このブログを検索:山名などキーワードを入れてください

2011-10-30

10月29日 坪林 獅公髻尾山から九芎坑山経由雙青公路へ


坪林はお茶の産地である。宜蘭への北宜高速道路が数年前に開通し、観光に力をいれているが、休日には無料の坪林周辺の観光スポットへバスがでている。今回は、これを利用し獅公髻尾山へ登り、その後稜線を九芎坑山へ下り、双青公路106号線まで歩いた。

獅公雞尾山は皇帝殿山の南東に位置する
南寺山から出発、北へ歩く(クリックで拡大)
台北のすぐ近郊の山から歩き始め、奥へ奥へと登山対象を広げてきたが、その流れで今回は坪林の山を選んだ。1ヶ月前の皇帝殿山から南に高速道路が見えていたが、その高速道路が長いトンネルで貫いている山並を東にいけば、この獅公髻尾山へ連なる。皇帝殿山に登ったときは、稜線あたりはガスのなかで見えなかったが。

坪林から南山寺への無料バス
坪林は、思っていたより近い。朝7時半の923番バスで新店から高速道路経由で行った。40分で坪林についた。自宅からは、乗換え待ち時間を入れて1時間半である。坪林ツーリストセンター(旅遊服務中心)バス停に下りると、南山寺行きの新北市観光無料バスが停まっていた。坪林区役所のWebサイトバス時刻表だと8時発だが、923番バスの到着を待っていたのだろう。ほとんど待ち時間無しで出発である。このバスは休日だけの運行なので、もし平日に登山となると、かなりの距離を歩かなければならない。

南山寺前を行く自転車競技選手、和尚さんも見守る
南方向の景色
坪林を出発したバスは、獅公髻尾山の麓を登り始める。この道は平渓に続く道であるが、本格的な自転車ライダーを何人も追い越していく。茶畑脇のかなり急なのぼりを登っていき、8時半には南山寺に着いた。ここで多くの自転車ライダーのわけがわかった。今日は坪林と平渓の間で自転車レースが開催されていたのである。南山寺は全競技コースのほぼ中間の位置になるが、補給所が設けられていた。ここからもう少し登ると峠になり(ちょうど獅公髻尾山への道が分岐するあたり)、その後はずっと下っていく。お寺の和尚さんも次々と前を通り過ぎる選手に応援の声を掛けていた。

獅公雞尾山への分岐
お寺の脇で準備した後、ライダーの行く舗装路を歩き始める。南山寺は標高558mだから、840mの獅公髻尾山頂上へは300m弱の登りである。舗装路を歩いていると、何台も自転車が登っていく。つらそうにがんばるライダー、前の自転車を追い越していくライダーなど、さまざまだ。台湾の自転車活動も非常に盛んだ。約1kmほど歩くと、南山寺が遠く見えるあたりに、獅公髻尾山への舗装路が分岐する。ここからは、自転車ライダーは来ないので、一人での歩きとなる。実際、下って九芎坑に出るまで、休日であるにもかかわらず誰とも会わなかった。

登山道からの茶畑
 この舗装路は、あまり車も通らないのだろう、路面に苔が生えているところもある。登っていくと右に石を埋め込んだコンクリート道があり、表示は獅公髻尾山登山歩道駐車場となっている。これを登っていくと、駐車場があり、一台車が停まっていたが人は誰もいない。ここからが登山道である。小石を敷き詰めた歩道の左右はしっかり草が刈ってある。はじめは少し日差しもあったが、登っていくとガスがかかってきた。今日は展望が望めないのか。頂上へはわけなく着いた、時間は9時20分である。南山寺から40分である。頂上も草がしっかり刈ってある。真ん中へんには木製のあずま屋もある。説明板によると、台北方向は101ビルや陽明山も見えるようだが、すべて霧の中。反対側も霧だが、登りの途中では見えていたところもある。長居をしても仕方がないので、そこそこに下り始める。これからは、基本的にずっと下り道である。この山は火燒寮山など全部で4つ名前があるそうで、傑士嶺と記している石碑も建っている。


