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畢祿山からの望む合歡山群峰(左から東峰、主峰、北峰) |
今年最後の台湾3000m山行として、
畢祿山-羊頭山の縦走を計画した。この山行は、前日に登山口に泊まれば翌日から丸二日をかけて縦走ができる。そのため三日間の行動を予定した。第一日朝から出かければ、途中合歡山の山を登ることができる。合歡山群の中でも主峰(標高3417m)、東峰(3421m)および石門山(3237m)は、14甲公路のわきから簡単に登れるし、入山・入園許可の申請もいらない。そこで、この三山を登りその晩に大禹嶺に泊まる計画を立てた。
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三日の登山対象 |
合歡山は付近の山々に比べるとずっとなだらかで、玉山箭竹(矢竹)がおおう草原の山だ。台湾で自動車道路としては最高点の武嶺を通過する14甲公路が近くを通る。中央山脈が宜蘭の蘭陽平野の南端から立ち上がり、南湖大山から3000m峰として続き、畢祿山でいったん低くなる。その西側にちょうど逆「コ」の字のように合歡山が連なる。東側から見ると、この峰々に囲まれたポケットのような谷がある。冬に東北季節風が強まり寒気と水分が十分だと雪が降るが、この地形のために合歡山は積雪がある。今はすでに廃棄されて久しいが、スキー場がここにあった。
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合歡山の山腹を行く14甲公路 |
武嶺は日本時代には佐久間峠と呼ばれた。この佐久間は第五代台湾総督佐久間佐馬太の佐久間である。佐久間佐馬太が推し進めた原住民を帰順させる理蕃政策を実施するなか、頑強な太魯閣族を落とすため、山側から太魯閣への攻撃を仕掛けた。その事前作業として、軍事目的で開かれた道が現在の14甲路の前身である。その頃は、もちろんまだ自動車道ではない。
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今回の登山メンバー、主峰の登山道にて |
一見穏やかに見える合歡山は、実は台湾山岳史上最多の遭難者を出している山でもある。野呂寧事件ともいわれるこの遭難事故は、上記の太魯閣族への理蕃政策を推し進めるため、1913年3月地理調査や太魯閣族偵察のために野呂寧が率いる調査隊が合歡山へ登った。山上で露営をするが、天候が悪化、雪と低温のため装備服装が不十分だった荷担ぎの人足を中心に、89人が凍死した。状況判断を誤った結果で、日本の八甲田雪中行軍遭難事件を思い出させる。
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合歡山主峰 |
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主峰歩行高度プロファイル |
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守城大山をみて第6高速道路を行く |
小雨の降る台北を6時半に出発する。今回は、三日の山行である。もともとは7名のパーティが直前に二名が退出、高山シャトルサービスでなくメンバー一人が提供する車でいくことになった。南に向かい進むにつれ、天候が回復。台中では青空が広がっている。天気予報でも今日はあまり期待できない天気だが、どうやら期待以上の好天が望めそうだ。
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武嶺駐車場、前方の山は合歡山東峰 |
埔里を見下ろす守成大山を前方に見て第6号高速道路を進み、9時40分、第14号公路に降りる。ここで一休みする。14号公路を霧社へ進み14号甲公路を登る。6月に奇萊山に登った以来だ。清境農場を通り過ぎ、11時半武嶺に到着する。雨か霧だろうと思っていた山は、雲量は多いものの良い天気だ。奇萊山は霧に見え隠れしているが、合歡山群はみなしっかり見える。
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駐車場から直接進む |
支度をして駐車場の脇から合歡山主峰を登り始める。第14号甲公路を少し下ったところにも登山道がある。登山道はすべて草原の道、行く先がすべて見渡せる。子尾根上を行く道は、十数分で左からコンクリ舗装の別の登山道と合わさる。ここは、以前は軍事的な目的で使われていたので、その時の名残だ。今はないが、そのころは車両も通過していた。山腹を行く道からは、すぐ右に東峰、その後ろには屏風山から始まる奇萊北峰から主峰へと連なる稜線が座っている。緑の東峰にくらべ奇萊連峰は黒っぽく見え、黑色奇萊と呼ばれるのもうなづける。
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最後の階段道を登る、前方に東峰とその背後に黒っぽい屏風山から奇萊北峰への稜線 |
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主峰頂上の筆者 |
緩いコンクリ舗装道は、ゆっくり十数分歩くとと道脇にトーチカをみて、左に階段道がある。これを上り詰めると通信鉄塔のある、ひろい頂上(標高3417m)に着く。12時6分、標高差200m約35分の登りである。周囲360度の展望ができる。車でやってきた埔里の方向には、合歡山南峰、そのさら向こうには中央山脈南部、反対側には北峰から西峰へと続く草原の稜線がある。その先遠くは、雪山山脈だ。明日登る予定の畢祿山-羊頭山は残念ながら頂上は雲の中だ。しかし、ガスで何も見えないかと思っていたので、この展望で十分満足だ。
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南から西方向のパノラマ |
