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2016-03-01

2016年2月29日 汐止大尖山-南港土庫岳縱走 台北近場の歴史事象に触れる不人気縦走路

四分尾山から見る土庫岳方面の山並み(2013年12月撮影)
台北に近い四分尾山土庫山は、5年前に本格的に山登りを再開して間もない頃訪れ、またその後も再訪している。この二つの山は、瑞芳の三爪子坑山五分山姜子寮山などを経て台北の街のすぐ近くまで続く、基隆河の東側の山並み上にある。土庫山はさらに南に深坑の倒照湖山へ連なっている。この一筆書きできる山稜は、今回歩いた部分が空白であった。
北側の汐止大尖山から南へ縦走
最高地点四分尾山から下って最後に土庫山を越える
もっと早く訪れてもおかしくないこの山稜は、実は3分の1が舗装された産業道路、そして残り3分の2はあまり歩かれていない、不人気ルートである。近すぎて特徴も少なく、見向きもされないというのが実情だ。そんなこんなで行かなかったが、訪れてみると稜線を行く山道は、踏跡も少なく決して侮れる山道ではない。近いからといいって、誰でも簡単に歩ける稜線ではない。汐止大尖山からスタートし、南港舊庄まで八時間かかった。
天秀宮の前から台北方向を望む、霞んでよく見えない
昨年暮れから続く長雨は、やっと回復を見せた。昨日のようなすっきり快晴というわけではないが、今日は雨が降る気配はない。228事件(戦後1947年2月28日に国民党政権下で起きた白色テロ流血事件、多くの犠牲者と行先不明者を出した)記念日連休の最終日、F911コミュニティーバスに乗るべく8時少し前に、汐止駅前大同路上のバス停に集まる。メンバー四名は8時にやってきたバスに乗り、十数分で終点五谷金聖殿バス停につく。平日はその先の天秀宮まで行くが、休日はここまでで引き返す。五谷金聖殿バス停には、もう一人のメンバーWさんが我々を待っていた。

石段を大尖山へ登る
8時22分、出発する。すぐに急な石段を登り天秀宮につく。近くにある桜はすでに咲き終わっている。今年の桜は、不順な天候や雪をもたらし寒波のために、ここだけでなく開花時期が乱れ、咲いても非常に寂しい状態だ。廟の屋根の上高くにこれから登る大尖山がそびえている。境内脇の石段を登り始める。標高差約250mの急登が始まる。花崗岩の石段道は、立派だが一定の速度で登るのはつらい。二度ほど緩い部分を通り過ぎ、8時50分大尖山頂上(標高460m)に着く。

大尖山頂上からの景色、霞んでいる
稜線上の桜は少し咲いている
晴れていればとてもよい展望の頂上は、中国から流されてきたPM2.5のため、とても霞んだ景色しかない。101ビルもやっと判別できる。足元の谷間にある汐止の街もかすみ、その対岸に基隆まで続く五指山の山並やさらに奥の陽明山系も、まったく見えない。涼亭の寒暖計は12度を示している。頂上脇の山桜は、一二本を除きまだまだつぼみの状態だ。

枕木階段を登る









四分尾山山頂から平溪方面を望む
一休みしたあと、四分尾山を目指す。小山を超えていく。前方に四分尾山へつづく峰々が見える。石段道が終わると広い土の道になる。ところどころ、桜が花をつけている。枕木階段が続く長い登りを行く。尾根上を追っていく道は、急な土の道を登りきり、前方に四分尾山が見えてくる。9時29分、和尚尖への道を左に分ける。更に少し下り、左に茄苳古道への道を分岐する。最後の登りを行き、9時41分に仏教関係の活動が行われたように見える四分尾山(標高651m)に到着する。三角点基点を丸く囲む石のふみ台の周囲に、経文の紙切れがたくさん落ちている。彼らにとっては聖なるものかもしれないが、一般にはゴミでしかない。活動を行うのは自由だが、ゴミは持って帰るべだろう。

