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2018-06-25

2018年6月23~24日 百岳白姑大山 昔日の大林業地の山を登る

合歡山西峰から望む白姑大山山塊、雲下右に見えるのが主峰、手前の森がかられている尾根から登る(2017/1) 
台湾のヒノキは有名である。日本の神社にも使用されたことがあり、日本国内においても身近だ。台湾でヒノキと称されるのは、扁柏と紅檜(ベニヒ)である。後者は、日本のヒノキに使われる桧(檜)の文字があるので、神社で使用されたヒノキと混同されやすいが、真っすぐで神社に使われる巨大な樹は扁柏だ。両者は同じような標高帯に生え、日本統治時代から戦後国民政府にわたり、伐採輸出され台湾の外貨を稼いだ。

大きな括りでは雪山山脈になるが、独立した山塊の白姑大山
二日間の歩行高度表
日本時代に開発された林場は、三大林場とされる阿里山、大平山そして八仙山である。八仙山林場は、現在の台湾中部を横断する中橫公路の谷關溫泉から少し上にいったところにある。谷關七雄と総称される谷關の周りのピークの一つに八仙山や、馬崙山がある。八仙山を北東に峰々を追っていくと、この山塊の最高峰白姑大山(標高3341m)がある。馬崙山は、白姑大山西峰から派生する尾根上のピークである。

『百岳全集』中の地図、50年前の登山道を示す、今日のルートはない
林業の興隆衰退に伴い、また地震や台風による中橫公路の閉鎖などに連れて、白姑大山の登山ルートは変更されてきた。1968年発刊の『台湾百岳全集』によると、1950年代には森林鉄道や材木搬出ケーブルなどを利用して山頂近くまでやってきて、2時間ほどで登頂できたそうだ。それが伐採が終わり搬出機材や宿泊施設が撤収されると、登山は簡単ではなくなった。白姑大山東峰から主峰をへて西峰への縦走も、かなりの苦労であったようだ。その後、中橫公路の青山から北稜をへて登るルートがメインになり、二日で登頂できるようになった。しかし、中橫公路が不通となりアクセスができないため、東側からのルートが今日の登山道になっている。西峰への縦走などは、現在ほとんど歩かれていない。ニイタカトドマツ(冷杉)や台湾ツガ(鐵杉)の森の下は、ニイタカヤタケ(玉山箭竹)がびっしりと生えている。藪漕ぎして縦走するのは並大抵の苦労ではない。

白姑大山山頂のパーティメンバー
白姑大山は、その南麓北港溪の谷間が故郷である先住民タイヤル(泰雅)族の呼名が、その名前の由来ということだ。白狗大山とも称される。先週訪れた烏來もタイヤル族北限の集落だが、この地から移住していった末裔だという。現在のルートは、タイヤル族発祥の地近く、紅香部落の上にある農家のところから登り始める。高山キャベツが栽培される畑の道を上りつめたところが、登山口である。白姑大山東南峰から派生する枝尾根上の三錐山を越え、司晏池のキャンプ地で一泊する。翌日は軽装で尾根を東南峰から主稜線に向かい主峰を登頂、往路を戻ってキャンプ地へ帰り、荷物を担いで下山するのが、一般的な登山方法だ。登山口から一日で往復する、単独アタックも可能だが、十数時間かかる苦労登山だ。主峰登頂のあと、さらに一泊し二泊三日で歩けば、かなり楽になる。我々は一泊で登山した。

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第一日 6月23日(土) 埔里 - 力行產道 - 紅香部落 - 最後農家 - 登山口 - 三錐山 - 松針營地

登山口から三錐山をへて宿泊キャンプ地へ
登りメインの行程
六号高速道路から見る守城大山
前日22日15時半台北を、Lさんの車で出発。今回は5名のパーティだ。高速道路をへて、17時半ごろ埔里に入ってくる。埔里の守り神守城大山が夕立が終わりかけている曇り空に大きくそびえている。18時過ぎ、宿泊地の地母廟に到着。宿泊手続きを済ませ、街に戻って食事をとる。食事後すぐに地母廟にもどる。翌朝が早いので、20時には就寝する。

