このブログを検索:山名などキーワードを入れてください

2020-01-09

2020年1月5日~7日 阿豐縱走 阿里山近くの中級山縦走

石夢谷
阿里山は、日本統治時代に台湾の三大林場のひとつとして栄えた。当時に開かれた阿里山森林鉄道は有名だ。台風などで被害を受け、今は嘉義から阿里山までの本線上に直通列車はない。また、本来の林業が盛んで材木の運搬を主として使われた支線群も、その後閉鎖されたり車道になったりしたところもある。そのうち、伐採が終了したあとも石猴駅まで観光目的で使用されていた眠月線は、1999年に台湾を襲った921大地震によって、トンネルが大きく壊れてしまい、その後はずっと不通となっている。復旧計画はない。肝心の石猴の大石も頭が落ちてしまい、なくなっている。筆者は、1994年1月にまだ運行されていた眠月線の列車に乗り、石猴への観光旅行をしたことがある。

@水漾森林
標高約2350mにある眠月線の下方には、深い森の中に斜面緩やかな岩が露出し、長い滑滝状の石夢谷と呼ばれる景勝ポイントがある。2009年の莫拉克台風で被害を受け、長い間封鎖されていた石夢谷への歩道は、修復され2017年に再び開放された。921大地震による土砂崩れによって川がせき止められ、日本上高地の大正池のように水中に立ち枯れの樹木が多く残る水漾森林は、以前一度杉林溪から訪れたことがある。また、水漾森林の下方には、 千人洞と呼ばれる大きな洞窟がある。今回の縦走は、これらを全部つないで歩く二泊三日の山旅である。阿豐縱走の阿は阿里山、豐は豐山を指す。中級山とは、台湾では標高1000m以上3000m以下の山を指す。

反時計回りに回遊
三日間の歩行高度表
観光地阿里山の北側に位置する今回のルート
登った山頂としては、大正六年の日付がある営林局の石柱が残る松山(標高2557m)だけだ。しかし、この山旅はピークハントが目的ではない。巨木がまだ残る深い森を歩き、石夢谷、水漾森林や千人洞など他にはない景勝地を巡り、なおかつ筆者としては以前訪れた眠月線の再訪という意味があった。もともと去年に計画したが、天候が悪く中止した。台湾南部は冬は割合と天候が安定していることもあり、今回は五人のパーティで全期間天気に恵まれて、よい山旅ができた。

廃棄された阿里山森林鉄道眠月線を行く

============================

第一日 1月5日(日) 豐山 - 石夢谷登山口 - 石夢谷 - 塔山站 - 石猴站(泊)

登山口駐車場から出発、石夢谷や塔山站をへて石猴駅へ
塔山駅まではずっと登り、その後森林鉄道部分は平ら
夜明け前に豐山の民宿を出発
昨日豐山への途中で大凍山へ登り、午後豐山の民宿へ投宿した。オフシーズンということもあるが、宿泊は我々五人だけだった。民宿の食事は6時半からなので、朝食は待たずに6時に出発する。まだちょっと暗い道を、進んでいく。12,3分で涼亭のある登山口駐車場に着く。駐車場には三台ほど車が泊まっているが、おそらくすでに山に入っている登山者のものだろう。

二日後下山時に通り過ぎる行豐吊橋が見える
石夢谷登山口
約13kgのザックを担いで歩き始める。二泊だが、テントなどがあるので食料は乾燥物が主でも、やはりこのぐらいの重量になる。舗装された急坂を登ること10分足らず、左に道がわかれる。その先は行豐吊橋だ。二日後にはこの橋を越えて帰ってくる予定だ。さらに登っていき、6時36分に石夢谷登山道の入口に着く。歩道0㎞のキロポスト脇から急坂が始まる。石夢谷までは3.5㎞とある。階段などのジグザグ道で高度を上げていく。木製手すりもある、実に立派な山道だ。キロポストは100m毎に数字を増やしていく。道脇に太い竹が現れ始める。6時57分、涼亭に着き、衣服の調整をする。

