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標高3000mの草原と湖沼の山岳、奥に安東軍山、手前は屯鹿池。右遠くは南三段の山々 |
台湾島の背骨を構成する中央山脈は、北から南まで340キロの3000m級の山並みが続く。そのほぼ中央には、日本時代に開いた能高越嶺道が中央山脈を乗り越えて台湾の東西を結んでいる。その峠のすぐ南には能高山がそびえる。1895年日本が台湾を得たあと、富士山よりも高い山としての
新高山(玉山)、その次に高い
次高山(雪山)と合わせ、台湾三高と称された。
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能高古道から見る朝の能高山主峰(尖った中央の峰)と左遠くに能高山南峰 |
尖った姿はひときわ目立つが、標高は3262mで台湾の高峰群のなかでそれほど高いわけではない。しかし、台湾の山岳史にとって、また日本の近代史においても重要な位置を占める。台湾接収後まもなくの1897年(明治30年)に台湾の地理や資源を調査するため、中央山脈を横断する軍隊探検隊の一つ、深堀安一郎隊がこの地で山越えをした際原住民に殺害された。その後台湾東西を結ぶ中央山脈横断道路として、能高警備道が1917年(大正6年)に開かれ、日本の統治が浸透していく。しかし、1930年(昭和5年)に日本統治時代中の最大悲劇、霧社事件は能高山の足元で発生した。さらに戦後は、日本時代に企画されたが実行されなかった、台湾東西送電線が、能高警備道にそって建設された。能高山は、そうした歴史の変動をずっと見守ってきた。
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縦走五日目、能高主峰から歩いた山々を見る、左から能高南峰、光頭山、白石山、安東軍山 |
能高山の南へ3000m超の峰々が続く。能高主峰よりも高い能高山南峰(標高3349m)をこえると広い草原の山々が展開する。光頭山(標高3060m、禿山の意味)、白石山(標高3110m)そして安東軍山(標高3068m)と続いていく。この五座は台湾の百岳に選ばれている。これら五つのピークを縦走していくルートは、能高安東軍ルートと称され、
屏風山・
奇萊北峰からカウントされるいわゆる中央山脈の北三段に属する。安東軍山をこえたあとももちろん3000m峰があるが、百岳に選ばれていないこと、アクセスがさらに大変なので歩く登山者は少ない。
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水鹿@白石池 |
日本アルプスにはない大草原は、台湾高山で特徴的な玉山箭竹(ニイタカヤタケ)がびっしり山肌を覆っている。風の吹き曝しなど条件の悪いところでは、高さもくるぶしぐらいの竹だが、条件の良いところでは背丈よりも高く、縦走中は藪漕ぎをかなり余儀なくされる。広い稜線上には、大小の池が出現する。雨水がたまっただけの池は、茶色に濁った水だが、沢が流れ込みまた流れ出す池は透明の美しい宝石の湖だ。これらの湖には、台湾最大の草食動物水鹿がやってくる。水鹿は夜行性なので、湖わきのテント場で設営していると、キョンという鳴き声で日暮れ後近くにやってくる。特に保護されているので、狩猟されることもなく、人を恐れない。この高原は、水鹿の楽園だ。
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南側の奧萬大から反時計回りに屯原へ縦走する |
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六日間の歩行高度 |
筆者が若いころの日本南アルプスは、主稜線へのアクセスには二日を要したところも多い。この能高安東軍縦走路も同じだ。特に今回は、一般的に北から南へと進むルートを逆にたどったので、入山して二日目の夕方に初めて主稜線に出た。幅広い萬大南溪を膝までの主流水を渡渉して一泊、さらに支流でも何度も渡渉し、やっと最後の主稜線への登りに取りついた。その後縦走に三日、そして下山に一日を費やした。六日とも天気がとてもよく、展望がよかっただけでなく、進行にも大いに助けになった。全行程中山小屋は全くなく、テント持参の登山である。まさに、今のように便利になる前のワイルドな日本アルプス登山の醍醐味を味わえる。
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台湾中央山脈のほぼ中央に位置する |
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第一日 10月25日(水曜日) 奧萬大 - 萬大南溪 - 溪底營地
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奧萬大から萬大南溪にそって第一支流の溪底キャンプ地へ |
