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2016-03-31

2016年3月30日 半屏山水管路 岩壁を行くスリルあふれる新路線

岩壁を進む
金瓜石、九份近くの山々は岩肌をあらわにした山が多い。特に金瓜石の背後にそびえる半平山(半屏山)は、険しい岩稜が続きその険しさが顕著だ。海岸近くから取り付いて登る劍龍稜、鋸齒稜は、半平山の登攀ルートとしては難しい。今回のルートは、この岩尾根の下部、半平溪の谷間を行く道である。もともとは、水を麓に引くための鉄管を通すため、岩をくりぬきトンネルを掘った道である。また、岩壁を進むと、それとは別に半平瀑布近くから水を引くための塩ビパイプが岸壁にそって進む。そうしたことから、このルートは水管路と呼ばれている。

前方に草山をみて進む
この山道は、付近の山道がそうであるように、昨年ボランティアによって整理され開通したものである。水管路は、半平瀑布のところで終了し、その上は草山の山腹を進む廃棄産業道路へつながる瀑布稜路がこれまたボランティアの努力で通じている。この枝尾根は、山林投が密生し、そのままではほとんど歩行不可能だが、枝を切り分け道が続いている。これを実現するには、かなりの労力を要したと思われる。

海岸きわの台金公司から登り、金瓜石へ下る
山腹部分は、緩やかな登り
台金公司の出発点、背後に半平山
本来、水管路を歩いた後、産業道路から戦備道をへて、半平山頂上を過ぎそのまま岩稜を下って俯瞰稜を下る予定であった。しかし、水管路-瀑布稜で予定より多く時間を要したため、そのまま直接金瓜石へ下った。出発が8時半と少し遅いこともあるが、8時間を費やして16時過ぎに歩き終えた。大きな岩盤を渡っていくところは、補助ロープなどがなく、万一滑るとそのまま谷底に滑落する恐れもあり、慎重な歩きが必要だ。困難度は、台北近郊の山では一二を争うかもしれない。

劍龍稜への道を登る


今回は6名のパーティだ。台北7時半の自強号で瑞芳へ向かう。瑞芳からは、タクシーに分乗する。一人当たり100元である。8時40分過ぎ台金公司で下車する。すでに何度か訪れた場所だ。眼前の海は曇りで、水平線がすこしぼやけているが雨は降りそうもない。今日のような、ほとんど木の陰を期待できないコースでは、曇りのほうが適している。劍龍稜-鋸齒稜のコースがすっかり定着したので、壁には簡単に乗り越えられるように踏台の木もある。中に入ると、前方に半平山がそびえている。

半平溪の谷が眼前に現れる
トンネル入り口が現れる
支度をして出発する。すぐわきの沢を丸太橋で渡らず、そのまま右岸を進む。この踏跡も明確だ。廃棄されたオフィスビルの脇を通り、登り始める。この部分は、劍龍稜へのアプローチと同じである。廃棄ビルが小さく見えるようになり、9時20分劍龍稜の尾根鞍部に来る。右へ行けば劍龍稜だ。今回はここを直進し、下り始める。下ること三、四分、前方の視界が開け半平溪の谷が望める。対岸の稜線は、黃金七稜、その向こうに頭を出しているのは南雅山だ。樹木が少なく、ゴツゴツした荒涼な山並みである。

谷間を見渡すパノラマ
トンネル出口
道は思っていたよりはるかに状態がよい。昨年5月に開通してから、しばらくたっているのでかなりの登山者が歩いているのだろう。道は人が歩いて初めて道である。山の斜面を行く道は、大きな岩盤の脇を通る。三人のパーティと出会う。その先、切り立ったところを通り過ぎる。このような道は、花蓮太魯閣の錐麓古道と似ているので、ここは通称小錐麓と称されている。ほどなく岩をくり抜いたトンネルが現れる。このトンネルは、進むほど背が低くなり反対側の出口は土砂で埋まったためなのか、這っていかなければ出られない。リュックサックをおろし、やっとの思いで出口まで進む。

