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2013-07-19

2013年7月18日 陽明山系金包里古道-內雙溪古道 金山八煙から士林內雙溪へ

金包里古道許顔橋
今回も、陽明山の北側から南に歩く山行である。有名な金包里古道から擎天崗へ登った後、內雙溪古道を経て至善路の小18バス終點まで歩いた。金包里古道は、魚路古道とも言われ金山から台北まで魚を行商するために歩かれたという道でもある。峠の擎天崗を境に金山側は北段、南は南段とされている。南段は、菁山から絹絲瀑布をへて擎天崗へ登る道で、絹絲瀑布歩道とも称されている。2年前に一度歩いた。北段も、実はすでに歩いている。以前の会社のリクリエーション活動で、上磺溪停車場へ下った。もう数年前のことだ。今回は、その更に北側八煙から登りはじめた。

北から南へ金包里古道と內雙溪古道を歩く
擎天崗からは、環形歩道を経て內雙溪古道へ入る。この道は、すでに歩いている。北五指山への山道分岐から北五指山へ向けて歩き、最初の分岐で右にとってまた內雙溪古道へ下った。この尾根上を行く道はまだ歩いていなかったので、寄り道をした。內雙溪古道は下って行くと、右岸の坪頂古圳と左岸の登峰圳の二つのルートがある。以前は坪頂古圳を歩いたので、今回は登峰圳を経た。

出発点八煙緑峰温泉山荘バス停近くの道標、奥に竹子山
先週は蘇力台風が通り過ぎ、直後に登った瑪陵尖山道は影響を受けていた。それから数日経っているが、やはりまだその影響は残っていた。金包里古道は上磺溪登山口から北側は、数年前の山崩れで道が崩れた後、一般には通行止めとなっており、整備がされていないので、この間の道は枝や草が道を塞いでいるところがかなりあった。一方、もともと陽明山国家公園の管理下ではない內雙溪古道や枝道部分は、風で折られた枝が道を塞いでいるところに多く出会った。道には木の葉が多く落ちていた。

出発まもなくの通行止め表示
台湾の西側を西馬隆台風が通過している。台湾南部はその影響で雨が降っている。北部は曇りで、風が強い。出発の時、自宅近くから陽明山の一部小観音山がビルの間にくっきり見える。MRT劍潭駅から、皇家客運の金山行きバスで向かう。台北駅近くを6時30分発の始発バスは、劍潭駅には6時43分にやって来た。陽金公路を小油坑の峠で越えた後、バスは金山に向けて下り始める。陽金公路のこちら側を通るのは、数年ぶりだ。左側に見える、竹子山への山塊がとても雄大だ。つづら折りに下って行き、7時40分、約1時間の乗車で八煙緑峰温泉山荘バス停で下車する。ここは標高約320m、擎天崗へは400数mの高度差約5kmの道のりである。バス停のすぐそばに金包里古道の道標がある。整備された古道は、更に北の一重橋から始まるが、今回は初回なので緑峰温泉山荘からの出発にした。

台風で倒された草が道を覆う
古道に入ると、すぐにあずま屋があり中には古道の説明や、イギリス人 Robert Swinhoeと佐々木舜一の足跡や学術発見などの説明が示されている。古道は立派な花崗岩の石段だが、そのすぐ先には通行止め柵と標識がある。それを通り越し進むと、すぐ草深い中の藪こぎになる。先週の台風でなぎ倒された草が道を塞ぐが、道そのものは石畳の道なので足もとはしっかりしている。ところどころ登りがあるが、勾配自体はそれほどでもない。20数分歩く。左に沢山標識リボンがかかっている。新しい藍天隊の道標が頂中股山と指している。石畳古道の先には、通行止めの柵がある。古道の山崩れ部分は、巻いて越すのかと思い、この道に入り登ってみる。しかし、右に進む道がない。これは単に頂中股山への山道と判断し戻る。通行止めの柵まで行ってみると、柵のわきにしっかりした踏跡がある。このまま進めるようだ。道は狭くなり、その先がけ崩れの場所を草の中踏跡が続いている。樹木が切れたので景色が望める。対岸の竹子山はまだ高い。踏み跡を行くと、補助ロープのある岩場に出て、登ると石畳の古道がまた始まった。

