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2020-07-10

2020年7月4日 烏來桶後溪大礁溪山 - 小礁溪山縱走 夏の苦労登山

小礁溪山への縦走路から大礁溪山を望む、背後は阿玉山(左)と中阿玉山
今年年初に再度開放された烏來の奥に位置する桶後溪にそった桶後林道や、さらに県境を越えて宜蘭に通じる桶後古道は、人気の登山対象となっている。以前はアクセスが難しかっただけになおさらだ。筆者もいままで、二度この地を訪れている。そのうちの第一回目は大礁溪山であった。その時は、悪天候のためで行えなかった小礁溪山までの縦走が、今回のルートである。

小礁溪山山頂のメンバー
新北市と宜蘭県の県境となる烘爐地山から阿玉山へと続く稜線上に位置する小礁溪山や大礁溪山は、標高1000mを少し超える高さだ。宜蘭側のふもとは蘭陽平野が広がるが、新北市烏來側は、深い谷が形成され対照的な地理を呈する。そこの住人は農耕をする宜蘭側の平埔族原住民そして後の漢族と、山野で焼畑農耕や狩猟をするタイヤル族原住民とは、異なる生活環境であった。そして、必要物資の交換交易を除いて、この二つの世界はそれぞれお互いに関与しない領域でもあった。今回歩いた稜線は、二つの世界の境界であった。

反時計周りに回遊
歩行高度表
宜蘭と烏來とを隔す稜線を歩く
二つのピークの縦走は、実は4月以降二回企画した、しかし天候が悪かったり筆者自身が膝をぶつけてケガしたり、といった理由で延期してきた。その間に、小礁溪山への道が整備されたり、また多くの登山者が歩いたので、今回のルートはすべて草も刈られ状態が良くなっていた。まさにケガの功名か。しかし、すでに7月になり、中級山とはいえ標高は1000m程度なので、やはりかなり暑くて、そちらの理由で苦労した。

道路工事地点
MRT新店駅前で集合し、7時過ぎに二台の車に分乗し出発する。今日は全員で9名だ。新烏路(台9甲線)を進み、烏來の街を通過さらに孝義へ向かう。7時46分、台9甲線は終了し桶后林道が始まる。途中で三、四カ所の工事区間を過ぎる。6月から8時から17時の間は、工事のため交通規制が行われるようだ。我々は工事が始まる前に通過する。実際、最近土砂が取り除かれたような場所を過ぎる。8時半、林道13Kの終点に着く。周囲には多くの車が駐車している。

桶後古道を大礁溪山の登山口へ
急坂を行く
谷間から見上げる空は曇り気味だ。最近は、午前は天気が良くても午後にはにわか雨が降る。特に二日前にはかなりの雨量があった。8時50分、桶後古道入り口から歩きはじめる。古道といっても幅が広い。道には水たまりもある。0.5Kのキロポストをみて間もなく9時少し前、大礁溪山登山口に着く。4月に一度訪れているので、様子はわかっている。

急坂が続く
手作りアイスキャンディー
前回は雨の中の登りだったが、今日は雨はないものの風もなく、けっこう暑い。急な登りを行く。9時20分小休憩をとる。坂は相変わらず急だ。道の状態がよいのは、助かる。9時50分、藍天隊の道標のある比較的平らな場所を過ぎる。後方のメンバーが少し遅い。待つがなかなかやってこない。メンバーのLさんが、戻って様子を見る。すると、一人のメンバーMさんは、昨日に献血をしたばかりのためか、かなり難儀しているということだ。先に行ってくれ、ということで進む。10時35分、休憩をとる。標高は1000mを越え、残りはそれほど多くない。仲間が持ってきたアイスキャンディーが嬉しい。

野牡丹の緩やかな道
矢竹が現れ山頂はもうすぐだ
休憩後十数分登ると、稜線の道は緩やかになり、そのうち小さな上り下りを行く。道脇には、今ちょうど時期の野牡丹の紫の花が目立つ。矢竹が現れる。前回矢竹が現れて間もなく山頂だったので、残りはほんのわずかだ。果たして11時17分、大礁溪山山頂(標高1161m)につく。前回は、霧でまったく視界がなかった。今回は小礁溪山やそこへ続く稜線が望める。稜線の右にあるはずの宜蘭蘭陽平野は、残念ながら雲の下だ。小礁溪山の向こうには、鳥嘴尖山から姑婆寮尖から烘爐地山へと続く稜線の一部も望める。食事休憩をとる。ただ、日陰が少なく暑い。

二度目の大礁溪山山頂
大礁溪山山頂から小礁溪山とその前の稜線を望む
思っていたより状態のよい縦走路
30分の食事休憩の間に、遅れていたメンバーMさんがやってきた。あきらめて先に下山したかと思っていたので、少し意外だ。これからは大きな登りもないので、一緒に歩くという。11時47分、縦走路を歩きはじめる。道の状態は、思っていたよりかなりよい。矢竹の間の踏み跡もとてもはっきりしている。それだけ多く歩かれているということだ。10分ほどで、右に中阿玉山方向への道を分ける。この道はさすがに、草が深く状態は良くないようだ。

縦走路にも野牡丹が多く咲く
道は幅のある稜線上の灌木帯を抜けていく。小さな上り下りが疲れさせる。盛夏の蝉が、耳を劈かんばかりに鳴りたてている。短い命なので、彼らも懸命なのだろう。矢竹が現れ、ちょっと大きな下りを行く。右遠くに、雲に覆われた平野がチラッと見える。東阿玉山から左に降りていく長い尾根も望める。阿玉山など、阿玉を冠する山が多いが、阿玉とはもともとタイヤル族のカヤの意味だそうだ。実際稜線上にはカヤや矢竹が多い。

雲の下に蘭陽平野がとその前に東阿玉山の稜線
史丹吉氏斜鱗蛇
鞍部に下り灌木帯に入る。少し登り返したところで、頭が尖った形状の蛇を見つける。史丹吉氏斜鱗蛇と珍しい蛇のようだ。ちょっと動きが止まった後、また逃げていく。小礁溪山までは、途中に小さな偽ピークがある。急な部分は、滑りやすい。全身から汗が噴き出し、衣服はびっしょりだ。ほぼ登り切ったところで、12時50分休憩をとる。