大鬼瀑布が下方に見える
出口からも、また垂直の壁脇に作られた細い道を進む。下方谷底に大鬼瀑布が見える。山襞にそって道を進んでいく。道の左側は切り立った崖だ。前方の谷の奥には草山が見えてくる。9時50分、左に谷底に降りていく道との分岐に来る。去年11月の新しい藍天隊の道標がついている。補助ロープもある急坂を下り、谷に降りる。その先左岸を少し進むと滝の前にくる。ただ、前方の岩が邪魔をして全体は見渡せない。ほとんど樹木のない、岩の沢は台北近郊の山では特異な存在だ。ここでしばし休憩する。

切り立った岸壁沿いに道は進む、小錐麓と呼ばれる由縁だ
小鬼瀑布へ下る
沢に下る
草山を前方にみて岩壁をトラバースする
急坂をのぼり高度をかせぐ
往路を登り返し、山腹の道へ戻る。ここから先は、それまでに比べると明らかに道の状態が悪くなる。多くの登山者は、滝をみてそのまま引き返しているようだ。我々は沢沿いに最後まで進む。大きな岩盤の部分には、幸いロープが取り付けてある。約10分ほど、緩やかな坂を進んだ後、急勾配の坂を登っていく。10時54分、我々と前後して進んでいた三人パーティが休んでいる場所で、我々も休憩する。標高差150mぐらいの急坂中間地点だ。曇りなので、木陰がなくても暑くない。

急坂をさらに行く
大きな岩盤を渡っていく
谷間のパノラマ
塩ビパイプにそって進む
更に急坂を登り、道は再び山腹を緩やかに登る。大きな岩壁が次々と現れ、緊張して渡っていく。勾配はそれほど大きくないが、滑落すればそのまま谷底へ落ちていくおそれが大きい。幸い岩は乾き、ホールドもそこそこあるので慎重に進めば大丈夫だ。12時、小さなトンネルが現れる。そこから水道の塩ビパイプが伸びている。これが、反対側まで続く水道用のトンネルのようだ。ここからは、上流から水を引くためにパイプが山腹にそって伸びている。我々もそれにそって進んでいく。また岩盤部分をいくつか通り過ぎる。注意深く岩を渡っていく。突出した大岩を回り込み行くと、灌木が現れその中を進む。少し下り気味になり、谷に近づいていく。12時36分、左に半平瀑布の上部を見ると、すぐ前方に砂防ダムが現れる。数名の登山者がそこで昼食をとっている。我々も休憩をとる。

半平瀑布上部の砂防ダム上から谷間を望む
筆者とポール・リーさん
昼食をとっているパーティの一人は、この山道を切り開いたメンバーの一人、ポール・リーさんだ。彼のパーティーは、すでに劍龍稜-鋸齒稜から半平山を登り、下ってきたそうだ。早めに出発したのだろうが、それにしても足が速い。昼食後、空身で半平瀑布の滝上部へ下っていく。この滝は落差がかなり大きいようで、下は見えない。砂防ダムまで登り返し、13時25分リュックを担いで登り始める。我々の前方を進んでいた三名は、まだ休憩中だ。

滝上部
瀑布稜に取り付き登る
林投の間を苦労して登る
沢にそって進み、三分ほどで瀑布稜の下部に来る。ここからこの枝尾根に取り付いて登っていく。道は急坂が続く。尾根上には枝が四方にうねって生える山林投が密生している。いくつか小ピークを越えていく。林投が密生しているところは、ボランティアが切り開いてくれているが、それでも多すぎて全部は無理なので、枝を足場にして登る。ふかふかして登りにくい。ただでさえ急坂なうえ、太陽も顔を出し、林投の道は実につらい。14時8分、尾根から右に山腹に取り付き登っていく。最後に急坂を登り切り、14時23分廃棄産業道路に出る。瀑布稜の登りは約1時間であった。