谷底の北港溪を渡り紅香部落へ入る、橋の向こうは道路修復工事中
キャベツ畑の間を行く
23日は、4時に起床、4時半に出発する。6号高速道路の終点近くのコンビニで食事をとり、14号線を霧社に向かう。霧社の集落から14甲号線を少し登り、左に力行産業道路(投89号県道)に入る。日本統治時代に警備道として整備された埤亞南警備道が前身で、北港溪の流域に生活してた原住民部落をつないでいく。山腹を横切っていく道は、自然災害を受けやすい。途中工事中の場所を通り過ぎる。十数キロ山襞にそって走る。空は青空が広がっていく。6時半ごろ、左に谷に下り北港溪を越えて紅香部落に入る。6時45分、入山許可書を提出するために派出所に立ち寄るが、まだ開いていない。許可書を残し、登山口へ向かって登り始める。谷底の標高1150mから登山口2000mまで登っていく。キャベツ畑の間を登るについて、対岸の合歡山山塊のスカイラインが広がっていく。

キャベツ畑の向こう対岸に合歡山の山並みが広がる
登山口
7時12分最後農家のわきを通り過ぎ、さらに登る。4WDだが最後は登り切れず、途中の踊り場で車を止め、登山口へ歩いて登る。農家から歩いてもそんなに遠くない。登山口には、中国語とベトナム語で盗伐についての警告の赤い垂れ幕が掛かっている。違法在留の外国人が盗伐のアルバイトをしている、その警告だ。7時45分、出発する。道ははじめ林道のように、幅が広い。今は車が全く通らない。低い場所では水がたまり、池のようになっている。少しの上り下りを進み、7時58分林道の終点に来る。

林道の低部は水たまりになっている
水管路から左におれて登る
今日の水場は、もし司晏池キャンプに泊まるのであれば、池の水を使える。しかし、流れないたまり水なので、各自水をもって登る。筆者は都合6リットル弱を背負っている。7月上旬に一週間の高山縦走を控えているので、訓練の意味もある。山道が始まる。道脇にっは沢から引いている水を送る水管が何本も走っている。山脇をゆるやかに登っていく。8時6分、登山道は90度に左に折れて登っていく。水管道は直進していく。過去、ここで左に曲がらずそのまま進み、遭難したケースがある。今は金網が張られ、道標も取り付けられ迷うことはない。道はジグザグに山腹をのぼり、高度を上げていく。濡れた落ち葉が重なる道は、ところどころ太い倒木が遮る。8時半、休憩を取る。

広葉樹林の間を登る
盗伐されたヒノキに林務局の認識札
坂は緩やかになり、登っていく。8時50分ごろからアカマツ林になり、道には松葉が敷き詰められている。その先数分、ニイタカヤタケが現れる。森はまた広葉樹林になる。樹の根があちらこちらに現れ、滑りやすい。9時20分過ぎ、また休憩をとる。休憩後数分歩くと、太いヒノキの倒木があり、木塊が切り取られてる。盗伐の現場だ。そこには林務局の認識札が取り付けられている。朝陽が差し込んでいた森は、10時近い今は霧が立ち込め始めた。天気はもつだろうか。10時13分、坂を上りつめ三錐山(標高2570m)に到着、休憩を取る。樹木の中の山頂、展望はない。

背が低いニイタカヤタケが森の底を埋める
三錐山山頂
鞍部のぬかるみ
緩い坂を下っていく。太いベニヒが倒れている。盗伐されたもののようだ。ここにも林務局の認識札が取り付けてある。十数分下り最低鞍部に来る。道はぬかって水たまりになっている。長靴がありがたい。水たまりの泥濘はかなり深く、足を取られる。太い倒木が何本も現れ、乗り越えるのに苦労する。登りが始まる。鞍部から20数分登っていくと、林相がアカマツ林となる。12時11分、松葉が広がる林の中にテントが三張たててある。更に登っていくと、ツツジの中に入る。地面は腐土で柔らかい。12時32分、初めてのロープのある急坂を越える。上から降りてくる数名の若い登山者とすれ違う。先ほどみたテントの当人で、司晏池で水を汲んだ帰りだそうだ。12時42分、左に緩やかな坂で、われわれのテントを張るには十分な松葉広場がある。もってきた水もあるし、ここで設営することにする。

