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2019-04-30

2019年4月25~28日 雪山山脈大劍山, 佳陽山, 劍山 雪山南稜の百岳三座

雪山西稜頭鷹山から望む大劍山(左)、佳陽山(中央の三角ピーク)そして劍山(最右の峰)   2018/10撮影
昨年10月に雪山山脈の西稜を縦走した。七日間にわたる歩きで、小雪山から西稜を縦走、主峰を超えて武陵農場登山口へ下った。主峰までの縦走の間、常に右(南)側に続く南稜の山々を眺めていた。今回の登山対象はまさにこの山々、南稜の盟主大劍山,そして佳陽山と(小)劍山である。これら峰々は、西稜と同じように雪山主峰とつなげて縦走もできる。今回は、縦走ではなく環山近くの松茂林道にある登山口から三山を往復した。この方法であると、日数が少なくて済む。

シャクナゲの咲く佳陽山から望む大劍山、手前は布伕奇寒山
大劍山への登り途中での望む油波蘭山から劍山への峰々
雪霸國家公園内にあるこれら山峰を行くルートは、雪劍線という名称になる。劍山(標高3253m)と佳陽山(標高3314m)は、現在の登山道が稜線にあがる油波蘭山の西側、大劍山(標高3594m)は東側になる。劍山は大劍山との区別をはっきりさせるため、小を冠して小劍山とも称されるが、その三方は急峻な岩壁で切れ落ち、先に進むことは非常に困難である。したがって、登山ルートは佳陽山を挟んで稜線を往復する。山稜は最大で200数十メートルの起伏が続く。油波蘭山から小劍山の距離は往復で約12.5㎞だが、岩場もたくさん現れ、かなり体力を消耗する。

四日間の行動ルート
四日間の歩行高度表
三山だけの行程は、前日に登山口付近に泊まり、第一日は松茂林道の天梯登山口から標高差1700mを登り油波蘭營地で設営、二日目は佳陽山を挟んで小劍山を往復、三日目は朝に大劍山を往復、撤収して下山というのが普通だ。二日目がきついので、三日目は大劍山だけを往復し、四日目に下山すれば一日増えるが、体力的には楽になる。今回は、前日午後出発の三日で行動した。

今回の登山対象位置
三山の記録ある初登はすべて日本人が行っている。大劍山は、今は德基水庫(ダム)に水没しているカヨウ(佳陽)社から昭和六年(1931年)7月に鹿野忠雄と原住民とが油波蘭山へ登り、大劍山を経て雪山主峰(次高山)へ初縦走している。小劍山は、同じく鹿野忠雄が昭和八年(1932年)10月カヨウ社からミノロ(米諾羅)溪を遡行し、強引に危険な岩壁を登り初登頂、その後今の登山道と同じに佳陽山や油波蘭山をへて下山してる。佳陽山は、総統府陸地測量部の斎藤技師一行が、昭和七年雪山からの縦走の際に初登頂している。
 4/25出発時の全メンバー
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登坂前日 4月25日(木) 台北 ‐ 環山 - 仁壽橋 - 松茂林道松茂文水站(泊)

林道を歩く
林道はあまり大きな上下はない
仁壽橋が前方に見える
今回は筆者を含め七名で出発だ。シャトルサービスの車を雇い、午後台北を出発する。第五号高速道路で宜蘭へ、そして台7甲公路で環山へ向かう。このルートは今まで何度か通り過ぎている。雪山山脈の東側登山口や中央山脈の第一、二段はすべてここから入山する。右に雪山山脈の峰々が見えるようになり、環山部落(日本時代のシカヨウ社)を過ぎ、大甲溪沿いに下り始める。中興路口で右に果樹園へ続く道に入る。16時40分過ぎ、約3時間半で到着し、荷物を下ろす。一般的には、さらに下って大甲溪を仁壽橋を渡った駐車場まで行き歩き始める。このシャトルサービスの車は、道が悪いことを理由にそこまでいかない。バスで行くと、台7甲公路中興路口バス停から歩くことになるので、それよりはましだが。

林道を歩き始める、大甲溪を見る。対岸は先ほど下った道
鉄の門がある
17時少し前、支度を整え出発する。今回筆者のザックは約16㎏だ。仁壽橋に向かって下っていく。登山を終えた登山者の車が上がってきてすれ違う。橋を渡ると、車が四台駐車してある。登山者の車だろう。駐車場から右の林道を歩き始める。道は山襞を巻き進む。登り気味に十数分進むと鉄門がある。ここからは左下に大甲溪を見てほぼ平らな道を行く。

