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2021-04-16

2021年4月12日 新店蕃薯寮古道-中嶺山-雞心尖 別のルートで再訪

草刈りされたきれいな中嶺山山頂

台北近郊の山は、登山者グループがボランティアで山道の整備をするものが多い。彼らは集中的にある山域の山に入り、手入れをしている。今まで、彼らのおかげで草深く倒木に悩まさる道がきれいになり、尚且つ急坂などにはロープを取り付けられているので、とても助かっている。今回の対象山域は、筆者は過去に訪れているが、ボランティアグループ聯合艦隊がこの一、二カ月入り整備がされている。そこで、この山域の未踏の古道と以前歩いた山道を逆方向で歩くことにした。

東側蕃薯寮から入り雙坑に降りる
台北の水瓶翡翠水庫ダムに沿って続く直潭山連峰縦走路は、九年前に歩き,去年また歩いた。今回のルートは、それとは重ならない部分を含んだものだ。北宜公路蕃薯寮から始まる蕃薯寮古道をへて稜線に上がり,中嶺山へは東側山腹の産業道路を進んで山頂へ、下りは西側山腹を十分子古道鞍部へ向かい,9年前に歩いた雞心尖経由で雙坑へ下った。天気も良く、快適なハイキングであった。

青潭溪の渡渉点
MRT新店駅前のバス停に集合し、7時15分発の緑12番バスで登山口に向かう。平日なので途中にある雙峰國小へ通学する学童も途中乗車し、バスは満員だ。学童が下車した後、さらに北宜公路を登っていく。7時46分、約30分の乗車で先帝宮バス停で下車する。今日は5名の少数メンバーだ。蕃薯寮古道は少し道路を登っていき、まず青潭溪へ下る。沢は細いが、上流にある住居などからの排水があるので、泡立っていて異臭がある。沢を渡り緩い坂を登り始める。杉林の間を5分ほど登ると、右に道が分岐する。蕃薯寮山への道である。この道を行き、8時8分基石のある蕃薯寮山山頂⁽標高355m)に着く。

蕃薯寮山山頂
石段の番薯寮古道
薯寮山山頂といっても、本当のピーク上の山頂というのではなく、基石があるのでそうした呼び方だ。山の斜面のコブといったところか。往路を戻り蕃薯寮古道を登る。そのうち石段が現れ、古道の趣がでてくる。2月に草刈りされた道は、新しい倒木が道を塞ぎ、草がところどころ伸び始めている。勾配がきつくなり8時半、峠に到着する。去年雷公埤山からやってきた場所だ。小休憩のあと、右に道を進む。すぐに土の道路に出る。右に進み果樹園の中を行く。8時49分、左に下る山道をとり進む。

左へ車閂寮古道との分岐へ下る
対岸の山はまだ霧が濃い
中嶺山山腹の舗装路を行く
道路先のタケノコ畑
急坂を下りきると、左から車閂寮古道を合わせその先秀峰路105號民家にでる。今日の天気は悪くないが、霧がまだ晴れず対岸の山々はよく見えない。少し進み車道の分岐に来る。新しい道しるべは、左に九股山方向を記している。この道は、中嶺山の東面山腹を行く産業道路だ。路面の状態はとてもよい。少し行くと左に、祈祷録音を流している土地公祠を見る。道は、山襞を塗って進む。道脇にはタケノコ畑などがあり、地元農民の作業道路の感だ。20分ほどのほぼ平らな歩きで右へ登っていく保線路の分岐にくる。途中、車でやってきた農夫と会う。分岐で休憩する。

