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2018-10-31

2018年10月25日~31日 雪山西稜 秋の七日間3000m高山縦走

奇峻山の下り道から頭鷹山を見る。遠くに目標の雪山主峰を頂く聖稜線が望める。小櫱の赤い葉が秋を告げる
台湾島の背骨を構成する主要な三つの3000m高山山脈の一つ、雪山山脈は台湾第二の高峰主峰(標高3886m)を中心として放射状に五方向に尾根を伸ばす。その一つが、西方向に大雪山森林遊樂區のある小雪山へと延びる西稜であり、今回の縦走対象だ。ほかの四つの稜線に比べ一番長い。ちなみにほかの稜線は、北へと延びる聖稜線、東に武陵農場へと下る東稜、日本時代の雪山主峰登山道である志佳陽稜線、そして南に大小劍山へと延びる南稜である。

雪山主峰から西稜の峰々を望む、遠く大雪山(左)から一番近い博可爾山(右)まで明瞭だ
雪山西稜は、隣の聖稜線のような華々しい歴史や岩壁キレットはない。稜線上の峰々の初登頂も単独では大雪山が1915年に測量などの目的で斎藤武彦一行が、また縦走としては1927年に伊藤太右衛門一行が雪山主峰から行った。西稜縦走は、広大な草原の大雪山、戦後民国になっての森林開発、そして翠池付近の台湾最大ビャクシン(玉山圓柏)原生林がその特徴である。台湾百岳としては、中雪山(標高3173m)、大雪山(3530m)、頭鷹山(3510m)そして火石山(3310m)の四座を数える。

西の大雪山遊楽区から東の武陵農場へ「逆走」
六日間の歩行高度表
台湾の高山縦走は、山小屋のある縦走路もあるが、自分でテントを設営し歩みを進めていかなければならないところも多い。今回の縦走は、最後に三六九山荘に泊まったが、ほかの五泊はテント泊である。つまりは、自分で食住を対応する必要がある。そして日数も一週間かかる難度の高い縦走ルートでもある。去年は、同じくテント泊で能高安東軍縦走を行った。今回は、それに比べ日数も一日多い。幸い天候に恵まれ、順調に縦走を行うことができた。
雪山山脈西稜の位置、台中から入り宜蘭へ出る
縦走の方向は、雪山主峰に先に登り、大雪山へだんだん下っていく方向の順走とその反対の逆走がある。我々は逆走を取った。多くの登山隊は順走のほうが多く、逆走は少ないようだ。あえて少ない逆走を選んだのは、縦走前半に苦労し後半は道が良くなっていき、また展望がよくなることを期待してだ。実際、六日目に雪山主峰に登りたち、自分の足で歩いてきた西稜の山々を俯瞰した時の感動は、成就感とともに圧巻であった。

縦走のメンバー@230林道入口にて

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第一日 10月25日(木) 台北 - 豐原 - 大雪山森林遊樂區 - 230林道 - 雙溪流營地

林道入口から13kを歩く
林道はわずかに上り下りがある
小雪山インフォメーションセンター
今回は朝から出発だ。パーティ人数も四名と少ないので、登山口への往来は今まで多く採用したシャトルサービスではなく、一般交通機関がメインのアクセス方法だ。台北から7時発自強号急行で豐原へ向かう。9時過ぎに到着、駅を出たところでメンバーが予約していた車が待っていた。乗車し大雪山森林遊樂區へ向かう。大雪山森林遊樂區は、ほかの森林遊樂區のように往年の林業伐採の林道などを利用し、国民リクリエーションの場所としたものである。途中東勢をを通り過ぎ、前に登った鳶嘴山屋我尾山などの登山口を通り過ぎていく。11時15分、遊樂區の最奥にある小雪山遊樂資訊站に到着する。

230林道入口、一般車両進入禁止
9Kがけ崩れまでの林道は状態がよい
大雪山は、北海道の大雪山に似ているから日本時代にこの命名がされたという。主峰の雪山は、当時は次高山と呼ばれており、この命名とは関係ないようだ。大雪山、中雪山があるので小雪山もある。しかし小雪山は軍事施設があり立入禁止だ。資訊站で入山許可に関する書類を渡し、11時半前に(廃棄)230林道を歩き始める。7日間の縦走の開始だ。

雪霸國家公園境界の表示にて
林道9Kがけ崩れ部分
実は、つい先日に230林道から稜線へ通じる登山道で、女性登山客が墜落した山難があった。林道は一般車両通行禁止であるが、こうした時には公用車に利用されるようだ。歩いていくと、警察の車両がやってくる。おそらくこの遭難事故に関係しているのだろう。30分歩くと、対抗方向から二人のパーティがやってくる。ちょうど順走を終え下ってくる知合いだった。水場の情報などを聞く。事前に了解していたのと同じだ。さらに進み12時半に雪霸國家公園の境界部分にある看板のところで休憩を取る。

