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2018-11-17

2018年11月16日 瑞芳烏塗窟古道-獅子嘴岩-三爪子坑山 別のルートから再訪

@獅子嘴岩、背後は九份裏側の山々(CTさん撮影)
五,六年近く訪れていなかった瑞芳の獅子嘴岩三爪子坑山を再び訪れた。五、六年もたつと、記憶は少しあいまいになるが、道の状態は全般的によくなっているようだ。今回は反対側から獅子嘴岩に上ったが、その途中の烏塗窟古道は状態がとても良かった。一方、もともと歩こうと考えていた蛇子形古道は、ネット上の記録は5年ぐらい前のもので、その後ほとんど歩かれなくなり廃棄に近い状態のようで、稜線から下っていく入り口すらわからなかった。その稜線道も草深く、このセクションはあまり歩かれていないようだった。

南から北へと縦走
歩行高度表、一番高いのが三爪子坑山
蛇子形古道がダメなので、更に稜線を進み三爪子坑山を越えて下山した。このため、当初の予定より少し時間を要した。午後から天気が下り坂という天気予報であったが、天気はもち雨は降らなかった。晴れるとまだ暑いが、秋の気持ちのよい山登りであった。

金網が立てられた平溪線にそって歩く
今日は平日、しかし六名が参加し、都合7名のパーティで歩く。7時半台北駅から出発し、今まで何度か利用した山間の三貂嶺駅で下車する。三貂嶺駅はしばらく工事していたが、完成したようだ。8時50分、駅から歩き始める。鉄道にそった道を進み、地下道をくぐって平溪線沿いに行く。以前はなかった鉄網の柵が線路沿いに立てられている。この道を歩く人が多くなったので、その対応だろう。

烏塗窟古道の分岐、右に階段を登る
急坂を登る
9時4分、三貂嶺瀑布歩道入口に来る。線路を渡り碩仁國民小學校(廃校)のわきから登り始める。最近はこの道を歩く人も多いのか、お店もいくつかできている。石段を数分上りつめると、道は平らになり山腹を進んでいく。9時21分、烏塗窟古道の分岐に来る。右に曲がり木製の階段道を登っていく。結構急な坂が続く。汗が流れる。数分で階段が終わり、土の道になる。9時35分、小休憩をとり服を調整する。

平らな道が続く
二つ目の沢越え
歩き始めてすぐ左に道を分岐する。中坑古道へ続く山腹道だ。さらに2,3分登ると道は平らになり、山襞にそって進む。道はそこそこ幅もあり、草もなく歩きやすい。9時52分、右に道標をみると少し下り、沢を越す。少し登り返し、杉林の中を行く。10時、また左に中坑古道への道を分ける。道標は電柱に取り付けられている。電柱には電線はないが、以前はここまで電気が引かれていたのだろう。下ってまた沢を越す。沢は前のより大きく、また下る途中には岩場もある。反対側も岩場だが、足場がしっかりしているので見た目ほど難しくない。

獅子嘴岩に向けて登る
獅子嘴岩山頂
岩場を登り、道は沢からのぼって尾根にとりつく。10時35分、獅子嘴岩と烏塗窟山との鞍部に来る。電柱が転がっている。ここは十字路、右に進んで獅子嘴岩へ登る。3,4分で獅子嘴岩(標高400m)につく。歩き始めて2時間足らずで着いた。展望がある山頂からは、すぐ下の基隆河の谷間とその向こうに小粗坑山から大粗坑山などの九份の山々、左(西)側は尾根が三爪子坑山へと延びている。すこし休憩を取る。

獅子嘴岩から見る基隆河の谷間とその向こうに九份裏側の山々
右端の三爪坑山へ尾根が続いている
急な上り下りが続く
11時過ぎ往路を鞍部へ戻る。ここから稜線を追っていく。登り返していくと、先ほど立っていた獅子嘴岩が、垂直の岸壁を以てそびえている。11時15分、烏塗窟山山頂につく。圖根點の基石が埋められている山頂は、以前訪れた時に比べると草が刈られてきれいになっている。樹木があり、展望はない。途中右に開けた場所から、展望ができる。小さな登り下りを越していく。結構急坂があり、補助ロープがあるのは助かる。11時38分、柴寮古道の鞍部に着く。時間は少し早いが、ベンチのところで昼食休憩を取る。この後の道では、座って休めるところがあまりない。

