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2016-02-12

2016年2月11日 貢寮大嶺古道 - 灣坑頭山 - 吾居吾墅步道 桃源谷を南北に横断

大嶺古道の龍文字石頭公
霧の灣坑頭山山頂
数年前にはじめて歩いた桃源谷は、草原が広がり海も見える、とても気持ちがよい場所だ。台北陽明山の擎天崗の草原と同じような山上に広がる草原で、放し飼いの牛もいる。森林が育たないのは、両方とも強い冬の季節風が関係している。石畳の登山道が完備し、多くのハイカーが訪れるのも同じだ。今回は、以前の石畳登山道による東西方向の縦走に対し、この桃源谷の最高峰灣坑頭山を、南北に越していく山行である。

北から南へ山並みを横断
緩やかな登りと急坂の下り
貢寮老街をぬけていく
今年の旧暦正月は2月8日が元日である。三日まで快晴の天気が続き、快適であった。今回の目的地東北角の山々は、冬の間季節風の影響で雨が多い。正月の好天が続くことを期待して、今回この地区を歩くことにした。しかし、好天は長続きせず、雨交じりの山歩きになった。大雨でなかったのは幸いだ。晴れていれば、海が望める雄大な景色が眼前に展開するが、濃霧で白い世界であった。そのため、見物に時間をかけることがなく、予定よりも早く下山した。

産業道路を左に五酒桶山方向へ進む
旧暦正月休暇であることもあり、常連のメンバーに加え初参加のメンバーもいる。今回は自分も含め六名のパーティーだ。台北を6時25分の台鉄区間電車で出発、7時50分、十数分の遅れで貢寮駅に到着。プラットフォームから見る桃源谷方向の山々は雲の中、地面も雨でぬれている。今日の天気は、あまり期待できないようだ。この駅を利用するのは、三年ぶりだ。改築され、すっかり新しくなっている。ハイキングコースとして人気の草嶺古道もここからスタートなので、利用客がけっこう多い。今日は、他に数名のハイカーが下車しただけだが。

大嶺古道入口
石壁坑山北峰にて
8時5分、小雨が降っているので傘をさしながら歩き始める。地下道をくぐって線路の反対側に出る。新しい赤く塗られたアーチ橋の脇の旧橋を渡り、貢寮老街を通り過ぎる。老街といっても、他のところに比べるとまったく賑やかさはない。老街を抜けて左に進み、山側に向けて産業道路を進む。根帝宮の廟脇で服装を調整する。遠くの山々が見えているのは幸いだ。橋を渡り、右に折れ道標が五酒桶山を示す方向へ左に曲がって進む。8時30分、左に細い道が分岐する。古道へ続くという道標がある。8時35分、大嶺古道入口に着く。

緩い登りの古道
近年台湾の登山熱が高まるに従い、交通機関の発展で見捨てられていた古道が再び歩き始められている。以前の生活のためではなく、登山などのリクリエーションとしてである。草に埋もれ踏み後も消え去りかけた古道は、多くはボランティア登山者が整理しているが、この大嶺古道は少し違う。鉄道員だったこの地の盧國松さんが退職後、かつて貢寮龍崗の住人が貢寮の街との往来に歩いていたこの古道の整理をはじめ、それに共鳴した地元住民が生態生活促進會を設立、今のように整備を完了したものだ。単に歩けるようにしただけでなく、沿路には石に動物など様々な図案を刻み、記念碑なども建てられている。

展望台からの眺め
古道の思いが刻まれた石碑
入口で少しの休憩後、古道を歩き始める。道には石板を使った階段が造られ、歩きやすくなっている。雨でぬれた道でも、滑らない。坂道が終わり、緩やかになったその左わきに、草の中に細い道が登っていく。これを取り登る。登ったところは、石壁坑山北峰(標高125m)である。すぐ下に古道が行く。古道に降りさらに登っていく。土の道で、古道の趣があふれる。9時、登山口から約20分で展望台に出る。石碑には、古道に対する思いを記した文章が刻まれている。展望台からは、朝の出発点貢寮の赤いアーチ橋や福隆の海岸が望める。

舗装部分と土地公の祠
道脇の岩に刻まれた鳥の図
展望台からほんの1,2分で産業道路に合流する。道脇にはコーヒーの樹が栽培れ、コーヒーの実がついている。舗装された道を進むと土地公の祠がある。舗装はここで切れて、また幅の広い土の道が始まる。桂竹林の中をゆっくり登っていく。道脇の大岩には、文字や動物の絵などが刻まれている。土地公から少し急な坂を上り10数分やってくる。道はまた緩やかになり、幅のひろい気持ちのよい部分が続く。左遠くには、これから行く目的地、灣坑頭山が見え隠れする。9時39分、龍の文字が刻まれた石頭公に来る。これで古道は終わりである。近くの草嶺古道には虎の文字が刻まれた石があるが、それを念頭に刻んだものだろう。舗装路の始まり部分で休憩する。

