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2024-04-16

2024年4月13日 萬里北八斗山 八斗山 丁火巧山 臨海の山を巡る

二つの三角点がある丁火巧山(中幅子山)
秋になると蟹の収穫で知られる新北市萬里區は、漁港を抱えると同時にその背後には陽明山系の末端になる丘陵地帯もある。その中で海に面した山のうち、今回は北八斗山、八斗山及び丁火巧山の三山を登った。数年前に、その奇岩で知られる野柳から北八斗山を登頂したことがある。野柳からの尾根道が整備された直後のことであった。

反時計回りに一巡り
当三山がある一帯は、実は大きな山塊でその上部はかなり広く平らで、それを利用したゴルフ場がある。そのゴルフ場の周辺にこの三山が山頂をもたげる。今回は、藍天隊が最近入り整備した玉田古道を経由して山に上がり、そこから三座を登った。下山は賴清德副總統(5/20以降は總統)の生家がある六坑へ下り、萬里橋頭へと歩いた。

@八斗山山頂
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翡翠灣バス停で下車、対面に玉田古道入口
今回は、玉田古道入口近くになる濱海公路上の翡翠灣バス停で集合である。筆者は、台北科技大學バス停で7時少し前にやってきた1815番バスに乗車する。台北から金山まで行くバスは、他に953番や1068番があるが、休日早朝には運行されていないので、これが唯一の選択だ。途中でほかのメンバーも乗車し、8時に翡翠灣バス停に到着した。集合時間8時半にまた二人が次の便でやってきて、都合12名となる。


バス停から北八斗山方向を見る
翡翠灣リゾート村ゲート
バス停の後ろ海岸側には、廃業して久しい翡翠灣リゾート村の寂れたゲートが残る。手前の濱海公路を渡り、橋脇の玉田古道入口から歩き始める。古道は沢沿いに進んでいく。前半はコンクリ舗装されている。歩くこと数分で土地公の前を通り、玉田12号の住所札が着く民家を過ぎる。そのうち舗装は切れ、ちょうど農夫が作業中の畑脇から森に入る。石段を登り、ひっこりまた舗装路にでる。最奥の民家で舗装は切れ、本来の土道になる。

沢沿いのコンクリ舗装道
古道脇の土地公

作業中の農夫の向こうに丁火巧山
ぬかるみが多い
数日来の雨で、道はぬかっている。沢沿いに進むと脇には古い土留壁が現れ、棚田跡であることがわかる。沢を左岸から右岸、また左岸と渡り、9時7分道脇にぽっかり空いた廃坑が口を開く。そのすぐ上にはかなり大きい廃屋遺跡がある。更に左岸を登っていく。9時18分、二番目の廃屋後に着く。ここもかなり広く整地され規模が大きい。
沢を渡り進む
廃坑道口
家屋跡
石敢當
沢沿いに前進
二番目の廃屋跡
二つ目の廃坑口
廃屋後から少し進むと、また右に廃坑が口を開く。右岸に渡り進む。沢は次第に開け、棚田跡が次々と出てくる。9時39分、三番目の廃屋跡が現れる。長くまた高く石を積んだ土留壁もあり、この古道はその昔、かなりの賑わいを見せたことが見て取れる。棚田の農業だけでは、これだけの家屋などを支えることはできないはずなので、今は廃棄された金鉱も関係しているのだろう。9時47分、北八斗山への分岐に着いた。標高は257m、登山口から1時間10分で250mほど高度を稼いだ。
棚田跡を進む
三つ目の廃屋跡
棚田の土留壁
北八斗山への分岐、対面を登る
北八斗山への道は尾根上を進む。この道は最近までほとんど歩かれていなかったようで、踏み跡はあるが状態は、特にとっかかりはあまり良くない。普通ロープが取り付けられているような急坂も樹木などを手掛かりによじ登る。尾根上は、起伏があるがそれほどでもない。つい最近刈られたような草木が目に付く。トゲトゲの黃藤は大部分刈られているが、まだ残る小枝が衣服に引っ掛かる。10時19分、樹木が切れて右海側が少し望める場所を過ぎる。更に20分ほどで、未舗装の道路にでた。

最近草が刈られた道
海が望める
山道終点
未舗装道路を登る
ここから先、北八斗山への道は以前歩いた。つづら折れの道をあがり、開けた場所から展望できる。出発点の翡翠灣や山腹の別荘住宅、そして左遠くには野柳半島が曇り空で水平線がわからない海へと延びている。後ほど向かう丁火巧山は、頭が雲の中だ。産業道路が終るとカヤ藪に入り、でてまた森の中を行く。一度下って登り返し、10時54分北八斗山山頂(標高246m)に着いた。

