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2016-10-29

2016年10月26日~28日 武陵四秀縱走 最高の秋晴れ下の3000m高峰縦走

雪山東峰から望む武陵四秀のうちの三座(左から品田山、池有山、桃山。2016年4月撮影)
桜の向こうに池有山(左)と桃山(2013年2月撮影)
今年4月に台湾第二の高峰雪山主峰に登頂する際、東峰を越え三六九山荘に一泊した。東峰や山荘から深い谷を挟んだ対岸に雪山山脈の支脈が走り、三座の山頂が見えていた。その山は、左(西)から品田山(標高3524m)、池有山(3301m)、そして桃山(3324m)である。雪山東峰や三六九山荘からは見えないが、桃山の後にあるもう一つのピーク喀拉業山(3132m)を加えてこの四座を武陵四秀と呼び、人気縦走コースとなっている。実は、桃山と喀拉業山との間に標高3200mの詩崙山があるが、こちらは山容が穏やか過ぎるのか、四秀にカウントされていない。この四座(秀)は台湾のいわゆる百岳(標高3000メートル以上で選出された峰々)である。今回は、前夜発の二泊三日でこの峰々を歩いた。日本第二の高峰、3193mの北岳より高い場所の縦走である。

縦走路上の有名な一本鐵杉(ツガ)名木
喀拉業山を除いて、なんとなく日本人名を連想させる山名だが、日本との関わり合いはない。筆者が30数年前台湾に短期滞在したときに購入した、『台灣百岳全集』という分厚い本によれば、品田山は、山頂の下にある湾曲した岩盤層が、品と田の字を連想させるからという。池有山は、その近くに池が有り、日本時代に池有山ということになったそうだ。桃山は、その山頂の形状が遠くから望むと桃のように見える、あるいは拳のように見えるからということだ。ちなみに喀拉業山は、原住民の言葉でカラヘイと呼ばれそれに漢字をあてたものだ。加留平山ともいうそうだが、こちらは明らかに日本語読みによる漢字のつけ方だ。

西側の登山道で稜線に、桃山登山道で下山
三日の歩行高度表
今回の山行も、山岳専用のシャトルサービスでの実行だ。前夜深夜に台北を出発、翌日早朝に武陵山莊から出発、桃山瀑布近くの登山口から稜線に載り、池有山を空身で往復し新達山小屋に一泊。第二日は、品田山を空身で往復後、荷物を担いで稜線を縦走し桃山山小屋に一泊。第三日は、空身で喀拉業山を往復した後、桃山から別の登山道で下山した。筆者も入れて八名のパーティである。

雪山山脈の位置にになる武陵四秀

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第一日 10月26日(水曜日)

武陵山莊から稜線へ、池有山を往復し新達山屋へ
稜線への登りと池有山への登攀
武陵山莊で出発前のメンバー全員
武陵山莊と背後の池有山(左)と桃山
前日25日の深夜前に集合し、0時を少し回ったころ9人乗りの車で出発した。雪山トンネルを通り、宜蘭に入る。台七号線を登っていく。ウトウトしている間に南山村を過ぎ、5時頃に武陵農場の入口で入園料を支払う。さらに園内の道を奥へ進み、5時20分過ぎに武陵山莊の駐車場に到着する。車から荷物をおろし、身支度を整える。昨日の台北は暑かったが、ここは標高1800m、さすがにこの時間は肌寒い。夜明け前の空には星がたくさん輝いている。今年は9月になったあと台風がたびたび訪れ、計画の変更を余儀なくされたことが続いた。天気予報によれば、この三日は太平洋高気圧が張り出し夏の出戻りで暑いが、好天が続くという。

コンクリ道脇で休憩をとる
5時40分、歩き始める。この先は桃山瀑布までコンクリート舗装されているが、一般車両は通行禁止だ。武陵山荘の背後に、今回の目的地池有山と桃山が高くそびえている。三年前、初めて桜の花見で武陵農場を訪れたとき、桜並木の奥に控えている桃山を見ていずれこの山を登ろうと決めた。それが今実現の時が来た。山荘から少し下ると、右に入山入園許可書を投函するポストがある。吊橋を渡る。七家灣溪の支流が、品田山から流れて橋の下をゆく。辺りは、だんだん明るくなってくる。緩い登り道を約1㎞進み、右に桃山への登山道を分岐する。時刻は6時20分、一休みする。