灌木帯の急な縦走路
カヤと矢竹の草原の向こうに小礁溪山
蝉の抜け殻
カヤの斜面を下る。前方には、大きな小礁溪山が現れる。13時30分、登りの途中で後方からメンバーが脚をつったという。汗をこれだけかき、水を飲んで補充しているので、電解質が流出し筋肉がつりやすくなっている。そこで平らな場所まで行き、休憩をとる。袖にどこで引っ付いたのか、蝉の抜け殻がとまっている。ちょっと長めに20数分の休憩をとる。筆者は、ちょっと多めに行動食をとり、エネルギーを補給する。

大礁溪山と桶後溪の谷を望む
小礁溪山山頂が見えた
小礁溪山の山頂までは、まだ少し上り下りがある。高度を上げていく。カヤの草原で視界が開けた場所から、大礁溪山が稜線の向こうに大きく座っている。大礁溪山の背後に頭を出している山は、阿玉山と中阿玉山だろう。稜線左の宜蘭側からは霧が上がってくる。右の桶後溪側は霧もなく谷間とその周囲には峰々が続き、対比を見せる。また少し下り、最後のカヤの斜面を登る。そのうち灌木帯に入る。15時2分、右に桶後古道の峠近くへ下っていく道を分岐する。左に少し進み、15時4分小礁溪山山頂(標高1147m)に到着する。

小礁溪山山頂
急斜面を下る
時間が早ければ、先ほどの分岐から桶後古道への道を取っていくこともできるが、先ほどから雷の音も聞こえはじめ、雨粒がポツポツと落ち始める。メンバーもかなり暑さでまいっている。15時23分、山頂から直接支稜を下る道を取り、下山開始だ。はじめはちょっとした登り下りがあり、そのうち急坂が始まる。15時48分、山腹をトラバースしていく林道に降りる。林道は、もちろん廃棄されているので、ところどころ崩れた場所もあるが、おおむねOKだ。緩い勾配で進む。

また急坂を下る
16時14分、林道からまた右に急坂を下る。この道は、4月後半に藍天隊が整備したところで、状態はよい。ロープも適宜取り付けられている。17時、少し坂が緩やかになり、ちょっと登り返す。残りはわずかだ。17時13分、桶後古道の登山口に着く。全員が下り切り、左に古道を少し行く。沢の岸で休憩をとり、冷たい沢水で顔をぬぐい、長靴を洗う。残り数百メートルの古道を戻り、17時50分駐車場所へ帰り着き終了した。

桶後古道の登山口に降りた
この沢際で最後の休憩
行動時間は、休憩も入れて約11時間、距離は10.6㎞だ。累計で1300mほどの登りとなっている。小礁溪山で降り出し雨は、大降りにならずに済んだのは幸いだった。下山途中はかなり雷声を聴き、宜蘭辺りではけっこう雨量もあったようだ。しかし、何より暑さに苦労した。気温が高く風もないと、それでけで体力を奪われる。この周辺の山や古道は、まだまだ歩く場所が残っている。まだ、何回かは桶後古道を訪れることがあるだろう。

2020-06-28

2020年6月21日~27日 中央山脈奇萊東稜(タロコ連山)縦走 感動と苦労の七日間

奇萊主山から望む奇萊東稜(左から奇萊北峰、盤石山、立霧主山、帕托魯山,太魯閣大山、2016/6撮影)
台湾島を南北に背骨の如く走る3000m級の中央山脈は、東にかけて長く続く支稜がある。その中でも特に大きいのが、奇萊東稜と称される奇萊北峰(標高3607m)から花蓮の太魯閣(タロコ)渓谷方向に伸びるタロコ連山である。過去に中央山脈の北二段や三段の縦走や、奇萊南華登山をしたときに、これらの峰々を望んだ。この大支稜は、磐石山(3106m),太魯閣大山(3282m),立霧主山(3070m)及び帕托魯(パトル)山(3101m)の四座百岳を擁する。なだらかな草原にある磐石山、稜線から少し分岐し平らな山頂を急峻な壁で囲まれた太魯閣大山、大理石の岩壁が目立つ立霧主山、そして太平洋も眼下に望める3100m峻峰の帕托魯山と、それぞれが特徴を持つ。

奇萊北峰山頂の全メンバー
タロコ連山は、実は日本統治時代にその足元を流れる立霧溪で最大の原住民制圧(当時は討伐と称した)の戦いが発生した場所でもある。頑強な太魯閣族との間に、日本側の戦死者だけで300数十人を数え、記録のない原住民側もかなりの犠牲を出した戦争である。大正3(1914)年6月、第五代総督佐久間左馬太が自ら指揮する戦いが、立霧溪上流の屏風山から下流に向けて展開する。武器物資を蓄える倉庫が、関ヶ原と名付けられた屏風山と石門山の間の台地に造られた。そして立霧溪両岸の內太魯閣と称された、山深い部落への攻撃が展開した。強力な火力を有する総督府軍も、険しい山谷でのゲリラ戦に苦戦する。三か月を費やし、原住民の帰順により終了する。陣頭指揮した佐久間左馬太の苗字を頂いた、佐久間山や佐久間の雅号を冠した研海林道(戦役とは直接関係はないが)が当時を偲ばせる。

七日間の足跡、北側の中横公路(黄色)を車で行けば数時間
七日間の歩行高度表
奇萊東稜の位置(赤いボックス部分)
奇萊東稜の縦走登山は、台湾高山登山の中で四大障礙の一つともいわれる困難度が高いルートだ。一般に西側奇萊北峰を先に登り、東に向けて稜線を追っていき、太魯閣の谷間に降りるのが普通だ。我々もそのルートで進行した。逆コースも可能だが、落差が遥かに大きく、ただでさえ矢竹の藪漕ぎがそれこそ四分の一もあるようなルートに加え、苦労はかなりのものになる。台湾高山にはついて回る、水場の少ないことも、縦走を大変なものにしている。メンバーは都合七名、入山下山登山口と台北との間の交通は、シャトルサービスの車を利用した。人数がそろえば、利便性も含め十分に見合う(今回は一台14000元)。