対岸の梨山を見る、背後は合歡山
林道を行くメンバー
17時半、右に滝がある。その前を通り過ぎ、川を挟んで対岸に梨山部落が夕陽の中で映えている。部落の向こうは、合歡山だ。ちょっとがけが崩れた場所を過ぎる。道が右に回り込み、17時50分廃棄された松茂文水站が現れる。さらに1時間ほど行けば、登山口まで行くが、時間を考え、また建物も十分に夜を過ごせるので、ここで宿泊することにする。

松茂文水站、廃棄されているがまだ使える
建物内部
対岸の集落では、なにか行事でも行われているのだろう。日暮れちょっとすぎまで、スピーカーからの音声が聞こえていた。食事を済ませ就寝する。23時過ぎに、外が騒がしく目が覚める。別の登山隊がここに泊まるようで、起こされてしまった。我々の占有物ではないので、いかしかたがないが、静かに行動するマナーは守ってほしいものだ。




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第一日 4月26日(金) 松茂文水站 - 天梯登山口 - 防火巷登山道 - 推論山 - 油波蘭營地 

登りのルート
登山口からずっと登りの歩行高度
壊れた樂山橋を下る
3時半起床、4時半に出発する。メンバーの一人が、父親の容体がよくないということで、引き返す。残り6名でまだ暗い林道を、ヘッドランプをつけて進む。道は平らで幅もあり、暗くても全く問題がない。十数分歩き、樂山橋にくる。橋の前で沢に降り、水を補給する。今日の油波蘭キャンプ地は、森林限界以上にあり近くに池があるが、流れのある水は往復約二時間近くの沢へ降りなければならない。最近は、雨が多く池潭の水もそれほど濁っていないということで、大部分のメンバーはこの水を濾し煮沸して使うというが、筆者は沢の水をもって上げることにする。全部で5リットルほどを担ぐ。

登山口
登山口のメンバー、背後に防火用保留帯がずっと伸びる
樂山橋は、以前の災害で向こう側の橋のたもとが流されている。簡易の木製梯子が取り付けられている。注意して下り、林道をさらに進む。道が右に曲がりこみ森のなかを行く。5時30分過ぎに登山口につく。森の中の芝生の広場になっており、ここもよいテント場だ。ただ、水はない。すでに明るくなり、登山道の続く先は防火用保留帯を登っていく急坂が見える。メンバーが、思わずすごいの声を発する。天梯と呼んでいるが、まさに天に続くように登っていく。この登山道は、ずっとこの防火用保留帯をずっと進む。

ジグザグ道を登る
  100m毎にキロポスト、 0.4K地点
5時45分、いよいよ標高約3300mの油波蘭營地まで約8キロ、高低差1700mを登り始める。キロポストが100m刻みで現れる。すぐにジグザグの急坂が始まる。水を入れたザックは20kg、ぐっとくる。学生の頃は、30kgのキスリングを担いで日本の山を登っていた。その頃は、すべての重量が肩にかかっていた。それに比べるとザックは随分と進歩し、腰に重さが分散される。しかし、もう若くない。20kgはやはり重い。ジグザグ道をひたすら登る。6時20分、0.8Kあたりで休憩する。

梨山が朝陽の中で同じぐらいの高さになってきた
カヤの中を行く
黄金色の朝陽が松林の幹を照らし出す。対岸の梨山部落が同じぐらいの高さになっている。標高は約1820mだ。ジグザグ道は続く。7時を少し回り1.3Kを過ぎたあたりから、ジグザグ坂が終わり斜面の勾配が緩くなる。同時に道脇のカヤも密生している。よく歩かれているので、道筋ははっきりだ。さらに10数分進むと、展望の利く場所にくる。前方に目的地稜線の劍南尖山が、そして佳陽山から布伕奇寒山の稜線がはるか遠く高くに見える。7時20分、1.6Kで休憩、ここは開けていてテントが張れる。

