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2014-04-29

2014年4月27日 瑞芳四腳亭龍門山 / 砲台 桐花祭の山歩き

龍門山、少ないが白い桐花も見える
台湾は毎年四月後半から五月はじめごろまで、近郊の山々に油桐の花が一斉に咲き、山肌を白く染める。ところによっては、道は落ちた白い花が敷き詰められ、雪が降ったかのようだ。もともと、経済的な理由から多く植えられた油桐が、今は当時の存在理由より、その花をめぐる観光資源として活躍している。台湾の客家人は、その過去の移民の経緯から、山に近いところに居住してきたので、油桐は客家人の集落に近く、桐花は客家人のシンボル的な存在になっている。客家人とは、簡単に説明すると、中国では福建省や広東省に多く住む、独自の言語文化を保っている漢人である。もともとは、中国の黄河流域中原にいたが、度重なる外部民族の侵略により、移住をし最終的に中国南部に居住するようになった。台湾へは、福建省からの漢人に比べ遅く移住した。

南側が龍門山、北側が砲台のルート
龍門山の歩行高度プロファイル
砲台の歩行高度プロファイル
各地の政府は、桐花の観光資源を利用するため、過去数年桐花祭のイベントを行っている。新北市も、その管轄内に多くの桐花の美しい場所を有して、それぞれの場所で桐花祭を行っている。瑞芳区もやはり桐花祭があり、その花が咲く近くにある煤窯遺跡(コークス窯)と砲台をテーマに行った。今回の山行は、この瑞芳区桐花祭に合わせて、煤窯とその上にある龍門山を登り、午後は四腳亭砲台へ登った。それぞれ単独で行けるところだが、今回は二つ合わせて訪れた。

付近の登山軌跡
イベントメイン会場吉安宮
龍門山は、粗坑口から登る。昨年同じく粗坑口から五分山へ登ったが、登りはじめ部分は同じである。その時は、五分山登山ルートとして近い東側の古道(滴水山步道)を登った。今回は、粗坑口歩(古)道から産業道路へ登り、龍門山を越えた後、五分山分岐の鞍部から同じく滴水山步道を下った。二つの道の合流部に近い煤窯に立ち寄った。煤窯の前に設けられたテントでは、客家料理である牛汶水が振る舞われていた。ちょうど桐花祭の無料シャトルバスが来たのでそれに乗り、別のイベント会場長興宮で途中下車、そこでもまた料理をいただく。そしてまたシャトルバスでイベントメイン会場四腳亭吉安宮へ向かった。

吉安宮に着くと、またちょうど四腳亭砲台三坑登山道口へのシャトルバスが出発するところだった。乗車し登山口へ向かう。登山道を登り、砲台を巡った。砲台のイベント会場は、時間的に撤収する直前であったが、客家の擂茶をいただいた。下山は、別の四腳亭埔山経由で下り、基隆河沿いに四腳亭駅へ歩いた。

龍門山へ向けて歩く、桐花祭の表示がある
粗坑口歩道入口、桐花祭の看板もある
今回の山行きは、都合四名である。常連のZさんとYさんに加え、ネットを通じて知り合ったVさんが参加する。台北市の復興南路にある1062番バス停で集合し、8時25分発の便に乗る。1062番バスは、九份や金瓜石への直通バスだが、遊楽客が乗るには少し時間が早いようで、かなり空席がある。9時過ぎ、約40分ほどの乗車で四腳亭バス停に着く。昨日は、大雨が降り天候が不安定だったので心配だったが、太陽が顔をだしている。

すぐ右に粗坑口へ曲がる。歩き始めてすぐ右に粗坑口尖への階段が登っていく。ここから登り、稜線を追って龍門山へ行くこともできる。道なりに進み、右に長興宮を見る。ここは、桐花祭の会場の一つで準備が進んでいる。外観が新しいが、この土地公は二百数十年の歴史があるそうだ。その上で粗坑口の集落をすぎる。母猫が子猫を連れて歩いて行く。今日はイベントがあるので、集落の人も外に出ている。沢沿いに進み、勾配がましてくる。左に滴水山へ続く産業道路を分ける。右にはこれから登る龍門山が高い。それほど密集していないが桐花が咲いている。警察官がバイクで道を登っていく。煤窯で行われるイベントに対応するためのようだ。

