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香水合歡の咲く源茂山登山道、水聳淒坑から鬼子瀨尖と対岸の獅公髻尾山を望む |
高速道路5号線の雪山隧道は、台湾で一番長いトンネル(約13km)である。十数年の年月を費やして2006年に開通した。雪山トンネルというが、高山雪山からはかなり離れている。雪山山脈の末端なので、この命名だ。第五号高速道路は、坪林インターチェンジを過ぎ北勢溪を渡って、雪山トンネルに入る。トンネルが入っていく山は、今回登山の坪林三星の一つ、鬼子瀨尖山(大尾山)である。その後、三星の二つ目、源茂山の真下を通って行く。源茂山登山道の近くには、トンネルから上がってくる竪坑入口がある。
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雪山隧道入口、背後に見える高い山は和尚髻山(2013/5撮影) |
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時計回りに北側の坪林から回遊する |
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歩行高度記録(一部記録途切れ)中央のピークが源茂山 |
この三つの山は、標高881mの源茂山を最高に、その左右に鬼子瀨尖山(標高636m)と和尚髻山(標高725m)がある。源茂山を頭に、右腕が鬼子瀨尖山、左腕が和尚髻山とすると、その胸の部分が平たくなっており、そこに坪林の主要農産物お茶の畑が広がっている。それらが、坪林の街を向いて座っている。山の名前も興味深い。鬼子瀨尖の鬼子とは読んで字の如し、得体の知れない怖いものをさす。どうしてこのような名前なのか、
開拓当初の苦労がそのような名付けの由来、というネット上の情報もある。一方、その反対側の山、和尚髻山は、和尚の(髪の)まげというような意味だが、これもどうしてこんな名付けなのか。そして、鬼と和尚、得体の知れない存在とそれに対抗する存在の和尚、面白い取り合わせである。
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坪林周辺の山々 |
蘇力台風が台湾北部を通り抜けて行ってから約二週間、ある程度予測していたが、源茂山と更に輪をかけて和尚髻山の山道は、台風の風で吹き飛ばされた枝や竹が行く手を塞いでいた。特に和尚髻山から下った、大湖尾歩道は台風後二週間誰も歩いていないようで、折れた枝や竹がそのままたくさん道を塞いでいた。人気のある山ではない。本来ならば5,6時間で回れるようだが、登山口を探すのに無駄な時間を費やしたこともあるが、8時間半を要した。
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國中バス停、山はまだ霧の中 |
台北郊外の山は、夏は暑く夕立もある。できるだけ早く登れるように、MRT新店を始発7時の923バスで坪林へ向かう。それまで青空でよい天気だったが、彭山隧道を抜けると曇っている。坪林の山は、頂上がガスのなかだ。7時25分に坪林國中バス停で下車する。北勢渓対岸の木々に白鷺がたくさん止まっている。繁殖場所だ。アーチ橋を渡り石彫公園に入る。入口に大湖尾-源茂山登山路説明看板がある。これから登る、鬼子瀨尖経由で源茂山への道はAルートとなっている。一方、和尚髻山経由はBルートである。この分類でいくと、Aルートから登りBルートで下るわけだ。
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石彫公園入口の登山道案内、右のAルートと左のBルートの説明 |
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登山道はここを左にとり進む |
石彫公園は、遊歩道の両わきに多くの石彫刻が展示されている。上の方に行くと、中国古典の人物が多い。少し上がったところで、読書をする古人の彫刻がある。これを右にとり登る。思源台という廟がある。そのわきの道を登る。すると、あずま屋がある。あずま屋の後ろに登る道があるので行ってみると、途切れてしまった。戻るとわきに山腹を進む道がある。手持ちの地図、多くのところで使用させてもらっている
蕭郎の地図では更に農家の方へ進み、そこから登山道が始まるようになっている。そこで、その道を進み農家へ行くがどうも様子が違う。農家わきには産業道路があるが、そこにも入口らしいものはない。あずま屋へ戻り、また探るが道はない。そこで、もう一度農家のわきに行き、そこから上がる土の道を登ってみる。ちょうど、農家の人が作業をしているので、尋ねてみる。すると、この道は行き止まりだということ、更に登山道はここではなく、石彫公園の向こうの方だという。今回のこの地図は、どうも間違いだ。
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丸石登山道の部分から坪林を俯瞰する(マウスクリックで拡大) |
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土の登山道開始部分のキロポスト、対岸にあずま屋 |
