このブログを検索:山名などキーワードを入れてください

2014-11-30

2014年11日30日 高雄大崗山(小百岳) 信仰の山を登る

バスの車窓から望む大崗山
ある用件で高雄を訪れる機会があり、第一日目に壽山、そして二日目に大崗山を登った。前者は、高雄市街のすぐそばにある。一方後者は、高雄市街から約20km北方の岡山から更に北東へ10kmほど入ったところに位置する。壽山は公園が麓にある市民の憩いの場所であるのに対し、大崗山は山中に多くの寺院廟宇を擁し、さしずめ信仰の山である。それぞれ性格は異なるが、ともに小百岳に選ばれている。壽山は表面が凸凹しているサンゴ礁石灰岩が奇岩を構成している。大崗山も同じ岩石で、様々な洞窟がある。

菩提登山口から回遊する
歩行高度プロファイル
大崗山は高雄市街の北部に位置する
大崗山假日觀光公車@南岡山轉運站
前夜宿泊したホテルを9時半前に出る。大崗山は、高雄MRTの南岡山駅からも台鉄岡山駅からも、かなり距離がある。通常のバスでは大崗山へは行かないが、休日だけ運航する大岡山休日観光バスがちょうど大崗山の登山口や、中腹の寺院へ運行されている。一時間おきに一本発車するので、登山のアクセスにも便利だ。ホテルの最寄りの三多商圏駅からバスが出る南岡山へ向かう。結構乗りでがあり、約40分ほどの乗車で南岡山駅に到着する。駅前のバスターミナルで10時半発の休日観光バスに乗る。このバスは、乗車するときに一日券を購入し、どこでも下車乗車ができる。一日乗車券もネット上の情報では50元とあったが、今回は30元ととても安い。満席でバスは出発する。

菩提歩道入口、道端で農作物を売っている
菩提歩道
バスは、休日観光バスと言われるように、岡山や大崗山周辺の観光スポットを巡っていく。はじめは岡山の市街を通り、空軍歴史館などを経由したあと、阿公店ダムと小崗山のわきを通り大崗山へ向かう。11時23分、菩提歩道入口バス停に到着する。約50分の乗車である。ホテルから約2時間、アクセスはやはりチョット遠い。周辺には多くの露天商が出て、農作物などを販売している。それだけここはハイカーが多いということだ。実際、多くの登山を終えた老若男女が道を下ってくる。登山道は、コンクリ舗装の広い道である。

龍湖庵の山門
寶塔を見て登る
稜線車道へ階段道を登る
登ること10分ほどで、登山道は終わり車道にでる。ここは龍湖庵の山門の前で、休日観光バスの停留所もある。わきの店はお寺が経営する店のようで、尼さんが店番をしている。車道は左に登っていく。右の龍湖庵からハイカーが降りてくる。手持ちの地図では、もうひとつ道が不明でなおかつ道標もないので、龍湖庵へ入る。境内を抜け、宿舎のわきをすぎる。ここも車道が合流する。この道を登って行くが、どうも様子が違う。そこで戻り、龍湖庵の山門から車道を華藏寶塔へ進む。そのうちこちらもハイカーが降りてくる。更に登り華藏寶塔を下に見ながら左に道を進む。12時に超峰寺へやって来た。ここから右に急斜面の車道を登る。テラス上になったテーブル・イスのある場所を通り過ぎ、その奥の道をさらに進む。車道わきの石段道を上り、また車道に合流するとまもなく車道が終わり、石階段の登山道になる。これを登り切ると12時15分稜線を行く車道に出る。分岐に近くには店があり、ハイカーたちが休憩している。

稜線車道を歩く、左は軍事基地
基石への入口のある分岐部、正面の土の道が基石への道
大崗山の基石と表示
大崗山の三角点基石も軍用基地のなかにあり、一般人は近くに行けない。そのため、代わりの基石が大崗山の基石とされている。稜線車道を左にとり進む。少しの上り下りがあるが概ね平な道だ。左に基地をみて進む。時々車が通り過ぎる。他のハイカーも歩いている。12時半、三角公園に着く。地元の山岳クラブの集会場になっているようで、公園内にはシートで屋根を設けたテーブル・イスや公告板がある。ここで一休みし、食事をとる。

