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2017-04-13

2017年4月2日 中國河南省雲台山茱萸峰 中華文明発祥地の山

雲台山風景区入口
中国は広大な国土の国である。西にはインドやネパールとの国境に世界最高峰群を有する一方、漢人の文明発祥地中原の周辺にもずっと標高は低いが山々を有する。黄河の下流にある河南省は、史記によれば中国文明の始祖とされる黄帝(姬軒轅)がこの地で国を興したところである。日本では一般的に4000年と言われる中国文化は、中国では5000年とされる。姬軒轅は紀元前27世紀に存在した夏王朝の始祖だが、この辺は神話の世界でもある。訪れた時期は、中国の墓参りを行う清明節の前後になり、中国政府要人が黄帝の故郷にある廟を訪れ参拝する。中華文明のもと、中国人民の意識統一のためである。特に、現代の中国共産党にとっては、愛国心を高揚するために必要なようだ。

重陽閣から遠望する茱萸峰
河南省は、北部に中国第二の河川黄河が東西に流れる。主な範囲は黄河の南になるので、河南省の名前である。面積約17万㎢、日本の約45%だが人口は一億人を超えている。比較的平らな土地であるので、これだけの人口を抱えられる。河南省の北側には山西省が隣接する。この二つの省の間には太行山系が仕切っている。今訪れた雲台山はこの山地の南に位置する。去年訪れた黄山のように、切り立った岩壁が目立つ山で、山腹が森林に覆われた日本や台湾の山とは、印象がだいぶ異なる。雲台山は、その全域が風景区で管理され、入場料を支払い入場する。

登山口から反時計回りに回遊
歩行高度プロファイル:右のピークが茱萸峰
今回も、中国への団体観光旅行の一部としての登山である。雲台山へは二日の訪問で、第一日は紅石峽と潭瀑峽の渓谷を歩き、二日目の4月2日に雲台山の最高峰茱萸峰(標高1302m)へ登頂した。登山口は、バスの終点にある900数十メートルの場所で、高低差もそれほど多くない。もちろん、麓から上がってくる道があるようだが、一般観光客には解放されていないような感じだ。中国も、清明節の連休で地元観光客が多く、山道には多くの人が歩いていた。

洛陽や鄭州、開封の北部にある雲台山、中央を黄河が流れる
河南省の位置と雲台山の位置
前日訪れた紅石峽
8時半、宿泊の焦作市のホテルからバスで、雲台山景区入口に向かう。昨日の入場券は二日有効なので、そのまま提示し入る。中国の観光地の入場料は安くない。この入場券は210元、日本円で約3400円である。今日から始まった連休で、大勢の地元観光客が入場券を求める長い行列ができている。9時半ここで景区専用バスに乗り換え、更に10時に馬鞍石水庫(ダム)脇のバス乗り換え場で茱萸峰、ガラス桟道へのバスに乗り換える。

切り立った岩壁を登っていく
登山口に停まる区内専用バス、茱萸峰が望める
バスは、昨日潭瀑峽へ向かった時に通った馬鞍石水庫脇を行く道から右に別れ、急な坂を上っていく。上部はほとんど切り立った崖である。車はジグザグに高度を上げていき、壁の中に開けられたトンネルをくぐり高度を上げる。トンネル内で180度方向転回をしていく。かなりの難工事だったということだ。トンネルをくぐる十数分の登りが終わると、高度は相当上がり、谷はかなり下に見える。今日は天候がよくラッキーだ。上部に茱萸峰が見えてくるとまもなく終点である。10時35分、登山口に到着する。

左奥に茱萸峰、よい道を行く遊楽客
登山道から西方向を望む
道脇の中華陶器の始祖寧封子の墓石
登山口では、入場券を提示し中に入る。階段を上る。すぐに左に茱萸峰への道が分かれる。10時50分、我々は右にガラス桟道のある鳳凰岭へ向かう。道は石畳の道で、少し登り下りがある山腹沿いの道を進む。路上の遊楽客は多い。葉がすべて落ちている落葉樹の林は、とても明るい。東京郊外の山を行くような感じだ。振り返れば玄帝宮をいただいた茱萸峰が青い空にそびえている。20分ほどで稜線を茱萸峰へ行く道との分岐を過ぎる。11時18分、少しの登りを行き、鞍部を越える。ここから鳳凰岭の方向へ下っていく。四階建ての塔、重陽閣が次第に近づいて来る。11時25分、重陽閣脇のガラス桟道切符売り場に着く。