桃山瀑布
つづら折れの舗装路をさらに進む。一昨年暮れに武陵農場を訪れ桃山瀑布を見物に行ったとき、この道は歩いている。その時、重装備の登山者と出会った。今回は、自分がその登山者である。途中で一休みし、7時29分、登山口にやってくる。空はすでに青空、気持ちが良い。ここを初めて訪れるメンバーが多いので、重荷を置いて先に桃山瀑布を見に行く。十数分で滝に着く。かなり高いところから落ちる、大きな滝だ。ただ、周囲の木々に囲まれ、もう一つ見栄えがしない。写真を写し、登山口へ戻る。

池有山登山口
松林の中を登る
8時10分、荷物を担ぎ登山口から上り始める。標高約2200mの登山口から3200mの稜線までの1000mの標高差を約3.5㎞で登る登山道だ。武陵農場から稜線へ登る登山道は、これから登る池有山から下ってくるこの支稜を行く登山道と、もう一つ桃山の支稜を行く登山道の二つがある。池有山支稜上の道のほうが、桃山瀑布までの舗装道が緩やかで、全体とすれば少し楽だ。とは言っても、登山道である。勾配がいきなりきつくなる。

中央尖山を背後に登る



二葉松の林の中を、ジグザグに道が登っていく。松葉が敷き詰められた道は、気持ちが良い。100m毎に現れるキロポストの数字が増えていくのが、20kg弱の重荷を担いでの登りには慰めだ。30分ぐらいおきに休憩をとり登る。9時8分、1㎞キロポストを過ぎる。9時27分、1.2km地点の開けた場所で休憩をとる。更に登り10時50分、2㎞キロポストを通過。松の木はまばらになり、一方玉山矢竹が現れる。背後に山々が見えるが、かなり登ってきたので、同じ高さに見える。10時52分、少し開けた場所で、早めの昼食休憩をとる。

右の品田山の左奥に雪山主稜線が見える
左に桃山が近くなってくる、右には中央山脈
鐵杉原生林の中を登る
30分ほどの休憩後、再出発する。少し登ると、左に谷を挟んだ向こうに雪山主峰とその下の草原に三六九山荘が見える。更に登ると、品田山の支稜の向こうに、雪山主峰から北峰への主稜線が見えるようになる。2.8㎞キロポスト過ぎるころ、今度は右側に中央山脈の南湖大山や中央尖山の山並みが連なって見える。更に、桃山の頂上も近くに見えるようになる。高度はすでに3000mを越えた。周囲の樹木は松から鐵杉(ツガ)に替わってきた。最後の急坂を登りきり、三叉路分岐近くの露営地を過ぎ、13時35分稜線道と合流する。これで3.5㎞の登りは終了だ。メンバーの一人は、高山病の症状が現れ、嘔吐してしまった。体質的に高山病になりやすく、昨晩車上で十分休憩していないことも影響しているようだ。

池有山への分岐点

分岐を左に進む。ほんの数分で、石がゴロゴロする石流坂が現れ、池有山への分岐に来る。荷物をおろし、空身で池有山へ往復する。石流坂の脇を登り、左に横切ったあと、森に入る。すぐに右が切り立った崖の上に出る。稜線上を進む。14時5分、池有山頂上へ着く。分岐から約20分だ。今回の縦走中一番目のピークは、素晴らしい展望台だ。霧が発生してきているが、谷を挟んで大霸尖が見え隠れしている。反対側は、遠くに南湖大山が雲間に頭を出し、その南には中央尖山の三角ピークが顕著だ。更に南に稜線を追っていけば、6月訪れた奇萊北峰主峰も見える。谷間には武陵農場の畑や道が望める。稜線の西側は品田山で、その下の草原には今晩泊まる新達山屋が建っている。

池有山頂上から中央山脈を望む
谷あいの武陵農場の向こうに中央山脈甘薯山,無明山などの山並み、一番右に奇萊北主峰が望める
大霸尖
慎重に山腹をトラバースしていく
往路を下り、14時55分に荷物を担いで本日最後のセクションを新達山屋へ向かう。道は池有山の南側山腹をトラバースしていく。15時3分、もう一つの池有山への道の分岐を過ぎる。15時23分、有名な一本ツガの脇を通り過ぎる。別のパーティーが雇ったポーターの若者が40キロの荷物を担いで通り過ぎていく。この道は慣れているとはいえ、実に軽快な足取りだ。あっという間に見えなくなった。この辺りは、左が崖で切れ落ちている。慎重に足を運ぶ。山腹を行く上り下り道を進み尾根を越す。三叉路分岐から0.7㎞だ。一休みする。