がけ崩れを高巻く
更に林道を進む。車がやってくる。開いた窓から若者が乗車しているのが見えた。亡くなった女性登山者の息子さんで、現場へ赴いた帰りなのか。その先で樹木の枝を落としたりしている作業を見る。すでに廃棄された林道でこうした作業が必要なのか、と不思議に思う。13時28分、9Kのキャンプ場を通過する。近くに水場があり設営ができるスペースも広い。その先は大きながけ崩れでここからは車は通れない。救助活動も、ここからは徒歩で現場に向かわなければならない。

がけ崩れのこちらは草が密生
倒木が多く現れる
休憩後、13時48分がけ崩れわきの山壁の急登を始める。17、8㎏ぐらいのザックを担いでのこうした登りはつらい。がけ崩れの高巻き道は、大きく登っていく。補助ロープがあるのが助かる。慎重に危険個所を通り過ぎ約20数分でがけ崩れ向こう側の林道に降りる。9Kまでは、曲がりなりにも車が通るので整備されている。がけ崩れを通り過ぎた後は、まったく手入れされていないので、茅草が高く生え茂り、倒木や山崩れが多く出てくる。台湾の林道は、このように廃棄され自然に戻りつつあるものが多い。幸いまだ登山者が歩くので通過はできるが、もちろん苦労が伴う。

まともな部分もある
岩崩れを越す
途中一回休憩し、16時19分13Kキャンプ場につく。ここは雙溪流營地と呼ばれ、すぐ近くに沢が流れている。地元の人が利用するのか、天幕が掛かり、焚火跡もある。今日はここで設営することにする。その先のテント場は4、5Km先にあるが、道の状態もわからず暗くなる可能性もあるので、この決定である。今回テントは二張、三名は四人用テント一張に、一人は単独一張だ。それぞれ食事の支度をし、夕食を取る。明日に備え19時前には就寝する。今日の歩行距離は12.4㎞、約4時間である。
一日目13K設営

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第二日 10月26日(金) 雙溪流營地 - 26K營地 - 中雪山軽装往復 - 26K營地 

林道を進み、26Kテント場から中雪山を軽装往復
歩行高度表
相変わらず倒木が現れ行く手を塞ぐ
4時過ぎに起床する。まだ外は暗い。昨晩に用意したお湯で朝食を準備する。テントを撤収し、5時37分に出発する。まだあたりは薄暗い。ヘッドランプを使用し歩く。6時前には明るくなってくる。道の状態は、昨日後半と同じ。7時49分、16Kテント場を過ぎる。テント場の前後数分のところに水場がある。雙溪流營地から約2時間、昨日ここまで来ていたら、陽がくれていて大変だった。8時2分、17K廃棄作業小屋につく。山襞を縫っていく林道で、ここは陽が早くから当たるようだ。ここに小屋が造られたわけがわかる。小屋はすでに柱が折れて、クシャっとつぶれていて利用することはできない。わきで休憩を取る。

鉄砲水で崩れた場所を乗り越えていく
壊れた17K作業小屋の前で
17Kから暫く良い状態の道が続く
その後また茅草の藪漕ぎが続く
がけ崩れ部分を乗り越す
驚いたことに、17Kからしばらく道の状態がよい。茅草も少なく、がけ崩れもあまりない。進行テンポが速まる。地図上に示されているがけ崩れの部分もそれほどひどいものではない。9時27分、21Kの合流山への分岐を過ぎる。道はここから山の西側から東側へと回り込み、陽が差し込んで明るくなる。10時20分過ぎ、少し開けた場所で休憩をとる。対抗側から数名の登山隊がやってきてすれ違う。更に進みがけ崩れを乗り越えるとき、前方に草原のある高い稜線が見える。匹匹達山の方向だ。11時3分、26Kテント場に着く。テントを出しここで設営する。昼食をとる。

匹匹達山方向が見える
林道26K中雪山登山口
カラ松林の急登
12時10分、軽装で中雪山へ出発する。登山口は、少し先に水場を過ぎて行ったところだ。すぐにアカマツ(二葉松)林の急坂が続く。40分ほどで道は尾根にとりつく。ニイタカヤタケ(玉山箭竹)が現れ、森はタイワンツガ(鐵杉)に換わる。12時58分、休憩を取る。一部緩くなるところもあるが、道はおおむね急坂だ。森の底のヤタケのトンネルが多く現れる。ただ、白姑大山に比べると倒木も少なく助かる。13時35分に再度休憩をとり、登っていく。14時過ぎ、補助ロープの岩場が現れる。最後にヤタケを押し分け、14時13分中雪山山頂(標高3173m)につく。