奇萊東稜最後の3000m百岳帕托魯山から歩いた稜線と中央山脈を望む

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第一日 6月21日(日)台北 - 奇萊山登山口 - 成功小屋

滑雪山莊脇の登山口から成功山屋まで
第一日は下りがメイン
台北駅地下鉄出口付近で乗車
6時半、台北駅に集合し予約していた車で出発する。途中新埔で二人のメンバーが乗車し、第三高速道路を南下する。今週は、後半が端午節が入り土日も含め四連休になる。今日はまだ、それほどの交通量ではない。台中を通過し、約2時間ほどで埔里への第六高速道路ジャンクションに来る。前方の山々が良く見える。9時過ぎ、高速道路終点に着き、コンビニで小休憩をとる。

多くのサイクリストが武陵を目指す
滑雪山莊へ下る、山は奇萊北峰,建物は松雪樓
台14号線で霧社へ向かい、さらに台14甲線で合歡山を目指す。清境農場の人ごみを通り過ぎ、高度を上げていく。気温も低くなり、窓から入る風が涼しく感じる。合歡越えのサイクリング活動が進行中のようで、多くのサイクリストが坂道を登っていく。10時48分、台湾の自動車道としては最高点になる、武陵を通り過ぎた。ここはもともと佐久間峠と称されたところだ。数分下り、松雪樓の入口に着く。周辺には多くの人出がある。滑雪山莊へ下り、出発の準備をする。

登山口のメンバー
よく歩かれている登山道
11時半前、七日間の縦走を踏み出す。前方には、明日登る奇萊北峰とその前の小奇萊山が控える。下りで始まる登山口は多くないが、ここはその一つだ。小奇萊山は入山の許可もいらないし気軽に登れるので、幼い子も含めた家族登山者も多い。数分下ると小奇萊山への登りになる。途中には木製梯子などもあるが、道の状態はとても良い。1.2Kキロポストを過ぎて間もなく、12時に小奇萊山近くの峠に着く。食事休憩をとる。

小奇萊山付近から見る奇萊連山(左から屏風山、奇萊北峰、奇萊主山、左遠くは畢祿羊頭)
台灣龍膽
20分ほどの休憩後、また下り始める。右に小奇萊山山頂への道を分ける。草原の道からは、広い範囲の山景が広がる。左に谷を挟んで畢祿山羊頭山の山並みが、そのすぐ右に屏風山が大きな段差をもって奇萊北峰へとつながる。草原道をどんどんと下っていく。道端に青い台灣龍膽の花が咲いている。台湾高山は、一年のうちかなりの時期に登ることができるが、夏の今は高山植物の季節だ。下るにつれ、奇萊北峰が近くそして高くなっていく。13時25分、3.6Kを過ぎて間もなく最低鞍部になる黑水潭山屋に着く。登山口から約400mほど下ってきた。四年前の訪問時に比べ、手入れがされて後方にはトイレが作られている。小休憩をとる。

黑水潭山屋から見る奇萊北峰
新しいアルミ梯子が取り付けられている
今日の行程は、成功小屋までなので、100数十メートル登り返すだけだ。13時38分、坂を登り始める。すぐ左に黑水潭山屋の名前由来の黑水潭(池)への道が下っていく。森の底には矢竹が茂るが、道の幅も広くまったく邪魔にならない。大きなギャップには、木製に換わりまだ新しいアルミ製梯子が取り付けられている。4.4Kあたりで最高部を過ぎ、成功山屋に向けて下っていく。こちら側にもギャップにはアルミ梯子が取り付けられている。14時37分、小屋に到着する。今回は、小屋の中のスペースを確保している。二段あるフロアの中の下の段のスペースだ。沢沿いの小屋は水場もすぐ近くにあり、とても便利だ。戸外の寒暖計は13度を示している。

雨のあとの成功山屋
小屋内部
成功山屋は、人気コースである奇萊主/北峰ルートにあるのでいつも満杯だ。近くにはテントスペースや、パオのような形の小屋もある。休憩をとり、17時ごろに食事の準備をする。休んでいるうちににわか雨があり、外は濡れている。この小屋には協作と呼ばれる、食事を提供する業者もいるが、今回はそれぞれメンバーが自分で食事対応だ。台所になる場所でお湯を沸かし対応する。今日は、約4.7kほどの道のりで、なおかつ下りがメインの歩きであった。休憩込みで3時間だ。明日からは、本格的な歩きになる。19時頃には就寝する。

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第ニ日 6月22日(月)成功小屋 - 奇萊北峰 - 月形池 - 磐石山西峰 - 磐石中峰營地

成功山屋から奇萊北峰を越えて盤石中峰營地へ
七日間一番登坂が多い歩き
まだ暗い中を急登する
成功山屋から日帰りで奇萊主北峰を往復する登山者が、かなり早く出発する。我々も今日は一日で最大の高度を稼ぐので、3時に起床、食事をすませ4時には出発する。今は年間で昼間時間が一番長いが、日出は5時を少し回ったあたりなので、ヘッドランプを点けて歩く。道は状態が良いので、ロープセクションや梯子があってもヘッドランプがあれば問題ない。4時54分、右に成功一號堡への道を分ける。ここも宿泊できるが、水場はないので成功山屋からもちあげる必要がある。

5.4K展望ポイントから小奇萊山を望む、左遠くに守城大山
分岐に向けてザレを登る
5時を回り、空がだいぶ白んできた。急な梯子の坂を登りきると、5.4K近くの展望が開けるポイントがある。標高は3050mあたりで、昨日下ってきた小奇萊山もほぼ同じ高さになってきている。5時15分、5.6Kを過ぎる。樹木から出て、一面ザレの斜面を登っていく。5時25分、分岐に来る。標高は約3150m、ここで右に稜線上の奇萊山莊、そして主峰への道を分ける。小休憩をとる。すでに十分に明るく、正面には昨日車で通り過ぎた清境農場一帯やその背後の守城大山がわかる。

