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2026-02-27

2026年2月10日 基隆獅球嶺砲台+劉銘傳隧道 基隆港を望む気楽なハイキング

劉銘傳(獅球嶺)隧道北ポータル
基隆は、海が山に迫る港町である。狭い海岸から後ろにぐるっと港を囲む山の斜面に多くの建物が立つ。その昔は、重要な港である基隆を守るための砲台が山上に多く作られていた。筆者は、今までそれら砲台遺跡を数回に分けて訪れている。最近では2年前に砲台だけでなく、関連する史跡などを含む訪問をした。今回の獅球嶺砲台は、2020年に一度訪れているので、再訪となる。ただ、今回は砲台というよりは、そのちょうど下に清朝時代末期に敷設された鉄道のトンネルが、基隆市政府によって整備開放されたことを受けての行動というのが、メインである。

日本の1895年台湾接収前の清朝統治末期に、台湾に鉄道が敷設された。当時の臺灣巡撫(総督に相当)劉銘傳のもと、1888年に着工し1890年8月に完工した。基隆から台北、そして台北から新竹までの区間である。工事は、日本の鉄道と同じに外国人の指導のもとの行われた。今回訪れた劉銘傳隧道と呼ばれるトンネルは、この鉄道が獅球嶺の下を貫いていく235メートルの隧道である。当時としては、大工事であり、台湾初めての鉄道トンネルである。軌条は日本と同じ1067㎜で、8台の機関車がドイツとイギリスから輸入された。そのうちの一号機騰雲號は、現在台湾228記念公園内に保存展示されている。

劉銘傳隧道の真上獅球嶺西砲台から見る基隆港町
当初のルートは、後に日本時代にその一部が変更される。勾配が急すぎる或いはカーブがきつすぎる、また橋が何度も使用不能になるなど、不都合があったためである。獅球嶺隧道もその一つであり、1898年に並行する場所に竹仔嶺隧道が開通し、わずか10年足らずでその使命を終えた。廃棄された隧道は、戦後軍用地区にかかるため、一般人のアクセスが制限された。その後2003年、その歴史的価値から修復一般公開されたが、その後安全性に問題があり、閉鎖され修復工事が行われ、2023年に再度予約制で解放された。そして昨年に予約がいらない一般公開となった。今回訪れたのは、まさにこの機会を利用してのものだ。実際に訪れると、今は自動車道となっているトンネルへのアプローチ軌条跡は、かなりの勾配で当時の非力の機関車では、どれだけの車両を持ち上げられたのかと、疑問が起こる。

南側八堵から北へ歩く
今回歩いたルートの稜線部分は、数年間に一度歩いている。その時は、もう一つの重要な砲台跡である大武嶺まで11㎞強の縦走であったが、今回は気楽に山上でお茶やコーヒーを楽しむハイキングとして訪れた。平日であったが、天気がよく多くの遊楽客がトンネルやその付近の山道を歩いていた。獅球嶺へは、6年前の時とは異なり八堵駅から歩いたが、予定していた三角洲嶺への登山口が、大きな住宅開発ためになくなっていて、遠回りを強いられた。

トンネル南口側
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天気予報を参考に決めた今日は、まさに良い天気である。台北駅を8時過ぎの区間電車で向かう。平日の通勤電車は汐科駅まで来ると、ほとんど乗客が下車し車内はがらんとする。9時少し前に八堵駅で下車する。筆者はこの駅を利用するのはまれだ。9時10分、交通量の多い台五線公路を歩き始める。すぐに左に228八堵站罹難員工紀念碑を見る。その昔、国民党が台湾で統治を初めて間もないころ起きた、228事件の一つで駅で1946年3月に作業中の職員が国民党軍隊に殺害また別途処刑された事件である。この記念碑は1994年に建立された。昔はタブー視されていた228事件について、国民全体に歴史的評価が固まり、こうした反省や認識を促すものができていった。台湾政治の民主化を示す一つの事例である。

八堵駅わきの228紀念碑
五分山が見える
橋を渡り進む。橋の右(東)側には、五分山のシルエットが朝陽に浮かぶ。左に國安路に入り登り気味に行く。本来あるはずの三角洲嶺への登山口は、大型の住宅開発でなくなってしまっていた。仕方がないので、國安路をさらに進んで八德路87巷の奥にある登山口から登ることにする。ちょっと遠回りになってしまった。第一高速道路ジャンクション近くで右に港口橋を渡り、左に五十人公祠を見る。この廟は、開拓当時に次々と病死した先住者を祭るものだそうだ。その先左に路地に入り、高速道路へのアプローチ道の下をくぐる。

國安路上の三角洲嶺登山口は住宅開発でなくなってしまった
港口橋を渡る
五十人公祠
山の斜面にある住宅の間を行く
基隆は山に囲まれているので平地が少ない。ここも山の斜面に家が建てられいる。その間の道を詰め、階段山道になる。ステンレス手すりのある階段道を登ること約10分、右に三角洲嶺からの道を見て、9時52分濟公廟についた。歩いてきた山道は、この廟の参道でもあったわけだ。廟のすぐ背後が三角洲嶺北峰山頂(115m)である。山道を進む。10時10分、涼亭がある。小休憩をとる。