ヤタケのトンネルと倒木を越して登っていく
中雪山山頂
頂上下の岩場を下る
頂上周囲は樹木で展望はない。天気は晴れているので、頂上は陽がさす。全員が登頂し、14時46分半時間ほど過ごした山頂を後にする。頂上から更に15分ほど進むと戦後台湾の登山界の先輩で、百岳選定に参画した林文安の遭難碑があるが、今回は足を伸ばさない。急坂は帰りは早い。軽装であることも手伝う。途中半ばで一度休憩し、16時17分に登山口に降り立つ。登りは2時間少し、下りは1時間半であった。テントに戻ると、単独登山者が我々のわきにテントを設営している。匹匹達營地に残った水を残してて来たという。食事をとり、すっかり暗くなった18時半には就寝する。今日は16.6㎞を歩いた。行動時間は林道歩きと中雪山往復二つを合わせ約10時間だ。
26K設営

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第三日 10月27日(土) 26K營地 - 28.5K登山口 - 大雪之門 - 主稜叉路 - 匹匹達山 - 匹匹達營地 

林道を歩いた後、主稜線へ登る
歩行高度表
がけ崩れを慎重に越していく
今日は主稜線に登る。重荷を担いでの高度差1000mの登りはつらい。今日が一番体力的にきつい一日になりそうだ。テントを撤収し、昨日とほぼ同じ5時40分に出発する。まもなくがけ崩れ部分を通過する。登山口までの2キロ強は、あまり状態が良いとは言えない。もう一つがけ崩れ部分を越え、6時53分28Kテント場に来る。ここは最近遭難事故の対応で、多くの人が設営していたようだ。その先、枝沢が大きくずれた場所が28.5K登山口だ。ザックをおろし、水を補給する。今日のテント場は水場が遠いので、下から持ち上げることにする。

谷が深くなってきている
この沢で水を補給
28.5K登山口
7時20分、林道を離れ稜線に向けて登り始める。水を4Lほど入れたザックは、しっかり重くなっている。重量は20㎏近いだろう。道は大石がごろごろする沢を登り始める。10数分登ると、右に沢を離れ急登が始まる。沢を離れる直前に水を補給してもよいが、あまり大きな違いはない。急坂を10数分登ると、急坂注意という道標がある。これは下りを指しているようで、逆走の我々はもうすでに過ぎてしまっているところだ。このように急坂で重荷を担いで登るときは、歩行時間を縮め、8時5分休憩を取る。
大石の間を登る
急坂後の注意表示
ヤタケのトンネル急登
ヤタケのトンネルをくぐる。荷物が脇のヤタケに引っ掛かり、あえいでの登りをさらに困難にする。ひたすら高度を上げていき、アカマツ林になると勾配が緩くなる。話では、先日の遭難はこの近くということだ。9時34分いきなり涸れ沢が現れ、降り立つ。ここからはこの涸れ沢を登っていく。大石がごろごろする道は、それはそれでつらい登りだが、ヤタケから解放されたのはありがたい。道を示すために、赤いペンキが岩に吹き付けてある。9時40分、休憩をとる。谷間の向こうには山々が望める。

涸れ沢を登っていく
沢の登りもそろそろ終わりだ
大雪山之門
更に登っていくと、沢は左に枝沢を分け、幅が狭まっていく。そろそろ源頭に近い。10時20分、前方に二本のタイワンツガが対で立っている。道はその間を行く。これが大雪山之門だろう。ここを過ぎると沢は終わり、眼前に草原が広がる。稜線へはこの草原の坂を上りつめる。まだかまだかと、一歩一歩登っていく。天気が良いので、後方右に昨日登った中雪山が見え始める。10時48分、稜線上分岐に着く。これで約600mの高度差を稼いだ。歩く登山者が少ないが、右には稜線を追って中雪山まで道が通じている。分岐でしばらく休憩する。

草原を稜線に向けて登る、背後は中雪山
稜線の分岐、右は中雪山への稜線道
休んでいると、順走するグループのポーターが一人先にやってきた。台湾高山は、原住民が中心の山ガイドポーターがいる。このサービスを使えば、もちろん荷物が少なく縦走ができる。筆者は、このこと自体に反対するわけではなく、自分で荷を担ぎ縦走することに意義を見ているので、自分ですべて対応している。約1時間の食事休憩後、11時55分、目的地の匹匹達營地に向けて残りの400数十メートルの登りを始める。匹匹達(ピピタ)とは、原住民タイヤル族の言葉でテントのことで、1915年の調査隊がそこにテントを張って夜を過ごしたことから名付けられたということだ。