三角公園
天霊洞
20分ほど休憩し、三角公園左側の道を進む。すぐ先に分岐があり、そこの付け根部分から土の道が森の中に入っていく。入口わきには木製の高雄県十大名山大崗山の表示がある。この道をわずかに進むと、基石のある大崗山頂上(標高310m)だ。周囲は樹木で展望はないが、小百岳を記した看板がある。自分としては、これで33番目の小百岳だ。やって来た稜線車道を戻る。超峰寺への分岐をすぎ、更に進む。13時8分、天靈洞に来る。ここは、天然の洞窟に道教の神像が安置され焼香されている。洞窟の別の入口から出ると、そこはあずま屋のある展望台だ。眼下に岡山の平地が広がる。

天霊洞の内部
天霊洞から見る岡山方面の平地
階段道を下る
ここから下山だ。あずま屋のわきを行き、左からの道と合流し石階段を下る。5分ほど下り、敦化佛堂わきに下りる。もう一つの階段を下り、車道を道なりに下る。華山聖堂の山門がある分岐に来る。駐車場もある。右に曲がり下る。13時32分、車道わきに下る階段道がある。これを下る。休憩所で少し休憩し、持ってきた果物を食べる。ここは十八羅漢岩の上になる。奇岩が重なり、遊歩道が設けられている。

十八羅漢岩付近の廃屋とガジュマロ樹
龍湖庵本堂の裏へ下る
階段道を下る。開けた場所に廃屋がある。その廃屋の上にも、また周囲の岩の上にもガジュマロが蜘蛛の巣のように枝を伸ばし茂っている。壽山の翠嶺亭の上にあったガジュマロもすごいが、ここのも本当に不気味なぐらいだ。ガジュマロは生命力が強いというが、これを見るとそれをひしひしと感じる。広場のすぐ上に展望台がある。数名のハイカーたちが談笑している。そのまま下り、下方のあずま屋のわきの道を更に下る。下っていくと、朝に訪れた龍湖庵の境内に出た。なるほど、朝方見かけた龍湖庵から出てくるハイカーたちは、この道を下ってきたのだ。本堂わきを進むので、不案内であれば判らない。龍湖庵の境内を通り過ぎ、休日観光バスのバス停へ着く。13時55分、まだ時間は早いがひと通り歩いたので、ここでバスを待ち高雄市内へ帰ることにする。

天霊洞の筆者
14時10分ごろ、バスがやってきた。朝に入手した一日券を提示し乗車する。15時10分、南岡山駅に到着。MRTで市内に戻り、ホテルに預けておいた荷物を受け取る。夕方の高速鉄道で台北に戻った。

今回は、行動時間は短く約2時間半、歩行距離は5.8kmだ。登りは約300m、何かあっけなく終わってしまった感じだ。登山道は少なく、車道が縦横に走り、登山というにはもうひとつだ。道標があまりなく、手持ちの地図は必要だ。ただ、間違っても大した距離ではないので、問題がない。困難度は山道はクラス1、体力要求度はクラス2、誰でも問題なく歩ける山である。


2014年11月29日 高雄壽山(小百岳)  高雄を代表する山を登る

ホテルから望む高雄の街とその向こうに壽山
台湾には各地の代表的な山百座が小百岳として選ばれている。「小」と付いているのは、3000m級の百座が百岳として別に選ばれているからだ。百岳は高山だけが対象だが、小百岳は標高ではなく、その土地を代表する山容や歴史文化が選定の条件である。日本の百名山選定条件に近い。台湾全土に散在するので、全部を登ることはそれなりに時間や手間がかかる。今回高雄を訪れる機会があった。そこで、高雄に近い小百岳二座を登った。急げば一日で二座とも登る事ができるだろうが、今回の日程ではきついし、アクセスなども不慣れなので二日に分けて行った。初日は高雄市中心に最も近い壽山を訪れた。二日目は岡山から行く大崗山に登った。
四維五路の登山口から往復する
単一ピークの往復
壽山は高雄市街の西側、海際に位置する
壽山には野生の猿が棲息している
筆者は台湾在住20数年になるので、高雄の壽山はすでに訪れたことがある。但し、登山ではなく車で麓の動物園や忠霊廟などの行楽である。頂上へ自分の足で登るのは初めてだ。壽山は、高雄市街の西側海ぎわにそびえる標高356mの山である。南側は日本統治時代に造られた壽山公園や動物園がある。海側も含めた北側は軍事基地となっており、一般人は足を踏み入れられない。本来は海景が望めるはずだが、この基地があるので現在は不可である。サンゴ礁石灰岩が多く、山中には表面が凸凹した白い岩石が多い。またそのため、洞穴や奇岩も多くいろいろな名前を着けられている。