分岐に到着
ニイタカウスユキソウ
稜線に向けて最後の登り
稜線に出る、正面前方には太魯閣大山
稜線上の分岐、前方のトラバース道を行く
休憩後も、急なザレの坂道が続く。一本調子の登りはつらいが、道脇にはニイタカウスユキソウが固まって咲いている。さらに登っていくと、キバナノコマノツメなどが咲いていて、登りのつらさを一時忘れさせてくれる。6時50分、急登が終わり稜線上に上がり、右から奇萊山莊の道を合わせる。東側に広がる草原の向こうには、これから行く太魯閣大山が初めて見える。稜線道は、右に山腹をトラバースしていく。手前の小ピークを巻くと、眼前に尖った奇萊北峰が急峻な岩壁をもってそそり立つ。登り始める前に、小休憩をとる。

前方に奇萊北峰のピラミッドがそそり立つ
遅咲きのシャクナゲが道脇に
初めて訪れるメンバーは、その急峻さに驚きの声があがるが、実際取りつけばそれほど困難でもない。ロープセクションは、重荷を背負っているので注意が必要だ。確実に登る。日陰になるためか、ちょっと遅咲きのニイタカシャクナゲが咲いている。すでに登頂をすませた主峰との日帰り登山者がすれ違う。彼らの身軽さがうらやましい。8時過ぎ、北峰(標高3607m)山頂に到着する。登りで見る山峰は尖った三角だが、東側に広い草原を抱えるので、山頂に立つとそれを忘れる。小さな早田香葉草の紫の花が咲いている。名前の早田は、日本統治時代にこの花を発見した早田文蔵からきている。台湾の植物には、日本人の名前がついているものが結構ある。

急坂に取りつく
ロープセクションに取りつく
筆者にとってこの山頂は二度目の訪問だ。同じく好天に恵まれ、360度の展望が素晴らしい。この四年間に登った山々が、しっかり判別できる。まだ足を踏み入れていない山々は、これからの課題だ。そして何より、これから縦走していくタロコ連山の四座がデンと、眼前に広がる矢竹の緑草原の向こうに続いている。期待と不安の気持ちがわく。

山頂はもうすぐだ
山頂から見る東‐南-西の180度パノラマ、遠く玉山も望める
西から北へのパノラマ、左遠くは雪山山脈、すぐ北は屏風山、その向こうに北二段、一段の山々
奇萊東稜を歩み始める
気づかぬうちに約40分ほど過ごした山頂を後に、奇萊東稜の第一歩を踏み出す。緩やかに下る草原を5分ほど下ると、左に屏風山に続く奇萊北峰北稜への道を分岐する。道はさらに下り、大きな岩コブのようなピーク下を右に山腹を巻いていく。トラバースが終わり、また眼下に草原が広がる。月形池と呼ばれる水なしの池が見える。9時35分、見晴らしのよい場所で休憩する。草原の向こうには、北二段から北一段の山々が続いている。無明山や中央尖東側の崩壊が壮絶だ。

奇萊北峰をあとに山腹をトラバースする
右下に月形池が見える、遠くは中央山脈北一段、二段の山々
左から無明山と中央尖
岩壁の間を鞍部へ
草原をさらに下り、月形池の脇を通り過ぎると、尾根は狭まりその左側を進む。最低鞍部を通り過ぎ、登り返す。昨日の矢竹とは違い、道幅が狭く、早速藪漕ぎの始まりだ。途中で一度休憩をとり、さらに登る。11時17分、矢竹が茂る森から出て草原に出る。磐石山の領域に来た。振り返れば、広く緩い草原をこちらに見せる奇萊北峰がすでに遠い。この方向から見る奇萊北峰は、朝に登った時にみるものとは、随分と異なる風貌だ。11時30分、樹木の下で休憩をとる。

狭まった稜線の崖際を進む
登り返し草原へ向かう、背後は奇萊北峰
盤石山西峰に向けて広い草原道を行く、右奥は太魯閣大山
磐石山西峰から東方向を望む
磐石山中峰營地
高度は3300mほどで、街では30数度の気温がここでは、理屈上十数度低いが、直射日光を受けて歩くのは、やはりつらい。風が少しあるのが、まだよいが。尾根の幅が次第に広がり、12時5分驚嘆號營地を通り過ぎる。近くには小池があり、露営可能だ。緩やかな起伏を追っていく。12時16分、少し小高い磐石山西峰(標高3335m)に着く。前方には、たおやかな緑の草原の向こうに、磐石山,太魯閣大山,立霧主山及び帕托魯山の四座が待っている。

設営を終えたキャンプ場
水鹿が現れる
草原に続く一本道をさらに下り、蛙石と呼ばれる大岩の脇を過ぎる。ほとんど気づかぬうちに磐石山中峰を通り、13時45分磐石山中峰營地に到着する。キャンプ場といっても、ちょっとくぼんだ所だ。すでに数張りのテントがたっている。早速設営をすます。まだ時間が早く、テント内は暑いぐらいだ。近くに池はあるが、若いメンバーは、筆者やその他3名の分も含め、南側の沢に降りて水くみに行ってくれる。1時間ほどで戻り、16時過ぎその水を使って夕食を用意する。

17時ころになると、水鹿が現れ始める。今まで何度か見たことがあるので、新鮮さはない。首に生態研究用の装置を取り付けた鹿もいる。陽が暮れてくると、その数はさらに増え、10頭以上の数えるようになった。19時頃になると辺りは暗くなり、昼間ちょっと強かった風もなぎいてきた。今日は約8キロ、都合約1200mの登坂で、休憩込み約9時間半の歩きであった。明日も早い、20時前には就寝する。

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第三日 6月23日(火)磐石中峰營地 -磐石山 - 鐵線斷崖 - 太魯閣大山北鞍營地

盤石山を越えて太魯閣大山北鞍營地へ
小さな上り下りが続く歩き
撤収をすませ出発の準備
3時起床、外に出る。風はなく、満点の星だ。食事を終え、テントを撤収する。周囲には、また水鹿が来ている。昨日は見かけなかったオス鹿もいる。四年前に奇萊主北を訪れ、その帰途上テレビ番組台灣誌の取材パーティとすれ違った。その中には、山椒魚の研究者賴俊祥台灣師範大學助教授が含まれていた。その翌日、不幸なことに磐石山で滑落死亡した。そのことをふと思い出す。