草がきれいに刈られた廃棄産業道路を行く







廃棄産業道路は以前通り過ぎているが、草が刈られてとても良い状態になっている。14時37分、戰備道に合流する。少し登り気味になる。途中で休憩し、戰備道をさらに進む。道からは半平山頂上と、今登ってきた半平溪の谷と瀑布稜が見える。15時13分、半平山登山道の分岐に来る。本来、ここから半平山頂上へ登り、その後さらに岩尾根を進んで俯瞰稜を下る予定であった。しかし、予定より約2時間ほど遅く、時間的に厳しいこともあり今回は、このまま下山することにする。

戰備道からの眺め、谷の左は半平山、谷の右に登ってきた瀑布稜が見える
石段道を金瓜石へ下る
戰備道を下りはじめ、左に燦光寮古道を分ける。15時27分、右に黄金神社や黄金博物館へ続く道に入る。ここからは、石畳の良い道だ。天気は晴れて、下方も見渡せる。急坂なので、高度もぐんぐん下がる。途中少し休憩し、16時11分、黄金神社跡につく。黄金博物館脇を通り、16時43分金瓜石のバス停に着いた。

黄金神社跡に立ち寄る



半平山水管路と称される、谷沿いに山腹斜面を進む道は大きな岩の斜面をトラバースするところが多々現れる。岩は乾いていればそれなりのフリクションがあり、またホールドもあるので、岩登りの基本があれば難しくない。ただ、普通の登山道ではないので、ここは経験者向けだ。ボランティアが補助ロープなどを将来かける可能性もあるが、現状ではだれにでも進められるルートではない。難易度は、ルート5(最高度)、体力的にはクラス3だ。さらに瀑布稜をいれれば体力的にはクラス4というべきだ。夏の暑い時期や、雨の多い冬や避けたほうがよい。小鬼瀑布への往復だけであれば、困難度はクラス3だ。歩行距離約10㎞、休憩込みの活動時間8時間であった。

2016-03-27

2016年3月26日 苗栗馬那邦山 日本統治時代の歴史が残る小百岳

130号線の峠から見る馬那邦山と背後の雪山山脈
台北から南へ約百数十キロに位置する苗栗縣は、客家人のふるさととして有名だ。客家人とは、2000年前黄河流域から戦火を逃れて、南に移住していった中国漢民族の一派と言われ、広東省や福建省、江西省などが現在多く居住する地区だ。もともとの原住民に対し、そとから来たので客家と称し、独自の文化言語をずっと守ってきた。台湾へ移住しても、同じである。福建省からの移民は、平野に多く移民したが、後発の客家人は山がちの場所が主要な移住先である。苗栗縣もまさに、小高い山や丘が多く続く土地だ。

雪山(右)と聖稜線
苗栗縣の大湖は、イチゴ狩りの有名な土地だ。このイチゴ畑の上部にそびえる山が、今回の登山目的地馬那邦山である。山名は、原住民泰雅族のマナパン(壮麗な山という意味だそうだ)を漢字読みしたものである。標高1406mの山頂は、東側が開けていて天気が良ければ雪山山脈の壮麗な山々が望める。台湾の高山は、日本統治にスポーツ登山としての登攀が行われている。昭和2年(1927年)に、当時の台湾山岳会重鎮沼井鉄太郎によって、初めて縦走された大霸尖山から雪山(当時は次高山)への稜線は、沼井の神聖なる稜線という形容の言葉が今でもそのまま、聖稜線として呼称されている。その稜線が遠くに連なって望めるのだ。

