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2013-07-26

2013年7月25日 坪林三星 鬼子瀨尖-源茂山-和尚髻山 雪山隧道が貫通する山

香水合歡の咲く源茂山登山道、水聳淒坑から鬼子瀨尖と対岸の獅公髻尾山を望む
高速道路5号線の雪山隧道は、台湾で一番長いトンネル(約13km)である。十数年の年月を費やして2006年に開通した。雪山トンネルというが、高山雪山からはかなり離れている。雪山山脈の末端なので、この命名だ。第五号高速道路は、坪林インターチェンジを過ぎ北勢溪を渡って、雪山トンネルに入る。トンネルが入っていく山は、今回登山の坪林三星の一つ、鬼子瀨尖山(大尾山)である。その後、三星の二つ目、源茂山の真下を通って行く。源茂山登山道の近くには、トンネルから上がってくる竪坑入口がある。

雪山隧道入口、背後に見える高い山は和尚髻山(2013/5撮影)
時計回りに北側の坪林から回遊する
歩行高度記録(一部記録途切れ)中央のピークが源茂山
この三つの山は、標高881mの源茂山を最高に、その左右に鬼子瀨尖山(標高636m)と和尚髻山(標高725m)がある。源茂山を頭に、右腕が鬼子瀨尖山、左腕が和尚髻山とすると、その胸の部分が平たくなっており、そこに坪林の主要農産物お茶の畑が広がっている。それらが、坪林の街を向いて座っている。山の名前も興味深い。鬼子瀨尖の鬼子とは読んで字の如し、得体の知れない怖いものをさす。どうしてこのような名前なのか、開拓当初の苦労がそのような名付けの由来、というネット上の情報もある。一方、その反対側の山、和尚髻山は、和尚の(髪の)まげというような意味だが、これもどうしてこんな名付けなのか。そして、鬼と和尚、得体の知れない存在とそれに対抗する存在の和尚、面白い取り合わせである。

坪林周辺の山々
蘇力台風が台湾北部を通り抜けて行ってから約二週間、ある程度予測していたが、源茂山と更に輪をかけて和尚髻山の山道は、台風の風で吹き飛ばされた枝や竹が行く手を塞いでいた。特に和尚髻山から下った、大湖尾歩道は台風後二週間誰も歩いていないようで、折れた枝や竹がそのままたくさん道を塞いでいた。人気のある山ではない。本来ならば5,6時間で回れるようだが、登山口を探すのに無駄な時間を費やしたこともあるが、8時間半を要した。

國中バス停、山はまだ霧の中
台北郊外の山は、夏は暑く夕立もある。できるだけ早く登れるように、MRT新店を始発7時の923バスで坪林へ向かう。それまで青空でよい天気だったが、彭山隧道を抜けると曇っている。坪林の山は、頂上がガスのなかだ。7時25分に坪林國中バス停で下車する。北勢渓対岸の木々に白鷺がたくさん止まっている。繁殖場所だ。アーチ橋を渡り石彫公園に入る。入口に大湖尾-源茂山登山路説明看板がある。これから登る、鬼子瀨尖経由で源茂山への道はAルートとなっている。一方、和尚髻山経由はBルートである。この分類でいくと、Aルートから登りBルートで下るわけだ。

石彫公園入口の登山道案内、右のAルートと左のBルートの説明
登山道はここを左にとり進む
石彫公園は、遊歩道の両わきに多くの石彫刻が展示されている。上の方に行くと、中国古典の人物が多い。少し上がったところで、読書をする古人の彫刻がある。これを右にとり登る。思源台という廟がある。そのわきの道を登る。すると、あずま屋がある。あずま屋の後ろに登る道があるので行ってみると、途切れてしまった。戻るとわきに山腹を進む道がある。手持ちの地図、多くのところで使用させてもらっている蕭郎の地図では更に農家の方へ進み、そこから登山道が始まるようになっている。そこで、その道を進み農家へ行くがどうも様子が違う。農家わきには産業道路があるが、そこにも入口らしいものはない。あずま屋へ戻り、また探るが道はない。そこで、もう一度農家のわきに行き、そこから上がる土の道を登ってみる。ちょうど、農家の人が作業をしているので、尋ねてみる。すると、この道は行き止まりだということ、更に登山道はここではなく、石彫公園の向こうの方だという。今回のこの地図は、どうも間違いだ。

