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二沙灣東砲台大砲 |
基隆港は、台湾の歴史上重要な港であり、経済上軍事上大きな役割を果たしてきた。港は、どの国にとっても重要な軍事拠点であり、島国台湾にとっては死活問題の要点である。そのため、港の周囲には砲台が設けられ、守ってきた。現代の戦略では、港を守るのはもはや大砲だけでは不可能であり、当然砲台の役割も減少した。したがって、基隆周辺の砲台は廃棄された。しかし、歴史遺跡として観光資源或いは文化教育面での用途を見直され、手入され大衆に開放されている。数が多く、すでに取り壊されたり、また草木に囲まれ自然に帰ってしまったものもあるが、今回訪れた砲台遺跡は、大掛かりな復旧が行われたものから、登山者が自主的に訪れ道を開いたものまで、都合4カ所を訪れた。
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和平島から基隆駅まで歩く |
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基隆港周辺の主要砲台遺跡位置(赤〇) |
筆者は、いままで基隆周辺の砲台遺跡は何度か訪れている。
獅球嶺、白米甕、大武嶺、槓子寮、四腳亭など、基隆港を囲む三方の山のうち、東岸の物をのぞいて訪れた。今回は、その残った東岸の砲台遺跡を巡るハイキングである。そして、砲台巡りの途中には日本時代の北部最大司令部であった建物施設や、北白川宮親王能久記念碑遺跡など、日本統治時代の史跡も訪れた。基隆は、雨の街で東北季節風の影響を受ける冬は雨模様が多いが、今回は良い天気で尚且つ冷気が海上に入ったためだろう、海面は霧がたちこめ、幻想的な風景にも出会った。 |
@要塞司令部 |
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基隆駅前から101番バスで和平島へ向かう |
基隆駅の周辺は大きな再開発が行われ、10数年前とは全く異なる容貌を呈している。旧駅舎はなくなり、近代的な建物に換わっている。9時に南口前の広場に集合した。区間電車やバスでやってくる、或いは地元からのメンバーも参加し、21名が集まった。駅から基隆市バスのターミナルへ向かい、ほどなくやってきた101番バスで、目的地阿拉寶灣へと向かう。
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終点阿拉寶灣バス停で下車 |
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当地歴史モニュメント |
25分ほどの乗車で和平島にある当バス終点の阿拉寶灣バス停に着く。行程などの説明をした後、9時40分社寮砲台遺跡に向かって歩き始める。舗装路を少し進むと、龍目井という井戸と当地の歴史を表象するモニュメントそしてその説明文がある。和平島は、平地原住民が住んでいるところに、1620年代スペイン、そしてオランダが訪れこの地に基地を設けた。今から400年前の大航海時代の話である。まだ中国大陸からの移民はいない。ここで、直接やってきた4名が合流した。
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ここは右に登る |
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原住民集会所のある砲台エリア入口 |
更に進むと道標で砲台遺跡は右の坂を登る。色とりどりの壁の民家を過ぎ、左に原住民集会所の建物を見ると、社寮砲台遺跡エリアになる。左に屋根がない、当時の廃屋をみて坂を登る。登りきると砲台になる。今まで訪れた日本時代に改築拡張された砲台と同様な様式である。当砲台は、大航海時代の基礎の上に、清仏戦争の際に当時の清朝政府が改築を行い、そして日本時代にまた日露戦争に備えて1903年に現在のように拡張された。
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砲台遺跡 |
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大砲台座 |
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海上には霧が発ち込める |
階段で砲台に上がる。大砲自身は、もちろんないが、台座が残る。その一部から海岸をのぞくと、霧が海に立ち込め、幻想的な風景である。10時10分、砲台見学を終え、下っていく。メンバーの中の基隆住人が、海岸へと下る道を教えてくれる。そこでそれに従い、草の間の道を下っていき、海岸に降りる。今日は良い天気だが、海は一面に濃霧である。浸食により様々な形状の奇岩、豆腐岩という四角く割れ目が入った岩など、自然の造形を見る。阿拉寶灣とは、本来ここを示すそうだ。
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阿拉寶灣海岸に降りる |
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和平島橋から見る霧に浮かぶ埠頭クレーン |
11時5分、砲台入口に戻りさらに下って、バス停に戻る。そこから海鮮料理店が立ち並ぶ魚市大街を通り、平和島橋を渡る。橋上から基隆埠頭のクレーンが霧の上に頭を浮かべている様子を見る。橋を渡り、入り江対岸に観光振興のため多色に塗り分けられた建物を見る。中正路を左に曲がり、海洋大学正門の前を右に曲がって祥豐路を登る。3,4分で、建物の間の細い道入口に来る。ここから、旭丘嶺へと登っていく。
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橋上から見る社寮砲台山(左)と対岸の造船所遺跡 |
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色とりどりに塗られた家、背後は旭丘嶺 |
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祥豐街を登る、すぐ先右に路地を入る |
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草に半分埋もれた歩道 |
ステンレス手すりの立派な階段道だが、半分草に覆われほとんど歩く人がいないようだ。登ること数分で稜線上の道にでる。左に折れて進む。11時43分、椅子などがある旭丘嶺に着く。食事休憩をとる。幸い空は雲が厚く、あまり暑さを感じない。いいカモが来たとばかり、蚊が次々とやってきたのは、閉口したが。
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大きな軍用地境界石 |
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ツツジの咲く旭丘嶺 |
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街灯があるがあまり歩かれていない |
30分ほどの食事休憩後、12時15分稜線上の道を進む。道幅が広く、先ほどの草深い道とは様子が異なる。しばらくいくと公園が現れる。公園を突っ切りさらに進むと、左に細いコンクリの道が分かれる。所々街灯があるが、この道もほとんど歩かれていないようだ。12時29分、正濱國中の校庭にひょっこりでて、そのまま校庭を突っ切る。その先からまたあまり歩かれていない道を下り、民家の間を下って、祥豐路に降りる。