曙光に照らされたテント場方向を見る、中央の山は奇萊北峰
倒木を越えて進む
4時半に出発する。昨日と違い、道の状態もそれほど良くないので、少し白み始めて初めて歩きはじめる。緩やかな草原を進む。そのうち山の右側が赤く染まる。前方の山の形もはっきりしてくる。5時ごろ森の中に入り、下り始める。台湾ツガが根こそぎ倒れている。台風などで吹き倒されたものだろう。倒木や矢竹が現れ、いよいよこの縦走路の正体が出てくる。落差100数十メートルを登り返していく。森からでて、矢竹の草原を登ると、6時23分磐石山山頂(標高3106m)に到着する。先に出発していたパーティがちょうど立ち去るところだ。

矢竹の間を盤石山山頂へ登る
磐石山山頂から西を望む、右の山は奇萊主峰,左の黒い山は太魯閣大山
磐石山山頂のメンバー
山頂からは、南から西方向の景色が樹木に邪魔されずに展望できる。木瓜溪上流の谷を挟んで、能高南峰から巴沙灣山を越え長く続く尾根がある。巴沙灣山も3000mを越えるが、百岳ではないので訪れる登山者は非常に少ないだろう。能高南峰から北に能高山、南華山などを経て奇萊主峰への尾根が続いている。以前はこれらの場所から今いる場所を眺めていた。東側は、太魯閣大山が近づいてきている。

矢竹の尾根道を下る
鐵線斷崖の岩壁を下る
30分近く頂上で過ごした後、下り始める。尾根は狭くなり、今までのたおやかな草原風景とはお別れだ。小さなピークが次々現れ厄介だ。7時50分森の中の小さな鐵線前營地で休憩し、下って鐵線斷崖に来る。鐵線という名だが、岩壁にはロープがわたされており、それを頼りに下り気味にトラバースする。さらに三か所ほどのロープセクションが現れる。メンバーの一人が、足を滑らすが、幸いすぐにロープをつかみ、滑落には至らなかった。ただ、岩に足をぶつけたようで、荷物を下ろし様子を見る。重荷を担いでの岩場通過は、やはり大変だ。

さらに岩壁を下る
鐵線後營地
ロープセクションは気が許せない
9時50分、鐵線後營地に着く。ここも小さなテント二張りぐらいの森の中の平らな場所だ。最低鞍部に向けて下り始める。落差は200数十メートルだが、途中ちょっとした登り返しもあり疲れる。さらに坂も急で、神経をつかわなければならない。下り途中、11時10分昼食休憩をとる。11時45分、最低鞍部を通過。ここからまた落差200mの登り返しになる。登って間もなく上下營地を通過。数多くの上り下りで、まさにこの名前だ。

立霧主山が近づいてきた、左のピークは佐久間山
登り返しも急坂だ
登り返しの途中でも、小さな下りと登り返しがある。勘弁してほしいと思う。14時42分、最後の小ピークに着く。休憩をとり最後の下りを行く。下り切り、山腹をちょっと登り気味にトラバースし、草原にでると15時47分、北鞍營地につく。途中でメンバーのケガなどもあり、予定より時間を要した。活動時間は、約11時間である。距離は6.5㎞と大したことがないが、難所や多くの登り下りで時間がかかった。

台湾ツガと矢竹の道
キャンプ場はテントで満杯
連休を利用して来る登山者が多く、もともと広くないキャンプ地はすでにテントで満杯だ。他のパーティの鎌などを刈りて整地し、テントを張る。若いメンバーは水くみに行ってくれる。19時半、遅めの食事をとる。疲れのためか、それほど食欲がない。20時過ぎには就寝する。






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第四日 6月24日(水)太魯閣大山北鞍營地 -輕裝太魯閣大山 -北鞍營地 - 平安池營地

北鞍營地から太魯閣山を往復、その後平安池營地へ
歩行高度表
樹木の根に太魯閣大山プレート
今日は行程中の中日だ。5時に軽装で太魯閣大山に向けて出発する。テント地のすぐわきの矢竹の中に入り進む。そのうち矢竹から出て森のなかの急坂になる。軽装なので登りも楽だ。5時35分、すっかり明るくなった森の中で、太魯閣大山001の黄色い標識プレートを見る。今までみた太魯閣國家公園のプレートは奇萊東稜だが、ここは別扱いとなるようだ。5時40分、上部に大きな二つの岩壁が対になってそそり立ち、その間を登っていく。6時5分、落差約200mほど登ったところで、一休みする。樹木の間から、昨日苦労した上り下りの続く稜線が見える。

岩壁が覆いかぶさる間を登る
森から出て展望が開ける
急坂を登る
休憩後少し登ると、森からでる。高度が上がってきたこともあり、展望が開ける。奇萊主北から北へ中央山脈北二段、一段の山並み、手前に昨日の磐石山の稜線がこちらに伸びてきている。道端にニイタカウスユキソウを多く見る。6時30分、尾根上にあがる。前方にピークがあるが、まだ山頂ではない。太魯閣大山は、急峻な斜面で囲まれているが、上部はなだらかな草原になっている。すでに登頂を終え、帰途上の登山者とすれ違う。コブを一つ越すと、拳のように盛り上がった目的の山頂が見える。早朝の草原歩きは、実に快適だ。最後にちょっと急な坂を登り、6時47分太魯閣大山山頂(標高3282m)に到着する。

緩やかな稜線に上がる、山頂はまだ見えない
太魯閣大山山頂はあとわずか
太魯閣大山山頂から立霧主山(左)と帕托魯山を望む
太平洋、花蓮方向を望む
山頂の筆者
山頂は、360度の展望台だ。北西側は、草原なのでその先遠くの山々はさえぎられるが、その他は問題ない。これから歩く立霧主山や、その右には大きな山容の帕托魯山が控える。遠くには三角錐山や清水大山など太魯閣七雄と呼ばれる、難度の高い中級山が、また立霧主山の左遠くには中央尖や南湖大山の雄姿が佇んでいる。東側は、花蓮から台東に続く花東縱谷やその向こうの海岸山脈、そして太平洋がうっすらとわかる。実に雄大だ。

