに進む。ゴツゴツとした岩壁をあらわにした阿里山山脈が近づいてくる。愛玉橋の直前で右に神木巷へと入る。921地震やその後の大型台風による作用で、沢沿いに進む道は所々破壊された。その後復旧して通行できるが、当初のような良い道ではないので、バスは慎重にゆっくりと進む。7時45分、右へ神阿古道への標識を見ると、道は上りになる。それ以上はバスでは無理なので、ここで下車する。

満開桜の民家や畑の脇を登る
道の状態は良い
支度を済ませ8時、八鄰橋(標高1190m)から歩き始める。標高1575mある古道入口はまだ3㎞先だ。地元で古道入口までのシャトルサービスをしているが、1週間前に連絡しなければならず、今回は自分の足で落差約400mを登る。道は舗装され、民家や畑の脇を登っていく。快晴の空のもと、台湾山桜は満開だ。つづら折りに高度を上げていく。登るにつれ、畑の上からは展望が広がる。杉人造林に入り。8時50分、登山口に着く。思っていたより早く到着した。

神阿古道入口
伐採作業中の場所を通り過ぎる
道しるべも新しい
過去は阿里山との間で物資運搬を含める往来に使われていたという古道は、そのふもとの神木村と同じように、地震や台風の影響で破壊され不通になっていた。近年観光開発の目的で、その復旧作業が入り、このようにハイキングルートとして復活した。まだ新しい標識や枕木階段がそれを物語る。一休みの後、9時に歩き始める。初めはそれほど勾配がきつくない、階段道が杉林の中を登っていく。そのうち、伐採作業している場所を過ぎる。途中林道を二か所横切り、最後にまた林道にでて進む。9時半、林道が終わり、前方に岩峰が高く聳えるのを見て、山道が始まる。

林道が終わると山道になる
ロープ手すりの山道
岩壁が覆いかぶさる
山道は、ロープ手すりがずっと続く。これもまだ新しい。明らかに過去道が流されたところと思える場所を過ぎて、山腹を登り気味に進む。樹木が少ない場所からは、谷を挟んで対岸の山並みが高い。手前の山並みの奥に連なる山々は、郡大山から北へ伸びる山脈の峰々か。勾配がきつくなってくる。対岸の岩壁が高く覆いかぶさる。ジグザグに高度を稼いでいく。高度が上がってきて、対岸には玉山北峰や主峰が前面の山並みの上に高く頭を出す。10時45分、二度目の休憩をとる。

急坂を登る
玉山北峰と主峰を背後に登る
急坂が続く
半時間ほど引き続き急坂を登ると、道は杉林の中に入る。杉はどれもとても大きく、空を遮る。坂は緩くなってくる。道脇に大きなヒノキの切り株が目立つようになる。この辺りは、もともとヒノキなどを含む原生林で、それが切り倒されその後植林が行われたようだ。12時を回り、道はいよいよほぼ平らに進む。今は全くその跡がないが、以前は森林鉄道の軌道が敷かれていたのでは、と思わせる。12時22分、神阿古道の案内案をみて、最後に少しの坂道を登る。12時半、祝山線の0.8K地点(標高2340m)に出る。古道歩きはここで終わりだ。食事休憩をとる。

岩壁の向こうに玉山
倒木を潜り抜ける
最後の急坂を登る
平坦な森の道を行く
祝山線0.8K地点
眠月線(左)と祝山線との分岐点
大塔山へ階段道が続く
13時過ぎ、大塔山へ向けて出発する。軌道沿いに進み、眠月線(廃線)と祝山線分岐点から大塔山歩道を歩く。山頂までまだ350mほどの落差がある。左下に眠月線を見て、尾根上を進み、一旦下った広場から大塔山へと取りつく。眠月線は、もともと林業終了後も、眠月駅まで、観光目的で運用されていた。ところが地震でトンネルなどが破壊され廃棄された。今は登山道として歩かれている。大塔山登山道はずっと階段道である。下ってくる登山者も多い。

