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2021-05-12

2021年5月9日 阿玉山 - 西阿玉山 台北と宜蘭境界の山々

露門山から望む阿玉山(中央)と西阿玉山(右)  2021年3月撮影

台湾北部の地図を広げると、新北市烏來の奥を行くと宜蘭になることがわかる。しかし、烏來から直接宜蘭に行く車道はない。したがって、距離感覚として烏來の隣が宜蘭であることをつかみにくい。このような交通ルートになっているのは、地形的な要素だけでなく歴史的な背景もあるのだと思う。烏來は、日本時代まではタイヤル族のテリトリーであり、そこに入ることは容易でなかった。清朝時代に作られた現在淡蘭古道と総称されている道は、烏來の北部を迂回してて台北と宜蘭を結んでいる。

阿玉山山頂のメンバー
台北と宜蘭の間には幾重の山がある。その最東で最も標高が高いのが、三貂角の岬から立ち上がる雪山山脈である。最北のあたりは雪山山脈尾稜と称され最近は多くの登山者が訪れる。今回登山対象も実は同じく雪山山脈一部である。去年訪れた大礁溪山や小礁溪山、今年3月に訪れた露門山は、阿玉山の前後に立つ山である。今年は、この山域を多く歩くつもりだ。阿玉山とその西の西阿玉山はこれから予定するこの山域歩きの先駆け的な山行である。

登山口から同じ道を往復登山
宜蘭の蘭陽平野から西に臨むと、その平野の端に長く山々が連なる。その山々の中で特に5座が蘭陽五名山として数えられている。北から鶯子嶺三角崙山烘爐地山大礁溪山そしてこの阿玉山である。このうち、阿玉山が未踏で残っていた。三角崙山はそのすぐ下の聖母山莊付近の山々がヤタケで覆われ、遠くから見ると緑の草原のようで、日本人登山者が抹茶山と称したそうだ。それが広まり、今まで登山経験もない遊楽客も訪れるという。そのため遭難などの事故も急増した。実は抹茶山は、ここだけではない。ヤタケやカヤの草原に囲まれた山は、ほかにもたくさんある。冬の東北季節風に晒される台湾北部の山々には、同様に灌木が育たず草原になっているところが多い。阿玉山は、玉という文字があるが、宝石の玉とは関係がない。山名の由来はタイヤル族のカヤを意味するアギョから来ている。日本時代にこの音に阿玉を当てただけだ。

赤丸は蘭陽武明山
阿玉山は、名山としての名声があるので登山者が多い。ところがそのすぐわきの西阿玉山はほとんど登る登山者のいない不人気山である。阿玉山は、ほとんど宜蘭側から日帰りで登る登山者で、往復に6,7時間要するのでその先まで足を延ばすことは少ない。この領域の山を集中的に登ることを考えているので、まずはこの西阿玉山へ往復し道の状謡などを確認するのが目的だ。歩いてみると、予想以上に大変だ。踏み跡はほとんどなく、マーカーリボンもあまり多くない。そんなことで1㎞とちょっとの距離だが往復に3時間を費やした。


台七丁線終点(0K)
今回は三台の車で6時半に台北を出発する。第5号高速はまだ交通量が少なく雪山隧道もスムースに通過、蘭陽平野が眼前に広がる。右側には鴻子山から南に続く山々が現れる。天気は予想より良く、ほっとする。員山のコンビニで止まり、必要なものを購入、台7丁公路を行く。道は谷間を登り雙連埤の高台に出る。7時55分、台7丁公路が福山植物園へと続く道路になる。谷が迫り、8時3分阿玉林道入口に着く。ここから歩きが始まる。
林道入口

文字が薄れた看板
林道入口には門があり、一般車両は進入できない。8時15分、15人のパーティーで出発する。林道の状態はとても良い。轍が少し深いところもあるが、四駆であれば全く問題ないだろう。実際、道には轍も残っている。谷間にそって進み、そのうち山腹を登っていく。9時、林道わきに文字がかすれて判読できない看板を見る。標高800mを超えると道は山腹をほぼ平らに進む。まだ太陽が照り、森からでると強い日差しがさす。道脇の樹木は高いので、遠くはあまり見えない。9時20分、林道上の登山口にくる。登山道の説明看板があり、山頂まで3㎞、ちょうど中ほどに休憩所と記している。

登山口
山頂まで 約 2.5K地点
9時40分、山道にとりつく。すぐにロープの急坂を登り、尾根にとりつく。登山口は標高約870m、山頂まで約550mの落差だ。20分ほど登ると雑木林が低くなり、草むらも現れる。そこから下方が望めるが、すこし霧が出てきたようだ。道は急坂と緩い坂が出てくる。少し下り、また登り返すところもある。10時20分、メンバーの二人がペースについていけないので、先に行ってくれという。二人とも経験豊富であり、複数なので残りのメンバーで進む。10時33分、山頂までほぼ半分の地点に来る。少し広い平らなな場所で、休憩をとる。標高は約1150mだ。