古戦場紀念碑の小広場
馬那邦山は、また別の意味で日本統治時代とつながりが強い。日本は1895年に台湾を接収したあと、平地の抗日運動の他、山岳地帯では原住民の強力な反抗を受けた。この地でも、1902年に大きな戦役があった。台湾北部でも見かける原住民との境界としての隘勇線とその歩哨基地は、馬那邦山にも残る。一つが馬那邦山古戰場紀念碑であり、もう一つが草坪営区と称される当時の駐屯基地跡だ。100年以上経った基地は、草に埋もれた石積が残るだけだ。しかし、100年前に見えた雪山山脈は、今でも同くそこから壮麗な姿を見せている。

北側の上湖登山口から頂上を往復
標高差は400mのみ
もともと、今回の登山の日は、中央高山登山の予定であった。しかし、三月としては強力な寒波が訪れ、多い水分と合わさり雪をもたらした。そのため予定は延期、その代わりに苗栗縣を訪れることにした。訪れた初日とは打って変わって、朝から快晴である。宿泊地三義の民宿からオートバイで訪れた。一般交通機関では、少し大変だ。レンタルバイクは、その点軽快である。特に今回の登山道は、登山道の始まる直前まで舗装の産業道路が続くが、道が良くなく四駆でないと難しい。その点、バイクは問題なく登山口まで行けた。そのため、今回は登りはじめは遅かったが、歩行距離も少なく楽な登山ができた。残った時間で、別の苗栗縣観光スポットを廻った。

苗栗縣南部の山と観光地
三義からは、130号線を行く。苗栗縣の別の小百岳關刀山から続く尾根の峠を越えていく。気温が低く、バイクでは風が冷たい。峠は前方が開け、今日の目的地馬那邦山が谷を挟んですくっと立っている。その背後遠くに雲間から雪をかぶった雪山山脈が望める。今日は、本当に天気が良い。130号から3号線に入り少し北上、大湖から苗55号県道に入る。武榮小学校脇で東興產業道路を進み、山腹を登っていく。駐車場のある錦雲山莊のわきをさらに登っていく。路面は湿り、でこぼこしているが、ゆっくり行けば問題ない。道幅は車一台分しかないので、車ではすれ違いは大変だ。11時、登山口近くにバイクを泊める。ここの標高はすでに1000mである。

130号線峠からの眺め
竹林の中を登る
すぐに登山口の看板がある。その左から土の道が、細道邦山へ分岐する。右に少し進むと車道が終わり、土の登山道が始まる。桂林林の中を、石段道が登っていく。山上から多くの登山客が降りてくる。軽装のメンバーも多い。ここは、気楽に登れる山である。補助ロープのある急坂を過ぎる。11時28分、1㎞のキロポストのある分岐に来る。左へ行けば細道邦山へ尾根を下っていく。山頂は、右方向だ。石や木板の急な階段を上る。11時36分、古戦場紀念碑につく。碑の下の小広場にはベンチが設けてある。一休みする。

古戦場紀念碑






古戦場紀念碑のこの場所は、もともと馬那邦戰役で亡くなった兵士をねぎらう忠魂碑があったそうだ。しかし、もともとの石碑はなくなり、今は1984年に民間有志によって建てられた古戦場紀念碑がある。すぐわきのところからは、東方向に木々の間から遠く雪山山脈が見える。先ほど130号線の峠から見えていた雪山山脈はずっと近づき、雪をかぶった大霸尖山から雪山までの聖稜線が、雲の間からその姿を見せている。こんなにきれいな雪山稜線は初めてだ。左には、馬那邦山の大峭壁が望める。

雪をかぶった大覇尖山(右のとがった山)が望める
蒼い空に若葉がまぶしい
更に急階段を登っていく。10分ほどで道は緩やかになり、11時56分隘勇歩哨基地につく。樹木が茂り、それほど広さは感じないが開けた場所の周りには、緑に苔むした石積がのこり以前ここが基地であったことがうかがえる。東側が開けて雪山山脈が見える。この地点からは、谷間が望める。原住民の集落に対し、大砲をすえにらみを利かすには、絶好の場所だ。100年の歳月を経て、今は初春の光の中、平和な時間が流れているだけだ。上を見上げると、淡い緑の葉が青空にまぶしい。道脇に0.5㎞のキロポストが植えられている。