石段の古道を登る
道にはクチナシの花が落ちている
約30分ほど歩き、粗坑口歩道入口に来る。昨年五月は左に曲がったが、今日はこの歩道を登る。すぐに左に煤窯への道をわける。しばらくは枕木が続くが、そのうち苔の石段が現れ、古道の趣きだ。ところどころに、道標が現れる。必要以上の数だ。右に大きなお墓を見ていく。20数分ほどの登りで、道に多くのクチナシ(梔子)の花が落ちている。咲き始めは白いが、黄色に変わり落花する。10時4分、産業道路にでて歩道は終わる。右に曲り、道なりに緩いくだりを行く。10時10分展望台あづま屋に着く。歩き始めて約1時間、休憩する。道端には井戸もあり、水を汲み上げられる。

急坂を登る




10分ほど休憩のあと、龍門山へ向けて出発する。少し道なりに行く。右に稜線を四腳亭方面へ進む道がある。粗坑口尖からの道だ。途中碇內砲台跡を過ぎていく。いずれは歩いてみよう。龍門山へは、切り通しの山留壁の端から始まる。こちらは、地方政府整備の道ではない。急な坂道が始まる。補助ロープの急坂が数カ所現れる。樹木が途切れて、展望が開ける。七堵方面が望める。10時36分に、龍門山(標高380m)に到着する。樹木で囲まれているが、西方向は展望がある。もともと今日の天気は期待してなかったが、ボンヤリしているが展望があるのはラッキーだ。頂上には台湾山岳会野牛隊が30年ほど前に埋め込んだ基石がある。小休憩する。今日は、先を急ぐ行程ではない。

龍門山山頂、野牛隊の基石がある
山頂から七堵方面を望む
雑木林がまばらになるとすぐ鞍部につく
南方向に尾根を歩き始める。風が吹き抜けていき、心地良い。道はそこそこ歩かれており、踏跡もしっかりしている。小ピークを越し下っていく。11時、頂上から約15分ほどで分岐に到着する。左に産業道路へ下る道が分岐する。反対側に東勢坑方向への道があるが、こちらはあまり歩かれていないようだ。尾根道をさらに進む。またひとつピークを登り返し、そこから尾根は東側に下っていく。この部分の道は、先の分岐までに比べると草深い。緩やかな下り坂を進み、雑木林がまばらになる。その先に石の廃屋が見えた。鞍部である。そのまま進めば五分山西峰へ続く。昨年はここから登っていった。11時26分、小休憩する。ズボンの裾をまくるとヤマビルが吸い付いていた。塩をふりかける。すぐさま蛭は縮まりポトンと落ちるが、すでに血を吸い始めていたので、吸口は血が滲んでいる。先ほどの草深い部分で取り付いたのだろう。

鞍部の石積廃屋
古道わきの草に埋もれた石の廃屋
沢を渡る
15分ほど休憩、産業道路へ下る。まもなく下りきる。そこから道路の反対側に下っていく道を取る。畑のわきを下り、溜池を見る。その先は、倒木があり道が途切れているように見える。道は沢の中に降りて進む。少し下ると、左岸に道が始まる。こちらも古道だが、粗坑口歩道のように整備されていない。倒木などが現れる。竹林の中を下り、緑の苔で覆われた石段を下る。開けたところには、レンガと石の廃屋がある。その先左にもかなり大きな石壁の廃屋が埋もれている。近くに煤窯遺跡があるが、それが運営されていたころのものだろう。煤窯もとても大きな規模のもので、そこで得たお金で建てられたものではないだろうか。石段も大きな石をつかった立派なもので、これも金をかけたもののように見える。最後に沢を渡り登り返す。12時14分、煤窯遺跡の回遊歩道に出た。

