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朝陽を浴びてピンクに染まる關山 |
武漢肺炎(Covid-19)のために海外旅行が非常に難しく、予定の日本登山を中止した2020年ももうすぐ暮れる。今年は、そうしたこともあり、台湾高山の縦走を四回行った。この中央山脈南一段縦走は、その最後の縦走である。12月も半ばを過ぎ、日本の高山ではすでに雪に閉ざされ縦走形態の山登りは難しいが、台湾の高山では可能だ。標高4000m近い玉山や北部の雪山山脈では、この時期には初冠雪もあり、管理する国家公園は入山の条件を厳しくするが、中央山脈最南端の南一段はそうしたことはない。勿論、気温は0度を切ることもあり、実際キャンプ地の地面は、朝には白く霜に被われていた。
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中之關古道駐車場で出発時のメンバー全員 |
台湾島を南北に200数十キロにわたり貫く中央山脈は、戦後台湾の政治経済が落ち着いた1960年代から登山が試みられるようになった。その一つのエポック的な出来事が70年代初頭に台湾山岳協会によって行われた中央山脈大縦走である。この縦走は、ちょうど中間あたりになる七彩湖を目指し、北と南とから二つのグループが進行した。途中の物資供給の要点から、北と南のルートを三つに分け、それぞれ北端と南端とから一段、二段、三段と分けられた。この呼称は、台湾山岳界では今に至るまで使用されている。今回の登山はまさに中央山脈最南端の南一段が対象だ。中央山脈はさらに南に一度高度を大きく下げ、
北大武山でまた標高3000mを越えるが、この山は南一段には含まれない。
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北から南へ縦走
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七日間の歩行高度表 |
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台湾南部にある中央山脈南一段 |
台湾の南部は、冬は好天の日が多い。高雄市と台東縣との境界で分水嶺になる南一段は、西側の好天と雲が谷間を埋める東側の天候をちょうど分ける。東北季節風のために東側の勢力が強ければ、ぐずついた天気になり、一方季節風の勢力が弱ければ天候に恵まれる。今年は、例年に比べ雨が多いようだ。南一段は、水場が少なく苦労する縦走ルートでもあるが、そのため天池と呼ばれる水溜まりには水がけっこうあり、水の苦労は少なかった。実際に雨に降られたのは、行動前の夜であった。しかし、背の丈を越えるヤタケは雨で湿り、藪漕ぎをすると全身ずぶぬれになる。天気が良くても、陽光が届かない日陰のヤタケも同じく湿っていて濡れる。今回は初日と最終日を除いて、雨具をつけたままの縦走であった。ヤタケの藪漕ぎは、ほかのルートでもあるが、今回は特に濡れていて一層の苦労を強いられた。
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三叉山から望む朝日の南一段、右から關山,海諾南山,小關山,卑南主山(2018/7撮影) |
南一段は、具体的には台湾の中央山脈を横断する道路のなかで南部にある南横公路(台20線)から南に卑南主山へと続くセクションだ。途中には、庫哈諾辛山,關山,海諾南山及び小關山の四座があり、卑南主山を含め五座の百岳がある。勿論それ以外にも關山北峰や小關山北峰、雲水山や馬西巴秀山などのピークがある。南横公路は、2009年に襲った莫拉克颱風のために、甚大な被害を受け大きな路盤を含めた崩壊が発生した。そのため、梅山と向陽との間の復旧工事が長く進行してきた。今年から梅山から天池までは開放されたが、一番高度が高い天池と向陽との間はまだ工事進行中で、一般の立ち入りは禁止されている。南一段のもともとの登山口は、まさにこの禁止セクション途中にある進涇橋登山口で、ここからの登山は公式にはできない。管理人の監視をかいくぐり潜りで登る登山者もいる。我々は、この問題を避けるために、今年から登られるようになった、中之關古道の途中炭焼窯跡から庫哈諾辛山稜線を辿る道を経て主稜線に上がった。その後南へと主稜線を縦走、卑南主山を登ったあと、西に大きく伸びる石山と溪南山が立ち上がる支稜道を下り、石山林道7Kの登山口へと歩いた。
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第一日 12月14日(月) 高雄 - 中之關古道口 - 庫哈諾辛山 - 庫哈諾辛山屋
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中之關古道の途中から庫哈諾辛山へ登る |
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第一日は登りがメイン |
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まだ暗いうち高雄を出発 |
ちょうど日本九州と同じぐらいの台湾は、北の台北から南の高雄へまでは、そこそこ時間がかかる。昨日午後に汽車で南下し、高雄市左營にある民宿に投宿した。今日は5時半に出発だ。予約してある車が迎えに来る。メンバー5名は乗車し、まだ暗い中出発する。登山口は南横公路上にある。今年から梅山から天地まで通行ができるようになったが、時間が制限されている。火曜と木曜を除く朝8時から13時までしか入れない。高雄から5時半に出発したのは、そうしたことを考慮してだ。
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六龜區に入る |
6時20分過ぎ、六龜に入り夜が明けてくる。道は荖濃溪沿いに進む。もともと深い谷は、莫拉克颱風のために山崩れの土砂で埋まり、昔とは随分様相を換えたそうだ。7時少し過ぎに高雄市桃源區に入り、谷脇の山が次第に高くなる。7時36分、梅山に到着する。管理ゲートの前には、車が数台すでに並んでいる。
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梅山ゲート前には車の行列ができる |
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キリスト生誕ディスプレイ |
ゲート近くには、玉山國家公園南區のビジターセンターがある。まだ開いていないが、周りには説明板がある。荖濃溪流域の主要原住民布農(ブヌン)族の資料館などもある。山岳原住民はキリスト教に改宗した人が多く、クリスマスが近い今は道脇にキリスト生誕のディスプレもある。天気はとても良いが、まだ日陰で少し寒いぐらいだ。
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台20線(南橫公路)105K地点ゲートが開かれ登り始める、 |
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落石よけの長いトンネルを抜ける |