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中学校校庭に出る |
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民家脇を下る |
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要塞司令部 |
祥豐路は右にまがり少し歩いて、12時44分要塞司令部の正門に到着する。この建物群は、台湾接収後にここに軍隊指揮司令部がおかれ、1909年に要塞司令部に改名、台湾北部の軍事司令センターとなる。今の建物は1928年に完工し、戦後は台湾軍隊が使用していた。2010年に軍用としての役割りが終え、その後地元政府による手入れが行われ大衆に公開されている。ここでメンバーはしばらく司令部建物などを見物する。内部は絵画展示や歴史説明資料展示がある。
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司令部建物二階内部、高い家具のとっては菊紋がデザインされている |
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高架橋下を登る |
13時5分、四名がここで離隊し残りのメンバーで豐稔街を登り始める。高速道路高架橋下をくぐったところで、中砂登山道の看板を見る。ここから山道を登り始める。登山口から登ること数分で、右に大沙灣砲台遺跡への入口がある。この道を進み、東西二か所の砲台の内、まず西砲台へ行く。この砲台は清朝時代のもので、今は石積囲いが残るのみである。東砲台は、西に比べ石壁がさらに崩れてしまっている。ともに地元の政府の手入れなどはないので、自然に帰りつつある。
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中砂登山道入り口 |
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大沙灣砲台への分岐 |
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大沙灣西砲台遺跡 |
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中正公園国民広場一角の涼亭 |
中砂歩道に戻り、さらに登る。13時41登り詰めると、前方には涼亭がある大きなオープンスペースの中正公園國民廣場の一角に上がる。しばし休憩し、広場の周りを行く。最も高い場所からは、スペースの向こうに陽明山山塊などが幾重に重なり展開している。
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碑林の向こうが二沙灣砲台への入口 |
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国民広場最上部から陽明山方向を望む |
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広い二沙灣砲台の敷地 |
広場からまた涼亭に戻り、さらに下って二沙灣砲台遺跡に向かう。当遺跡はかなり大きい。基隆港をすぐ眼下に見る丘の上のこの砲台は、清朝アヘン戦争のころに造られ、その後の清仏戦争の際に、この砲台はフランス艦隊の砲撃でかなり被害を受けた。その後フランス軍は基隆上陸し一時占領した。当時の大砲のレプリカが砲台に据え付けれ、当時の様子を伝えている。
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北砲台の清朝時代の大砲 |
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草に埋もれた大沙灣砲台はこのようであったと思われる |
東砲台から北砲台へ下る。こちらの大砲はサイズが小さい。先ほど訪れた大沙灣砲台なども、おそらくこのような形態であったのだろう。下っていき、海門天險の文字が刻まれた砲台エリアの正門へ、その壁を回り込んでいく。海門天險の奥は先ほどの東砲台で、門の後ろの広場はかなり広く、当時は兵舎などがあったようだ。二沙灣砲台遺跡は、基隆の砲台のなかでも国家レベルの古跡に指定されている。
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海門天險前のメンバー |
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海門天險の上から内部を望む、前方丘は先ほどの東砲台 |
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串珠步道を行く |
海門天險の門下の階段を下り、左に串珠步道を行く。山腹を行く当歩道は10分足らずで終わり、車道にでる。右に下り四面佛を見る。その少しわきの、すでに閉鎖されたように見える聖濟宮で休憩をとる。休憩後、15時
四面佛へもどりそのわきの入船里歩道の階段を下り始める。基隆は山に囲まれた港町だ、住宅は山の中腹に多く建てられているので、階段は切り離せない。
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聖濟宮 |
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四面佛 |
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入船里歩道 |
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北白川宮能久親王記念碑 |
数分で下り切り、中船路を右に少し行く。ちょっと建物の陰に隠れた北白川宮能久親王の記念碑を見る。親王は1895年台湾接収の際に、軍隊を率いて台湾に訪れたが、当年台南で48歳でなくなった。それを記念すべく塔が1933年に建てられた。本来碑面に刻まれた文字は、戦後国民政府に削れまたセメントが埋め込まれ、今は判読できない。長い間放置されたが、2003年に基隆市の史跡として指定された。
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基隆搭入口 |
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基隆搭上から見る基隆港 |
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基隆駅南口 |
基隆駅まで、バスもあるが我々は歩いて向かう。途中、昨年末に公開されたばかりの基隆搭に立ち寄る。エレベーターもあまり待たずに上部に上がれた。この搭は中正公園と橋でつながっている。搭の上からは、基隆港とその街が眼下に一望できる。エレベーターで下り、中船路から義三路を経て、16時過ぎに基隆駅に歩きついた。16時27分発の区間電車で帰京した。
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社寮砲台步道のタイル |
今回は小さい丘は登ったが、山登りというよりは史跡巡りハイキングである。史跡をつなぐ道は山道もあるが、多くは舗装路である。歩き始めるときにGPS開始を忘れたので、距離や昇降に関しては記録が不十分だ。おそらく歩行距離は約11㎞、昇降は各300mほど、活動時間6時間20分ほどである。平地が中心のこのコースを歩くのは、今の時期はよいが、夏は暑くて大変だろう。
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