太い倒木が何本も道を塞ぐ
アカマツ林を登る
テントを張ってまもなく、午後の夕立が始まる。もともと今月半ばに北二段の山々を行く予定であった。ところが、雨が少ない今年の梅雨は、最後になって豪雨が発生した。そのため、北二段の予定は取りやめた。その代わりのこの山行は、気圧配置が夏型になっていく途中で、午後に雷雨が発生しやすい。幸いなことにテントを張り終えた後なので、テントの中で休憩し、17時すぎ雨が止んだ後、食事を用意しとる。明日も早い出発なので、19時には就寝する。テントにはまた少し降り出した雨が滴っている。
松葉絨毯のキャンプ地
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第二日 6月24日(日)松針營地 - 司晏池營地 - 白姑大山東南峰 - 草青池 - 白姑大山 - (往路)  - 松針營地 - 三錐山 - 登山口 - 最後農家 - 紅香部落 - 力行產道 - 霧社 - 台北


キャンプ地から白姑大山主峰を往復、その後登山口へ下山
二日目の歩行高度
白姑大山東南峰で休むメンバー
2時半に起床、朝食をとる。森の間から見上げる空は、星が見える。暗い中3時過ぎに下方から昨日であった若者のパーティーがテント脇を登っていく。我々は3時半に出発する。まだ暗いので、ヘッドライト頼りだが道筋ははっきりしているので問題ない。数分草の間を行くと司晏池キャンプ場に着く。暗いがテントが数張あるのがわかる。少し下り、東南峰の登りにとりかかる。まだ暗い中4時23分に休憩、さらに登る。4時40分、東南峰(標高3035m)に到着。三角点はないが、そこそこ広い頂上だ。夜空の底が少し白んできた。

東南峰を振りかえる
低いヤタケを行くと雫でぬれる
頂上から下り始める。約200数十m下の鞍部へ長い下りを行く。ヤタケの間に何本もの太い倒木が現れる。最低鞍部をすぎ少し登ると吉他營地(ギターキャンプ地)にくる。東南峰で出会った、我々の前を登る年配夫婦のパーティに追いつく。背の高いヤタケの間に二張ぐらいテントが張れる狭い場所だ。ギターという名前は、誰かがギターを持ってきたからではなく、稜線の上り下りが頻繁で、ギターの形状のように窪んでいるから名付けられたという。5時25分、少し休憩をとる。

吉他營地で休憩
倒木を越えるのは苦労だ
我々のキャンプ地から主峰までの直線距離でいうと、ここで約半分だがこれから難所が始まる。約2時間歩いてきたが、更に時間がかかる。背が高いヤタケは、両側に壁が続くような感じだが、背丈ぐらいのヤタケは昨日の雨のため、間を歩くと服が濡れる。そのため、今日は出発時から上下雨具をつけている。登るにつれ、明るくなった空のもと、周辺の景色も見れるようになる。振り返れば、先ほどの東南峰が大きい。林相もタイワンツガの大樹が多くなってくる。南側には、中央山脈の山なみが長く続いてる。

中央山脈が遠くに見え始める
背丈の高いヤタケのトンネルを登る
今回は、オリンパスのE-M5 IIを持ってきている。ところが、昨日午後からスイッチの様子がおかしい。だましだましオンオフをしていたが、登りの途中に写真を撮ろうとしたらスイッチが入らない。どうやら部品が折れてしまったようだ。このカメラ、防塵防滴なので山用にしているのだが、今回また故障してしまった。前回は三泊四日の嘉明湖山行の第一日目出発前にシャッターが故障してしまい、シャトルサービスの車に残した。今回は、歩いている途中での故障だ。これからカメラはお荷物でしかない。たまたま筆者の運が悪いのかわからないが、事実としてこのカメラは信頼性が低い。入門機でなく、それなりの使用に耐えるはずだが、実に残念なことだ。遠くの山を引っ張るために、倍率の高いズームレンズを持ってきたが、無駄になってしまった。スマホで写真をとるしかない。