8時になり、ゲートが開かれる。道は荖濃溪を離れ、車は山腹を登り始める。梅山の標高約900mから登山口までの約1000mほどの高度差を登っていく。登るにつれ、周囲の山々が相対的に低くなる。南横公路が開放されたので、最近は天地へ訪れる遊楽客が多く、前後に車が連なる。8時47分、中之關古道の駐車場に到着。支度をして古道入口へと少し道路を進む。道路わきから、深い谷と前衛の山の谷間から、高いピークが見える。玉山南峰など、玉山山群の南端のピークのようだ。9時6分、古道入口に来る。
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中之關古道停車場で下車 |
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南橫公路から玉山を遠望 |
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@古道登山口 |
中之關古道は、その前身は日本時代に中央山脈を南部で越える關山越道路(警備道)である。1926年から5年をかけて高雄六龜から台東關山へ開削された171㎞の歩道である。主要な警備道中最長であり、また時期的も遅く開かれたものだ。戦後は、ほぼ廃棄状態であった。南横公路は、一部重なる部分もあるが、峠越えのセクションは並行しているところが多い。玉山公園がその一部3.5㎞を整備してできたのが、中之關古道である。中之關の名前は、入口に近い中の關駐在所からきている。
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整備された古道、遊楽客が行く |
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土留壁が残る大きな規模の中の關駐在所跡 |
古道は、階段で始まる。道を行く遊楽客を抜いていく。登ること12,3分前方に石積の台地がある。かなり大きなサイズだ。中之關駐在所跡だ。他の日本時代の警備道と同じに建物などは、すでになく玉山公園の建てた小屋や説明板がある。少し休憩をとる。抗日を最後まで続けた、ブヌン族ラホ・アレ一味を制圧するため、中之關駐在所は重要な役割を果たし、常時16,7名の駐在員がいたという。ラホ・アレの玉穂社部落は、この中之關駐在所から北に望めたそうだ。鹿野忠雄の紀行文にもたびたび現れ、常にその存在を気にしていた。18年の抵抗のあと、1933年に帰順して原住民の抵抗は終了した。
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駐在所跡の広い台地には説明小屋や椅子が設けられている |
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炭焼き窯跡 |
中之關駐在所の標高は約2050m、ここから古道はしばらく緩やかな道で山襞をぬって進む。9時40分、炭焼窯跡に来る。駐在所で必要な炭を作っていた場所だ。マーカーリボンにしたがい、古道を離れて稜線上を登り始める。まばらな雑木林の道は急坂だ。落ち葉があるが、道筋は割合とはっきりしている。今年になり多く歩かれているので、まだ柔らかい感じだ。10時10分、少し平らになった場所で休憩をとる。標高は約2240mだ。
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雑木林の中の山道を登り始める |
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樹木が切れ展望ができる |
10時30分、標高が2300mをこえる辺りで、森の底にヤタケが現れる。しかしすぐにまた落ち葉だけの森になる。急坂は相変わらずだ。11時10分、標高約2540mの場所で休憩をとる。今日の最高点になる庫哈諾辛山は標高3114m、登山口が約1930m、落差は約1200mとなる。約半分の高度を登ってきた。さらに10数分急坂を行くと、森がきれて背後に視界が開ける。朝南横公路から見た玉山は、高さが低くなっている。そしてその前に富士山型とでもいえる玉穂山、そしてその右奥は
雲峰のようだ。
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左奥に玉山、右は雲峰、手前に玉穂山 |
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ヤタケが目立ち始める |
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ヤタケの間を行く |
また森の中に入る。次第にヤタケが目立ち始め、その高さと密度が気になる。まだ新しいロープが取り付けてある急坂を過ぎ、尾根の幅が狭くなってくる。樹相も換わり、広葉樹の間に台湾ツガが目立ち始める。12時13分、昼食休憩をとる。標高は約2750mだ。さらに登ると、森はほぼ台湾ツガでその底にはヤタケが密生する。13時42分、森が切れたところで休憩をとる。日差しはあるが、霧がだいぶ登ってきた。前方の庫哈諾辛山は、霧に見え隠れし始める。13時56分、左から天池より登ってくる道との分岐を過ぎる。標高は約2950m、残りは多くない。
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霧が出てきた |
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山頂前の最後の登り |
分岐から一度少し下り、山頂へ最後の登りを行く。ほぼ台湾ツガの純生林だ。一カ所岩の現れる狭い尾根を行く。左に山腹側に回り込み、14時54分、庫哈諾辛山山頂(ウハノシン山、標高3114m)に躍り出る。残念なことに霧ですっかり囲まれ、遠望はできない。15分ほど山頂で過ごし、今日の宿泊地庫哈諾辛山屋へ向かう。道は、今までに比べ俄然と良くなる。キロポストもある。南橫公路が問題ないころは、この山は公路から軽装で簡単に登れた。今は、我々のように重装備で1200mの落差を登る必要がある。公路が再度全通すれば、また楽に登れるようにはなるのだろう。
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@庫哈諾辛山 |
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霧が出てきた稜線を進む |
鞍部へ向かって下る。すると対向から軽装のグループが登ってくる。その先頭のメンバーは筆者を見ると日本人リーダのグループだとみんなにいう。どうしてわかるのかと尋ねると、9月に卓社大山で出会ったという。そこでその時のことを思い出した。奇遇だ。15時47分、鞍部で休憩をとり、最後の登り返しを行く。霧が流れて、切れると右側の高みに三角ピラミッドの關山が高い。山頂からベールをかぶる婦人のように、東側に霧が現れ流れている。崖崩れの淵を登り、森に入る。森がきれて階段が現れる。すぐに分岐に着く。左にとり、間もなく16時25分、小屋が現れた。
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山小屋直上の三叉路 |