産業道路を下る
頂上からの展望は、大尖山と同じで遠くは霞んでいる。平溪方面の山々が見えるのは幸いだ。ここで往路を引き返すWさんと別れ、10時に残り四名は土庫岳方面へ歩き始める。枕木階段をおり、左に耳空龜山方面へ続く縦走路を左に見て、舗装された産業道路を下り始める。三年前、暑いなかこの道を登ってきたことがあるが、今日は冷たい風が吹く下り道、気楽だ。九層坪山への道標を過ぎる。人家を過ぎるとき、犬がしきりに吠え掛かる。道なりに進み、10時12分、石碇方面への分岐に来る。正面に山道入口がある。これから進む上鹿窟崙山への道だ。
上鹿窟崙山山頂
ツツジの産業道路から四分尾山を見る
草深い山道が始まる。倒木も現れる。少し登っていき、数分で頂上につく。紙寮山とも呼ばれる標高528mの頂上は、周囲はすべて樹木で展望は全くない。頂上から下り始める。こちらは、先ほどより草深い。最後にすこし急な坂を下り、10時33分産業道路に降り立つ。先ほどの分岐から産業道路を右にたどってもここまでやって来られる。桜がそこここに咲いている。少し登り気味に舗装路を進む。右側に、大尖山から四分尾山への稜線が見える。10時41分、涼亭が建つ分岐に来る。涼亭で一休みする。

分岐の涼亭
黒犬と子犬たち
10分ほどの休み後、産業道路を引き続き歩き始める。黒犬が前を行く。そのうち子犬がたくさん出てきた。舗装路は左に小道を分け、進んでいく。道脇に、石碇郷(今は石碇区)の境界を示した銅像がある。黄色の壁が続く大きな光明寺の脇を過ぎ、下っていく。左に谷を挟んで皇帝殿山の連峰があるが、霞んでいる。道沿いに下り光明寺の山門をくぐり、右にとって汐碇公路を進む。鹿窟事件紀念碑が現れる。

光明寺の前からかすんだ皇帝殿山を望む
鹿窟事件紀念碑
今日は四年に一度の2月29日月曜日、本来2月28日が祭日でその振替休日になっている。その2月28日は、冒頭でも述べたように228紀念日である。鹿窟事件は、228事件の数年あと、1952年にこの地で起きた別の白色テロ事件である。当時、中国から台湾へ渡った国民党政府は、台湾国民に対し厳しい態度で対応、共産党活動があるということで、この地の農民などをとらえ、死刑者35名を含む過酷な対応をした事件である。それから約半世紀を経て、冤罪の犠牲者などに対する補償も行われ、行き過ぎた対応に対する反省を込め、この記念碑が造られた。

南港茶廠步道
左に道をとり、南港茶廠方向へ進む。南港は、実は台湾茶にとって重要な土地である。この地で、中国本土とは違う製法のお茶が考案され製造されるようになった。今日の台湾茶の名声は、ここに始まる。それを記念すべく、南港茶廠が建てられている。少し下り、台北市の境界を超える。右に駐車場、左に木製桟道の歩道が始まる。歩道を登り始める。稜線にそって道は続く。10分ほど登った最高部に、涼亭がある。休憩する。

涼亭から草深い稜線道を行く
竹やぶの間を深按頭山へ向かう
稜線道は、この涼亭脇からスタートする。11時43分、柵を超えて稜線を歩き始める。草に埋もれた、不人気路の開始だ。緩い稜線を進み、竹やぶに入る。歩いて約10ほどで深按頭山(標高427m)につく。基石の埋まる頂上は竹やぶに囲まれ、展望はない。頂上から下り始める。倒木が現れ厄介だ。そのうち苦茶樹の畑にでる。畑のをくだり、お墓をすぎていくと、峠につく。右に道が下っていく。直進する。その先に、古い藍天隊の道標がある。進行方向は、新興坑,三層崎山,土庫岳となっている。そのすぐ右に尾根上へ上がっていく道があるが、直進する広い道を進む。のちに気づいたのだが、その尾根上へ上がる道が稜線を行く道であった。

分岐で左の道をすすむ

踏跡のはっきりしている道を数分進む。しかし稜線から離れていく。どうやら、産業道路に降りてしまう道のようだ。しかし、これを進んで産業道路に降り、右におれて鞍部に行けばまた稜線上の道に合流するので、そのまま進む。途中、草深いところも現れるが、おおむね道筋ははっきりしている。12時37分、畑の脇から舗装路に降りる。犬が現れ吠えてくる。