台湾ツガの岩稜を進む

ヤタケの間を登っていく。ここも倒木が多い。30分ほどの登りで、稜線も岩が現れニイタカトドマツの森になる。道は岩稜の右や左を巻いていく。ニイタカヤタケは、相変わらずまとわり、あるところでは背丈ぐらい、あることろでは壁のごとく高く生えている。6時半、休憩をとる。登り下りが続く、最後に少し大きめのピークにとりつき登る。右前方に白姑大山の大きな山容が、ビッシリと茂る樹木の衣を着て、どっしりと控えている。歩くにつれ、左には白姑大山南峰から西峰への稜線が続いているのが望める。稜線の鞍部の向こうには守城大山から有勝山への稜線がのぞく。道脇の赤いツツジが印象的だ。岩稜には、タイワンツガがそこここに生え、霧が掛かればまさに水墨画の世界だ。7時25分、見晴らしのよい小ピークの上で休憩をとる。

稜線から白姑大山西峰から南峰への稜線を見る、鞍部の向こうに守城大山
岩稜の登りが続く
見晴らしのよいピークから脈々と続く中央山脈を遠望する
主峰が近い
草青池
右に見える白姑大山主峰が大きくなる。小ピークから下り、前方の草原に入る。回り込んだくぼみに草青池がある。池といっても、水たまりで水は茶色に濁っている。冒頭に記した初期の登山道は、西峰の下方にあった林業宿泊所から草青池をへて頂上へいっていたそうだ。これから歩く部分は、当時と同じ道になる。

草原から振り返る、左に歩いてきた稜線が見える
大岩セクションを登る
緩やかな草原の坂を上りつめる。振り返れば草原の向こうに尖った西峰とそのさらに遠く、中央山脈北三段の能高山やその近くの馬海僕富士山が見える。草原が終わると道は右に回り込み、大石がごろごろするセクションを進む。8時からルートを探し大石を踏んで登る。約20分で大岩セクションを過ぎ、頂上に続く草原を行く。遮るものの少なくなった青空が広い。下っていく若者パーティとすれ違い、8時半に山頂に到着する。登り5時間を要した。

頂上への最後の登り
山頂の筆者
頂上は、一等三角点を擁する。南側は樹木が大きくなって視野が遮られるが、西側は前衛の山々の遠くには台中の街が見える。北側は深い大甲溪の谷を挟んで雪山西稜が長々と続く。東側は中央山脈北一段の南湖大山から中央尖をはじめ、北二段へと峰々が沸き立ち始めたガスに見え隠れしている。実に雄大な眺めだ。一等三角点がすえられているだけの展望がある。この展望を求めて来たのに、カメラが壊れて使えないことが、本当に残念だ。再び訪れることがあるかわからない。9時半、約30分ほどの滞在のあと下り始める。帰りは、往路を戻る。大石セクションを越え、草青池を過ぎる。小ピークで数名のパーティとすれ違う。途中一度休み、11時25分また吉他營地で小休憩を取る。

山頂から雪山西稜を望む
南湖大山(左)から続く中央山脈を望む
前方下方に東南峰が見える
倒木は厄介だ
ここから標高差約200数十mの登り返しが始まる。ゆっくりと確実に登る。次々と現れる倒木が実に厄介だ。12時25分、東南峰に到着する。数分休憩後、キャンプ地への最後のセクションを歩く。鞍部はぬかっている。朝は暗い中でよくわからなかった司晏池のキャンプ地を過ぎる。ここにある三か所の池は、どれもたまり水で茶色い。漉して沸かせば十分使えるが。更に少し下り13時15分キャンプ地に戻る。帰りは約4時間であった。天気予報では、午後からにわか雨の可能性80%である。幸いまだ雨は降らず、濡れずにテントを撤収する。

司晏池
広葉樹林の最後の下り
小休憩のあと14時15分に荷物を背負って下り始める。ツツジの森を過ぎ、アカマツ林を下る。泥濘の鞍部を過ぎて三錐山へ登り返す。15時50分に三錐山に到着、休憩のあと登山口への長い道を下る。霧が濃くなってくる。ゴロゴロとかなり大きな雷音が鳴っている。森の中は薄暗いが、幸い雨が降ってこない。17時19分、金網で囲われた水管道に下り、さらに林道を登山口へ歩く。道の状態は良いが、往路では全く感じなかった距離をヒシヒシと感じる。少しの登りがつらい。17時40分、登山口へ戻る。雨がポツポツ降り出した。車に戻り帰路に就く。今日は朝3時半から約14時間の行動時間だった。