新達山屋付近の池
新達山屋が見えた
ここから山小屋までは下りだ。左に池を見る。1.2㎞キロポスト付近にまたもう一つの池がある。16時21分、右に大霸尖への道を分岐する。さらに少し下がり、1.7㎞地点できれいで比較的大きな池を見る。これが阿美池だろう。少し登り返す。16時30分、新達小屋に到着する。今日の歩きは終わりだ。距離10㎞、累計で1600mの登りを歩いた。都合11時間の行動時間だ。途中で追い越していったパーティがすでに到着している。我々は二段になっている小屋の一階部分に泊まる。位置は入園許可書を得るときに指定された、1から8番までだ。

新達山屋内部
今回は、協助は頼まず自分で食事を用意する。メンバーが分担して持ってきた食材やストーブ鍋を出し、夕飯の準備をする。小屋についている寒暖計は11度を示し、少し寒い。ダウンジャケットを取り出し着用する。17時半ごろに食事を済ませ、18時半過ぎには就寝する。今日は、みんなとても疲れた。外はあふれる星が輝き、明日の好天を約束している。




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第二日 10月27日(木曜日)

西へ品田山を往復しあと東へ桃山へ縦走
品田山の往復と右は桃山往復
空にはまだ三日月が掛かっている
4時20分に起床する。少し寝過ごした。朝の食事を準備する。昨日炊いておいたおかゆをもとにした、おじやだ。5時過ぎに食事をとる。小屋の前の机椅子で食事をとるが、まだ暗い。空には三日月が掛かっている。5時半ごろから空が白みだす。6時、太陽が池有山の右遠くに連なる、南湖大山の稜線から顔を出す。昨日高山病の症状が現れたメンバーは、ゆっくり休憩したことが良かったようで、症状は改善している。荷造りが終わったリュックを小屋に残し、軽装で品田山へ出発する。頂上まで約1.6㎞の道のり、標高差300mだ。

南湖大山の稜線に太陽が顔をだした
小屋の前で品田山出発間のメンバー
朝日を背に草原を登る、背後は池有山
朝日を浴びて草原を登り始める。約30分ほど登ってくると、右に大覇尖の山並みが草原の向こうに見える。更に10分ほど草原を登る。大きな草原はそこで終わり、冷杉(シラビソ)の原生林が始まる。入る前に少し休憩したあと、森に入る。森のそこは、矢竹が密生している。薄暗い陽の当たらない場所は、ぬかるみが乾かない。しばらく下った後、また登り返す。そこは品田山前峰になる。左遠方に雪山主峰と北稜角の下に朝日にそびえて、その下にカールが広がる。

品田山への途中、前方は池有山、桃山の稜線、桃山の左には喀拉業山
雪山主峰のカールを遠望、右のピークは北稜角
品田山前方から望む品田山、左に雪山の主稜線
前峰の岸壁を下る
ここから望む品田山は、大覇尖ほど角がないが切り立った大きな岩の塊である。前峰からは、岩壁を大きく下り鞍部から登り返す。岩壁にはロープが渡してあり、注意すれば問題ない。7時8分、下り始める。数分で全員が鞍部におり切り、主峰へ登り返し始める。先に登頂していたパーティーが降りてきてすれ違う。彼らは、この後大覇尖へ向かうそうだ。急坂を登り、7時50分山頂に到着する。標高3524mの頂上はさえぎるもののない360度の大展望台だ。

品田山頂上








西側には、その昔日本時代の台湾山岳会会長沼田鉄太郎が名づけたとされる聖稜線が、眼前に連なっている。雪山主峰から北峰を過ぎ、数座の高峰を連ねて大覇尖へと続く稜線である。途中には大きなキレットもある、難しい稜線だ。今年3月に訪れた馬那邦山とはちょうど反対から見ていることになる。来年は、ぜひ歩いてみたい。

聖稜線
大雪山(左)と西丘斯山、背後は北横公路周辺の中級山
遠くに陽明山山系が見える
大覇尖の山並みを更に北へ追っていくと、その先には昨年春に訪れた司馬庫斯の大雪山と西丘斯山が見える。さらにその向こうの山並みは、地図と照らし合わせると、どうやら塔曼山,その左のとがったピークは夫婦山のようだ。更に北西の奥は、雲が盆地を埋めているが、盆地の端にある山は台北の陽明山山系だ。大屯山南峰頂上などから、感動をもって眺めた台北の盆地を越え前哨の山の向こうにある雪山山系から、今は逆に陽明山山系を眺めている!!

