このブログを検索

2011-11-30

11月29日 宜蘭桃源谷 海が見える草原の山

山道でであった野良猫
数ヶ月前登山対象の山を探しているうちに、この地を管理する行政機関の東北角及宜蘭国家風景区Web siteなどで桃源谷を見つけた。場所は、以前仕事で宜蘭に行く途中往復した濱海公路の大里付近である。さえぎるもののない大草原は暑い時期ではたいへんだろうと思い、風がススキの波をたてていく秋まで待っていた。ところが11月になると、雨がずっと降り続き、なかなか実行できなかった。今回行ってみたところ、雨こそ降らなかったが、海側は晴れているものの、草原の広がる山側は霧が去来し、残念ながら大草原を満喫とはならかなった。桃源谷は素顔を半分隠したままだった。

新北市と宜蘭県にまたがる桃源谷の山塊
ルート図(クリックで拡大)
台北から宜蘭までは距離がある。今は雪山トンネルを経ていけば近くなっているが、今回登山開始の大渓へは電車で行くと、2時間弱かかる。そこで、うちを早朝6時に出発、台北駅6:40発の電車に乗った。出発前に、天候など状況がリアルタイムでわかるe政府WebCamのサイトで見ると、大里は天気がよさそうだった。ところが瑞芳あたりでは、晴れていれば見える五分山などはガスの中、双渓まで来ると雨が降っている。今日は、桃源谷は何も見えないのでは、と半ばあきらめかけたが、福隆をすぎトンネルを抜けると、晴れている。桃源谷のある草嶺稜線が西側から流れてくる雲をさえぎっているので、海側は晴れているのだ。

大渓駅から海を見る
トンネルを抜けるまでは、予定を変えて雨の草嶺古道でも歩くかと考えたが、青空を見てそのまま大渓まで行き下車する。大渓駅は海の脇にたたずむ無人駅となっている。駅前の濱海公道を大里の方向へ歩き始める。海岸沿いの道からは晴れた空のもと亀山島が近い。内大渓の橋をわたるとすぐに左側に公園があり、奥まったあずま屋の脇から桃源谷への登山道が始まる。ここから桃源谷まで5キロの道のりだ。時刻は9時少し前。はじめは山すそを沿っていくが、もうひとつの小公園からは登りが始まる。今回の最高点海抜544mまでは出発点が海に近いので、まるまるその高度差の登りとなる。さらに海側は急斜面なので、登りは結構きつい。石段の道はよく整備されており、0.5kmごとに里程石も設けられている。

登山口
強い風が吹き抜ける稜線近くは背の低い潅木しかないが、麓は高い樹木が生い茂っている。木漏れ日が差し、風もなく汗が噴出す。登り一本の道は、ところどころ開けた広場やベンチが設けてある。ただ、どこも同じだが座る人はほとんどいないようで、苔むしている。登ること30分ぐらい、振りかえると大渓港や沖には亀山島が見える。さらに登るとあずま屋が高台に設けられている。周囲は樹木が高くしげっているので、海が見えるほか、あまり景観はない。ここからは、山道は草嶺稜線から派生する枝尾根を行く。少しの登り下りを過ぎると、右から旧来の細い土の山道が合流する。さらに登ると、今度は右に蕃薯寮山を右に巻いていく、小道が分岐する。ここまで登りはじめて1時間である。

蕃薯寮山への登り
標高456mの蕃薯寮山は、この枝尾根上のピークである。先ほどのまき道分岐から約20分ぐらいの登りであった。時刻は10時15分。ここには三等三角点が設けられている。眺めると登ってきた尾根の向こう側には海が広がり、亀山島が浮かんでいる。反対側を見ると草嶺稜線が見える。谷を挟んで草嶺稜線から石観音山の枝尾根が延びている。草嶺稜線上はガスが去来している。反対側は天気がよくないのだ。