煤窯前に設けられたイベントテント
煤窯遺跡
牛汶水
煤窯遺跡で記念写真、筆者は右から二番目
回遊歩道を少し行く。すぐに石を積んだ煤窯が現れる。一部は崩れたものもあるが、窯の数はざっと二十ケ所ある。今まで見た煤窯では、最大規模だ。煤窯の手前の開けたところに、桐花祭のイベントテントが建てられている。そこでは、桐花にちなんだ客家料理、牛汶水と名付けられた餅が振る舞われている。黒砂糖シロップの中の餅は、水に浸かる牛を見立てた名付けである。ピーナッツ粉が入っていて、甘すぎず美味しい。今日はすぐ下まで、桐花祭のシャトルバスが来ているので、遊楽客が多い。美空ひばりの歌が好きという、親日の女性と話をする。

シャトルバスがちょうどやってきた
長興宮から五分山方向を望む
テントから粗坑口歩道入口に降りる。ちょうどシャトルバスがやってきた。これに乗り下っていく。途中長興宮で下車する。ここは、またイカスリミのスープと綠豆湯(甘い飲み物)を振舞っている。両方ともいただく。今日は持ってきた昼食は食べずに、こうした振る舞いの食物で腹が膨れる。10分ほどやってきた、次のバスに乗り込む。更に数分で、桐花祭のメイン会場、吉安宮に着く。線路わきのこの廟はとても規模が大きく、境内には沢山の露天商が店を出し、賑やかだ。山門の前から、すぐに四腳亭砲台登山道口への最終シャトルバス便が出るという。これに乗り込み、登山口へ向かう。

シャトルバスで、砲台登山道入口へ
桐花が落ちている
10分ほどで、登山口に着く。歩くと約2kmぐらいあるので、その分助かる。バスからおり、皆歩き始める。老若男女、子供も含め大勢が砲台へ向けて歩く。舗装路を登って行き、登山道が始まる。桐花祭イベント人員が、入口で説明している。竹の登山杖も貸し出している。砲台へは約1.7km、標高差100メートル強である。枕木の並んだ、しっかりした道が続く。すでに砲台を見た遊楽客が下りてくる。子供も大勢いる。みなとても元気そうだ。前を歩く、年配者もかなり早いペースで登っていく。道端には、このイベントの主たる桐花が落ちている。ただ、他の桐花で有名な場所、たとえば土城の天上山付近に比べるとまばらで少ない。

小さな子供も元気に歩いている
高所砲台へ続く階段
約20分ほどで、13時34分に砲台の片隅に着く。四腳亭砲台は、以前は深澳坑砲台と呼ばれた内陸に向けた砲台である。昨年夏に訪れた、基隆の槓子寮砲台と大武崙山砲台が、海上からの攻撃に備えた砲台であるのに対し、こちらは瑞芳から基隆河にそって台北へ攻め入る敵に対して向けられている。1901年日本統治時代に建設され、1935年にその任務を解除された。次第に荒れていったが、2009年に新北市が登山道を含め整備をして現状になっている。大きな規模の砲台には、兵舎、弾薬庫などの遺跡が残り、説明板には日本語の説明も載っている。ここまでやってくる日本人観光客は多くないと思われるが。
高所砲台遺跡
高所砲台からの眺め、基隆山、半平山、大小粗坑が続く、手前は瑞芳の街
砲台の遺跡
砲台のイベント会場
高所砲台の上に行くと、東方向に視界が開ける。基隆山からその右には半平山大、小粗坑山、手前には瑞芳の街、その右には三爪子坑山が望める。この大砲が存在する理由の基隆河沿いの道も眼下にある。今は快速道路62号線を自動車が高速で走って行く。砲台の入口側にある廃屋に、桐花祭のイベントテントがある。そこで客家の擂茶をふるまっている。イベントは終了時刻なので、コップはすでに無く、自分のカップを取り出しもらう。廃屋の隣には、立派なお手洗いが造られている。

桐花が落ちている枕木階段を下る
ゆっくり休憩し14時20分、下り始める。同じ道を行けば帰りのシャトルバスに間に合うが、我々は別の道で下る。こちらも数年前の整備対象で、枕木がずっと続く。ゆるい上り下りを過ぎる。四腳亭埔山と思われる山頂は、巻いて左に下っていく。ちょうどそこから視野が開けて、展望ができる。砲台上からとほぼ同角度だが、高度が下がって快速道路が近い。急な下りが始まり、稜線を離れて下り始める。湿気の多いこの部分は、枕木がだいぶ腐り始めている。14時56分、顏家古厝跡へくる。昔の台湾五大家族のひとつ、金鉱や炭鉱の大経営をしていた顔家がその昔住んでいたところだそうだ。そのすぐ下が登山道入口である。

