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2018-06-25

2018年6月23~24日 百岳白姑大山 昔日の大林業地の山を登る

合歡山西峰から望む白姑大山山塊、雲下右に見えるのが主峰、手前の森がかられている尾根から登る(2017/1) 
台湾のヒノキは有名である。日本の神社にも使用されたことがあり、日本国内においても身近だ。台湾でヒノキと称されるのは、扁柏と紅檜(ベニヒ)である。後者は、日本のヒノキに使われる桧(檜)の文字があるので、神社で使用されたヒノキと混同されやすいが、真っすぐで神社に使われる巨大な樹は扁柏だ。両者は同じような標高帯に生え、日本統治時代から戦後国民政府にわたり、伐採輸出され台湾の外貨を稼いだ。

大きな括りでは雪山山脈になるが、独立した山塊の白姑大山
二日間の歩行高度表
日本時代に開発された林場は、三大林場とされる阿里山、大平山そして八仙山である。八仙山林場は、現在の台湾中部を横断する中橫公路の谷關溫泉から少し上にいったところにある。谷關七雄と総称される谷關の周りのピークの一つに八仙山や、馬崙山がある。八仙山を北東に峰々を追っていくと、この山塊の最高峰白姑大山(標高3341m)がある。馬崙山は、白姑大山西峰から派生する尾根上のピークである。

『百岳全集』中の地図、50年前の登山道を示す、今日のルートはない
林業の興隆衰退に伴い、また地震や台風による中橫公路の閉鎖などに連れて、白姑大山の登山ルートは変更されてきた。1968年発刊の『台湾百岳全集』によると、1950年代には森林鉄道や材木搬出ケーブルなどを利用して山頂近くまでやってきて、2時間ほどで登頂できたそうだ。それが伐採が終わり搬出機材や宿泊施設が撤収されると、登山は簡単ではなくなった。白姑大山東峰から主峰をへて西峰への縦走も、かなりの苦労であったようだ。その後、中橫公路の青山から北稜をへて登るルートがメインになり、二日で登頂できるようになった。しかし、中橫公路が不通となりアクセスができないため、東側からのルートが今日の登山道になっている。西峰への縦走などは、現在ほとんど歩かれていない。ニイタカトドマツ(冷杉)や台湾ツガ(鐵杉)の森の下は、ニイタカヤタケ(玉山箭竹)がびっしりと生えている。藪漕ぎして縦走するのは並大抵の苦労ではない。

白姑大山山頂のパーティメンバー
白姑大山は、その南麓北港溪の谷間が故郷である先住民タイヤル(泰雅)族の呼名が、その名前の由来ということだ。白狗大山とも称される。先週訪れた烏來もタイヤル族北限の集落だが、この地から移住していった末裔だという。現在のルートは、タイヤル族発祥の地近く、紅香部落の上にある農家のところから登り始める。高山キャベツが栽培される畑の道を上りつめたところが、登山口である。白姑大山東南峰から派生する枝尾根上の三錐山を越え、司晏池のキャンプ地で一泊する。翌日は軽装で尾根を東南峰から主稜線に向かい主峰を登頂、往路を戻ってキャンプ地へ帰り、荷物を担いで下山するのが、一般的な登山方法だ。登山口から一日で往復する、単独アタックも可能だが、十数時間かかる苦労登山だ。主峰登頂のあと、さらに一泊し二泊三日で歩けば、かなり楽になる。我々は一泊で登山した。

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第一日 6月23日(土) 埔里 - 力行產道 - 紅香部落 - 最後農家 - 登山口 - 三錐山 - 松針營地

登山口から三錐山をへて宿泊キャンプ地へ
登りメインの行程
六号高速道路から見る守城大山
前日22日15時半台北を、Lさんの車で出発。今回は5名のパーティだ。高速道路をへて、17時半ごろ埔里に入ってくる。埔里の守り神守城大山が夕立が終わりかけている曇り空に大きくそびえている。18時過ぎ、宿泊地の地母廟に到着。宿泊手続きを済ませ、街に戻って食事をとる。食事後すぐに地母廟にもどる。翌朝が早いので、20時には就寝する。

