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2022-05-30

2022年5月29日 新竹縣麥樹仁山 - 巴卡山縱走 やぶ蚊と暑さに閉口した山行

舊砲台山の竹林と100年前の專賣局石柱
台湾の梅雨は日本より早く5月に訪れる。年によっては空梅雨もあるが、今年は平年並みなのだろう。そして集中豪雨もある。四日間連続でかなりの雨が降った。一部は大雨のため、山崩れなども起きている。その四日の雨が止み、やっと訪れた晴天下での山行であった。雨が止んで一日を経たが、水をたっぷり含んだ土は滑りやすかった。また、気温が高くなり山中では、無数のやぶ蚊に悩まされた。虫よけはほとんど効果がないような状態だ。


台湾の武漢肺炎(コロナ)の感染確認数は4月から急増し、今月は10万を少し切るぐらいの水準まで達した。その後下がり気味だが高水準で推移している。今はちょうど一番高い時期で、これを過ぎれば収束に向かうという予想もある。いずれにしても、身近な知り合いに感染確認もあり、登山活動もそれなりに影響を受けている。政府としては、警戒レベルを上げていないので、登山活動に対する公式な制限はないが、民間では自主的な対応もある。筆者も、この状況においては、公開参加募集をせずに少数の旧知メンバーだけで、尚且つ公共交通を使わずに往復するという活動をしている。

舊砲台山にて
今回の目的地は、11日前に訪れた場所と同じ新竹縣尖石鄉の山である。一昨年訪れた外鳥嘴山から馬督武山を越え南西に12余キロ伸びる山脈の山峰が対象だ。この山脈は、漢口溪にそって長く南北に伸びる山脈と、那結山で合わさる。標高1350mの外鳥嘴山が最高峰で、山脈末端の街內灣に向かって高度を下げていく。末端の山は麥樹仁山(758m)である。この麥樹仁山から、すこしづつ全体の高度を上げ、舊砲台山(725m) 、加那桃山(760m)、帽盒山(837) そして巴卡山 (775m)まで歩いた。その先にある六畜山(826m)も本来の予定にしていたが、やぶ蚊と暑さに閉口し、その前で下山した。四日間の雨では20度台だった気温が晴れて30度を超え、急に訪れた暑さには参った。

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關西鎮の街はずれから望む本日縦走の峰々
6時半、車二台で台北を出発する。各車4人づつ、都合8名である。しばらくの雨の後の休日、南下する自家用車はそこそこ多い。台三高速道路から周辺の山はくっきりと見える。7時15分、關西インターチェンジでおり、街をぬける。そこからは、前方に今日の予定の山脈が正面に連なっている。その背後にはさらに高い山々も見える。7時40分、內灣老街末端のコンビニ前で一時停車する。內灣は、ここ数年間奥地にある山々を訪れる際に、何度も訪れている。內灣の脇を流れる油羅溪の谷は、本来原住民の領域であったが、日本時代の理蕃政策で隘勇線が推し進められ、原住民を管理し本格的な発展が始まった。林業や鉱業で成り立った街は、そうした産業が去った後は不遇をかこったが、20年ほど前から観光の街として復活している。

人造林を過ぎると白石湖山はすぐだ
白石湖山山頂
今日の予定は、まず先に內灣の後山とでもいうべき白石湖山を訪れ、その後麥樹仁山の登山口から縦走を始めるというものである。東窩坪山ともよばれる白石湖山は、麥樹仁山から西に下る枝尾根の先にある山だ。東窩平産業道路がこの二つの山の間の峠を越えていく。8時少し前に峠に車で登りつめ、車を置いて山頂へ向かう。1㎞ぐらいの幅広い土の道は、四駆車であれば通行可能だ。ほぼ平らな道を進むこと約15分、途中まだ若い人造林を抜けると右上に畑がある。生姜畑の道を少し登り、森に入ると三角点のある白石湖山山頂(標高555m)だ。

