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下山時に望む夕方の比林山,右の雲の中に大窩山 |
本来高山縦走を予定していた。ところが、台風が発生しその後天気の悪化が予想された。本来の高山縦走を延期し、空いた週末にこの予定を入れた。とはいえ、急にこの場所を決めたのではなく、以前からチャンスがあれば行こうと考えていた。今回縦走の出発点鳥嘴山は
六年前同一稜線線の北にある鵝公髻山へと歩いた。今回は同じ鳥嘴山から南へと縦走するルートだ。
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北側の六角亭登山口から往復 |
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歩行高度表 |
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目的地は上坪から南にのびる五峰天際線稜線上の山峰 |
鳥嘴山(標高1550m)から南へ大窩山(標高1642m)、比林山(標高1812m)へと続く。さらに尾根を追っていけば南比林山,鹿坑山、そして稜線最高点の樂山(鹿場大山 標高2618m)を越え、一週間前に訪れた
北坑山へと続く。樂山から東に行けば、
大霸尖山の登山入口になる觀霧がある。以前モギリと呼ばれた觀霧から今の大鹿林道、以前の結城-田村台警備道を追っていけば、
霞喀羅古道へと続く。今は廃棄され、崖崩れなどもあるこれら日本時代の警備道は、当時鹿場越嶺道(民間に募集した名称では鹿場周り温泉道路)と総称された。この山域の原住民タイヤル族各部落民は、政府への抵抗が激しく多くの衝突が起きている。それら衝突を経て、この地には山域全体をカバーするべく、多くの警備道が開かれた。昭和の時代になると、原住民はすべて帰順し安全が確保され、大霸尖山など高山も含む登山ハイキングが行われた道でもある。
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比林山山頂のメンバー全員 |
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六角亭登山口、鳥嘴山は直進 |
巴威台風が台湾の東を北上し、昨日は一日中雨が突然ザーッと降る不安定な天気であった。夜にもまだ雨が降っていた。朝は雨が止んでいる。天気予報は、午後から天気の回復を示している。6時半、台北から二台のシェアカーで出発する。第三高速の竹東インターチェンジで降り、竹東から122県道で上坪溪の谷間に入っていく。8時過ぎ、上坪のコンビニで休憩をとる。引き続き122県道を進む。谷間は次第に狭まり、谷底はかなり下になる。左に日本時代井上(温泉)と呼ばれた清泉への道を分ける。この道は、今は舗装された車道だが、その前身はシャカロ・サカヤチン警備道(霞喀羅古道)である。さらに觀霧への道を左に分け、道は白蘭部落に向けて登っていく。多くのキャンプ場を通り過ぎ、9時5分六角涼亭の登山口に着く。台北から2時間半の道のりだ。
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五峰天際線16.5Kの表示がある鳥嘴山山頂 |
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鳥嘴山山頂の筆者 |
先に右へ鳥嘴山山頂へ向かう。急な坂を登り切り、9時58分山頂(標高1550m)に着く。もともと樹木に囲まれた山頂は、展望がない。三角点基石が二つ、そして民国73年の水源標識石がある。五峰天際線として整備された黄色の山名鉄板や、
今月初めに塔曼山で見たのと同じような木製の山名板がある。また五峰天際線の表示板は 16.5Kとある。写真撮影のあと、往路を下る。わずかで先ほど上がってきた分岐を通り過ぎ、急な坂を下っていく。
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稜線道(右)と山腹道の分岐 |
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密生する矢竹を藪漕ぎ |
登り坂が始まる。上りでは汗が流れるが、霧でなおかつ風が吹いているので涼しい。上りが終わり、左にあるピークは山腹を巻いていく。11時15分、分岐にくる。二つの道はともに大窩山へと続くが、左は山腹を行く道、右は稜線を追っていく道だ。右に取って登る。すぐに矢竹の中に入る。こちらは歩行者が少ないようで、道筋はしっかりしているが、矢竹が密生している。昨日の雨をたっぷり含んだ矢竹の藪漕ぎは、すぐに衣服を濡らす。こちらの道選んだことを後悔する。忠実に尾根を小さな上り下りで追っていく。11時38分、道は左からの山腹道と合流する。19.5Kの表示板がある。休憩をとる。
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杉林の急坂を登る |
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大窩山山頂
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10分ほどの休憩後、杉林の中の急坂を登る。すぐにまた分岐に来る。左は山頂を巻いていく。右に取り更に急坂を登る。坂が緩くなり、11時58分、古い道標を見る。右は石壁山へ下っていく道だが、殆ど歩かれていないようだ。さらに2,3分進み大窩山山頂(標高1642m)に到着する。昼食休憩をとる。食事をしていると、雲が切れて青空がのぞく。先ほど濡れた衣服は、知らず知らずのうちに乾いていく。
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広い稜線上の杉林を進む |
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狭い稜線上を登る |
12時40分、比林山へ向けて進む。下ること約5分で、山腹を巻いてくる道と合流する。人造林の幅広尾根をさらに下る。ときどき、陽光が森の中に差し込む。尾根が狭まり、補助ロープもある急な坂を下る。21K表示を過ぎ、また登りが始まる。右に樹木が切れ場所から、谷を挟んで
向天湖山から
加里山へと続く山が見るが、尾根の上部は雲の中だ。13時19分、ちょっと急な坂を下る。鞍部には石積がある。そのすぐ先は開けた場所になり、また石積壁もある。説明板は、大窩駐在所,日軍軍營遺址とある。この地はタイヤル族との衝突に備えた隘勇線の遺構だ。かなり大きな規模である。左手山腹には平らな場所が開かれ、もともと建物などがあったようだ。上がってみると、日本時代の大日本麦酒のビール瓶が転がっている。大日本ビールは戦前の最大手ビール会社で、戦後はその独占的な市場占有率のため、アサヒビールとサッポロビールに分割された。
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ひもでふさがれた山道入口 |
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大きなサルスベリの脇を下る |
右に六角亭登山口への道をとり、杉林の間の急坂を下る。大きなサルスベリの大木がある。すでに枯れているようだ。右にひもで立入を禁止している分岐を過ぎ、最後の急坂を下りきる。16時54分、ぽっかり前面が開けたキャベツ畑の登山口に出る。前方には、雲が晴れ面托油山がくっきりとした姿で鎮座している。その左奥のピークは
麥巴萊山だ。畑脇の道を下り切り、舗装された産業道路に降りる。残りは左に約1㎞弱で車を駐車している登山口だ。
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畑の向こうに面托油山,左の麥巴萊山はまだ雲の中
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畑脇の道を登山口へ戻る、左上に鳥嘴山 |
舗装路はところどころ舗装がきれて、泥濘もあるが車道なので歩きは速い。しばらく進み振り返ると、今日登った比林山が少し雲をかぶって佇んでいる。その山頂から右に大窩山があるが、まだ雲の中だ。また比林山から左に比林山東北峰へ長い支稜が降りている。17時20分、登山口に戻る。休憩込みで8時間の行程だった。距離は約13.3㎞、登り下りも累計で約1100mというところだ。着替えをすませ、帰途に就く。途中竹東の街で夕食を取り、21時に帰り着いた。
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道脇の花 |
前日がけっこうの降雨で心配したが、台風が去るにつれ天候が回復し、雨に降られることはなかった。午後には晴れ間が出てきて、ある高度以上は雲の中であったが、それはそれで涼しく盛夏の時期の登山としては快適だ。五峰天際線は、道の状態もよくまた道標なども完備している。体力さえ問題なければ、お薦めだ。今回は、全員の足並みがそろっていたので、軽快に歩くことができた。
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