蕃薯寮山山頂
蕃薯寮山からの眺め、歩いてきた尾根と沖には亀山島
蕃薯寮山からの下り
蕃薯寮山からはしばらく下り道となる。下りきって登りが始まると間もなく、一匹の猫が走ってやってきた。山道では野良犬は珍しくないが、猫ははじめてである。足音を聞きつけたのだろう。でも、どうしてこんなところに猫がいるのだろうか。この猫、こぎれいだが、観光に来た飼い主からはぐれたのだろうか。ニュアーニャーと、足元にすり寄ってくる。腹がすいているようなので、持っている握り飯を少しわけてやった。その後しばらく後をついてきた。

登り途中、猫がついてくる





枝尾根上の道は小さい上り下りがあるが、蕃薯寮山から25分で山腹をまいてくる小道と合流、その少し上には立派なお手洗いがある。さらに進むと、草原に放牧している牛が出れないように山道に柵ができている。ここからなだらかな登り道をしばらくいくと稜線についた。時刻は11時、登りはじめて約2時間である。思っていた通り、稜線の反対側はガスであまり見えない。海側は晴れて、亀山島が見えている。ここを左にいくと、鹿窟尾尖にいく。広場になっており、脇にある苔むした土地公のほこらの上には、コンクリの屋根が作られている。
牛のための柵

土地公のある稜線の広場
ススキの稜線道、左からガスが昇ってくる
桃源谷は右に行く。ガスが左の谷側から昇ってきては、稜線にかかると消える。山道はこの稜線上を行くので右は海が見えるが、左側はあまり視界がきかない。これからの行き先も見え隠れしている。稜線の左側はなだらかな斜面でそこに草原が広がる、海側はそれと対照的に切立っている。道の両側はススキが茂っているが、しっかり刈られており、歩きやすい。しばらく登ると桃源谷の最高点(標高544m)の展望台についた。展望台といっても石を敷き詰めた広場になっているだけだ。海側は草があるものの展望が利く。ここからは蕃薯寮山の尾根筋とその先には亀山島が見える。天候は変わりやすく、そのうちガスが多くなり海側を含め視界がきかなくなった。
右の海側は切り立っている

霧の中のあずま屋と登山道
霧の登山道
最高点の展望台から下り、登り返すとあずま屋がある。途中には石の柵ができている。あずま屋はガスの中で展望がない。ここで食事をして少し休憩した。稜線の道は草の道で晴れていれば、それこそ快適な歩行だろう。残念ながらガスがかかり、視界が利かない。また道筋もはっきりしないので、注意しないと方向を見失う。かなりぬかっているところもあるので、雨がしばらく降り続いていることがわかる。牛には出会わないが、ところどころ糞がころがっている。石の基点がある禿山をくだると、石観音寺へ降りていく山道の分岐についた。脇には駐車場があり車が1台駐車している。貢寮からは車でも来れるのだ。時刻は12時20分。この分岐点から草嶺稜線を行き、草嶺古道の啞口へと行くことも考えたが、おそらく今日はこのまま天気がよくなることはなく、ガスが去来し視界もきかない草原道はつまらないので、石観音寺登山道を下ることにした。

石観音寺歩道の分岐点
全長3.5kmのこの山道は、大渓からの道に比べると整備度が低い。海岸から石観音寺までの2.5kmの部分は30年前に整備されているので、結構古い。山道の入口には、台風や大雨などで道が壊れることもあるので、寺に行く用事のない者は下らないほうがよいとの警告板がある。実際下ってみれば、それほど悪くはない。ほとんど歩かれていない山の道に比べれば、ずっとよい。石畳が切れて土の道も部分もあり、軽快である。下ること20分で、石観音寺に着いた。途中結構急な階段もある。石観音寺から谷を挟んで、灣坑頭山が大きくそびえている。ガスが稜線を越えると消えていく。実際の標高より、かなり雄大に見える。お寺の飼い犬がけたたましく吠え立てたが、そのうち住職がたしなめて静かになった。しばらくすると、また吠え立てる。2人の登山客が降りてきたのだ。今日の行程中でであった、唯一の登山客だ。朝の電車では、かなり多くの登山客が乗っていたが、ほとんどは貢寮で降りたので草嶺古道へ行ったのだろう。