阿里山龍膽
中雪山の稜線が相対的に低くなってくる
またヤタケのトンネルを登る
稜線上の登りもきつい。まもなく先ほどのポータ―のグループが降りてきてすれ違う。ヤタケのトンネルもあらわれ苦労する。紫の小さな阿里山龍膽の花が日なたに咲いている。ところどころ森をでて草原を進む。振り返ると中雪山などの展望ができ、相対的に高度が上がってきていることが、唯一の慰みだ。途中休憩を2回とり、ひたすら登る。14時20分、坂が緩やかになり、前方の匹匹達山山頂の向こうに大雪山が見えるようになる。14時33分、匹匹達山山頂に到着する。30分ほど頂上で後方の二名を待つ。テントの一部を分担して持っている一名が現れ、先に二人でこの部分をもって匹匹達營地に下る。15時16分、テント場に着き、早速設営する。100年前の日本植民政府調査隊と同じ場所での設営だ。

匹匹達山山頂、向こうに見えるののは大雪山
匹匹達營地
設営をすましていると、先ほどから大雪山上にいるのが見えていた順走のパーティが下りてきて、同じくテント場で設営する。緩やかな鞍部で、テントは多く張れる。標高が3400m近いので、10月下旬の今は、陽がかげるとさすがに急に寒くなる。食事を済ませる。今日は疲れのせいか、食事を全部食べられない。残りは明朝に食べることにする。18時前に陽が沈み暗くなると風が出てきた。今日は距離は6.4㎞と少ないが、累計で1200m以上登った。長い休憩を取っているが、行動時間は約9時間半だ。

ほかのグループもやってきて、テント場はにぎやかだ
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第四日 10月28日(日) 匹匹達營地 - 大雪山 - 大雪山北峰 - 奇峻山 - 頭鷹山 - 大南山西鞍營地

今日から稜線の縦走が始まる
大雪山、北峰、奇峻山、頭鷹山を越えていく
テント撤収
昨晩は、その後にもう一つのパーティがやってきて、結構にぎやかであった。また風も強く、テントの隙間から風が入ってきた。4時半ごろに起床、テント撤収して6時に出発する。それに少し先立ち、隣のパーティは230林道へ下っていった。大雪山は、眼前に大きく広がっている。坂はそれほどきつくない。登っていくと左に台中方向の平野が見える。振り返れば、昨日通り過ぎた匹匹達山の左に、谷をはさんで白姑大山の山塊が輝きだした朝陽に佇んでいる。

谷をはさんで白姑大山,右は匹匹達山
道には霜が降りている
十数分登り、途中まで来ると風があたらない部分の道端にテントが二張りある。おそらく、昨日遅く大雪山に到着してここで設営したのだろう。道には霜が降りている。登るにつれ、遠くの山々も視野に入る。今日も実に良い天気だ。

大雪山へ登る、背後にテントがある
大雪山山頂の筆者
6時27分、大雪山頂上(標高3530m)に到着する。南方向には、白姑大山のずっと向こうに玉山主峰と東峰が判別できる。更にその遠くに見える山は、南二段の山か。実に南台湾の高山も見えるのだ。北側は、数日後に登る目的地雪山主峰を含めた聖稜線が、その前にはこれから歩いていく奇峻山が、そしてその右には雪山南稜である大劍山などの山々が逆光の光の中にそびえたつ。西に目を向ければ、大雪山の大きな影が前衛の山に投射され、そしてその向こうには台中の街や海岸線の発電所の煙突も判別できる。
大雪山頂上から北方向を見る、聖稜線が遠くに見える
大雪山の影が投影されている、遠くは台中、海外沿いの発電所の煙突が見える
大雪山北峰へ向かって進む、遠くに奇峻山とその更に遠くに雪山主峰が見える
大雪山を振り返る
北峰山頂
6時45分、頂上から分岐へもどり大雪山北峰に向け、下っていく。ここは大きくたおやかな稜線の草原、実に気持ちが良い。遠くにある雪山主峰は、これからだんだんと近づいてくるはずだ。順走では背にする形になるが、逆走では頭を上げればそこに目標である主峰が見える。下ったあと、登り返す。7時36分緩やかな北峰山頂につく。

大雪山北峰から下る
崩壊部分のわきを進む
大雪山は、タイヤル族ことばではバボ・リニサンという。バボは山、リニサンとは涙の意味で、涙の山となる。この山脈の両側に住む部族間の通婚の際に、花嫁がこの草原で涙ながらに別れを告げたことから、この名前だという。このたおやかな山容は、そうしたことがあったことを十分に想像させてくれる。