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一度登りてまた下り、沢沿いのキャンプ地へ |
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民宿を4時半に出発 |
今回の縦走は、前日夕方台北を出発、南投県廬山にある民宿に前泊したあと、山中で五泊六日の山行である。筆者もいれて六名パーティは、25日朝4時半に民宿を出発、5時半に登山口奧萬大森林遊樂區に到着する。紅葉で有名な奧萬大だが、まだ少し時期が早いようで、葉はまだ色づいていない。5時45分、ビジターセンターから歩き始める。六日分の食料やテントを入れたザックは17㎏、結構重い。空も白んできた遊楽区内の整備された歩道を進んでいく。この時間帯には、遊楽客は全くいない。
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奧萬大ビジターセンター前、これから出発 |
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奧萬大吊橋から見る萬大北溪と主稜線 |
階段道を下り、萬大溪の岸近くを進む。衣服調整の小休憩後、また右岸の丘を登り返す。野鳥観察台(賞鳥平台)と呼ばれる広場を通り過ぎ、6時35分奧萬大吊橋のたもとに着く。能高南峰から白石山の西側から水を集める萬大北溪をこえる吊り橋はかなり高く長い。吊橋上からは、左に萬大北溪の奥に主稜線が望める。かなり高く遠い。あそこを歩くのはあと三日後だ。吊橋を過ぎ、左右に分かれるうちの右の道を行く。6時55分、奧萬大遊樂區の歩道が終わり、いよいよ山道となる。有楽客は立入り禁止、の看板がある。
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山道の入り口 |
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松風嶺を過ぎ馬軍山への分岐、右に進む |
山道は、草深い道で有楽客も入ってこないだろう。いよいよ本格的な山登りである。アカマツ林のジグザグ坂を登る。ザックの重さをひしひしと感じる。半時間ほどの登りが過ぎる。ここは地図上の松風嶺だ。しばらく下り、7時40分分岐に来る。直進する道は馬軍山へ続く。地図ではここを左に降りると奧萬大北溪溫泉(野風呂)に続くようだ。縦走路の案内看板と黄色の金属製道案円柱がある。50.4Kとの距離表示がある。順走の場合は、もう一つの登山口屯原からの距離となる。我々は、これからこの距離を歩くことになる。
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遭難の碑 |
休憩後山腹の道を進む。アカマツの人工林の中を行く。この辺りは以前林業が行われていた。森林遊樂區は、以前林業が営まれていた場所を利用してできた場所である。途中、ちょっとした土砂崩れの場所を過ぎ、8時半第二越嶺点につく。休憩をとる。わきには、以前疲労困憊し沢に流されて遭難した登山者の碑がある。台湾の山岳は、高く谷は深い。大雨が降ると日本と同じように鉄砲水も発生しやすい。
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倒木わきを下る |
少し下りまた山腹をまいてく。大木が倒れて沢にかかっている場所を通過する。補助ロープがあるので問題はない。最後に上り返し9時45分、第一越嶺点につく。第二、第一と数字が減っていくのは、逆行しているからだ。実際、登山者のほとんどは順走しているようだ。休憩後、少し下りまた登り返す。結構大きながけ崩れの上を巻く。下方には、幅の広い萬大南溪が谷間に流れる。最高点を過ぎて急坂を下る。10時50分、下り切り沢を越す。ここは第四支流合流点だ。
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松の人工林を行く |
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一度萬大南溪の河原へ降りる |
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鉄皮工寮キャンプ地近く |
道は右に白い幅広い萬大南溪の右岸を行く。10分足らずで、右に河原に降りる。河床キャンプ地となっている場所だろう。そのすぐ先に左にまた登る道がある。河原からまた、右岸台地上の道を進む。11時15分、沢をこす。ここは第三支流合流点だ。登り返したところは、鉄皮工寮キャンプ地だ。以前伐採植林作業を行うための作業小屋があったところだろう。当時の建物に使われていたと思われる錆びたトタン板がある。周囲の森も人工林のようだ。黄色い道標の場所で台地から右に下っていく。下り切ったところは第二支流合流点だ。12時25分、ここでゆっくり昼食をとる。