下方に雙連埤の台地が見える


カヤの間の道
休憩後、まだ続く坂を約20分ほど登ると、樹木がまばらになってくる。霧がでてきて、すでに遠景は望めない。カヤも多くなり、まさに阿玉の名前の由来がわかる。11時24分、右に大礁溪山方向への道を分ける。少しこの道に入り様子を見る。明らかにあまり歩かれていないようで、状態は良くない。左に山頂を目指す。樹木は更に少なくって来る。最後にカヤ草原の中の急坂を登り12時11分、古いコンクリ廃屋が建つ阿玉山山頂(標高1420m)に着く。二人の登山者が廃屋前で食事をしている。林道入口に位車が一台止めてあったが、この登山者の車という。休憩を含み登山口から2時間半であった。


山頂に到着
鞍部へ下る
霧の中の山頂で昼食休憩をとる。メンバーのうちの四名は、西阿玉山へは行かずに、先に林道入口へ降り待つという。残り11名で12時半に西阿玉山へ向かう。カヤに囲まれた山頂から下る道がよくわからない。そのうち小屋の隅のところから踏み跡があるようなので、強引に藪漕ぎをして進む。日本時代の登山記録では、藪漕ぎは登山訓練の第一歩だとあるが、まさに不人気山では、藪漕ぎは避けられない。カヤからでると、苔が敷き詰める雑木林を下る。道筋は所々はっきりせず、探す。

ほとんど踏み跡のない道を行く

鞍部直前に対面の尾根が見える
イノシシの踏み跡
西阿玉山との間は、一度下り登り返すが、高度差は7,80mぐらいで大きくない。直線距離も1㎞と少しで遠くない。しかし、倒木やカヤにふさがれた場所もあり、また枝尾根が分かれるところもある。方向を確認しながら道を探し進む。藪の場所では、野イチゴなどの棘が多く、引っ掛かる。最低鞍部を通り、上りが始まる。窪みの間を行く。イノシシのまだ新しい足跡やフンが道に残る。ここは登山道というよりは獣道だ。14時8分、木々に囲まれた西阿玉山山頂(標高1459m)に着く。1時間半ほどの時間を要した。メンバーが持ってきた冷たい飲み物がありがたい。今日は、霧が濃いが風もあまりなく、気温が高くて汗が止まらない。

西阿玉山山頂
16年前の福山植物園を記した道しるべ
復路は多くのマーカーリボンで助かる
西阿玉山からは福山植物編へ下る道と、露門山へと続く尾根道を分けるが、ともに道の状態は良くない。14時35分、往路を阿玉山へと戻る。往路で多くのマーカーリボンを取り付けてきたので、帰りは道探しで苦労が少なくてすむ。それでも同じ道でも方向が違うと、また別の景色なので、注意が必要だ。15時過ぎに最低鞍部を通過、登り返していく。道はカヤなど避けるために、おおむね稜線の左(北)側を進む。最後のカヤ藪漕ぎを過ぎ、15時35分阿玉山に戻る。

最低鞍部を過ぎる
最後の藪漕ぎ
阿玉山山頂から草原を下る
時間もすでに早くなく、小休憩のあと下山を始める。霧は相変わら濃く、遠望はない。ただ、ここからは道筋ははっきりし、草むら部分は迷いよけロープがずっと走っている。しかし、遭難事故は発生している。三年前の5月には、経験のある登山隊リーダーが下山時に道に迷い行方不明になった。宜蘭側に降りるはずが、その後烏來側の阿玉溪で死体で発見された。どうして道に迷ったのか、不思議だ。15時58分、大礁溪山への分岐を通過する。さらに下る。途中のちょっとした登り返しが厄介だ。16時24分、往路に休んだ休憩地点を通過する。さらに下り17時6分、林道の登山口に到着。少し休憩をとる。


道しるべのある登山道


新しい轍の残る林道を急ぐ
この時期は、日暮れがだいぶ遅くなっている。それでも18時半は暗くなるので、約4㎞の道を急ぐ。平らな場所を過ぎると、下りが続く。18時小沢が林道を横切る場所で長靴を洗い、その先すぐに林道入口に着く。霧が深かったが、雨に降られずに助かった。着替えなどを済ませ、18時半前には暗くなり始めた中、帰途に就く。途中員山の食事処で食事をとり、ほとんど渋滞なく10時少しすぐに台北に帰りついた。

林道入口についた

距離は17.1km,累計上升1285m, 休憩込みで約10時間,コース定数は37となる。そこそこ体力を要した山行だ。今回の西阿玉山で分かったように、この山域は歩く登山者も少なく道が良くない。昭和初期のころには、烏來では樟脳生産が行われ、かなり奥まで入っていた。そうした道をたどり、タイヤル族の狩猟道などを歩いていた。そと比べても、林道が廃棄され久しくがけ崩れなどが多く、ひょっとすると当時との苦労の差はあまりないのかもしれない。


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