送電鉄塔の保線路を登る
尾根上の道を中嶺山へ登る
保線路の一部だが、こちらも舗装された道がジグザグで登る。5分ほどで舗装は終わり土の道が登っていく。9時48分、中嶺山から下ってくる尾根上に上がる。左に下れば九股山へと続く。まだ道整備がされていないが、いずれまた訪れるつもりだ。右に曲がり送電鉄塔の下を進む。道は勾配がきつくなる。緩くなったところで、右側が開ける。遠くには二格山から筆架連峰への山並みが見える。最後の坂を上り切り、10時2分中嶺山山頂(標高626m)に着く。昨年訪れたときに比べ、山頂は広く草刈りがされている。9年前に訪れたときは、台北方向が見えたがその後樹木が育ったようで、遠望ができない。陽光が強くて暑く、早々に下り始める。途中左に翡翠水庫を望み、10時20分分岐に着く。風もあり、休憩をとる。

 二格山を望む
中嶺山山頂のメンバー

翡翠水庫を望む
半壊した家屋脇をいく
10時43分、稜線道から離れ右に下っていく。このセクションは草刈りがされていないが、道筋ははっきりしている。数分で左からの道を合わせ、さらに下る。そのうち、数匹の番犬の鳴き声が大きくなり、人家の前に降りる。舗装路を下り、雙峰路を右に折れて登っていく。右に最近切り開かれた開発地を見ると、道は土の道になり古道然となる。11時2分右に稜線への道を分け、その先で左から沢沿いに登ってくる道と合流する。さらに2分ほど行くと、半壊した家屋脇を過ぎ、峠への最後の急坂を登る。11時1分、十字路の峠に着く。
峠の新旧道しるべ
とてもよい雞心尖への道
峠は、直進すれば十分子へ下る。右は先ほど歩いた秀峰路105號民家へと尾根道が続く。我々は、中嶺山をぐるっと回ってきた形だ。左へ折れ雞心尖へ向かう。すぐ右に風呂桶を利用した水場を見る。9年前もここにあった。当時に比べ、道は下草も広く刈られ、とても状態がよい。途中のコブを越えていき、11時27分雞心尖山頂(標高515m)に着き、休憩をとる。凍らせた八寶粥が冷たく、おいしい。今日は、気温が高く冷たいものがうれしい。

雞心尖での筆者
古い道しるべの残る雞心尖前鋒山頂
広く刈られたシダの間の急坂
20分ほどの休憩後、下り始める。すぐに古い道しるべが残る雞心尖前峰を過ぎ、急坂が始まる。前には苦労して登った急坂は、下りにとると速い。シダの草原も広く刈り取られている。道は右に曲がりこんでいき、そのうち沢筋に降りる。水が流れる小滝を見て、急な涸沢を下る。もとからのものに加え多くの新しい補助ロープが取り付けられている。12時20分、沢筋から抜けて右に山腹道を下る。樹木の切れ目から対岸の北宜公路が近くに見え、だいぶ下がってきたことがわかる。12時33分、土地公前の登山口に降りる。車が数台止まっており、近くにいた住民がバスは13時過ぎだと教えてくれる。

涸沢の急坂を下る

雙峰を背後に北宜公路へ登り返す
雙峰路を下って橋で青潭溪を渡り、北宜公路へと登っていく。登り返しの道は、長く感じられる。振り返れば先ほどいた雞心尖とそのすぐ左に尾根上のピーク二つ並んで天を突いている。12時48分、雙坑站バス停に到着する。まだ時間は早いが、次のバスは2時間後なので、急いで降りてきた。乾いたシャツに着替え、13時4分にやってきた緑12番バスで新店へ戻った。

歩行距離8.1㎞、総登坂606m、下降779m、休憩込みで5時間の活動時間だ。コースタイムは18、半日で終了した軽いハイキングであった。

緑12番バスで新店へ


2021-04-14

Taipei Hiker 10周年の思い 10周年之感言  Monologue on the 10th anniversary 番外記事


「台北ハイカー」をはじめて十年になる。10年ひと昔というが、始めたころの記事の自分を見て、確かに時間が過ぎ去ったことを感じる。記事としては570餘を数える。この十年、その間にはいろいろなことがあった。そうしたことをここで一息ついて顧みたい。ブログは、日本語、中国語そして英語での記事もある。それぞれの言葉で書いてみたい。内容は、必ずしも同じではないかもしれない。