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庫哈諾辛山屋 |
今日は、小屋泊まりだ。もともと我々だけだと思っていたが、先ほどであったメンバーも泊まる。小屋裏の雨水タンクには水が十分あり助かる。小屋の柱に取り付けられた寒暖計は12度を示している。小屋前のテーブルで食事を作り、食べる。そのうち暗くなり、19時には就寝する。同宿のパーティは夜中出発のようで、すでに床に就いている。外は星空だ。
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小屋内部は二層で20数名収納 |
休憩込み歩行時間は約7時間半、距離5.4㎞、登坂1318m、下降258mである。コース定数29となる。水を入れたザックの重量は18kgぐらい、いつもそうだが縦走の初日はザックも重く登りメインなので辛い。
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第ニ日 12月15日(火) 庫哈諾辛山屋 - 關山 - 2920營地
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關山越えの歩き |
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縦走中最大の登り下り |
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玉山から望む關山(2018/5撮影) |
今日は南一段の重鎮關山越えが待っている。南一段の峰々は3000m~3200mの水準だが、關山だけが3666mとダントツに高い。さらにその姿は、見る角度によってきれいな三角ピラミッドを呈し玉山などから一目で認識できる。1909年に總督府蕃務本署のメンバーが測量作図のために初登頂しているとされる。今日のルート上、庫哈諾辛山との鞍部から約700m近くの落差が待っている。
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分岐から鞍部に下る |
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右の谷には滝がかかる |
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3.5Kキロポスト |
夜中に別のパーティが出発し、朝5時に起床したときは我々五人だけが小屋にいる。朝食をとり支度をする。外は星空が次第に白んでくる。夜明け少し前の6時に出発だ。台湾は緯度が低いので夏と冬との日射時間の差が日本ほど大きくないが、それでも冬至に近い今は6時半近くにならないとすっかり明るくならない。昨日通り過ぎた分岐に登り返す。分岐は左にとり、鞍部へ下る。稜線の右側は切れて落ち込む。対岸の急峻な山腹には滝がかかっている。6時26分、關山3.,5Kのキロポストを見る。關山までは玉山公園の範囲なのでこうした表示がある。そのうち登りが始まる。台湾ツガの巨木が目立つ。樹木に橙色の南一段と通し番号が振られている札を見る。この札は林務局取り付けいるものだろう。關山以南から溪南山登山口までずっと見る。6時40分過ぎ休憩をとる。
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林務局のプレート |
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霜が降りている |
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台湾ツガ林を登る |
玉山公園内で整備されているためなのだろう、道幅が広く両脇のヤタケは道を覆うことはない。樹木が切れた場所の地面には白く霜が降りている。振り返る玉山は、雲をいただき山頂は見えない。途中ロープがかかる坂を登る。7時26分、2.5Kを通過する。坂はあいかわらず急だ。8時10分、大きな岩が露出しているセクションを登る。次第に左に向陽山から塔關山を経てやってくる中央山脈主稜線が迫ってくる。主稜線と合流し、8時43分森からでて展望が開ける。北方向、向陽山の右方に
二週間前に訪れた新康山が姿を現す。そしてのその前には雲海上に長く続く布拉庫桑山への稜線が浮かんでいる。9時、見晴らしの良い場所で休憩する。
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主稜線に上がり進む |
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背後に玉山、雲峰、南雙頭山、向陽山,新康山,布拉庫桑山が望める |
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關山が近づいてきた |
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岩場を登る |
しばらく見晴らしのよい道を進む。9時26分1Kキロポストをみて数分すすむと、また森の中に入る。9時46分、關山への難所である岩場下に着く。0.5Kのキロポストがあり山頂まではわずかだ、この岩場を登攀しないとつけない。ロープが多くかかる岩場にとりかかる。ザックが重いので、特に困難な岩場ではないが高度がそこそこあり、ちょっと苦労する。上部で全員が登り終えのを待ち、最後のセクションを登る。10時25分、森から出て草の坂を行く。周囲は霧が覆い、残念ながら展望はない。10時45分、關山山頂(3666m)に登りつく。もし霧がなければ、かなりの広い展望があるだろうが仕方ない。
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山頂前最後の急坂 |
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@關山山頂 |
昭和8(1933)年8月に開通まもない關山越道路を歩いた台灣山岳會の千々岩助太郎は、本来關山への登山を当時の郡役所に申請したが、前年に起き日本人警察官がブヌン族原住民に殺害された大關山事件のあとで、許可が下りなかった。当時の高山は、立入に管理する当地官憲の許可が必要であった。日本から訪れていた同志社大学学生児玉勘次と塩見正ととりあえず關山越道路を西から入った。許可はないものの、実情を知る現地の警察官は好意的に対応してくれた。彼らは当時の大關山駐在所付近から少し戻ったところの涸沢(第四ウハノシン渓)から主稜線に上がり、日帰りで關山を往復している。彼らも霧がでて展望はなかったようだ。
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草原の尾根を下る |
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道端に季節外れのニイタカマツムシソウ |