往路を戻る、左に奇萊連峰
岩の急坂を下る
知らず知らず30分ほど過ごし、往路を引き返し始める。先ほどの草原道を行く。草原だけを見ていると、ここが周囲を切り立った壁で囲まれた頂であることを忘れる。7時50分、草原から離れ急坂を下り始める。8時18分、道のり約半分で小休憩をとり、8時40分テント場に戻る。昨日は満杯だったテントはすでに撤収されたものもある。我々もテントを日干し休憩をとる。お湯を沸かしコーヒーを入れる。1時間ほどの休憩のあと、重装で出発する。

テント場満杯だったテントは大半が撤収されている
朝登った太魯閣大山を背に縦走を行く
当初の計画では、大理石營地まで歩く予定だったが、昨日の状況をみて今日は平安池營地までとする。大理石營地は水場が全くなく、単に登りが大変なだけでなく水をもちあげなければならない。キャンプ地から、稜線上を落差100mほど登り、ピークを越える。ルートは下り基調だが、もちろん途中には小ピークを越えていく。それでも、昨日に比べれば難所は少なく、助かる。はじめのピークを越え、10時15分左側が切れ落ちた場所を過ぎる。前方には、これらか進む稜線と、その向こうに立霧主山がある。

左が切れ落ちた場所からこれから歩く稜線を見る
矢竹の稜線道を下る
3,4カ所の小ピークを越え、稜線から離れて急な山腹を下る。13時26分、下に平安池が見える。数分で下り切り、池脇に降りる。池の奥の方には、すでにテントが張られている。我々は降りたところの草地でテントを張る。今日の水場は、すぐわきだ。勿論、使用するにあたっては、濾過し煮沸する必要がある。テントを張り終え、中に入ると雨が降り出す。実によいタイミングだ。雨は2時間ほど降り、夕方には降りやんだ。にわか雨である。

平安池が見えた
池脇に設営
17時頃に夕食の用意をする。食事をすませたあと、ちょっと気分が悪くなり戻してしまった。疲労が回復しないのか。今日の活動は、距離5.3㎞、累計登坂750mで、休憩込み8時間半だ。19時ごろ池は暗くなりはじめ、20時までには就寝する。

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第五日 6月25日(木)平安池營地 - 大理石營地 - 立霧主山 - 沼澤營地


平安池營地から立霧主山を越えて沼澤營地へ
歩行高度表
池の上に朝霞
3時半起床、簡単な朝食を済ませる。平安池は、昨日と同じく静かな湖面を見せる。撤収をすませ、荷造りをしているとピンクの朝霞が空になびく。昨日の雨で矢竹の藪漕ぎは雫をかぶって泳がなければならない。出発前に上下の雨具をつけ、5時に歩きはじめる。テント場わきからすぐに藪漕ぎ、果たしてすぐに上下とも濡れる。30数分歩くと、それほど雫も影響がなくなり、一方登りで暑くなるので、雨具を脱ぐ。陽光も森の中まで差し込み始め、しずくを乾かす。

全員上下の雨具に身をかため出発
立霧主山前の鞍部へ下る
平安池から一時間ぐらいの登りでピークを越え、立霧主山との間の最低鞍部に落差約200m下る。はじめはロープセクションもある急坂は次第に緩くなる。右に帕托魯山が高く大きい。7時20分、最低鞍部を過ぎる。登り始めてすぐに、小さな最低鞍營地を見る。立霧主山までの落差は約400mだ。ここからは、ひたすら登るだけだ。幸い勾配はそれほど強くない。一番若いメンバーは、体力が強く、重い荷物で苦労しているメンバーの一部を分担したり、先に登って荷物を置いては下り代わりに担いで登る。8時57分、道は稜線の右側に出る。高度は2950mまで上がり、先ほど高かった帕托魯山は、だいぶ低くなっている。さらに数分行くと、大きな岩壁が現れ、その底に沿って下り登り返す。9時13分、大理石營地につく。時間的に余裕があるので、長く休憩をとり濡れたテントなどを乾かす。

台湾ツガ森の中の矢竹の道を登り返す
右に帕托魯山が近づいてくる
前方の大岩の向こうが大理石營地だ
テントなどを乾かす
10時、別のパーティーが着くと同時に、立霧主山へ最後の登りを行く。道は、低い灌木の間を行く。大理石の岩もごろごろしている。太魯閣渓谷は大理石でできている部分がおおいが、その上の山も同じ岩石だ。10時26分、立霧主山山頂(標高3070m)に到着する。立霧主山は、実は小百岳の立霧山と区別するためにこの名付けのようだ。山頂は灌木があるので、それほど展望ができない。むしろ、頂上以外の途上の方が視界が開けて展望がきく。

立霧主山に向けて最後の登りを行く、左は帕托魯山、右は歩いてきた稜線
立霧主山山頂のメンバー
岩場の下り、左の尖峰は佐久間山
35分ほどの休憩後、下り始める。少し行くと、すぐに岩場になる。高度があるので、写真でみると大変な印象だが、実際には注意すれば大丈夫だ。ロープセクションもある。切り立った崖ぶちにくる。そこからは、尖った佐久間山が目と鼻の先だ。この山名は、もちろん佐久間左馬太と関係がある。この山のふもと近くで陣頭指揮をしているとき、足を滑らし滑落した。その場所の上部にある山に佐久間の名前を付けたということだ。さらにロープセクションのある坂を下っていく。12時半過ぎ、沼澤營地に到着する。今日はこれで歩きは終わりだ。

下ってきた岩場を振り返る
テント場への最後の下り
沼澤營地についた
本来、ちょうど同じルートで少し前に進んでいたグループ太魯閣登山隊が、長い間誰も歩いていない佐久間山への道の手入れをするので、それに合わせて佐久間山へ登頂しようと考えていた。しかし、まだ谷間への水汲みなどや午後にわか雨の可能性を考え、あきらめることにする。結局にわか雨はなかったが、ゆっくり骨休めをすることはできた。そのうち次々の後続のパーティがやってきて、テント場は満杯になる。17人+協作5人からの大パーティが到着すると、まったく無理なので、その先の平らな場所を求めて道を進んでいく。

テントを設営する
今日は距離は、4Km と少ない。立霧主山への登りがあったので、登坂は累計930mある。休憩込みの活動時間は、7時間半である。比較的な楽な一日だったこともあり、食事も問題ない。17時前には食事を終え、19時過ぎ暗くなると、テントに入り就寝する。