前方に主稜線が見える
逆光の谷間のむこうに南湖大山と中央尖山
道は、岩が露出したうえを過ぎる。右には、昨日通ってきた大甲溪の谷間があり、その遠くには南湖大山や中央尖山が逆光の中でかすかに存在を示している。道は緩やかな登りと、ところどころ急でちょっとつづら折れに登る場所が次々と現れる。8時に2.5Kを通過。8時35分、帆布獵寮と呼ばれるテント場に来る。かなり広く、焚火のあともある。下山中の単独登山者と行違う。標高は2335m、約750mほど登ってきた。休憩をとる。

帆布營地で休憩
陽が照り付け、つらい登り
9時17分、4.2Kを過ぎる。ここで油波蘭營地までの道のりの約半分だ。標高は2400mを越え、登坂落差も約半分となる。10時半、5.5Kを過ぎカヤも少ない場所にでる。陽光も照り付けるようになり、気温もあがりつらくなる。5.8Kを過ぎ、勾配が緩くなり尾根が左(西)に大きく曲がる。11時、標高2801mの推論山につく。陽もだいぶ高くなっている。木陰で長い休憩をとる。

@推論山
佳陽山
防火用保留帯もそろそろ終わりだ
12時10分、最後の登りに取り掛かる。残りは2㎞強、標高差500mだ。すぐに左に推論池を見る。この水を利用してこの地にキャンプすることは可能だ。左前方に壮絶な断崖を抱えた佳陽山が見える。上りの途中では、つつじの満開を見たが、ここまで高度があがるとシャクナゲが現れる。

シャクナゲの花の向こうは登っていく稜線
森の中を行く、7Kのキロポスト
低いヤタケの坂を上る
なだらかな坂を上り切り、12時40分、森に入る。防火用保留帯はここで終わりだ。森の中で休憩をとり、13時10分過ぎ、森をぬけてヤタケセクションになる。まだ道脇の樹木もあるが、次第に森林限界に近付いている。視界が開け中央山脈の山並みが谷を挟んで連なる。ヤタケの背が次第に低くなる。メンバーは疲れが出始め、進行速度が落ちる。14時20分、8Kのところで最後の休憩をとる。

ガスがでてきた、キロポスト7.8Kで残り0.5Kだ
向こうにテント場が見えた
遠くで雷の音が響き始め、霧が発生してくる。最後の上り坂を登り、稜線鞍部を越える。谷間を下り、15時にテント場につく。テントスペースは、窪みや小高くなったところにいくつかある。すでに多くのスペースにテントが張ってある。我々は最終的に池の脇のスペースに設営する。大雨が降ると水はけがよくないようだが、仕方がない。設営を終えると、いよいよ雨が降り出した。雨が止むのを待ち食事を作る。明日が早いので、19時前には就寝する。夜にはテントを打つ雨音がしていた。

設営を終えて間もなく雨が降り出した、雲の中に大劍山
今日は11㎞の歩き、累計の登攀は1960mである。休憩込みで10時間半の行動であった。

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第二日(土) 油波蘭營地 - 佳陽山 - 劍山 - 佳陽山 - 油波蘭營地

劍山へ佳陽山を経て往復する
真ん中の劍山を挟んで往復、登り下りが続く
暗い中、劍山へ出発
3時半に起床、昨日沸かしたお湯を使い、簡単に朝食をとる。外は星が輝き、天候は回復している。4時半過ぎに軽装で出発、今日も長丁場だ。ヘッドランプで山道をたどる。一般的に、台湾国家公園の高山山道は、整備されてさらによく歩かれているので、ヘッドランプを頼りに歩くことができる場所も多い。今日のルートの初めの部分は、困難な岩場などもないので、この時間の出発にした。

梨山の灯が見える
初めの岩場を通過する
テント場からの道を登りきり、右に分岐をとって進む。すぐに森に入り下り始める。ここで驚いたことに、知人のYさんに出くわす。この時間、この場所である。話を聞くと、昨日単独で劍山へ行ったが、帰りが遅くなりなおかつ雨が降り出し、道に迷ったので野宿したということだ。ちょっと憔悴した感じである。出発は早かったようだが、途中で時間を費やしすぎたようだ。単独行か仲間と行くかは、それぞれの考えだが、信頼できる仲間がいるほうがこのような場合は、心強いだろう。

