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2017-04-24

2017年4月23日 金山竹里山-竹子山北峰 天候に恵まれた山行

金山から登山口へ向かう途中での見る竹子山(左)と右に飛び出ている竹里山
金山は、台北市内から見ると陽明山の山を越えた向こう側にある遠い場所だ。公共交通機関で行くにはちょっと遠い。陽明山系は過去数年かなりの回数訪れているが、金山から上る陽明山系の山々は昨年秋初めて訪れた。未踏部分を登るためだ。その後今年二月に訪れ、今回は三度目となる。海側に面し、冬の東北季節風をまともに受けるこの山稜は、樹木はすくなく矢竹がびっしりと生える。昨年夏ごろから藍天隊ボランティアの道整備が行われ、状態のよい今に、まだ歩いていないこの地のルートや山頂を訪れることにした。

竹子山北峰上のメンバー
今回のルートは、竹里山に直接登り阿里磅瀑布の上部沢の源流部分を通過、そこから竹子山北峰(正確には北北峰)に登るものだ。竹子山は、軍事施設で頂上付近はオフリミットになっている。登山者がいけるのは、頂上から北に少し下がったところにある、大型電波反射板のある北峰までだ。しかし、展望に関して言えば頂上と何ら変わらない、雄大な海と山の景色がそこに広がる。Taipei Hiker Clubに活動予定を公開したところ、多くの山仲間が参加し、自家用車での参加もあったので、移動上とてもとても助かった。前夜まで降り続いた雨は止み、好天のもととてもよい山歩きができた。

登山口から反時計回りに回遊
左のピークが竹里山、右が竹子山
竹子山は、陽明山系の最北端
倒照湖47號民宅前で出発前のメンバー
一部マイカーで向かうメンバーをのぞき、羅斯福路台湾電力本社ビル(台電大樓)前の1068番バス停に集合、7時20分にやってきた始発バスで台北を出発する。8時25分、金山区公所(区役所)に到着、そこで車でやってきたメンバーに合流する。ここから登山口へは、もともとタクシーで向かうつもりであったが、12名はメンバーの車に分乗できるので分乗して倒照湖47号民家のある登山口へ向かう。9時に到着、車を泊め支度をする。多くの登山者が車で訪れて、民家の住民は登山者には閉口しているようで、明らかに不親切だ。

太い水パイプが平行する保甲路を行く
ここは竹子(山)古道の入口でもあるが、今日のルートは47号民家脇に入り直接竹里山へ北東支稜を登る登山口へ向かう。9時10分過ぎ、歩き始める。民家脇の石段を登り、右に竹里橋への道を分け、太い水パイプが走る道を進む。もともとは保甲路であったようで、歩かれている程度は低いものの、しっかりした道だ。ほぼ平らな道を約20分ほど進むと阿里磅溪が現れる。

阿里磅溪を渡る
道標と踏み跡が見つかった
マーカーリボンを探すがなかなかない。方向を見定めて沢を渡る。今日はメンバー全員が長靴なので渡渉は問題ない。枝にふさがれ歩きにくい場所を過ぎると、古いマーカーリボンがある。そちらをしばらく進む。古い補助ロープもある。しかし、道は沢沿いに進むようで、どうやらこちらは阿里磅瀑布へ登る沢道のようだ。そこで引き返し、沢の下流方向へ、道を探る。事前にネットで見ていた記事の写真と同じ場所を見つける。すぐに藍天隊の道標も現れ、行くべき道が確認できた。9時54分、20分ほど道探しに時間を費やした。この道を通る登山者は、明らかに少ないようだ。

沢沿いに進む
急坂を登る、展望の現れる
先ほど踏み跡が不明瞭な部分は、もともとの保甲路が崩れてしまったようで、沢沿いにしばらく下っていくと、道の様子がはっきりする。左の小高いところに有應公の祠が見えるてまもなく、10時9分、竹里山への登山口が現れる。数分の休憩後、山道を登り始める。すぐに勾配がきつくなる。去年夏に草が刈られた道は、部分的には草に埋もれた場所もあるが、おおむねまだ状態はよい。ただ、あまり歩かれていなようすで、このままだとひと夏過ぎれば、またかなり状態は悪くなるだろう。