ジグザグ道を登る
涼亭
竹の落ち葉道を登る
涼亭は標高1100mぐらい、駐車場の高さが920m、200m弱登ってきた。この後は、眠月線のある 2350mまでまだ高度差1200mの登りが待っている。歩き始めてすぐ0.5Kをすぎ、またジグザグで高度を上げる。0.9Kを過ぎるころから、道にたくさん落ちている竹の枯葉がなくなる。山腹を行く道の左側の山は段々高くなり、それに伴い谷も深くなる。1Kを見て間もなく、台風で被害を受け新たに設けられたと思われる鉄製の手すりがある。赤い落ち葉を踏み、7時33分仙夢園に着く。涼亭の上には建物が、下には立派なトイレもある。休みを取る。標高1300m、まだまだ先は長い。

仙夢園
日差しが差し込む山腹道を行く
2.5K分岐
情人谷の滝の前で
山腹を行く道は、ところどころ朝陽が差し込み明るい。8時18分、2.5Kで道が二つに分かれる。右は石夢谷まで1㎞、左は1.3kmでちょっと長いが情人谷と呼ばれ、滝や神木の脇を行く。左に道を取り進む。はじめ少し下り気味に進むこと10数分で、高い滝が現れる。道をさらに進み、鉄製梯子などを登っていく。10分足らずで滝の上に出る。冬は渇水期になるので、水量はそれほど多くない。踏み石を踏んで沢の対岸に渡り、引き続き急坂を登る。右下にヒノキの神木を見る。9時18分、最後の鉄梯子を登ると、道は平たい森の中に入る。うっそうとした森の底は、岩になっている。深い岩の切れ目もある。9時28分、石夢谷に着く。休みを取る。

滝の上部で沢を渡る
御神木
平らな岩の上を這う樹木の根
石夢谷についた
沢の二股部、濡れた石は滑りやすい
標高約1700mぐらいにある石夢谷は、大きな緩い傾斜の滑滝が続く地形だ。両岸は原生林が茂り、その間を水が流れる。水量が多いころはかなり見ごたえがあるだろう。右岸の森を少し行き、石鼓盤溪の二股にくる。対岸にマーカーリボンがあり、右に沢を越えて道が続く。滑りやすい岩を歩いて進むが、こちらは違うことに気づく。二股に戻り、もう一つの沢沿いに岩の上を登っていく。こちらが正しい道のようで、踏み跡もはっきりしている。

警告があるが、こちらが正しい塔山駅へ続く道
岩盤の上に生える樹木
岩盤の上にしがみつくように生きる森を行く。サルオガセや苔が深山の趣を添える。そのうち、ヒノキの香りに気づく。近くには大きなヒノキの切り株が切り刻まれ、ヒノキの塊が転がっている。さらに森林を管理する林務局の警告表示が張ってある。山老鼠と呼ばれる盗伐者が、ここで切り刻んだヒノキ木材を運び出し、密売している。その現場だ。登山者が多くなり、見つかるリスクは以前より高くなっているが、それでもこうした盗伐はあとを絶たない。

切り刻まれたヒノキの切り株と木塊
最後の急坂を登る
森の中の坂道を進み、11時少し前に休憩をとる。標高は約1850m、駐車場から約900mの高度を登ってきた。残りの高度差はあと500mぐらい。さらに森の道を行き、途中でさらに一度休憩する。何カ所かの盗伐サイトを見る。勾配がきつくなってくる。12時42分、急坂が終わる。主要な登りはこれで終わり、ホッとする。約6時間の連続登坂だった。

下巻き道を行く
トンネルを抜ける
20分ほどの休憩後、以前は森林鉄道の道床と思われる平らな道を行く。長い間放置された山腹の道は、がけ崩れがあり下巻く。13時27分、素掘りのトンネルを抜ける。トンネルはそこそこ長く、崩れた岩なども転がっている。さらに二か所のトンネルを抜けると、コンクリ製の建物がトンネルの末端に造られている。便器なども転がっており、伐採操業時代のなごりだ。ススキの間を進み、13時42分塔山駅にひょっこり出る。眠月線に到着した。まだ使えそうなプラットホームで休んでいると、多くのハイカーが歩いてくる。阿里山から石猴駅までの鉄路は、人気ハイキングルートとなっている。

