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2015-11-20

2015年11月19日 雙溪石笋古道 - 南草山 - 土地公嶺古道 昔の集落跡を歩く

石筍古道の石壁廃屋
久しぶりの牡丹駅からの登山である。新北市瑞芳區と雙溪區とに位置する草山の南側に広がるゆるい傾斜の山麓には、いくつかの古道がある。以前より、ネット上の情報などで知っており、いずれは行くつもりであった。しかし、なかなか実行せず予定はポケットにいれたままだった。今月はじめには雪山山稜北端を訪れ、隆隆山などからもこの山麓をみた。そこで、今回の古道山行を決めた。
西の牡丹から東の澳底へ歩く
歩行高度表
草山は、その名の通り茅などに覆われている山である。勿論高度が低い場所は、森もあるが密生した茅は、歩かれないとたちまち踏跡を覆い、通りすぎるのが困難になる。草山南峰や南草山は、まさに茅に覆われた頂上である。南草山は、最近訪れた記録もある。ここは道は大丈夫そうだ。牡丹から石笋(石筍)古道と牡丹古道を経て南草山へ登り、そこから東へ土地公嶺古道と保甲路を経て下り、102甲号公路を海岸の澳底へ出た。

草山の南側にある今回の古道群
隆隆山から福隆方向を見る(2015年11月8日撮影)
牡丹駅前から牡丹山を見る
牡丹駅は各駅停車のみ停車だ。台北駅を7時35分発の区間電車で出発。同じ電車には、満員近かった車両が次第に空いてきてみると、慢集團などの活動で知り合いの山仲間が同乗している。桃源谷へ向かうそうだ。8時48分に牡丹駅に到着。今日の同行者と自分の合計七名はここで下車する。ガランとした駅舎をでる。前方には、同じ名前の牡丹山が目立つ。その脇の不厭亭も判別できる。ススキに覆われた牡丹山は、昨年秋ちょうど藍天隊が草刈りをした直後に行ったが、それから一年がたち、また草に覆われているのではないだろうか。そこそこ歩かれていればまだ大丈夫だろうが。

前方の青い壁で右に進む、女性ランナーが追い越していく
石笋古道の入口
9時少し前に出発する。狭い路地を過ぎ、橋を渡る。一人、女性ランナーが追い越していく。台湾も最近はマラソンがとても盛んになり、坂道を走るランナーを見かけるのも多くなった。牡丹国民小学校の脇を進み、T字路を右に曲がる。青いコンクリ壁に少し古ぼけた藍天隊の道標が取り付けてある。分岐がすぐに現れ、協天宮の山門のある左の坂道を登る。結構急勾配の道を登り切と、すぐに右に協天宮への道が分岐する。直進し、右に民家を見る。すぐに石笋(筍)古道の入口が現れる。駅から10分ほどだ。ここから山道歩きだ。

桂竹林の中を進む
苔の石段
古道は、道巾もあり状態がよい。桂竹林を通り抜ける。古道を20分ほど歩く。左に道が分岐する。石筍尖への道だ。二分ほどの登りで圖根點基石の埋まる頂上(標高269m)に到着。今日の初めてのピークである。同じ道を引き返す。分岐から道は下っていく。谷を下っていくと、苔にむした石壁の廃屋がある。二、三軒の建物が草木に埋まっている。さらにほぼ平な道を行く。石を積んだ壁のある沢や苔に覆われた石段など、古人の営みがしのばれる。大きく崩れた土砂崩れ場所を巻いていく。倒れた樹を見ると、最近崩れたようだ。10時16分、沢に出あう。沢を渡り、一休みする。

圖根點のある石筍尖山頂
最近発生したと思われる土砂崩れを越していく
沢越え
集落跡の土留め壁
急坂を登る。左に燦光寮古道方面への道が別れる。右に進んでまもなく、10時32分石積土留が現れ、かなり規模の集落跡がその先に佇んでいる。ここは、先ほど通りすぎた集落より更に規模が大きい。道なりにかなり長く石壁の廃屋が並んでいる。右に道を進む。10分ほどで、沢沿いの平らな場所を道は進んでいく。道脇に石が並べてある。この辺りも以前は耕作が行われていたのだろう。沢を古ぼけたコンクリ橋で渡る。

集落跡、石壁の廃屋が並ぶ
廃屋の壁
コンクリ橋をわたる
11時2分、分岐に来る。左には標識リボンが幾つか取り付けられている。これをとり進む。坂がきつくなり、10分ほどで稜線に上がる。雨が降ってきた。稜線を進み、すぐにまた急な登りになる。11時15分、石筍公媽の頂上にでる。これは、上方から見るとはっきりわかるが、絶壁のある独立峰である。雨脚が強くなってきた。遠くの山はガスの中、長居は無用だ。同じ道を下り、分岐へ戻る。分岐を左に石笋古道を更に進む。11時52分、廃屋が現れる。牡丹(庚子寮)古道との合流点である。この山の中には、以前実に多くの集落があったようだ。牡丹古道を登っていく。10分ほどで平らになったところで、昼食休憩を取る。どうやら雨は止んだようだ。

雨の石筍公媽山頂絶壁脇から望む
牡丹古道との分岐点道標と背後の廃屋
燦光寮6號民家
30分ほどの休憩後、牡丹古道を進む。数分の歩きで、左下にまた廃屋が見え、すぐ前方に畑が現れる。畑を進み、すぐに燦光寮6号の農家がある。住人に声をかける。登山者が結構いるのか、気安い。ここからは、舗装路を登っていく。ジグザグの道はけっこう急だ。12時53分、展望ができる場所にくる。霧は晴れてきて遠くが見える。先ほどの石筍公媽の絶壁が、民家の左下のほうに判る。その向こうは、午前中歩いた石笋古道が行く山並みだ。更に10分ほど、車道を行くと別の車道に合流する。その突き当りは、土地公嶺古道の入口だ。