西子灣地下鉄駅、すぐ左が高雄港駅
高雄は、原住民平埔族の家を囲った竹を指す言葉カタオが、中国語(正確には方言の閩南語)の打狗(犬をたたく)に近く打狗と称され、山も打狗山と呼ばれた。その後日本時代に高雄に変更、山も1921年に高雄山と改称、さらに1923年昭和天皇が皇太子時代に訪れた時に、麓に設けられた壽山館にちなんで壽山とされた。その後この山名が長く使われている。高雄市街のどこからでも眺められるこの山は、平地の多い高雄では、とても目立つ存在である。標高は低いが小百岳に選定されるのもうなずける。

高雄港駅鉄道パークから望む背後の壽山
今回の高雄行は、夕方の宴会がメインなので昼間壽山を登ることにした。台北を早朝6時半の高速鉄道(台湾新幹線)で高雄に向かう。8時半高雄左営駅に着いたあと、登山に必要以外の荷物を投宿するホテルに預る。ホテルから近い高雄市MRT三多商圏駅から西子灣駅へ向かう。高雄市のMRTは南北に走る紅線と美麗島でクロスする東西に走る黄線の二系統がある。西子灣駅は、後者の最西端にある。電力節約のために多くの照明を消しているので、駅内部は薄暗い。

登山口わきのガジュマロ
10時10分西子灣駅から出たすぐそこは、鉄道の高雄港駅である。今はすでに列車運行はされておらず、駅舎やその前のヤードは現在鉄道文化展示場になっている。駅舎からホームに出ると、蒸気機関車が二台(日本形式ではC55と9600、筆者は蒸機や古い車両施設にしか興味のない偏った鉄道ファンでもある)、その他にディーゼル機関車や客車貨車が陳列してある。海に近く雨ざらしなので、保存状態は必ずしも良くない。昔は海運のターミナルであったわけで、残されている線路は多くないが、ヤードはとても広い。ここで貨車が台湾各目的地に向けて仕分けや、船に載せるために待機していたのだろう。

登山歩道入口

10時半、高雄港駅から壽山へ向けて鼓山路を歩く。台湾の主要街路に面した建物は隣と連なった二階建以上が多く、騎樓と呼ばれる家屋の1階の部分が歩道になっている。これは中国南部地区建築の特徴で、多雨高温の気候に対応する智慧であり、強い日差しをさけ雨に濡れずに歩くことができる。高雄だけでなく台北でも勿論こうした造りの街路が多い。華僑の多い東南アジア都市のチャイナタウンでも良く見かける。高雄はこの騎樓には店のテーブル・イス、商品、また自家用車が駐車していて、歩くことが難しい。台北では騎樓は人が歩けるように開放してあり、これと比べると高雄の街を歩いてこの落差に気づく。

コンクリ階段道が続く
10分ほどで四維五路の登山口に着く。巨大なガジュマロが枝を四方八方に伸ばして、階段の上に覆いかぶさる。階段を車道へ登り、法興禅寺の山門に出る。学生が境内に続く長い階段を利用してトレーニングをしている。車道を右にとり、すぐ先の分岐を左に動物園へ向けて登る。10時57分、動物園入口に来る。更に道を進み、王母宮わきの登山口に来る。車道わきには多くのバイクが停めてある。山から降りてくるハイカーとすれ違う。数分で、登山歩道の入口に来る。車道は動物園の作業裏口に通じる。