丸石登山道の部分から坪林を俯瞰する(マウスクリックで拡大)
土の登山道開始部分のキロポスト、対岸にあずま屋
あずま屋へ戻り、そこから一旦下る。右にわかれて行く道があるので、それを取り進むと標識リボンが枝にかかっている。行ったり来たりで、かれこれ3、40分ほど無駄に費やしたが、どうやら正しい登山道に来たようだ。丸い石が敷き詰めてある茶畑の中の道を登る。広い展望台に着いた。ネット上で紹介があった、展望台はこれだ。先ほどのあずま屋ではない。こんな単純なことで間違うとは、今日はついていない。登る山が鬼子(瀨尖)なのでバカされたのか。朝方の霧はすっかり晴れて、展望台からは先ほど下車したバス停や高速道路がよく見える。

展望台からも、しばらく丸石の道を登る。ピクニックテーブル・イスがある場所から、土の山道が開始する。大尾山歩道(鬼子瀨尖の別名)2.8kmと記してある、キロポストが道端にある。先ほどのあずま屋が、谷を挟んだ対岸に見える。登山道は、いきなり急な登りが続く。板造り階段や枕木階段の良い道である。竹林をすぎ、また雑木林の中を登る。9時10分、山道の途中だが、すこし休憩する。7時半に歩き始めて1時間半ほどだ。気温が高く、すでに全身汗だくだ。

枕木階段が続く
鬼子瀬尖への登りで見る高速道路と背後の山々
頂上直下の長い登り
急坂はなおも続く。休憩場所から十数分登ってくると、左側が開け高速道路が下に見える。その右の大きな山容の山は、獅公髻尾山から鑽石峰へとつらなる山々だ。9時半に一度小ピークを越える。尾根上の登り下りを繰りかえして高度を上げること30分、最後の長い直線的な階段を登り切る。10時、鬼子瀨尖頂上に着いた。ちょうど登山客が一人下りてくるところで、入れ違う。今日山道で出会った、唯一の登山者だ。頂上には説明看板や椅子が設けてある。ここまでは、草も少なく歩きやすい。三角点基石が中心にある頂上の周囲は樹木で、展望は無いがゆっくり休む。今日は、何故か疲れ気味だ。気温が高いせいだろうか、それもと登山道探しで無駄な時間を費やしたことでの焦りで、必要以上に速く登ったせいか。

鬼子瀬尖頂上
ヤセ尾根部分を行く
次の目標、源茂山へ向けて鬼子瀨尖を下る。概ねよい道だが、痩せた岩場も現れる。小ピークをいくつか乗り越え十数分歩くと、大きく下る斜面に来る。草原で、左側に藤寮坑方面の山々や、五月に訪れた胡桶古道方面の山々が望める。正面は、源茂山とその右に尾根を伝って行くと和尚髻山が見えている。道は、板造り階段だが草に埋もれて見えない。坂を下りきる。左に藤寮坑古道が分かれる。茶畑の上端を歩き、また杉森の中を進む。左に水聳淒坑山をへて尾根を源茂山へと続く新しい道がある。それは取らずに、大尾山歩道をそのまま進む。10時53分、産業道路が現れる。右にとれば、産業道路を経て坪林へ下る。左の細い山道を進む。大きなコンクリ製水槽わきを進み、水聳淒坑2号の民家わきにヒョッコリでる。ちょうど住人が家から出来来たので挨拶する。隣の民家わきに登山案内看板や道標がある。源茂山登山道が始まる。

鬼子瀬尖の下りで見る源茂山(左)と和尚髻山(右端のピーク)
藤寮坑方向を見る
茶畑わきの源茂山登山道を登る
雪山隧道とあるキロポスト、折れた枝が塞ぐ左の道を進む
茶畑わきを山道が行く。ピンクの香水合歡が花盛りだ。虫達が忙しく花から花へ、蜜を集めている。枕木の道が続く。茶畑が過ぎ、草が深くなる。ヤブコギも必要だ。十数分登り、森の中に入るところで、右に道が分岐する。11時20分、鬼子瀨尖頂上から約1時間、少し休憩する。10分ほど更に登ると、雪山隧道と記してあるキロポストが現れる。右にとれば、雪山隧道の真上になる部分の竪坑口に行く。左の道は、山腹をトラバースしていく。道を塞ぐ折れた枝も多くなる。杉林の中では、道に多くの葉が落ちている。この道は、鬼子瀨尖登山道に比べると、歩かれていないようだ。涸沢を越えすすむ。左から、藤寮坑より北稜を登ってくる道と合流する。その先、山道は方向を大きく換え、尾根上を登り始める。12時11分、もう一つの源茂山登山道と合流する。この道は朝の案内板でみたBルートの道だ。左にとって少し登ると、右に藤寮坑山や建牌崙へつ続く尾根道を分け、左に源茂山の頂上がある。ここで今日の行程のちょうど半分だ。4時間半かかっている。ここも、中心に三角点基石があり、その周囲に説明板やベンチが設けてある。樹木のなかで、展望は無い。食事休憩する。
源茂山頂上
草が茂り足もとが見えない
下りはBルートの山道を進む。杉林や雑木林の中は、折れた枝や葉があるが、道筋ははっきりしている。草むらになると、足もとが見えなくなる。20分下ってくる。右に雪山隧道竪坑をへの道を分岐する。そのまま、直進する。暫く行くと、折れた枝に足を取られバランスを崩した。倒れたところにちょうど石があり、左膝を強くぶつけた。しばらくは、痛みのために座って休んだ。今日は、やはりついていない。これも鬼子にバカにされたのか。雪山隧道竪坑経由の道を経て、産業道路を下ることも考えたが、こちらも道筋がはっきりしない。ままよ、とばかりにそのまま和尚髻山への道を進む。途中、尾根上を進む道と2箇所分岐するが、本来の登山道を進む。と、いってもこちらも道の程度は良くない。尾根道は新しいのでこちらを進む登山者の方が多いようで、本来の登山道は荒れている。標識リボンも少ない。根こそぎ倒された杉の大木や、折れた枝が道を塞ぐ。二ヶ所ほど茶畑の上にでて、景色が広がるのが幸いだ。北東方向にある、遠い山には丸いドームが見える。五分山だ。