11時過ぎ下山を始める。こちら側も広い草原だ。季節外れのニイタカマツムシソウが咲いている。おそらく日差しがよいのだろう。下るにつれ、霧が薄くなる感じだが、なかなか展望はない。赤い馬醉木のつぼみが、黄色がかった薄緑のヤタケの草原に目立つ。關山も含め南一段の峰々は單面山という、西側は崩落の断崖東側は緩やかな草原と、非対称な山稜である。途中森に入るが、また草原に出る。森の中のヤタケは、道を覆う場所もある。もう玉山公園の範囲外なので、道の程度が落ちる。
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西側は崩壊して谷に下る |
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2920營地まであとわずかだ |
西から尾根を越えて風が強く吹く。やはり冬の山だ。少し寒い。13時24分、2920營地に着く。2920は高度である。鞍部の小さいキャンプ地だ。次のキャンプ地海諾南山下營地まではあと3時間ほどかかるので、少し早めだがここで設営する。テントを張り、水場へ下る。東側へ急坂を下がると水のない沢に降りる。沢を少し下り、左に水が流れている場所にくる。約10分ほどの下りだ。もともと水場が少ない南一段だが、この場所は流水があり助かる。水を汲みキャンプ地へ登り返す。17時前に食事をとり、19時までには就寝する。明日は長丁場だ。今日は、行動時間約7時間半、6.8㎞、登坂815m、下降905mだ。コース定数は24となる。
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設営をすませ、水場へ下る |
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第三日 12月16日(水) 2920營地 - 海諾南山 - 小關山北峰 - 小關山 - 小關山下森林營地
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三座を越して進む |
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歩行高度表 |
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雨具に身を固め出発する |
今日は長丁場だ。目的地は雲馬營地だが、かなり遠い。途中四座を越していかなければならない。3時半前に起床、まだ暗い中5時に出発する。6時少し前に白みだす。遠くの山が見え始める。6時11分,海諾南山への急登前に休憩をとる。少しくぼんで設営もできそうな場所で休む。風が当たらずに助かる。海諾南山にヘッドランプがちらほら見える。下山中のパーティのようだ。振り返ると、朝陽が当たりだした關山は、そのピラミッド山頂から東に雲を流しながらすくっと聳えている。
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6時前霧の中に曙光が現れる |
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標高差約200mの登りだ |
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急坂を海諾南山へ登る |
降りてきた三人パーティは、水場は問題ないという。彼らは昨日海諾南山下キャンプ地で泊まったようだ。庫哈諾辛山でであったパーティも同様に言っていたので、今回は稜線上の池も含め水の心配は少ないようだ。海諾南山への登りは、途中少し樹木の間を登るが、ほぼ草地の急坂を行く。登っていくと霧の中に入る。時々、チラッと霧が薄れるが、すぐまた周囲の風景は閉ざされる。7時16分、海諾南山山頂(ハイノナン山、標高3174m)に着く。ここも霧の中、西側がチラッと見えるが、すぐに隠れる。
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ビャクシン枯木の山頂へ |
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海諾南山山頂の筆者 |
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テント一張りが残る海諾南山下營地 |
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霧の緩やかな稜線を下る |
7時35分、下山を始める。数分で、まだテントが一張り残るキャンプ地を通過する。こちらも稜線東側の草原道だ。8時26分休憩をとる。標高が下がると雲からでて、遠くまで見えるようになる。なだらかな斜面は、雲海の岸辺へと続く。山腹を進んでいく。小關山北峰への登りが始まる。10時少し前、振り返ると關山が雲の襟巻をまとい佇んでいる。山の襞を回り込むと、前方に北峰が聳え立つ。10時27分,北峰前營地を通り過ぎる。焚火跡もある。森に入り緩やかになった道を進む。10時49分、狭い小關山北峰山頂(標高3239m)に着く。周囲に霧はないが、樹木が展望を邪魔する。
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山腹の道を小關山北峰へ進む、背後に關山 |
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北峰はもうすぐだ |
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山頂直前の森を抜ける |
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北峰山頂 |
11時15分、小關山に向け下り始める。天気は良いが、標高3150mぐらい以上は雲が往来し、それ以上の場所は見えない。こちら側も、稜線東側の草原を進んでいく。稜線西側は切り立った断崖だが、それを感じない。12時5分、小關山前の鞍部で食事休憩をとる。森の中を十数分登り、草原に出る。13時を少し回ったところで、道は稜線最上部を行く。右は大きな崩壊が口を開いている。高度が3100m過ぎる辺りから、周囲の霧が濃くなり始める。雲の中に入ってきた。淡々と草原の道を登る。四叉路に14時15分つく。小關山山頂(標高3248m)は、ここから少し行ったところだ。今日三座目の山頂だが、ここも霧に囲まれ展望はない。四叉路に戻る。右の道は、小關山林道へと下る。
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北峰からの下り対面の小關山は霧の中で見えない |
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小關山へ登る |
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稜線の西側は大崩落だ |
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@小關山山頂 |