開けた場所で休憩
更に急坂を登る
20分ほど急坂を登ってくると、背後に展望が開ける。遠く金山の市街やその向こうに野柳も見える。稜線上に上がると勾配が緩くなる。幅の広い尾根上の森の道を進み、10時53分開けた場所で休憩をとる。休憩後再び緩い勾配の道を10分ほど進む。また勾配がきつくなる。山腹の急坂を10分ほど登り、また稜線上に上る。樹木はまばらで、遠くも見える。11時32分、阿里磅瀑布からの道と合流する。今年二月はこの道を登ってきた。

主稜線を竹里山へ
@竹里山(Yさん撮影)
全員が分岐まで登ってきたあと、主稜線を竹里山へ向けて登る。左に午後に行く竹子山も見え始める。11時48分、竹里山頂上(標高785m)につく。前回と同じ風景だが、見通しは良い。写真を写した後、下り始める。すぐに青山瀑布、尖山湖方面への分岐に来る。二月と同じに左にとり進む。矢竹の向こう真正面に竹子山が見え始め、12時7分鞍部の分岐に来る。ここは左にとり、阿里磅溪の源流へ下っていく。

前方に竹子山、山腹は一面の矢竹
小沢を下る
矢竹の間の道は、そのうち岩がゴロゴロする涸沢になり、水が流れるようになる。沢の両側は密生した矢竹で、このようなルートが唯一歩ける道だ。12時20分、下方に開けた岩盤の沢が見える。阿里磅溪の源流だ。両側が矢竹のU字型の沢は、水が結構豊富に流れている。沢幅が広いので、水深は深くない。沢を渡って食事に適した場所を探すが、対岸は風が強いのでまた渡り戻り、下ってきた小沢の脇で食事休憩をとる。

阿里磅溪の源流に降り立つ
食事後沢を進む
沢を遡っていく
小滝を高巻く
滑滝を進む
一番上に古墓の道標
12時52分、出発する。ところどころ沢底から離れるが、基本は沢を遡る道だ。ちょっとした滝つぼのある小滝、滑滝など次々と趣の違う沢の様子が出現する。陽明山系では、ちょっと珍しい特徴のある沢道だ。登ること十数分、左から枝沢を合わせる部分で沢から離れ、左側の山腹に取り付く。急坂を数分登る。道は左に曲がるが、道標では直進すると古墓があるそうだ。このような場所の墓は、どのような人がここに暮らし埋葬されたのか、思いが行く。竹子古道とのつながりはあるのか。

矢竹の向こうに竹子山の反射板が見える






山腹を少し行き、稜線に上がる。左に下っていく道は、阿里磅瀑布へと続く。右に稜線上の道を進む。矢竹の間の道は、去年10月に整理された道だ。森の間を進んだり矢竹の間を進み、最後に少しくだると13時37分分岐に着く。左は竹子古道だ。稜線上の道をとり、竹子山へ向かう。遠くから見えていた矢竹にびっしり覆われた部分だ。

急坂を登るにつれ展望が広がる
電波反射板に着く
一人分の幅に刈られた高い矢竹の間を進む。この辺りは、小観音山の矢竹の道を行くような感じだ。道はしばらく緩い坂だが、十数分進むとがぜん勾配が強くなる。刈り取られた矢竹を踏むと滑る。筆者もこれで転んだ。勾配がきつい分、つらいが高度を稼ぐのも速い。振り返れば、広大な景色が広がる。左に軍事基地レーダーが見えると電波反射板につく。14時12分、分岐から30数分の登りだ。

