このブログを検索:山名などキーワードを入れてください

2020-12-31

2020年12月31日 桃園神社-大棟山-迴龍縱走 寒波襲来中の年末近郊低山ハイキング

桃園神社

台湾には日本統治時代に多くの神社が建てられた。特に統治末期の皇民化運動が盛んになると、神道が重要な位置づけを受け、神社の数が増えたようだ。今は台北市の圓山ホテルがある位置には、大きな圓山(台湾)神社があった。日本の山にあるように山頂にも神社があったところが多い。しかし戦後、国民政府のもとで神社などは壊され或いは放置され朽ちた。そうした中で、桃園市虎頭山麓にある桃園神社は、忠烈祠としてして残された。去年に復修工事が完了し、かなり日本の神社の風貌が復活した。年末最後の日の活動は、この桃園神社からだ。

西から東へ歩く
歩行高度表
本来30日に予定したが、天気のため一日ずらし年末最後の日の活動だ。桃園神社は2019年5月に一度訪れたが、ちょうど工事中で入れなかった。今回は工事が完了してしばらくたつので、訪れることにした。桃園神社は、後ろに虎頭山がある公園だ。市民の憩いの場所として多くの道がつけられている。神社を訪れた後は、公園の中を進み龜崙山からいったん台1線(縱貫公路)におり、谷の反対側にある大湖頂山経由で大棟山に登った。台北をぐるっと囲む環大台北天際線の縦走路を進み、迴龍へと下った。台北でも一桁台まで温度が下がった寒波の到来があり、夏ではとても暑くて大変な低山ルートも、殆ど汗をかかずに歩いた。

@大棟山


9069Aバスで桃園へ
桃園神社は9時から開園なので、それに合わせて近くの桃園榮總醫院バス停に8時45分集合である。メンバーはそれぞれ便利な方法で向かう。筆者は9069番バスで向かう。7時42分に松江新村バス停にやってきた便に乗る。日本は大晦日で一般は休日だが、台湾は平日で台北から桃園に乗る乗客は通勤者とは反対方向なので、筆者も含め同じバスで向かうメンバーの都合三人だけだ。高速道路は一部混んでいたが、桃園インターチェンジで降り、いくつかのバス停を過ぎる。桃園も多くの住宅が建てられ、随分とにぎやかになったものだ。8時半、桃園榮總醫院バス停で下車する。寒いので対面のコンビニに入りやってくるメンバーを待つ。

日本時代の桃園神社、上の写真と比べて違いは鳥居と樹木だけ

拝殿前で
中門から境内を望む
9時少し前、全員がそろったところで神社に向けて少し歩く。今年の夏前に改修工事はすでに終わっており、今日は全く問題なく入場できる。階段を登ると、神社が現れる。日本統治時代の写真と比べても、鳥居が中国式のものにかわり、樹木が育って大きくなっているのを除き、ほぼ同じだ。境内に入ると、左に手水舎、右に社務所と青銅の馬、そして階段をまた上がると左右に狛犬をみて中門を過ぎ、拝殿とその背後に本殿がある。今は忠烈祠となっているので、祭られているのは神道の神様ではない。本殿も賽銭箱などはなく香炉がおかれている。青銅の馬は、腹に菊の御紋があったが、それは削り取られている。実に日本の神社の容貌を復活したものだ。鳥居の違いがなければ、日本の神社と間違える。台湾に残る神社で最も原型をとどめているというのは、確かだと思う。

本殿
馬の青銅像、菊の紋章が削らている
經國梅園入口
メンバーそれぞれ各自思い思いに見学し、9時25分神社からでて虎頭公園に向かう。神社わきの忠烈祠歩道を登り、少し下って駐車場を過ぎる。經國梅園の門をくぐり梅園歩道を登っていく。9時47分三分山に着き、小休憩をとる。さらに進んで五分山を通過、右に谷に下って山腹道を行く。綠庭緣の入口を過ぎ左に坂を登っていく。尾根に上がったところで右に進む。そこでばったり、知合いの登山者にであう。地元でよくここを歩くそうだ。10時22分、龜崙山(標高224m)に着く。広い山頂からは、前方に龜山の街、そして遠くには頭に通信塔を頂いた大棟山がある。谷間には住宅ビルが立ち並ぶ。

ススキの向こうの龜山、遠くの山は大棟山
縱貫公路を行く、正面には通信塔の大棟山
ススキの間から雑木林を通り、街に下っていく。10時44分、台1線に出る。対面のコンビニに少し立ち寄り、台北方向に交通量が多い幹線道路を進む。車道歩きは、普通はできるだけ避けるが、今日のルートでは避けられない。歩いてみると、ヤクルトの建物やその他新しい発見があり、それはそれで面白い。