觀林亭の案内板、猿が上にのっている





11時10分、ここからが山登りだ。入口にはトーテンポールのような木柱、右側の看板はもともと何か表示があったのだろうが、今は何もない。入ったすぐ左に道案内板がある。歩道は、コンクリの階段道である。右にコンクリの壁が続く。以前の軍事基地の塀だったものだろうか。ところどころ銃口を出すための穴のような物が開いている。壁際に歩く人もいる。11時21分、觀林亭に着く。看板の上に猿の形の木板がつけてあり、あずま屋の上にも猿の人形載せてある。この山は猿が多い。

右が登山道、下りは左の山道から下ってきた
相思亭
木桟道が左に続く。桟道が切れると、土の道が左に二つ分岐し右に山腹を平らな道が進む。台北でもそうだが、住居に近い山は住人が山を散歩や健康のために多く歩き、オフィシャルな山道以外にたくさん山道ができていいる。これらは、道標などもなく初めてで慣れていない場合は、あまり無闇に入らないほうがよい。11時28分、相思亭にくる。山側には展望台がある。高雄の街は霞んでいてよく見えない。一休みする。

良友亭、左に木階段が登っていく
七蔓站、柵の中でお茶を無料提供している
また急坂が暫く続く。登りきり、コンクリ製の道を進む。良友亭の左から木階段が登っていく。右の緩い道を進む。木階段は上部でまた合流する。道は大きく左に曲がり、山友亭の前を過ぎる。その先で、先ほどの近道が合流する。左に軍事基地へ続く道が分岐する。看板は、無断進入禁止とある。右にまた大きく曲がり進む。七蔓奉茶站に着く。ここはお茶をハイカーに無料で提供している。多くの人が休んでいる。

好漢坡の道を行く、サンゴ礁石が多く現れる


七蔓站のすぐ左に好漢坡の山道が分岐する。これを登る。ところどころ珊瑚岩も現れる土の道で、やっと山道らしくなる。補助ロープもある。数分急坂を登る。好漢亭のあずま屋が現れる。そのまま更に登る道があるが、あずま屋の先に行く平らな道を進む。右へまた道が分岐するが、直進する。道標がある。左は基地の入口で鉄扉がしまっている。右に下っていく。12時6分、長春亭に来る。食事休憩を取る。

長春亭
土の山道を歩く
20分ほど休憩し、出発する。長春亭の前から木製階段が続く。これは百獣岩方面に続く道だ。階段をのぼり行く。すぐ右に道が分岐するが、そのまま進む。その先も分岐がある。そこそこ歩かれている道だ。道は南方向に進む。百獣岩とは違う方向だが、進んでみる。家屋の土台部分だけが残っている。ここから先は軍用地という表示もある。猿がやって来た。リュックを下ろすと近寄っている。餌を与えると思ったのだろう。野生の猿なので餌はやらないほうがよい。その先少し行くと有刺鉄線の柵となり、道は突き当りになる。同じ道を折り返す。長春亭の前に戻る。

リュックを下ろすとやって来た猿、建物の土台部分だけが残っている
軍地基地の入口
長春亭近くの説明板に三角点が表示してある。壽山の三角点基石は、軍事基地の中と聞いているが、その図の示す方向に歩く。先ほどの基地の門の左に塀に沿って道がある。これを登る。13時、少し開けて椅子やテーブルがある。ここが今日の歩きの最高点のようだ。これから下山だ。先に進んで好漢亭へ下る。さらに長春亭から長春園へ下る。右にとり、広い道を七蔓站へ下る。

最高地点、右は基地の塀が続く
高雄市街方向を望む、霞んでいる
蜘蛛の巣のように枝を伸ばすガジュマロ
七蔓站から更に下り、13時半右に近道を取り下る。良友亭のところで、広い道に合流する。すぐ右に翠嶺亭へ道が分岐する。岩壁の道を右にまがると、そこには蜘蛛の巣のように枝を伸ばしたガジュマロの木が岩に生え、その下にあずま屋がある。台湾ではガジュマロはよく見かけるが、これはすごい。土の道が下っていく。これをとり下がっていく。下っていくと、広場に下りる。カマドがある。ここも軍事基地の一部だったのだろうか。基地は以前より縮小されたということだ。立派な道標がある。