中央山脈を背景に集合写真
視線を東側に向けると昨日の池有山とその奥に桃山が連なっている。桃山から西側に途中詩崙山をはさんで喀拉業山への稜線が伸びている。その稜線の向こうの山は太平山だ。太平山から南にたどれば、昨日は少し雲がかかっていた中央山脈の峰々がこれまたはっきりと望める。北方向は、霞の間に龜山島も見える。実に見飽きることのない展望だ。




池有山、桃山、左に喀拉業山の武陵四秀稜線
品田山の下り
8時40分、名残惜しいが下山を開始する。品田山頂上では0㎞であったキロポストが、100m毎に数字を増やして現れる。慎重に前峰との鞍部登り下りを通り過ぎ、冷杉の森に入る。9時8分、往路で休憩した草原の上部に出る。前方に、これから歩く稜線を見ながら草原を下る。9時38分、新達山小屋に戻る。品田山からちょうど一時間だ。しばし休憩する。新達山屋は、雨水を集めて使用している。また、屋根には太陽電池が取り付けられ、LED照明がある。中には高圧酸素装置もあり、万一の時には利用できる。しかし、無人なのですべて自分で対応する必要がある。収納人員も少なく営業するには規模が小さすぎるが、もしこれが二倍ほどあれば、人気のある山である、十分に日本と同じような有人営業山小屋としてやっていけるのではないだろうか。

新達山屋
原生林の道を行く
10時32分、荷物を担ぎ出発する。昨日下ってきた道を登り返す。稜線を越え山腹道を進む。11時20分、例の名木の場所に来る。休憩し写真を撮る。11時53分、石流坂の池有山への分岐で食事休憩をとる。12時14分、三叉路分岐を通過。ここからは、桃山へ向けて稜線道をたどる、まだ歩いていないセクションだ。分岐には桃山まで2.3㎞とある。

三叉路分岐
桃山が近くなる
岩場を下る
稜線道は登りで始まる。大部分は原生林の中を行くが、ところどころ森が切れて展望がきく。右下は武陵農場が見える。小さな上り下りを過ぎ、12時34分、前方に桃山とその下に桃山山屋が見える場所を通過する。ここから鞍部に向けて大きく下りが始まる。ロープを渡した岩場も現れる。荷物が大きいので慎重に下る。キロポストは確実に進んでいることを現してるが、行けども行けども鞍部に着かない感じだ。途中二人パーティとすれ違う。13時7分、桃山まで1.5㎞地点の平らな場所で休憩する。

原生林の中を登る
更に下り13時40分過ぎ、最低鞍部を通り過ぎる。ここから登りが始まる。急坂でつらい。13時55分、残り0.9㎞地点で再度休憩をとる。更に急坂を登ると少し緩くなり、残り0.3㎞のキロポストを見てまもなく、14時32分桃山小屋に到着する。数名の外国人パーティが小屋の前でまさに出発しようとしている。これから喀拉業山へ往復するようだ。我々は荷物をおろしほっとする。小屋の寒暖計は18度を示している。桃山小屋も同じく三角形の造形で中は二段になっている。規模は少し小さいが、雨水タンクや太陽電池は新達小屋と同じだ。

桃山山屋
小屋内部の高圧酸素袋
外国人パーティが出発し、その面倒を見るポーターの一人が残る。我々は夕方の日没前に桃山へ行くこととし、お茶を沸かしたり食べ物をシェアしたりそれまでゆっくり過ごす。16時35分、日没前の山頂へと出発する。今日は日没時刻は5時15分ごろなので、まだ余裕がある。頂上へは、残り300m弱、10分足らずの登りだ。空身なので、なおさら気楽である。16時43分、西日の当たる頂上に到着する。ちょうど単独の登山者が頂上でくつろいでいる。