道路から望む
丁火巧山山頂は雲の中
北八斗山山頂
往路の稜線道を戻る
15分ほどの休憩後、往路を戻る。11時31分、稜線上の山道に入り進む。12時6分、最後の小ピーク前の開けた場所で食事休憩をとる。今日は曇り空で、気温はそれほどでもないが、やはり蒸し暑くかなり汗が流れる。ここは風が吹き抜けて気持ちがよい。
岩が露出した尾根
開けた場所で休憩
急坂を下る
半時間の休憩後、ピークを越えて最後の急坂を下る。足がかりが少なく、また滑りやすい赤土で厄介だ。もどった玉田古道を更に登っていく。谷はさらに開け、棚田跡もある。13時12分、古道の峠分岐に着く。右にまがり、広い保線路を進む。少し下った後、道は方向を換え登っていく。登り切った峠部分の左が八斗山への登山口だ。尾根上の道を行き、大きく方向を換えて一度下り、登り返すと山頂だ。標高360m、周囲は樹木で展望はない。

玉田古道峠分岐
峠分岐の道標
竹林を抜ける
八斗山への分岐
八斗山山頂
八斗山を下る
往路を戻り、14時5分、玉田古道分岐に着く。この部分の古道は、起伏があまりなく、山腹を進む。峠分岐から10分ほどで、左に道が分岐する。こちらをとり、登っていく。14時24分、送電鉄塔の下にでると、そこは翡翠高爾夫球(ゴルフ)場の端である。ゴルフ場の芝が左にあり、そこでしばし休憩する。まもなくカートでやってきた職員がここは私有地なので、芝生には入るな、という。ただ、他にも登山者がここを歩いているようで、周辺の道を横切ることをとめることはなかった。
あまり上下のない古道をを行く
ここの分岐で左に登る
ゴルフ場端の道、右前方は丁火巧山。この先右に入口
カヤ藪を突っ切る
丁火巧山の山腹を横切り進む道へ向かうが、手持ちの地図に従って探すもカヤが密集し道がわからない。ゴルフ場の道に戻り少し行くと、右に下っていく踏み跡がある。これをとって下り、地図上の道にでる。ここから山腹道が始まる。踏み跡は細いが、明瞭だ。15時2分、広くなった道の分岐がある。左に登り送電鉄塔の下の分岐に来る。ここから、丁火巧山山頂を目指す。

山腹トラバース道
分岐を左に登る
丁火巧山への分岐道しるべ
山頂へひたすら登る
すぐに急な坂を登る。その後も約100mの高度差を登り切り、15時20分山頂に着いた。二つの三角点基石がある、標高472mの丁火巧山山頂は今日の最高点であり、この山塊の最高点でもある。すぐわきには、有刺鉄線で囲まれた通信用ポールがたつ設備があり、そこから密生するカヤの向こうに遠景が広がる。歩いた北八斗山,八斗山、そしてゴルフ場の一部が眼下にある。野柳半島も見える。

@丁火巧山山頂
前方右に北八斗山
直下にゴルフ場、遠くに野柳
六坑へ下る
15時40分、下山を開始する。15分ほどで分岐に戻り、六坑へと下る。森の中の赤土道は滑りやすい。16時3分、右へ大湖古道を分け、木々が刈り取られた斜面を下る。送電線の直下なので、樹木が送電線に触れないようにするための対策だろう。開けた斜面からは、前方に三界山から始まる界寮縱走の稜線が続く。その左に基隆市と新北市との境界である峠を挟んで馬鎖山の山塊、そしてその遠く向こうに基隆の発電所煙突がうっすらと見える。再び森の入り、送電鉄塔の下で最後の休憩をとる。

樹木が刈られた斜面から望む、左に瑪鎖山,界寮縱走稜脊
背後は降りてきた丁火巧山
竹林の下り坂を過ぎて間もなく、民家が現れた。そのすぐ下にある地図で賴清德副總統の生家位置を確認し、向かう。ちょっと登り返し大きな樹木脇の家が現れた。総統選挙の際に対立する国民党から散々攻撃されたいわゆる「豪邸」は、普通の一般住宅と何ら変わりのない二階建ての家である。警備員などもいない。六坑は、その昔炭鉱があったところで、賴清德は坑夫の息子という。

賴清德副總統生家
萬里橋頭へ最後の歩き
下って左にとり、最後の1キロ余りを歩く。17時18分、萬里橋頭のバス停に着いた。休憩込みで、都合約8時間40分、16.5㎞の道のりであった。累計上昇約820m、コース定数は29である。当初の予想より少し時間を要した。三山とも標高自体は高くないが、けっこう登りがいがある。17時24分、やってきた953番バスで帰京した。