道脇のシャクナゲ
山腹道を行く
森からでると、左したに梨山の民家などの灯が見える。山のシルエットが次第にはっきりしてくる。5時15分ごろ、かなり白んできてランプがいらなくなる。劍山まで片道 6.3㎞で、100m毎にキロポストが続く。0.5Kの岩場を過ぎ、道は右(北)側の山腹を行く。明るくなるにつれ、あちらこちらに咲くシャクナゲに気づく。6時、1.1Kで布伕奇寒山の山頂を通り過ぎる。朝陽が差し込み、幅の広い山頂に立つ台湾ツガの幹を照らす。

佳陽山とその右奥に劍山が
ヤタケと倒木
道は大きく下り始める。シャクナゲの向こうに、ほぼ同じ高さで佳陽山が山頂左下に大きな岩壁を露出し、たたずんでいる。道は容赦なく急坂で下っていき、岩場が現れる。森の底は、ヤタケのトンネルだ。倒木もあり、去年訪れた白姑大山を思い出す。6時半の鞍部を通過し、登り返す。約1.7Kで3147(m)峰を乗り越す。また大きく下る。稜線には、こうした急な上り下りが続き、距離は短いが体力を消耗する。6時51分、老伍營地につき休憩する。テント場と名があるが、ヤタケの中のちょっと広い場所で、テントが一張りできるだけだ。

急な岩場の下り
岩瀑を通り過ぎる
佳陽山への急登
下りは続く。最低鞍部を通り越し上りが始まる。登り返して行き、右の山腹を巻いていく。岩瀑と呼ばれる風化して大きな塊がごろごろする場所を過ぎると、佳陽山への急登が始まる。8時19分、3Kのプレートが岩に取り付けられているのを見る。残りはわずかだ。8時33分、左に大きく開けた岩盤が現れる。岩盤際の道を登り、8時37分、佳陽山の頂上(標高3313m)に着く。

佳陽山山頂が見える
岩場を過ぎる
台湾の他の高山の名付けと同じように、山名は日本統治時代が関係している。本来中国語や漢字とは無縁の原住民は、バボ(タイヤル族の山の意)・トハンと呼んでいた。佳陽は、ここに猟場を持つ部落カヨウの名前を、日本語読の漢字をあてたことからきている。ちなみに劍山はバボ・レハン、大劍山はバボ・バットワノミン(麓のタイヤル族で初めて登頂し、ここで亡くなった勇士の名前とのこと)である。そして、現在の山名は、日本人がその山の形状より名付けたものであり、そのまま使用されている。

佳陽山山頂より見る西から北へのパノラマ,左に劍山、遠くに雪山西稜、そして右に大劍山
山頂の東側は壮絶な岩壁が奈落の底へ続く、左奥は大劍山,手前に布伕奇寒山
青空のもと、佳陽山山頂からは素晴らしい風景が広がっている。西から北には大雪山、頭鷹山、火石山などの雪山西稜の峰々が長々と連なっている。昨年10月には、あそこを歩きこちらを眺めていた。南には孤高の高山白姑大山がかなりとがった山頂を主張し、周りにその群峰を従える。その手前は、これから行く劍山だ。東側を見ると、広大な岩壁が谷底へと切り落ち、その向こうには中央山脈第一、二段の峰々が逆光のなか、かすかに浮かぶ。北には、大劍山が右に布伕奇寒山を携え、ずっしりと座っている。ここ頂上付近には、まだつぼみを残す白やピンクのシャクナゲが咲いている。

南には合歡山や白姑大山が遠くに見える、谷間には德基水庫
劍山へむけて下る
まだ先は長い。8時52分、頂上を後に下り始める。今日は、出発直後にメンバー一人が止めてテント場に戻り、もう一人のメンバーも佳陽山までで引き返し、劍山ヘは四名だけだ。こちらも、岩場が次々と現れる。4.7Kあたりで最低鞍部を通り過ぎ、劍山への登り返しが始まる。こちら側は、あまり上下のないヤタケの中の道が続き、すこし助かる。最後にまた急坂を登っていく。台湾ツガの原生林の中を進む。登り途中で、一時間ほど先に出発していたパーティーとすれ違う。山頂に近付くと左下が開けて德基水庫が見える。そこで休んでいた登山者が、頂上はもうすぐだという。ヤタケのトンネルをくぐり、11時15分、劍山山頂(標高3253m)が森の中に現れる。