中央に絶壁のある石筍公媽の独立峰が見える
南草山登山口
左に車道を進み、南草山を目指す。5分ほどで、右に山道がある。南草山への道である。山道に入り、急坂がしばらく続く。数分で森から抜け、草薮に入る。幸い踏跡ははっきりしているので、藪漕ぎはそれほど大変でもない。ただ、注意しないと薄い葉で指を切る。13時18分、基石につく。そこから更に少し進むと、圖根點のある南草山頂上(標高562m)だ。草の背が高くてもともとあまり展望が出来ないが、唯一開けている南側もガスが去来して遠くの展望はない。

南草山頂上から南方向を望む
南草山の下り
頂上から直接土地公嶺古道へ下る道があるはずだが、草に埋もれて道筋がわからない。そこで、往路を下り先ほどの車道脇の入口へ戻ることにする。車道に降り、13時46分土地公嶺古道へ入口に戻ってくる。入口には見慣れないTURと記された標識がある。方向を示しているので道標のようだ。この古道を使ってトレイルランなどのイベントが行われたのだろう。この標識は、ずっと102甲号公路へ下るまで要所要所に取り付けられている。

草深い道の向こうに福隆の湾と隆隆山などが見える
土地公嶺古道の状態のよい部分
古道に入りまもなく、左から道が降りてくる。南草山からの道だろう。頂上付近でわかればこの道を下ってたはずだ。少しの登りが終わり、長い下り道が始まる。台湾電力の送電鉄塔保線路としても使用されているようなので、道幅は広い。ただ、草むらになると道は草に覆われ、あまり歩かれていないことがわかる。左に鉄塔方向に道が分岐する。地図で見ると、この道を経由しても下れるので、とりあえず鉄塔まで行ってみる。しかしその先は、踏跡が不明だ。そこでもとの道に戻り、下っていく。前方に、福隆の湾とその先に荖蘭山や隆隆山が見える。さらに下り、三箇所の鉄塔下を通り過ぎる。その先左への道が分岐する。竹林が現れ、14時43分、ひょっこり慈願寺の境内脇に下る。このお寺、建設中に資金が足らなくなったようで、コンクリのままで飾りができていない。途中の草むらでは竹葉草が沢山あり、手袋やズボンはこの種子がついて毛が生えたかのようだ。しばし休憩する。

慈願寺脇についた、TURの道標がある
慈願寺
竹葉草の種がびっしりついた手袋
保甲路入口
15時5分、お寺から車道を少し下る。雞母嶺街を左に曲がり、雞母嶺街52号の民家前を進んで橋をわたる。そのすぐ先右にTURの標識がある。ここが更に下っていく保甲路である。保甲路とは、もともと警備などの目的で開かれた道のことだ。入って行くと果樹園になっている。保甲路は、この果樹園の右下に続いていく。道には苔のはえた石段が続き、古道であることが明らかだ。太い塩ビ水道管が道にそってはっていく。傾斜は緩いが、道は草深い。道が右に分岐する。先に左の道を行くが踏跡が怪しくなってくる。引き返し右の道を進む。ススキの中に踏跡が続く。お墓が右に現れる。

塩ビ管がわきを行く石段の道
お墓の脇の草深い道を下る
池の脇を行く
草に埋もれた道
休耕の畑を過ぎる
その先、しばらく沢の中を進む。15時40分、右に池が現れる。灌漑用の人工池のようだ。さらに草深い道を下っていくと、また右に池がある。その先は、踏跡がしっかりしてくる。15時50分、休耕の畑の上にでる。前方に景色が開ける。舗装された産業道路を渡り、その先また古道が始まる。また草深い部分を過ぎると、道の状態は良くなる。畑の脇を過ぎる。この部分は農作業の道として歩かれているようだ。16時、また休耕の畑にでる。日差しはだいぶ傾き、夕方の光線が射す。16時3分、竹を刈っている農夫と挨拶し、産業道路に降り立つ。これで古道歩きは終わりだ。

農作業の道となり、古道の終わりは近い
休耕の畑を通り過ぎる
産業道路を下っていく。16時9分、102甲号公路に出る。目の前を新北市F815コミュニティーバスが澳底方向へ走っていく。もともと、このバスに乗ることを考えていたわけではないが、バス停の時刻表を見ると16時11分通過とある。タッチの差で乗れなかったので、余計残念に感じる。ここから、約3キロ弱の車道歩きである。概ね緩やかな下りの道を進む。時々車が通り過ぎていく。約20分ほど歩き、現在工事が中断(?)している第四原子力発電所の前を過ぎ、16時37分、澳底の街に到着する。左に曲がり、バス停方向へ行く。その近くの料理店で愉快に食事をする。18時少し前、すっかり日が暮れた街のバス停で待つ。もともとは、791番バスで福隆へでてそこから汽車で帰るつもりであった。ところが反対側にちょうど台北まで直接行く1811番バスがやって来た。急遽予定を変更、このバスに乗車し台北へ1時間20分で帰京した。

102甲号公路を行く
澳底に到着
今回の山行は、約14km、休憩込みで8時間半の行動時間だ。登攀は累計630m、それほど高さは登っていない。前半南草山までは、そこそこ歩かれているが、後半の土地公嶺古道や保甲路は草深いところは踏跡もはっきりせず、歩かれていない。もともとの道がしっかりしているし最近の標識リボンもあるので、迷うことはないだろうが。困難度は山道クラス3~4、体力クラス3である。前半部分は、住居跡や石段などの歴史を感じさせる古道で、おすすめだ。

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