石観音寺から湾坑頭山を見る
崩落した山道
石観音寺は、180年近い歴史を持つ古刹のようだ。この峻険な山に結構大きな規模の寺である。寺からの下り道は、同じく急な下り坂が続く。古いコンクリートの階段は崩れかけているところもある。途中、山道が手すりとともに崩落している場所を通過する。補助ロープが張ってある。ここから、灣坑頭山を眺めると、山腹に滝が2つかかっており、水音が聞こえてくる。寺から下ること30分、沢に降り立ち数十メートルこの沢底を進む。沢釣りをしている釣り客がいる。沢を越えると、今度は別の尾根を登り返す。濱海公道を行く車の音が聞こえ始める。沢から30分、寺から約1時間で石観音寺歩道を下りきり、山門についた。

下り道から湾坑頭山を見る
ここからは、濱海公道を左に大里または右に今日の出発点の大渓のどちらへも同じぐらいの距離である。大里へ行くことにする。濱海公道は大型トラックもかなりのスピードで往来するので、あまり歩いて楽しい道ではない。以前は自分も車でこの道を何度通り過ぎたことか。歩くスピードだと、車上からは見過ごしていたものがたくさん見える。車からは注意もしなかったが、左側の山容が立派なことに気付く。稜線は結構上り下りがある。最も低い鞍部は、草嶺古道の峠である啞口だろう。海岸側には花も咲いている。途中浜辺に下りたり、ゆっくり進む。歩くこと40分、大里の老街を通り過ぎ、2時40分に大里駅についた。

大里駅は利用客も多いので有人駅だ。大勢の登山客がいる。聞くと草嶺古道を歩いてきたそうだ。貢寮で下車した小学生の遠足グループもいた。15時16分発の七堵行き電車に乗り、七堵で乗換え台北駅に着いた。時刻は午後5時過ぎ、同じく2時間弱の乗車である。台北駅を出ると、日は暮れ始めていた。

大里の街
今回の登山は全行程13kmあまり、時間は休みも含めて6時間である。海に迫った急斜面の山道で、なおかつほぼ海抜0mからのスタートなので、桃源谷はその名とはうらはらに、登りがいのある山だ。管理する行政機関の整備もしっかり行われており、道自体は状態がよく、明確な道標や説明案内などが設けられている。天気がよいときに、また草嶺古道とあわせて行こうと思う。ただ、今回の登山で結構体力が必要なことがわかったので、草嶺古道とあわせて行くならば歩行距離が結構あり、それなりの心構えが必要だ。

2011-11-07

11月5日 獅仔頭山 - 粽串尖 - 大丘田山(未登)


獅仔頭山は台北付近にある五つの一等三角点のある山ひとつである。その日本統治時代の歴史的背景や台北から見ての位置からして、長く登ることを考えていた山だが、なかなか実行に移せていなかった。おそらく、この山は新店区役所からの無料シャトルバスで登山口まで行くと、この山だけでは登山行程としては短いこと、さりとてこのバスで行かなければ結構の登りが必要だが、バス運行は週末に限られることが、その原因であった。いざ行ってみれば、どうしてもっと早く行かなかったのかと思う。

台北の南に位置する
古道部分は記録無し(クリックで拡大)

自分の山登りのパターンは、いろいろなところを見ていきたいので、入口と出口を別々にして登山ルートを選んでいる。今回も、獅仔頭山からどこへ抜けるかということを探ったところ、交通の便などを考えると、大丘田山を経て十七寮山への稜線を行き錦繍へ出るのがよいのでは、ということで出発した。ところが、粽串尖 への分岐から先はあまり歩かれておらず、とくに大丘田山の手前の廃棄された住宅開発のための土砂崩れ防止コンクリート壁から、この山の登りに取り付くところで、密生した竹やぶに道を阻まれた。鎌などもなく、また単独行では無理と判断して、そこから折り返し、結局出発のときと同じ獅仔頭山登山口に戻った。予定のルートが歩けなかったのは残念だが、非常によい天気で景観にも恵まれ、それはそれでよかった。