茶畑からの眺め
和尚髻山への最後の登り
13時55分、バスタブが置いてある茶畑のわきを下り、分岐を左にとる。ここから和尚髻山への登りが始まる。枕木階段が長く続く。14時5分、和尚髻山の頂上に到着した。ここも基石がある。広い頂上は、周囲は全部樹木で展望はない。説明看板やベンチが設けてあるが、草も深く、明らかにこの山は、他の二山に比べると人気がないようだ。最後のピークを登ったので、ほっとする。しばし休憩する。

和尚髻山頂上
邪魔物が多い下り道
下り道は、かなり急だ。先ほど転んだので、下りは膝が少し痛い。枕木階段もあるが、草に埋もれている。倒木も多く、折れた枝も多い。10分ぐらいの下りが終わり、大きな良機製の水タンクのわきで産業道路に飛び出る。産業道路を下る。ここは樹木も少なく、風景が眼前に広がる。北勢渓沿いの山々、左岸の火焔山や、右岸の二格山から連なる雲海山粗坑山などの山々が眼前にある。麓は、もちろん坪林の集落だ。つづら折りの産業道路を下る。大きなトタン壁の工場建物、三階建ての民家の前を下る。ここにも香水合歡がたくさん咲いている。14時50分、十字路に着く。道案内看板や道標がある。右の産業道路を取って下ることもできるが、かなり迂回するので時間がかかる。直進して土の道に入る。その先右に、大湖尾古道が分岐する。直進して、大湖尾歩道を歩く。

産業道路わきからのパノラマ
草の中をかき分け進む、坪林が見えてきた
先に少し登る。そこから急坂が始まる。板造りの階段や補助ロープなど、整備がされている。ただ、歩く人が少ないためだろう、森を出ると草が深く足もとが見えない。尾根上の道は、急坂と緩やかな道が交互に現れ、高度を下げていく。30数分下ってくる。竹やぶに入る。多くの枯れ竹やまだ青い竹が、倒れて道を塞ぐ。その数がうるさいほど多く、台風の後誰も歩いていないことを物語っている。15時50分、下り始めて1時間で、産業道路に出た。道標がなければ、草が深く道があることすら判らない。

台風後誰も歩いていない道を下る





舗装路を下ってまもなく十字路に出る。右は沢沿いに設けられた水聳淒坑步道だ。歩道入口に、橋補修に寄付した昭和11年の地元民の記録石碑がある。左に産業道路を下ってもいけるが、直進して沢沿いの道を進む。道の入口で一息入れる。次の台北行き923番バスは、坪林16時30分発だ。今は16時10分、十分間に合う。歩道専用になっているが、1911年完工の坪林旧橋を渡り、少し道を進んで坪林国中バス停に14時20分に到着した。バスは35分にやって来た。帰路は混雑もなく、新店に17時10分到着した。こちらはにわか雨が降っているが、山中で降られずに良かった。最後は、和尚さんの山(和尚髻山)に登ったので、ご利益を得たのかも。

水聳淒坑步道と昭和11年の記念碑
今回、登山道入口で余計なところを歩いたので、本来のルートより1kmぐらい多いが、これを含めて約13kmの道のりである。行動時間は休憩込みで8時間半、登攀累計1090mである。ルートのレベルは、もししっかり草刈りなどのメンテが行われていれば3だが、今の状態では4に近い。鬼子瀨尖だけであれば、レベル2だ。一方、体力要求度は全体で4である。これも道の状態がよければそれほどでも無いのかもしれないが、今回筆者は機器による測定表示では3700キロカロリーを消費している。これは、通常よりもかなり多い水準だ。本来は、それほど大変な山では無いのかもしれない。しかし、何故か筆者は苦労した山だった。