あずま屋へ戻り、そこから一旦下る。右にわかれて行く道があるので、それを取り進むと標識リボンが枝にかかっている。行ったり来たりで、かれこれ3、40分ほど無駄に費やしたが、どうやら正しい登山道に来たようだ。丸い石が敷き詰めてある茶畑の中の道を登る。広い展望台に着いた。ネット上で紹介があった、展望台はこれだ。先ほどのあずま屋ではない。こんな単純なことで間違うとは、今日はついていない。登る山が鬼子(瀨尖)なのでバカされたのか。朝方の霧はすっかり晴れて、展望台からは先ほど下車したバス停や高速道路がよく見える。
展望台からも、しばらく丸石の道を登る。ピクニックテーブル・イスがある場所から、土の山道が開始する。大尾山歩道(鬼子瀨尖の別名)2.8kmと記してある、キロポストが道端にある。先ほどのあずま屋が、谷を挟んだ対岸に見える。登山道は、いきなり急な登りが続く。板造り階段や枕木階段の良い道である。竹林をすぎ、また雑木林の中を登る。9時10分、山道の途中だが、すこし休憩する。7時半に歩き始めて1時間半ほどだ。気温が高く、すでに全身汗だくだ。
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枕木階段が続く |
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鬼子瀬尖への登りで見る高速道路と背後の山々 |
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頂上直下の長い登り |
急坂はなおも続く。休憩場所から十数分登ってくると、左側が開け高速道路が下に見える。その右の大きな山容の山は、
獅公髻尾山から
鑽石峰へとつらなる山々だ。9時半に一度小ピークを越える。尾根上の登り下りを繰りかえして高度を上げること30分、最後の長い直線的な階段を登り切る。10時、鬼子瀨尖頂上に着いた。ちょうど登山客が一人下りてくるところで、入れ違う。今日山道で出会った、唯一の登山者だ。頂上には説明看板や椅子が設けてある。ここまでは、草も少なく歩きやすい。三角点基石が中心にある頂上の周囲は樹木で、展望は無いがゆっくり休む。今日は、何故か疲れ気味だ。気温が高いせいだろうか、それもと登山道探しで無駄な時間を費やしたことでの焦りで、必要以上に速く登ったせいか。
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鬼子瀬尖頂上 |
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ヤセ尾根部分を行く |
次の目標、源茂山へ向けて鬼子瀨尖を下る。概ねよい道だが、痩せた岩場も現れる。小ピークをいくつか乗り越え十数分歩くと、大きく下る斜面に来る。草原で、左側に藤寮坑方面の山々や、
五月に訪れた胡桶古道方面の山々が望める。正面は、源茂山とその右に尾根を伝って行くと和尚髻山が見えている。道は、板造り階段だが草に埋もれて見えない。坂を下りきる。左に藤寮坑古道が分かれる。茶畑の上端を歩き、また杉森の中を進む。左に水聳淒坑山をへて尾根を源茂山へと続く新しい道がある。それは取らずに、大尾山歩道をそのまま進む。10時53分、産業道路が現れる。右にとれば、産業道路を経て坪林へ下る。左の細い山道を進む。大きなコンクリ製水槽わきを進み、水聳淒坑2号の民家わきにヒョッコリでる。ちょうど住人が家から出来来たので挨拶する。隣の民家わきに登山案内看板や道標がある。源茂山登山道が始まる。
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鬼子瀬尖の下りで見る源茂山(左)と和尚髻山(右端のピーク) |
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藤寮坑方向を見る |
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茶畑わきの源茂山登山道を登る |
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雪山隧道とあるキロポスト、折れた枝が塞ぐ左の道を進む |
茶畑わきを山道が行く。ピンクの香水合歡が花盛りだ。虫達が忙しく花から花へ、蜜を集めている。枕木の道が続く。茶畑が過ぎ、草が深くなる。ヤブコギも必要だ。十数分登り、森の中に入るところで、右に道が分岐する。11時20分、鬼子瀨尖頂上から約1時間、少し休憩する。10分ほど更に登ると、雪山隧道と記してあるキロポストが現れる。右にとれば、雪山隧道の真上になる部分の竪坑口に行く。左の道は、山腹をトラバースしていく。道を塞ぐ折れた枝も多くなる。杉林の中では、道に多くの葉が落ちている。この道は、鬼子瀨尖登山道に比べると、歩かれていないようだ。涸沢を越えすすむ。左から、藤寮坑より北稜を登ってくる道と合流する。その先、山道は方向を大きく換え、尾根上を登り始める。12時11分、もう一つの源茂山登山道と合流する。この道は朝の案内板でみたBルートの道だ。左にとって少し登ると、右に藤寮坑山や建牌崙へつ続く尾根道を分け、左に源茂山の頂上がある。ここで今日の行程のちょうど半分だ。4時間半かかっている。ここも、中心に三角点基石があり、その周囲に説明板やベンチが設けてある。樹木のなかで、展望は無い。食事休憩する。
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源茂山頂上 |
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草が茂り足もとが見えない |