峠の登山口
獅仔頭山は、台北の市街から見ると、ちょうど南になる。近くには秀岡山荘など大きな山腹住宅開発が行われ、中学校などもある。その点では人里が近い感じだが、実際歩いてみると山深い。6月に登った天上山から谷を挟んで見える獅仔頭山は、こうした住宅群はなく奥深い山に見えた。

休祭日に運行されている新店区役所からのバスは、朝6時40分発のあと8時半になる。その一番バスに間にあうように、うちをまだ明けきらない6時前に出発した。バスとMRTを乗継ぎ新店区役所駅で地上に出ると、幹線道路に沿った区役所前には大型バスが3台ほど停まっている。どこがこのシャトルバスの乗り場かと思ったが、そこに並んでいた登山客がこの場所で待っていればよい、と教えてくれた。果たして40分には中型のシャトルバスがやってきた。乗客は自分もいれて7人、全員乗り込むと出発した。バスは、途中の集落で一人下車し、そのあと高度を大きく上げ、7時10分に登山口である峠に到着した。

新店と大台北華城の山腹住宅群、台北101ビルが頭を霞の上に出している

観獅坪と獅仔頭山
朝早いので、光線の角度がまだ低い。登山口脇の展望台から見える台北の市街は霞の中である。台北101ビルはその霞から頭を出している。多くの住宅が山腹に建つ塗潭山の向こうに陽明山の山々が並んでいる。東には二格山、そのさらに遠くには四分尾山、姜子寮山、五分山の山塊が見える。身支度をして、登り始める。途中、歩道の整備用の木材などがたくさんおかれている。20分足らずで観獅坪の広場に着いた。ここはそこそこの大きさの広場で、前には獅仔頭山が大きくそびえている。台北県県定古跡新店獅仔頭山隘勇線と記された大きな石碑が建てられている。この広場のふちに設けられている展望台からは、これから歩く予定の大丘田山の山腹やそこに多く残されている土砂防止壁が見える。
登りの途中から観獅坪を見る、前にかすむ山は猴洞尖

木製梯子
観獅坪からは右に、獅尾登山口へとつながる山腹をまいていく古道と、左に別の登山口への道が分岐する。獅仔頭山の頂上へは、はじめは木製階段を登る。この斜面は非常に急なため、階段を登ると、ほとんど垂直の壁に木製の梯子が取り付けられている。この梯子は全部で3つあり、途中には景色を見ることができる踊り場もある。踊り場からは先の観獅坪が下に見える。その向こうには朝日の中に猴洞尖が控えている。180度の展望が利く。登りきると、クスノキと説明文がある。日本統治時代初期に、樟脳をとるためにクスノキを多く植えたが、そのために原住民との衝突が発生し、ここがその争いの最前線となった由縁を説明している。このクスノキ自体は樹齢100年とある。

防蕃古牌
ここから間もなく獅仔頭山最高点(標高862m)につく。時間は8時少し過ぎ、登山口から50分ほどである。登山口は標高646mあるから、200mちょっとの登りだ。脇にある展望台から見える景色は観獅坪と同じような範囲だ。獅仔頭山の周りには、統治時代の遺跡が残っている。先にそれらに立ち寄っていく。まず分岐を左にとり、防蕃古碑に向かう。この石碑は樟脳の生産に従事した台湾製脳合資会社のため、1903年にそれまでに殉死した軍人警察官などの名を記した碑である。この本来の石碑のコピーも作られ整備されたテラスの脇にすえられている。この辺はツツジが多くあるそうで、春であればもっときれいだろう。