手すりの階段道を登る
三角洲嶺からの道
濟公廟
三角洲嶺北峰山頂からの西側を見る、遠くに陽明山系が見える
涼亭
涼亭から少し行くと、前方に大きな七福神のひとり福禄寿像が立っている。獅球長壽公園の一角に入ってきた。広い公園は、寒緋櫻もさいていて明るく気持ちが良い。公園から運動場や廟などを見て数分いくと、獅球嶺中央砲台が現れた。2020年2月に訪れた場所だ。その時と変わっていない。砲台からいったん下り、その先樂觀亭を通り過ぎる。多くの遊楽客が休んでいる。平日だが、劉銘傳隧道と合わせて訪れる遊楽客が多くなったようだ。
獅球長壽公園の一角、左の福禄寿像わき階段から降りてきた
獅球嶺中央砲台上から見る基隆港
獅球嶺中央砲台遺跡
樂觀亭
道脇の獅球嶺北峰三角点
稜線道を進む。前回訪れた5年前と比べると、樂觀亭も含めて大きく改修されてよいハイキング道になっている。鞍部で左に劉銘傳隧道への道を分け、登り返して10時54分、獅球嶺西砲台(標高120m)についた。また下って鞍部の分岐を過ぎ、紅龍山への尾根道をいく。多くの遊楽客はこの先は来ないようだ。その先の廃棄トーチカにちょっと立ち寄る。




整備された登山道
5年前の同地点
西砲台遺跡
紅龍山へ尾根道分岐
尾根道に戻り、右の開けた場所から港街を見下ろしながら進み、11時17分丘の上の小公園についた。ここには広場や(休業中の)図書館、そして立派な休憩所がある。ほかに誰もおらず、今日は我々が独り占めだ。ここで長く昼食休憩をとる。持ってきたガスバーナーを取り出し、お湯を沸かしお茶屋やコーヒーでくつろぐ。
右に港町を見下ろし進む
山上の公園、奥の小屋で休憩
小屋の内部
代天府廟わきに降りる
12時50分過ぎ、往路を少し戻り代天府廟の脇に降りる。さらに下って崇德路へ降り、右に曲がって登り、すぐに劉銘傳隧道北入口についた。ここも遊楽客が多い。トンネルにアプローチする崇德路は、その昔は軌道道床であった。勾配がかなりきつく、当時の非力な機関車では相当大変だっただろう。新たにトンネルが開かれたのもうなずける。修復整備されたトンネルは、多くの解説板が設置され、明るい照明で歩きやすい。トンネル両端から掘り進めたトンネルでは、接点で大きな上下差があったため、トンネルの天井にも差がある。トンネルの上部は、先ほどの獅球嶺西砲である。
トンネル北入口、左の建物は案内所
トンネル内部説明板
ゆっくりとトンネルを進み、10分ほどで南口へ出る。その先は、軍事用地なので左に階段道を登っていく。登りつくと、午前中に通り過ぎた稜線道の分岐だ。右へ道をとり、13時半過ぎ樂觀亭につき、休憩する。今の時間は、遊楽客が少なくなっていた。ここは第一高速の真上になり、基隆港道を俯瞰できる。沖には基隆嶼が浮かぶ。
トンネル内部効果照明
トンネル南ポータル
軍事基地脇の道を尾根に戻る
尾根上の分岐、右へ進む
樂觀亭
樂觀亭からのパノラマ
中央砲台跡の前で左に取る
十数分の休憩のあと、獅球嶺中央砲台へ戻り左に道をとる。山腹道を進み、分岐から右へ獅球嶺東砲台へと登る。この道も以前より良くなっている。砲台がある獅球嶺山は150mとちょっと小高い。草木が刈り取られ、今ではガジュマル樹が絡む砲台遺跡は、アンコールワットを連想させ、吳哥窟と名付けられているようだ。往路を戻り、分岐からさらに尾根を進む。14時20分、涼亭のある分岐から右へさらに尾根を追っていく。

この分岐を右に東砲台遺跡へ登る
アンコールワットを彷彿させる東砲台遺跡前で
左奥に東砲台遺跡がある獅球嶺山から下ってきた
涼亭のある分岐は直進して細い道に入る
廃棄トーチカ
細くなった尾根道は歩く人がぐっと少なく、二か所の廃棄トーチカを過ぎると、左に大きく急な道が続く。ロープなどなく、頼りない踏み跡を慎重に下る。14時40分、ひょこりと金色の仏像脇に出る。ここからはしっかりした道が始まり、やがて住宅地に降りる。下りきって、14時50分三坑駅に着いた。14時58分にやって来た区間電車で台北へ帰った。




ロープなしの急坂
道なき道を下る
金色の仏像脇に出た
三坑駅に到着

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距離7㎞、累計登攀340m、休憩2時間ほどを含んで所要時間5時間40分である。コース定数は12となる。歴史遺跡を巡る好天のゆっくりハイキングであった。
1887年騰雲號機関車



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