谷底の北港溪を渡り紅香部落へ入る、橋の向こうは道路修復工事中
キャベツ畑の間を行く
23日は、4時に起床、4時半に出発する。6号高速道路の終点近くのコンビニで食事をとり、14号線を霧社に向かう。霧社の集落から14甲号線を少し登り、左に力行産業道路(投89号県道)に入る。日本統治時代に警備道として整備された埤亞南警備道が前身で、北港溪の流域に生活してた原住民部落をつないでいく。山腹を横切っていく道は、自然災害を受けやすい。途中工事中の場所を通り過ぎる。十数キロ山襞にそって走る。空は青空が広がっていく。6時半ごろ、左に谷に下り北港溪を越えて紅香部落に入る。6時45分、入山許可書を提出するために派出所に立ち寄るが、まだ開いていない。許可書を残し、登山口へ向かって登り始める。谷底の標高1150mから登山口2000mまで登っていく。キャベツ畑の間を登るについて、対岸の合歡山山塊のスカイラインが広がっていく。

キャベツ畑の向こう対岸に合歡山の山並みが広がる
登山口
7時12分最後農家のわきを通り過ぎ、さらに登る。4WDだが最後は登り切れず、途中の踊り場で車を止め、登山口へ歩いて登る。農家から歩いてもそんなに遠くない。登山口には、中国語とベトナム語で盗伐についての警告の赤い垂れ幕が掛かっている。違法在留の外国人が盗伐のアルバイトをしている、その警告だ。7時45分、出発する。道ははじめ林道のように、幅が広い。今は車が全く通らない。低い場所では水がたまり、池のようになっている。少しの上り下りを進み、7時58分林道の終点に来る。

林道の低部は水たまりになっている
水管路から左におれて登る
今日の水場は、もし司晏池キャンプに泊まるのであれば、池の水を使える。しかし、流れないたまり水なので、各自水をもって登る。筆者は都合6リットル弱を背負っている。7月上旬に一週間の高山縦走を控えているので、訓練の意味もある。山道が始まる。道脇にっは沢から引いている水を送る水管が何本も走っている。山脇をゆるやかに登っていく。8時6分、登山道は90度に左に折れて登っていく。水管道は直進していく。過去、ここで左に曲がらずそのまま進み、遭難したケースがある。今は金網が張られ、道標も取り付けられ迷うことはない。道はジグザグに山腹をのぼり、高度を上げていく。濡れた落ち葉が重なる道は、ところどころ太い倒木が遮る。8時半、休憩を取る。

広葉樹林の間を登る
盗伐されたヒノキに林務局の認識札
坂は緩やかになり、登っていく。8時50分ごろからアカマツ林になり、道には松葉が敷き詰められている。その先数分、ニイタカヤタケが現れる。森はまた広葉樹林になる。樹の根があちらこちらに現れ、滑りやすい。9時20分過ぎ、また休憩をとる。休憩後数分歩くと、太いヒノキの倒木があり、木塊が切り取られてる。盗伐の現場だ。そこには林務局の認識札が取り付けられている。朝陽が差し込んでいた森は、10時近い今は霧が立ち込め始めた。天気はもつだろうか。10時13分、坂を上りつめ三錐山(標高2570m)に到着、休憩を取る。樹木の中の山頂、展望はない。

背が低いニイタカヤタケが森の底を埋める
三錐山山頂
鞍部のぬかるみ
緩い坂を下っていく。太いベニヒが倒れている。盗伐されたもののようだ。ここにも林務局の認識札が取り付けてある。十数分下り最低鞍部に来る。道はぬかって水たまりになっている。長靴がありがたい。水たまりの泥濘はかなり深く、足を取られる。太い倒木が何本も現れ、乗り越えるのに苦労する。登りが始まる。鞍部から20数分登っていくと、林相がアカマツ林となる。12時11分、松葉が広がる林の中にテントが三張たててある。更に登っていくと、ツツジの中に入る。地面は腐土で柔らかい。12時32分、初めてのロープのある急坂を越える。上から降りてくる数名の若い登山者とすれ違う。先ほどみたテントの当人で、司晏池で水を汲んだ帰りだそうだ。12時42分、左に緩やかな坂で、われわれのテントを張るには十分な松葉広場がある。もってきた水もあるし、ここで設営することにする。

太い倒木が何本も道を塞ぐ
アカマツ林を登る
テントを張ってまもなく、午後の夕立が始まる。もともと今月半ばに北二段の山々を行く予定であった。ところが、雨が少ない今年の梅雨は、最後になって豪雨が発生した。そのため、北二段の予定は取りやめた。その代わりのこの山行は、気圧配置が夏型になっていく途中で、午後に雷雨が発生しやすい。幸いなことにテントを張り終えた後なので、テントの中で休憩し、17時すぎ雨が止んだ後、食事を用意しとる。明日も早い出発なので、19時には就寝する。テントにはまた少し降り出した雨が滴っている。
松葉絨毯のキャンプ地
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第二日 6月24日(日)松針營地 - 司晏池營地 - 白姑大山東南峰 - 草青池 - 白姑大山 - (往路)  - 松針營地 - 三錐山 - 登山口 - 最後農家 - 紅香部落 - 力行產道 - 霧社 - 台北