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北方向のパノラマ |
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頂上の様子 |
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東峰から見る主峰 |
20分ほど過ごした後、往路を下る。登ってくるハイカーは、軽装が多い。ここは、他の高山のような装備も準備もいらない。一時間で往復できる最も身近な3000m峰である。もちろん天候が悪ければ、話はべつだが。13時に駐車場に戻り、車で少し下って合歡山ビジターセンターの駐車場へ行く。車のなかで昼食をとる。
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合歡山東峰
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合歡山東峰 |
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東峰歩行高度プロファイル |
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東峰登山口 |
13時半、東峰へ向けて歩き始める。14号甲公路を横ぎり、松雪樓へ進む。松雪樓の脇を回り込むと、東峰登山口が現れる。左から滑雪山莊から上ってくる道を合わせる。下れば、奇萊山登山口だ。ススキの間の道を少し進むと、枕木階段が始まる。そして間もなく地面から浮かした木製階段の道が続く。矢竹保護のためのようだ。ほとんど空身だが、東峰は傾斜が大きいので、主峰に比べると登りはつらい。
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背後に畢祿山をみて登る |
天候がよいので、振り返ると背後には大パノラマが広がる。さきほどは雲のなかだった畢祿山,鋸山連山が谷の向こうにある。その右は屏風山から始まる奇萊北峰が近い。13時59分、路程500mのマーカーを過ぎる。約30年前まで使用されていた、スキー用リフトの上部機械建物は、今は廃墟である。その上で、一部土の道が現れる。道は左におれ、14時24分、はじめのピーク着く。頂上は一度少し下り登り返したところだ。ガスが発生して、周囲は展望ができない。14時27分、頂上(標高3421m)に到着する。
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廃棄スキーリフト上部機器建物と遠方の山並み |
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東峰山頂 |
青空が見え始めたので頂上にしばらくいると、果たして霧がきれてまた大展望が現れる。先ほど登った主峰がすぐ向こうにある。先ほどのもう一つのピークに戻ると北峰がはっきり見える。その手前の14甲公路の脇に山道が見える低い山はこの後登る石門山だ。14時45分、下り始める。往路を下り、15時10分に登山口に着く。駐車場へ戻り、車で14甲公路を下り始める。
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頂上からもう一つのピーク方向を見る、左の山は合歡山北峰 |
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石門山
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石門山 |
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石門山北面のザレ場を登る |
車で右に石門山をみて下っていく。正式登山口を過ぎてさらに進む。途中に矢竹の間に登り口が開いている。右の石門山の山腹の終わりを過ぎ少し行って、道幅が広い場所で車を停める。道の左側にある石門山北峰の登山口をすぎてまもなくの場所だ。15時21分、車から降りて石門山方向へ戻る。左の山腹部分に、薄い踏み跡のようなものがある。もともと、もう少しもどり登ろうかと考えたが、メンバーはここから上れそうだとの意見。それに従い、ザレの斜面を登る。
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石門山頂上から北側を見る |
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石門山を下る、前方は合歡山東峰 |
ザレ場を過ぎると矢竹の草原となる。これを突っ切ると山道が現れる。登り始めて15分で石門山頂上(標高3237m)に着く。広い頂上からは、360度の展望が可能だ。西側は、石門山より高い合歡山主峰があるのでその先は見えないが、反対側は展望が開けている。頭に雲をかぶっているが、南湖大山が遠くに望める。今日は、本当に予想より良い天気でラッキーだ。
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松雪樓わきから見る石門山 |
15時47分、登ってきたとは反対の南側に山道を進む。数分で右に下る道をとる。まもなく車道に降り立ち、右へ車に戻る。30分足らずの歩きで、百岳の一つを登頂した。14号甲公路をさらに下り、小風口を通り過ぎ、20数分で今日の宿泊地大禹嶺の民宿に到着した。
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午後だけで三山を登ったわけだ。この三山は実に身近な3000m峰である。誰でも登れる。もちろん冬や天候が悪い時は、やはり3000m峰の自然の厳しさがあるのは忘れてはならない。実際、冒頭で述べたように台湾山岳史最大の遭難は、ここで起きている。
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