石屋の遺跡
ここから南獅仔頭山へと続く縦走路と分岐し、次の遺跡に向かう。谷を下り小さな沢を過ぎ登り返すと、警察官駐在のための石屋跡についた。原住民からの攻撃に備え、銃座や入り難いように角度が着いた入口などを設けた石造りの建物があった。沢が近いのでこの場所が選ばれたのだろう。遺跡には保護屋根も設けられ、立派なものとなっている。ここからは、直接小土匪洞を経由して下山もできるが、まだ一等三角点など見ていないので山頂の稜線へ登る。登りきると古井戸への道などもあるが、左にとり三角点へ行く。同じバスできた4名の登山客が、三角点のそばで休憩をしている。親切なことに柚子をくれた。
大丘田山、背後は台北市街と陽明山の山並み

大土匪洞
北側に向かって展望台が作られている。これから歩く粽串尖や大丘田山とその先の十七寮山への稜線がはっきり見える。その先には谷を挟んで6月に歩いた将軍嶺とその下に伴吾社区の住宅群が見える。ここからは、この好天気なもと粽串尖や大丘田山へは楽勝だと思っていた。下り道の途中には、小土匪洞や観音洞、また大土匪洞などがあるが、先を急いだほうがよいと思い、少し遠回りになる前者2つには行かず下った。大土匪洞は抗日分子が人質などを隠していたということだが、中は暗くてよく見えない。フラッシュで写真を撮ると、確かに内部は広いことがわかる。土匪(盗賊)洞の名は、抗日分子は周りを日本軍に囲まれ、食料供給が困難になり、近くの民家の鶏などを盗んだことから、そのように呼ばれたそうだ。

獅尾格坪からの下り道、背後は獅仔頭山
さらに下ると、獅尾格坪の展望台が現れた。ススキの穂が大分高くなっている。このため展望はもうひとつだが、青い空は気持ちがよい。時間は9時半、太陽が大分昇ってきた。木製の展望台は、完成後大分時間がたっているようで、抜けている床板もある。ここから木製桟橋がずっと造られている。下りきると舗装路が合流する獅尾登山口についた。駐車場もあり、車で来た場合は、ここから気軽に獅仔頭山へ登れる。振り返ると獅仔頭山が見える。

粽串尖頂上
大丘田山への縦走路は、駐車場の片隅から続いている。道は、それまでとはずっと程度が下がる。自治体の道しるべなどはまったくない。歩き始めてすぐ、竹林の中をいく。下りきったあと、少しののぼりで粽串尖の分岐が現れた。左に道をとり、粽串尖へ向かう。獅尾登山口から20分足らずで標高728mの頂上についた。木々に囲まれているが、北側だけは開けており、大丘田山がいっそう近くに見える。食事休憩をとり、10時に出発する。登ってきた道を折り返し下り、分岐へ戻る。

土砂防止壁の上を歩く
分岐から少し入ると、粽串尖への道と比べると、さらに歩かれていないようだ。下草が多く、獣道に近くなってくる。道しるべのリボンもあるが、まばらでところどころ道を探すこともあった。いやな予感がする。それでも、注意を払えば見えてくるので、先に進む。30分ほど歩いた後、大丘田山山腹に多く残されている、廃棄された住宅開発時の土砂防止壁にたどり着いた。周りは木々や竹が多く茂っている。ネット上の登山記録などでは、この防止壁に沿って進むそうだが、沿ってというよりは幅20センチぐらいの壁の上端を歩くことになる。

壁上端歩きははじめはよいが、歩くにつれ下端からの高さが高くなっていく。ところどころ草や潅木が茂り、行く手をさえぎる。しばらく歩いていくと、高さはかなりのものになる、三階建ぐらいの高さだろうか。右に落ちたら、間違いなく怪我をする。反対側も大きな溝があるので、こちらも危ない。この壁もそろそろ終わりになるあたりで、山腹のほうにいくかのようにリボンがかかっている。壁から離れて、ほっとしたものの、今度は密集した竹やぶの中を進むことになってしまった。しばらくは、もがいて進んだものの、回りを身の丈よりはるかに高い竹で囲まれ、進むべき方向がわからなくなった。大丘田山へはそう遠くないと思われるが、単独行であるため万一を考えて、折り返することにした。残念だ。