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第二支流合流点から河原に降り、河原を歩く |
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広い河原、この近くで一度渡渉する、水は濁っている |
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一度目の渡渉 |
ここからは、萬大南溪の河原を進む。地図では、巻道(金杏真路)があるが天気も良いし河原を進む。支流を渡渉し、広い河原に降り立つ。本流は、濁った水だ。萬大溪は、台湾最長河川、濁水溪の上流になる。濁水溪の名前の由来が、この流れを見ただけで納得できる。合流点から石のごろごろする河原を進むと、流れは右岸いっぱいに寄って流れているので渡渉が必要だ。濁っていて、沢底がどれだけ深いのかわからない。できるだけ水流幅が広く、勢いの少ない場所を選んで渡る。長靴を履いているが、ここは膝まで水をかぶる。長靴を脱いで慎重に沢を渡る。
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下流方向を見る |
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二回目の渡渉 |
さらに河原を進んでいく。20分ほど歩くと、左に第一支流の合流点に来る。道は第一支流にそって進む。また本流を渡渉しなければいけない。ところがこの付近は流れの幅が先ほどの渡渉点よりも狭く、流れも速い。上流方向に流れが穏やかな場所がないか探すが、同じような感じだ。この合流点近くを渡るしかない。意を決して渡ることにする。水は先ほどよりも深く、強い流れで膝の上まで水をかぶる。水流の逆方向に斜めにわたっていく。全員が無事に渡りきり、支流のわき台地へ登る。第二支流合流点からの河原歩きは、1時間40分ほど、標準時間よりも1時間近く多く要した。
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第一支流の合流点近く、左に本流の河原が見える |
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支流を渡渉する |
14時50分、第一支流沿いの進む。支流の左岸から右岸へと渡り登っていくと、第二支流合流点からやってくる高巻道(金杏真路)の道標を見る。15時30分過ぎまた左岸へ渡る。急な坂を上ると、そこが溪底キャンプ場だ。時間が早ければ、さらに登り第二獵寮キャンプ場へ進むことも考えたが、ここで設営することにする。
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溪底キャンプ場で設営 |
今日は、途中猟を終えた原住民の二人とすれ違っただけだった。テントを張り、食事をとる。約10時間の行動時間、13㎞ほど歩き高度は1100mから1600mに上った。累計登攀は約700mである。
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第二日 10月26日(木曜日)溪底營地 - 第二獵寮 - 第一獵寮 - 三叉路營地
素晴らしいレポートありがとうございます。
返信削除幾つか質問させてください
*6名中4名が長靴を履いていましたが、渡渉と泥濘地対策ですか?
台湾では一般的な装備なのでしょうか?
私は冬の奥多摩などで使っていましたが、足首が締まらず下りでつま先を傷めて以来山では使っていません。
足首が細くできているなど山向けなモデルになっているのでしょうか?
*水について、生水は飲めますか?
私は日本ではその場その場で判断して生水をそのまま飲みますが、日本の感覚で大丈夫ですか?あるいは湧き水でも煮沸するべきでしょうか?
その辺の感覚的なところをお教えください。
よろしくお願いします。
台湾の山は、日本に比べると湿気が多くまた渡渉も多いので長靴が結構多いです。少し大きめの長靴に中敷きをいれて履いています。長靴は普通の長靴です。下りでは足先に荷重がかかりますが、歩き方で少しは緩和できます。トータルでみて濡れた靴で歩くか、それとも水が入らないようにするか、の判断です。自分ももともとは登山靴で登っていましたが、慣れると大丈夫になりました。
返信削除水については、流れている沢の水(湧き水も同様と思います)は基本的にそのままで大丈夫です。今回の縦走では、第一支流に入った後の沢水は、そのまま飲んでいます。池の水は、程度に結構差がありますが、基本的には沸かして使用します。動物なども飲みますし。特に、ほかに水源のない場合の池の水は、茶色ですが漉して沸かし使用しています。