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第六日 6月26日(金)沼澤營地 - 三叉營地 - 輕裝帕托魯山 - 三叉營地 - 研海林道

帕托魯山を往復したあと研海林道へ降りる
最後の百岳を登り、林道へ
矢竹の藪漕ぎでピークを登る
朝3時半に起き、食事をしてテントの外に出ると、隣のテントはすでにない。かなり早く出発したようだ。今日は、コース上最後の百岳に登る。同じく5時に出発、帕托魯山の登山口になる三叉營地へ向かう。稜線上を数十メートル登り、最後部を越す。小さな上り下りのあと、100数十メートル下る。右には、帕托魯山が大きくなり迫る。帕托魯山の斜面は、過去に大きく伐採された。こちらもその伐採が行われ、矢竹が一面に生えている。道脇には切株も残る。最後に少し登り返し、6時50分三叉營地につく。

昨日の立霧主山を背後に三叉營地へ
ザックがデポされている矢竹の中の三叉營地
矢竹の草原に道が続く
分岐の三叉營地には、テントはないが多くのザックがデポされている。すでに帕托魯山へ向かっている。登頂往復に必要なものを用意し、7時18分我々も帕托魯山へ出発する。はじめは矢竹の間を下る。倒木も多く厄介だ。10分ほどで登りが始まる。右に昨日の立霧主山が矢竹の向こうに控えている。稜線の左側は森があるが、右側はほぼ矢竹の草原だ。8時44分、登頂をすませ下ってくる太魯閣登山隊のメンバーとすれ違う。4時に出発したそうだ。その先さらに10数分進み、見晴らしの良い場所で休憩する。標高は2950mほど、残りは150mほどの落差だ。

稜線の東側には三角錐山など太魯閣の山々
稜線西側には今まで歩いてきた稜線が続く、左は太魯閣大山,右は立霧主山、最奥は奇萊北峰
山頂大理石ピナクル上にメンバー
眼前には、木瓜溪の谷を挟んで、過去5日間越えてきた峰々、稜線が続く。行程中の最高点奇萊北峰から草原を越えて磐石山へ、狭くなった尾根が左に太魯閣大山に続き、さらに右に立霧主山へとまた高度を上げる。よく歩いてきたものだ。一部森の中も抜けるが、草原が多いので、周囲の景色が変わりゆくのを見ながら進む。最後にちょっと急な坂を登り、9時41分帕托魯山山頂(標高3101m)につく。360度の展望台からは、東には太平洋も近い。山頂の端には、大理石のピナクルがある。この山も大理石の山だ。

帕托魯山山頂のメンバー
霧が谷に湧き始めた尾根を下る
三叉營地に戻る
40分近く山頂で過ごす。最後のピークも良い展望に恵まれたことに感謝し、下山を始める。谷からは途切れなく霧が立ち上り、夏山真っ盛りだ。朝はそれほど感じなかったが、陽光が強くなった今は、樹木のないこの道は暑い。稜線の東側は、深い谷が落ちる。三角錐山や、明日下っていく近くなどが見える。ほぼ中間地点の森の中で一度休憩をとり、12時5分三叉營地に戻る。

急坂を下る
切り株の残る稜線道
荷物を整理し、研海林道に向けて下り始める。はじめは急の道は、ロープセクションもある。そのうち緩い尾根上を行く。この辺りも伐採された切り株などが残り、低い灌木帯も過ぎる。左の頭に雲を頂いた立霧主山が次第に高くなる。最後に落差100mほどの急坂を下ると、14時24分林道が現れる。林道のすぐ左には、倒壊した12K作業小屋がある。今回は連休でテント場の混雑に遭遇したが、林道上では水場に近く草がなく平らであれば、多くの場所で設営できる。少し進んでいく。すると、今まで同じルートでやってきたパーティが設営し、協作によれば水場も近いという。道には落ち葉も敷いてくれていたようだ。そこで我々もここで露営することにする。

倒壊した作業小屋のある研海林道12K
林道上に設営
テントを張り、林道を数十メートル行き水をくむ。岩の細い流れは、水を集めやすいようにホースが取り付けられている。今までは、濾過したり煮沸したりする必要な水もあったが、ここはそのままでもOKだ。台湾の高山は、秋になると水が少なくなり苦労する。17時前に食事を準備する。今日は山の最後の日だ。心配していた、午後のにわか雨もなく、気持ちも楽だ。20時前に就寝する。




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最終日 6月27日(土)研海林道キャンプ地 - 江口山 - 流籠頭 - 研海林道下線 - 岳王亭

研海林道や江口山を経由して中横公路の岳王亭へ下山
下降高度が最大の一日
まだ撤収していない別パーティのキャンプ
今日は、下山日だ。しかしまだまだかなり歩かなければならない。比較的平らで、距離が延びる林道歩きが多いが、それでもがけ崩れなどの部分もあり、早めに出発するに越したことはない。まだ暗い中、4時半に出発する。林道なのでヘッドランプ頼りでも大丈夫だ。十数分歩くと、まだ撤収していないパーティのキャンプ地を過ぎる。

林道から夜明けの山々を望む
9K作業小屋を後に林道を進む
5時を少し回ると、あたりが明るくなってくる。鳥のさえずりも始まる。他の高山登山の林道と同じように、日当たりが良いところは、カヤが茂る。おおむね状態は、それほど悪くない。5時半、9K宿舎跡に来る。この建物はまだ倒れていない。当時に水タンクなどもまだ残る。休憩をとる。

大岩崩落個所を越える
取り残されたトラクター
5時50分、また林道を進む。一カ所大岩が崩れてちょっと難儀する場所と、路床が流されて小さい高巻きがあるが、こちらもおおむねOKだ。取り残された運搬用トラクターがある。最後は少し下り気味に進み、6時53分林道6K部分に着く。ここから道は、林道を離れ江口山の稜線を行く。林道の高巻き部分になる。20分ほど休憩し、緩い尾根の道を歩きはじめる。過去の伐採された斜面は、今は広葉樹が生え、地面は枯葉で覆い隠されている。8時19分、登りは終わり江口山への登山口に着く。