獅公髻尾山山頂

リボンが頼りの山道
登山道はグレードがぐっと下がる。ここからは地方自治体の整備はほとんどないのだろう、標識もない。登山クラブの残したリボンや方向表示が唯一の頼りである。下草が行く先を妨げるように生い茂っている。さっき頂上でスパッツをつけておいてよかった。濡れた草でたちまち足回りは濡れる。途中南勢坑古道への分岐をすぎ、20分で伏獅山と九芎坑山とへの分岐についた。天気がよければ展望のある伏獅山を経由していくことを考えていたが、この天気では早く下ったほうがよいだろう。伏獅山は次の機会に譲って、九芎坑山への道をとる。

九芎坑山の頂上
結構急な下り坂を行く。それまでと同じような、草が多い道だが、しばらく行くと下草は少なくなってきた。天気は相変わらずガスっており、樹木のなかでは道は薄暗い。足音に驚いた鳥が飛びたったほかは、自分歩く音と風の音以外はない。幸いに雨にはならなかった。ところどころに結び付けられている登山クラブのリボンで確認し、道をくだっていくと右に大坪産業道路へくだる分岐が現れた。ここから少し登り返すと、10時半に九芎坑山の頂上についた。獅公髻尾山からちょうど1時間である。ここは木々に囲まれているので、展望はない。周囲は霧はなく、木々の間から隣の稜線も見える。登山クラブの標識はあちこちに取り付けられており、ちょっとやりすぎの感もある。ガサッと音がするので、そちらを見ると黒い犬が一匹いた。そのうち見えなくなった。

九芎坑山の下り道に咲く花
立ち木につけられたクラブの標識では、九芎坑へは急な下りの道と、ゆるい下りの道の2つがあるようだが、左のゆるい下り坂を下ることにする。とはいっても、ところどころかなりの急な部分もある。20分ほど下り、沢の音が左に聞こえるようになると、南勢坑古道と合流した。この分岐からさらに下ると、沢の水をためた地元用水源の大きなコンクリート製水槽の脇に出た。そこからは、わずかで登山口についた。ここで写真を撮っていると、先ほど九芎坑山で見た黒犬が降りてきた。あとを着いてきたのだろう。よく見るとこのオスの黒犬は右の後ろ足がない。おそらく事故か何かで切断されてしまったのだろう。3本だけの足なのに器用に山道を降りてきたものである。時間は11時を少し回ったところだが、今日はまだ一度も休憩していないので、ここで食事をとる。

黒犬と背後の獅公雞尾山
ザックをまとめ歩き始めると、黒犬は道案内をかってでたかのように、先を歩き始めた。舗装路を下っていくと、谷の奥に獅公髻尾山が見えた。山腹は見えるが、頂上は霧の中だ。なぜかほっとした。道は谷沿いを下っていくが、途中から舗装が切れ、土の道になる。黒犬は見えなくなったかと思うと、待っていたかのようにまた現れる。下り始めて約15分で、玉桂嶺二号橋につき、ここからは舗装路がまた始まる。黒犬はここまで来るといなくなってしまった。

106号線を行く1076番バスは1時間半に1本の運行である。時間は11時40分、次の便が藤寮坑バス停を通過するのは12時半ごろだから、急げば間に合うはずだ。足を速めて谷沿いの道を行く。集落を過ぎ、東勢格や平渓へと続く道と合流すると、交通量が増えた。大型トラックも通っていく。この道を3,4キロいくと106号線に出た。時間は12時5分。スパッツをはずすと、蛭が一匹スパッツについていた。スパッツとズボンの上からはさすがに血は吸えないので、小さいサイズのままだがよく着いていたものである。1076番バスは12時半過ぎにやってきた。平渓近在の住人で町へ行く人が多いのだろう、バスは結構混んでいた。
藤寮坑バス停

今回の登山は、出発点の標高が結構高かったので、ほぼ下りが主体のルートであった。そのため、かなり早く終点に着いた。歩行距離は約10キロ、時間は3時間半である。次回、この山に登るときは逆のコースを獅公髻尾山を経て行ってみるのもよいだろう。