桃山頂上へ進む
北方向のパノラマ
南方向のパノラマ
雲海に浮かぶ南湖大山
桃山頂上での集合写真
ここからは、南湖大山や中央尖山は谷を挟んだすぐ向こうだ。宜蘭へ流れる蘭陽溪の谷間は、雲海で埋め尽くされている。目を反対に向ければ、西日の中に大霸尖小霸尖の峰々が浮かぶ。太陽は、まさに雪山主稜線の向こうに沈もうとしている。今日一日も実に良い天気のもと、行動できた。そして今、まさにその日が終わろうとしているとき、また雄大な景色を満喫できる。今回は実にラッキーだ。太陽が稜線の向こうに沈むと、急に寒くなる。山の色合いは刻刻と変化していく。南湖大山や中央尖山の山腹に、雪山にさえぎられた影がだんだん上に登っていき、最後の赤みを帯びた山頂近くが黒く変わるころ、我々も山頂を後にする。

夕闇迫る詩崙山から喀拉業山への山並
夕陽の中の大小霸尖山
雪山主稜線の夕暮れ
桃山山屋へ戻る
17時28分、桃山小屋に戻り夕食をとる。周囲が暗くなっていくなか、二日目の夕食をとる。今日は、それぞれメンバー別々に自分の食事だ。レトルトカレーとドライライスの食事は悪くない。小屋に入り就寝しようとするころ、外国人パーティが戻ってきた。彼らは4時間半で往復している。かなり速い。19時前に就寝する。今日は歩行距離6.5㎞、登攀累計650mだ。




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第三日 10月28日(金曜日)

喀拉業山を往復した後下山
歩行高度プロファイル
ヘッドライトを頼りに進む
今日は三時に起床だ。先に喀拉業山を往復した後、下山するので早めに出発するに越したことはない。起床後、食事の支度をする。おかゆパックとレトルトカレーの残りだ。外の気温は3度、かなり寒い。食事を済ませ、支度をして4時20分に出発する。重荷を担いで桃山頂上まで行く。頂上の道標脇にリュックを置き、軽装で喀拉業山へ向かう。頂上からは、谷間に建物の灯りが見える。遠く地平が赤くなってきている。

赤く山肌が照らされる、前方谷間は武陵農場
詩崙山山頂
ヘッドライトを頼りに、桃山から下り始める。喀拉業山まで片道3.5㎞、道脇のキロポストの数字が増えていくのが、唯一道のりが進んでいることの証だ。5時半過ぎ、0.6㎞を過ぎるころから少し森の様子がわかるようになる。上り下りが続く。結構つらい。6時を回り、陽光が山腹を赤く照らし出す。今日も晴天だ。6時35分、詩崙山頂上(標高3200m)に着く。頂上と言っても原生林の中で展望もなく、あまり頂上という感じでもない。武陵五秀でなく四秀なのは、こうした山の特徴もあるようだ。

草原を進む、前方に喀拉業山。右遠方は太平山
原生林の間を進む
百岳に選ばれているので、足を運ぶ登山者が多いが、喀拉業山は他の三座に比べると魅力は少ない。しかし、武陵四秀が今日のように人気コースになる数十年前は、現在の武陵農場はなく、農場ができて初めて現在の桃山へのルートが開かれた。1960年に東西をつなぐ現在の中横公路が開かれる前は、南山村からこの詩崙山の少し北側へつながる尾根(一部は羅馬縱走路のピークとして知られる佐得寒山)を通じて登ったということだ。この道は、地図上にはあるが今はほとんど歩かれていないのだろう。今回往復とも通り過ぎたはずだが、分岐すらわからなかった。1962年に秋田大学山岳部が訪れた機会に、武陵農場から桃山へ登る現在の登山道が開かれたということだ。その意味では、日本との関係があるといえる。

ススキの向こうに南湖大山

詩崙山は、喀拉業山への道のりのほぼ中間地点だ。道は下り気味に進む。草原が現れる。その右向こうは、宜蘭方向が霞の中だ。2.1㎞キロポストを過ぎ、前方に喀拉業山が見える。先に下っていく。鞍部近くからは、西側に品田山、そしてそのすぐ後ろに大霸尖へと続く長い聖稜線がこちらと平行に伸びているのが見える。登り返し7時38分、喀拉業山頂上(標高3133m)へ着く。二等三角点が埋められている頂上は、周囲が矢竹でに囲まれ展望はない。同じ四秀の他の峰に比べると、ずいぶんと性格が異なる。