階段登りが続く
紅檜と説明板
登りは続く
13時36分、左に説明板があるヒノキ(紅檜ベニヒ)を見る。14時を回り、歩道里程3Kを見ると道は、稜線の西側山腹を緩やかに進む。樹木が低い場所からは、下方に阿里山の沼平駅や阿里山公園入口の家屋などが望める。その遠くはかすんでいる。3.3Kを過ぎ、道はまた急になり、山頂を目指す。コンクリート階段が現れ、登りきると家屋がある。そのわきをさらに上り、14時33分山頂のデッキに着く。ここが山頂だ。すぐわきには別のコンクリート家屋がある。あいにく、霧がかかり展望は全くない。今日は、1190m地点から2663mの大塔山山頂まで、1500m近く落差を登ってきた。

阿里山公園の施設が山腹に展開
建物脇の最後の登り
大塔山山頂デッキの筆者
線路わきの広場に戻った
霧は晴れる様子もなく、14時48分往路を下り始める。15時20分過ぎ、眠月線脇の広場に降り立つ。ここまで降りると霧はない。山頂付近は午後霧が出やすいようだ。線路沿いを阿里山に向けて進む。15時46分、大塔山登山口を過ぎ、16時沼平駅につき小休憩をとる。今は二階建ての新しい駅舎だが、その昔はここが阿里山駅であった。筆者が1980年に初めて阿里山を訪れたころは、阿里山公路がまだ開通しておらず、阿里山には森林鉄道で往復していた。嘉義までここから列車が出ていた。

軌条脇の桜が開花
前方に沼平駅
1980年の沼平(阿里山)駅と当時の列車と現役のシェイ蒸機
公園入口近くの桟道に咲く桜
筆者の記憶と比べ今はすっかり様子が換わってしまった、沼平周辺からさらに下っていく。春季観光の目玉である桜もチラホラ咲き始めている。満開まではまだちょっと時間がかかるようだ。遊楽客も目立つ。16時21、阿里山公園の入口を過ぎ、さらに下って16時半前に投宿の文山賓館に着いた。一休み後、バスに置いていた荷物を取り、公園下駐車場の食事処で夕食をとる。18時半、暗くなったなか空にかかる月を見て宿に戻った。

阿里山公園入口

公園駐車場わきの食事処
月夜の阿里山郵便局
歩行距離13.5㎞、累計登坂1527m、下降513m、休憩込み活動時間8時間半である。コース定数は35だ。単に観光であれば、車やバスで訪れるであろうが、こうして自分の足で歩いて訪れる阿里山は、また面白いものだ。







=======================

第二日 2月13日(日) 阿里山 - 特富野古道入口 - 兒玉山 - 東水山 - 北霞山 - 特富野古道 - 台北

三山登頂後西へ下る
カフェテリア式朝食
7時前に文山賓館を出て、公園入口駐車場近くの食事処で朝食をとる。宿泊料金に朝食が含まれている。食事を終えて外に出てバス駐車場へ向かう。少し小高くなったところから、昨日登頂の大塔山が朝陽にゴツゴツとした岩峰を見せている。天気が良ければよい展望台のはずだ。霧で景色がなかったのは残念だ。大塔山は阿里山一帯に分布する原住民鄒(ツォウ)族の聖山でもある。

大塔山、山腹に眠月線の土砂避けトンネル
バスで特富野古道へ向かう
古道入口
7時半、特富野古道入口に向け台18号線を南へ進む。この辺りの道は、その昔は森林鉄道の水山支線であった。現在の車道は、森林鉄道の軌道敷を利用して造られたものだ。20分ほどで東側自忠古道入口に着く。古道を訪れるハイカーは多く、休日の今日は近くに食物屋の出店もある。東側には玉山北峰と、雲をかぶった主峰が朝陽の中にまぶしい。

東側には玉山(右)と群大山(左奥)
兒玉山登山口から登る
8時歩き始める。古道は、その昔は鄒族原住民の道であったということだ。その後森林鉄道として上部が拡張利用された。今も約3.7㎞ほど一部途切れるところもあるが、軌道が残っている。ここも水山支線の一部で、材木運搬に利用された。その後は、観光用として今日の姿になっている。