歩行高度プロファイル

2011-10-29

番外編 10月21日 日本東京奥多摩之山 鷹之巢山登山記 - 鷹ノ巣山から石尾根縦走

また日本に帰る機会があったので、7月の丹沢塔ノ岳と同じに、これまた40年ぶりに奥多摩の鷹ノ巣山を登った。奥多摩の山々は、学校のクラブ活動のホームグランドでもあったので、しばしば訪れた場所である。緩やかな尾根、緑に苔むした谷など、丹沢とは異なり奥が深い感じがする。標高が1000mを越えるぐらいから黄色や紅の葉が現れ、山道は秋の色づきが始まっていた。

丹沢の塔ノ岳と同じく、この番外編は台湾の登山者の参考用として、中国語で記載します。

-------------------------------------------------------------------------------------------------------
落葉地毯
奧多摩山區位於東京的西部
說到東京,通常聯想到的是高樓大廈、高科技產品、最新流行等等現代大都市的模樣,但它確實也有大自然的高山。東京都的西邊是山丘地形,越往西走越高,擁有標高2000m級的山塊。其最高峰為雲取山(2017m),被列為日本百岳名山之一。從此座峰往東南方延伸著很長的山稜,其名為石屋根(屋根=山稜)。此次我爬的鷹之巢山就是位於此石屋根的正中間位置。其高度有1736m,就像丹澤山地的塔之岳一樣,是個很熱門的登山對象。自禿頭的山頂,在天氣好的時候,可眺望富士山、南阿爾卑斯山脈、丹澤山地等廣闊的山景。

鷹之巢山位於石屋根山稜上(Click圖上即可放大)

 我在日本的幾天當中,前一半天氣很好,但等到我做完工作有空閒時間去爬山之時,天氣已轉變。爬山的當天早上在登山口時天氣還好,但爬了一半可惜起霧,到了山頂周圍都是一片白白的霧,都看不到山景。不過山上的樹葉已開始變色,尤其是超過標高1000m的山林點綴著紅色和黃色的樹葉,格外漂亮。步道上的厚厚落葉,就像很鮮豔的地毯似的。霧中的樹林山路也給我好像走在幻境的感覺。

奧多摩站和巴士
 此次的登山路線是,先在JR青梅線電車終點奧多摩站轉乘往日原鐘乳洞的西東京巴士,在中日原站下車後,經稻村岩步道,爬到鷹之巢山山頂。從山頂往西下坡走去,就有一間避難小屋。附近有幾張野餐桌椅,在此用餐後,一直走石根屋縱走步道至奧多摩站為止。日本的秋天晝間時間一天比一比變短,我下山到了奧多摩站後沒多久天開始黑了。

從我日本家到奧多摩站需要兩小時,而且往日原鐘乳洞巴士在八點十分鐘開車,因此我還沒天亮前出門。在奧多摩站下車出來外頭,看到大門公告板警告山上有熊會出現,提醒登山客要小心,最好身上帶著出聲音的東西如小鈴等走山路。聽說有個登山達人,在山上的他家附近跑步時,不幸碰上一隻大熊,結果被打傷得很嚴重。
中日原登山口

今天是周五,我本以為沒有其他登山客,竟然連我共五個登山客上了巴士。其中一個登山客也跟我一樣在中日原站下了車。車站旁有個古老的水井,應該這社區的住戶使用的。準備好後八點四十分開始走。走了車道一下就看到登山口看板,在溪谷對面豎立著稻村岩的巨石,從它的背後往上延伸著鷹之巢山的支稜。步道先往溪底走下去,過溪橋後開始又陡又長的稻村岩鷹之巢山步道。此條步道是奧多摩三大最陡峭山路之一。