廃棄された塔山駅プラットフォーム
トンネルを抜けていく
まだ状態のよい線路が森の中を抜けていく
橋梁やトンネルが続く、二人パーティとすれ違う
線路は使われなくなって20年ほどたつが、まだまだかなりしっかりしている。すぐにトンネルをくぐり、鉄橋を越えていく。1994年にまだ運行していた列車に乗り、トンネルや橋を通っていったことを思い出す。橋は枕木の間から下をのぞくと、かなり高くめまいをおこしそうだ。数組のハイカーグループとすれちがう。ハイカーとは明らかに違う女性二人のパーティとすれ違う。話を聞くと、昨日豐山から水漾森林まで登り、今日はそのまま豐山へ下るという。時間はすでに14時を回り、最後は暗い中を下らなければならないだろう。それしても、我々と同じルートを二日で反対方向周りするのは、大変だ。

草に埋もれる眠月駅の跡
水場で水を補給
線路は、ところどころ草におおわれたり、切通が崩れたところも出てくる。塔山駅から線路を歩くこと約50分、眠月駅を通り過ぎる。23号橋梁を越して間もなく、水場に来る。宿泊予定の石猴駅は水場がないので、ここで水を補給する。水量が少ないのでちょっと時間を要する。最後の24号橋梁を過ぎて間もなく、石猴遊憩區の看板が現れる。そのわきの石猴景觀台は崩れた土で半分埋もれている。線路もズタズタだ。15時32分、半分崩れかけたプラットフォームと駅舎が現れる。今日の歩きは終わりだ。

石猴駅についた
壊れたプラットフォーム、奥には駅舎の屋根が見える
駅舎の屋根の下に設営
駅舎は地震でコンクリのフロアはひびが入り、崩れかけたりしたところもあるが、屋根はしっかり残っている。椅子やテーブルなどもあり、野営にはとても便利だ。テントを取り出し設営する。他の登山者はおらず、我々の貸し切りだ。そのうち霧が出てくる。17時半に夕食を取り、20時ごろまでには就寝する。今日は約11㎞の道のりを休憩込みで9時間、累計で1700mの高度を稼いだ。




============================

第二日 1月6日(月) 石猴站 - 松山 - 水漾森林 - 千人洞(泊)

松山に登ったあとは下りのコース
歩行高度表
夜明けとともに歩き始める
5時に起床、朝食撤収後6時半に出発する。今日も天気がよい。昨日に比べれが、今日は楽なルートだ。主要な登りは松山までの落差約200mだけで、その後は下り基調となる。線路を進むこと数分、開けた場所にテントが張られている。ここで二泊しているそうだ。線路わきには、当時使われていたものと思われるガスボンベなどが転がっている。線路は続くが、道床が崩れたり大岩が転がっていたりで、廃棄されて長いことが察せられる。6時53分、松山への登山口に着く。鉄道はさらに進むが、登山口脇は道床が崩れ去りレールが空中に浮いている。

線路わきに様々な物品が転がっている
道床が流された線路、レールが空中に浮かぶ
線路歩きが終わり、松山登山口が現れる
松葉絨毯の坂道を登る
山腹の急坂で稜線へと高度を上げる。松葉絨毯の道を20数分で稜線上にのる。ヤタケの茂る森の稜線を進む。小さな登り下りが現れる。7時55分、右に展望ができる大岩の脇で休憩をとる。大岩上から望むと深い谷を挟んで、玉山の峰々が連なっている。稜線上をさらに15分ほど登り、8時28分松山山頂(標高2557m)の三角点に着く。その先少し小高いところに、大正六年三月の日付のある営林局の石柱がある。その頃にこの地の森林資源が調査確認されたということだろう。大正六(1915)年は、太魯閣戰役が起きたその翌年、原住民制圧がだいぶ進み、この地の森林資源開発も安全になってきていたのだろう。