森林テント場
奇峻山へ登り返す、北峰下の崩壊部分がよくわかる
大雪山北峰からは、大きく200mほど下る。下っていく鞍部付近は、西側が大きく崩壊が進んでいる。道ももともとあったものが崩れ、その東側に新しく歩かれている。この辺りでは、スマホの電波が届く。天候を確認すると、まだ3、4日は天気が持ちそうだ。さらに下っていき、森に入る。森林營地がある。青い天幕が残っている。ここから奇峻山に向けてのあたりでは、住居跡が最近見つかったそうだ。こんな高山でどうやって生活していたのか。これからの研究に待つところが多い。

奇峻山への登りにある水場で水を漉しながら補給
タイワンツガの林を登る
下った分だけ、登り返しが始まる。ヤタケのトンネルを過ぎ、草原にまた出る。9時19分奇峻山下の水場に着く。登山道のすぐわきに水がわき出ている。少し濁っているが、貴重な水源だ。そのすぐ先奇峻山營地を通り過ぎ、更に登っていく。森をまた抜け、草原にでると、10時5分奇峻山山頂(標高3519m)に着く。百岳に指定されていないが、じつはこの山頂はすぐ隣に頭鷹山山頂があり、この二つを合わせてタイヤル族の山名キシュンで呼ばれていた。キシュンには奇峻山が当てられた。その後、二つは分けられ今日に至っている。頂上から眺めると、前方の雪山聖稜線は更にくっきりしてきている。西側の小霸尖から長く伸び主峰を越えて雪山南峰まで望める。

奇峻山山頂から南方向を望む、大雪山と北峰がすでに遠い
頭鷹山山頂
10時35分、下り始める。50mほど下り、登り返していく。幹にとげのある小櫱が紅葉しているのが印象的だ(本文冒頭の写真)。11時05分、頭鷹山山頂(標高3510m)へ到着する。南側は開けているが、北側は樹木が育ち、展望がない。東側は、大劍山だ。頂上下のカールが目立つ。そこから南に佳陽山と小劍山が伸びている。

頭鷹山の下りで北方向を見る、前方は大南山、左に火石山、そしてその背後には聖稜線。右は大劍山
山腹をトラバースする視察路を行く
主要な山は今日はこれで終わりだ。11時43分、今日の目的地へ向けて下り始める。下りは結構急だ。左が崩壊している脇を通り過ぎ、12時10分道標を見ると、道は森に入る。先ほどよりさらに急な下りになる。12時45分、下りが終わる。ここからは、林業時代の山腹を行く森林視察路を行く。この道は、林業が盛んなころ森林資源の調査などのために造られた道だ。路面は石積のところもあり、日本時代の警備道の趣もある。

弓水營地近くから南稜を望む、左から大劍山,佳陽山,小劍山
幅があり歩きやすくなったヤタケの道
ところどころ崩れた場所や、倒木、ヤタケのトンネルもあるが、今までの道に比べれば歩きやすい。少し登り気味に行き、14時10分弓水營地を過ぎ、そのすぐ先に水場がある。水質は先ほどの奇峻山に比べるとちょっと劣る感じだ。使用前には煮沸した方がよい。今日の宿泊地大南山西鞍營地は水場がないので、ここで補給するか、先の奇峻山下の水場で補給して持っていく必要がある。筆者は前者の水を担いできた。ただ、翌日の朝出発してまもなく、大南山の水場があるので、それほど多く担いでいかなくてもすむ。
鞍部にテント場、背後は火石山
テントから外を見る
山腹の道を回り込んでいく。前方の鞍部にテント場が見える。二人の登山者が道標のところにいる。そのうち二人はこちらに向かって登り始めた。我々は下っていき、途中ですれ違う。お互いに水場の情報の交換をする。下りきり15時少し前にテント場に到着する。早速テントを立てる。このテント場は樹木に囲まれた鞍部で、風の心配はない。16時過ぎには食事をとり、早めに休む。今日は約8.4㎞の距離、累計で720mの登攀である。休憩込みで9時間の行動時間だ。









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第五日 10月29日(月) 大南山西鞍營地 - 大南山登山口 -火石山下營地 - 軽装火石山 -火石山下營地

登り下りが少ないトラバース道のあと火石山を登る
歩行高度表
テントについた霜
今日の行程は楽である。長期の縦走だと、疲労が蓄積していく。楽な日を間にいれて、疲労回復の目的だ。天気予報もよく、急ぐ必要もない。そこで今日はゆっくり7時に出発だ。昨晩は冷え込んだようで、朝起きるとテントは内側が薄氷が付いている。撤収の時にテント地を振ると、霜がたくさん落ちた。食事を遅めにすませ、予定どおりに7時に出発する。歩きだすと、冷えて感覚が鈍くなっていた足先や指先が回復する。