下りはBルートの山道を進む。杉林や雑木林の中は、折れた枝や葉があるが、道筋ははっきりしている。草むらになると、足もとが見えなくなる。20分下ってくる。右に雪山隧道竪坑をへの道を分岐する。そのまま、直進する。暫く行くと、折れた枝に足を取られバランスを崩した。倒れたところにちょうど石があり、左膝を強くぶつけた。しばらくは、痛みのために座って休んだ。今日は、やはりついていない。これも鬼子にバカにされたのか。雪山隧道竪坑経由の道を経て、産業道路を下ることも考えたが、こちらも道筋がはっきりしない。ままよ、とばかりにそのまま和尚髻山への道を進む。途中、尾根上を進む道と2箇所分岐するが、本来の登山道を進む。と、いってもこちらも道の程度は良くない。尾根道は新しいのでこちらを進む登山者の方が多いようで、本来の登山道は荒れている。標識リボンも少ない。根こそぎ倒された杉の大木や、折れた枝が道を塞ぐ。二ヶ所ほど茶畑の上にでて、景色が広がるのが幸いだ。北東方向にある、遠い山には丸いドームが見える。
五分山だ。
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茶畑からの眺め |
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和尚髻山への最後の登り |
13時55分、バスタブが置いてある茶畑のわきを下り、分岐を左にとる。ここから和尚髻山への登りが始まる。枕木階段が長く続く。14時5分、和尚髻山の頂上に到着した。ここも基石がある。広い頂上は、周囲は全部樹木で展望はない。説明看板やベンチが設けてあるが、草も深く、明らかにこの山は、他の二山に比べると人気がないようだ。最後のピークを登ったので、ほっとする。しばし休憩する。
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和尚髻山頂上 |
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邪魔物が多い下り道 |
下り道は、かなり急だ。先ほど転んだので、下りは膝が少し痛い。枕木階段もあるが、草に埋もれている。倒木も多く、折れた枝も多い。10分ぐらいの下りが終わり、大きな良機製の水タンクのわきで産業道路に飛び出る。産業道路を下る。ここは樹木も少なく、風景が眼前に広がる。北勢渓沿いの山々、左岸の火焔山や、右岸の
二格山から連なる
雲海山、
粗坑山などの山々が眼前にある。麓は、もちろん坪林の集落だ。つづら折りの産業道路を下る。大きなトタン壁の工場建物、三階建ての民家の前を下る。ここにも香水合歡がたくさん咲いている。14時50分、十字路に着く。道案内看板や道標がある。右の産業道路を取って下ることもできるが、かなり迂回するので時間がかかる。直進して土の道に入る。その先右に、大湖尾古道が分岐する。直進して、大湖尾歩道を歩く。
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産業道路わきからのパノラマ |
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草の中をかき分け進む、坪林が見えてきた |
先に少し登る。そこから急坂が始まる。板造りの階段や補助ロープなど、整備がされている。ただ、歩く人が少ないためだろう、森を出ると草が深く足もとが見えない。尾根上の道は、急坂と緩やかな道が交互に現れ、高度を下げていく。30数分下ってくる。竹やぶに入る。多くの枯れ竹やまだ青い竹が、倒れて道を塞ぐ。その数がうるさいほど多く、台風の後誰も歩いていないことを物語っている。15時50分、下り始めて1時間で、産業道路に出た。道標がなければ、草が深く道があることすら判らない。
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台風後誰も歩いていない道を下る |
舗装路を下ってまもなく十字路に出る。右は沢沿いに設けられた水聳淒坑步道だ。歩道入口に、橋補修に寄付した昭和11年の地元民の記録石碑がある。左に産業道路を下ってもいけるが、直進して沢沿いの道を進む。道の入口で一息入れる。次の台北行き923番バスは、坪林16時30分発だ。今は16時10分、十分間に合う。歩道専用になっているが、1911年完工の坪林旧橋を渡り、少し道を進んで坪林国中バス停に14時20分に到着した。バスは35分にやって来た。帰路は混雑もなく、新店に17時10分到着した。こちらはにわか雨が降っているが、山中で降られずに良かった。最後は、和尚さんの山(和尚髻山)に登ったので、ご利益を得たのかも。
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水聳淒坑步道と昭和11年の記念碑 |
今回、登山道入口で余計なところを歩いたので、本来のルートより1kmぐらい多いが、これを含めて約13kmの道のりである。行動時間は休憩込みで8時間半、登攀累計1090mである。ルートのレベルは、もししっかり草刈りなどのメンテが行われていれば3だが、今の状態では4に近い。鬼子瀨尖だけであれば、レベル2だ。一方、体力要求度は全体で4である。これも道の状態がよければそれほどでも無いのかもしれないが、今回筆者は機器による測定表示では3700キロカロリーを消費している。これは、通常よりもかなり多い水準だ。本来は、それほど大変な山では無いのかもしれない。しかし、何故か筆者は苦労した山だった。
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