建設中のロープウェイを正面に見て下る
もう一つのガラス桟道を見る
前方に建設中のロープウェイ鉄塔を見ながら、階段を下がっていく。切符を見せ、ガラス参道に入る。桟道は、切り立った岩壁に取り付けられている。二か所あるようだが、今は一か所だけが解放されている。中国には、このようなガラス桟道が他にもあるようだが、ここは全国初の場所ということを誇っている。最初の数十メートルはコンクリだが、それが切れるとガラスの桟道が始まる。二、三百メートルの断崖に取り付けらたガラスの柵とガラスの床でこの高さがひしひしと伝わる、高度恐怖症の人にとっては怖いだろう。実際高度恐怖症の人は入らないように、との注意である。

ガラス桟道からの展望
ガラス桟道の下は千尋の谷
桟道からは、南側に樹木の少ない丘陵の展望が広がる。丘陵の先は河南の平野で、昔の文豪は黄河が蛇の如く平野を行く様を記述しているが、空気がよくない現代の中国では望めない。近く麓は岸上の集落だ。十数分でガラス桟道は終わり、山腹の道を進む。左からふもとからの山道を合わせるが、扉が閉まっている。普通は解放されていないようだ。先ほどの階段を登り返し、重陽閣へ戻る。重陽閣へ登り、南側を望む。先ほど歩いたガラス桟道が岸壁に張り付いている様子が見える。反対側は茱萸峰が鞍部の向こうに饅頭のように頭を突き出している。

重陽閣から東方向を見る、河南の平地が広がる
茱萸峰を前方にみて稜線を行く
12時、往路を戻り登っていく。鞍部を越えて少し下り、12分で茱萸峰へ分岐へ来る。距離は1950mとある。10分ほど階段道を登り、稜線に上がる。あずま屋を通り抜け、稜線上を進む。風があるが、日差しが強く暑いぐらいだ。前方に茱萸峰を望みながら、樹木の少ない稜線上の登り下りを行き、12時31分切り立った茱萸峰の足元にある分岐を右にとる。左の道は登山口へ下る。

薬王洞
永遠禁止賭博碑
急階段を上る
石畳の道が茱萸峰の山腹を登っていく。12時39分、薬王洞にくる。杉の大木が大きな洞の脇に生え、洞の中には神像が祭られている。登山口の集合時間は13時半、残り時間も一時間を切ったので、そのまま道を登っていく。落石を防ぐための屋根の下を行く。登山客がこの神聖な場所で賭博をするのを禁止する目的で、1869年に立てられたという永遠禁止賭博碑を通り過ぎ、方向を変えて勾配60度はあると思える急な階段を上る。階段の踏みしろが小さく、転ばないように注意して上り詰めると、三つ目の神像が待っている。更に石段を登り12時47分、三国誌の關羽を祭る関帝殿のある台地に出る。

関帝殿の門から望む前庭とその向こうに茱萸峰玄帝宮
茱萸山山頂の玄帝宮真武殿
廟の手前の木には、日本の神社のおみくじのように、黄色や紅色の祈願のリボンが結び付けられ、手すりの鎖には鍵がたわわに取り付けられている。會仙橋を渡り、最後の階段を頂上玄帝宮へ登る。13時、頂上の廟に着く。登った階段の上からは、先ほどの重陽閣からここへと続く稜線やその上を行く道が見える。その先は河南の平地だが霞んで見えない。唐の詩人王維は、この山に登り詩を残しているということだ。その他歴代の人物がこの山に足跡を残している。中原に近い山は、中華文明の精華が残っている。廟の反対側に回ると、山西省側は山が途切れなく綿々と続いている。

真武殿の前から南を望む、先ほどの鳳凰岭と稜線上の道が見える
北側は山西省の山々が綿々と連なっている
急階段を下る
集合時間まであと30分足らず、下りを急ぐ。急な階段は、リズムよく下ると速く下れる。前面に広大な景色が広がる中、高度をどんどん下げる。途中あずま屋の休憩場所から、登りと下りは別の道になる。右に下り専用の道を下り13時20分に登山口に降り立った。広場からみると茱萸峰が高い。2時間半で約5キロを回遊した。

桃の花がちょうど満開だ




案内説明版は、中国語以外に日本語も含む外国語も載せてある。ここを訪れる日本人客はどれだいるのかわからない。今回は、西洋人は目にしたが、日本語を話す客には一切出会わなかった。中華文明に触れるには、平地だけでは不足だ。洛陽や開封など、歴代の王朝が都を築いた場所は、実は戦災や洪水で過去の建物はほとんどない。もちろん発掘すれば地下に遺跡が残るが、日本の奈良や京都のような当時からの建物は少ない。古く見える街並みは、最近に再建されたものが大部分だ。そうした意味では、詩や絵画にのこる中原近くの山は、昔と変わらぬ姿を今に見せて、当時の詩や絵画を鑑賞する助けになる。

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