喀拉業山への最後の登りから見る桃山から品田山の稜線と、雪山聖稜線(右)
頂上での集合写真
20分ほどの滞在後、8時少し前往路を戻り始める。標高3324mの桃山へは、登り気味の帰り道である。来るときにはあまり気にかからなかった倒木なども、面倒に感じる。40分ほど歩いてきた草原からは、南山村の上部になる左の谷底が見える。初期の武陵四秀登山は、こうしたところから枝尾根に取り付いて、この稜線に登ってきたのだろう。遠く北側は蘭陽溪とその東に大平山の山塊が望める。8時52分、詩崙山に戻りつく。ここからは、上り下りが大きくなる。来るときには暗くて気にかけなかった、急坂などはつらく感じる。10時17分、正面に桃山頂上が見える。一度下り、また長い坂を登り返す。10時40分、桃山頂上へ戻る。

南山村の谷間を見る、右は太平山
桃山への最後の登り道
桃山頂上へ戻る
昨日は、夕暮れの山景であったが、今日は晴天のもとの大パノラマである。正面には南湖大山から始まる中央山脈北一段の山並みが、南へ延々と伸びている。南湖大山や中央尖山は、来年ぜひ登りたい山々だ。武陵農場の谷間を挟んで、対岸は雪山の峰々だ。山頂で寝転がりしばし休憩する。

ほぼ360度のパノラマ
桃山山頂から下り始める
11時20分、名残惜しいがリュックを背負い下り始める。これから武陵山莊まで約6㎞弱、高度差1500mの山道だ。武陵農場から四秀稜線への道として初めて開かれたこの道は、かなり急坂だ。森林限界以上の部分がしばらく続き、前方に展望が見えるなか下っていく。11時55分、すこしせり出した突端部分を過ぎる。下から登ってくれば、よく登ってきたなと、感じるだろう場所だ。下方を望めば、下の緩い草原には、山道が続いている。

下りはじめの展望
せり出した部分
急坂を下り切り、先ほど上から見えていた山道を下っていく。二人パーティと行違う。今日は金曜日、週末を入れた三日の予定で登山する予定だろう。12時16分、3.4㎞キロポストを過ぎる。山頂から約1㎞下ってきた。12時53分、2.7㎞キロポスト部分で、また二人パーティとすれ違う。この付近から松林に入り、遠くの展望はなくなる。13時23分、1.9㎞キロポストを過ぎ、また急になった斜面を道はジグザグになり進む。この部分は、森林火災延焼を防ぐための分離帯だそうだ。ところどころ前方が開けて遠景が望める。

先ほどのせり出しピークを振り返る
分離帯のジグザグ道を下る
14時30分、0.9㎞キロポストを通過し、分離帯のジグザグ道から離れる。残りはわずかだ。右に道が進み、また森の中をつづら折れに下る。0.4㎞のキロポストを過ぎて右に回り込み、木製橋で枝沢を越える。橋からは小滝が右に見える。橋を渡った後は、最後の登り返しだ。ちょっと辛い。道が広くなり、最後の坂を上ると二日前に通過した分岐に着く。15時03分だ。荷物をおろし、遅れてくる後方三名を待つ。合流して、コンクリ道を下る。吊橋を渡る。沢奥に品田山が高い。昨日はあの頂上に立ったのだ。15時50分、武陵山莊駐車場に戻る。三日間の山行が終了した。今日の歩行距離は11.6㎞、登攀累計600m、下降累計2000mである。行動時間は、休憩時間を入れて11時間半だ。

桃山登山口へ戻ってきた

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吊橋から見る品田山
好天に恵まれた山行であった。素晴らしい景色を満喫できた。自分で食事もすべて用意したので、荷物は以前の高山山行より重い。筆者はその昔、二日目山中で出会った協助ポーターの青年と同様に40kgの荷物を背負って登ったことがある。それからすでに40数年が過ぎ、さすがにそのような重量を背負って登るのは難しい。しかし、今後登りたい山は、もう少し日数を要し、なおかつ食料や場合によってはテントも持参が必要だ。

いかに体力を維持し、自分の望む山を登っていくか、筆者の課題だ。今回の登山で、登頂済み百岳のカウントは二桁となった。台湾の百岳をすべて登ることが最終目的ではない。しかし、より多くの高山を登って行きたいのは確かだ。体力が続く限り、さらに登りその記録をシェアして行きたいと思う。

品田山山頂下に咲く花