五酒桶山山頂
この分岐を直進、間違いに気づき戻って左に進む
五酒桶山に向けて、急坂を登り始める。ここからは、細い山道になる。ジグザグに登っていく。数分で稜線上の分岐につき、右に山頂へ向けて登る。9時58分、五酒桶山(標高386m)に到着する。広い頂上は、周囲は樹木に囲まれているが、木々の間から遠くが見える。貢寮の山の向こうは、おそらく龍洞あたりと思われる、海岸線が望める。写真を撮った後下る。ここからは、稜線を進む。稜線上の道は、あまり歩かれていないようで踏跡は細い。数分で鞍部rにつく。左に道が進むが、直進できる道もある。直進し下っていくがどうも様子がおかしい。そこで分岐まで戻り、左に下る道を進む。こちらが正しかった。少し下った後、分岐を右にとり進む。10時33分、山道が終わり民家の脇で舗装路に出る。

産業道路わきから見る遠くの山々、一番奥の山は五分山か
五叉路、反射鏡わきの土の道を進む
舗装路を進む。右の畑からは、遠くの山々が望める。一番遠くに見えるのは、平溪五分山のようだ。産業道路を灣坑頭山の方向へ進む。こちらの山並みは雲に覆われ稜線が見えない。産業道路は先に登ぼったあと、下り始めてしばらく行くと、10時50分五叉路に来る。ここで少し休憩する。灣坑頭山へは、細い土の道である。入口には、人腦聖地という道標もある。幅の広い道には、牛が出てくるのを防ぐための策も現れる。右に有刺鉄線の柵が続く。おそらく先ほどの人腦聖地とされる敷地との境界だろう。森のなかを進んでいく。11時20分、また牛を止めるための有刺鉄線の囲いがあらわる。これを越して中に入る。

有刺鉄線の柵を過ぎる
濃霧の草原を行く、前方に稜線が見えた
下草の道を数分行く。森から出て草原が現れる。桃源谷の草原の末端のようだ。道も牛が歩いたことがわかる。風が強く吹き付けてくる。ここから先、稜線へは草原でさえぎる樹木がない。ジャケットを取り出し着こむ。霧が濃く、ここからは方向に注意が必要だ。草むらの間には、踏跡はなくどちらにも進める。地図と方向に注意を払い、坂を上っていく。そのうち、遠くから人声が聞こえてくる。稜線の石畳道を行くハイカーだ。11時44分、矢竹の切れ目から石畳道に飛び出る。これでひと安心だ。

濃霧の石畳稜線道を行く、子連れハイカーとすれ違う
頂上近くの吾居吾墅步道入口
稜線道は左にとり、登っていく。濃霧だが、子供ずれも含め、多くのハイカーとすれ違う。11時55分、灣坑頭山(標高616m)に到着。周囲はすべて霧、何も見えない。風も強く吹き抜けていく。写真を撮った後は、すぐ下り始める。少し下ったところに、右へ大里へ直接下っていく吾居吾墅歩道が始まる。数年前には、道しるべもなく単に踏跡が矢竹の間に入っていっただけだが、今はしっかり整備されている。大里駅前にある吾居吾墅民宿の主が、この道を整備しているとのことだ。道標には、大里駅へ2㎞とある。

急坂を下る
矢竹はしっかり刈れて、道幅も広い。ただ、非常に急坂で足元には注意が必要だ。急坂が緩やかになり、枝尾根上を進む。12時20分、木々の間で風もない平らな場所で昼食休憩を取る。20分ほどの休憩後、下り始める。すぐに展望台に来る。晴れていれば、海が前方に広がり、背後には灣坑頭山の山並みが続くはずだが、今日は想像するしかない。展望台のすぐ下で、右に大里簡山北峰への道を分岐する。こちらの道も、海際に降りられる。ここからまた、急坂が続く。ただ、補助ロープもしっかり張られていて助かる。

補助ロープの下り


13時過ぎ、硬漢嶺の表示を見る。ここが吾居吾墅道の中間点のようだ。濃かった霧も今はない。上部の雲に覆われた部分を抜け出たようだ。その少し先、展望が開ける。眼下には海岸線がつらない、すぐ下は大里駅だ。更に数分下ると、展望台への分岐がある。少し進むと、そこからも広い展望ができる。沖あいには龜山島が雲とかぶって海に浮かんでいる。分岐に戻り引き続き下る。沢を渡る。その少し先、大里駅まで500mの標識を過ぎる。13時40分、好漢坡(男坂というような意味)の標識を見る。更に下ること5分、森からでて目の前には展望が広がる。下りきり13時50分、この道の名前である吾居吾墅民宿脇に出る。これで下りは終わりだ。濱海公路を横切り大里駅に到着した。

展望が開けた
龜山島も見える
吾居吾墅民宿
今回はあまり休憩をとっていないが、休憩込みの所要時間は約5時間50分、距離約13㎞である。当初の予定より、かなり早く終了した。足並みのそろっていることや、風景が見れずにほとんど歩きに終了したこともあるが、結局はそれほど大変なルートではなかったということだ。困難度は、天気がよければ山道クラス3、体力もクラス3である。今回のような濃霧であると、灣坑頭山下の草原歩きは方向を見失うことがないように注意が必要だ。

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