2013-07-22

2013年7月21日 三峽熊空-加九嶺-紅河谷古道-烏來成功 三峽から烏來へ峠越

熊空溪の向こうに加九嶺山
紅河谷古道の渡渉部分
三峡の山奥まった集落、熊空から、峠を一つ越えると烏來になる。交通機関を利用すると、それぞれかなり離れた別の場所から行くことになるので、実はこの二つの場所が隣り合っていることに気づきにくい。ここは元来、原住民泰雅族の領域である。原住民と漢人、後に日本の樟脳商人との争いは、日本統治時代の約100年前20世紀初頭に、集落に睨みをきかせられる位置になる白雞山三山の鹿窟尖に大砲が設置され、三峡側の部落は帰順した。泰雅族三峡側の部落と、烏來の部落との連絡通路が紅河谷古道の由来である。熊空渓にそって登り、加九嶺山と逐鹿山との鞍部を越え、その後加九寮渓にそって長く下っていく。峠の北側は加九嶺山から北に、獅仔頭山-熊空山の山脈中央の竹坑山へ連なる。一方南側は、逐鹿山の先更に卡保山,北插天山と高度を上げて台湾中央の雪山山脈へと連なっていく。ここは、深山の始まるところでもある。
西の熊空から東の成功まで歩く
加九嶺から長い下りが続く
紅河谷越嶺古道は、三峡の熊空からは標高900m強の峠まで標高差約600m、一方烏來の成功からは一旦南勢渓と加九寮渓との合流点近くに下るので、約800mの高度差である。長さも熊空側は成功側の三分の一ぐらいと短い。今回は、全線古道を歩くのではなく、スタート後熊空側は先に加九嶺山に登り、その後古道の峠部分へ稜線を下る。その後古道に沿って入口まで下り、加九寮橋から成功バス停に登り返した。ほとんど森の中を進む道なので、晴れていてもそれほど影響がないが、午前中は曇っており風も適度にあって、比較的涼しかった。下り道も、風があり夏の登山だが暑さでそれほど苦労はなかった。

付近の登山軌跡
三峡市街から熊空へは、807番バスが往復している。休日ダイヤは、6時の始発の次は8:30発となる。MRT永寧駅でWさん、HさんYさんの三名に合流し8時前の916番バスで三峡へ向かう。台北大学三峡キャンパスバス停で下車、少し歩いて大勇路の三峡一站バス停へ向かう。別のバスでやって来たZさん夫婦とここで落ち合う。そのうちバスを待つ行列ができ、出発の時はバスは立ち席も満員になる。三峡の街の中でもまた乗車があり、バスはギュウギュウ詰めだ。夏の休日、熊空への街道は山へ向かう自家用車も多い。9時35分、通常よりも10分ほど多く時間を費やし、熊空バス停に到着した。

加九嶺登山口
今日は長丁場の行程であるが、バス時間の都合で出発は9時40分となった。同じバスの乗客であった老人が、我々と一緒に登りたいと言うことで、全員七名で歩き始める。彼は69歳ということだが、功夫の心得があるようで、とても元気だ。熊空渓にそって産業道路を登る。しばらく行くと、沢の奥にこれから登る加九嶺山が控えている。沢には大勢の遊楽客が水浴びをしたりバーベキューを焼いている。その煙が道路まで上がってくる。左に猴洞橋への道を分け、少し行くと右に多くの標識リボンが結ばれている登山口がある。紅河谷古道の熊空側入口だ。われわれは、そのまま産業道路を進む。自家用車が数台駐車している熊空橋を越すと、路面の様子が悪くなる。ここから先に行く車はほとんどない。警察官が2名、バイクで通り過ぎていく。道はヘアピンカーブで曲り、登っていく。先ほどの警察官が降りてきて会話する。どこへ行くのか尋ねられたので答えたのだが、付近の地理にあまり詳しくないようだ。10時22分、歩き始めて約35分で登山口に着いた。

