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草刈された楊廷理古道から福隆方向を望む |
台湾の文献に記録されている歴史は、約四百年とそれほど長くない。中国本土からの移民が文字を台湾にもたらしてからである。もちろんそれ以前に原住民がこの島に暮らしていた。東海岸の宜蘭も、もちろん蘭陽平野はそこで暮らしているグバラン族といわれる原住民がいた。中国からの移民がこの地を訪れ開発を始めると、当然すでに開けていた西海岸の台北地区との往来が必要になる。
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歩き終えた楊廷理古道の登山口にて |
17~18世紀西欧列強国のアジア進出が進み、さらに19世紀後半に清仏戦争や日本との牡丹社事件などが起きると、過去あまり関与していなかった清朝政府も本腰をいれて台湾の統治をおこなう。軍事的にも台北地区と宜蘭地区をつなぐことの重要性が認識された。こうした時代背景から、山を越えて二か所をつなぐ淡蘭古道が造られていく。淡は当時の台北地区の政府淡水廳の淡、つまりは台北の意味であり、蘭は宜蘭の旧名噶瑪蘭からである。
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西から東へ歩く |
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歩行高度表 |
淡蘭古道は、単に一本の道ではない。淡蘭古道群とでも呼ぶべき、いくつかの
山越えルート群である。清朝政府が開いた官製街道以外に、民間が茶葉や樟脳などの商品、生活必需品の運搬や、人の往来のために開いた道もある。こうして開かれた道は、その後の交通の発展によって、鉄道や自動車道路にとって換わられ、忘れ埋もれていった。
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西の台北と東の宜蘭の間には山々が行く手を塞ぐ |
台湾の登山ブームが広がり、登山者がその登山対象として忘れ去られた古道を掘り起こしてきた。筆者も、いままで淡蘭古道群を歩いてきた。藍天隊などの民間ボランティアが、草刈や難所の手入れなどを行い登山者が歩いている。こうした流れの中、最近新北市政府が淡蘭古道を取り上げ、公的組織として古道の手入れを行った。それは、今年行われた世界歩道大会で、
淡蘭古道を取り上げ撮影した映画が優れた歩道紹介の映画として選ばれたことでも、表されている。
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整備された石段、左に工事の黄色の内容表示 |
古道を歩くことは、単に山歩きの楽しさ、健康への好効果だけでなく、歴史探索でもある。道脇に残る土地公祠や住居跡、土地の石材を使った石段などが、昔この道を往来した人たちのことを連想させる。さらに進んで、歴史資料を紐解けば、その地の過去を理解することができる。
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整理された燦光寮鋪跡(営舎跡) |
今回の登山対象は、過去に歩いている古道で、最近新北市により手入れされた部分である。具体的には、
燦光寮古道と
楊廷理古道(土地公嶺古道)だ。燦光寮古道は、主線部分は以前から地元政府による整備があったが、支線部分や楊廷理古道は民間ボランティアによる整備があったものの、時間がたつとまた草木が生え茂るという状態だった。実際三年前に楊廷理古道を歩いたときは、草深い道であった。公的部門による整備は歓迎だ。歩きやすい古道が維持される。
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F812コミュニティーバス@十三層老樹終点 |
朝6:23分発の自強号急行で台北を出発する。参加メンバーも同じ汽車で雙溪へ向かう。7時15分到着し、駅前でF812新巴士を待つ。バスはまだ50分ほど先だ。接続が良くないが、仕方がない。ほかのバスがやってきては違う目的地へ出ていく。8時9分、F812バスがやっと来た。今日は我々22名だけでなく、ほかのパーティも乗車、現地住民は一握りだがマイクロバスはギュウギュウづめだ。
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新しい道標と地図@燦光寮古道登山口 |
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砂防ダムのわきを行く、ここを渡れば古道支線が始まる |
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手すりが設けられている |
8時半、十三層老樹の終点に到着する。空は秋晴れ、実に登山日和だ。舗装路を十数分登っていく。
貂山古道と燦光寮古道との分岐に来る。もう一つのパーティは貂山古道へ向かうようだ。我々は右に燦光寮古道へ進む。まだ新しい道標と地図がある。進むと砂防ダムがある。その左岸を行く。右に燦光寮古道支線が沢向こうに続いている。陽光が森の中に光の束となって差し込む。手すりや新しい橋など、最近の整備が見受けられる。9時4分、廃屋の先で休憩する。今日は人数も多いので、急がず行くことにする。
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ダム堤防上から沢をのぞき込む、遠くに草山山頂 |
9時18分、ダムにやってくる。金瓜石が金鉱採掘で繁栄していたころ、その飲み水としてこのダムから供給していたということだ。ダムの上に立つと、沢の奥に通信施設を頂く
草山の頂上が見える。道は、沢を離れジグザグに高度を上げる。9時36分、燦光寮古道の主線と支線の分岐点に来る。左が主線、右が支線だ。道標は楊廷理古道を記している。
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古道を行くメンバー |
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燦光寮古道主線支線分岐 |
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沢をこえる |
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廃棄されたモーターとギア |
分岐のすぐ先は、水量をある沢を越える。登っていくと、吊り橋の橋頭跡、その先に廃棄されたモーターと減速ギアが転がっている。廃屋が現れる。石積み廃屋の壁の中に入ると、石臼や石かめが残っている。10時、開けた場所につく。清朝時代の営舎跡である。石を積み上げた土留壁や家屋の壁などが残っている。今は樹木が茂っているが、当時は切り開かれていたはずだ。説明によれば、台北と宜蘭の間の書簡などもここを通過して運ばれてていたそうだ。5年前に来た時は、この遺跡はおそらく草木に埋もれ気づかなった。