霧の中の草原道をひたすら下る。森の中に一度入り、また出ると15時22時黒い水の池を見る。南一段山稜の土壌はやせているので、ヤタケなどしか生えないそうだ。ところどころ低い刺柏が生え、道際のものは邪魔だが。15時32分、森林營地につく。予定の雲馬鞍營地はまだゆうに3時間かかる。その前の雲水營地でも2時間は必要だろう。ここは水場がないが、最後に暗い中を進まなければならないことを考え、森林營地で泊まることにする。ただ、ここで泊まってしまうと、その後の行程がとてもきつくなる。今回縦走計画の時に、もし時間的に厳しい場合は一日追加することも考慮に入れていた。参加メンバーも土曜日帰りが日曜日になっても大丈夫ということで、その連絡を取る。
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池の脇を下る |
背負っている水は、この宿泊では十分だ。明日は雲水山まで行けば池があり水の補給ができる。森の中の平らな場所で設営する。食事をとり、19時過ぎには就寝する。外は梢を通して星が輝いている。約11時間の活動時間だった。距離は10.4㎞、登坂下降それぞれともに950mだ。コース定数33。
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森林營地 |
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第四日 12月17日(木) 小關山下森林營地 - 雲水山營地 - 雲馬鞍營地 - 馬西巴秀山 - 營地
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縦走中最も短い行程 |
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高低差も少ない |
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ヤタケの藪漕が始まる |
一日増えたので、気持ちも実際の行程も楽になる。今日は明るくなった6時半出発だ。先に小さなこぶを越え、最低鞍部に降りる。雲水山へ向けて登り返す。森から出ると展望が開ける。西側の深い谷の向こうに、縦走最後の二日に歩く卑南主山から石山へと長く延びる稜線が姿を見せる。振り向けば小關山が全容を見せる。東北方向には、千々岩助太郎に将棋の駒と形容された新康山がある。日陰のヤタケは露を含んで、ズボンやヤッケの袖がびっしょり濡れる。樹木がない部分のヤタケは霜が降りて葉っぱが白い。
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稜線に上がると展望が広がる |
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雲水山營地でくつろぐ |
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雲水池 |
7時50分、左に水がそこそこ透き通った池を見る。雲水山の池だ。ここはキャンプ地である。資料では水がないことが多いということだが、今年の冬は雨が多いようで乾かずにしっかりある。日なたであるし、時間的にも余裕があるので、水補給も含めて1時間ほど休憩をとる。メンバーの一人がお茶を沸かし振る舞う。風もあまりなく実に快適だ。
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草原の稜線の向こうに石山(中間)と溪南山の稜線 |
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雲上の草原縦走路 |
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ここを下れば雲馬鞍營地 |
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@雲馬鞍營地 |
10時35分、雲馬鞍營地に到着する。ここから東側に沢を下れば水場がある。先ほどの雲水池で十分に水を補充したので、水場に下る必要がない。テントやシュラフなど取り出し、日干しする。1時間半ほど、ゆっくりと時間を過ごす。12時10分、馬西巴秀山へ向けて登り始める。日陰のヤタケは、この時間になっても乾かず雨ズボンを濡らす。森から抜け草原の道を行く。12時半、池がある淺草皮營地を通過する。
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対岸に石山や溪南山を見て登る |
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淺草皮營地 |
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ヤタケの向こうに馬西巴秀山 |
樹木と矢竹の尾根は狭くなる。急坂を登り、大きな岩をみる。13時18分、馬西巴秀山(マシバショウ山、標高3020m)に到着する。南側は大きな岩が目立つ。15分ほど過ごし、テント地向けて出発する。あまり起伏がないが、岩が多くて歩きにくい。14時、稜線上の窪みで設営跡がある場所に来る。本来その先の岩洞營地を予定していた。しかし、森の中でじめじめしているというので、急遽ここで設営することにする。水は持っているし、平らで適切な場所があれば、設営可能だ。テントをたて、ゆっくりくつろぐ。夕刻が近づくにつれ、西側も谷間は雲で埋まる。17時10分過ぎ、周囲は赤く染まり太陽が石山の向こうに沈み始める。テントサイトわきの小高い場所からは、關山のピラミッドが望める。充実した雲上の時間だ。
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馬西巴秀山山頂 |
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設営を完了 |
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東側は雲で埋まる、新康山が少し頭をだしている |
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關山はここからもきれいなピラミッド |
今日は、縦走のちょうど中間日、実にゆっくりと高山の楽しみを味わえた。普通は6日で縦走を完了することが多いようだが、一日余計にとりゆっくりと山を鑑賞し時間を過ごすのはとても意義がある。また来る可能性もあまりないので、なおさらだ。活動時間約八時間、そのうち休憩は3時間以上だ。距離3.9㎞、登坂291m、下降303m、コース定数13だ。
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太陽が石山の向こうに沈み行く |
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第五日 12月18日(金) 馬西巴秀山營地 - 石洞營地 - 三叉峰下營地 - 卑南主山往返
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一路南へ三叉峰下營地へ向かい、卑南主山を往復 |