柴寮古道/中坑古道の鞍部
道は草深い、蛇子形古道の入口がわからない
12時17分、出発する。少し中坑古道を下り、曲がって右から来る沢沿いに進む。古い石段道で、古道の感じだ。草も刈られている。そのうち尾根にそって進む。草むらも多くなってきて、道を覆い隠す。12時38分、左に八分寮頂山方向へ道が分岐する。以前はここから左に進んだ。今日は右にとり稜線を進む。この部分は歩かれていないようで、更に草深い。右に枝尾根沿いに蛇子形古道が下っていくはずだが、道らしいものは見当たらない。そのうち地図上の分岐位置を通り過ぎる。そこで蛇子形古道はあきらめ、そのまま稜線を追っていくことにする。

稜線から五分山を望む
基隆方向を望む、手前は瑞芳の街
三爪子坑山山頂、背後に獅子嘴岩からの稜線
尾根上から、山林投の向こうに展望が利く場所がある。五分山や、瑞芳方向、そしてその遠くに基隆も見える。遠くは少しかすんでいるが、それでも展望があるのはよい。13時17分、左から道を合わせる。この先、道の状態は少し良くなる。小ピークを越し、三爪子坑山へ登り返す。以前休憩をとった少し開けた場所を通り過ぎ、最後の急坂を上りつめ、13時44分、山頂(標高536m)に着く。今日の最高点だ。樹木や茅草があるが、それでも360度の展望ができる山頂からは、平溪の山々から瑞芳の山々まで皆みえる。午前中に上った獅子嘴岩が、対面にその岩場を見せている。そこから続く稜線や峰々もある。蛇子形古道は歩けなかったが、こうした展望ができることはまた良いものだ。

三抓子坑山を下る
長い岩壁をロープを助けに下る
14時、三爪子坑山頂上をあとにする。下るとすぐに、とても長く急な岩盤の道になる。長い補助ロープが取り付けられている。岩はコケがはえとても滑りやすい。注意して下っていく。更に急な下りを行く。土の部分もとても滑りやすい。14時38分、分岐を右にとり14時48分、産業道路に降りる。

更に下りが続く
舗装路に降りる
ここから蛇子崙へ尾根道があるが、それは取らずに左に舗装路を下る。すぐ左に先ほどの分岐から降りてくる道の入り口を見る。14時54分、神像の置いてある入口から、また登山道に入る。この道もあまり歩かれていないようで、5年前より草深い。幸い最近登山隊が入ったようで、マーカーリボンがたくさん取り付けてあり、また草深いところも踏み跡がある。15時16分、民家わきに降りる。これで山道歩きは終わりだ。

草深い山道を下る

犬が吠える民家わきを通り過ぎ、少し下ると沢がある。そこで汚れた長靴や登山ステッキを洗う。産業道路をさらに下っていく。途中振り返れば、三爪子坑山がすでに高い。少し登り返し、大きな瑞慈宮のわきを下る。15時54分、産業道路を下りきり、右に基隆河の橋を越える。16時過ぎ、1062番バスのバス停に着く。メンバー四名はそのまま瑞芳駅に行き、のこり三名はそこでバスを待つ。16時20分、台北行の1062番バスがやってきた。

民家わきに降りる
背後に三爪子坑山を見て瑞芳へ歩く
数年ぶりの再訪だが、その間に道が良くなっている場所と、そうでない場所もあった。ただ、全体的には登山者が増えているので良い方向に進んでいるのだと思う。蛇子形古道は以前から歩こうと思っていた道で、残念だがまた手入れが入るまで待つしかない。今回歩いたルートだと、途中あまり状態のよくない場所もある。クラス4というところか。体力的にはクラス3だ。休憩込みで7時間と少しの行動時間だ。

2018-11-14

2018年11月11日 燦光寮古道 - 楊廷理古道 整理された淡蘭古道を歩く

草刈された楊廷理古道から福隆方向を望む
台湾の文献に記録されている歴史は、約四百年とそれほど長くない。中国本土からの移民が文字を台湾にもたらしてからである。もちろんそれ以前に原住民がこの島に暮らしていた。東海岸の宜蘭も、もちろん蘭陽平野はそこで暮らしているグバラン族といわれる原住民がいた。中国からの移民がこの地を訪れ開発を始めると、当然すでに開けていた西海岸の台北地区との往来が必要になる。

歩き終えた楊廷理古道の登山口にて
17~18世紀西欧列強国のアジア進出が進み、さらに19世紀後半に清仏戦争や日本との牡丹社事件などが起きると、過去あまり関与していなかった清朝政府も本腰をいれて台湾の統治をおこなう。軍事的にも台北地区と宜蘭地区をつなぐことの重要性が認識された。こうした時代背景から、山を越えて二か所をつなぐ淡蘭古道が造られていく。淡は当時の台北地区の政府淡水廳の淡、つまりは台北の意味であり、蘭は宜蘭の旧名噶瑪蘭からである。