駐車場から五分山方向を望む
瑞亭小学校入口
右に曲り土の産業道路を行く。道は緩い坂で登っていく。間違いかと思ったが地図と照らし合わせると正しい。少し歩くと右に大きな墓があり、顔の文字が付いている。顔家代々の墓だろうか。登りがおわる。広い駐車場になっている。この場所は将来スポーツセンターになる予定だそうだ。広場からは、正面に五分山が高い。広場の端から下り、ヘアピンカーブを曲がって下る。15時20分、河沿いの四腳亭埔路に合流する。右に曲り、四腳亭駅を目指す。道標は駅まで3kmを示している。通過する車はそれほど多くない。その少し先、左に瑞亭小学校が現れた。小さいがとてもきれいな学校で、ここで休憩する。校庭には動物のモニュメントや太鼓橋などがある。中には白の百合がたくさん咲いている。来年五月に開校100週年を迎えるそうだ。学童は多くなさそうだが、特徴がある。

基隆河わきを歩く
桐花祭のスタッフを載せたバス
20分ほどゆっくり休憩し、駅を目指して歩き始める。鉄道の下をくぐり、河沿いに歩を進める。ミニバンが放送しながらゆっくり走って行く。しばらくいくと、停まっている。学童がパンを買っている。移動パン屋さんだった。大きく蛇行する河の対岸はコンテナヤードが広がっている。15時53分、三坑登山口へ続く道の交差点にやってくる。ここは62号快速道路のジャンクションでもある。台北城市大学の大型バスが信号で停まっている。よく見ると、先ほど砲台のイベントセンターで話をした桐花祭のスタッフ・メンバーが、手を振っている。とても親しみやすい人達だ。

踏切わきの吉安宮へ戻ってきた
車道は四車道になる。川側には歩道も設けられている。開けて広々している。単調な車道歩きだが、景色を見ながらゆっくり歩くのも悪くない。慶安橋の前を通り、道は細くなって左右の別れる。左の道を進み、また線路の下をくぐる。すぐ右に曲がって住宅の間を進む。16時16分、四腳亭駅わきの踏切に来る。踏切を渡り、吉安宮に着く。昼間多くあった出店は、ほとんど撤収を終わりガランとしている。桐花祭のイベントは終わりだ。16時23分、駅のプラットホームに入る。駅は両側から入ることができる。数分で5分遅れの列車がやってきた。

四腳亭駅入口付近
今回は、離れた二箇所を訪れた。それぞれは、半日で終了する割りと気軽なコースだ。二つ合わせると、そこそこの量となる。歩行距離は、全部で約13kmである。所要時間は休憩を含め7時間15分であった。シャトルバスに乗車したので、車道歩きを4,5km少なくすることができた。二箇所合計で数百メートルを登っている。瑞芳地区の桐花はそれほど多くない。密集していないので、他に比べると花だけをとると見劣りする。しかし、このイベント会場で対応にあたっていた桐花祭のスタッフは、みなとても親切でよい休日を過ごすことができた。

2014-04-24

2014年4月19日 熊獅縦走 三峽熊空山 - 新店獅仔頭山を道案内で歩く

獅仔坪で記念写真、背後は獅仔頭山(Wさん撮影)
昨年12月以来、久しぶりに慢集団の道案内をして熊空山から獅仔頭山へ縦走した。このルートは、二年半前に獅仔頭山から熊空山へ逆方向に歩いたことがある。二週間前にも、ルート確認のため熊空から熊空山を登り、竹坑山から安坑へ抜けたが、今回の登りはそれよりも簡単に感じた。参加者は自分を含めて合計38名である。人数が多いので時間は多く要している。