自從我寫起此部落格Taipei Hiker,已經十年過去了。看自己的初期文章,確實發覺時光的長久。到目前為止寫了五百七十多篇。在十年期間有了各樣的事件。剛逢十周年的時期,我回顧一下自己的活動和日常的想法,將以日文、中文和英文寫作我的感言,不過內容不一定相同,可能隨意隨寫。

Since I started this blog Taipei Hiker, 10 years have passed. My early articles definitely make me feel the time has passed away. The total count of article is over 570. There have been many things to remember in the decade. I would like to look back and write a few points of my idea on this 10th anniversary. I place this in Japanese, Chinese as well as English, though the content is not necessarily identical.

2020/10 干卓萬縱走

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日本語

筆者はちょうど今年四月で満67歳、すでに老齢の団塊に属する。年間に6,70回山に行き、今は登山が仕事みたいなものだ。登山は、高校生の時に始めた。高校に入学し、たまたまクラスに山登りが好きな同級生が二人おり、誘われるまま山岳部に入った。今の高校クラブの水準を考えると、信じられないほど広範で危険な活動をしていた。夏の数日にわたる高山縦走はもちろん、冬の雪山、沢登り、そして入門レベルだがロッククライミングもやった。程度は異なるが、大学の山岳部でやるようなことをやっていた。部活動顧問の先生や教頭先生が山好きで、OBも積極的にサポートしてくれていたこともある。

社会にでて仕事を始めると、山から遠ざかっていた。海外での勤務が多いこともある。10年前仕事人生が一段落し、自由な時間が多くなった時、山を思い出しまた登り始めた。若いころに山を歩いていたので、台湾の山を歩くことは地図やその他装備があれば、大丈夫だと思い一人で歩き始めた。もちろん、最初は台北付近のしっかり整備されている登山道のある山から始めた。台湾の山がどのようなものなのか、体験し一歩一歩その程度を上げていく、というスタンスだ。最初の山行は、近くの南港山縦走だった。そのうち、知り合いの日本人友人が同行したいということで、メンバーを連れて歩き始めた。それが、Taipei Hiker Clubの始まりだ。

初期に歩いた日本の友人は、すでに帰国して久しいが、台湾のメンバーが増えていった。初期から今でも一緒に歩くメンバーもいるし、すでに去ったメンバーもいる。筆者は、山が好きで同行したい人を拒むことはないし、去ったメンバーを追うこともない。山登りは、各自の人生の中で日常とは異なる時間を過ごすことで、山を下りればそれぞれの人生があり、お互いに干渉することはない。

台北近郊低山から始まった登山は、その後程度を上げ、中級山や高山の縦走を行っている。歳を重ねると、体力が落ちる。10年前に比べると、やはりそれを感じる。ただし、まだまだ多くの山を登りたいので、登山の頻度は落とさないつもりだし、ジムへも通っている。最近の研究では、登山は健康増進に役立つという。幸い膝が痛い、ということもない。サプリメントなどもとっていない。登山対象を研究し、準備し、実行する。メンバーを連れているので、責任もある。そうしたことが、メンタルの健康にも役に立っているのだと思う。単独登山もよいが、仲間との登山は更によい。特につらい時には、仲間がいるということが、励みになる。仲間がいるからこそ、登山を続けたいとも思う。

いわゆる台湾の高山百岳は、八割登った。残りも引き続き登るつもりだ。もちろん、中級山などまだ歩いていない山も登りたい。体力を維持していく動機の一つでもある。日本も台湾も高齢社会である。老齢者の健康は、もちろん本人自身のものだが、同時に社会に対する責任でもあると思う。社会福祉が存在し、社会として老齢者の健康に莫大な費用を費やしている。健康を維持することが、自分の生活品質を維持するだけでなく、身の回りの家族、そして社会のために重要だ。健康を維持するために、運動は重要である。様々な運動がある。登山は年を重ねてもできる、長く続けられる運動である。