雨が降り出した合歡山を望む、右下に最後農家
紅香部落から力行産業道路に登り返す。暗くなり始めた力行道路は照明がなく、曲がりくねった雨中の道は、運転するのも大変だ。20時頃霧社に着き、簡単に夕食をとる。台北には23時20分ごろに帰り着いた。

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二日目の歩行距離は14㎞ほどでそれほど長いわけではない。しかし、稜線上の上り下りに加え、数えきれない倒木を乗り越し、途切れることのないニイタカヤタケをくぐっていくこのルートは、とても疲れる。白姑大山は、もともと中橫公路から登っていたので、屏風山畢祿山さらに羊頭山の三座と合わせ、中橫四辣(手ごわい相手)と称される。筆者はほかの三座はすでに登っているが、白姑大山が一番つらい山行であった。最後の下りでは、正直終わりはまだかと思って歩いていた。数十年前は、二時間で登れた山は、今や二日がかりで初めて登頂できる。時代が変わり登山ルートは変わる。変わらないのは山だけである。

2018-06-19

2018年6月18日 烏來落鳳山 不人気山、眼鏡を取られた草の道

落鳳山山頂のメンバー(Xさん撮影)
台北市街から南に下り、新店を過ぎると山が迫ってくる。新店溪にそってさらに谷間を行くと、山深い烏來につく。烏來老街近くで主流の南勢溪は支流桶後溪を分ける。桶後溪を遡ると、峠を越えて宜蘭に続く。桶後溪上流は、烘爐地山とともにかつて訪れた。三年前の台風で壊滅的な被害を受けた烏來は、桶後溪にも深い傷跡を残した。桶後溪の北側に走る山並みは、大桶山から今回の登山対象である落鳳山を経て東に進み、烘爐地山へと続いている。

西側桂山路からスタート、落鳳山を往復して南側孝義へ下る
前半は緩い登り
落鳳山も実は、ずっと山行対象候補であった。しかし、一般交通機関でのアクセスが良くなく、不人気の山で道の状態も良くないことが想定される。なんだかんだでずっと後回しになっていた。それが、前回の大粗坑山行の時に、新北市の新巴士が桂山路のかなり上まで来ていて、尚且つ山登りに便利な時間帯にも運転されていることを知った。このバスを利用すれば、比較的簡単にアクセスできることがわかり、今回の山行となった。

刺とげの恐ろしい刺藤をくぐる
ネット上での情報も少なく、それも古いものしか見当たらない。登山者があまり歩いていないようだ。2015年に藍天隊が入っているがすでに三年、かなり自然の状態に戻っているはずだ。そして予想は的中した。火燒樟山は、最近歩かれた様子があったが、その他の部分は草が覆いかぶさり、また下草がない雑木林の中でも道筋ははっきりしない。草や倒木、刺とげの刺藤が生い茂るなどして、道がふさがれたところも多い。マーカーリボンは古いものが主で、その数も少ない。何度も立ち止まり、ルート確認を余儀なくされた。

MRT七張駅のバス停で新巴士に乗る
バスはここでバックして向きを換え下っていく
天気が悪いと予報されていた端午節の三連休は、確かに南部は大雨に見舞われたが、台北は青空も現れ、うちにじっとしているのはもったいない。連休最終日も天気がよさそうだ。そこで一日前に予定を公表した。今回は四人のパーティである。新巴士龜山線は、MRT七張駅からスタートする。7時40分発の始発バスで向かう。北新路で三、四か所乗客を乗せた後、新烏路を止まることなく廣興へ向かう。更に龜山の街から桂山路に入り、前回歩いて下った道を登っていく。大桶山バス停を過ぎて間もなく。右に道が分岐するところが桂山路206號とされている終点だ。8時20分、われわれ四人だけの乗客を降ろすと、バスは回転して往路を下っていく。

火燒樟山の登山口、左の道を登る
桂山路から茶畑越しにみる火燒樟山
桂山路を登っていく。数分で、前回大粗坑山からやってきた道を左に分岐し、そのすぐ上で右に火燒樟山への登山口が現れる。道筋は草がかぶりはっきりしないが、方向が正しいので進む。右に大桶山が高い。道は山の左側にとりつき進む。切通しを過ぎてすぐ、8時50分左に火燒樟山の道が分岐する。左に取って登る。驚いたことに、草が刈られている。まだ青く、つい最近登山者が草を刈って登ったようだ。ほんの二分ほどで基石の埋まる山頂(標高650m)につく。東四崁水山とも称される山の山頂は、樹木に囲まれ展望はない。往路をもどり、分岐から山腹道を進む。