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歩行高度表 |
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昨日とは打って変わった霧雨の中、6時半に出発 |
昨日、石山に沈み行く夕陽は翌日の好天を約束していると信じていた。ところが、3時ごろテントに落ちる雨音を聞いて愕然とする。昨日も19時過ぎには就寝していたが、雨音を聞くとまんじりともせずに起床時刻を待つ。雨音は時々止まりまた聞こえる。二日前の天気予報では、金、土曜は天気が良いはずだった。山の天気は変わりやすい。
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岩や倒木の歩きにくいセクションがすぐ現れる |
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石洞下のラマタ.シンシン碑と筆者 |
4時半には起床する。6時半に雨具に身を固め出発する。雨は幸い小降りだ。すぐに苔に蔽われた大きな岩が次々と現れる。20分ほどで、石洞營地に来る。この石洞の脇に碑がある。日本時代の原住民統治に最後まで抵抗したラマタ・シンシン (拉馬達星星)一味がここを仮拠点にした場所ということだ。第ニ日の關山越えの際に触れた大關山事件は、まさにこの人物と息子たちが当事者である。後に逮捕処刑される。その拠点は伊加之藩と呼ばれ、馬西巴秀山から東に伸びる支稜のふもとにある部落だ。ラホ・アレの玉穂社と同じように山深く、その拠点から抵抗を続けていた。
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岩のセクションを下る |
岩がごろごろする下りを行き、標高2900mを切る最低鞍部を過ぎる。大きく登り返す。幸い雨は止む。昨日の雨でぬれたヤタケは、どこもすべて水を含み身の丈を越すものもあり、藪漕ぎというよりは泳ぐが如くだ。手袋なども濡れるが、動いている間はまだ寒さを感じない。冬の濡れヤタケの藪漕ぎは、実にやっかいで辛い。登り返し、草原の道を行く。濡れヤタケの藪漕ぎからから逃れてホッとする。時々、遠くに青空が見えるが、常に薄い霧に囲まれ、遠望はできない。
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崖わきを進む |
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馬醉木の赤い蕾が目立つ |
一部稜線のへりで崖が右に迫る部分もあるが、おおむねは稜線の東側を進んでいく。10時40分、少し平らな草原で長めの休憩をとる。この辺りは少し手を入れれば、テント場になりそうだ。近くに池もある。小一時間ほど休憩後、さらに進む。しばらく上り坂が続く。ところどころ林を抜けるが、ほぼ草原の単調な道だ。枯れているヤタケもある。登りが終わると、割合と平らな道を行く。13時58分、水場へと示す道標を見る。その先10分足らずで、三叉峰下營地が現れる。テント場の脇の窪みには、まだ水が残っている。この水で今日は対応できそうだ。
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稜線の東側を登っていく |
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三叉峰下營地 |
テント設営をすまし、14時50分軽装で卑南主山へ出発する。本来見えるはずの卑南主山は、霧でどこにあるかもわからない。少し登り森を抜けると稜線にでる。草原の稜線を進み、一度ちょっと下ってまた大きく登り返す。15時30分、卑南主山(標高3295m)は霧の中で山頂につく。今回は百岳五座、全部が霧の中で展望がない。ちょっと残念だ。往路を下り、16時25分、テントサイトに戻る。
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@卑南主山山頂 |
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霧の中キャンプ地へ戻る |
南一段に相当する山脈の初縦走は、昭和13(1938)年1月に平澤亀一郎一行によって卑南主山から北へ進み、哈庫諾辛山から關山越道路の大關山駐在所へ降りている。入山は当時の警備道である內本鹿越道路から入っている。內本鹿越道路はその一部が藤枝林道となっている。入山と下山のルートは一部を除いて違うが、現在の南一段逆方向縦走と同じだ。
今日の活動時間は10時間、距離8.6㎞、登坂780m、下降631m、コース定数29である。残りは二日、明日からは主稜線を離れ下山の開始だ。
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第六日 12月19日(土) 三叉峰下營地 - 石山 - 溪南山前營地 - 石山秀湖
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主稜線を離れ西に下っていく |
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石山の登りを除いて下り |
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キャンプサイトの地面は一面霜で白い |
標高3200m草原上のキャンプ地は寒い。寒いのは放射冷却で天気が良いことでもあるが、地面が広く白く霜に覆われているのを見ると、やはりため息がでる。空が白んでくるのを見ながら撤収する。昨日は霧の中で影も形もわからなった、卑南主山がその尖ったシルエットを南の空に描き出す。陽光がキャンプサイトにあたりだした6時40分、出発する。
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朝陽に卑南主山がそのシルエットを描く |
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三叉峰下營地を後に稜線へ上がる |
少し登り稜線に上がる。そこから三叉峰の南側山腹を進む。卑南主山の右遠く、雲海に北大武山が浮かぶ。空には雲が広くかかっているが、高層雲で雨は降りそうもない。今日も天気は大丈夫のようだ。今回持ってきたズームレンズは、本来防滴対応のはずだが低温も影響してか、レンズ内がくもってしまっている。そのため、しばらくの写真はピントがソフトでコントラストが少なくなってしまった。次回の長期縦走は、別のレンズを持ってくるべきか考える。
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山腹道から南方向を望む |
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雲海に浮かぶ北大武山、手前に雲瀑 |
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両側が崩れたナイフリッジ部分を下る |
