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2015-05-20

2015年5月14日 東北角隆嶺古道-福隆山-草嶺古道 海を見ながら草原の稜線を歩く

桶盤堀東峰への草原稜線道から大湖山を振り返る
台湾の山岳地帯を形成する二大山脈、雪山山脈と中央山脈のうち、より北側に位置する雪山山脈の最北端は、三貂角岬で海に落ちる。200年前に開かれた台北と宜蘭をつなぐ淡蘭古街道の一部、ハイキングコースで有名な草嶺古道は雪山山脈の北端近くを横切って行く。草嶺古道の北部から三貂角の間にも、山を越えて行く峠越えの道があり、稜線上にいくつかのピークが連なる。草嶺古道の付近がそうであるように、これらの稜線も草原が多く現れる。海を見ながら草原を歩く、とても気持ちのよい山道である。
北側の福隆駅から歩き、南の大里駅へ山を越える
歩行高度表
台湾東北端になる今回の登山山域
草嶺と古道桃源谷の間には、石畳のよい歩道が設けられ人気コースである。一方、埡口から北の部分は牛も歩く土の道である。草原部分は、天気の良い時は問題ないが霧が発生すると、方向を見失いやすい。今回は、夏が訪れて暑くなる前に、日陰のない草原の道を歩いた。福隆駅から歩き始め、産業道路を隆嶺古道へつなぎ、峠からは稜線を追って福隆山へ登った。そこから草原稜線を南西方向へ、大湖山、桶盤堀東峰、桶盤堀尖を越えて埡口へ縦走した。下山は峠埡口から草嶺古道を大里へ下った。

吉次茂七郎記念碑
日本は1895年に台湾を接収してから、殖産のため社会資本を整備していった。重要な鉄道も台北から宜蘭に伸びていった。路線建設で困難だったのは、瑞芳から雙溪の間の三貂嶺と今回歩いた峰々を貫くトンネル工事であった。前者は三貂嶺隧道、後者は草嶺隧道である。両方とも長いトンネルであり当時としては大工事である。二つのトンネル工事の総監督は吉次茂七郎が当たった。工事半ばでマラリアにより草嶺隧道の完成を見ずに、その前年1923年に亡くなった。完工後吉次茂七郎の死を悼んで、トンネル近くに石碑が建てられた。本来の単線用トンネルは、現在平行する複線トンネルが取って代わり、今はサイクリング道の一部として使用されている。隆嶺古道へ向かう途中にトンネルや石碑を通り過ぎた。戦後、日本統治時代の名残は壊されたり傷つけられたりしたが、石碑は住民が保護したということである。吉次茂七郎は地元民に認められた日本人技師であった。

草嶺隧道の記念公園、左側に吉次茂七郎の石碑がある
旧草嶺隧道北入口、今はサンクリングロードの一部である
今回の参加者5名は、自強号急行列車に各自最寄りの駅で乗車、福隆駅で合流する。筆車は台北駅で7時半に乗車した。急行列車であるが、福隆駅までは悠遊卡(プリペイドカード)で乗車できるので便利だ。基本は指定席だが、空いていれば座っていける。平日は、大概問題ない。8時45分、福隆駅に到着。福隆は海水浴場で有名だ。8時55分、線路沿いの道を歩き始める。

産業道路を隆嶺古道へ進む、前方に福隆山の稜線
空は晴れ渡り、日差しはすでにとても強い。前方には隆隆山など、これから向かう隆嶺古道よりも更に北にある山々が座っている。線路下をくぐり、川にそってしばらく進む。平日だがサイクリングを楽しでいる人もいる。9時20分、線路を陸橋で渡る。その先は吉次茂七郎の石碑や鉄道をテーマにした小公園が現れる。旧草嶺トンネルはその少し先である。公園から更に車道を進む。すぐ右に道が別れる。この道を進む。坂がきつくなる。10分ほど沢沿いに登ってくる。左に心斎橋が沢を越す。隆嶺古道はこの橋を渡ったところから始まると記してある。事前のネット上の情報では、道の状態はよくないということで、そのまま産業道路を進む。前方に隆嶺古道の峠部分も望める。9時51分、左に沢から登ってくる山道がある。隆嶺古道だ。新しい藍天隊の道標もある。知らなかったが、藍天隊によって整理されたようで、先ほどの心斎橋から歩いてきても問題なかったようだ。産業道路を更に二、三分歩き、右に古道の入口を見る。数分間休憩する。
隆嶺古道の峠、水頭土地公の祠が見える
峠近くから見る海岸側
元の姿に戻された土地公祠
草嶺古道に比べれば、ずっと原始的な道であるが、よく歩かれているようで状態は悪くない。少し行くと棚田跡と思われる場所を過ぎる。ゆるい坂は約10分ほどで峠に着く。苔に覆われた土地公祠があるが、中に神像はない。水頭土地公という説明がある。ネット資料によれば祠はバラバラになっていたものを、土地の人の力でもとの姿に戻されたということである。峠は、稜線上を行く山道との十字路でもある。海側に少し入ると、展望ができる。こちら側は山が切り立っており、急斜面で海に落ちていく。龜山島が海に浮かんでいる。だいぶ北になるこの地点からだと、より海に浮かぶ亀の様相がはっきりする。