火燒樟山山頂にて
草に埋もれた山腹道
はじめは幅もある道は、そのうち細くまた草に覆われる。濡れた草でズボンが濡れる。幸い今日は長靴なので、足元はOKだ。両側は杉林が続く。これら杉林植林のために歩かれた道なのだろう。9時15分、森がきれて前方が開ける。大桶山から落鳳山へと続く主稜線から左に落ちる枝尾根の向こうに、頭が平らな落鳳山が見える。直線距離では、4,5㎞というところだろう。その先山襞を回り込んで行くと、右に道が分かれる。前日見た情報では、山腹道にはがけ崩れがあるということだが、初めの分岐の後で現れると地図に表示されている。そこでそのまま進む。するとかなり大きな規模のがけ崩れが現れた。

右から下る枝尾根の向こうに平らな落鳳山の頭がのぞいている
がけ崩れが現れた
がけ崩れ部分を行く
引き返して高巻き道と思われる道を行くかどうか判断するため、まずがけ崩れ部分を進んでみる。どうやら渡れそうだ。そこで戻らずに、慎重に横切っていく。岩が露出しそれに少し土砂がのっている。がけ崩れの終点近くは、かなりきつい勾配でなおかつ下が切れている。落ちたら大変だ。そこで上に登っていき、がけのヘリへ上がる。浮石が多く、落石に注意して登り切る。手掛かりになるはずの灌木は、刺が生えているものが多くつかめない。四人ががけのヘリの上に登り、そこから下方の山道へ強引に下る。刺のある草も多く、鎌を取り出し刈りながら下り、10時に山腹道に降り立つ。がけ崩れを通過するのに30分ほど要した。

がけ通過中の景色、遠くに翡翠ダムの水面が見える
草藪を強引に山道へ下る
滑りやすい濡れた岩を渡る
山腹道は、水が流れる小沢を二回ほど横切る。濡れた岩はぬめぬめして滑りやすい。少し登り気味になり10時21分、主稜線へ登っていく道との分岐に来る。左に山腹道を進んでいく。道は緩やかに登っていく。両側の杉人工林が美しい。この山の唯一、良いところだ。10時49分、ロープが渡してある露出岩を過ぎる。道は細く、谷側に傾斜しているので足元は注意が必要だ。登り坂が急になり11時23分、稜線上の分岐に着く。右は大桶山、左は落鳳山だ。両者のほぼ中間点になる。少し休憩を取る。

分岐部、右は稜線へ登る道
杉林の中を登る
稜線上の古い十数年前の道標
今日は曇り気味の天気で、温度計も26度をしめしているが、風がなく蒸し暑い。汗もしきりに流れ、体力を消耗する。稜線上の道は、今までの山腹道に比べると、少しはよい。杉林が過ぎると雑木林の中を行く。シダ類の葉が茂るところは、踏み跡を覆い隠す。この山域はとげの植物が多く、注意しても袖や太ももにとげが引っ掛かる。最低鞍部を通り過ぎ、小ピークへへ登る。12時17分、風が吹き抜け下草もない明るい小ピークに着く。食事休憩を取る。

稜線上を行く
ガスが掛かってきた、これから登る尾根
20数分の休憩後、先にまた鞍部へ下っていく。そこから坂は直線的に登っていくので、かなり急坂だ。登り切り少し下って、また標高差200数十メートルの長い急坂を登る。右の枝尾根が近づいてくる。13時26分坂を登り切り、右からの道を合わせる。この道は孝義に下る道で、落鳳山を往復したあと、この道を経由して下山する予定だ。幹に取り付けられた藍天隊の道標は 2015年6月の日付で、今まで見た道標のなかで一番新しい。少し休憩する。