柳杉美林
步道在柳杉人工林中延上去。走了林中十幾分鐘,出現很多大石散亂的小溪谷。過了細小溪水兩次後,山路離開溪谷以Z型登上山壁去。再爬了大約半小時,到了稻村岩岔路,從此可爬去稻村岩頂部回來,但今天路程較長,繼續往鷹之巢山爬去。此部份山路是沿著陡峭的鷹之巢山支稜而上去,有部份很陡,有部份稍為緩,但都沒有水平的路段。兩個人總比單獨走安全,我跟另一個登山客(K小姐)不約而定似的開始一起爬上去。

往鷹之巢山的步道

從稻村岩岔路爬了大約一小時,路旁的廣葉樹上漸漸出現黃色和紅色的葉子。路上也一樣有黃、紅色落葉。透過樹林間看遠處發現山間有起霧了。爬越高周邊的霧變越濃,但還好沒有下雨,只希望下山前繼續如此,不要變成雨天。再走了二十分鐘山路突然間變平了,我們到了ヒルメシクイノタワ(吃午餐小平地之意)。此地名顯然說明古人也很吃力爬山路至此,肚子餓了而在此吃飯。我們雖然有點累,但不在此休息而前往,因山頂已經不遠了。再走了半小時,時間為十一點半,從中日原登山口出發花了三小時到了山頂了。

步道上的落葉
山頂上果然沒有遠景可望,四周都是白白的霧。如果天氣好,這裡是很好的觀景台,但既然如此,我們不逗留而往鞍部的避難小屋下去。改建過的避難小屋旁邊設有桌椅可坐,在此吃午餐休息。剛才爬山時一身都流汗,但坐下來吃東西,慢慢的發覺山上的低氣溫,應該是十度左右吧。K小姐有瓦斯爐,開水煮咖啡給我喝。在這種環境,喝熱飲料給你力氣的。離我們大約一百米的林間突然出現一隻鹿。牠都不怕我們,有時抬頭望著這裡。

濃霧中的鷹之巢山山頂
避難小屋附近
林中出現的鹿
休息了四十分,時間快為一點鐘,我們該走了。K小姐是前往雲取山,我是往相反方向的奧多摩站,從此各走各的路去。從避難小屋有兩條路可走,一條為剛才下來的往鷹之巢山山頂的路,另一條為繞過山頂的水平路。既然上頂也沒有風景可看,我取了右邊的繞路去。

山頂繞路
石屋根的山稜很寬闊,而且有防火帶的空地,走起來很輕鬆愉快,只可惜沒有太陽陪著我。雖然剩下的路程基本都是下坡路,但還有13km的距離,太陽下山前只有四小時,還不可放鬆的。有部分路是較陡,可以快速下降高度。走一小時半,來了往六石山山頂的岔路,已消化了一半的路程。我單獨走著霧中山林路,有時走樹少的明亮路,有時穿過陰暗的杉樹林,變化無窮讓我覺得很快樂。

石屋根縱走路
很寬的山稜

杉樹林中的山路
羽黑三田神社
再走了一小時,高度也降到了標高900m左右,周圍的霧漸漸的消失,可看到對面的山塊。三點四十分我到了石屋根縱走路的入口。從此走車道,就算天黑了也較放心。走到奧多摩站前,還有三,四處有捷徑山路段可走。經過高大杉樹林下的羽黑三田神社,四點半終於回到奧多摩站了。上了電車起回家路後沒多久,天漸漸黑了。


我這次走了大約20km,移動時間為七小時。雖然我沒有碰上讓我回憶起四十年前走過的特定地點,但整個山景的確讓我回憶奧多摩山塊的特色。奧多摩的山是又深奧又溫柔的。

2011-10-15

10月14日 薯榔尖 - 菁桐古道 展望台の山と古色の山道

平渓の山は、九月半ばに登った五分山の後二度目となる。五分山から平渓の谷に沿って西の方角を見ると、姜子頭山から延びる尾根の先端に、飛び出ているピークがあった。それが今回訪れた薯榔尖である。独立のピークであり、展望が非常によい山頂だ。この谷間に汐止と菁桐とを結ぶ菁桐古道が通っている。この道は、汐止と菁桐との間の物資を輸送する道であった。今回はまず薯榔尖を登ったあと、一旦谷に下り、その後菁桐古道をまた登って、山の反対側汐止側に下るルートを行った。

