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2020-08-31

2020年8月29日 魯屯縱走 魯壁山 - 東穗山 - 石麻達山 - 屯野生台山

霧の中の石麻達山山頂
数年前に訪れた李棟山は、1911年~13年にかけて当時の日本統治政府とその近くの原住民タイヤル族との間に熾烈な武力衝突があった場所(李棟山事件)である。今回の訪問場所は、李棟山の南に続く山々で、今年6月に訪れた島田山のすぐ近くである。李棟山は、大溪から山奥に入っていく大漢溪の左岸にある羅浮から始まる山々に連なる。那結山,內烏嘴山などを越え南に進み、李棟山からさらに南に大漢溪の支流である玉峰溪、そしてその支流である薩克亞金溪にそって石麻達山,錦屏山,霞山そして霞喀羅大山へと連なっている。これらの流域には多くのタイヤル族の集落が存在した。今も存在する集落もあるが、その後移住によりなくなった部落もある。

北側魯壁山から出発、二つ山頂を越え屯野生台山から下山
下りのほうが大きい歩き
登山対象の位置関係
島田山という山名は、第五代総督佐久間左馬太の理蕃政策で出動しタイヤル族と戦った新竹の討伐隊島田隊長からの命名である。そして石麻達の発音はシマダである。どうして並んで二つのシマダ山があるのか、その由来は今のところ不明だ。この二つの山は、ともに原住民との境界的な隘勇線があった場所である。島田山でも歩いた隘勇の道や、それに伴う警備員の駐在場所である隘寮や大砲が据え付けられた砲台跡が残っている。当時は北部の山間に暮らしていたタイヤル族は、北蕃と呼ばれ、勇猛な戦士として恐れられていた。ちなみに南で恐れられていたのは、ブヌン族(布農族)である。

屯野生台山山頂の全メンバー

竹60号線錦屏產道から魯壁山三角ピークが目立つ
朝6時半、三台15名で出発する。第三高速を關西で降り、內灣をすぎて尖石に入る。今年は何度か通過しているで、慣れた場所だ。7時50分、120県道から竹60号に入る場所のコンビニで立ち止まる。ここで一人新竹からやってくるメンバーと合流する。尖石二号橋を渡り進む。前方に一番で登る魯壁山の三角ピークが目立つ。錦屏後山產業道路のつづら折れを登り、8時半魯壁山登山口につく。二台の車で今日下山後のためにさらに下り28.5K近くの田埔產道の入口に車を一台残し、また魯壁山登山口へ戻る。下山後は、この一台で魯壁山登山口前に停めてある車を取りに行き、その後三台で下山口にメンバーを迎えに行く算段だ。9時5分過ぎに登山口に戻り、待っているメンバーと合流する。

魯壁山登山口
9時25分、支度をすませ登山口から出発する。この登山道は、過去に地元政府が整備したようで、階段や木製の手すり、ベンチなどが据えてある。しかし、その後のメンテはされていないようで、壊れている場所もある。こうした登山道はほかでも同じようなところが多く、設置されたがその後メンテされていない場所がかなりある。残念なことだ。上り一方の道は、雑木林の中を行き、矢竹の間を過ぎる。シャクナゲ林に入り、間もなく9時44分、魯壁山山頂(標高1589ḿ)に到着する。登山口は約1420mなので、高度差170m、約20分の登りだった。

魯壁山登山道,メンテが必要だ
魯壁山山頂
稜線道を東穗山へ
山頂は西側が樹木が少ないが、ガスがかかってきて展望は望めない。一般ハイカー向けには、ここから引き返すように注意がある。東穗山への道は、途中小さな上り下りがあり、ちょっとした岩場もあるので、こうした表示なのだろう。道はすぐに大きく下り、雑木林の間を進む。樹木の少ない小ピーク上では、東側の山谷が見える。こちらはまだ霧が出ていない。玉峰溪を挟んで、今月初めに訪れた芝生毛台山から虎禮山への稜線が続いている。そして真正面には、東穗山が頭を出している。林の下にはところどころ矢竹がある。陽光が時々木々の間から差し込む。尾根上を進み、10時33分左からの分岐を合わせる。小さな鞍部になる分岐で小休をとる。