樹根が四方八方に這う
杉人造林にはヒノキの切り株が残る
兒玉山への分岐
空身で兒玉山へ登る
歩き始めてすぐ左に、兒玉山登山口がある。杉人造林の中を急坂で登り始める。日本の山にみる杉林と同じに森の底は、根が蛇のように四方八方に這っている。この辺りも、過去にはヒノキの大木が原生していた場所だ。大きな切り株が苔をまとって、静かにたたずんでいる。登ること約40分、ヤタケをぬけて勾配は緩くなる。小さなコブを越えて、道は稜線の右側を行く。8時51分、左に兒玉山山頂への道を分ける分岐に着く。一休みする。

山頂
雲をかぶった玉山
大正六年三月と刻まれた石柱
9時に空身で山頂へ向かう。広葉樹原生林の急坂を登ること約10分、山頂(標高2606m)に着く。灌木があるものの、そこそこ展望がある。東側には玉山の主要な山峰が、山頂に雲をかぶって連なる。寒波が訪れ天気が変わるということだが、その兆候が表れ始めているのだろう。手前には鹿林山前峰山頂の白い天文台建物が目立つ。狭い山頂には、大正六年三月日付の官有林境界石がある。山名兒玉は、1896年から八年間台湾第四代総督であった児玉源太郎の児玉である。同時期の政務長官後藤新平とともに、台湾統治初期のインフラ建設で知られている。台湾の山でその名を冠した総督には第五代佐久間左馬太がいる。ちなみに当山は、自忠山という別名がある。戦後蒋介石が命名したという。
縦走路は山腹をトラバースしていく

倒木は厄介だ
ヤタケに囲まれた山頂
9時半過ぎに分岐に戻る。またザックを担いで縦走路を進む。道は稜線の主に右(北)側をあまり起伏なく進む。アカマツや雑木林の森が続く。少し登り返し、10時13分、東水山(標高2611m)に着く。三等三角点は周りを密生する背が高いヤタケに囲まれて狭く、展望は全くない。天気が少し下り気味なので、北霞山への往復を思案したが、往復を決める。メンバー中二人は、ここで待つという。

北霞山へ向かう
ヤタケを藪こぎして進む
ブロックごとに切り出されたヒノキ切株
人造林を下る
北霞山は標高2471m、つまり下って帰路は登り返すというパターンだ。片道3㎞強の途中には偽ピークもあり、ちょっと時間がかかる。10時半出発しヤタケをぬけると、下りが始まり間もなく杉林の中を行く。稜線が人造林との境界の様で、東側は広葉樹林だ。杉林の中には、ヒノキの古い切り株が多くある。11時2分、まだ新しいヒノキ切り株を過ぎる。盗伐者によって、ブロックが切り出された姿を見せている。11時半、雨がぱらつきだす。心配してた天気は、やはり下り気味だ。それぞれ雨具を取り出し着ける。

偽ピークへ登り返す
薄日が差し込む
北霞山山頂
北霞山への最後の偽ピークを登りはじめて間もなく、薄い日差しが森に差し込む。天気はまだしばらくこのように一進一退のようだ。起伏の少ない稜線を進み、12時6分最後の坂を上り始める。12時11分、右に霞山,脈脈山方向への道を分岐し、すぐに山頂が現れる。狭い山頂は、灌木に囲まれている。それほど濃くはないが、霧がでていて遠望はない。食事休憩をとる。

稜線の西側(左)は人造林

雨水で群れたヤタケはズボンを濡らす
12時50分、往路を帰り始める。全体として登り返しだが、途中の偽ピークでは上り下りがあり、厄介だ。前半は、杉林で下草はないが、途中休憩後の後半は、とこどころヤタケが現れ、さきほどの雨でぬれていてズボンを濡らす。14時40分過ぎ、東水山へ帰り着く。待っていた二人は、かなり寒かったという。時間もすでに15時近く、日暮れまでは3時間を切っている。下山の道は長い。休みもそこそこに下山を始める。

