合歡山東峰の登り途中から見る畢祿-鋸山-羊頭山の連山 |
西側大禹嶺からスタート東へ縦走 |
歩行プロファイル、820林道はほとんど上下なし |
中央山脈第二段最南端に位置する、北側一、二、三段の山々や雪山山脈の山々が展望できる |
一方、日本時代の登頂として台湾山岳(日本時代の台湾山岳会機関紙)第7号に掲載された千々岩助太郎等4名のメンバー(それに日本人警備隊や原住民道案内ポーターが同行)が1932年8月10日に、今でいう中央山脈北一段、二段の縦走を畢祿山から北に無名山や中央尖山、南湖大山を越えて縦走する、一番初めの峰として登っている。当時は、もちろん中横公路などはなく、沢を遡り尾根に取り付いて登頂している。
稜線キャンプ地から望む夕景、合歡山北峰の向こうに陽が沈む |
畢祿山山頂から鋸山連峰と羊頭山(最左)を見る |
820林道高巻部分を行くメンバー |
今回の山行は、本来7名のメンバーで前回と同じようにシャトルサービスで行く予定だった。ところが直前にメンバー二人がいけなくなり、幸いメンバーの一人が自家用車を提供、自分達で運転して訪れた。ただ出発点と下山点が異なり、間には20キロの距離があるので、大禹嶺の民宿のシャトルサービスで慈恩橋から大禹嶺へ戻った。
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第一日 12月2日(金曜日)
第一日は前半林道歩き、そして落差700mの山道急登 |
第一日の歩行プロファイル |
早朝合歡山隧道のメンバー |
820林道3㎞地点を行く |
左に合歡山北を望み崖崩れ高巻部分を行く |
林道から雪山山脈を遠望、左は白姑大山 |
林道に残されたバイクの残骸 |
6㎞地点で休憩 |
廃棄作業小屋を過ぎる |
林道から畢祿山を望む |
林道歩きの終点、テント場でもある |
登山口、この沢で水をくむ |
途切れない急登が続く |
矢竹の草原の中、最後の登りを頑張る |
テント場についた、前方に平らな場所で設営 |
テント場から花蓮側を望む、雲海が谷を埋める |
畢祿山への途中から見る奇萊北峰と合歡山群、雲海が谷をうめる |
畢祿山山頂の筆者、背後に無名山や北一段の山々 |
頂上のパノラマ、左に雪山山脈、右に中央山脈 |
夕暮れ迫るテント場 |
夕闇が迫る |
残光の中奇萊北峰と合歡山で囲まれた谷に雲海 |
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第二日 12月3日 (土曜日)
鋸山連峰を越え、東に羊頭山へ縦走 |
基調は下りの歩き |
夜明けのテント場から西側を望む、昨晩の雲海はすでに消えている |
朝日の中の奇萊北峰 |
朝日の差し込むニイタカトドマツの森を進む |
大きく左側に下っていく |
縦走路上の岩場第四ピーク |
岩場上からの展望 |
岩場上から北側遠くに雪山山脈を望む、手前右のピークは鈴鳴山 |
鋸山山頂 |
シラビソの種子 |
タイワンツガの枝ごしに奇萊北峰を望む |
前方岩壁を左にトラバースする |
前方左に羊頭山が見える |
前方に奇萊東稜の長い尾根が伸びている |
羊頭山への分岐部 |
森の中を羊頭山へ向かう |
羊頭山山頂 |
濃霧の草原下る |
登山口から岩場を下り左のトンネルによじ登る |
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左から南湖大山、中央尖山、無名山、次の目標だ |
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