今回のルートは五分山、皇帝殿山、四分尾山の近く
南の菁桐から汐止へ歩く
一坑口からの薯榔尖
今週は、天気がすっきりしない。天気も下り坂という予報だが、朝はまだ雲の切れ目から太陽も顔をだす。木柵から106号線を経由して平渓行きの1076番バスに乗るべく、MRTで木柵駅に行く。ちょうど前の便が出たところのようで、20数分待ち木柵7時15分発のバスに乗る。バスは石碇の谷あいから登り分水嶺の峠を越えて平渓の谷に入る。平日は平渓までいく乗客は多くないのだろう、八時過ぎに菁桐の一坑口バス停に着いたときは、車中はほかに途中から乗車した一人乗客がいるだけであった。

薯榔尖の登山口

炭鉱の空気穴?
一坑口は、もと炭鉱の町菁桐の初期発展期の坑道口があったところだそうだ。古い住宅が並び、昔の繁栄をしのばせる。ただ、観光の町として発展している台鉄菁桐駅周辺に比べると、取り残された感じだ。長屋も人が住んでいないところもあり、少し荒れている。川沿いの道を行くと、右上にはこれから上る薯榔尖がそびえている。均整のとれた三角形のこの山は、平渓富士とも言うそうだが、富士山にしては頂上が少し尖りすぎている感じだ。

急な登り道
案内板から川沿いの石畳の道を少しいくと、右に土の急な山道が登っていく。これが薯榔尖登山道である。案内板には旧道という記述であるが、下りに通った反対側の二坑口からの石階段の登山道にくらべると、ずっと自然に近い。やせた尾根道を行くと、石で作られた構造物の上をまたぐ。これにはいくつも穴が開いているが、空気坑か何か廃棄された炭鉱に関係するものだろう。途中、すこし平らな場所を通過するが、急なほぼ登り一方の登山道だ。ところどころに補助ロープもある。前日に降った大雨のためだろう、普段より水量の多い沢の音が次第に聞こえなくなり、梢の切れ目から見える谷向こうの山並みの高さが下がってくる。左に薯榔尖から延びる尾根が近づいてくると、草のあいだから国旗が見えた。頂上についた、時間は9時10分、バス停から歩き始めて1時間だ。

五分山とその先の九份の山、手前のとんがりピークは石筍尖
皇帝殿山
頂上から一坑口の街を見る
標高622mの頂上は果たして絶好の展望台であった。天気は薄曇りだが、360度すべて見渡せる。汐止の大尖山もそうであったが、ここも国旗を毎日掲揚しているようだ。東には五分山やそのあとに訪れた九份の山が見える。尖っているのは半平山か、その隣の高いピークは燦光寮山だろう。東方向を見ると、皇帝殿山の小ピークがいくつもならぶ山並、その右には二格山とその前の筆架山がある。台北101ビルと台北市内も南港山の右に見える。目を北側に向ければ、四分尾山の右に陽明山の山塊とその前に五指山がある。石筍尖も眼下にとがったピークで自己主張している。
頂上の三角点、背後は陽明山

石段の下り
頂上からは北に尾根を伝って、後に通過する汐平公道の福興宮へ行く道もあるが、今日の目的は菁桐古道を歩くことなので、先に下る。下りは、石段の整備された登山道である。先の登り道は急で、なおかつ雨で濡れていたのに比べると、こちらは気楽だ。25分で下りきり、菁桐古道と合流する。もともと石筍尖へ立ち寄ることも考えたが、天気も心配なので次の機会に譲ることにしよう。石段の山道を登り始める。途中沢を立派なコンクリート製の橋で越え、沢の右をいく。分岐から20分足らずで、三坑山山道と菁桐古道の分岐につく。ここには、昔炭鉱稼動時代に作られた輸送用トンネルである魔神仔洞がある。廃棄されたこのトンネルは、中はぬかるみで、周囲の薄暗い森のなかでは、その名のとおり確かに何か出てきそうな雰囲気だ。