土砂防止壁の上から見る山並み

大丘田山への道なきみち
今来た壁の上を、また注意深く戻る。先ほど竹やぶでもがいたので、かなり疲労している。自分に言い聞かせて、ゆっくり着実に歩く。壁が終わり、先の道を戻る。下にある中学校のチャイムが聞こえる。メリメリッと枯れ木が倒れていく音も聞こえた。折り返し点から歩くこと40分で獅尾登山口に戻った。時間は11時50分、まだ早い。ここで休憩を取る。予定のルートを完了できないので、どこから下るか考えた。結局、朝出発の登山口へもどりバスで戻ることにした。

古道の入り口
獅尾登山口から、また獅仔頭山に登り返すこともできるが、山腹を行く古道をいく。はじめ、舗装路を下っていくと、右に古道の標示がある。ここから観獅坪まで登りが始まる。古道というが、全線木製階段.桟橋になっているので、気楽な道だ。しばらくして青染め池の跡地への道しるべがあるので、立ち寄っていく。 12時半に観獅坪についた。朝と違って日差しが強い。風もあまりなく暑いぐらいだ。展望台から大丘田山を見ると、そんなにてこずることもないような山容がそこにある。自分がどのへんまで行ったのか、目を凝らして見る。実際、土砂防止壁の最上部から頂上までたいしたことないように見える。朝は霞の中だった観音山も大丘田山のかなたに姿を現している。

木製階段・桟橋の古道
登山口からの下りバスは1時50分なので、まだ時間がある。ゆっくりと周辺の写真を撮る。下り始めると、数人の人夫が朝来るときにみた歩道整備用の材料を担ぎ上げていた。なかなか大変のようだ。登山口には1時少し前に到着。朝の四人組みの登山客もバスを待っていた。駐車場に満杯状態で、道路わきにも何台も車が駐車してある。大型ミキサー車がこの狭い道を通り過ぎていく。新店区役所からのシャトルバスは、2人の登山客を降ろしたあと、時間通り1時50分に出発した。下りは12名の乗客であった。

今回は途中で引き返したこともあり、歩行距離はすくない。8kmぐらいである。時間は休憩も入れて5時間である。獅仔頭山だけであれば、歩道はしっかり整備されているし、日本にゆかりのある遺跡も多いので、お勧めする。ただ、さらに別の山へ縦走する場合は、十分に状況を確認したあと仲間と行くほうがよいかもしれない。
シャトルバスが到着

2011-11-05

11月3日 観音山 牛港稜山から硬漢嶺、占山縦走

観音山へは6月に行ったが、これで今年2度目となる。前と同じコースでは面白くないので、今回は八里から先に牛港稜山を越え、そのあと硬漢嶺を往復した後、占山(尖山)までの尾根を縦走して下山した。距離と登り降りは前回より、かなり多くなっている。

観音山は台北の北西に位置する(クリックで拡大)
北西側の八里からスタート
田園風景の向こうには快速道路高架橋
観音山は海に近い独立した山なので天気がよければ台北のどこからでも見える。独立しているといっても、単一ピークではなく、いくつかのピークがあり標高472mの牛港稜山は、他の山並みとは離れてそびえている。主体は標高616mの硬漢嶺を最高峰として、南東側に尾根が延びておりそこから派生する山もある。占山はこの尾根の最後尾にあり、標高は382mである。この中間の尾根上には5つの小ピークがあり、前後はかなり急な登り降りがあるので、単に硬漢嶺から下るというわけには行かない。特に硬漢嶺登山道の分岐から、第3ピークの前で凌雲寺からの登山道と合流するまでの間は、かなり急な岩の露出した道の部分もあり、比較的整備され気楽な山登りができる観音山の中では、異色である。八里からの牛港稜山登山道も、岩場はないが石段のしっかりした観音山登山道の中では土の道であり、これもある程度山に慣れている人向きだろう。

廖添丁洞入口
今回は、八里からのスタートなので、八里まで高速道路と64号快速道路経由の929番バスで向かう。MRT三和国中から乗車したが、ちょうど出勤時間にあたり、乗ってから高速にあがるまで20分以上を要した。高速にあがってしまえば混む方向とは逆であり、三重の数百メートルの混雑を行くのと同じ時間で八里に着いた。途中右には陽明山の山並みが、左にはこれから登る観音山がはっきり見えた。