西側はまだ展望がある、対面は芝生毛台山
矢竹の急坂を東穂山へ登る
東穗山への登りが始まる。約1550mの鞍部から約170mぐらいの落差だ。道は登り一方で、けっこう急だ。途中下ってくるパーティとすれ違い、約20分ほどで、11時過ぎに東穗山山頂(標高1724m)に着く。数名のパーティが山頂近くで、煮炊きをしている。20分ほどの休みのあと、山頂を後にする。いったん下り、また稜線上の無名ピークへ登り返す。霧が出てきた。高度が上がり雲の中にはってきた、ということだ。巨木のあるピークを越え、また下っていく。12時10分過ぎ、分岐に来る。右は稜線を追っていく道、左は山腹を行く道で、ともにのちに合わさる。左に取り、少し下って山腹をぬっていく。12時33分、稜線道を合わせる鞍部で食事休憩をとる。
東穂山山頂のメンバー


巨木のあるピーク


鞍部で食事休憩
稜線分岐へ進む
30分ほどの昼食休憩のあと、島田山の山腹を稜線上の分岐へ向けて登っていく。13時22分、分岐に到着する。右は島田山へ続く。6月はこの分岐へ下り、山腹を行く隘勇路を戻っていった。時間があれば島田山へ往復してもよいが、すでに午後1時を回り、まだ行程全体の半分ぐらいなので、左におれ先を急ぐ。すぐに、50センチぐらいの高さに盛り土された壁の囲いがある。以前の隘寮ではないか。そのすぐ先には低い石を積んだ道の基礎のようなものもある。

稜線上の分岐、左へ進む
稜線道上の隘寮遺跡
百年前の隘勇道か
分岐から約100mほどの落差を登り、ピークを越す。稜線上の道は幅が広い。普通の山道とは感じが違う。おそらく隘勇路だろう。当時は道の両脇20mにわたって、樹木がすべて切り倒されたという。それは原住民が樹木の間に隠れる場所をなくし、襲撃を防ぐためであったという。今は、広葉樹が茂るがそれほど密度は高くない。緩やかなピークを過ぎ、また鞍部へくだる。先ほどから聞こえてきた雷鳴が近づいてくる。矢竹は露でしめっていて衣服を濡らす。先ほどから降り始めた雨脚が強くなり、雨具をつける。

緩やかな稜線を行く
濡れた矢竹で衣服も濡れる
大分登ってきて残り少ない場所で、新しい大きな倒木が道を塞いでる。倒木を乗り越え最後の急坂を登りきる。尾根上の分岐に上がる。左は屯野生台山方面への道だ。先に右へ石麻達山へ進む。少し進み、14時47分狭い山頂(標高1942m)に着く。今日はここが最高点だ。周囲はすべて霧で真っ白だ。直進すれば錦屏山へと続く。赤い道しるべには背の高い矢竹が密生しているとの注意がある。幸いに雨はほとんど止んだ。

石麻達(シマダ)山山頂の筆者
急坂を屯野生台山へ下る
15時10分、屯野生台山へ下り始める。道は間もなく急坂になり、高度を下げていく。下ること20分ほどで、急坂が終わる。道わきにビール瓶が落ちている。拾ってみると大日本ビール瓶である。戦前日本の最大手ビール会社のものだ。近くに隘寮などがあったはずだ。少し進むと、果たして平らな開けた場所がある。今は何もないが、ここがおそらく隘寮のあった場所だろう。端の幹に道標が取り付けてある。島田山へとある、山腹を横切っていく道のようで、こちらが隘勇路であったようだ。

大日本ビールのビール瓶
海豚石
緩やかで幅の広い隘勇道
屯野生台山への分岐、ここは直進
幅の広い道が緩やかな尾根を進んでいく。15時40分、海豚石と説明のある奇石を見る。確かに見る角度ではイルカのように見える。さらに緩やかな道を数分行く。開けた場所にクスノキ巨木が生えている。説明では夫婦樹とある。二本根元から寄り添って聳えている。緩やかな道は勾配が増し、16時8分分岐に着く。右は屯野生台山へ、左は直接登山口へ下る。右にとり、わずかな登りを登り返す。アカマツ林の松葉絨毯を通り過ぎ、16時19分眼前に石積壁が現れる。過去の砲台跡のようだ。平らな林をすぎ、三角点のある屯野生台山山頂(標高1608m)に到着する。ここにあった大砲は、おそらく今しがた歩いてきた隘勇路を経て運ばれたのだろう。

屯野生台山砲台の石積土留壁
屯野生台山山頂
今でも残る馬里光,田埔,秀巒(控溪)などの部落は、ここと対岸の芝生毛台山や李棟山の下に位置する烏來山に配置されたという大砲の射程に入る。この山谷の原住民は、この大砲の脅威の下、銃を差し出し帰順する。原住民にとっては、銃は狩猟に必要なだけでなく、祖先から代々伝わってきた家宝でもある。それを差し出すことには、大きな抵抗があったはずだ。