隘勇線基地跡、左に石積が見える
石門
山道は緩い幅広道になる。この辺りは楓が有名で、秋には色づいた葉で飾られるのだろう。実に気持ちのよい道だ。現れた階段道を登る。12時19分、石門に来る。その名の通り、大岩の間に細い切れ目があり、そこを通り過ぎる。この大岩の切れ目は、造山活動の際に自然できたものだそうだ。岩には石門の文字が刻まれている。緩い登り道を進み、12時30分、好漢坡と呼ばれる急坂階段道の下に来る。これを登りきれば頂上だ。数分で、右から木桟道道を合わせ、階段切れると土の稜線道を進む。12時38分、ヒマラヤスギとベンチがある場所を過ぎる。ここにも石碑がある。苗栗縣生まれの徐慶榮という登山家を記念する石碑である。彼は、土地の登山活動に貢献し、1982年にヒマラヤの標高6600mのWhite needle peakを登頂、翌年またヒマラヤに挑むものの28歳で帰らぬ人となったというこだ。筆者とほぼ同年代の登山家である。

頂上下の急坂階段(好漢坡)


ベンチのある広場を回り込んで少し登ると、そこは広々とした馬那邦山の頂上だ。一等三角点がある。南には大安溪の谷間広がり、尾根を伝った右岸には大克山が立っている。川を挟んだ対岸は、雪山山脈周辺の峰々と谷間が広がる。三角点脇には、真ん中が折れた石碑が置いてある。上と下の部分が欠損し、折れた部分も文字が読めないものがあるが、馬那邦戦役で戦死した兵士の霊を慰めるものだ。判読できる碑文は「三十五年...馬那邦社蕃人ヲ...戦死兵卒...霊ヲ慰メ其ノ...伝エンガタメ...教育後援会...建設ス 昭和六年八月十...日 南湖青年団」というものだ。温かい日差しの広々とした頂上、ツツジの花も満開で、暗い過去があったことすら感じさせない。雪山山脈は、途中見えていた高峰はすでに雲の中で、姿は見えない。

広い馬那邦山山頂(北側から南側を望む)
中の折れた石碑
20数分、ゆっくりと時間を過ごした後、往路を下り始める。良い道の下りは速い。15分で、古戦場紀念碑を通り過ぎる。13時44分、約35分でバイクを泊めた登山口近くにたどり着いた。帰りは、途中2000年に完工した鯉魚潭水庫ダムを回り、魚藤坪斷橋(統治時代に建設された当時最長のレンガ橋、1935年の大地震で壊れた)に立ちより帰った。

登山口から下る途中に見える大湖の谷を挟んで關刀山(中央の最高峰)とその近くの峰々
鯉魚潭と背後の馬那邦山
魚藤坪斷橋
今回の登山は、とても楽なものである。歩行距離は3.8㎞、休憩も含めて3時間足らずである。気持ちのよい青空のもと、とてもよい山行だった。秋のころ、紅葉をもとめてくるのもいいだろう。交通の便を解決できれば、困難度は山道、体力ともクラス2である。だれにでもおすすめのコースだ。

2016-03-19

2016年3月17日 金山大孔尾古道 - 南勢湖古道 八煙溫泉付近の山歩き

大孔尾古道桂竹トンネル
陽明山擎天崗をこえて海岸の金山と台北を結ぶ、金包里(魚路)古道は金山からスタートする。中間の八煙から擎天崗へは歩いたことがあるが、八煙から下の部分は未踏であった。今回歩いた南勢湖古道は、整備されている天籟溫泉會館近くまでの道より、さらに北へ海岸に近い部分になる。本来の古道は、一部はすでに拡張され車道になっている部分もあるが、南勢湖古道はまだ昔の面影を残している。一方、大孔尾古道は、南勢湖古道から直接磺山方向へ続く道のようだ。こちらは短くてその性格がもう一つわからない。