日本は台湾を半世紀にわたり統治した。平地の勢力が山地に住む原住民の領域に入っていく時代だ。そこには、多くの事象が起きた。血と涙の武力衝突もあった。その後アルピニズムの勃興もある。そうしたことにまつわる歴史的な遺物が山に残っている。自らそうした場所を訪れ直に触れることは、筆者の台湾の山岳歴史に対する興味を引き起こした。山に来なければ、認知することすらなかったと思う。台湾の山岳には日本の近代史が存在する、そのことが、日本人として台湾の山を歩くことにさらなる意義をもたらしてくれている。

今から10年後、まだこの世にいるかどうかもわからないが、歩くことができる間は常に登山を続ける﹐仲間と過ごす大切な時間や、新しい場所などに対するチャレンジを続ける。山登りを続けさせてくれる家族や、一緒に励ましあい歩いてくれる仲間に改めて感謝したい。


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中文

筆者今年四月剛滿六十七歲,已屬於高齡群族。一年去爬6,70次的山,登山似乎等於工作。我的爬山活動是高中生時開始的。入學之後,同班裡有兩個愛好登山的同學,在他們的勸誘下就加入登山社。以現今的高中社團活動水準來說,當時的我們社團進行難以想像的廣泛且高風險項目。夏天的數日高山縱走是應當的基本活動,還有冬天的雪山,遡溪,也有入門級的攀岩等,雖有困難度的差異,大學社團才有的活動都去做。五十年後的學弟們連夏天的縱走也在很嚴格的「安全」規定下很難以實行,實在有天地之差別了。當時的社團顧問老師,副校長都愛好登山支持我們,畢業學長也來參加活動監督訓練我們。我太被登山迷惑,一年中的100天都在山上。

進入社會開始工作後,自然而然遠離登山。在國外工作較久也是其原因之一。十年前我離開全職工作面臨多餘時間,想到年輕時很瘋狂的登山去試一試。有年輕時的經驗,我沒有疑慮或不安,只要有地圖和適當的裝備,我覺得應該沒問題,於是單獨去爬台北附近的郊山。儘管有日本登山經驗,台灣山岳還是不一樣,所以我的初期爬山是走路況和路標完善的台北親山步道,陽明山公園步道等,較容易的路線了解環境。我第一次的山行是從家裡看到的南港山之縱走。我如此單獨去走郊山一段時間,日本人朋友要我帶他們一起去、從此有伙伴去爬山了,這也就是Taipei Hiker Club的起源。

初期一起走的日本朋友早就回國不在,後來台灣的山友陸續加入,THC的會員增加到一個水準。從初期留下來一直跟我走的山友也有,離走社團的山友也有。我基本上「來者不拒去者不追」,只要熱愛爬山有共同目標而活動就可以。爬山是離開日常生活進而過自然環境裡的活動.不要拖進平日山下的繁瑣,下山後各自回自己的生活,所以互不干涉。

從附近郊山開始的爬山活動,逐步增加其困難度,如今長期高山縱走,較冷門中級山等都去走。登山的對象幾乎沒有終點,你的實力越高能去越困難的山岳。但過了十年,體力方面的確不如以前。為繼續攀爬更多更難的山岳,還不要減少爬山次數也去健身房體練,以保持體力和毅力。據最近研究,登山活動可以促進身體健康。僥倖我沒有碰過膝蓋疼痛的問題。日常生活裡都不吃補品等,健康上問題還少。事前研究爬山對象,規劃行程而實行。帶夥伴山友去走是一種責任。我相信這些應該對精神健康有幫助。單獨爬山也不錯,但有伙伴一起去更加好。尤其在面對苦難的時候,互相鼓勵而克服,給我多麼的滿足和快樂。對我來說,因為有可信任的伙伴我才能繼續去爬山。