峠部分、石碇郷の境界銅像がある
先に右へ進むが民家になってしまう。左にもどり下っていくと産業道路に降りる。峠に向けて右に進む。ほぼ水平に進んでいき、少しのぼったあと、12時57分峠部分につく。右に細い道が入っていくが、これが先ほどの分岐から稜線をやってくる道だ。ただ、ちょっと見では、明らかに踏跡が心細い。峠部分で昼食をとる。すぐそばには、また石碇の境界銅像が建っている。

廃棄された茶畑の脇を登る


13時18分、出発する。広い道を進むが、これは行き止まりになってしまった。峠付近に戻り、右にほとんど草の踏跡のようなところを行く。また道脇に頭がかけた基石のようなものがある。これが三層埼山のようだ。山頂ではない。草の急坂を登る。以前は茶畑だったようだ。送電鉄塔の下を過ぎると、踏跡は草の中に消えた。ポツンポツンと現れる、マーカーリボンを頼りに進む。方向はあっているので、稜線を追っていけば大丈夫だ。白い月桃の花が咲いている。少し時季外れの感じだ。普通はもう少し後だ。稜線を寒い風が吹き抜けていく。

早咲きの月桃の花
倒木を超えて進む
13時50分、ヒョコンと茶畑の端にでる。進むとまた草の道となるが、すぐまた茶畑が現れる。三か所目の少し大きめの茶畑を上り詰め、そこから始まる草の道を登る。すぐに見捨てられたと思われる墓地の中を進む。草がそこら中に生えているので、墓のへりを進む。特に怖いとも思わないが、このルートが不人気なのもうなずける。痩せた尾根部分を超え、草をかき分け進む。14時23分、急な坂を下りきると廃棄産業道路に降り立つ。峠の部分だ。また、急坂を登り尾根に取り付く。岩場部分を乗り越えていく。14時33分、土庫岳東峰(標高356m)にヒョコリつく。

茶畑脇をゆく
草深い坂を土庫山へ登る
土庫岳東峰
下り坂を行くと、倒木がすっかり道を覆っている。ままよと倒れた枝の下に入り、何とか抜ける。ほかのメンバーは、少しもどり迂回して下ってきた。逆方向から来ればわかりやすいが、下っていくとちょっと迂回路に気づかない。リュックを背負い直し少し下る。14時52分、土庫岳の更寮古道に出た。普段は文句をいう石段だが、今までの草深い道を思うと感謝だ。すぐに分岐を過ぎ、枕木階段をのぼって14時56分、土庫岳に到着する。今日の最終ピークだ。

土庫岳を後にする
休憩するが、風が強く寒い。ジャケットを取り出し着用する。頂上脇の送電鉄塔には作業員が高所で作業している。寒い風のなか、大変だ。15時18分、下山を開始する。先ほどの東峰からの道との分岐をすぎ、石段を下っていく。15時28分、栳寮古道への分岐につく。右にとり下り。少し壊れた橋を超え、ちょっと登り返す。そこからはずっと下りだ。送電鉄塔脇を過ぎ、15時38分舊庄路に降り立つ。左にさらに下り、まもなくまた右への石段道を下る。

昔砲台があった涼亭
下りきると、涼亭がある。その前には説明表示があり、日本統治時代にはこの涼亭の位置に大砲が据えられていたとのこと。また、その反対側の朽ちかけが石積の壁の廃屋は、台湾茶の父と呼ばれた魏靜時の家屋だったとのことだ。魏靜時は南港包種茶を作り出し、1909年の博覧会で優秀賞を取得、その後総督府の経費で茶工場が設立されたとのことだ。石段道を下りきり、また舊庄路と合流する。ここが栳寮古道の入口だ。左に道なりに進む。更寮古道入口を通り過ぎ、16時30分舊庄バス停に到着、今日の歩きは終わりだ。

石階段の栳寮古道
行動時間約8時間、約17㎞の道のりであった。正直言って、当初は軽く見ていた。舗装路もあり、また人里近い山なので、大したことはないとたかをくくっていた。しかし、稜線は、草深い山道であり、ちょっと予想外だった。これで、深坑倒照湖山から瑞芳三爪子坑山までの稜線をすべてカバーしたことになる。今回のルートは、途中の稜線道はクラス4、その他はクラス1,2の良好な道だ。稜線上の上り下りは多くないので、草深いところはちょっと大変だが、それでも体力的にはクラス3だ。稜線道部分は経験者向けだ。

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