西から東へ歩く
歩行高度表
淡蘭古道は、単に一本の道ではない。淡蘭古道群とでも呼ぶべき、いくつかの山越えルート群である。清朝政府が開いた官製街道以外に、民間が茶葉や樟脳などの商品、生活必需品の運搬や、人の往来のために開いた道もある。こうして開かれた道は、その後の交通の発展によって、鉄道や自動車道路にとって換わられ、忘れ埋もれていった。

西の台北と東の宜蘭の間には山々が行く手を塞ぐ
台湾の登山ブームが広がり、登山者がその登山対象として忘れ去られた古道を掘り起こしてきた。筆者も、いままで淡蘭古道群を歩いてきた。藍天隊などの民間ボランティアが、草刈や難所の手入れなどを行い登山者が歩いている。こうした流れの中、最近新北市政府が淡蘭古道を取り上げ、公的組織として古道の手入れを行った。それは、今年行われた世界歩道大会で、淡蘭古道を取り上げ撮影した映画が優れた歩道紹介の映画として選ばれたことでも、表されている。

整備された石段、左に工事の黄色の内容表示
古道を歩くことは、単に山歩きの楽しさ、健康への好効果だけでなく、歴史探索でもある。道脇に残る土地公祠や住居跡、土地の石材を使った石段などが、昔この道を往来した人たちのことを連想させる。さらに進んで、歴史資料を紐解けば、その地の過去を理解することができる。
整理された燦光寮鋪跡(営舎跡)

今回の登山対象は、過去に歩いている古道で、最近新北市により手入れされた部分である。具体的には、燦光寮古道楊廷理古道(土地公嶺古道)だ。燦光寮古道は、主線部分は以前から地元政府による整備があったが、支線部分や楊廷理古道は民間ボランティアによる整備があったものの、時間がたつとまた草木が生え茂るという状態だった。実際三年前に楊廷理古道を歩いたときは、草深い道であった。公的部門による整備は歓迎だ。歩きやすい古道が維持される。

F812コミュニティーバス@十三層老樹終点
朝6:23分発の自強号急行で台北を出発する。参加メンバーも同じ汽車で雙溪へ向かう。7時15分到着し、駅前でF812新巴士を待つ。バスはまだ50分ほど先だ。接続が良くないが、仕方がない。ほかのバスがやってきては違う目的地へ出ていく。8時9分、F812バスがやっと来た。今日は我々22名だけでなく、ほかのパーティも乗車、現地住民は一握りだがマイクロバスはギュウギュウづめだ。

新しい道標と地図@燦光寮古道登山口
砂防ダムのわきを行く、ここを渡れば古道支線が始まる
手すりが設けられている
8時半、十三層老樹の終点に到着する。空は秋晴れ、実に登山日和だ。舗装路を十数分登っていく。貂山古道と燦光寮古道との分岐に来る。もう一つのパーティは貂山古道へ向かうようだ。我々は右に燦光寮古道へ進む。まだ新しい道標と地図がある。進むと砂防ダムがある。その左岸を行く。右に燦光寮古道支線が沢向こうに続いている。陽光が森の中に光の束となって差し込む。手すりや新しい橋など、最近の整備が見受けられる。9時4分、廃屋の先で休憩する。今日は人数も多いので、急がず行くことにする。

ダム堤防上から沢をのぞき込む、遠くに草山山頂






9時18分、ダムにやってくる。金瓜石が金鉱採掘で繁栄していたころ、その飲み水としてこのダムから供給していたということだ。ダムの上に立つと、沢の奥に通信施設を頂く草山の頂上が見える。道は、沢を離れジグザグに高度を上げる。9時36分、燦光寮古道の主線と支線の分岐点に来る。左が主線、右が支線だ。道標は楊廷理古道を記している。

古道を行くメンバー
燦光寮古道主線支線分岐
沢をこえる
廃棄されたモーターとギア
分岐のすぐ先は、水量をある沢を越える。登っていくと、吊り橋の橋頭跡、その先に廃棄されたモーターと減速ギアが転がっている。廃屋が現れる。石積み廃屋の壁の中に入ると、石臼や石かめが残っている。10時、開けた場所につく。清朝時代の営舎跡である。石を積み上げた土留壁や家屋の壁などが残っている。今は樹木が茂っているが、当時は切り開かれていたはずだ。説明によれば、台北と宜蘭の間の書簡などもここを通過して運ばれてていたそうだ。5年前に来た時は、この遺跡はおそらく草木に埋もれ気づかなった。

