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草嶺線登山道に咲く華八仙の白い花 |
東北角の桃源谷は、
昨年11月に訪れた。もともと、稜線を草嶺古道まで歩くことを考えていたが、ガスがかかってきてしまい、草原の山で景観がないのでは面白くなく、石観音の道を下った。その後、また訪れることを考えていた。冬、春の間はチャンスがなかったが、5月になり天気も安定してきており、終日の晴天のもと再び訪れた。 去年11月にはガスで隠れていた、山側の景観があった。 双渓の谷の向こう側に
草山や燦光寮山が近いのに気づいた。
五分山なども見える。天気はとてもよく陽射しが強かったが、 麓の森の中を除いて、常に風が吹いており、それほど暑く感じなかった。ただ、海にとても近いこの山は、紫外線がとても強く、かなり陽にやけた。
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草嶺古道登山口 |
前回の桃源谷山行と同じ台北駅を6時40分発の区間電車で出発する。瑞芳までは学生の通学時間と重なるので乗客が多いが、瑞芳で大部分の乗客が降りた。貢寮あたりを通る車窓からは、桃源谷方面の山並みが見える。福隆のトンネルを過ぎ、石城駅の次、大里駅で下車した。時間は8時半、途中急行列車の追越退避などがあるため、台北からは時間がかかる。大里駅は無人駅ではないが、平日の朝のこの時間は、ガランとしている。駅前に、草嶺古道の紹介や道標がある。駅からは、大里観光ビジターセンターまで、駅前の濱海公路とは別の歩行路が作られている。ビジターセンターは、時間が早いのでまだ開いていない。前を通り、隣の大里天公廟を過ぎる。草嶺古道の登りは、この天公廟の脇から始まる。
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草嶺古道の護管所 |
草嶺古道は、清朝の19世紀初期、宜蘭の蘭陽平野を開墾するべく台北地区(当時の淡水庁)と宜蘭(噶瑪蘭庁)を結ぶ主要街道、淡蘭道の一部である。中国から移民してきた漢人はこの道を通り、宜蘭を開拓していった。その後、日本統治時代にも街道の整備が行われ、鉄道や自動車道が整備されるまで約100年にわたり、主要な街道として往来が続いた。近年になり、
国家風景区の管理対象として道の整備や施設の建設が行われ、多くの人が訪れている。福隆から大里までの8.5kmを歩き、古人開拓時の苦労を身をもって体験できる。
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旧盧宅の跡 |
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盧宅上の古道 |
十数年前、大里天公廟へは時々立ち寄っていた。多くの信者が訪れ、香火が絶えない。大樹のある石段を上がると、石碑が道の両側に何本も建てられている。これを過ぎると、舗装路が谷に沿い登り始める。舗装が切れ砂利道となる。ヘアピンカーブを過ぎていくと、左の森の脇に自然道入口がある。大里からは、この道を通っても来れるようだ。この道のほうが、少し長い。また舗装路となりジグザグに登って行くと、左側に古道の登山口がある。石畳の古道はここからはじまる。舗装路は、山腹をジグザグに登って行くが、古道はそれを突っ切るように直線的に登り、ところどころ舗装路と交差する。護管所、展望台を過ぎる。木製の展望台から、大里の街が下に見える。更に登ると、古道の往来が多かった昔に、旅人が足を休めた宿、盧宅跡が現れる。苔むした石材が多く散らばり、結構大きな建物であったことが偲ばれる。盧宅跡を過ぎ小沢が脇を流れる古道は、それまでの立派な石段ではなく、盧宅跡に合わせるようにもっと古く角のとれた石段だ。これを登り切ると、古道最高点の峠、啞口だ。大里天公廟から1時間5分の道のり、時刻は9時50分である。
啞口から20分ほど登ると、見晴らしのよい展望場がある。福隆の街が見える。その左奥にある山々は、九份の山々だ。草山や燦光寮山、牡丹山などが判別できる。展望場のすぐ近くに牛(水牛)が三匹、草を食んでいる。こちらをチラッと見たあと、また続けて草を食む。下の方の草原にも数匹、同じく草を食んでいる。近くにいた牛の一匹が近づいてきた。こちらも写真を撮り終わったので、離れて登り始める。振り返ると、牛は休憩場の石の間に生えている草を食んでいる。
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湾坑頭山への道、三番目の展望台が途中にある |
海側に切り立っている湾坑頭山は、標高616mである。ここも360度の展望がある。頂上から足元の海岸沿いに行く、鉄道や省道が見える。台鉄の特急太魯閣号が走っていく。ここまで来ると桃源谷が見える。その左奥には、昨年11月に登ってきた大渓登山道がいく蕃薯寮山の尾根が見える。頂上は炎天下で暑いが、食事をとりながら少し休憩する。ここからは、小さなピークの登り返しがあるが、基本は下り道である。頂上から下って少し、最後の良好展望点のピークを過ぎる。石観音寺が石観音山の中腹に見える。その近くから派生する尾根を追っていくと、土砂崩れした石観音登山道の露出部分が目を凝らすとわかる。
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湾坑頭山頂上 |
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湾坑頭山から見る海岸、太魯閣号特急列車が行く |