反射板からの展望(北方向)
反射板からの展望(東方向)
竹里山やその下の源流の谷間を望む
竹子山の山頂ではないが、標高1000mをちょっと超える反射板の周囲はさえぎるものがなく、特に海側に面しているのでとても広い範囲の展望ができる。左下には、午前中に登った竹里山やその直下に阿里磅溪源流の谷間が望める。さらにそこから歩いてきた尾根筋もわかる。遠くには富貴角の灯台や老梅海岸がある。目を東に移せば、遠く基隆山や瑞芳九份の山並み、海には基隆嶼が望める。手前は野柳や金山、足元には陽金公路,その上は磺嘴山から石梯嶺への山並み、そして擎天崗も見えている。今日は風はちょっと強いが天気がよく、ラッキーだ。

反射板上方から望む
岩のごろごろする涸沢を下る
休憩後、反射板の背後を少し登り軍事施設の柵まで行く。高度は少し上がるが、景色はほぼ同じだ。14時45分、登ってきた急坂を下り始める。土の道は滑りやすい。両側の矢竹をつかみ、慎重に下っていく。15時9分、分岐へ戻る。右に折れ、竹子古道を下る。10分ほど下ると、道は岩のごろごろした涸沢になる。岩を15分ほど下り、右に山腹の道を進む。15時39分、左に道を分岐する。左は先ほど通った阿里磅溪源流への道につながる。更に下り左にもう一つ分岐を分ける。この道は阿里磅瀑布への近道だ。

土地公の分岐部
石段を下る
二番目の分岐から少し下ると沢音が聞こえ始める。15時53分、沢を渡り左岸を進む。さらに数分で福德土地公の分岐へつく。この祠は常に焼香されているようだ。しばし休憩をとる。10分ほどの休憩後登山口へ下る。この部分は、今日歩くルート上一番状態の良い道だ。昨年10月は、この道を登ってきた。分岐の土地公もまた現れる石段も、この道が古道である証左だが、竹子古道は、果たしてどこへつながる道なのか。訪れなかったものの先ほどの古墓といい、この辺りは以前どのように人々が暮らし、道を歩いていたのか興味がわく。16時44分、古道入口に下ってくる。さらに民家前に進み、メンバーの車に分乗して帰途についた。

道端で見かけた蘭科の大花羊耳蒜




歩行距離約8㎞、休憩込みの活動時間約8時間だ。累計で880mほどの高度を登っている。天候がよく、実に広大な範囲の展望ができた。今回の登山で、陽明山の主要な場所の山はほぼカバーした。もちろんまだピークとしては後尖山や七股山などが未踏だが、いずれ訪れることもあるだろう。ボランティアの整理後の今は、道の状態はまだよい。クラス3と言える。体力的にもクラス3だ。もし、これら矢竹の密生する山に登るのであれば、事前に状態を確認したうえで登ることを勧める。時間がたてばたつほど、状態は悪くなるからだ。

2017-04-13

2017年4月2日 中國河南省雲台山茱萸峰 中華文明発祥地の山

雲台山風景区入口
中国は広大な国土の国である。西にはインドやネパールとの国境に世界最高峰群を有する一方、漢人の文明発祥地中原の周辺にもずっと標高は低いが山々を有する。黄河の下流にある河南省は、史記によれば中国文明の始祖とされる黄帝(姬軒轅)がこの地で国を興したところである。日本では一般的に4000年と言われる中国文化は、中国では5000年とされる。姬軒轅は紀元前27世紀に存在した夏王朝の始祖だが、この辺は神話の世界でもある。訪れた時期は、中国の墓参りを行う清明節の前後になり、中国政府要人が黄帝の故郷にある廟を訪れ参拝する。中華文明のもと、中国人民の意識統一のためである。特に、現代の中国共産党にとっては、愛国心を高揚するために必要なようだ。

重陽閣から遠望する茱萸峰
河南省は、北部に中国第二の河川黄河が東西に流れる。主な範囲は黄河の南になるので、河南省の名前である。面積約17万㎢、日本の約45%だが人口は一億人を超えている。比較的平らな土地であるので、これだけの人口を抱えられる。河南省の北側には山西省が隣接する。この二つの省の間には太行山系が仕切っている。今訪れた雲台山はこの山地の南に位置する。去年訪れた黄山のように、切り立った岩壁が目立つ山で、山腹が森林に覆われた日本や台湾の山とは、印象がだいぶ異なる。雲台山は、その全域が風景区で管理され、入場料を支払い入場する。

