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2016-02-21

2016年2月20日 谷關七雄馬崙山 日本時代からの林業遺跡を歩く

@馬崙山山頂(左から二番目が筆者)
台中の谷關は温泉で有名だ。濁水溪の谷間の両側にそびえる峰々は、谷關七雄として人気のある山々である。去年このうちの屋我尾山,東卯山八仙山,唐麻丹山そして白毛山の五座を訪問し、今回は第六座となる馬崙山を訪れた。あいにく天気は良くなかったが、もともとあまり展望のある山ではなく、景色は期待していなかったので、それ自体はかまわない。馬崙山のすぐ下には、林業が盛んな頃林業運営の基地として新山集落があり、小学校まで設けられていた。そうした遺跡を見ることができたのは、よかった。

白姑大山の支稜に位置する馬崙山を往復
標高差1300mを往復
馬崙山は、本来さらに上部にある白姑大山(標高3341m)の支稜にある標高2305mの小ピークに過ぎない。山単独でみれば特徴は大したことがないが、五葉松の葉が敷き詰められた山道や、約100年前日本時代に始まった林業の遺跡が残り、林業時代の歩道が整備され歩きやすい道がある、トータルでは非常に魅力のある山歩きだ。今回は、新山歩道から歩き始め、片道7㎞を馬崙山頂上へ登り、下りは往路を約2kmキロポスト付近の分岐で斯可巴步道に入り出発点に戻った。

馬崙山は一番奥に位置する
新山歩道入口
馬崙山は、谷關七雄のうち一番奥に位置する。なおかつ、往復十数キロの道のりなので、できるだけ早く出発するため、台北を朝6時に出発する。途中の三峽鶯歌インターチェンジでメンバー一人をピックアップし、メンバー六名一路南へ向かう。第四高速道路から通いなれた感じのある東勢を経て中横公路に入る。谷關の温泉地区を通り過ぎ、台電巷の細い道を登る。8時50分、登山口に到着する。台北から2時間50分、スムースにやって来れた。付近にはすでに登山者のものと思われる車が数台駐車している。
ジグザグ道を進む
急坂を登る
黒犬クロが一緒にあるく
雲が低く垂れこめ小雨がぱらついている。雨支度をして、9時に歩き始める。門をくぐって入り、0㎞のキロポストと道案内板を見る。ほかの七雄と同じように、ここの登山道はしっかりと整備されているので、安心だ。緩やかな登りを行く。そのうちどこからか黒犬が現れ、一緒に歩き始める。首輪をしているので、飼い犬のようだ。今まで何回か、犬が一緒に歩くことがあったが、愉快だ。0.5kキロポストを過ぎ、道はジグザグになる。そのうち、道は一本調子の急坂を行く。まだ旧暦正月の体重増加と運動不足が解消していない体には、ちょっと辛い。9時35分、休憩をとる。

展望台から東卯山を望む、左に薄く白毛山も見える
ジグザグ道を登る
急坂は続く。道が良いので傘をさして登ることができる。周りは濃い霧だ。9時50分、服装調整も含めて、ベンチのある場所で二度目の休憩をとる。黒犬クロは、あと先になりながらついてくる。雨があがり、木々を通して周囲の景色が見え始める。10時、左から斯可巴步道を合わせる。馬崙山へはあと6.2㎞となっている。道は、山腹を緩やかな坂で上っていく。10時15分、展望台に到着する。樹木が切れて、前方には雨雲が上がって姿を現した白毛山や、対岸の東卯山が望める。東卯山からさらに稜線が続くが、屋我尾山のあたりは雲の中だ。

階段部分を登る
杉美林を行く
ジグザグ道を登っていく。道は落ちた五葉松の絨毯だ。ところによっては、踏み込むと、足が沈む。一部、木板の階段も現れる。途中で休憩をとり、確実に高度を上げていく。11時20分、約4㎞地点の涼亭に到着する。前を歩いていたグループが休んでいる。雲林県の斗六からやってきたそうだ。彼らより先に出発する。道は、杉の人工林の中を進む。4.5kを過ぎてまもなく、木炭窯遺跡の脇を過ぎる。草藪の中を登り切り、11時54分新山集落の下端と思われる場所を過ぎる。段々状に平地があり、以前は家屋などがあったのだろう。周囲は濃い霧だ。雲の中に入ってきた。12時、5㎞地点の涼亭が現れる。右に新山国民小学校などの遺跡があるが、これは下山時に訪れることにしよう。

5K涼亭
鳥居の台座がのこる
10分ほどの休憩後、頂上を目指し進む。道はおおむね平らな道が続く。少し登ったところに、道の左右に土台のような石がそれぞれある。おそらく、新山神社の鳥居があった場所だろう。その少し先には、小高い所へ石段がつくら、その前には鳥居土台石がある。下山時に石段を登ってみると、果たして神社の土台と思われるものが小高いところにあった。戦後は、もちろん取り壊されたのだろうが、日本時代の遺跡である。