対面の麥樹仁山を望む
登山口
山頂は樹木に囲まれ展望はないが、そのわきの畑から対面に後で登る麥樹仁山がそびえている。往路を戻り、車二台で下山場所へ向かう。今日のルートはA地点からB地点への縦走なので、一台は下山場所にデポし、下山後その車で麥樹仁山登山口に置く車を取りに行くためだ。残り5名は東窩平産業道路を歩いて登山口へ向かう。車を下山口に置き、9時半前に登山口に戻る。

急坂を登る
緩やかな部分を行く
土地公という表示がある登山口は、古いセメントのステップが取り付けられている。本来は古道であったものが、現在の舗装路に拡張されここから本来の道なのだろう。これから歩く部分は、兩份八古道と地図に記されている。道は急坂で高度を上げ、左の沢沿いに進む。石段もあり、古道の風情だ。道が緩やかになり、9時56分竹林に入り、土地公と記された道しるべを見る。沢を渡り対岸の坂を登る。最近倒れたのか、竹が折り重なり道を塞ぐ。三名のパーティとすれ違う。上がってすぐ左に土地公を見る。祭壇には供え物があり、今でも参拝されているようだ。

土地公の祭壇
古道へ戻る
倒木が道を塞ぐ
稜線上の分岐
古道に戻り、さらに進む。道はまた勾配がきつくなる。新しい倒木が道を塞ぐ。10時22分、尾根上に上がる。尾根を右に行けば麥樹仁山南峰だ。左にとる。山頂へは二つ道がある。我々は右の道を行く。すぐ右からの道を合わせる。ロープのかかる急坂を登り、10時33分、竹に囲まれた麥樹仁山山頂が現れる。左から先ほどの別の道が合わさる。山名麥樹仁の由来は、当座の南にあった原住民部落マクシュジンに日本語読みの漢字をあてたことから来ているようだ。

ロープの急坂
麥樹仁山山頂
竹林の縦走路
歩みを止めると、やぶ蚊が集まってくる。やぶ蚊を追い払うように、山頂をさる。すぐにまた別の基石と山名板がある。山頂は二か所ということか。この山脈は、竹林が実に多い。すぐに竹林に入る。足元には倒れた竹など、障害物が多い。道筋は、そこそこはっきりしている。雑木林、杉人造林そしてまた竹林と、植生がどんどん変わる。長い下り気味の道が終わり、左に東窩平產道への道を分岐すると、登り返す。11時10分、道が緩やかになり平らな竹林の中の舊砲台山に着く。

森の中の倒木


大正13年の石柱
広い山頂の一角には大正13年と記された当時の專賣局の石柱がある。別面には第三三號樟林地界と記されている。樟脳生産が盛んだった頃の名残である。当座の山名舊砲台山は、ここに隘勇線の砲台があったことを示しているのだろう。樟脳開発のための山地への管理拡大が行われ、当時この山脈の東側油羅溪の谷間の原住民族部落をにらんだ砲台の設置だったと推測される。クスノキはすでにほとんど伐採されたので、今ではほとんどない。かろうじて一本大きなクスノキを縦走中に見かけた。

広い舊砲台山山頂
加那桃山山頂
休みを取っていると、先ほど追い越した三名のパーティがやってくる。我々は次に向けて歩き始める。急坂を下り、鞍部からまたそこそこの急坂を登りかえす。10時46分、加那桃山に着く。ここも竹林に囲まれた狭い山頂である。次の山頂、帽盒山との間は、それほど大きな上下はないが、距離がある。道はすぐに狭い尾根上を行く。尾根の左側は切り立った崖だ。岩の目立つ箇所を過ぎ、12時過ぎ風が吹き抜ける場所で食事休憩をとる。

左(西)側が切れ落ちた稜線を進む
梢の間から西側の丘陵を垣間見る
風が吹くが、その合間をぬってやぶ蚊がまた襲ってくる。袖カバーと袖口の隙間など、皮膚があらわな場所をめがけて次つぎとやぶ蚊が止まる。ひっきりなしにやぶ蚊を叩くが、何せ数が多い。長い雨と高温で、やぶ蚊が発生する好都合な条件になったためだろう。もともと登山者が少ないルートであり、また野生動物もそれほど多くないのだろう、我々はよいカモである。