岩場の登りが現れる
稜線上の竹坑山への分岐部
小休憩後、山道を登り始める。道はいきなり急坂が続く。下草のあまりない稜線を登って行くと、大きな岩の下に出る。ここは補助ロープを使い、岩を登る。更に急坂が続く。10時50分、尾根上のちょっと広い場所が現れる。近くの木には、700m休憩場所という表示がある。ここは標高約700m、熊空から約1時間ぐらいの場所で、確かにちょうど休憩によい。小休憩のあと、また登りが始まる。ただ、勾配は全体に緩くなってきている。狭い尾根から、広いゆったりとした尾根上に変わる。登りだけでなく、下り部分も現れ始めた。左から、竹坑山よりの尾根が合わさるはずだ。それかと思い登っていったがなかなか現れない。おそらくその前の枝尾根だったようだ。12時、竹坑山への分岐に来た。H700m休憩場所から約1時間だ。一度また下り、登り返す。やっと頂上に着いた。今日の最高点だ。12時8分、熊空バス停から約2時間半の登りだった。
加九嶺山山頂(標高989m)
そこそこ広く平らな雑木林の中の頂上は、全く展望がない。烏來や三峡の深山は、頂上からの展望があまりないが、台北に近い山々と違った自然の魅力がある。頂上には、人工と思われる盛土とくぼみがある。原住民との境界の役割であった、隘勇線の遺跡か。30分ほどゆっくりと食事休憩を過ごし、紅河谷古道の鞍部に向けて下る。尾根上の道は起伏があるので、基本は下りといえ登り返しもある。幅広の稜線を進むこと25分、13時過ぎに向天湖山への分岐についた。ここからこの尾根道を進んで紅河谷古道に合流することもできる。今日は、そのまま鞍部の峠まで下る。急な坂を下っていく。人声が聞こえてきた。13時12分、峠に下り立つ。午前中、熊空橋への産業道路で追い越した数名の登山グループが、峠の部分で食事休憩をしている。古道を谷に沿って登ってきたそうだ。峠には、涼しい風が吹いている。都会のクーラーとは違う、自然の涼風だ。
杉林の中の峠、熊空側を見る
杉林の中を進む
峠の周囲は杉林で、日本の山を思わせる雰囲気だ。尾根をたどれば拔刀爾山への分岐、さらには逐鹿山へ続く。古道は先まだ長い。小休憩のあと、下り始める。まもなく、道は急坂になり大きく下っていく。ザレ石部分も現れ、足もとがよくない。単独登山者と二人すれ違う。山腹沿いに平な道を進む。谷の向こうに翡翠水庫の水面が望める。峠から30分ぐらいで、先ほど加九嶺山の尾根から向天湖山へ分岐した尾根道へ登る道との分岐に来る。ここから尾根上の涼亭格へはすぐだ。小休憩を取る。道は、また急坂で沢に向かって降りていく。岩のごろごろする沢を越す。水が少し流れている。なお下り、沢底に下り立つ。2カ所目の沢越えのところで、少し休憩する。水があるところでの休憩は、顔を洗ったりできるので、気持ちが良い。14時半、峠から約1時間下ってきた。ここで峠から古道入口までの道のりの約2割ぐらいカバーした。

古道からの眺め、翡翠水庫の水面が少しのぞく
雑木林の中を下る
沢沿いに下る
蘇力台風の爪痕がまだ残る
工寮近くの支流に架かる橋
簡易橋をわたる
また細い沢を一度越え、道が崩れたと思われる部分の沢底を進んで登り返し、山道は左岸を下っていく。沢が広くなってきた部分で渡渉する。飛び石を踏んで渡るが、水量がそこそこあり濡れている石もこさなければならない。みな慎重に渡る。こうした時、登山杖はバランスを取るのに役にたつ。右岸の道を進む。広くなった沢が大分下のほうを流れている。ところどころ台風で倒された幹が道を塞ぐ。坂が急になり下っていく。支流の岸に出る。ここも飛び石をつたって渡渉する。道は歩き易くなってきている。15時40分、木製の簡易橋を越える。その3分ぐらい先で、工寮のある支流合流点に着いた。ここは、昨年拔刀爾山へ登るとき、やって来た場所だ。少し上がったところにある、工寮で休憩する。古道入口まで、残りは数キロ残すのみだ。

ここから古道入口までは、歩きやすい良い道だ。倒木も鋸で切られて道を開けている。実際、ここまでは遊楽客がよく歩いてくるようだ。道もかなり平らだ。簡易橋を2箇所越す。遠くに送電鉄塔のたくさん載っている直潭山が望める。三つ目の簡易橋を越える。ここの近くで、高腰山への登山道が始まる。ここが沢水と接することができる最後の場所だ。16時40分、山道もあとのこりわずかで、日暮れまでの下山は問題ない。しばし休憩する。メンバーは橋の下に降りて水に親しんでいる。