桂竹林を抜けていく

登山口前の急坂を下る,森の下に畑が見える
天気は涼しいが、みんなが持ってきたビールなどを開け、16時45分最後のセクションを下り始める。桂竹林を抜け、急坂を降りて17時に登山口に着く。田埔產道の最終点で、すぐわきには大きな水タンクがある。上部に掛かる雲から出たので、眼前には山谷が広がる。田埔產道の両脇は開墾され、畑になっている。下るにつれ、風景が変わっていく。対面の田埔の集落が見下ろす位置から次第に上がっていく。最後は、芝生毛台山がとても高くなっている。17時52分、竹60号秀巒道路の分岐に来る。今日の歩きは終わりだ。先に車を取りに行ったメンバーは18時20分ほどにやってくる。着替えをすませ、帰途に就く。途中關西の客家料理の店で食事をとり、台北には22時前に帰り着いた。

田埔產道を下る
午後に雨に降られたが、一時的なもので助かった。最近はずっと、午後ににわか雨が降りそうな天気が続いているので、降られなければラッキーということだろう。台北の灼熱地獄から開放されたことを思えば幸せだ。歩行距離は13,2K、累計で970mの登り1430mの下りである。休憩込みで8時間半ほど、思ったよりは時間を要しなかった。石麻達山から屯野生台山への道は、幅が広く緩やかな森の道で、とてもよい。濃霧の中の歩きだったが、天気が良ければさらに快適だろう。

田埔部落を望む、右の谷は玉峰溪
最後に、この日我々が先週歩いた鳥嘴山の近くで落雷にあい2名が重傷を負って入院し、その他にも軽傷者もでた、というニュースがある。実は、距離的気にそれほど遠いわけではない。我々がきいていた雷鳴は、じつは同じ雷で彼らは落雷にあった。傘をさしていたことが、雷を招いたようだ。我々は問題なく下山できたのは、本当に運というべきだろう。

2020-08-27

2020年8月23日 比大鳥縱走 比林山/大窩山/鳥嘴山 日本時代の隘勇遺跡が残る縦走路

下山時に望む夕方の比林山,右の雲の中に大窩山

本来高山縦走を予定していた。ところが、台風が発生しその後天気の悪化が予想された。本来の高山縦走を延期し、空いた週末にこの予定を入れた。とはいえ、急にこの場所を決めたのではなく、以前からチャンスがあれば行こうと考えていた。今回縦走の出発点鳥嘴山は六年前同一稜線線の北にある鵝公髻山へと歩いた。今回は同じ鳥嘴山から南へと縦走するルートだ。

北側の六角亭登山口から往復
歩行高度表
目的地は上坪から南にのびる五峰天際線稜線上の山峰

鳥嘴山(標高1550m)から南へ大窩山(標高1642m)、比林山(標高1812m)へと続く。さらに尾根を追っていけば南比林山,鹿坑山、そして稜線最高点の樂山(鹿場大山 標高2618m)を越え、一週間前に訪れた北坑山へと続く。樂山から東に行けば、大霸尖山の登山入口になる觀霧がある。以前モギリと呼ばれた觀霧から今の大鹿林道、以前の結城-田村台警備道を追っていけば、霞喀羅古道へと続く。今は廃棄され、崖崩れなどもあるこれら日本時代の警備道は、当時鹿場越嶺道(民間に募集した名称では鹿場周り温泉道路)と総称された。この山域の原住民タイヤル族各部落民は、政府への抵抗が激しく多くの衝突が起きている。それら衝突を経て、この地には山域全体をカバーするべく、多くの警備道が開かれた。昭和の時代になると、原住民はすべて帰順し安全が確保され、大霸尖山など高山も含む登山ハイキングが行われた道でもある。

比林山山頂のメンバー全員

六角亭登山口、鳥嘴山は直進
巴威台風が台湾の東を北上し、昨日は一日中雨が突然ザーッと降る不安定な天気であった。夜にもまだ雨が降っていた。朝は雨が止んでいる。天気予報は、午後から天気の回復を示している。6時半、台北から二台のシェアカーで出発する。第三高速の竹東インターチェンジで降り、竹東から122県道で上坪溪の谷間に入っていく。8時過ぎ、上坪のコンビニで休憩をとる。引き続き122県道を進む。谷間は次第に狭まり、谷底はかなり下になる。左に日本時代井上(温泉)と呼ばれた清泉への道を分ける。この道は、今は舗装された車道だが、その前身はシャカロ・サカヤチン警備道(霞喀羅古道)である。さらに觀霧への道を左に分け、道は白蘭部落に向けて登っていく。多くのキャンプ場を通り過ぎ、9時5分六角涼亭の登山口に着く。台北から2時間半の道のりだ。