青春歓楽園、土管状のものの後ろから道が続く
少し登り返すと、青春歓楽園の広場とあずま屋がある。数名の登山者が休憩している。その前を通り過ぎ、山道を進む。しかし下っていく方向が違う。左に折れて主要登山道にでる道があるはずだ。幾つかの枝道を進む。するとその先は広場になっているが、そこから先の道がない行き止まりだ。そんなことを二、三度繰り返し、先の青春歓楽園へ戻る。そこで登山者に尋ねると、この広場の裏の道を進めばよいとのこと。それを進む。果たして登山道の木桟道の分岐にでた。枝道が入り組み何の道標もないので、もし不安ならば土の道には入らないほうが良いだろう。

枝道をゆくとこのような行き止まりの広場がたくさんある
カマドのある広場
コンクリ道を下る。觀林亭を通り過ぎる。その先に親子連れの猿が、コンクリ道の凹みにある飲み物を飲んでいる。ハイカーがそこに流したもののようだ。人を恐れずにかがんで飲んでいる。14時11分、登山口に戻る。動物園バス停に着く。56番バスがちょうど待っている。14時20分に発車、14時半前にMRT鹽埕埔駅バス停に着いた。

猿の親子連れ
初めての高雄の山の登山である。暑いかと思っていたが、山の上は風が吹きそれほど暑くなかった。行動時間3時間50分、歩行距離9.3kmであった。頂上らしい頂上がなく、基石も見なかった。山の上には、珊瑚石の洞がたくさんある。道もいたるところにあり、住民の憩いの場所でもある。高雄市街が望めるスポットも幾つかあった。残念ながら霞んで遠くまで見れなかったが。困難度は道も体力要求度も共にクラス2だ。半日で登山できるので、高雄を訪れ時間が取れるであればお薦めである。

2014-11-25

2014年11月24日 瑞芳牡丹山 綺麗に刈られたススキの山道を歩く

102号線から望む牡丹山
瑞芳の街から見上げて高くそびえる山が牡丹山である。頂上近くに高圧電線塔が立っているので、判別しやすい。また、秋になればススキが一面に生え薄い黄色に山肌が変わる。この山頂から、102号省道へススキの間を山道が続いている。草は伸びるのがとても速い。密生した草薮は、かなりの藪こぎを覚悟しなければならない。そんなこんなで、今まで付近は何度も訪れているが、まだ登っていなかった。つい二日前に藍天隊が草を刈り取り、この草の道を歩きやすくしてくれた。また、草に埋もれてしまう前に歩くべく、牡丹山へ行ってきた。

北側の九份老街からスタート、猴硐駅へ下る
登り部分が少ない歩き
九份老街上部の聖明宮と遠くに基隆山
前日も山登りをしているので、今回はこの牡丹山だけを登り侯硐へ下る気楽な山行である。出発点も九份老街で標高は高く、登りは少ない。下りは、以前歩いた金字碑古道の途中から侯硐へつながる後凹古道を下った。金字碑古道は清朝時代に開かれた台北(淡水)と宜蘭(葛瑪蘭)とを結ぶ淡蘭街道の一部である。日本時代に鉄道が台北から侯硐までつながると、歩き始めは侯硐となり、ここから直接峠までつなげるために後凹古道が歩かれた。その後、当時の大工事であった三貂嶺隧道が開通すると、後凹古道は忘れさられた。

基隆山を背後に登る、左の九份はすでに遠い
今回は出発もゆっくりだ。8時に1062番バスの忠孝復興バス停で落ち合う。参加者は自分も含めて五名である。そのうち初めて一緒に歩くFさんもいる。今日の紅一点だ。平日は九份金瓜山までのバス便は少ない。8時20分にバスがやってくる。平日でも九份行きのバスは乗客が多い。今日は晴天であることも関係しているだろうが。バスは1時間半かけて九份老街に着く。支度をして10時過ぎに出発だ。観光客で賑わう老街の中を進む。我々のような登山者は、ここでは場違いだ。九份国民小学校方向に観光街を離れ、階段を登る。そのうち遊楽客はいなくなる。小学校前を通り、更に登っていく。今日は秋晴れで、老街の屋根の向こうには、基隆山と海が望める。ここまで約10分だ。