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湾坑頭山付近から見る展望ピーク、その左奥の石觀音山とその山腹の石観音寺、更にその後ろの蕃薯頭山 |
大きく下って少し登り返すと、左に展望台への分岐がある。100mほど行くと主稜線から派出した枝尾根のピークである。ここからは、石観音寺が更に近い。左は湾坑頭山が谷を挟んで大きくそびえている。湾坑頭山から海岸にのびる尾根上に登山道があるそうだが、これは健脚向けのものだ。湾坑頭山頂上脇に、それらしい踏み跡があった。登山道に戻り、桃源谷に向けて歩く。草原が近くになってきた。第四番目の展望あずま屋が、山腹からそり出して作られている。ここは、すぐ下に車道が来ているので、誰でも手軽に来れる。あずま屋には、地元の人と思われる数名がお茶や将棋を楽しんでいる。これを下ると、石観音登山道の分岐点だ。前回は、反対側からここまで歩いてきた。脇には先程の人たちの車だろう、バンが1台停まっている。
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桃源谷の草原 |
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第四番目の展望あずま屋付近から見る湾坑頭山 |
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桃源谷の道標、ここから内寮方向に歩く |
今日の行程の最後になるピークを登り返す。石畳の草嶺線登山道が終わり、草の道となる。今日は天気がよいので迷うことはないが、四方霧だと、踏み跡がないので方向がわかりにくい。下りに、登ってくる二人の登山客とすれ違う。下りきると大渓線登山道の分岐になり、更に下るとあずま屋が草原にぽつんと建てられている。時刻は1時半、大里から歩き始めて5時間、距離にして8kmをカバーした。近くの水場には、牛が二匹水浴びをしている。その周囲にも何匹か草を食んでいる。
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内寮線登山道を下る |
これからは、ずっと下り道だ。道標は、貢寮駅まで11.7kmとなっている。距離としては、今までのセクションより長いが、山道部分は少しなので所要時間は短い。少し下ると、お手洗いがある。ここからは、草原の道とはお別れだ。コンクリの登山道は、階段の段差が小さく、かえって歩きにくい。道脇には、たくさん説明板が作られている。他の登山道に比べると、特別多い。草原のあずま屋から約20分で、登山道入口についた。登山道入口は、古い石造りの民家のすぐ脇だ。周囲には道標がないので、始めてここから登る場合は少し迷いやすいかもしれない。周辺には段々畑が作られている。大きなガジュマロの樹の下を行き、長い下りが始まる。道標は、貢寮駅へ10kmとなっている。
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道から草原が上に見える |
道は、始めはわりと平坦で、振り返ると上方には先に降りてきた桃源谷の草原やあずま屋が見える。民家を右に見ると、下りが始まる。左に細い道が降りていく。後で分かったのだが、この道は大きく回っていく車道の近道である。更に下ると、この細い道に合流する。何回かジグザグをすぎ、谷底に降りる。ここからは桃源谷の草原がはるか、上のほうに見える。途中、同じく近道があったが、その時は確実でないので、そのまま車道を下った。谷底の道になり、吉林村の集落などを過ぎていく。車は、時たま通るだけで、交通量は多くない。桃源谷の大きな石の碑が建てられている分岐のすぐ下で橋を渡り、道は対岸を下っていく。大きな民宿、龍山園の施設がある。下り始めて1時間、ほぼ中間あたりで少し休憩する。道脇に駐車スペースと、桃源谷や草嶺古道の説明看板がある。
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桃源谷の石碑 |
川幅がだいぶ広くなってきた。警察駐在所のある集落の前を過ぎる。年老いた住民数名が家の前で、世間話をしている。川は大きく蛇行しているので、道もそれにあわせて大きく彎曲する。川脇には畑や水田が現れる。桃源谷が見えるが、もうはるかに遠い。4時に第2甲省道との分岐についた。貢寮老街を通り過ぎ、旧橋をわたる。すぐ脇には、山の上から見えた赤い新しいアーチ橋がある。地下道を通って線路をくぐり、貢寮駅に着いた。時間は4時10分、着いてまもなく台北行きの区間電車がやって来た。台北駅には17時45分に到着した。
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貢寮近くから稜線を見る |
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貢寮の旧橋 |
歩行距離20.5km、所要時間7時間半(休憩時間を含む)であった。海岸の脇から登り始めたので、最高地点湾坑頭山の616mが、ほぼ今回の高低差である。稜線道では登り下りもあったので、全部では1000mの登りである。貢寮に近づいたころ、山を見ると一部ガスがかかり始めていたが、全行程晴天のもと歩いた。草原の山は、全方向の景観を満喫することができた。稜線ではゆっくりと景色を楽しんだので、草嶺線登山道での時間が、その距離に比して長いが、それこそ山登りの醍醐味である。急いでは意味が無い。
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高度プロファイル |
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