鳥嘴山へ登る、左は面拖油山
開墾がだいぶ進行している

稜線上の分岐に上がる
六角涼亭の場所はちょうど十字路になっている。左の道は午後下山後戻ってくる道、道標の指す直進の道を取る。9時20分過ぎに歩きはじめる。登っていくと道脇から、谷を挟んで面托油山が望める。山頂はまだ雲をかぶっている。途中鳥嘴山キャンプ場の間を登っていく。キャンプ場が終わるとキャベツ畑が現れる。6年前に比べ、さらに開墾が進んでいるようだ。9時40分、右に草むらの中に登山道が入っていく。昨日の雨で草は露で濡れている。山道は、道筋がはっきりしている。雑木林から竹林になる。急な坂を登り切り、9時52分稜線上に上がる。高度が上がって雲の中に入ったようで、周囲は霧だ。
五峰天際線16.5Kの表示がある鳥嘴山山頂

鳥嘴山山頂の筆者
先に右へ鳥嘴山山頂へ向かう。急な坂を登り切り、9時58分山頂(標高1550m)に着く。もともと樹木に囲まれた山頂は、展望がない。三角点基石が二つ、そして民国73年の水源標識石がある。五峰天際線として整備された黄色の山名鉄板や、今月初めに塔曼山で見たのと同じような木製の山名板がある。また五峰天際線の表示板は 16.5Kとある。写真撮影のあと、往路を下る。わずかで先ほど上がってきた分岐を通り過ぎ、急な坂を下っていく。

急坂を下る
杉人造林の分岐

少ないが倒木もある
林相は雑木林から杉人造林、また雑木林と変わっていく。10時37分、17.5Kの表示板を過ぎて間もなく、道に水を引くゴム管が走っているのに気づく。10時48分、鞍部に着く。ここは左に下っていく道がある分岐だ。大窩山を越えて比林山へ往復し、その後ここから直接登山口に下る予定だ。

稜線道(右)と山腹道の分岐

密生する矢竹を藪漕ぎ
登り坂が始まる。上りでは汗が流れるが、霧でなおかつ風が吹いているので涼しい。上りが終わり、左にあるピークは山腹を巻いていく。11時15分、分岐にくる。二つの道はともに大窩山へと続くが、左は山腹を行く道、右は稜線を追っていく道だ。右に取って登る。すぐに矢竹の中に入る。こちらは歩行者が少ないようで、道筋はしっかりしているが、矢竹が密生している。昨日の雨をたっぷり含んだ矢竹の藪漕ぎは、すぐに衣服を濡らす。こちらの道選んだことを後悔する。忠実に尾根を小さな上り下りで追っていく。11時38分、道は左からの山腹道と合流する。19.5Kの表示板がある。休憩をとる。

杉林の急坂を登る

大窩山山頂

10分ほどの休憩後、杉林の中の急坂を登る。すぐにまた分岐に来る。左は山頂を巻いていく。右に取り更に急坂を登る。坂が緩くなり、11時58分、古い道標を見る。右は石壁山へ下っていく道だが、殆ど歩かれていないようだ。さらに2,3分進み大窩山山頂(標高1642m)に到着する。昼食休憩をとる。食事をしていると、雲が切れて青空がのぞく。先ほど濡れた衣服は、知らず知らずのうちに乾いていく。
広い稜線上の杉林を進む

狭い稜線上を登る
12時40分、比林山へ向けて進む。下ること約5分で、山腹を巻いてくる道と合流する。人造林の幅広尾根をさらに下る。ときどき、陽光が森の中に差し込む。尾根が狭まり、補助ロープもある急な坂を下る。21K表示を過ぎ、また登りが始まる。右に樹木が切れ場所から、谷を挟んで向天湖山から加里山へと続く山が見るが、尾根の上部は雲の中だ。13時19分、ちょっと急な坂を下る。鞍部には石積がある。そのすぐ先は開けた場所になり、また石積壁もある。説明板は、大窩駐在所,日軍軍營遺址とある。この地はタイヤル族との衝突に備えた隘勇線の遺構だ。かなり大きな規模である。左手山腹には平らな場所が開かれ、もともと建物などがあったようだ。上がってみると、日本時代の大日本麦酒のビール瓶が転がっている。大日本ビールは戦前の最大手ビール会社で、戦後はその独占的な市場占有率のため、アサヒビールとサッポロビールに分割された。