福隆山への登りで振り返り見る石城山から北の峰々
福隆山すぐ下の木陰で休憩
峠からは南に稜線道を歩き始める。すぐに急坂となる。補助ロープも張られている。約20分の急登のあと、道はゆるやかになり草原にでる。振り返れば、石城山から隆隆山への稜線と、ゆるい斜面が広がっている。また森の中に入り、すこし進み10時50分、福隆山頂上(標高473m)に着く。頂上は北側がひらけて展望が望める。日差しが強いので、すぐ下の木陰のところで休憩を取る。最近急に暑くなったので、体がまだ慣れないせいか、急登は少しつらかった。

大湖山への登りから見る福隆山
大湖(堀)山頂上の筆者
十数分の休憩後大湖山を目指す。少し下り、また登り返す。すぐに草の中の道になる。11時15分、大湖山山頂(標高489m)につく。今日の行程中最高点である。周囲は低い草で展望がきく。最近草刈りがされたようで、刈られた草が残っている。前方には、これから進む山並みや、その更に奥には草嶺山などが望める。すこし雲がでてきたようで、さらに南側の峰の頂上は見えない。ただ、この先はずっと草原の道なので、強い日差しの下で歩くよりは、薄曇りのほうが楽である。風も吹いている。下っていくと、矢竹の中を進む。ここもしっかり草刈りがされて、道は歩きやすい。矢竹が雑木林に換わり坂道をほぼ下りきると、左に牛が水浴びをする水たまりがある。そのすぐ下は、龜媽坑古道の峠十字路である。11時40分、少し休憩する。

草の道を下る、前方には桶盤堀東峰などこれから縦走する峰々
まだ新しい藍天隊の道標
稜線から海を見る、遠くに亀山島が浮かぶ
稜線から山側を望む、遠くに福隆の街、さらに遠くには瑞芳の山々
桶盤堀東峰頂上
森の中の登りはすぐ草原に出る。前方に桶盤堀東峰が見える。草原の道は、踏跡がはっきりしないのでところどころに見える標識リボンを頼りに進む。霧がかかったらこの辺りは迷いやすい。左に海と遠方に龜山島、右は貢寮から福隆の谷間、そしてその奥遠くには瑞芳の燦光寮山や草山が望める。途中、牛を崖側に出さいないための鉄線柵をくぐり登っていく。12時18分、桶盤堀東峰頂上(標高440m)に到着。360度の展望ができる山頂だ。食事休憩を取る。

草原稜線を行く、踏跡ははっきりしない
桶盤堀山頂上
30分ほどの休憩後、最後のピーク桶盤堀山へ歩き始める。振り返れば、越えてきた大湖山の頂上は雲がかかっている。一旦少しくだり、登り返す。途中の小ピークは、海側山腹を巻いていく。13時6分、桶盤堀山(標高431m)に到着する。海側は展望があるが、その他は灌木で視線が遮られてて展望はない。思っていたより早く到着する。隆嶺古道鞍部からの稜線道は途中の休憩も含めて3時間の歩きである。草原の道は曇り空であったので、快適であった。

草原にでて最後の登りを行く、後方は歩いてきた稜線
埡口へ向けて下り始める。すぐに右へ遠望坑保線路を分ける。左に道を下る。森の中の道は山側の山腹を進む。牛も歩く道は、ところどころ踏み込まれてドロドロだ。頂上から約20分で、突然草原の斜面に出る。斜面を道沿いに進み、左に登る。上がったところは大里とその先の海が広がる。反対側の斜面の下りきれば、埡口へ続く車道に降り立つ。右に少し進み、13時42分埡口の峠に着く。少し福隆側に歩き、虎字牌へ下る。そこで休憩を取る。

大里方向が下に見える
峠埡口のテラス部分
14時、大里へ向けて下り始める。峠部分へ戻り、石畳の古道を下る。稜線ではまったく他の登山者と出会わなかったが、ここからは人気ハイキングコースだ。平日でも登山者が多い。車道を数度横切り、14時23分、古道驛站へ着く。車両進入禁止の車道は、平日はOKなのか自家用車が停まっている。更に古道をを進み、古道入口からは車道を歩く。14時47分、石柱がならぶ水場で顔を洗う。焼香の絶えない慶雲宮とビジターセンターの前を通り過ぎ、大里駅へ向かう。15時3分駅に到着、15時11分の区間電車で台北に戻った。

慶雲宮の屋根越しに龜山島を遠望する
休憩込みでの活動時間6時間10分、歩行距離は約11.5kmである。海を見ながら草原道を歩くのは実に爽快だ。これから夏になると、日差しが強く草原道はつらい。春や秋に訪れることを勧める。今回は、牛の糞は見たものの牛そのものには出会わなかった。しかし、放し飼いの牛はいるので、もし出会ったら近づかないことだ。道の程度はクラス3、体力的にもクラス3である。

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