うちを7時に出発、三和国中には7時半にはついていたが、バスの便数が少ないこと、混雑で時間がかかったことなどで、期待したより遅く8時40分にやっとスタートできた。はじめは、64号快速道路の高架橋を右にみて荖阡坑鹿路を歩く。時々バイクやトラックが通るが、交通量は多くない。野菜畑や柚子の畑を見ながら行く。舗装道路とはいえ、車では見過ごしてしまうような田園風景を見ながら歩くのも、山道とはまた違った趣がある。2kmほど歩くと勾配がきつくなり、平行していた快速道路もトンネルに入り、見えなくなる。振り返ると遠くに台北港が見える。歩き始めて40分ぐらいで、左に廖添丁洞への標識の分岐に着いた。ここには右へ牛港稜山歩道への標識もあるが、これは舗装路をずっと行き、観音山ビジターセンターからの道を指しているので、これから歩く土の登山道とは違う。

石碑と背後の岩場
廖添丁洞とは、日本の台湾統治時代初期の義賊廖添丁が捕らえられた洞窟である。100年以上も昔の人物である廖添丁は、日本のねずみ小僧と同じように、豪商を襲い獲た金銭は貧しい人に分け与えたとされている。また、統治時代初期の反日抵抗運動に関与した英雄という扱いもあり、八里には廖添丁廟もある。伝説的な要素もあるので、ある研究では統治者である日本の警察当局は捕まえては脱獄され、警官も殺害する厄介な犯罪人という捕らえ方で、抵抗分子とは考えていなかったということであるが、日本でも実在の人物がその生き様をはるかに膨らまされて、後代が英雄的な評価をしているのと同じで、そうした一般庶民の切なる気持ちが映し出されているのかもしれない。

廖添丁洞
石段の道
牛港稜山登山道は、廖添丁洞への道の途中から分岐していくので、まず廖添丁洞に立ち寄った。石階段の道がとぎれ、岩場になるがそこに民国86年(1997年)に建立された碑文(当時の八里郷長、張恒の署名)があった。そこには上記のような説明があるが、日本は日寇と呼ばれている。ロープの下がっている岩場を登ると、また石段が始まる。この石段の脇に小さな祭壇が造られている穴が、廖添丁洞である。お供え物もおいていある。1909年に27歳で亡くなったが、当時の警察記録では密告し捕獲部隊を案内した親戚の人間が、鍬で殺してしまったそうだ。廖添丁は、体が弱ってこの洞窟で養生していたが、親戚と警察を見て銃を取ったところ弾は出ず、その隙に反撃を食らった。

山道途中の倒木
廖添丁洞からはさらに先に石段が続いているが、これは少しで最高部になりそこからは、下がって先ほどの廖添丁洞歩道入口へ通じる道である。牛港稜山登山道は先に来た道を戻り、その途中から分岐して登っていく。ここの標識は行政機関のものではなく、登山クラブのものであり、登山道もクラブの残したリボンが頼りである。登っていくと、石ひとつが一段となる素朴な石段が始まる。結構長く続くが、これは農作業の利便も含めて造られたものだろう。振り返ると海と、近くに快速道路の高架橋が下方に見える。これを登りきると雑木林や竹林に入り、土の道になる。結構急な道が続く。倒木なども現れるが、そのうちにロープを張った部分も現れる。一気に300mぐらい高度を稼ぐのでそこそこつらい。40分登ると、立派な歩道にでた。これはビジターセンターから登ってくる登山道である。この分岐部分に、今来た登山道は経験のある登山客がグループで通るように、とこのあたりを管轄する交通部観音風景区管理局の警告板があった。