魔神仔洞
魔神仔洞からは道は、俄然ひなびた感じに変わる。倒木などもあり、標識も少ない。道の両脇は草が少ないので、人の手は入っているが。五分山から下った十分古道に比べると、同等かそれよりも整備度が低い。それはそれで、古色十分で悪いわけではない。沢音も小さくなり、山腹を登る。魔神仔洞から30分で古道の最高点に着いた。ここには3.0kmの標識がある。梢のきれめから平渓の山々が見える。反対側は、最近整備されたのだろう、新しいロープの手すりや木製階段が造られている。ここから汐止区役所の管轄なのだろうか、それまでの整備度とは落差が大きい。少し下ると、三坑山へといく道との分岐に出る。魔神仔洞からはこの道を経由してここまで来ることもできる。

倒木もある菁桐古道
分岐から少し行くと、肉板峠につく。巨岩にはさまれた場所である。「肉板」という名前の由来がわからないが、「峠」は明らかに日本統治時代からのものである。峠という文字自体が、日本独自のもので中国語にはない。ここには、昔関所があり往来を管理していたということだ。峠という言葉が、そのまま残っていることは、地名として珍しい。


肉板峠
菁桐古道の入口
幅員が広くなった道を汐平公道へむかう。11時20分、薯榔尖を下りきった菁桐古道との合流点から1時間15分で汐平公道の峠部分である福興宮の菁桐古道入口に着いた。このあたりは、石のテーブルやいすがあるちょっとした公園の趣だ。ただ、草に埋もれているのでほとんど使われていないのだろう。ここから姜子頭山や耳空亀山を経て四分尾山への道が通じている。薯榔尖から尾根を伝い耳空亀山登山道に合流してここへ来ることも可能だ。時間はまだ昼前だが、後は下るだけなので休憩して昼食をとる。


汐止への道
菁桐古道の汐止側は、汐平公道をわずかに行った左側から始まる。菁桐側とはまったく性格が異なり、舗装された開放的な道である。事情を知らなければこの道が古道であるとは見えないだろう。下っていくと民家や畑などが現れる。仁愛橋までの行程半分ぐらいのところに明治四十四年九月建立とある開路紀念碑が立っている。この道ができて中華民国と同じに100年ということになる。大きな岩の上にあるので、近づくためにはすこし回り込む必要がある。

開路記念碑
舗装はされているものの、もともと古道なので勾配は急だ。汐平公路がかなり遠回りをして高度を下げていくのに比べると、直線的に下っていく。12時半に仁愛橋に着いた。下ること45分である。ここには、汐止区役所の無料社区バスが来ている。ただ、次の便は1時半なので、まだ時間が早い。何もないここではやることもない。雲間から太陽が出てきたので野ざらしで待つのはつらい。汐平公路を下ることにした。幸いにして交通量は少ないので、車道を歩くのも気楽だ。東山国小前を通り過ぎさらに下る。汐平路1段ぐらいところで、社区バスがきたので乗車した。汐止駅まで乗車し、そこから668番のバスに乗換え、台北に帰った。天気は果たして崩れて、台北につくころにはかなりの大雨となっていた。

歩行距離は汐平公路の歩きも入れて11.5km、時間は5時間10分である。今回は2度登りを行ったので、距離の割りに登攀高度は770mとそこそこある。前の日が大雨であったので、空気中のちりなどを洗い落とし透明度が増したのだろう、今回は遠くまでの眺めを得ることができた。毎回のことだが、登るたびに過去自分の登った山々が判別できるようになり、それはそれでまた楽しいものである。