大南山登山口の水場で補給

道は、昨日と同じに林業の視察路である。倒木やガレ石はある。歩いて20分ほどで、大南山登山口の水場に着く。ここはヤタケの間から水が流れ出し、そこそこの量がある。今日はこの先、テント場前にも水場があるので、行動中の水だけを水筒に入れる。道は稜線の西側を山襞を縫っていく。8時、倒木が道の方向に倒れており、一本橋の様子になっている。注意して倒木の上を歩いていく。更に進み9時過ぎに鞍部をすぎて稜線の東側を進むようになる。道には陽が差し込む。ヤタケのトンネルも現れるが、わきの竹が刈られている。

倒木の一本橋




一度森からでて、また入る。こちら側は明るく暖かい。大石のセクションを過ぎ、10時10分過ぎ、石壁水場に来る。今日のテント場は、もともとわきの小沢に水があるが、この季節は枯れている。そこでここで4Lほど補給し、テント場へ向かう。草の山腹を進み、大きく直線的に登る。そこから回り込み下ると11時7分に森の中にある火石山下テント場に着く。今日の縦走はここまでだ。テント場は二、三段になっており、合計3,4張のテントが張れそうだ。早速テントを設営する。まだ陽が高く、森の間にも差し込ん出来る。寝袋を取り出し日干しする。

稜線の東側にでて陽が当たる
石壁水源
火石山下營地
昼食をゆっくり済ませ、12時半前軽装で火石山に出発する。道は石のガレ場から急登が始まる。十数分登ると、広々とした草原に出る。一度緩くなった坂は、またきつくなりその上からまた森の中を進む。暫く雨が降っていないようで、陽が当たっているところは埃がたつ。さらに急登していき、13時19分火石山の手前のピークにつく。一度少し下り登り返すと三角点のある火石山山頂(標高3310m)だ。晴れ渡った空のもと、素晴らしい展望だ。雪山聖稜線もだいぶ近くなった。

大石の急坂を登る
右に火石山山頂が見える、その左は歩いてきた稜線だ
火石山山頂にて、背後は雪山主峰
明日はあの雪山主峰へ
気づいてみるとかなり長いこと頂上にいる。14時16分、往路を下る。14時45分、30分ほどでテント場に戻る。標高差250mぐらいなので当然だが。まだ時間が早い、そこでお酒を持ち出しテント内でゆっくり過ごす。17時前に食事の用意をし、18時過ぎには就寝する。今日は約6.2㎞、行動時間は縦走と火石山往復の合計で6時間といったところだ。

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第六日 10月30日(火) 火石山下營地 - 翠池 - 十字鞍部 - 雪山主峰往返 - 三六九山莊

雪山主峰を越えて369山荘へ
約900mを登る
博可爾山方向に進む
昨日十分に休息したので、今日は少なくとも雪山主峰を乗り越え三六九山荘を目指したい。登坂は標高差800数十メートルになる。4時半前に起床、5時45分ごろまだ暗いうちに出発する。ヤタケも刈られており、道の状態は良い。道は3Kmほど上り下りが少ない。20数分歩き、衣服を調整する。7時涸れ沢を横切る。7時35分、涸れ沢から登り始めた道は、火石山を記す道標のところで、森から出る。博可爾山の草原が広がる中を、緩い坂で登っていく。8時坂を上り切り尾根に取りつく。また道標がある。休憩を取る。

道の状態はよい
博可爾山下の草原を登る、左に火石山が見えている
しっかり切り込みがされた倒木
森の向こうに北稜角が高い
ここから翠池三叉山よりに延びてくる尾根を登っていく。倒木もあるが、足掛かりが切り込まれるなど、今まで以上に道整備がされている。急坂はジグザグで高度を稼ぐ。8時50分、往博可爾草原と記された道標のところで休憩する。尾根の登りはこの辺りで終わり、道は左へ山腹をまいていく。林相がニイタカトドマツ(冷杉)になる。倒木の一本橋が現れる。これはとても長く、慎重にわたる。9時20分下翠池が現れるが、すでに乾ききって水がない。周囲はビャクシンの大木が多く茂る森になる。

ニイタカトドマツの林にビャクシンが混じり始める
下翠池、水は干上がってない
ビャクシンの大木
台湾は森林限界以上には、ビャクシンとヤタケしか生えない。日本の高山でみるハイマツは日本が南限なので台湾の高山にはない。ビャクシンは、条件がよいと、この原生林のような大木になる。うねうねと幹や枝がうねり、そのまま倒れて枯れている樹もある。下翠池から少しのぼり、また山腹をトラバースしていく。一度休憩し、また登る。前方に直径が4メートルもありそうな大木が生えている。ビャクシンは30センチの太さになるのに300年かかるという。その計算で行けば、この樹木は樹齢1000年をはるかに超える。厳しい高山の条件で生きる少なくとも百年単位の森林、特にこのような樹齢の長い樹木は、人間の単位とは違う想像を超える生命だ。