南の熊空から北へ縦走
初めに大きく登る歩行高度記録
熊空山は、三峡に近い白雞山からずっと連なってくる尾根が合わさり、そこから向きをほぼ九十度換えて北東方向に獅仔頭山へと続いている。この尾根筋は、100年ほど前は隘勇線と呼ばれる、原住民と平地人の境界であった。原住民は、そのテリトリーに進出して樟脳や茶葉を生産拡大してくる平地人との間に対立衝突が発生した。清朝末期から、こうした平地人(漢人)を保護するために境界を設けはじめ、そこには警備組織を駐在させた。日清戦争の結果、1985年に台湾を得た日本政府は、同じくこの隘勇線を維持していた。最終的には、大正期に対立は(当時は高砂族と呼ばれた)現地人の帰順でほぼ終息する。

有木小学校、校舎わきにロッククライミング練習台
二年半前の縦走では気付かなかったが、今回は熊空山と獅仔頭山との間で、三ヶ所ほどそうした隘勇線警備のための施設跡のように見える人工的な土盛を見つけた。他の手の入っていない古跡がそうであるように、今は樹木が茂り注意しなければ判らない。こうした山の中で、日本が関係する過去の歴史が残っていることは、感慨深い。

中型バスで登山口へ
今回のルートは、人数が少なければ一般交通機関利用でも行き帰りとも対応できる。しかし、人数が多いと話は別だ。行動時間が長くなり、更に獅仔頭山登山口からの新北市観光バスは定員20名で、尚且つ定員以上は乗れない。こうしたことで、グループはマイクロバスを用意し、7時前板橋駅前を出発する。途中、有木小学校に立ち寄りお手洗いを借りる。台湾の小学校は、けっこう対外的に開放されている。この山間の学校はとても綺麗である。100年前は、この地は原住民泰雅属のテリトリーだったところだ。熊空バス停を通り過ぎ、8時に登山口近くの九如橋に着く。いよいよ登山開始だ。

蚋仔尖へ急登が続く
いつものグループ活動のように、準備体操をすませ当日の行程について説明する。今回は、熊空山までの急登部分、縦走路部分、そして獅仔頭山からの下りと三段のセクションに分けられる。はじめの登りは3~3時間半、次の縦走路が4時間ぐらいと踏んでいた。最後の下りは、楽勝の部分である。8時15分、舗装路を登り始める。38名のパーティー隊列は、振り返ると本当に長い。

大勢のパーティーでは、体力や経験にばらつきがある。今回のルートは、決して楽な歩きではないが、全員がそろって歩き無事目的地に到着するのが最重要である。体力に自信のないメンバーに、できるだけ隊列の前の方を歩いてもらうように話す。これだけの人数だと、路上の難所などをすぎる場合、どうしても時間を要し前半のメンバーは後ろが付いてくるのを待たなければならない。気分的にも体力的にも、先に通り越し後部メンバーがやってくるのを待つほうが楽である。

蚋仔尖へ後わずか
舗装路からすぐに山道に入る。急登が始まる。火焼寮山を過ぎ、変わった形のガジュマル樹に着く。途中、気分が悪いメンバーが現れ、回復を少し待つ。ガジュマル樹からは、少し平な道が続くが、また急登が始まる。補助ロープを使った岩壁が現れる。この部分を通過するのは、少し時間を要する。道がゆるやかになり、10時45分に蚋仔尖につく。急登部分は、これで終わりだ。

天気は、曇で雨は降っていないが、途中の草は濡れていた。ヤマビルがやはりけっこういる。メンバーの何人かはすでにスネにヤマビルが取りつかれてしまっている。こういう時は、塩をふりかける。するとポロッと落ちる。けっこう血を吸って膨れた蛭は、塩をかけられると血とともに大量の水分を吐き出し縮んで死ぬ。一度血を満腹に吸うと、かなりの期間生きていけるそうだ。実際、もともとの数倍の体積までに膨らむのだから、そうなのだろう。

果樹園へむけて産業道路を登る
熊空山へ向けて、歩を進める。土の産業道路にでて進む。農園の下の部分でまた草の中の近道を取り、果樹園の中を登っていく。今日は、残念ながら曇っていて周囲の山が見えない。杉林の中を進み、11時40分熊空山に着く。歩き始めて3時間25分、ここまでは予定通りだ。昼食にする。そこそこ広い頂上だが、30数名が休むといっぱいになる。