大石の展望台から玉山山脈を望む
三角点のある松山山頂、先の小高いところに営林局の石柱
大正六年の営林局石柱
人造林を下る
山頂からは標高約1730mの目的地千人洞まで、約800mの落差を下る。長い坂を下ること約50分、9時半レールが残る平たい道床に着く。松山登山口からここまで山腹を縫って森林鉄道が続いていたのだろう。杉の人造林をドンドン下っていく。ところこどろ残るヒノキの切り株は、盗伐されているものが多い。10時35分、多くの空瓶が集められそこから名付けられた酒瓶營地につく。さらに瓶のかけらが散らばる坂を少し下ると、林道のような平たい場所を横切る。右方向にはトンネルも見える。ここは標高約2000m、先ほどレールが残っていた場所が約2330m、どのような経路かわからないが、この場所も昔は線路が続いていたのかもしれない。

レールが残る道床に下る
大きな切り株が残る森の急坂を行く
空瓶がたくさん残る酒瓶營地
大岩の涸沢を行く
十分ほど下ると、涸沢に降りる。ごろごろ転がる石の間を進み、11時大きな切り株の下にくる。しばらく休憩をとったあと、数十メートル登り返す。林道に出る。平らな歩きやすい道を数分進む。右に神木へつづく林道を見て、左の山道を下り始める。人造林中の坂が終わり、12時水漾森林の一角に出る。ここは三年前訪れたときに設営した場所の近くだ。左に湖のほとりに行く。多くの枯れ木が立ち並ぶ岸辺で長い休憩をとる。太陽がまぶしい。

切り株の下で休憩
水漾森林
湖わきの道を進む
湖の流出口の滝
13時過ぎ、湖脇の道を進む。森の中を行く道は、二、三か所水辺の脇を行く。そこからは、また別の水漾森林の景観が広がる。湖脇を進むこと約30分、ほぼ湖の端にやってくる。そこからは湖の水が滝となって流れていくのが見える。約20年前に、大地震の振動でこの滝の辺りに崩れた土砂が堆積し湖が現れた。10分ほど沢の上部を進んだあと、急な坂で沢に降りる。そこは大石がごろごろところがる場所で、これも地震による結果だろう。石を飛びながら進む。地図上では平らな道だが、通り過ぎるには時間がかかる。20分ほどの沢沿い歩きの後、左岸の山腹を登る。14時14分、登り切ったところで休憩する。

大石のころがる沢底を進む
千人洞に向けて緩やかに広がる森の中を進む
小沢で水を補給
下り始め5分ほどで沢を越える。宿泊地の千人洞は滝のように落ちてくる水場があるとのことだが、渇水期なので万一のために沢で水を補給する。小さな登り下りを繰り返し、15時5分、千人洞の上部を横切る平らな道に来る。この道を進むと、踏み跡がちょっと頼りなくなった。しかしマーカーリボンはあるので、進む。そのうち下り始め右からの道に合流する。その先少しで15時20分、千人洞の下に出た。他の登山者はいない。今日も我々の貸し切りだ。

千人洞の脇には登っていく別の道がある。こちらが本来の道のようだ。先ほど、洞の上をトラバースするときに下っていく分岐に気づかなかったようだ。
千人洞に着いた
設営を終え、しばしくつろぐ
千人洞は実に大きな岩洞だ。原住民猟師などが来るようで、石を集めた炉やテーブル椅子がある。その近くに設営する。雨が当たらない洞の地面は乾いて、とても埃っぽい。心配した水は、洞の両脇で上からしたたり水たまりになっている。18時前に食事を済ませ、21時前に就寝する。テントに入ると、洞窟のエコー効果のためか、滴る水が雨が降っているかのように響く。外を歩くメンバーの足音も大きく響く。今日は8.3㎞の距離を、休憩込みで約9時間で歩いた。昨日に比べると、下りがメインだったので、体力的に楽だった。