登山口から反時計回りに回遊
歩行高度プロファイル:右のピークが茱萸峰
今回も、中国への団体観光旅行の一部としての登山である。雲台山へは二日の訪問で、第一日は紅石峽と潭瀑峽の渓谷を歩き、二日目の4月2日に雲台山の最高峰茱萸峰(標高1302m)へ登頂した。登山口は、バスの終点にある900数十メートルの場所で、高低差もそれほど多くない。もちろん、麓から上がってくる道があるようだが、一般観光客には解放されていないような感じだ。中国も、清明節の連休で地元観光客が多く、山道には多くの人が歩いていた。

洛陽や鄭州、開封の北部にある雲台山、中央を黄河が流れる
河南省の位置と雲台山の位置
前日訪れた紅石峽
8時半、宿泊の焦作市のホテルからバスで、雲台山景区入口に向かう。昨日の入場券は二日有効なので、そのまま提示し入る。中国の観光地の入場料は安くない。この入場券は210元、日本円で約3400円である。今日から始まった連休で、大勢の地元観光客が入場券を求める長い行列ができている。9時半ここで景区専用バスに乗り換え、更に10時に馬鞍石水庫(ダム)脇のバス乗り換え場で茱萸峰、ガラス桟道へのバスに乗り換える。

切り立った岩壁を登っていく
登山口に停まる区内専用バス、茱萸峰が望める
バスは、昨日潭瀑峽へ向かった時に通った馬鞍石水庫脇を行く道から右に別れ、急な坂を上っていく。上部はほとんど切り立った崖である。車はジグザグに高度を上げていき、壁の中に開けられたトンネルをくぐり高度を上げる。トンネル内で180度方向転回をしていく。かなりの難工事だったということだ。トンネルをくぐる十数分の登りが終わると、高度は相当上がり、谷はかなり下に見える。今日は天候がよくラッキーだ。上部に茱萸峰が見えてくるとまもなく終点である。10時35分、登山口に到着する。

左奥に茱萸峰、よい道を行く遊楽客
登山道から西方向を望む
道脇の中華陶器の始祖寧封子の墓石
登山口では、入場券を提示し中に入る。階段を上る。すぐに左に茱萸峰への道が分かれる。10時50分、我々は右にガラス桟道のある鳳凰岭へ向かう。道は石畳の道で、少し登り下りがある山腹沿いの道を進む。路上の遊楽客は多い。葉がすべて落ちている落葉樹の林は、とても明るい。東京郊外の山を行くような感じだ。振り返れば玄帝宮をいただいた茱萸峰が青い空にそびえている。20分ほどで稜線を茱萸峰へ行く道との分岐を過ぎる。11時18分、少しの登りを行き、鞍部を越える。ここから鳳凰岭の方向へ下っていく。四階建ての塔、重陽閣が次第に近づいて来る。11時25分、重陽閣脇のガラス桟道切符売り場に着く。

建設中のロープウェイを正面に見て下る
もう一つのガラス桟道を見る
前方に建設中のロープウェイ鉄塔を見ながら、階段を下がっていく。切符を見せ、ガラス参道に入る。桟道は、切り立った岩壁に取り付けられている。二か所あるようだが、今は一か所だけが解放されている。中国には、このようなガラス桟道が他にもあるようだが、ここは全国初の場所ということを誇っている。最初の数十メートルはコンクリだが、それが切れるとガラスの桟道が始まる。二、三百メートルの断崖に取り付けらたガラスの柵とガラスの床でこの高さがひしひしと伝わる、高度恐怖症の人にとっては怖いだろう。実際高度恐怖症の人は入らないように、との注意である。