最後の休憩をした枝沢の三番目の簡易橋
峠方向を望む、すでに遠くになった
15分ぐらい休憩し、古道最後の部分を進む。土地公とキリスト教の小さな像が隣同士に祀られている場所を過ぎる。煙草が線香の換わりにさされている。古道の峠方向が望める。遠くに加九嶺山と思われる山が見える。随分と遠くまで歩いてきたものだ。木製階段が現れ、高度を下げる。コンクリ道になる。加九寮渓の谷底には多くの遊楽客が水遊びをしている。17時23分、古道入口に着いた。峠から約4時間の下りである。車道を加九寮へ進む。橋を渡り北烏公路へ登り返す。17時40分、成功バス停に到着した。バスが来る前に皆でビールで乾杯する。長丁場の歩きの後のビールは、実に格別の喉ごしだ。

休憩込みで8時間の行動であった。距離はGPSの記録では約15.5kmである。ネット上の情報では、紅河谷古道は22kmという記述もあるが、遠回りとなる加九嶺山を入れてもこの数字なので、古道自身はもっと短いはずだ。計算起点と終点が異なるのだろうか。加九嶺山への登攀もあったので、登りの累計は1124mである。山中での日暮れは、電灯は持っているものの、できるだけ避けたい。そのため、あまり長い休憩はとらず歩きもゆっくりではないが、69歳の老人も含めて全員完歩した。烏來の山は久しく来ていないが、今回の山行で感じがつかめた。今後は、さらに奥の山を含めて山行を計画していくつもりだ。

今回ルートの難易度は、山道そのものはレベル3である。体力要求度はレベル4だ。紅河谷越嶺古道は長く、烏來側から登ると高度もある。全線を歩くのであれば、早めにスタートして日暮れまでに下山できるような、準備が必要だ。

2013-07-19

2013年7月18日 陽明山系金包里古道-內雙溪古道 金山八煙から士林內雙溪へ

金包里古道許顔橋
今回も、陽明山の北側から南に歩く山行である。有名な金包里古道から擎天崗へ登った後、內雙溪古道を経て至善路の小18バス終點まで歩いた。金包里古道は、魚路古道とも言われ金山から台北まで魚を行商するために歩かれたという道でもある。峠の擎天崗を境に金山側は北段、南は南段とされている。南段は、菁山から絹絲瀑布をへて擎天崗へ登る道で、絹絲瀑布歩道とも称されている。2年前に一度歩いた。北段も、実はすでに歩いている。以前の会社のリクリエーション活動で、上磺溪停車場へ下った。もう数年前のことだ。今回は、その更に北側八煙から登りはじめた。

北から南へ金包里古道と內雙溪古道を歩く
擎天崗からは、環形歩道を経て內雙溪古道へ入る。この道は、すでに歩いている。北五指山への山道分岐から北五指山へ向けて歩き、最初の分岐で右にとってまた內雙溪古道へ下った。この尾根上を行く道はまだ歩いていなかったので、寄り道をした。內雙溪古道は下って行くと、右岸の坪頂古圳と左岸の登峰圳の二つのルートがある。以前は坪頂古圳を歩いたので、今回は登峰圳を経た。

出発点八煙緑峰温泉山荘バス停近くの道標、奥に竹子山
先週は蘇力台風が通り過ぎ、直後に登った瑪陵尖山道は影響を受けていた。それから数日経っているが、やはりまだその影響は残っていた。金包里古道は上磺溪登山口から北側は、数年前の山崩れで道が崩れた後、一般には通行止めとなっており、整備がされていないので、この間の道は枝や草が道を塞いでいるところがかなりあった。一方、もともと陽明山国家公園の管理下ではない內雙溪古道や枝道部分は、風で折られた枝が道を塞いでいるところに多く出会った。道には木の葉が多く落ちていた。

出発まもなくの通行止め表示
台湾の西側を西馬隆台風が通過している。台湾南部はその影響で雨が降っている。北部は曇りで、風が強い。出発の時、自宅近くから陽明山の一部小観音山がビルの間にくっきり見える。MRT劍潭駅から、皇家客運の金山行きバスで向かう。台北駅近くを6時30分発の始発バスは、劍潭駅には6時43分にやって来た。陽金公路を小油坑の峠で越えた後、バスは金山に向けて下り始める。陽金公路のこちら側を通るのは、数年ぶりだ。左側に見える、竹子山への山塊がとても雄大だ。つづら折りに下って行き、7時40分、約1時間の乗車で八煙緑峰温泉山荘バス停で下車する。ここは標高約320m、擎天崗へは400数mの高度差約5kmの道のりである。バス停のすぐそばに金包里古道の道標がある。整備された古道は、更に北の一重橋から始まるが、今回は初回なので緑峰温泉山荘からの出発にした。