我爬了八成的百岳,還繼續爬剩餘的兩成,也想繼續去爬更多中級山。這就是我運動保持體力的推動力。日本和台灣均成為了高齡社會。高齡人的健康,當然是個人的問題,但我認為保持健康同時是對社會的責任。在福祉社會裡,國家和社會對高齡人的健康支出龐大的費用。保持身體健康不只是本人的生活品質問題,而是對周邊的家庭成員和整個國家社會有影響。運動對健康有很大的好處。很多種的運動中,登山是年紀大也可以繼續去做的運動。

日本曾統治台灣半世紀,就是平地勢力進入山地原住民領域的時代,發生過數不清的血淚衝突,情況穩定之後萌出了登山運動。台灣的山林中還留著好多當時的遺址遺品。在爬山時目睹那些遺址引起我對台灣山岳歷史的關心。如果沒爬山,連想也不會想日本在台的近代史,尤其與原住民相關的歷史。身為日本人,進入台灣山林不只是接觸大自然懷抱而給我更深的意義。

十年後的今日,不知我還在不在世。我還能夠走路就繼續爬山,繼續與夥伴一起過寶貴時光,繼續挑戰自己的體力和毅力。我在此向讓我去爬山的家人,也向鼓勵我前進的夥伴山友們表示深深的感謝!

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English

I just turned 67 years old in this April and belong to the group of "senior citizens". I go for hiking 60 to 70 times a year. Hiking has become as if my job. I started my hiking life when I was a high school boy. I met two classmates who loved hiking. I joined a hiking club of the school upon their invitation without much thought. The club carried out all sorts of mountaineering. Several-day high mountain treks are a must for every summer. Besides we climbed snow-covered mountains in winter and did river tracing, even rock climbing though at a beginners' level, which was just like activities of college clubs though a bit easier. This was possible because the teacher in care of our club and the vice principal were also devoted hikers and supported us. Graduated senior members came and join the activities and trained us. I was enchanted and spent 100 days in wilderness then. Under the today's stringent rules of safety at high schools, our younger members fifty years later find it difficult to carry out even high mountain treks. Indeed time has brought a big change.

Upon entering the society with a regular job, I drifted away from hiking. Due to my job requirement, I stayed away from my home country for a long time and this is one of the reasons too. When I found a lot of free time after leaving my full-time job 10 years ago I thought about my young days of doing a lot of hiking. I tried to hike again without much apprehension because I had a confidence that with maps and adequate equipment I could do it. In spite of my experiences in hiking in Japan, mountains in Taiwan are different and I started out with easy hiking routes in my vicinity like Qinshan trails of Taipei or official trails of Yangmingshan National Park which are in good condition and complete signage, My first hike was to Mt. NanGanShan which is visible from where I live. As I kept hiking trips all by myself for a while, my Japanese friends asked me to take them for hiking. I have gotten my hiking company since then and this is when Taipei Hiker Club commenced.

The Japanese friends of early days in hiking trips have long been back to the country. Local Taiwan friends have kept coming in my club to the present level. Some members have stayed with me since the very early time while some have left. As long as you are a hiking enthusiast and share the same objectives with me, I accept you. If you find it not suitable and leave, I let you go. This is my basic attitude for membership. Hiking is a kind of activity leaving the ordinary day life behind and spend time in wilderness. Everyone has his/her own life after coming down from mountains, so we do not interfere each other.

My simple and easy hiking in the early days has elevated step by step to our several-day treks over high mountains and to less-known mid-level mountains today. If you have more experience and capability you can try more challenging mountains. There is no final goal for it. Compared with 10 years ago, my physical strength has definitely declined, In order to keep going to those yet challenging targets I keep the present frequency of hiking as well as training in gym. Latest studies reveal that hiking can help increase your health, As a matter of fact I have had no trouble in my knees. I take no supplements. I have little health problems in my daily life. I believe it helps to keep your mental health too. I need to study the routes of hiking activities, prepare a plan and carry it out. I have fellow hikers to follow me, which is a responsibility. These things keep my head clear. Hiking alone is fine. If you have company it would be better, particularly in a time of hardship we help each other and get though, which gives me satisfaction and joy. Having fellow hikers keeps me going further.