樹梅坪からの眺め
貂山古道の鞍部、奥に土地公
聖明宮の山門をくぐり102号線に出る。右に山の方法へ車道を歩く。消防署の前を通り過ぎる。5,6分ほど来ると右に土地公がある。ここから山道が始まる。これは車道の102号線の近道となる。土地公の奥、トイレわきに石段が続く。これを登る。登ると広場の右には洞窟が開いている。広場の先から石段が始まる。石段は結構急だが、しっかり整備されている。登るにつれ、九份老街の街並みは遠くなり、海と山の景色は広がる。10時33分、102号線脇の樹梅坪展望台に来る。下には、金瓜石の谷と左に基隆山、右に半平山がどっしりと座っている。歩き始めて約30分、小休憩をとる。

牡丹山へ登る、綺麗に草が刈られている
102号線を挟んで戰備道が始まる。入口に貂山古道への案内がある。巾の広い道を歩き始める。はじめはコンクリの路面だが、そのうち土の道になる。ススキが両側に風に揺れている。眼下に102号線のつづら折りが続いている。10時57分、土地公のある牡丹山登山口にくる。ここは鞍部で貂山古道の入口である。反対側は金瓜石から上ってくる百二崁古道だ。現在の102号線が整備される前は、金瓜石から牡丹へはこの二つの古道を使って往来していたのだろう。これから山道歩きになるので、スパッツなどを着けて準備する。

燦光寮山を左に見ながら登る
11時6分、牡丹山へ向けて歩き始める。ここは過去金の露天掘りがされていた付近になり、その頃の道が残っている。はじめはその名残の道を進む。ススキが生えているが、最近草刈りされたようで、綺麗になっている。この部分は、上部にある送電線鉄塔のメンテ用である保線路でもあるので、台電公司が行った草刈りだろう。刈られた草の切り口は、藍天隊の鎌ではなく草刈機のストリングで切られたものに見える。道脇に穴がある。以前の金鉱か。注意書きがある。登るに連れて、左の燦光寮山の山容が見えるようになる。一つ目の鉄塔を脇をすぎ、11時20分そのまま第二の鉄塔へ続く道と牡丹山頂上への道の分岐に着く。一休みする。

二番目の送電塔脇から見る大パノラマ
しっかり刈られた草の稜線道
牡丹山へ進む前に、二番目の鉄塔へ往復する。ここは絶好の展望台だ。左側から五分山、遠くの陽明山山塊、目前の大粗坑山、小粗坑山、右には半平山。そしてその向こうには大海原が広がっている。今日は最高の秋晴れである。目を凝らすと台北の街も見える。101ビルが五分山の支稜上に頭を出している。分岐にもどり草の稜線を進む。ここからは、前々日に藍天隊が入って草を刈った部分だ。草は綺麗に刈られ歩きやすい道が出現している。実に感謝だ。刈られていなければかなりの藪こぎをしなければならない。11時56分、牡丹山頂上(標高660m)に着く。頂上も草が広く刈取られ、基石もある。ここからは、五分山の左側に坪林や平溪の山々が望める。ギザギザのピークが続く中央尖峰頭尖皇帝殿山、そして谷を挟んで薯榔尖北稜がはっきり判別できる。かなり遠くは、烏來三峡の山々のようだ。今日の行程中の最高地点である。

前方の草の丘が牡丹山頂上、背後には山々が望める
牡丹山頂上の筆者
頂上から先に、なだらかな尾根上に草の道が続いている。右下方には、不厭亭あずま屋が102号線の脇に見える。陽光に反射して白いススキの穂が風にたなびいている。草が刈られた山道は、僅かな登り下りがあるが、歩きやすい。稜線を十数分進む。道は右に曲がり、102号線に向かって下り始める。ここもしっかり草が刈られている。不厭亭がだんだん近くなってくる。12時36分、102号線に降り立つ。小高い丘にあるあずま屋へ登る。ここは、その名の通りいつまで見ても見飽きない風景が広がる。食事休憩とする。遊楽客が数名休んでいる。