林道6K地点、ここから左の尾根を登る
奇萊東稜053のプレートが付く尾根道
江口山への分岐点
荷物を分岐に置き、空身で江口山へ向かう。ちょっとした登り下りを経て、10分ほどで江口山山頂(標高2441m)に着く。周囲は樹木、展望はない。江口山は、日本時代の花蓮港廳第五代廳長であった江口良三郎にちなんで命名されている。地図上には、富田山という表記もあるが、ある研究によれば富田山はこの山ではなく、このあと歩く研海林道最後の地点にある標高1185mの山だという。江口山は、立霧溪を挟んで海鼠山などと対峙する。三年前に海鼠山を訪れたときに、そのキャンプ地から江口山を望んでいた。

江口山山頂のメンバー
分岐から下ってすぐ、右に猪股山を見る
往路を戻り小休憩後、9時13分研海林道の下部流籠頭へ下り始める。急峻な山岳に造られた研海林道は、麓からずっとつながっているのではなく、林道と林道の間の大きな落差をケーブルでつなぐ形になっている。先ほど歩いた林道上部は、その先ケーブルの中継点で終了している。下っている山道は、すぐに崖の脇を行く。手すりロープも取り付けられ、手入れがされている。谷を挟んで猪股山が高い。この山名も花蓮港廳第七代廳長猪股松之助から命名されている。太魯閣には、多くの日本統治時代に関係する山名の山が多い。


急坂の山腹道を下る
道は広葉樹の尾根道を急坂で下っていく。10時、尾根道から山腹道へ下る部分で休憩をとる。山腹をジグザグに下り高度を下げる。そのうち左へトラバース気味に下る。カヤが現れるが、しっかり刈られている。カヤが低い部分では、猪股山は、すでにかなり高くそびえている。直射日光で、ジリジリと日焼けを感じる。高度はすでに1700mほど、江口山分岐からすでに700m弱下ってきている。また広葉樹の森に入り、11時5分大石營地に着く。大きなオーバーハングの岩の下で休憩する。

カヤのトンネル
崖っぷちの道を下る
下部林道の流籠頭近く
谷は深い
最後の急坂を下り切り、11時30分過ぎ研海林道の下部流籠頭に着く。ここからまた3Kmほどの林道歩きだ。周囲の山々は雲をかぶってきている。こちらの林道もところどころ崩れている部分があるが、おおむねOKだ。12時、樹木のある部分で食事休憩をとる。20数分の休憩後、残り2kmほどの林道を行く。

前方の大岩壁に錐麓古道が横切る
岩が押し出された部分をトラバース
林道終点
12時58分、青いシートが残る獵寮を過ぎる。対岸の大きな岩壁に道が横切っている。錐麓古道と称される、日本時代に開削された合歡越警備道の一部だ。石が崩れ押し出さされた部分三か所を通り過ぎ、13時20分林道の終点に着く。風が少し強く吹き抜けていく。にわか雨の前兆だ。最後の下りの前に休憩をとる。

ロープの岩場を下る
道は緩やかになってくる
13時35分、最後の下りにとりかかる。標高差はまだ700数十メートルある。急な坂が続く。ロープの取り付けられた岩場もある。思っていたより道の状態は良い。ペースが特に遅くなることなく、下っていける。そのうちに勾配は緩くなり、山腹をトラバース気味に下る。14時20分、標高700mあたりで休憩をとる。森の中は蝉の音でいっぱいだ。風も吹き抜ける。石積みもあり、ここは以前原住民部落があったのかもしれない。残りは高度差300mぐらいだ。しばし、七日間を振り返り最後の自然を享受する。明日からは、また灼熱の都市生活だ。座った場所の向こうの樹幹に顔のような模様に気づく。

最後の休憩、蝉の声が鳴り響く
岩の涸れ沢を越す
最後の下りを行く。下るにつれ、谷間の中橫公路を行く車やバイクの音が聞こえるようになる。乾いた路面に雨粒が付き始める。どうやら一雨きそうだ。15時、涸沢に降り対岸へ少し登り返す。梯子の取り付けられた部分を通って高度を下げ、15時12分最後の吊橋を渡る。立霧溪の対岸に登山口になる岳王亭がある。この涼亭でしばし雨宿りをする。20分ほど休んだ後、シャトルサービスの車が待っている合流露營區駐車場へ向かう。15時40分、車に到着し、縦走が終了した。今日は約15kmの道のりを、休憩を含め11時間で歩いた。登坂は410mだが、下降は累計で2700mである。

吊橋を過ぎれば登山口だ
荷物を下ろし、露營區のシャワーで七日ぶりに体を洗う。シャトルサービス業者が準備してくれたビールは、飛び切りうまい。スイカも最高だ。16時半過ぎ、中橫公路を下り始め、途中新城で食事をとる。食事の時のビールのせいか疲れのためか、眠ってしまい、気づくとすでに宜蘭に来ている。連休で雪山隧道は混雑しているが、それでも23時には台北駅に帰り着いた。

@岳王亭


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キバナノコマツメ
過ぎてしまえば、アッという間の感じだ。自分の足で50数キロの道のりを、時にはあえぎながら登り、時には緊張して難所を通過、かき分けた藪はどれだけあるか。今にしてみれば、すべて夢のごとくだ。天気に恵まれ、頼りになる仲間と歩いたことは、事実だ。

早田香業草
台湾の高山縦走は、四年ほどになり、いわゆる百岳も3分の2を登ってきた。歳を重ねるにつけ、自分で重荷を担ぎ進む縦走が、いつまでできるかと思う。残る山域ルートも、簡単ではない。しかし、筆者にとってはチャレンジでもある。チャレンジのない人生はつまらない。

酒紅朱雀
若いメンバーは仕事があるので、連休を利用した登山で、特に海外旅行が制限されている今は、山を目指す人が多く、今回はキャンプ場での苦労があった。台湾の登山は、筆者過去10年の経験からすれば、だいぶ広く受け入れられるようになっている。願わくは、キャンプ場やトイレ整備など登山のインフラがさらに向上し、自然にとってもまた登山者にとってもよい環境が出現することだ。

海鼠山(ナマコ山)から見る江口山(左)と佐久間山の尖峰(右奥) 2017/03