稜線右側の谷間とその向こうの山々
竹林に聳えるクスノキ大木
12時半、食事を終え歩き始める。数分で道は森から出て、右に広い農作開発地が広がる。視野が開けて油羅溪の谷間と、その向こうに雲をかぶった內鳥嘴山から李棟山、そして今月半ばに登った煤源山、さらに谷を挟んだ対岸の尖った尖石山が視界に入る。道はまた森の中に入る。雑木林、竹林とひっきりなしに入れ替わる。雑木林は倒木があるもののまだましで、竹林は倒れた竹が多くて閉口する。13時6分、まだ細い杉の人工林を抜け、13時20分帽盒山への急坂の前で小休憩をとる。ここもやぶ蚊が一斉にやってくる。

竹林
杉林
厄介な竹林の道

帽盒山山頂
落差100mほどだが急坂が続く。暑さもだいぶこたえてきた。雲が出てきたのか、森の中はかなり暗い。坂が緩くなり13時46分、ひょっこりと明るい帽盒山山頂が現れる。標高837mの山頂は今日の行程中の最高点だ。帽盒とは帽子を入れる箱のこと、当座は稜線上ひょこ尖っていて富士山型なので、この名前なのかと思う。休みもそこそこさらに進む。まもなく右に道を分け、下っていく。登り返し雑木林からまた厄介な竹林を過ぎ、14時23分、帽盒四姊妹という札が取り付けられた四本の幹が分かれる樹木のある平らな場所で休憩する。ここでもやぶ蚊に悩まされる。

まだまだ続く竹林
帽盒四姊妹樹で休憩、メンバーはやぶ蚊対策網を取り出してかぶる
巴卡山山頂
最後の登り
少し下ると、巴卡山に着く。ここは山頂ではなく基石があるので山としての認定だが、先いほど休んだ場所のが高くこちらが山頂というべきだろう。この山は、原住民言語から来ているのだと思うが、その発音はバカになる。日本語ではさしずめバカ山である。この山脈の山名は特徴がある。道は登り返し、また竹林を過ぎる。15時、竹林から抜け分岐が現れる。この先の縦走を諦め、ここから下山することを提案すると全員即座に合意した。みんなやぶ蚊や暑さで閉口していたようだ。この道は山の開発のために開かれた道で幅も広い。草の茂る道を5分ほど下ると、よい道に出る。開発され周囲は開けている。風も吹き、休憩をとる。休んでいると、後続三名パーティも降りてきた。彼らも同じような遭遇だったのだろう。

ここから稜線を右に離れる
最後の休憩ポイント、稜線は霧がかかってきた
先ほど歩いた稜線が高い
六畜山をへて下る道と、この道は下方で合流する。予定のルートより2,3㎞ほど少なくなるが、一応大部分は歩いたので良しとしよう。見上げると稜線は雲の中だ。雨は降る可能性はないが、ピーカンの晴れに比べたらずっと良い。休憩後15時32分、土の道を下っていく。20分ほどで薰衣草森林ガーデンの駐車場に出て、さらに舗装路を下る。16時、朝車を停めていた場所に到着する。着替えを済ませ、メンバーが持ってきたスイカやビールをいただく。運転者のメンバーは、もう一台の車を取りに行き、戻ってきた二台の車で17時に台北へと帰還した。

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歩行距離約13㎞、休憩込み活動時間7時間15分、登り711m、下り722mであった。コース定数は  25である。ルートとしては普通の数字だが、やぶ蚊や急に暑くなった天候など、その意味で大変だった。別の季節に訪れれば、まったく別の印象だろうが。


2022-05-20

2022年5月18日 新竹縣尖石鄉那羅山-煤源山 梅雨の合間の山歩き

下り道でみる那羅山から 1200峰への稜線、手前にキャベツ畑
5月18日から5日間の予定で中央山脈の中央尖山の登山の予定があった。ところが梅雨の訪れで大雨が予想され、中央尖溪の沢沿いを行くこのルートは大変になる可能性もあるので、中止した。長期の縦走中に雨に遭うのは避けられないが、沢の水が増水してしまうと帰るに帰れない。そんなことで、別の機会に行くことにしたわけだ。