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廃屋に残された石臼など |
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燦光寮鋪跡 |
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新しい道標 |
道は平らになり、沢を越え、また別の家屋跡を通過する。また沢を越えると、新しい石段が設けられた坂を上っていく。10時34分、分岐にくる。直進する道は燦光寮古道支線で、下れば朝通過した登山口へと続く。左にとり、登っていく。10時39分、廃棄産業道路につく。道標と地図が分岐にある。右に少し進み、左に黃吉祠の土地公を見る。そこから土の道を追っていく。広義ではすでに楊廷理古道といえるだろう。
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黃吉祠 |
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森の中のため池 |
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手入れされた石段 |
この部分は新たに手入れしたと思われる部分も通過する。石段わきには工事の対象を記した表示も残っている。ため池と思われる池が左に見える。今はない棚田などへ水を引くための池だろう。11時17分右に送電鉄塔を見る。鉄塔の向こうには
燦光寮山や草山が望める。左に数分進むと、また産業道路にでる。時間が早いので、南草山を登ることにし、左に少し登る。すぐに登山口がある。しかし、最近はほとんど歩かれていないようで、草深い。
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南草山登山口の道標 |
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背丈ほどの茅草の山頂 |
メンバー数名は登山口で待ち、残りのメンバーで南草山を目指す。暫く登ると森から出て、茅草の登りとなる。草は密生し行く手を塞ぐ。草をかき分け、足元にかすかに残る踏み跡を確認して登っていく。11時45分、基石の埋まる頂上につく。背丈ほどの茅草に埋もれた中の山名札は、風雨にさらされ文字が薄くなっている。三年前に訪れた時は、霧がでて展望がなかった。今日は、快晴のもと海も山もクッキリ望める。海側は福隆の海岸線やその先の
雪山山脈末端の山々、山側は
五分山から草山までの山並みが続く。
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福隆方向の海を望む |
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少し下ったところから山側を望む、五分山から瑞芳の山々が続く |
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草をかき分け下る |
下りも草をかき分け下る。12時07分、登山口に降り全員がそろったところで、産業道路を下る。12時19分、左へ分岐する古道を取る。この部分は保線路にもなっているので、道幅も広く状態がとてもよい。登り気味に進み、12時半、最高点を通り過ぎる。以前は草深かったこれからの部分は、しっかり草が刈られている。道は、幅いっぱいに水が流れ長靴でないと難儀する場所もある。送電鉄塔の下をくぐり、下っていく。道は滑りやすい土の部分が多い。13時10分、左に古道、右に保線路を分ける分岐にくる。左の古道を取る。このセクションは、新たに整備されたようで、三年前にはなかったはずだ。2,3分下り慈願寺のわきに降り立つ。お寺の前で食事休憩を取る。
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慈願寺のわきに降りる |
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慈願寺の前で集合写真 |
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雞母嶺街からまた右に古道へ入る |
13時55分、古道の残り部分を歩き始める。舗装路を少し下り、左におれて雞母嶺街の橋を渡り、また古道に入る。ここにも新しい道標と地図が設けられている。道には太い送水管が敷かれている。下っていくと、新たに敷かれた石段がある。左に池が現れる。14時14分、現れた分岐はそのまま右に下っていく。この辺りも三年前は草深かったが、今はしっかり整備されている。もう一つ右に池をみてさらに下り、14時半に産業道路を横切る。墓のわきを下り、開けた畑から見る福隆の向こうの山はすでに高い。古道も残りわずかだ。
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左にため池 |
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残りはわずかだ、福隆の向こうの山が高くなってきた |
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金斗公 |
最後に坂を下りきり14時40分、金斗公の大石を見る。古道歩きはここで終了だ。整備された登山口には新しい地図が設けられている。舗装路を下っていく。15時少しまえ、打鐵寮文山坑のT字路に出る。わきのF811新巴士の停留所には15時5分に雙溪方向がやってくるとある。多くのメンバーはこのバスで帰る。残り6名は、これまたちょうどよくやってきた澳底行のF811バスで澳底に行き、漁港近くのお店で海鮮料理をいただいた。筆者もこちらに参加し、食事後同じくF811で雙溪駅に行き、数分後にやってきた16時42分発の自強号で帰京した。
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多くのメンバーはここから直接雙溪へ、ちょうどバスがやってきた |
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澳底の海鮮料理店 |
手入れされた古道はまだラフな部分もあるが、今後行政が整備していくのであれば、多くのハイカーが歩き、道は良くなっていく。道は人が往来して初めて道である。今まで登山者が歩きてきた古道は、市民権を得たというところだ。歩行距離12.4㎞、累計登坂580mだ。休憩込みの所要時間は約6時間半、陽がさすとまだ暑いが、それでも澄んだ秋空のもとの古道歩きは、実に楽しいものだ。誰にでもお勧めである。
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