I have completed 80 peaks of so-called 100 High Mountains, and plan to go to the rest. I want to visit more other peaks too. This motivates me to exercise regularly and keeps myself fit. Taiwan as well as Japan have turned into the "aged society". Health of a senior citizen is of course his /her individual issue. I believe that staying healthy is also his/her responsibility to the society. In a welfare society, the government spends a huge budget for senior citizens. Aged people's health influences their quality of life as well as their family members and the society as a whole. Regular exercise helps you stay healthy. Hiking among many kinds of exercise is a kind that you can do even in elderly years of life.

Taiwan once was under the Japanese regime. It was the era when low land people advanced into the territory of indigenous people in mountains. Countless conflicts of blood and tears occurred. After peace was established, alpinism of Taiwan sprung up. There are many sites of such places of historical events and objects deep in Taiwan mountains. Finding these things on my trips ignited my curiosity in history of Japan and Taiwan.  If I had not had hiked mountains, I would hardly have payed any attention to the contemporary history. As being a Japanese national, hiking gives me another significance besides appreciation of wilderness.

I am not sure whether I will be here in this world a decade later.  Nonetheless as long as I can walk, I will keep hiking, keep enjoying precious time with my fellow hikers and keep challenging my physical capability and will. I hereby express my many thanks to my family who let me go hiking and fellow hikers who encourage me to keep on going!!  

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 1972/01 日本甲武信岳 筆者17歳
Author at Mt. Kobushi-dake  Japan, Jan. 1971 at age of 17

2021-04-09

2021年4月7日 雙溪赤皮崙古道 - 下內平林山 - 土地公山古道 軽い古道ハイキング

柑腳溪から見る下內平林山と近くの送電鉄塔

台北付近の山はだいぶ歩き、未踏のピークは少なくなってきている。既に登った山でも、別のルートで登ったり、逆にたどるとまた新しい側面が見える。今回のピークは下內平林山で数年前に歩いたことがある。この山は別名赤皮崙と呼ばれ、その名を関した古道が近くへ登っている。つい最近、藍天隊がこの道を整備した。この道を歩くことが主目的だ。また下內平林山は、その稜線は淡蘭古道の一部に指定され、行政によりアップグレードされた。もともと土地公山古道と呼ばれる古道を下ることも、今回の目的である。

北側の赤皮崙古道を登り土地公山古道を下る
F812バスがやってきた
半日で終わってしまう山歩きは少し物足りない感じもあるが、時にはそうした軽いハイキングもよい。場所が新北市雙溪區の奥なので、アクセスに時間がかかる。7時半過ぎの区間電車で台北から雙溪へ向かう。台北付近では、通勤時間帯なので満員だが汐止を過ぎると乗客はぐっと減る。8時55分に雙溪駅に到着、駅前のバス停でF812番バスを待つ。このバスは新北市の予算で運転されている無料バスである。民間バスでは採算が合わず、交通の便がない集落をつないでいく公共バスである。日本と同様に、地方では老齢化が進み車を運転できない住民の足となっている。

F812バス車窓から
長源1鄰バス停で下車
雙溪駅前のバス停には、数名の老齢者がバスを待っている。バスは地元民が駅近くのマーケットで買い物をして、帰宅する足である。9時25分F812番バスがやってくる。地元住民の乗車は幸い多くない。今日は、筆者を入れて12名、20人乗りのバスは満員になる。有料の國光客運 781番バスは、台2丙線基福公路を行くがF812は山沿いの細い道を行く。9時47分、長源1鄰バス停で下車する。自家用車でやってきたメンバーが一人ここで加わる。