廃屋に残された石臼など
燦光寮鋪跡
新しい道標
道は平らになり、沢を越え、また別の家屋跡を通過する。また沢を越えると、新しい石段が設けられた坂を上っていく。10時34分、分岐にくる。直進する道は燦光寮古道支線で、下れば朝通過した登山口へと続く。左にとり、登っていく。10時39分、廃棄産業道路につく。道標と地図が分岐にある。右に少し進み、左に黃吉祠の土地公を見る。そこから土の道を追っていく。広義ではすでに楊廷理古道といえるだろう。

黃吉祠
森の中のため池
手入れされた石段
この部分は新たに手入れしたと思われる部分も通過する。石段わきには工事の対象を記した表示も残っている。ため池と思われる池が左に見える。今はない棚田などへ水を引くための池だろう。11時17分右に送電鉄塔を見る。鉄塔の向こうには燦光寮山や草山が望める。左に数分進むと、また産業道路にでる。時間が早いので、南草山を登ることにし、左に少し登る。すぐに登山口がある。しかし、最近はほとんど歩かれていないようで、草深い。

南草山登山口の道標
背丈ほどの茅草の山頂
メンバー数名は登山口で待ち、残りのメンバーで南草山を目指す。暫く登ると森から出て、茅草の登りとなる。草は密生し行く手を塞ぐ。草をかき分け、足元にかすかに残る踏み跡を確認して登っていく。11時45分、基石の埋まる頂上につく。背丈ほどの茅草に埋もれた中の山名札は、風雨にさらされ文字が薄くなっている。三年前に訪れた時は、霧がでて展望がなかった。今日は、快晴のもと海も山もクッキリ望める。海側は福隆の海岸線やその先の雪山山脈末端の山々、山側は五分山から草山までの山並みが続く。

福隆方向の海を望む
少し下ったところから山側を望む、五分山から瑞芳の山々が続く
草をかき分け下る
下りも草をかき分け下る。12時07分、登山口に降り全員がそろったところで、産業道路を下る。12時19分、左へ分岐する古道を取る。この部分は保線路にもなっているので、道幅も広く状態がとてもよい。登り気味に進み、12時半、最高点を通り過ぎる。以前は草深かったこれからの部分は、しっかり草が刈られている。道は、幅いっぱいに水が流れ長靴でないと難儀する場所もある。送電鉄塔の下をくぐり、下っていく。道は滑りやすい土の部分が多い。13時10分、左に古道、右に保線路を分ける分岐にくる。左の古道を取る。このセクションは、新たに整備されたようで、三年前にはなかったはずだ。2,3分下り慈願寺のわきに降り立つ。お寺の前で食事休憩を取る。

慈願寺のわきに降りる
慈願寺の前で集合写真
雞母嶺街からまた右に古道へ入る
13時55分、古道の残り部分を歩き始める。舗装路を少し下り、左におれて雞母嶺街の橋を渡り、また古道に入る。ここにも新しい道標と地図が設けられている。道には太い送水管が敷かれている。下っていくと、新たに敷かれた石段がある。左に池が現れる。14時14分、現れた分岐はそのまま右に下っていく。この辺りも三年前は草深かったが、今はしっかり整備されている。もう一つ右に池をみてさらに下り、14時半に産業道路を横切る。墓のわきを下り、開けた畑から見る福隆の向こうの山はすでに高い。古道も残りわずかだ。

左にため池
残りはわずかだ、福隆の向こうの山が高くなってきた
金斗公
最後に坂を下りきり14時40分、金斗公の大石を見る。古道歩きはここで終了だ。整備された登山口には新しい地図が設けられている。舗装路を下っていく。15時少しまえ、打鐵寮文山坑のT字路に出る。わきのF811新巴士の停留所には15時5分に雙溪方向がやってくるとある。多くのメンバーはこのバスで帰る。残り6名は、これまたちょうどよくやってきた澳底行のF811バスで澳底に行き、漁港近くのお店で海鮮料理をいただいた。筆者もこちらに参加し、食事後同じくF811で雙溪駅に行き、数分後にやってきた16時42分発の自強号で帰京した。

多くのメンバーはここから直接雙溪へ、ちょうどバスがやってきた
澳底の海鮮料理店
手入れされた古道はまだラフな部分もあるが、今後行政が整備していくのであれば、多くのハイカーが歩き、道は良くなっていく。道は人が往来して初めて道である。今まで登山者が歩きてきた古道は、市民権を得たというところだ。歩行距離12.4㎞、累計登坂580mだ。休憩込みの所要時間は約6時間半、陽がさすとまだ暑いが、それでも澄んだ秋空のもとの古道歩きは、実に楽しいものだ。誰にでもお勧めである。