薯榔尖.菁桐古道高度プロファイル

2011-10-12

10月11日 銀河洞越嶺步道から指南茶路步道を歩く


茶の木の花

10月に入ると天気がよくない日が続き、結局1週間以上山には行かなかった。今日は秋晴れではないが、薄曇で雨の心配はなさそうだ。前から考えていた台北市の指南茶路親山歩道を歩くことにした。台北市の南にあるこの一帯は、猫空ロープウェイなどがあり、台北の著名な観光スポットでもあるが、稜線を越えた反対側の銀河洞歩道側は、そのにぎやかさはない純朴な感じのルートである。行政単位としては、台北市と新北市をまたいでおり、山道の整備度は差がある。台北市側は石の立派な道、新北市側は、ひなびた昔ながらの道、というところか。

台北の南にある指南茶路親山歩道
中生橋から歩き始め北に抜けた(図の出発ポイントはエラー)
 今日は早起きしたこともあり、6時半に自宅を出発した。MRTで新店駅へ行き、そこでバスに乗換え銀河洞登山口へ向かう。新店から北宜公路を行き銀河洞バス停を通るバスは緑12番があるが、本数が多くない。そこでやってきた緑5番のバスで終点の中生橋頭まで行った。時間は720分。ここから銀河洞バス停までは、数百メートルぐらいであるし、たいしたことはない。北宜公路は10年以上前はよく車で通過したが、歩くのははじめてだ。その後宜蘭へは高速道路が開通したこともあり、この北宜公路の交通量は、それほど多くない感じだ。時間もまだ7時半で早いこともあるだろう。

北宜公路上の銀河路入口
 北宜公路がヘアピンカーブを描くその付け根から、銀河路がはじまる。野良犬が3匹いるが、おとなしい。川に沿った銀河路は次第に勾配がきつくなってくるが、かなり奥まで集落がある。約20分で銀河洞越嶺步道の入口に着いた。ここからは山道である。谷あいの石段の道は、苔むしているが、手すりがしっかり作られているので安全だ。上から農具を担いだ農夫が降りてくる。ひと仕事を終えたのだろう。

銀河洞歩道入口
登ること10分ぐらいで、銀河洞についた。落差340メートルぐらいだろうか、滝がかかっている。水量はそう多いわけではないが、絹糸のような水がたえず落ち、汐止の大尖山を登ったあとたずねた秀峰瀑布よりは立派だ。滝の裏側は空洞で、その周りにお寺が築かれている。この銀河洞は民国元年に発見されたそうで、ちょうど100年前のことである。階段をあがって、お寺を参拝する。線香がともされている。自分以外にだれもいないが、朝だれかが焼香したのだろう。滝の裏を登っていく道を行くと、奥に呂仙祖が祭られている。ここも線香がともされている。

銀河洞
滝の脇から眺めると、今しがた歩いてきた銀河路が足元にみえる。その先には北宜公路にそって大崎脚まであたりに建てられている高層住宅がある。目を遠くに向ければ、土城の天上山の山並みや、塗潭山の山腹に開発された華城など住宅郡などがみえる。それにしても、かなり高いところまで住宅開発されているものである。

上からみる銀河洞
銀河洞から、また石段の道を登りきると緩やかになり、枕木を敷いた細い川沿いの道になる。せせらぎをまたぐコンクリート橋のたもとで、四面頭山へいく川沿いの細い山道とわかれ、稜線への道になる。この辺には、小さいが畑も作られている。枕木の道が続くが、それほど勾配はきつくない。茶畑がみえると、稜線上の樟湖歩道と合流した。時間は910分、銀河洞から30分ぐらいの登りであった。

滝の脇から遠くを眺める
銀河洞歩道から見る鵝角格山
樟湖歩道は石畳の立派な道である。この道を右にとり、鵝角格山へ往復する。石畳の道をすこし行くと、標識が鵝角格山と猫空ロープウェイの分岐を示している。鵝角格山へは、右の山道である。細い道だが、踏まれているので迷うことはない。ただ、あまり整備はされていないので、雨水が流れ、溝のようになっていたりする。途中山腹を登っていく道があるが、これは茶畑への道である。山腹をまいたあと、ロープ補助がある急なのぼりとなる。