小さなこぶを越え、次第に下りは勾配が増していく。森から抜け視界が開ける。右には歩いてきた主稜線が深い谷の対岸に長く小關山へと続く。その右には關山のピラミッドある。その間は玉山だ。向陽山から布拉庫桑山へと続く峰の上に新康山が顔を出す。崖崩れで両側が切れたナイフリッジを越し、また森に入る。その先森から出て7時50分、休憩をとる。標高は約3150mだ。
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谷を挟んで昨日まで歩いてきた主稜線が続く |
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小關山や背後の關山がはっきり望める |
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急坂を下る |
更に下り、前方に石山とその先に溪南山へと続く尾根が見える。石山は、その頂に岩峰を載せているので明瞭だ。本来石山の南山腹には林道が走っていたが、台風でだいぶ崩れたようだ。ここから見ても崖崩れがすごい。ロープのかかる急坂も現れ、高度を下げていく。下がるにつれて、下に見えていた石山が高くなっていく。後で登り返さなければならないことを思うと、気が重くなる。8時半過ぎ、標高が3000mを少し切る辺りで、少し開けた場所がある。ここはテントが設営できそうだ。その一角に、修理された長靴が捨ててある。修理してもまだ裂け目が塞げないので、あきらめたようだ。
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岩峰と山腹崩壊が目立つ石山とその背後に溪南山 |
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ヤタケの道を下る、前方に石山 |
そのあたりから、道は森の中を進み、ヤタケも多くなる。単独行の軽装登山者と出会う。卑南主山を目指すといいう。9時20分、陽光が差し込む標高2850m当たりの場所で休憩をとる。坂が急になり、大石が重なるセクションを下る(標高約2650m)。森の中の下草が少なく、倒木にも苔が覆う。11時33分、石山林道が現れる。ここは石山の東鞍部になる。林道はもう不通だが、この場所は平らで広く、さらに500mぐらい行ったところに流水の水場があるので、よくキャンプ地として使われている。小休憩をとる。
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大石の間を下る |
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廃棄石山林道の鞍部、キャンプ地に使われている |
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はじめは尾根を登る |
台風で林道が壊滅的になる前は、林道経由で下山していた。今は林道がダメなので、石山を越していかなければならない。標高差は300mほどあり、下山途中としてはつらいが仕方がない。石山は、その東側は大きな岩壁が露出しているので稜線を追っていくことができない。そこで道は、その岩壁を避けるために北側の山腹を登り気味にトラバースし、最後にチムニー上のガレを一気に高度を上げて山頂に到達している。休憩後、はじめのセクションは緩い尾根を登る。10数分行くと、道は右に山腹を進み始める。12時半に休憩をとる。
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山腹を登る |
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ザレの急登 |
山腹道をさらに進んでいく。背負子にかなりの荷物の単独登山者と出会う。この道は台風で林道がダメになった後開かれた道だが、それからだいぶ時間がたち道筋も明瞭だ。ただ、倒木やザレなどもあり歩きやすい道ではない。13時20分、最後の急登するザレの下に来る。全員がザレを登り切るのを待ち、そこからヤタケの間を山頂を目指す。尾根に上がり、13時57分林務局の廃棄瞭望台に来る。林業が盛んなころは、ここは山火事を発見する見張台だった。いまは鉄骨が残るだけだ。全員がそろい、ザックを置いてすぐ近くの三角点がある山頂へ登る。だいぶ雲がわいてきて、周囲は遠くまで見えないが、石山の岩峰が目立つ。
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岩峰を背景に最後の登りで稜線に上がる |
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瞭望台 |
過去見晴台には、職員が常駐しそのための道が開かれていた。ここからの道は状態が良くなる。山自体もこちら側は岩も少ないようで、ヤタケが密生する林の中や草原をグングン下っていく。14時52分、テントが張ってあるのを見る。おそらく途中で出会った、卑南主山へ往復するという単独登山者の物だろう。そのすぐ下で、廃棄林道に降りる。道幅が広くなる。平らな林道を進み、15時15分溪南山前營地(標高約2450m)にくる。休憩をとる。
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石山三角点地点から見るわいてきた雲と岩峰 |
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どんどん高度を下げる |
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ヤタケの茂る森を下る |
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廃棄林道を進む |
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林道から石山秀湖を見下ろす |
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近道の急坂を石山秀湖へ下る |
残っている水も多くなく、宿泊地は予定通りに石山秀湖へ下ることにする。カヤが茂る林道を行くと、右に林道を横切る急な近道が降りていく。途中3,4カ所ジグザグに下る林道を横切り、15時54分湖の脇に降りる。ここは約標高2290mだ。先ほど溪南山前營地へ向かう途中で見えていたように、すでに多くの登山者が設営している。石山秀湖は、最近けっこう訪れる登山者が多いようだ。設営をすませ、縦走最後の夕食をとる。メンバーの一人が筆者の食料と合わせて一緒に準備する。食事をすませ、暗くなったあと20時までには就寝する。行動時間9時間40分、距離8.3㎞、登坂448m、下降1370m、コース定数25だ。
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石山秀湖 |
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第六日 12月20日(日) 石山秀湖 - 溪南山 - 林道7K登山口 - 台北