============================

第一日 1月7日(火) 千人洞 - 臥船洞 - 行豐吊橋 - 登山口停車場 - 竹山 - 台北

千人洞から登山口へ下る
ほぼ下りだけの歩き
夜明けのテント場
今日は下りだけで、なおかつ距離も短い。6時に起床、7時半出発予定だ。起床し外に出ると、今日も良い天気だ。洞がだんだんと明るくなる。7時40分、昨日までの印象深いルートの思い出を胸に、最後のセクションを歩き始める。歩き始めてすぐ、盗伐されたヒノキの塊が転がっている。三日とも、こうした不法で不遜な活動の跡を見てきた。道は、山腹沿いに進む。道の状態もよい。ちょっとした崩れや倒木はあるが、順調に進む。30分ほどで、臥船洞につく。

ほぼ平らな山腹道を行く
臥船洞
豐山への道標
臥船洞は、千人洞に比べると高さも幅も約半分ぐらいの規模だろうか。洞の腹の部分が膨らみ、ちょうど船底が現れたかのように見える。そこからこの洞の命名なのだろう。ここは水はない。15分ほど休憩し、道を進む。10数分平らに山腹を進んだあと、急坂が始まる。途中、木々の切れ目から里が見える。特徴のある石鼓盤橋が判別できる。豐山だ。標高差は約800mぐらいか。また左遠くにとがったピークも見える。こちらは小塔山だろうか。

豐山の集落が見える
小塔山(?)
アルミ梯子を下る
新しい補助ロープやアルミ梯子が取り付けられている。最近この道は整備されたようだ。急坂を慎重に下り、9時6分沢に降りる。少し水を補給する。見上げると、岸の大岩の上にベニヒがすくっと空を衝いている。沢を渡りちょっと登って小尾根を越したあと、また急坂が始まる。標高差約500mを直線距離1kmで足らず下るのだ。途中、三か所連続の岩場を通り過ぎる。さらに下り、10時3分二日前に見た大きな竹が現れる。高度は1200m、この竹の繁殖する上限なのだろうか。それまで休む場所もなかったので、一息つく。

谷にベニヒの大木がそそり立つ
岩場を下る
行豐吊橋についた
対岸の石壁山がだんだんと高くなる。さらに続く急坂を下る。すぐ右に谷を挟んだ宜帽石山の巨大な岩壁が迫ってくる。10時40分、坂が緩くなった後、左に行豐吊橋が現れた。山道の下りはこれで終わりだ。橋を渡り振り返ると、今しがた降りてきた山が壁のように橋のすぐ後ろにそびえたつ。よく降りてきたものだという感慨と同時に、これを登るのは大変だろうと思う。舗装路をさらに下り、11時に駐車場に着く。休憩込みで3時間半の行動だった。着替えをして、11時半過ぎに帰途に就く。途中、竹山の街で食事をし、高速道路経由で16時40分に台北に帰り着いた。

吊橋の向こうに下ってきた山が高い
石鼓盤橋から歩いた山の方向を見る

============================

1994年1月の石猴駅で石猴を見る
三日で歩いた距離は、水平距離で約23㎞だ。所要時間は、休憩込みで21時間半、平均速度1.1㎞といったところ。全期間天気がよく、時間的も余裕があって、よい山旅ができた。人気の台湾高山ルートに比べると、道の状態はもう一つというところだ。日本でテント泊の経験があり、少し台湾のほかの中級山登山の経験などがあれば、このルートは問題ないと思う。冬の台湾南部の山は、好天気のことが多いが、同時に水場の水量が少なることでもあり、水場の情報は事前に把握しておくことが大切だ。費用は、夕食込みの民宿850元、保険約210元、そしてカーシェア費用である。
26年後の石猴駅にて
台湾の中級山は、もともと高山のように素晴らしい景観がないところが多い。中級山の楽しみは、遠くの景色より足元の森林美にある。このルートは、水漾森林や千人洞など、森以外の素晴らしさも同時に満喫できる。さらに阿里山鉄道もある。変化に富んだ経験ができる山歩きだ。台湾の山歩きの候補にぜひ入れてほしいルートだ。ただ、登山口へのアクセスが、公共交通手段がなく自分で行くか車を雇うしかないことがネックだ。

1 件のコメント:

  1. Great read! Are you able to give GPS co-ordinates for the picture 'Arrive in Sennin-dong' cave? Cheers, Craig (https://www.youtube.com/user/ozsteam)

    返信削除