ガラス桟道からの展望
ガラス桟道の下は千尋の谷
桟道からは、南側に樹木の少ない丘陵の展望が広がる。丘陵の先は河南の平野で、昔の文豪は黄河が蛇の如く平野を行く様を記述しているが、空気がよくない現代の中国では望めない。近く麓は岸上の集落だ。十数分でガラス桟道は終わり、山腹の道を進む。左からふもとからの山道を合わせるが、扉が閉まっている。普通は解放されていないようだ。先ほどの階段を登り返し、重陽閣へ戻る。重陽閣へ登り、南側を望む。先ほど歩いたガラス桟道が岸壁に張り付いている様子が見える。反対側は茱萸峰が鞍部の向こうに饅頭のように頭を突き出している。

重陽閣から東方向を見る、河南の平地が広がる
茱萸峰を前方にみて稜線を行く
12時、往路を戻り登っていく。鞍部を越えて少し下り、12分で茱萸峰へ分岐へ来る。距離は1950mとある。10分ほど階段道を登り、稜線に上がる。あずま屋を通り抜け、稜線上を進む。風があるが、日差しが強く暑いぐらいだ。前方に茱萸峰を望みながら、樹木の少ない稜線上の登り下りを行き、12時31分切り立った茱萸峰の足元にある分岐を右にとる。左の道は登山口へ下る。

薬王洞
永遠禁止賭博碑
急階段を上る
石畳の道が茱萸峰の山腹を登っていく。12時39分、薬王洞にくる。杉の大木が大きな洞の脇に生え、洞の中には神像が祭られている。登山口の集合時間は13時半、残り時間も一時間を切ったので、そのまま道を登っていく。落石を防ぐための屋根の下を行く。登山客がこの神聖な場所で賭博をするのを禁止する目的で、1869年に立てられたという永遠禁止賭博碑を通り過ぎ、方向を変えて勾配60度はあると思える急な階段を上る。階段の踏みしろが小さく、転ばないように注意して上り詰めると、三つ目の神像が待っている。更に石段を登り12時47分、三国誌の關羽を祭る関帝殿のある台地に出る。

関帝殿の門から望む前庭とその向こうに茱萸峰玄帝宮
茱萸山山頂の玄帝宮真武殿
廟の手前の木には、日本の神社のおみくじのように、黄色や紅色の祈願のリボンが結び付けられ、手すりの鎖には鍵がたわわに取り付けられている。會仙橋を渡り、最後の階段を頂上玄帝宮へ登る。13時、頂上の廟に着く。登った階段の上からは、先ほどの重陽閣からここへと続く稜線やその上を行く道が見える。その先は河南の平地だが霞んで見えない。唐の詩人王維は、この山に登り詩を残しているということだ。その他歴代の人物がこの山に足跡を残している。中原に近い山は、中華文明の精華が残っている。廟の反対側に回ると、山西省側は山が途切れなく綿々と続いている。

真武殿の前から南を望む、先ほどの鳳凰岭と稜線上の道が見える
北側は山西省の山々が綿々と連なっている
急階段を下る
集合時間まであと30分足らず、下りを急ぐ。急な階段は、リズムよく下ると速く下れる。前面に広大な景色が広がる中、高度をどんどん下げる。途中あずま屋の休憩場所から、登りと下りは別の道になる。右に下り専用の道を下り13時20分に登山口に降り立った。広場からみると茱萸峰が高い。2時間半で約5キロを回遊した。

桃の花がちょうど満開だ




案内説明版は、中国語以外に日本語も含む外国語も載せてある。ここを訪れる日本人客はどれだいるのかわからない。今回は、西洋人は目にしたが、日本語を話す客には一切出会わなかった。中華文明に触れるには、平地だけでは不足だ。洛陽や開封など、歴代の王朝が都を築いた場所は、実は戦災や洪水で過去の建物はほとんどない。もちろん発掘すれば地下に遺跡が残るが、日本の奈良や京都のような当時からの建物は少ない。古く見える街並みは、最近に再建されたものが大部分だ。そうした意味では、詩や絵画にのこる中原近くの山は、昔と変わらぬ姿を今に見せて、当時の詩や絵画を鑑賞する助けになる。