古道へ下る

東水山西峰
急坂を下る
東水山山頂からいったん下って、西に延びる尾根を登り返す。13時15分、東水山西峰(標高2600m)を通過する。霧が濃くなってきた。すぐにコンクリの家屋をみて、道は尾根から離れ、北方向へ杉林の中を急坂で下っていく。標高2280mの特富野古道2.7K地点まで約300数十mの急降下だ。15時半を回り、勾配は緩やかになる。大きな奇妙な形の切り株が目立つ。さらに下ること20分、15時52分に特富野古道に降り立つ。

奇妙な形の切り株
特富野古道2.7K分岐
軌道が流されたところは道でつなぐ
人造林の間を行く軌道
古道わきで休憩をとり、西側登山口に向けて歩き始める。特富野古道は全長6.3Km、まだ半分も来ていない。高く密生する杉林の間の軌道を進む。軌道自身はメンテされていないが、橋などは踏板や手すりが設けられている。大水に流され遺失したと思われる部分は、脇に道が設けられている。2.7Kから軌道沿いに歩くこと約20分、3.7Kに着く。軌道は更に草に埋もれて続くようだが、古道はここから軌道を離れて下り始める。特富野古道を訪れるハイカーの多くは、ほぼ水平なこの3.7Kまでやってきて、引き返すようだ。

橋には踏板と手すりが追加
3.7K地点、道は右へ下る
尾根上を下る
道は尾根上を進んでいく。階段道の良い道だ。両脇の杉は、同じく高く立派だ。16時42分、4.5Kを過ぎると周囲は杉林から雑木林に換わる。17時2分、5.4Kのあたりから霧が薄くなる。勾配が強くなり、石段道に換わる。また木製階段道になり、17時20分、特富野古道口に着く。少し広場になっている登山口には、あずま屋と東側入口と同じような古道名表示のモニュメントがある。トイレが脇にあるようだが、草に埋もれている感じだ。

古道4K地点
古道6K、もう少しだ
古道登山口前の広場
休憩後17時35分、特富野部落に向け6.3Kmの舗装路歩きにとりかかる。この部分は道幅が狭くまた勾配もきつく、バスはやってこれない。最後の頑張りだ。舗装状態はおおむね良い。基本下り道なので助かる。18時を回りあたりが暗くなり始める。用意しているヘッドライトを点灯する。大きな水たまりを過ぎ、少し登り返す。勾配が緩い場所がしばらく続く。遠くに灯火が見え始める。18時37分、1Kのサインを見る。この道の起点からのキロポストのようだ。18時54分、やっと道脇に停まっているバスを見る。これで歩きは終わりだ。歩行距離20㎞、累計登坂787m、下降1971m、11時間の活動時間だ。コース定数は35である。
古道登山口にて

暗くなったなか、バスに到着
着替えなどを済ませ、19時過ぎに帰途に着く。19時40分過ぎに、阿里山公路に出る。時間が遅いので、食事は途中のコンビニなどで買い求め、社内で済ませる。阿里山公路をさらに下っていく。中埔インターチェンジに近づくころ、雨が降り出した。第三高速を北上する。台中付近まで来ると、雨脚が強くなる。途中ほとんど混雑はなかったが、12時を20分ほど回って、雨の台北に到着した。

雨の台北に帰りついた

--------------------------------------

二日の行程は、ともにそこそこきついものであった。神阿古道も特富野古道も、多く歩かれている人気ルートだが、それに合わせて付近のピークを登坂すると、困難度は上がる。ある意味では十分に歩いた、ということだが、ゆっくりと楽しむという意味では、この歩き方では難しい。二日目は、雨がちょっとぱらつくこともあったが、帰途上ではじめて本降りとなったのは、ラッキーだった。阿里山は、玉山山脈のすぐ西側に聳える。玉山の諸峰を展望するよい場所である。大塔山からの展望は、残念ながら得られなかった。次回は、良い天気のときに對高岳や小笠原山などを訪れ、ゆっくりと眺めたいものだ。