台風で倒された草が道を覆う
古道に入ると、すぐにあずま屋があり中には古道の説明や、イギリス人 Robert Swinhoeと佐々木舜一の足跡や学術発見などの説明が示されている。古道は立派な花崗岩の石段だが、そのすぐ先には通行止め柵と標識がある。それを通り越し進むと、すぐ草深い中の藪こぎになる。先週の台風でなぎ倒された草が道を塞ぐが、道そのものは石畳の道なので足もとはしっかりしている。ところどころ登りがあるが、勾配自体はそれほどでもない。20数分歩く。左に沢山標識リボンがかかっている。新しい藍天隊の道標が頂中股山と指している。石畳古道の先には、通行止めの柵がある。古道の山崩れ部分は、巻いて越すのかと思い、この道に入り登ってみる。しかし、右に進む道がない。これは単に頂中股山への山道と判断し戻る。通行止めの柵まで行ってみると、柵のわきにしっかりした踏跡がある。このまま進めるようだ。道は狭くなり、その先がけ崩れの場所を草の中踏跡が続いている。樹木が切れたので景色が望める。対岸の竹子山はまだ高い。踏み跡を行くと、補助ロープのある岩場に出て、登ると石畳の古道がまた始まった。

崖くずれ部分から見る竹子山、草の中に細い踏跡が続く
日人路を行く
森の中を進む部分は、石畳がしっかり続くが、森がきれて草の中になると両わきの草がおいかぶさり、道が見えないところもある。しかし、もともと整備されている道である。数年間の放置があるがそれでも、程度は高い。歩き始めて1時間ほど、右から幅の広い山道が合わさる。これは、いわゆる日人路だ。1852年に開かれたもともとの道に加え、日本統治時代初期の1901年に、馬で大砲を引かせることができるよう、勾配の小さい道を追加で開いた。二年を掛けて完成したこの道は、石段の道に対し迂回するように登っていく。士林金山道という名称だが、一般的には日本人が開いた道ということで、日人路と称されている。もともとの道も、初期の抗日活動で活躍し、その後帰順した簡大獅が率いる抗日分子がその数年前に整備している。そこで土匪路とも言われている。抗日分子は、その後期土匪と呼ばれていた。

古道の石橋を渡る(三重橋)
別の崖くずれ部分
日人路を進む。こちらは確かに道幅も広く、勾配も緩く階段などはない。途中用水路を越し、10分ほど進む。三重橋が現れる。上には並行して行く石畳古道の石橋がある。ここで古道の方へ上がり、石橋を越えて進む。橋を越えると、また階段の道が登っていく。道が平らになり、山腹を進む。崖崩れがあり、石畳の道が途切れる。崖崩れ部分の土道を過ぎると、また石畳が始まり、その少し先で水量の多い外番坑溪を木橋で越える。その先さらに数分で、通行禁止の柵をまき、上磺溪停車場からの道が新しい木製階段で合流する。一般ハイカーは、通行禁止になっているので、八煙までの道は歩かないだろう。

上磺溪停車場からの登山道合流点、奥に黄色の山道不通の警告板が見える
許顔橋からの眺め、巨石がゴロゴロする谷の向こうに竹子山が望める
古道わきの土地公の祠
道の程度が格段に良くなる。台風の影響による大きな邪魔物はすでに取り払われて路上にない。許顔橋の石橋を越える。幅の広い後尖窟底溪は、大石がごろごろしている。沢の谷間の向こうには、竹子山が望める。橋の袂で、しばし休憩する。八煙から歩き始めて約1時間半だ。数名のハイカーが通り過ぎていく。橋から少しいくと、日人路を左に分けあずま屋や説明板のある小屋がある。小屋の先、右に行く道は大油坑への道だろう。石橋を越え、沢にそって道は登っていく。棚田を過ぎる。その先右に土地公の祠がある。手入れが行き届き、今まで歩いた古道の祠としては一番立派だ。その昔、往来した旅人が安全を祈願した姿が目に浮かぶ。

森を抜けて草原の中を行く
許顔橋から十数分登ってくると、森を抜け草原の登りとなる。夏の陽射しの中での登りはキツイが、今日は西馬隆台風の影響で空は曇り、それに風も吹いているのでとても楽だ。擎天崗へはあと1kmぐらいだが、ここから勾配がきつくなる。大石公の巨岩わきを過ぎる。石段をひたすら登る。左から日人路が交差する。ここまで来ると、金山方面まで望める。大尖後山の山容が同じぐらいの高さになってくる。百年前、魚を担いでやって来た行商人は、あと少しで峠越えになるので、ほっとしたことだろう。魚を売って帰途ここまくれば、家のある金山も見えるのでを歩みを速めたかもしれない。石段道のわきに水が流れている。その先、単独ハイカーが石段に腰掛けて休んでいる。更に二度日人路と交差し、最後の登りを左に取り、10時4分環形歩道と石梯嶺歩道との分岐点へ着いた。八煙から約2時間半の登りであった。環形歩道を少し歩き、見晴らしのよい草原で休憩、食事をとる。