キャンプ地から白姑大山主峰を往復、その後登山口へ下山
二日目の歩行高度
白姑大山東南峰で休むメンバー
2時半に起床、朝食をとる。森の間から見上げる空は、星が見える。暗い中3時過ぎに下方から昨日であった若者のパーティーがテント脇を登っていく。我々は3時半に出発する。まだ暗いので、ヘッドライト頼りだが道筋ははっきりしているので問題ない。数分草の間を行くと司晏池キャンプ場に着く。暗いがテントが数張あるのがわかる。少し下り、東南峰の登りにとりかかる。まだ暗い中4時23分に休憩、さらに登る。4時40分、東南峰(標高3035m)に到着。三角点はないが、そこそこ広い頂上だ。夜空の底が少し白んできた。

東南峰を振りかえる
低いヤタケを行くと雫でぬれる
頂上から下り始める。約200数十m下の鞍部へ長い下りを行く。ヤタケの間に何本もの太い倒木が現れる。最低鞍部をすぎ少し登ると吉他營地(ギターキャンプ地)にくる。東南峰で出会った、我々の前を登る年配夫婦のパーティに追いつく。背の高いヤタケの間に二張ぐらいテントが張れる狭い場所だ。ギターという名前は、誰かがギターを持ってきたからではなく、稜線の上り下りが頻繁で、ギターの形状のように窪んでいるから名付けられたという。5時25分、少し休憩をとる。

吉他營地で休憩
倒木を越えるのは苦労だ
我々のキャンプ地から主峰までの直線距離でいうと、ここで約半分だがこれから難所が始まる。約2時間歩いてきたが、更に時間がかかる。背が高いヤタケは、両側に壁が続くような感じだが、背丈ぐらいのヤタケは昨日の雨のため、間を歩くと服が濡れる。そのため、今日は出発時から上下雨具をつけている。登るにつれ、明るくなった空のもと、周辺の景色も見れるようになる。振り返れば、先ほどの東南峰が大きい。林相もタイワンツガの大樹が多くなってくる。南側には、中央山脈の山なみが長く続いてる。

中央山脈が遠くに見え始める
背丈の高いヤタケのトンネルを登る
今回は、オリンパスのE-M5 IIを持ってきている。ところが、昨日午後からスイッチの様子がおかしい。だましだましオンオフをしていたが、登りの途中に写真を撮ろうとしたらスイッチが入らない。どうやら部品が折れてしまったようだ。このカメラ、防塵防滴なので山用にしているのだが、今回また故障してしまった。前回は三泊四日の嘉明湖山行の第一日目出発前にシャッターが故障してしまい、シャトルサービスの車に残した。今回は、歩いている途中での故障だ。これからカメラはお荷物でしかない。たまたま筆者の運が悪いのかわからないが、事実としてこのカメラは信頼性が低い。入門機でなく、それなりの使用に耐えるはずだが、実に残念なことだ。遠くの山を引っ張るために、倍率の高いズームレンズを持ってきたが、無駄になってしまった。スマホで写真をとるしかない。

台湾ツガの岩稜を進む

ヤタケの間を登っていく。ここも倒木が多い。30分ほどの登りで、稜線も岩が現れニイタカトドマツの森になる。道は岩稜の右や左を巻いていく。ニイタカヤタケは、相変わらずまとわり、あるところでは背丈ぐらい、あることろでは壁のごとく高く生えている。6時半、休憩をとる。登り下りが続く、最後に少し大きめのピークにとりつき登る。右前方に白姑大山の大きな山容が、ビッシリと茂る樹木の衣を着て、どっしりと控えている。歩くにつれ、左には白姑大山南峰から西峰への稜線が続いているのが望める。稜線の鞍部の向こうには守城大山から有勝山への稜線がのぞく。道脇の赤いツツジが印象的だ。岩稜には、タイワンツガがそこここに生え、霧が掛かればまさに水墨画の世界だ。7時25分、見晴らしのよい小ピークの上で休憩をとる。