崖くずれ部分から見る竹子山、草の中に細い踏跡が続く
日人路を行く
森の中を進む部分は、石畳がしっかり続くが、森がきれて草の中になると両わきの草がおいかぶさり、道が見えないところもある。しかし、もともと整備されている道である。数年間の放置があるがそれでも、程度は高い。歩き始めて1時間ほど、右から幅の広い山道が合わさる。これは、いわゆる日人路だ。1852年に開かれたもともとの道に加え、日本統治時代初期の1901年に、馬で大砲を引かせることができるよう、勾配の小さい道を追加で開いた。二年を掛けて完成したこの道は、石段の道に対し迂回するように登っていく。士林金山道という名称だが、一般的には日本人が開いた道ということで、日人路と称されている。もともとの道も、初期の抗日活動で活躍し、その後帰順した簡大獅が率いる抗日分子がその数年前に整備している。そこで土匪路とも言われている。抗日分子は、その後期土匪と呼ばれていた。

古道の石橋を渡る(三重橋)
別の崖くずれ部分
日人路を進む。こちらは確かに道幅も広く、勾配も緩く階段などはない。途中用水路を越し、10分ほど進む。三重橋が現れる。上には並行して行く石畳古道の石橋がある。ここで古道の方へ上がり、石橋を越えて進む。橋を越えると、また階段の道が登っていく。道が平らになり、山腹を進む。崖崩れがあり、石畳の道が途切れる。崖崩れ部分の土道を過ぎると、また石畳が始まり、その少し先で水量の多い外番坑溪を木橋で越える。その先さらに数分で、通行禁止の柵をまき、上磺溪停車場からの道が新しい木製階段で合流する。一般ハイカーは、通行禁止になっているので、八煙までの道は歩かないだろう。

上磺溪停車場からの登山道合流点、奥に黄色の山道不通の警告板が見える
許顔橋からの眺め、巨石がゴロゴロする谷の向こうに竹子山が望める
古道わきの土地公の祠
道の程度が格段に良くなる。台風の影響による大きな邪魔物はすでに取り払われて路上にない。許顔橋の石橋を越える。幅の広い後尖窟底溪は、大石がごろごろしている。沢の谷間の向こうには、竹子山が望める。橋の袂で、しばし休憩する。八煙から歩き始めて約1時間半だ。数名のハイカーが通り過ぎていく。橋から少しいくと、日人路を左に分けあずま屋や説明板のある小屋がある。小屋の先、右に行く道は大油坑への道だろう。石橋を越え、沢にそって道は登っていく。棚田を過ぎる。その先右に土地公の祠がある。手入れが行き届き、今まで歩いた古道の祠としては一番立派だ。その昔、往来した旅人が安全を祈願した姿が目に浮かぶ。

森を抜けて草原の中を行く
許顔橋から十数分登ってくると、森を抜け草原の登りとなる。夏の陽射しの中での登りはキツイが、今日は西馬隆台風の影響で空は曇り、それに風も吹いているのでとても楽だ。擎天崗へはあと1kmぐらいだが、ここから勾配がきつくなる。大石公の巨岩わきを過ぎる。石段をひたすら登る。左から日人路が交差する。ここまで来ると、金山方面まで望める。大尖後山の山容が同じぐらいの高さになってくる。百年前、魚を担いでやって来た行商人は、あと少しで峠越えになるので、ほっとしたことだろう。魚を売って帰途ここまくれば、家のある金山も見えるのでを歩みを速めたかもしれない。石段道のわきに水が流れている。その先、単独ハイカーが石段に腰掛けて休んでいる。更に二度日人路と交差し、最後の登りを左に取り、10時4分環形歩道と石梯嶺歩道との分岐点へ着いた。八煙から約2時間半の登りであった。環形歩道を少し歩き、見晴らしのよい草原で休憩、食事をとる。