また長い岩場の下り
台湾ツガ原生林の中を進む
劍山山頂のメンバー
德基水庫が足元に見える
ヤタケの間を歩く
出発してから6時間と45分、だいたい目標内だ。一般的に13時間から15時間で往復している。帰りは、もちろん疲れているので往路より時間がかかる。先ほどの見晴らしのきく場所で休憩し、11時40分過ぎ往路を戻り始める。同じ道でも登りと下りでは感じが異なる。尾根に幅があると踏みあとがちょっと薄い場所もあるが、問題ない。12時半ごろ、鞍部を通り過ぎ、登り返し始める。やはりちょっと辛い。午後になり、ガスがでてきた。14時過ぎに佳陽山山頂に戻る。霧で周囲はあまり見えない。

佳陽山山頂へはあとわずかだ
山頂はガスがかかってきた,劍山は雲の中
布伕奇寒山へ向け、鞍部に下る
15分ぐらいの休憩後下り始める。メンバーの一人に疲労が見受けられ始める。しかし、頑張っている。15時34分、最低鞍部を通過、登り始める。15時55分、老伍營地を通過する。これから3147峰への急登が待っている。16時30分、1.5Kで休憩をとる。3147峰を越え下っていき、布伕奇寒山へ最後の大きな登りを頑張る。森は霧が立ち込めてくる。今日は、にわか雨もなく助かる。坂がゆるくなり17時12分、布伕奇寒山山頂につき、最後の休憩をとる。

布伕奇寒山へ最後の登り返し
ガスに夕陽がさしこむ
0Kキロポストに戻る
立ち込めた霧に夕日が差し込み、幻想的だ。最後の稜線を戻る。少し上り下りがあるのは、ちょっと辛い。夜明けごろ通過した岩場を通り過ぎる。残り0.4Kだ。最後の森の中の道を登る。18時半に0Kスタート点に戻る。ホッとする。分岐に戻り、左にテント場へ下る。大劍山が背後に霧をまとって控えている。日暮れ前に戻ってこれた。約14時間、累計の登攀高度は1330mである。

テント場が見えた
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第三日(日) 油波蘭營地 - 大劍山 -  油波蘭營地 - 推論山 - 天梯登山口 - 松茂林道 - 仁壽橋 - 下車場所 - 台北

大劍山を往復したあと下山
歩行高度表
夜明け前のテント場わき池潭と向こうに大劍山
四時に起床する。テントの外に出ると、月や星が見える。今朝も天気は問題ない。5時に軽装で出発する。昨日テント場に残ったメンバーは、昨日大劍山に行っているので今日は五名だ。すでに空は白んできている。前方の大劍山のシルエットが近い。東側は日の出前の中央山脈が、谷間を埋め尽くす雲海の向こうに長く連なっている。山頂まで約3Kmだ。下り気味にすすみ、劍南尖山は左の山腹をトラバースしていく。左下の谷が深い。5時32分、水場に下る道の分岐にくる。キロポスト9.4Kである。大劍山が11.5Kなので、残りは2Kmほどだ。

夜明け直前の稜線、中央に劍南尖山、左に大劍山、右遠くは中央山脈北一段
劍南尖山巻き道から大劍山を望む、左の谷を下れば水場がある
中央山脈の峰々が夜明けのシルエットに浮かぶ
シャクナゲの向こうに大劍山、山道が続く
頂上が近づいてきた
登りが始まる。頂上までの標高差は約400mだ。メンバーの誰かが言う、七星山を登るみたいだ。確かにヤタケの山腹を登るのは、七星山のような感じもある。初めの登りを終えると、シャクナゲの群生がある。合歡山のシャクナゲが有名だが、ここも決して劣らない。緩い尾根上の道を行く。6時25分、10.5Kを通り過ぎる。岩場が現れる。岩場を登ると、だいぶ高くなっている。深い谷間の向こうには、昨日あるいた油波蘭山から佳陽山や小劍山の山並みが続いている。

昨日登った佳陽山と劍山が向こうに見える
稜線に上がり、大劍山はもうすぐだ
山頂の筆者、背後は昨年歩いた雪山西稜
道は険しくなってくる。シャクナゲが岩場に咲いている。その向こうには、大劍山がまだ高い。先ほど山頂に見えていたパーティが下がってきてすれ違う。ニイタカビャクシンの間を行く。引っ掛かりそうな場所の枝が切られている。7時11分、急坂が終わり稜線に上がる。前方に山頂が見える。岩がごろごろした場所をすぎ、5分で大劍山山頂(標高3594m)につく。