山道入口の警告板
ここからは、立派な道を歩き展望台に着く。谷を挟んで反対側には硬漢嶺が見える。頂上がガスが去来している。左下には台北港が見える。時間は10時40分。八里を出発して2時間である。水を飲んで休憩後下り始める。しばらく行くと、狼煙台跡につく。1895年日本が日清戦争の馬関条約で台湾割譲を受けた後、台湾では反日義勇軍が組織された。義勇軍は各方面から狼煙を合図として台北の日本軍を攻める予定であった。この狼煙台は台北が一望できるところにあり、狼煙台として適地である。戦いの結果は歴史が示しているが、上記の廖添丁洞も含めて、この牛港稜山は台湾統治初期の歴史が残っている。

狼煙台跡から見る台北
楓櫃斗湖登山道の休憩所
狼煙台からビジターセンターへの道は、ちょうど整備中であった。次のルートに進むためには、この道を下るしかないので下っていくと、桟道の工事現場が現れた。橋はないが土台の周辺を注意深く迂回して下った。下ること15分、ビジターセンターに着いた。センターの上の道へ登ると、硬漢嶺へ続く稜線山道につながる、楓櫃斗湖步道が始まる。この道ははじめは舗装路であるが、民家をまくと石段の道になる。6月に凌雲寺から硬漢嶺歩道を歩いたときは、ちょうど整備中であった。道は整備され非常によい、一定間隔で街灯も設けられている。家を出てからまだ食事をしていないので、腹が減ってきて力がでない。ちょうど休憩所があったので、ここで休み食事をとる。

硬漢嶺頂上近く
12時に稜線の硬漢嶺歩道に合流。硬漢嶺を見ると、ガスが去来している。とりあえず硬漢嶺へ往復する。十数分で頂上についた。果たして頂上は霧の中、景色は望めない。6月に十分見ているので、今日はよしとしよう。早々に今来た道を下り、占山の分岐を目指す。十数分で分岐についた。時間は12時半過ぎ。この道の入り口には、牛港稜山で見たのと同じような警告板がある。下り始めしばらくは石段の道が続くが、これも切れて土の道になる。これから占山まではピークが5つあるが、そのうちの3つは警告板にある「荒野型山林小径」の途中にあり、前後はかなり急な登り下りがある。特にはじめの第6ピークの下りは、岩場でロープを頼りに下る。第5峰下り口からは左に淡水や西方向に台北の街並みが見える。大屯山も全容がはっきりわかる。硬漢嶺は霧がはれている。第2ピークの先には、目的地の占山が控えている。

第6ピーク下りから見る大屯山
第5ピークからの第2ピークと占山、台北

第2ピークの下り道
第4ピークからの道を下りきると、突然石畳の道に出た。これは凌雲寺から来る占山歩道である。今までの道とは違い、気楽な道だ。第2ピークからはかなり急な道を下る。ただ、手すりのあるしっかりした石段や木製階段で、気を使わずに下れる。鞍部へ大きく下った後、送電線の鉄塔の下を過ぎ、占山への登りとなる。高度差は5,60mだが、さすがに今までの疲れが出てきたのか、結構つらい。登りきると、あずま屋がある。登山客がラジオをつけて休んでいた。時間は2時ちょっと回ったところ、硬漢嶺歩道分岐から1時間半の歩きだった。ここで2度目の食事休憩とする。

占山
占山からの下りも結構急な階段の道で高度を下げる。高度150mぐらい下ると、道も緩やかになり舗装路に出る。ここからは、観音山バス停まで県道を歩いていく。途中分岐には道標示もあり、わかりやすい。下る途中、右には鷹仔尖や歩いてきた占山と縦走路のピークが続いている。3時にバス停に到着、今日の行程はこれで終わりである。凌雲寺から下ってくる棕20番バスは間もなくやってきた。帰り道は速い、蘆洲からMRT経由で4時にはうちに着いた。

観音山バス停付近
今回のルートは、それぞれ別々に歩くようなものをつなげたので、やはりきついところもあった。これで観音山の主なルートは歩いたことになる。もちろんまだ行っていないところもあり、季節を換えていくこともいいだろう。距離は12キロ強、時間は6時間15分であった。