反時計回りに回遊
高度差は大きくない
バス車窓からは青空が見えた
今回のルートは、天籟溫泉會館から出発し、大孔尾古道から焿仔坪山を経て下り、産業道路を南勢湖へ歩き、そこから南勢湖古道を登り返して天籟溫泉會館へ戻る、というものである。終了後は、八煙へ向かい八煙野外温泉を訪れた。三月も雨降りが続き、天気予報では回復のはずであったが、途中からはまた雨が降りはじめ、期待した晴れの山行ではなかった。それでも、ぐるっと巡り四時間ほどで歩いたのは、それなりに面白いものだった。この山行は、実は1月下旬に予定していた。実際、そのつもりで出発したが、前日の大雪でバスが八煙まで行かず、当日は雪道を歩いて終了した経緯がある。

天籟會館を後に車道を歩き始める
平日の山行だが、今日は九名のパーティだ。それぞれ、台北からの1717番バスに各自都合のよいバス停から乗り、車上で合流である。筆者はほかの三名と8時27分、銘傳大學バス停で乗車する。すでに二名が車上で、またもう一人がその先のバス停で乗車する。陽明山を越え、小油坑から下り始める。左に竹子山の山並みが延び、雲がうまった谷は、高山の雲海上の趣だ。晴れ間ものぞき、期待が膨らむ。9時30分前、1717番バスは天籟溫泉會館に到着、下車する。ここでオートバイや車でやってきた、他の二名のメンバーと合流する。

住宅セクションを過ぎ、古道の入口がが現れる
9時35分、出発する。この周辺は、温泉会館以外にリゾートマンション的なビルや別荘が建つ。左に道なりに登っていく。周囲は、本来磺嘴山が見えるはずだが、雲がかかっていて遠くは望めない。右に道を分けた後、少し進み左に谷に下っていく細い道を見る。古道の入口だ。ちょうど桜が散って入口に落ちている。下ってコンクリ製の小橋をわたり、土の古道がスタートする。結構草深く、草はぬれている。今日は、長靴で来て正解だ。少し登っていき9時54分、左に南勢湖古道、右に大孔尾古道が分かれる分岐に来る。古ぼけた南勢湖古道という表示板がある。一周してここまで戻ってくるが、まずは右に大孔尾古道をとり進む。

古道分岐の道標
古道は、急坂には石の階段が続く。しっかりとした道だ。数分で緩やかになり、桂竹林に入る。道の両脇に生い茂り、さしずめ竹のトンネルだ。衣服の調整休憩をとり、また進む。まもなく、古道は終了し、10時9分広い土の道に出る。前方は、畑が広がる。右に道をとり進む。杉林の脇をすぎ、石敢當が道端にある。次の分岐は右にとり、幅広道は山腹を進んでいく。10時27分、前方が開け、右下の谷には湯気が立ち上っている。四磺平溫泉だ。温泉といっても温泉源で、建物や浴場があるわけではない。右に谷を見ながら下っていき、磺山産業道路に合流する。合流地点では、温泉のボーリング作業が進行中のようで、リグが建っている。

四磺坪溫泉、湯けむりがたっている
温泉ボーリング作業が進行中
霧が濃くなってきた
舗装された磺山産業を左に進む。霧が濃くなり、左に開ける草原の向こうはぼんやりしている。更に進み、10時39分、左に土の道を分岐する。マーカーリボンがあり、こちらが進む道だ。そこそこ広い道だが、水たまりは深い。右に草深い道がある。これをとり進む。先ほどの休憩から約1時間、少し休憩する。この辺りが、今日の行程で一番高いところになる。