熊空山は標高972mで本日の最高点だが、獅仔頭山まではまだ遠い。30分ほどの食事休憩後、縦走路を進み始める。小さい上り下りを過ぎ、岩壁の下りに来る。メンバー各人の技量には差があるので、大人数が通過するのはかなり時間がかかる。竹坑山との最低部に着き、二箇所ほどピークを越していく。前回左に曲がっていった竹崙山への分岐点を通り過ぎる。その先ほんの僅かで、13時53分に竹坑山(標高953m)に到着する。

熊空山頂はメンバーでいっぱいだ
竹坑山山頂
写真を写したあと、次に向けて歩き始める。右に加九嶺への道を分け、下っていく。竹坑山から20分ほど歩いてきたところで、右に土盛をして周囲を囲んだような場所がある。以前は気付かなかったが、これは人工的なものでおそらく隘勇時代の遺跡だろう。ここで隘丁と呼ばれる警備兵が駐在していたのではないか。その先にももうひとつそれらしい物を見る。14時44分、竹坑山北峰(標高803m)へ着く。前回は、ここから獅仔頭山が見えたが、樹木が成長してよく見えない。それに天気が良くないこともある。

縦走わきに人工と思われる土壁が残る
狭い頂上は、全員が上がれないのでメンバーは立ちかわりで登る。稜線道に戻り、左に折れて鞍部へ下る。この部分は下方にある送電鉄塔の保線路なので道幅が広くて良い道だ。15時6分に下りきり、後方のメンバーが下りてくるのを待つ。途中でも隊伍が切れてしまうと、追いついてくるまで待つ。疲れを見せ始めたメンバーも現れる。残りは、あと四分の一というところ。

鞍部からは、道はまた細くなる。急な登りを登りきり、下りが始まる。ここで、かなり大きなギャップが現れる。補助ロープがあるものの、少し思い切りが必要なので、全員通過に時間がかかる。地図上では南獅仔山となっているが、特に表示もないなだらかなピークをすぎる。あとは、一度下って登り返せば獅仔頭山である。左に以前曲がっていった鹿母潭への枝尾根道を分岐する。

金毛杜鵑花の咲く道
坂道を登っていく。またひとつ人工の土盛がある。更に登る。赤いツツジが咲いている。金毛杜鵑花だ。最盛期は過ぎているが、それでも道端に続く花は、苦労を慰めてくれる。17時、防蕃古碑のテラスに着く。当初の予定より1時間ほど多くかかっている。もともと、時間が早ければ獅仔頭山の残る幾つかの遺跡を見て歩くつもりであったが、この時間では難しい。そのまま稜線にでて左に折れ、三角点を目指す。17時10分、三角点につく。わきの展望台は霧のため、今日は眺望はない。

霧の中の猴洞尖



すぐに先ほどの分岐に戻る。疲れて三角点は良いのでそこで待っていたメンバーと合流し、下り始める。最高点を過ぎ、坂が急になる。補助ロープの急坂を下り、木製梯子の上部に来る。ここから二段の梯子下りだ。梯子はかなりの急勾配だ。しかし、造りはしっかりしているので、慎重に下れば問題ない。途中のテラスからは、獅坪の向こうに猴洞尖と鹿鵠崙が霧にうっすらと佇んでいる。18時、全員が下りきり最後の記念写真を撮る。更に登山口へ下る。18時18分、新潭路の登山口に着く。マイクロバス二台が待っていた。

新潭路の登山口に降りてきた、バスが待っている
休憩を入れ約10時間の行動である。思っていたよりも、一部のメンバーにとってはきつい縦走であったようだ。最後の部分は、厳しいと思いながらも、日暮れ前に下山する必要があるので歩き続けた。幸い日没前に全員登山口におり、新店で食事を共にすることができた。歩行距離については、メンバーの中には更に多くの計測値を出している人もいるが、筆者の記録では11km弱である。累計で1000mぐらい登っている。