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溪南山を越えて下山 |
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溪南山を越えた後はずっと下り |
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出発前湖脇のメンバー |
いよいよ下山日だ。昨晩は、標高が下がったので前日のような寒さを感じなかった。撤収して6時45分に出発する。石山秀湖は溪南山登山口からさらに150mほど低いので、溪南山へ取りつく前にまず登り返しが必要だ。昨日のかなり急な下り坂は、登りに取ると辛い。25分ほどで最上部に登り返す。
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急坂を登り返す |
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溪南山登山道に出る |
昨日は気づかなかったが、近道入口の反対側に登山口が開いている。この部分は昨日みた登山口とは違うが、おそらく石山秀湖へ向かう登山者のために、溪南山登山道の途中からここへ開かれた近道のようだ。昨日キャンプ地で隣に泊まったTさんは、我々と一緒に下山するいうことで、登ってきた。確認すると、確かに近道ようだ。
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尾根道を行く、林務局の連番札もある |
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切り株の脇を行く、頂上はもうすぐだ |
小休憩後、近道に入る。数分で登山道に合流する。ここから溪南山山頂まで標高差150mで、これがこの縦走の最後の登りだ。雑木林のなかを行く道は、昨日の石山からの下り道に比べさらに状態がよい。尾根の幅が狭くなっていく。この辺りは過去の林場だったようで、大きな半分腐りかけている切り株を多く見る。途中樹木の切れ目から、右に小關山が見える。
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溪南山山頂 |
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@溪南山 |
勾配が緩くなり、尾根を追っていく。最後に少し登り、8時半に陽光で明るい溪南山山頂(標高2650m)に着く。樹木が周囲を囲むが、二カ所の切れ目からは石山とその背後に続く尾根と主稜線、主稜線には卑南主山が尖ったピークを見せる。石山の足元には、朝出発した石山秀湖が空を写している。北側には、小關山がデンと両脇に腕を伸ばし座っている。關山は頭に雲をかぶっている。自分の足で歩いた峰々がそこにある。感動のひと時だ。
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溪南山から東を見る、石山とその背後に主稜線、下には石山秀湖 |
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小關山、左の關山は雲の中 |
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貨櫃屋へ下る |
9時過ぎ、下り始める。林道7K登山口は標高約1650m、まだ1000mほどの落差がある。山頂近くはなだらかだが、それを過ぎると一本調子の下り坂だ。9時34分、貨櫃屋(コンテナ改造家屋、標高約2300m)に着く。ここはもともと林道の終点地で作業小屋として造られたようだ。雨水をためたタンクがあり、宿泊できる。電話が通じるようになり、各自安否を連絡する。10時、休憩後林道を進む。林道はすぐに右に近道の急坂が始まる。林道を三回ほど横切り、さらに山道を行く。途中一度休憩し、11時過ぎ7K登山口に降りきる。迎えの車が待っている。今日は活動時間4時間半、距離3.6km、登坂361m、下降1021m、コース定数13だ。
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@貨櫃屋 |
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最後の下り、残りはわずかだ |
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@林道7K登山口 |
運転手が用意してくれていたビールやバナナがうまい。天気も良く、実に気分爽快だ。11時25分、車に乗車し林道を進む。すぐに特有生物中心(センター)の下を進み、山腹をぬっていく。11時46分出雲山管制站の建物脇を過ぎる。この先、本来の林道は崖崩れで流されているので、これを高巻く臨時の道を行く。この部分は四駆車でないと無理だ。幸いに我々の車は四駆車で問題ない。
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草地人溫泉で入浴 |
農家の脇を下り藤枝林道に入る。この道は、つい最近大きな復旧工事が終了し良い道になっている。12時27分、7日前に通った南橫公路に合流する。先に右にとり、不老温泉地区へ風呂に入りに行く。草地人溫泉會館で一週間の汚れを洗い落とし、甲仙の食事処で遅めの昼食をとる。一週間のドライフードや即席めんのあと、いかに美味しいことか。15時食事を終え、長い台北への旅路に着く。日曜日なので一部台北近くの高速道路で、混雑はあったが20時45分に、台北駅に帰り着いた。
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布拉庫桑山への道から見る關山(2020/11撮影) |
一週間の縦走は、過ぎてしまえば夢の如しだ。露で濡れたヤタケの藪漕ぎも、現場では悪夢だが、下山してしまえば鮮烈な記憶でしかない。台湾の高山はヤタケの藪漕ぎから逃れないが、今回が最も大変だった。
主要な山頂からの展望がなかったのは残念だが、展望は山頂からだけではない。草原が多い南一段は、様々な地点から変わり行く景色を見ることができる。今回は、特に一日多く時間的な余裕があったので、堪能することができた。時間に追われて足元だけ見て歩くのでは、もったいない。
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8人乗四駆デリカ |
今回は送り迎えに違うサービスを使用した。往路でも帰路でも、とてもよい車に巡り合えた。特に帰路では、前日わざわざ台北から赴いて、車上で泊まり出迎えてくれた陳良鎮さん(電話0937-892418)に感謝をしたい。前にもこの車を使用したことがある。彼自身もともとガイドをしていたので、山についてはとても理解がある。日本語はできないが、お薦めの車だ。費用は往路の車は5500元、復路は9000元であった。他は山岳保険(285元/人)、高雄の民宿(1500元/部屋)、往路の台北-高雄の汽車代(824元)である。
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