幅広の土の道、今日の最高点近く
焿仔坪山のメンバー
道は下り始める。10時57分、基石が埋まっている場所に来る。焿仔坪山(標高456M)。山といっても、ここは頂上ではない。ちょっと下ると、でこぼこの幅広道にでる。こんなところまで、何の目的でこうした車が通れる幅の道を造成しているのかわかないが、この道を下っていく。分岐が現れ左に進む。10時6分、木々の間が整地され、鉄塔の建つ場所に来る。直進し、また下っていくと下から人が一人やってきた。ここは、台湾電力の土地だそうだ。彼は職員のようである。その先には、金網の門が現れる。前方に送電鉄塔が二つ現れ、鉄扉の門を過ぎる。外には車が泊めてある。先ほどの人の車だろう。車道に合流し、左に折れて下る。右は、正德福宮へ続く。

土の幅広道を下る
道脇の小滝
南勢湖産業道路に合流し、左に下る。車の往来が結構ある。水が勢いよく流れる滝を道端に見る。ジグザグに道を下り、右に谷を見ながら緩やかになった車道を進む。ヘアピンカーブを回り込み、下ると左に道が分岐する。ここを左に折れて南勢湖古道入口へ向かう。先ほどから降り出した雨は、少し大振りになり傘をさす。昼食時だが、雨宿りができないと不便だ。地図上の大覚寺で食事ができると期待して進む。しかし、このお寺は門が閉じられ、入れないようだ。先に進み、古道入口の住所南勢湖91号の民家にある、大きな建物の軒先を借りて休憩する。時刻はちょうど12時だ。

南勢湖產道から金山方向を望む、海岸線が見えるがあいにくの曇りで海がはっきりしない
昼食休憩後民家脇を登る
途中、見るべき景色もなく、雨で休むところもなかったこともあり、思っていたより足が速い。昼食休憩はしっかりとる。12時半、出発する。民家脇の階段を上る。すぐに左に曲がって進むが、果樹園で道は途切れる。中に入って進むが、どうも違うようだ。もとに戻り様子を見る。しかしそれらしい道はない。手持ちの地図では、この道で間違いなようののだが。メンバーの二人が、果樹園の中を進んでいく。そのうち道が見つかったとのこと。そちらに向かう。すると、果たして道がある。どうやら以前は、果樹園の裏を回って進んでいたようだが、持ち主が入口を塞いでしまったので、今は民家からすぐ上で右に回っていくようになっている。

水量が豊富な沢沿いを行く
古道を進む
道が確認できれば、問題ない。水道用のパイプが道にそって行く。道自体は、そこそこ歩かれ道筋ははっきりしている。古道を歩き始めて10分ほどで、右に沢が近づく。水量の多い沢は滝となって流れ落ちる。更に数分で、沢を離れ山腹を進み始める。13時19分、桂竹が現れ朝に通り過ぎた、大孔尾古道との分岐に戻る。道を下り、橋を渡って13時26分住宅地区の脇に出る。雨はまた降り始めた。13時36分、出発点の天籟溫泉會館につく。さらに道路を下り、陽金公路へ進む。分岐のところで、ちょうどやってきた1717番バスに乗り、八煙へ向かう。

八煙温泉の上部
八煙集落の水田、背後は竹子山
八煙温泉
八煙バス停で下車、集落脇を進む。この集落は、美しい水田(今はすっかり観光地化され耕作されていない)があり、多くの有楽客が訪れる。水田脇を下り、谷へ下っていく。谷底には、自然に湧き出した温泉がある。一度は訪れる価値がある場所だ。ゆっくり過ごした後、八煙へ戻り17時頃にやってきた1717番バスで台北に戻った。

今回の歩きは、休憩込みで約4時間、距離は12㎞だ。考えていたより楽で、早く終了した。ぐるっと一巡するのも良いが、早く終わってしまうので、八煙温泉に立ち寄るのが良いだろう。困難度はルートについてクラス3、体力はクラス2だ。南勢湖古道の北側(金山側)入口がわかりにくいので、ちょっと注意が必要だ。