南の那羅村出発点から時計回りに回遊
ルートの相対位置
本来予定期間のうちに天気回復もあり、梅雨の合間の天気を利用して日帰りの登山を行った。台湾は先月から、オミクロンによる感染例が急増し、知り合いの中にも感染者がでるなど、今までに比べてはるかに身近になっている。台湾はワクチン接種率が高まり重症化する確率は低いというが、それでも感染しないことに越したことはない。そんなことで、公共共通機関を避け、少数人数で車で往復した。場所は、昨年訪れた李棟山や大混山の近くである。さらに奥の山々に行くときに通り過ぎる竹60号県道上にある部落那羅からその背後の那羅山から稜線を煤源山へと縦走するものである。車一台なので、出発点へ戻る回遊型にする必要がある。今回のルートは、山道を登り舗装路を下るというものである。

煤源山にて

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高速道路から見る大霸尖山とその前衛の山々
那羅部落から見る魯壁山

台北を6時半に出発、一路第三高速で関西インターチェンジへと向かう。朝早いので下り線は空いている。7時10分を回り大溪を過ぎるあたりで左に桃園の山並みが見える。尖った那結山や大柄の南插天山などが並んでいる。数日続いた雨で、空気中の塵が洗い流され透明度が高い。龍潭高原インターチェンジ付近にくると、正面に前衛の山の奥に大霸尖の独特の山頂が現れる。その左右には小霸尖山や東霸尖山へとギザギザのスカイラインが続く。前衛の山は、以前歩いている島田山錦屏山,霞山などの山のようだ。

犬が吠える烏米の家の前を進む

7時20分、関西インターチェンジで降りる。関西の街をぬけ台3線から內灣へと向かう。今まで何度も通っているので、おなじみだ。尖石鄉に入り、油羅溪を渡って竹60号県道を進む。狭い那羅溪峡谷を過ぎると、前方に山並みが連なる。青空に尖って目立つピークは魯壁山だ。まだオープン間もないファミリーマートを見てすぐに、那羅部落に到着、部落内に入り8時、那羅76號民家脇に車を駐車する。台北から1時間半であった。土地の人は親切で、車を停めても構わないという。この場の標高は約610mだ。

マーカーの後ろから登山道を登る
桂竹林の急坂を登る

8時10分、支度を済ませ歩き始める。舗装された道を登りはじめ、烏米の家の入口前を進み、8時17分登山口(標高660m)に着く。1157mの那羅山まで約500mの標高差だ。登山口から桂竹林の中をいきなり急坂が続く。道筋ははっきりしている。等高線が立て込むこの坂は、ほとんど平らな場所がない。途中心もち少し緩やかなセクションがあるのみだ。一部切れところがあるが、約20分ほど竹林の急坂をひたすら登り、雑木林に入る。ロープが架かる急坂を登り、8時51分やっと現れた平らなスポットで休憩をとる。

ロープの架かる岩場
少し緩やかになったかと思うと、またすぐに急登である。振り返ると梢の向こうの山がだいぶ低くなっている。9時18分、ロープの架かる岩場が現れる。ちょうど上から二人パーティが降りてきてすれ違う。さらに岩場を過ぎて9時35分、那羅山山頂に到着する。拉洛山とも称される三等三角点のある山頂は狭く、周囲は木々で展望はない。山名は、ともに原住民言語の山名を中国語にあてたものだ。約1時間半のきつい登りだった。

那羅山山頂
山頂にて
稜線には岩が目立つ
9時53分、標高1300mの煤源山への稜線を歩き始める。標高差はそれ程大きくない。途中の上下も一部あるが、大きいものでも100mほどの落差だ。先ほどの那羅山の登りに比べれば楽だ。尾根上には大きな岩が目立つ。道筋もはっきりしている。桃園鐮刀隊というボランティアが前年に道整備をしたという。黄色い根節蘭の花が群生して咲いている。道脇に大きな穴がぽっかり開いている。