ビャクシンの向こうに雪山が見える
翠池脇の平地、小屋の向こうに北稜角と主峰
10時30分過ぎ、前方に北稜角と雪山主峰がビャクシン林の向こうに見える。勾配も緩くなり、まもなく右から雪山南稜の道と合流する。そのすぐ先に翠池と山小屋が現れる。10時41分、小型の山小屋に着く。火石山下テント場から高度差約500数十メートル登ってきた。小屋前にある机のところで休憩を取る。今回はこの小屋には泊まらない。小屋の少し離れたところにトイレがある。今までやってきたテント場はトイレはなく、離れたところに乱雑にチリ紙など捨てられ、必ずしも状態がよくない。無痕山林という掛け声はあるが、実際はかなり異なる。

翠池
ビャクシンの森を抜けて鞍部を目指す
11時半、雪山に向け最後の登りを始める。右に見える翠池は、かなり水が少ない。土地公の祠のわきを過ぎ、登りが始まる。10分ほど登っていくと、ビャクシン林からでてシャクナゲなど低い灌木の道になる。12時過ぎに石の道になる。高度差150mの最後急登の前に休憩を取る。

ガレ場を登る
鞍部に着く
ザレの急坂が続く。石が崩れないように、歩幅に注意しゆっくり登っていく。上から二人のパーティが降りてきてすれ違う。12時47分、やっと鞍部に着く。標高約3800m、主要な登りはこれで終わりだ。今まで見えなかった反対側の景色が広がる。大きなカールの向こうは品田山から桃山の稜線が見える。

鞍部から見るカール、左に武陵四秀、右遠くに南湖大山と中央尖山
主峰頂上の筆者、左遠くに西稜の峰々
休憩後、荷物を置いて空身で主峰頂上へ向かう。空身なので10分ほどで高度差80メートルを登り山頂につく。二度目の登頂である。昨年の聖稜線縦走の時やってくる予定だったが、ザック遺失のため途中で水源道を三六九山荘へ下った。山頂から西を見ると、六日間かけて歩いてきた大雪山からの西稜の山々が続いている。逆走は、ところどころで雪山主峰がだんだん近づいてくるのを見て歩いてきた。それだけに、その目標に立ち足跡のある山々を眺めるのは、感動もひとしおだ。大霸尖へと続く聖稜線や西稜の左に南稜、足元には環山部落も見える。15分ほど過ごした後鞍部へ戻る。

雪山主峰からの見る聖稜線と武陵四秀の峰々
季節外れに咲くシャクナゲの花
ザックを背負うとずっしり重いが、ここからは下り一方だ。13時42分、急なザレ場を下り始める。逆方向からのパーティ―がすれ違う。これから西稜を縦走するとのことだ。カールは次第に勾配が少なくなる。両脇の灌木がところどころ狭く足に引っ掛かる。30分ほどで雪山主峰から直接やってくる道と合流する。この辺りは、シャクナゲが季節外れで咲いている。つぼみも大きい。14時17分、カール底に着く。休憩を取る。

黒森林を下る
台湾カモシカ(山羊)
ここからの道はよく歩かれている。さらに下り黒森林を通り過ぎる。15時水場に来る。前回は4月で凍っていたが、今日は水が多く流れている。水を飲む。うまい。二、三度現れる登り返しは、距離は大したことがないが、がっくり疲れが出る。13時50分、黒森林から出る直前で、台湾羚羊(山羊)が道を横切り、下の樹木のあたりで食べ物を探している。ニホンカモシカより人を恐れない感じだ。森林から出ると、眼前に草原が広がり三六九山荘が下方に見える。山腹上方には、紅葉した巒大花楸が群生している。

黒森林から出る、左下に三六九山荘
巒大花楸の紅葉
つづれ折れの道を下っていく。16時15分、山荘に到着する。本来は七卡山荘に泊まる予定であったが、全員のスピードを考えいままで調整してきた。予約はなかったが交渉すると宿泊OKとなった。平日なので、空きスペースがあったようだ。それでも、主要人気路線なので登山客が多い。17時山荘下の料理用小屋で食事を作り、赤く染まっていく夕空を見ながら食べる。山荘に戻り休んでいると、到着してくる登山客でにぎやかになる。19時過ぎには床に就く。

三六九山荘から見る夕暮れ
今日は歩行約12㎞、休憩込みで約10時間半である。三日目に次いで登坂が多いが、今日はそれほどきつく無かった。道が良いことが関係しているが、気持ち的も楽になったこともあるのだろう。

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第七日 10月31日(水) 三六九山莊 - 東峰叉路 - 哭坡 - 七卡山莊 - 雪山登山口