金山方面も望めるようになる
日人路との交差点
峠直下の眺め
環形山道わきの草原で休憩、向こうに竹高山が望める
十数分の休憩後、環形歩道を下る。牛が一匹道端で休んでいる。道が下りきったところから、內雙溪古道が始まる。もちろん道標などない、土の道だ。三月にもここから內雙溪古道に入った。十数分くだると、沢わきの分岐に来る。ここから左に入る道は、北五指山へ続く山腹道だ。少し広場になっているが、台風で吹き倒された木が道を塞ぐ。內雙溪古道は、ここから渡渉して沢沿いに進むが、左の道をとり登り返す。目的は北五指山ではなく、登った枝尾根を下りまた內雙溪古道へ下ることだ。この枝道はまだ歩いていないので、そこを歩くことが目的だ。

5Kの表示がある枝道分岐部
分岐から10分ほどの登りで分岐がある。枝道に入ると、踏跡は細くなる。ところどころ標識リボンがあるので助かる。平な尾根上の道が暫く続く。風で折られた枝がけっこう多く、道を塞ぐ。木々の間左側に、北五指山が同じぐらいの高さに見える。10分ほど歩くと、道が下り始める。急な下りには補助ロープも取り付けられている。枝道を歩いて25分、以前に歩いた道に合流する。白ペンキで5Kの里程が道脇の石に記されている。この道は、內雙溪古道から北五指山の下部へ沢沿いに登っていく別の枝道だ。この枝道を右にとり、急坂を下ってまた11時22分、內雙溪古道に戻った。ここで少し休憩する。
內雙溪古道の分岐部、沢を渡渉した向こう側を登ると、鉄の門を通り峠を越えて内寮へつながる
古道を行くと現れた民家
沢沿いの道を下る。沢からかなり高い部分をトラバースしていく。10分ほどで、右に坪頂古圳への道を分岐する。ここから先は、初めて歩く部分だ。沢も深くなり、また注ぎ込む枝沢も太くなるので、それを越すために道は出入りの多くなる山肌を巻いていく。坪頂古圳分岐から十数分下ってくる。いきなり畑と人家が現れる。ここは、まだかなり奥まったところだ。人家があるとは期待していなかった。人家の前を通り過ぎる。家の前に寝ていた犬が少し吠える。人家からは、道は沢に向かって下り始める。沢底に下り切ると、沢を越えて対岸の坪頂古圳へ続く道がある。渡らず、左岸をそのまま進む。12時7分、用水路が沢を弧を描いて横切り流れていく開けた場所に出た。登峰圳用水路だ。水は左岸のこちらから対岸へ流れている。坪頂新圳沿いに歩くこともできるが、今日はこのまま左岸の登峰圳沿いに歩く。用水路沿いに数分歩く。荷蘭古道の枝道分岐がある。五月に一度下ってきた部分だ。その先枝沢が注ぎこむ部分で少し休む。

沢を越えて沢の対岸へ流れる弧状の登峰圳用水路
用水路を更に進み、坪頂古圳親山歩道に合流する。近く畑の上から、対岸の大崙頭、尾山の稜線の上に、台北101ビルが頭を出している。更に奥には、青い高い山々がのぞいている。どうやら拔刀爾山、高腰山とその周辺の烏來、三峡の山々のようだ。その奥にも高山があるが山名は判らない。台風による強風で空気が通常以上に澄んでいるようだ。親山歩道を下り、田尾仔橋で內雙溪を渡る。親山歩道が終わり、至善路を下り12時50分に小18番バスの終點坪頂古圳歩道口バス停に到着した。平日のこの時間帯はバスの頻度が少なく、40分ほど待ってバスに乗った。
101ビルが頭を出す、その向こうは烏來、三峡の山々
今回は、金包里古道は国家公園管理のよく知られた古道を歩いた。下半分が山崩れで普通になり、そのままで修復されていないのは残念だ。もちろん、今回のように歩くことはできるが。內雙溪の山谷の道は、いつものように心地良い道であった。歩行距離約10km、所要時間5時間10分、累計627mの登りである。

道のレベルは、金包里古道の擎天崗と上磺溪の間は、レベル1である。しかし、その北側八煙の部分はレベル3,內雙溪古道もレベル3だ。体力要求度は、レベル3というところだろう。もちろん金包里古道の擎天崗と上磺溪の間だけであれば、ハイキングとしてレベル2である。陽明山北側も、これからまだまだ登っていくつもりだ。