小さな谷間を超えていく
頂上前の涼亭、Tシャツ半ズボンのハイカーと対照的
5.5㎞キロポストを過ぎ、稜線を進む。笹の間を行く。6㎞を過ぎ、道は一度下り、小さな谷間を超えて登り返す。12時45分、涼亭が現れる。登山口で先に出発していた若い二人のハイカーがちょうどお湯を沸かしている。そのうちの一人はTシャツ半ズボンだ。気温はおそらく一桁台で、休みをとると寒いが、大したものだ。我々はジャケットと取り出して着るが、彼は寒くないそうだ。我々もここで昼食をとり、最後の急登に備える。温かいコーヒーがうれしい。
急坂を頂上へ目指す
馬崙山山頂
十数分の休憩後、登りを開始する。13時4分6.5kを過ぎる。最後の0.5㎞は急登だ。階段や梯子も現れる。途中、上から二人の登山者と一緒にクロが下ってきた。我々が途中で休んでいるとき、追い越していった二人についていったようだ。筆者を見かけると、人懐っこく近づいてくる。13時23分、馬崙山頂上(標高2305m)に到着する。濃い霧の中、風景はない。周囲は樹木もあり、もともとあまり展望がない。寒暖計は2度を示している。寒波がやってきているので、やはり寒い。3000m超の高山は雪になっているところもあるだろう。馬崙山から白姑大山へ行くことも可能だが、普通は反対側から登攀するのが公式登山道なので、こちらはほとんど歩かれていないようだ。
前方石段の奥に神社の土台が残る
新山小学校跡
日本時代の小学校教科書
10分足らずの滞在後、下山を開始する。慎重に急坂を下り、13時46分昼食ととった涼亭を過ぎる。途中、のぼってくる登山者数名とすれ違う。平らな道を新山遺跡へむかう。途中神社の石段を登って神社土台を確認する。新山集落後に近づくと、道に鉄パイプがある。以前は、これを使用して沢から水を引いていたものだ。14時18分、5㎞涼亭に戻る。脇の階段を登り、新山小学校跡を見る。説明パネルには、日本時代の教科書が載せられている。いちごつみというお話である。説明には昭和30年となっているが、併記されている西暦も1954年と正しくないので、おそらく民国30年(1941年)の間違いだろう。昭和30年は、すでに戦後である。小学校ができるぐらいだから、ここはかなり大規模な林業が営まれていたはずだ。

新山遺跡近くの道に残る水道管パイプ



林業が盛んなころは、現在の八仙山森林遊楽区からケーブルがここまで作らており、自分の足で登ることなく15分ぐらいでやって来れたそうだ。集落の主要な通りは300mもあり、その脇には住宅や商店が造られ、さながら小さな街があったとのこと。今はすべて消えさり、濃霧に包まれた森林のなかにたたずんでいる。遺跡見学を終え、14時30分ひき続き、山を下っていく。

斯可巴步道の桟道から谷間が見える
五葉松媽媽
歩きやすい道は、下山は軽快だ。ずんずん下っていく。木の根が現れているところは、滑らないように注意が必要だ。雨でぬれた木階段も同様に滑りやすい。14時49分、4kの涼亭にやってくる。しばし休憩する。15時24分、展望台の脇を通過。15時35分、新山歩道と斯可巴步道との分岐に来る。小休憩後、右に斯可巴步道を進む。ほぼ平らに道は進み、桟道と橋が現れる。ここからは、谷を挟んで対岸の東卯山が望める。すこし登りかえし下り始めると、16時五葉松媽媽と称される松の大木が現れる。ここからは、白毛山も望める。
民家脇から対岸の山を望む
満開の山桜
登山口までまだ標高差400mぐらいあり、これから先はずっと下りだ。16時19分、作業小屋のようは場所を通り過ぎる。その先分岐がある。左が通常の道のようだが、同じく下方で産業道路につながるので、右をとり進む。送電鉄塔の下を通り、16時27分、民家に出る。脇からは谷の対岸に山々が広がっている。そこから進むと、門が閉まっている。脇を乗り越えさらに下る。下っていくと、ツツジや山桜が見事に満開だ。赤い桜は、日本のピンクのソメイヨシノとは違う別の美しさだ。キャンプ地などの脇を行き、16時45分車をとめた登山口へ到着した。

行動時間7時間45分、距離は約15㎞である。標高差が1300mほどあるので、それなりに時間がかかる。道はとても良いので、助かる。困難度は山道クラス1.5、体力要求度3.5といったところだ。普段運動していない人だと、往復するのはつらいだろう。次回は、残っている谷關七雄の波津加山だ。下りに通り過ぎた民家脇から谷を挟んで見えていた。

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