稜線から白姑大山西峰から南峰への稜線を見る、鞍部の向こうに守城大山
岩稜の登りが続く
見晴らしのよいピークから脈々と続く中央山脈を遠望する
主峰が近い
草青池
右に見える白姑大山主峰が大きくなる。小ピークから下り、前方の草原に入る。回り込んだくぼみに草青池がある。池といっても、水たまりで水は茶色に濁っている。冒頭に記した初期の登山道は、西峰の下方にあった林業宿泊所から草青池をへて頂上へいっていたそうだ。これから歩く部分は、当時と同じ道になる。

草原から振り返る、左に歩いてきた稜線が見える
大岩セクションを登る
緩やかな草原の坂を上りつめる。振り返れば草原の向こうに尖った西峰とそのさらに遠く、中央山脈北三段の能高山やその近くの馬海僕富士山が見える。草原が終わると道は右に回り込み、大石がごろごろするセクションを進む。8時からルートを探し大石を踏んで登る。約20分で大岩セクションを過ぎ、頂上に続く草原を行く。遮るものの少なくなった青空が広い。下っていく若者パーティとすれ違い、8時半に山頂に到着する。登り5時間を要した。

頂上への最後の登り
山頂の筆者
頂上は、一等三角点を擁する。南側は樹木が大きくなって視野が遮られるが、西側は前衛の山々の遠くには台中の街が見える。北側は深い大甲溪の谷を挟んで雪山西稜が長々と続く。東側は中央山脈北一段の南湖大山から中央尖をはじめ、北二段へと峰々が沸き立ち始めたガスに見え隠れしている。実に雄大な眺めだ。一等三角点がすえられているだけの展望がある。この展望を求めて来たのに、カメラが壊れて使えないことが、本当に残念だ。再び訪れることがあるかわからない。9時半、約30分ほどの滞在のあと下り始める。帰りは、往路を戻る。大石セクションを越え、草青池を過ぎる。小ピークで数名のパーティとすれ違う。途中一度休み、11時25分また吉他營地で小休憩を取る。

山頂から雪山西稜を望む
南湖大山(左)から続く中央山脈を望む
前方下方に東南峰が見える
倒木は厄介だ
ここから標高差約200数十mの登り返しが始まる。ゆっくりと確実に登る。次々と現れる倒木が実に厄介だ。12時25分、東南峰に到着する。数分休憩後、キャンプ地への最後のセクションを歩く。鞍部はぬかっている。朝は暗い中でよくわからなかった司晏池のキャンプ地を過ぎる。ここにある三か所の池は、どれもたまり水で茶色い。漉して沸かせば十分使えるが。更に少し下り13時15分キャンプ地に戻る。帰りは約4時間であった。天気予報では、午後からにわか雨の可能性80%である。幸いまだ雨は降らず、濡れずにテントを撤収する。

司晏池
広葉樹林の最後の下り
小休憩のあと14時15分に荷物を背負って下り始める。ツツジの森を過ぎ、アカマツ林を下る。泥濘の鞍部を過ぎて三錐山へ登り返す。15時50分に三錐山に到着、休憩のあと登山口への長い道を下る。霧が濃くなってくる。ゴロゴロとかなり大きな雷音が鳴っている。森の中は薄暗いが、幸い雨が降ってこない。17時19分、金網で囲われた水管道に下り、さらに林道を登山口へ歩く。道の状態は良いが、往路では全く感じなかった距離をヒシヒシと感じる。少しの登りがつらい。17時40分、登山口へ戻る。雨がポツポツ降り出した。車に戻り帰路に就く。今日は朝3時半から約14時間の行動時間だった。

雨が降り出した合歡山を望む、右下に最後農家
紅香部落から力行産業道路に登り返す。暗くなり始めた力行道路は照明がなく、曲がりくねった雨中の道は、運転するのも大変だ。20時頃霧社に着き、簡単に夕食をとる。台北には23時20分ごろに帰り着いた。

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二日目の歩行距離は14㎞ほどでそれほど長いわけではない。しかし、稜線上の上り下りに加え、数えきれない倒木を乗り越し、途切れることのないニイタカヤタケをくぐっていくこのルートは、とても疲れる。白姑大山は、もともと中橫公路から登っていたので、屏風山畢祿山さらに羊頭山の三座と合わせ、中橫四辣(手ごわい相手)と称される。筆者はほかの三座はすでに登っているが、白姑大山が一番つらい山行であった。最後の下りでは、正直終わりはまだかと思って歩いていた。数十年前は、二時間で登れた山は、今や二日がかりで初めて登頂できる。時代が変わり登山ルートは変わる。変わらないのは山だけである。

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