下山ルート
下りメインの歩行高度表
三六九山荘にて
ここまで来ると、下山後の帰京を考えなければならない。今回は一般交通機関利用である。武陵農場からは、バスが宜蘭方向に運転されいる。13時40分に羅東,14時10分に宜蘭へそれぞれ國光客運のバスがある。いずれかのバスに乗る必要がある。そこで、朝はやはり早めに出発することにする。3時ごろから出発するパーティが多く、実際のところ寝ていられなかったが、5時頃に起床する。外に出てみると、昨日とは打って変わり、天気は霧雨である。天気予報でも下り坂であったが、どうやら季節外れで西にフィリピンへと進んだ台風が、直接ではないが関係している。

背後の三六九山荘が遠い
6時には雨具は上下ともつけて出発する。雨は止んでいるが道脇の草でぬれるので、防水ズボンは必要だ。今まで上り下りともに含めて三回通っているので、道のり7㎞の様子はわかっている。少し登り返していくのが面倒くさい。濡れた紅葉や黄色にかれた草は、色合いが増して秋の風情を深めている。6時53分、東峰の山腹をトラバースし分岐に来る。雲が高いので、その先から武陵農場が下方に見える。ただ、周囲の山は雲の中、昨日見えていた南湖大山などは隠れてしまっている。

紅葉の道
秋色が濃い、遠くの山は雲の中
稜線上にある小さな登り下り場所を通り過ぎ、哭坡の下りにかかる。下っていくと、登ってくる三人パーティとすれ違う。そのうちの二人はオーストリアからだとのこと。天気が下り坂で、彼らの登山の幸運を祈る。哭坡下の展望台で休憩をとり、更に下っていく。つづら折れのカラ松林道を行き、8時半に七卡山莊に着き、休憩を取る。

哭坡下を眺める、その右下は武陵農場
武陵農場のバス停まで送ってもらった
残り2㎞は約30分で登山口に降りる。入口の建物周辺は現在修繕中だ。登山口の事務所で、係官に入園書類を渡す。ここから武陵農場のバス停までは、まだ距離がある。以前二回は、シャトルサービスの車が待っていたが、今回は一般交通手段だ。武陵農場のマイクロバスがあるが、これは事前に予約が必要な農場内回遊バスとのことで乗れない。この辺の交通事情は、まことにお粗末だ。一般交通機関利用の登山者は、視野にないようだ。覚悟をきめて数キロを歩くことにする。駐車場へ降りて行くと、一台の車が我々を載せてバス停まで連れてってくれるという。まことにありがたい。20分ほどでバス停に着く。お礼を渡そうとしたら、固辞された。本当に親切だ。

ビジターセンター内のタイヤル族紹介
時刻はまだ10時、バスがやってくるまでまだ3時間以上ある。そこで、ひげをそり着替えをしたあと、ビジターセンターの売店で食事をしたり、公園関係の紹介映画「聖稜」を見たりする。以前の来訪時は通り過ぎていただけなので、改めてセンターの展示を見たりして時間を過ごす。実にいろいろと展示されており、それはそれで面白い。そうこうして乗車時間になる。梨山からやってくる1764番バスは少し遅れて13:48に到着する。我々以外の登山者や遊楽客が乗車する。バスが走り始めてまもなく、車窓に雨粒が着きはじめ雨が本降りになる。バスは途中南山村で10分ほど休憩をとり、16時20分羅東バスセンターに着く。そこで噶瑪蘭バスに乗り換え18時に台北に着いた。




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人を恐れない金翼白眉鳥
今回は天気に恵まれた。秋は台湾高山の天候が一番安定するので、長期縦走には適している。ただ、下山した後は少し天気が崩れたので、ずっと良いわけではない。終わってみると一週間もあっという間の感じだ。

台湾の高山は、人気ルート以外は小屋が少なかったり道があまりよくなかったりで、苦労が必要なところがある。この雪山西稜もそうした一つだ。こうしたところを歩くと、来年には老齢者の定義に当てはまる歳になる筆者は、若いころの日本の南アルプス縦走を思い出す。前衛の山を越えたり、テント持参で対応したりで、苦労したことを覚えている。今は南アルプスでもだいぶアクセスが良くなり、山小屋なども充実した。

武陵農場ビジターセンター内の「雪山山頂」
日本の若い登山者に申し上げたい。日本の「手なづけられた」山に飽き足らない人は、ぜひ台湾の高山にトライすることを薦める。老齢者になる筆者でも食料テントを担いで縦走できる。体力のある若い登山者は、言わんかなだ。費用的にもまだまだ安い。今回は、山小屋・テント場などは無料、交通費が約1400元、保険が700元ぐらいで二つ合わせても、日本円で8000円足らず、LCCでも使って来台すれば、日本のアルプスを縦走するより安く済むだろう。