金山方面も望めるようになる
日人路との交差点
峠直下の眺め
環形山道わきの草原で休憩、向こうに竹高山が望める
十数分の休憩後、環形歩道を下る。牛が一匹道端で休んでいる。道が下りきったところから、內雙溪古道が始まる。もちろん道標などない、土の道だ。三月にもここから內雙溪古道に入った。十数分くだると、沢わきの分岐に来る。ここから左に入る道は、北五指山へ続く山腹道だ。少し広場になっているが、台風で吹き倒された木が道を塞ぐ。內雙溪古道は、ここから渡渉して沢沿いに進むが、左の道をとり登り返す。目的は北五指山ではなく、登った枝尾根を下りまた內雙溪古道へ下ることだ。この枝道はまだ歩いていないので、そこを歩くことが目的だ。

5Kの表示がある枝道分岐部
分岐から10分ほどの登りで分岐がある。枝道に入ると、踏跡は細くなる。ところどころ標識リボンがあるので助かる。平な尾根上の道が暫く続く。風で折られた枝がけっこう多く、道を塞ぐ。木々の間左側に、北五指山が同じぐらいの高さに見える。10分ほど歩くと、道が下り始める。急な下りには補助ロープも取り付けられている。枝道を歩いて25分、以前に歩いた道に合流する。白ペンキで5Kの里程が道脇の石に記されている。この道は、內雙溪古道から北五指山の下部へ沢沿いに登っていく別の枝道だ。この枝道を右にとり、急坂を下ってまた11時22分、內雙溪古道に戻った。ここで少し休憩する。
內雙溪古道の分岐部、沢を渡渉した向こう側を登ると、鉄の門を通り峠を越えて内寮へつながる
古道を行くと現れた民家
沢沿いの道を下る。沢からかなり高い部分をトラバースしていく。10分ほどで、右に坪頂古圳への道を分岐する。ここから先は、初めて歩く部分だ。沢も深くなり、また注ぎ込む枝沢も太くなるので、それを越すために道は出入りの多くなる山肌を巻いていく。坪頂古圳分岐から十数分下ってくる。いきなり畑と人家が現れる。ここは、まだかなり奥まったところだ。人家があるとは期待していなかった。人家の前を通り過ぎる。家の前に寝ていた犬が少し吠える。人家からは、道は沢に向かって下り始める。沢底に下り切ると、沢を越えて対岸の坪頂古圳へ続く道がある。渡らず、左岸をそのまま進む。12時7分、用水路が沢を弧を描いて横切り流れていく開けた場所に出た。登峰圳用水路だ。水は左岸のこちらから対岸へ流れている。坪頂新圳沿いに歩くこともできるが、今日はこのまま左岸の登峰圳沿いに歩く。用水路沿いに数分歩く。荷蘭古道の枝道分岐がある。五月に一度下ってきた部分だ。その先枝沢が注ぎこむ部分で少し休む。

沢を越えて沢の対岸へ流れる弧状の登峰圳用水路
用水路を更に進み、坪頂古圳親山歩道に合流する。近く畑の上から、対岸の大崙頭、尾山の稜線の上に、台北101ビルが頭を出している。更に奥には、青い高い山々がのぞいている。どうやら拔刀爾山、高腰山とその周辺の烏來、三峡の山々のようだ。その奥にも高山があるが山名は判らない。台風による強風で空気が通常以上に澄んでいるようだ。親山歩道を下り、田尾仔橋で內雙溪を渡る。親山歩道が終わり、至善路を下り12時50分に小18番バスの終點坪頂古圳歩道口バス停に到着した。平日のこの時間帯はバスの頻度が少なく、40分ほど待ってバスに乗った。
101ビルが頭を出す、その向こうは烏來、三峡の山々
今回は、金包里古道は国家公園管理のよく知られた古道を歩いた。下半分が山崩れで普通になり、そのままで修復されていないのは残念だ。もちろん、今回のように歩くことはできるが。內雙溪の山谷の道は、いつものように心地良い道であった。歩行距離約10km、所要時間5時間10分、累計627mの登りである。

道のレベルは、金包里古道の擎天崗と上磺溪の間は、レベル1である。しかし、その北側八煙の部分はレベル3,內雙溪古道もレベル3だ。体力要求度は、レベル3というところだろう。もちろん金包里古道の擎天崗と上磺溪の間だけであれば、ハイキングとしてレベル2である。陽明山北側も、これからまだまだ登っていくつもりだ。

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