根節蘭
道脇の大穴
最低鞍部を過ぎ、道は登り始める。クスノキの大木がある。一世紀前の樟脳生産が盛んだっ頃、このようなクスノキ大木がたくさん原生していたのだと思う。杉の人造林に入り間もなく10時18分、1200峰につく。杉に囲まれていて、ここも展望はない。道が東側に分岐して下る。そのまま下り、密生した竹林に入る。こうした竹林は、踏み跡やマーカーなどがないと迷いやすい。尾根は幅が広がり、道は尾根の西側を進む。陽が当たらないので、薄暗い感じだ。そのうち道は登りはじめ、10時53分少し平らになったところで休みを取る。

クスノキ大木
杉人造林を行く
1200峰
竹林を抜ける
急坂を登る
急坂を登り、11時15分1200峰と記されている道しるべを見る。特に際立ったものもない、林間の平らなスポットだ。しばらく緩やかな道を行き、煤源山への最後の登りにとりかかる。きつくなった坂を登ること約数分、左へ比麟山への道を分岐、その先すぐに右へ山腹巻き道を分ける。坂が緩くなり11時40分、樹木に囲まれそこそこ広い山頂が現れる。三角点の脇に焚火あともある。食事休憩をとる。

比麟山への分岐道しるべ
煤源山山頂
起伏の少ない尾根を進む
12時過ぎ、凌空廊道方向から登山者がやってくる。先ほど那羅山ですれ違った二人が、車で凌空廊道へ向かい、そこからやってきたという。12時12分、山を下り始める。すぐに右から巻き道を合わせ、稜線を追っていく。それほど上下はない。思ったよりも距離がある。12時30分、ひょっこり幅のある土道にでる。ここは樹木の苗床のようで、日当たりもよい。前面に展望が広がる。残念なことに、対面の內鳥嘴山や李棟山は、雲をかぶっている。內鳥嘴山は、昨年二度訪れたが、急峻な斜面に囲まれ実に勇壮だ。広い道はすぐに終わり、また森の中の道を行く。坂が終わり、竹林を抜けて間もなく、12時49分凌空廊道に着く。

雲に隠れる內鳥嘴山から李棟山への尾根
凌空廊道に着く
大混山登山口、背後に雲に隠れた山頂
凌空廊道は峠でもある。あずま屋周りには数名の遊楽客がいる。車が数台停めてある。あずま屋で10数分休憩をとり、那羅へ約6㎞の長い舗装路歩きを始める。下ること3,4分で左に大混山への登山口を見る。昨年大混山から下ってきた。普段は、舗装路歩きはつまらなく感じるが、右に先ほど歩いたばかりの那羅山-煤源山の山並みが見えると、そうでもない。変わりゆく対面の山並みや、下りにつれて現れるキャベツ畑や民家など、それはそれで変化があって面白い。平日で交通量も少ない。

谷の対面に那羅山、谷間に那羅部落
下るにつれ周囲の山が高くなる

谷間の民家
0.5K地点の橋を渡る
部落近くから来た方向を望む
那羅村の教会、原住民は信者が多い
道端に現れる0.5㎞ごとのキロポストの数字が次第に少なくなっていくとともに、周囲の山が高くなっていく。14時5分、道脇の水で長靴を洗い、その先すぐに1K標識を見る。14時12分、0.5標識のある橋を渡り、その先間もなく右に分岐する道をとる。橋を渡り那羅村の集落へと進む。歩くこと約10分、教会の上を行き集落に入る。錦屏小学校の前を進み、分岐を右に登る。14時30分、我々の車を見る。これで歩きは終わりだ。

出発点に戻った
地元の子供たち
休憩を含んで6時間20分である。登坂累計834m、11㎞で、コース定数は24だ。那羅山の登りはきついが、それ以外はそこそこで楽しいハイキングである。公共交通手段ではアクセスが大変だが、お勧めのルートである。本来タイヤル族のこの地は、今でも原住民人口が多いようだ。