雪山西稜の峰々
天気は良く素晴らしい展望だ。志樂溪を挟んで大雪山から火石山の雪山西稜がつらなる。北に目を向けると雪山西南峰の右向こうに雪山主峰がそそり立つ。雪山山脈盟主の風格だ。そこから南に志佳陽山に尾根が下っていく。その谷間を行けば環山部落がある。東側には、中央山脈が、南湖大山から南に連なり、中央尖山,甘蔗峰,無明山,鈴鳴山,畢祿山奇萊山などなど、今まで歩いたことのある峰々、これから歩こうと思う峰々が判別できる。

東側を見る、中央山脈が遠くに長く続く、手前は歩いてきた尾根道
雪山主峰から志佳陽山への稜線
雲がかかってきた、遠く中央は奇萊山北峰,右手前は合歡山
岩場を下る
素晴らしい景色に見入っていたので、頂上に30分もいたことに気づかなった。7時40分、下り始める。雲が発生しはじめ、西稜の峰を一部隠す。頂上の稜線から急坂を下り始めると、今度は油波蘭山から佳陽山や小劍山の山並が雲に隠れている。春の山は天気の変化が速い。8時5分、最後の岩場を下り、緩やかな坂のが始まる。8時33分、水場への分岐に来る。少し休憩し、巻き道を進む。9時10分、テント場に戻る。

劍南尖山の巻き道、森の向こうの前方上部はテント場
下山前にテント場わき池潭で
テントを撤収する。晴れているので、たたむ前に日干しする。その間に即席めんを煮て食する。昨日は帰還後、あまり食欲がなくその分を補う。まだ長い下りが待っている。10時15分、下山を開始する。分岐のある後ろの丘へ登る。大劍山はここからが見納めだ。一昨日苦労して登ってきた道をどんどん下る。10時55分、森の中に入る。10数分で森を抜け、防火用保留帯の部分に出る。11時35分、推論山に到着、休憩をとる。

6.6K地点、推論山はもうすぐだ
防火用保留帯を下る
緩やかな下りやきつい下りが次々と現れる。下るにつれ、暑く感じる。途中一度休憩し、約2.5K地点で少し長めに再度休憩をとる。さらに下り開けた場所から、左に環山部落が見える。1.5Kを越えたあたりから急坂が始まる。13時50分、1K近くで休憩をとる。後方のメンバーが少し遅れ気味だ。0.5Kを過ぎると、登山口の森の中の芝生が見える。もうあとわずかだ。ジグザグの道を慎重に下り、14時40分、登山口に戻る。10分ほどたつと全員がおりきる。芝生に寝転がり、空を眺める。空は青く、雲が流れていく。まだ林道歩きが残っているが、無事登って降りてきたことが、しみじみ嬉しいと感じる。

環山部落が見える
下方に登山口の芝生が見えた
最後の林道歩き
20分ほどゆっくり休んだ後、林道を歩き歩き始める。樂山橋を通り過ぎ、歩くこと約45分、16時少し前に松茂文水站に到着、休憩をとる。さらに林道を進み、17時過ぎに仁壽橋に、そして全員がそろったところで橋を渡り、登り返して待っていたシャトルサービスの車に17時20分につく。下りがメインだが、歩行距離約19.5㎞、累計登坂約800m、下降2580mである。休憩込みの行動時間は約12時間半だ。着替えなどを済ませ、台北へ戻る。途中環山部落のコンビニで飲んだビール、そして南山村の弁当屋での食事がなんと美味しいことだったろうか。

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ニイタカシャクナゲ
行動前から、本ルートはきついことは聞いていた。実際に歩いてみると、第一日の重荷を担いでの長い登坂、第二日目の十四時間にわたる小劍山往復と、確かにその通りだ。実際、日本時代から縦走するにしても水場が少なく、苦労の歩きであったようだ。もちろん、冬の渇水期を除いては池の水が使えるので、濾して煮沸して使うなどすれば、水を持ち上げる必要はなく、その分だけ初日の長い登りでの荷重を減少できる。筆者は、今後の登山も考えて、体験目的も含め5リットルを持ち上げた。初日にテントの中で雨に見舞われたが、そのほかは天気も良く、幸運であった。雪山山脈の主要な峰は、あと志佳陽山を除いてほとんど登ってきた。近いうちに日本時代の次高山登山の主要ルートであった志佳陽山を経由して登ってみたいと思う。