孝義への分岐、ここから落鳳山へ往復する
緩やかな道を落鳳山へ向かう
落鳳山山頂へは、緩やかな上りだ。今日は汗を多くかき、尚且つ普段より多く水を飲んだためなのか、足がつり気味だ。早速塩をなめる。いろいろと対処方法があるようだが、筆者は塩を補給するのが一番手っ取り早くて効果がある。15分ほどで、茅と灌木で囲まれた二等三角点基石の山頂(標高925m)に着く。今日の最高点である。先ほどの分岐の登り途中から、霧が濃くなってきたが、ここはもともと展望がないので違いはない。落鳳山からさらに東に峰々が続き、地図上では山道が記されているが、今まで以上に草木に覆われているようだ。アクセスも簡単でなく、道が悪いと日帰りでは歩ききれないので、かなり昔の記録はあるがほとんど歩かれていないのだろう。坪林九芎根山から歩いてこれたら、と思って確かめるためにきたのだが、この状態をみるとあきらめる方がよさそうだ。メンバーが持ってきたビールを開け分けて飲む。旨い。

比較的新しい藍天隊の道標
急坂を下る
14時9分、往路を分岐へ戻る。14時25分、分岐を左に下り始める。初めはかなり急な坂が続く。尾根が緩くなり、杉人工林の中を行く。かなり倒木がある。踏み跡は草に覆われ、はっきりしないところが多い。尾根上の道よりも状態がよくない。生い茂った草の中で道が途切れる。立ち止まりルートを探る。そうしたことを何回か繰り返し下っていく。風が吹き抜ける平らな場所で休憩をとり、また後半の下りを行く。高度差約500mほど下り、16時17分やっと送電鉄塔の下に着く。鉄塔メンテのための保線路が始まるので、ホッとする。

倒木が続く
草の道を下る
保線路を次の鉄塔に向けて進む。3,4分で鉄塔が現れたが、道が切れてしまっている。また道探しだ。方向を見定めて草の中を行くと道が現れた。しかし、数分進むとまた途切れてしまった。3年前の台風で保線路も影響を受けたのだろうか。道探しをする。そのうち足元が悪く、筆者の眼鏡が枝に引っ掛かって落としてしまう。足場が悪く、仲間も探してくれるが見つからない。普段はスペア眼鏡を持っているときが多いのだが、今日は持ってきていない。意気消沈だが、仕方がない。そこで道に迷ったときの鉄則で、最後の確実な目印まで戻る。その途中で右に下っていく踏み跡がある。地図で見ても方向としてはあっている。ほかのメンバーが先頭になり下ると、果たしてよい保線路が現れた。

送電鉄塔に降りた



眼鏡がなく遠くはぼやけるが、足元に注意し道を下る。幸い道の状態はとてもよく、スムースに下る。先ほどの眼鏡探しなどで、かなり時間を費やしすでに17時を回っている。幸い今は日照時間が一番長い。鉄塔をさらに二か所通り過ぎ、ジグザグに下り17時28分、阿玉水壩(ダム堤防)につく。ダムを渡り対岸の事務所下に着く。先ほどからポツポツ降り出した雨は、事務所の軒下で着替えなどをしているうちに雨脚が強まってきた。

鉄塔わきの保線路を行く
阿玉水壩(ダム)が下方に現れた、右に孝義集落
17時52分、堤防の上の道に出て、孝義に向けて歩く。雨がけっこう降っているので、タクシーを呼んで烏来のバスターミナルに行くことにする。メンバーが付近の民家に尋ねて呼んでもらう。親切なことに民家では我々を中にいれて、車が来るまでもてなしてくれた。本当にありがたい。前に同じように山から下ってきた老夫婦がいたそうだが、道にまよってやって来たようで途中転んだり、大変だったという話をしていた。18時21分、タクシーがやって来る。タクシーの運転手も同じようにこの老夫婦を載せて烏來へ送っていったそうで、その時の話をしていた。18時40分過ぎにバスターミナルに到着、18時45分発のバスで帰途に就いた。

ダムの上から下阿玉山を望む
タクシーがやってきた
距離約12.3km、登坂合計800m弱である。休憩やその他道探しなどの時間を入れて約11時間の行動時間だ。かなり時間を要したが、道の状態が悪いことが関係している。不人気な山は、道の状態が悪く草刈や時間がかかることは覚悟していかなければならない。コースの難度は、高さや距離だけではない。道の状態が大きく関係する。困難度はクラス4+だ。地図が読め、道の状態が悪くてもルートファインディグができることが必要である。経験者向けのルートだ。