隘勇遺址
藍天隊の表示
大日本ビールのビール瓶

穴が開き水が漏れているゴム管
遺跡から少し登る。開けた場所で登山者パーティが休憩している。道沿いにずっとひかれている水道ゴム管に穴があいて、そこから水が漏れている。このゴム管は、鳥嘴山の山腹に多くあるキャンプ場へ上流から共同で引いているもののようだ。さらに少し登り、21K表示板のところで休憩をとる。標高は約1640m、比林山まで約170~80mの落差だ。坂を登っていくと、平らな道がある。隘勇線の道だったものか。あるいはその後造林用に開かれたものなのか。平らな道から離れ稜線上の道をさらに登り、底に穴が開いた飯炊釜が道端に転がっているのを見ると間もなく、14時16分比林山山頂(標高1812m)につく。平たく広い山頂の周囲はすべて森で、なおかつ霧なので展望はない。

21K地点で休憩
緩やかな道を行く
比林山山頂

つい最近の比林山東北峰への道標
23Kの五峰天際線の表示のある比林山は今日の最高点であり、また折り返し点でもある。五峰天際線は上坪から起算全行程28.5Kmのようだ。そこから約9.5Kの樂山林道を行くと觀霧に着く。山頂近くには、右に比林山東北峰へ尾根を追っていく道が、つい最近整理されたように、道標が取り付けてある。14時40分、先ほど登ってきた道を下っていく。15時10分、隘勇遺址を通過、さらに下って登り返す。往路でのロープの急坂はやっかいだ。15時47分、大窩山の巻き道分岐にくる。休憩をとる。

向天湖山方向を見る、上部はまだ雲の中
急坂を登り返す
大窩山巻き道分岐部

山腹道を進む
巻き道は10分ほどで終わり、山頂からの道と合流する。さらに少し下り、稜線道と山腹道の分岐に来る。ここは朝の教訓があるので、右に山腹道を進む。こちらは、がけ淵の少し歩きにくいところもあるが、おおむね良好でなおかつ矢竹はない。多くの登山者がこちらを通るのがうなづける。16時34分、稜線道との分岐を通過。少し登り返し右のピーク巻いていく。人造林の杉はまっすぐで、なおかつ等間隔に植えられているので、とても整然としている。それが濃霧の中では、また別の幻想的な森を演出する。右に下っていく道の分岐があるが、ひもで封鎖されている。最近は歩かれていなようで、荒れている。朝の登りの時には気づかなかった。16時44分、分岐に着く。

ひもでふさがれた山道入口

大きなサルスベリの脇を下る
右に六角亭登山口への道をとり、杉林の間の急坂を下る。大きなサルスベリの大木がある。すでに枯れているようだ。右にひもで立入を禁止している分岐を過ぎ、最後の急坂を下りきる。16時54分、ぽっかり前面が開けたキャベツ畑の登山口に出る。前方には、雲が晴れ面托油山がくっきりとした姿で鎮座している。その左奥のピークは麥巴萊山だ。畑脇の道を下り切り、舗装された産業道路に降りる。残りは左に約1㎞弱で車を駐車している登山口だ。

畑の向こうに面托油山,左の麥巴萊山はまだ雲の中

畑脇の道を登山口へ戻る、左上に鳥嘴山
舗装路はところどころ舗装がきれて、泥濘もあるが車道なので歩きは速い。しばらく進み振り返ると、今日登った比林山が少し雲をかぶって佇んでいる。その山頂から右に大窩山があるが、まだ雲の中だ。また比林山から左に比林山東北峰へ長い支稜が降りている。17時20分、登山口に戻る。休憩込みで8時間の行程だった。距離は約13.3㎞、登り下りも累計で約1100mというところだ。着替えをすませ、帰途に就く。途中竹東の街で夕食を取り、21時に帰り着いた。

道脇の花
前日がけっこうの降雨で心配したが、台風が去るにつれ天候が回復し、雨に降られることはなかった。午後には晴れ間が出てきて、ある高度以上は雲の中であったが、それはそれで涼しく盛夏の時期の登山としては快適だ。五峰天際線は、道の状態もよくまた道標なども完備している。体力さえ問題なければ、お薦めだ。今回は、全員の足並みがそろっていたので、軽快に歩くことができた。