なだらかな稜線道を進む
不厭亭はすぐそこだ、左に五分山とその前に三抓子坑山,遠くには陽明山山系が見える
不厭亭から平溪方面の山を望む
13時10分、出発する。102号線を歩く。すぐ先右に稜線を金字碑古道の峠部分へ続く山道がある。しかし、こちらは草に埋もれて踏み跡すらはっきりしない。藍天隊が入る予定であったが、先の牡丹山からの道の草の量が多くて時間を要し、こちらはまた別の機会に入るということだ。この道を進むのは、大変なのでそのまま102号線を下り、金字碑古道の入口へ行くことにする。102号線から振り返る。草に覆われた牡丹山がすでに高い。前方遠くには雙溪と宜蘭北部の峰々が長く連なっている。灣坑頭山桃源谷三方向山窘寮山鶯子嶺など今までに訪れた山々がずっと途切れることなく続いている。これらは雪山山脈支稜の北端に位置する。手前には柑腳山の山々がある。13時26分、金字碑古道入口に来る。コンクリ製敷石の敷かれた道を数分登る。13時32分、峠に着く。

サイクリストが102号線を行く、背後には雙溪宜蘭の山々
探幽亭と手前に清朝時代の石碑
探幽亭の奥に、先ほど歩くのを諦めた稜線道が分岐する。反対方向にたどれば三貂嶺山へ続く。今日は、このまま峠を下る。濡れた道は、少し滑りやすい。10分ほど下り、右にこの古道の名前由来の金字碑がある。13時58分、後凹古道分岐に来る。金字碑古道では侯硐へ行く場合、遠回りになる。侯硐へは、後凹古道が近い。冒頭でも述べたが、この道は昔日まさに侯硐から金字碑古道への近道として歩かれた。台北から宜蘭への鉄道建設は、侯硐まできて三貂嶺の山に突き当たった。駅は1920年に開かれたが、当時の大工事である三貂嶺隧道は、1919年から3年の年月を費やして初めて完成した。鉄道で侯硐までやって来たあと、更に宜蘭に行くには淡蘭道の峠を越えていく必要がある。そこで、トンネル開通までの短い期間、後凹古道から金字碑古道へつないで歩かれていた。

峠直下からは、下り先の谷間が望める
後凹古道の石段を下る
後凹古道は土の道である。しかし一時期であってもよく歩かれていた古道なので、道はしっかりしている。ところどころに石段が設けられている。沢の流れが聞こえる。道はゆるやかな部分が現れる。14時26分、かなり大きな規模の石造廃屋が現れる。古道を往来する旅人相手に商売や宿泊を提供していたのかと、思いをはせらす。たまたま一人道を上ってくる人とすれ違う。更に下る。民家と畑が現れる。だれも収穫しないので、みかんが道にたくさん落ちている。沢を越えさらに下る。14時42分、猴牡公路に出る。左に曲がり少し登っていく。沢から引いた水のタンクから水が流れ出ている。靴やステッキに着いた泥を洗い落とす。10分ほど歩き、猴硐神社跡にくる。

大きな石壁の廃屋
猴硐神社の鳥居
神社本殿は無いが、入口の鳥居はしっかり残っている。社本殿に続く石段も当時のままだろう。鳥居わきには説明文がある。中英日の言語で記してあるが、残念ながら日本語は少し正しくない。当用漢字でなく、中国本土の簡体字である。石段を登り切ると開けた場所にでる。ここから、先ほど歩いてきた牡丹山が遠くに見える。ピンク色の山茶花が咲いている。神社も含めて、この辺りは行楽客用に遊歩道が設けられている。立派な石段道を下る。瑞硐公道に降り立つ。介壽橋で基隆河を渡り駅へ向かう。15時12分、駅に到着する。平日なので、行楽客は少ない。15時24分発の区間電車で帰京した。

神社跡地から牡丹山から三貂嶺山への稜線を仰ぐ
ピンクの山茶花が咲く、背後は大粗坑山
今回の行程は時間約5時、距離は9km足らずである。途中の休憩も多く、楽なハイキングである。すがすがしい秋空のもと、雄大な風景を眺めゆっくり歩くのは、実に楽しい。草の道は、来年また草が伸びて歩きにくくなる。もし行くのであれば、早めに行ったほうが良いだろう。山道、体力ともレベルは3である。お薦めである。