時刻は940分、分岐から登ること20分、朝歩き始めてから2時間20分で三角点のある鵝角格山(標高475m)についた。今日の行程の最高点である。ここは北側に向かって開けている。ちょうど、猫空やそのさき台北の全貌、さらに陽明山や八里の観音山が一望できる。今回は、この眺めを目的にしていたが、高曇りの空のもとそれがかなった。突出した台北101ビルや新光超高層ビルは目立つが、それ以外にも台北は本当にビル建築が多い。人口密度が高いゆえんだ。目をこらすと、南港山の鉄塔や拇指山頂上の巨石などがわかる。この角度からみる陽明山は、西側の面天山から大屯山、小観音山、七星山、磺嘴山が並び、その全容が見える。もちろんロープウェイや指南宮なども見える。

鵝角格山から見る台北、左奥は観音山、右の山は陽明山の一部(面天山)

木柵、101ビルと背後の陽明山
鵝角格山をさらに行けば二格山まで通じる縦走路となるが、今日は今来た道を下り、待老坑山へ向かう。先ほどの分岐から先は、すべてよい道だ。右や左に下がっていく道の分岐を3箇所過ぎ、約20分少しで待老坑山(標高382m)についた。山頂は三角点があるが、視界はまったくきかない。ベンチがつくられているので、休憩し食事をとる。時間は10時半である。




優人神鼓
時間もまだ早いので、頂上のすぐしたの分岐から右に下り、優人神鼓に行ってみる。木製階段を下り、10分足らずで着いた。広場には木製の大きな舞台ができているが、犬が一匹いるだけである。こちらの近づく気配を感じたあと、ずっと吼えていたが、近づくと怖がっているのだろう、かげに隠れてしまった。さきほど、待老坑山への登りで優人神鼓へと示されている分岐があり、おそらくそれだろうと思われる山腹をまく道があったが、今降りた道を登り返す。

待老坑山からは、鵝角格山からやってきた道を戻り、指南路三段34巷を示している分岐で分かれた。これからは、基本下りのみである。小石を敷き詰めたところや、枕木の道を過ぎると、石畳の道になる。茶畑の脇にでると、視界が開けた。鵝角格山に比べれば高度は低いが、同じく台北の街や陽明山などが見える。茶畑の茶の木は白い花をつけている。茶の木はこんな花を咲かせるのか、と気付かされた。鵝角格山から二格山までの山並み、また猴山岳の山並みも目前だ。

歩道脇の茶畑、台北もよく見える

樟山寺からの眺め
石畳の親山歩道は民家の軒先で終わり、少し舗装路を下ると、また別の歩道が始まる。これを下りきると、指南路に合流する。バス停の先に樟山寺へ続く道がある。これを行くと、樟山寺に着いた。時間は12時少し前、下ること40分だ。樟山寺は山の斜面に境内が造られているので、眺めがすこぶるよい。足元には3号高速道路も通っている。

政大への道、指南国小分岐


さらに歩道を下る。途中指南小学校への分岐をすぎ、高速道路のトンネル上をこえていくと、政治大学の管轄地に入る。下りきると、大学内の環山二道の登山道入口だ。ここからはこの舗装路を下ってもよいが、道の反対側に山道が続いている。これを行くことにした。ちょっとした小山を越えると、頂上公園がある。この公園の端からは2つ道があるようだが、行健路と書かれている道をくだることにした。これは、道というより急な階段である。落差は相当あるようで、下端は見えない。下りはよいが、登るとしたらかなり骨だろう。だから行健路か。
行健路の急な階段道

下りきると、そこは大学キャンパスの端である。行きかう学生とは、すこし風貌の違う人間であるが、キャンパスを通り抜け政大の正門まで歩き、そこから帰りのバスに乗った。時刻は1時少しまえであった。

今回のルートは、合計11キロ、時間は5時間半(含休憩)である。高低差は約420mであり、それほどでもない。親山歩道でもあるので、鵝角格山往復を除いては、よい道で気楽なルートでもある。説明看板には、自分の歩いたのと同じルート(鵝角格山を除いて)が表示さている。それには健脚向けとはなっていが。