新嶺步道のサインが道わきに
新嶺一路に置かれたテトラポッド
約2㎞ほど歩き、11時半陸橋に新嶺步道のサインを見る。右に曲がり歩道入口へと坂道の新嶺一街を登っていく。住宅や町工場が終わると、大きなテトラポッドがおかれ、車が入れないようになっている場所を過ぎる。さらに舗装路を登り、11時41分登山口に来る。登山口の階段で休憩をとる。

まだ新しい階段道
ガジュマロの根で覆われた登山道
12時、まだ新しい階段道をのぼりはじめる。階段は涼亭までつづき、そこからは土の幅広道になる。左側にはトタンの塀で囲われている。途中もう一つの涼亭をみて12時8分、舗装路をまたぐ。対面から山道が始まる。急な坂を登り、12時16分大湖頂山山頂(標高342m)が現れる。三角点基石がなければ山頂というよりは、登山道の一部という風情だ。尾根上の道はしばらく緩やかに進む。少し登っていくと人声がきこえる。涼亭が現れる。そこで人がくつろいでいる。坂道の勾配が強くなり、幅の広い最後の登りを行く。12時36分稜線にあがる。ここからは、環台北天際線總走路だ。左に進み、すぐに大棟山の通信塔を見る。

@大湖頂山
人々がくつろぐ涼亭
大棟山山頂
樹木が切られた秋壇山近く
一等三角点のある大棟山山頂(標高405m)は、樹木がきれて展望がある。桃園側には朝歩いた方向の山、反対側は林口から泰山方面が見える。その先はかすんではっきりしない。展望は良いが、吹きさらしで山頂の涼亭は風で寒い。通信塔下は風があまり当たらないので、そこで食事をとる。30分ほどの休憩後、13時3分頂上を後にする。稜線道は、多くの登山者が歩き、実に広い。地元行政による階段などもあるが、土が流失したものはかえって歩きにくい。大棟山がこの山脈の最高点なので、基本は下りだが小さなピークが現れ、登り返しが何度かある。秋壇山近くの樹木が切り倒されていて、展望がある。数年前と違う。13時21分右に東和街への分岐がある鞍部を過ぎ、その先迴音亭で休憩をとる。

犬の餌がおいてある道標
共同墓地の涼亭から三峽方面を望む
@青龍嶺
更に稜線道を進み、14時大きな共同墓地の上をいく。14時11分山道は舗装路に降り、青德宮の廟の右わきから青龍嶺へ登る。壺の造作がある青龍嶺山頂(標高256m)は良い展望台だ。足元には新莊、大漢溪を挟んで板橋の住宅や工場の建物がびっしりと広がる。遠くの陽明山などはかすんでいる。左には、これから歩いていく三角埔頂山から三福山への稜線がある。その向こうには林口と觀音山が控えている。

青龍嶺から台北の盆地を俯瞰する

三角埔頂山のレーダ施設
犬三匹が先導
急坂を舗装路に下り、進んでいく。右に展望台への桟道がある。少し下り気味に行き、展望台から大台北の盆地を望む。足元の高速鉄道高架橋を列車がしげく通っている。舗装路にもどり、三角埔頂山へ登る。レーダー施設の脇から土の道になる。近くにいた三匹の犬が我々の道案内を買って出て前を歩く。14時48分、山全部がススキに蔽われた三角埔頂山山頂(標高285m)につく。この山は、ススキが有名でその写真を撮る遊楽客も訪れる。実際車やバイクで山頂近くまで来れることもその理由だ。

三角埔頂山の下り、ススキの向こうに三福山と台北盆地
三福山山頂
迴龍へ下る
送電鉄塔の脇からススキの間を下り始める。道にはわだちがある。おそらく四駆が通り過ぎたのだろうが、かなり大変だ。14時59分右から山腹を横切ってくる道と合流する。さらに5分ほど下り、右に石段を少し上がると三福山(標高233m)だ。コンクリで覆われた山頂の一角に涼亭がある。手前の樹木がすこし邪魔だが、ここも新莊板橋方向の展望ができる。15時18分、急な階段道を下り始める。数分で涼亭のある広場を過ぎ、尾根上を下っていく。15時33分忠烈祠の上にくる。忠烈塔から長い階段を下り、建物の脇を通る。建物脇には戦車やミサイルがおいてある。数分で下り切り、忠義街を進む。縱貫公路を歩き15時55分、MRT迴龍駅にたどり着いた。

忠烈祠正門
約16.5㎞の道のりを休憩込みで7時間で歩いた。登坂は896m、下降1011m、コース定数は27である。大棟山は、数年前に歩いた後訪れることはなかった。今回は縱貫公路側から登り、また青龍嶺から迴龍へ下ったが、この両者は初めて歩いた。同じ山でもルートを換えることで、また違う側面を見ることができる。桃園神社は、それだけで訪れる価値があると思う。

桃園神社日本語解説パンフレット


0 件のコメント:

コメントを投稿