泰發炭窯コークス窯跡
感礁溪沿いに歩く
支度を済ませ9時5分前に歩き始める。舗装路のこのセクションは、新北市政府が整備している淡蘭古道の一部とされており、立派な道しるべがある。道を行いくとすぐに泰發炭窯の遺跡を見る。コークスを焼くための窯が並んでいて壮観だ。今は静かな寒村の柑腳だが、その昔は炭鉱で栄えた場所だ。当時の名残りである。これも最近の淡蘭古道整備工事の一環として、修復されたようだ。

赤皮崙古道入口の獅子像

刈られた草がまだ青い
柑腳溪沿いに進み、土地公山橋を渡る。そのすぐ先長源橋でまた柑腳溪を渡る。電柱にまだ取り付けられた間もない4月3日付けの道しるべが、赤皮崙古道への方向を示している。道の突き当りに階段道が始まる(標高107m)。階段の脇には数個の小さな石獅子像が取り付けられていて、この道は以前かなり重要なものだったと思わせる。階段がづっと続く。まだ青い刈られたばかりの草や、切り口が真新しい樹木が道にある。階段が崩れた場所も現れる。住民が通わなくなった道は、自然に帰りつつある。
急坂の入口
石段の道
道はそのうち幅が広がり、農園にでると間もなく北38鄉道(平雙產業道路)に合流する。赤皮崙古道を過去のものに追いやった平雙產業道路も、今はトンネルで平溪と雙溪とを結ぶ台2丙線(基福公路)ができたので、沿線の地元民が使うだけの道になっいる。右に舗装路を進む。民宅の前にいる地元民が、古道の入口はすぐ先だと教えてくれる。10時25分、電柱脇からまた急な草刈りされたばかりの土の道が始まる。一部には石段も残る。

エキライオンの文字がある空瓶

鄭求住居跡
農具も残る
10時35分、道の左にかなり広い平らな場所を見る。石積の壁が残る住宅跡だ。鄭求古厝遺址との表示がある。メンバーがまだ刈られて草が重なる中から、空瓶を見つける。瓶にはエキライオンという片仮名表示もあり、日本時代のもののようだ。その他にもコトブキという会社名の空瓶もある。もっと山奥の旧警備道駐在所跡などでは、よく見かける日本時代の空瓶が、こうした近郊の山にあるのは珍しい。

黃家梁家三合院廃屋
赤皮崙9號民宅
古道をさらに2,3分ほど登ると、またさらに大きな廃棄家屋跡にでる。黃家梁家三合院古厝地と記されている。こちらは屋根は落ちているが、中には電気製品が残されていて、電気も来ていた。かなり最近までここで暮らしていたのだろう。厠と思われる場所をすぎて進むと、赤皮崙9號の住所表示の民家に出た。まだ暮らしているようだ。方向が違うようで、廃棄家屋跡に戻り道を探す。道は果たして民家跡に入るところから、右に続いている。

棚田跡と思われるところを過ぎる
稜線道分岐
道はそのうち、谷間を行く。石積の土留壁が現れる。棚田跡のようだ。コンクリ製水槽を見て、右に人造林の間の急坂を登る。そのうち枝尾根にとりつき、11時半、下内平林山の稜線道に合流する。この稜線道は、今は淡蘭古道の一部に指定されている。数年前に歩いたときに比べると、丸太で階段が造られ、随分とよくなっている。小さなピークを越え、11時48分送電鉄塔の下に出る。送電鉄塔は、稜線から突き出た形でとても良い展望台だ。過去に歩いた瑞芳,雙溪の山々が、谷を挟んで連なる。遠く宜蘭の鶯仔嶺や鶯仔頂山まで判別できる。

稜線の道はとてもよい

送電鉄塔からのパノラマ
鉄塔台座上のメンバー
下內平林山山頂の筆者
急坂を下る
展開する風景を見ていると、吹き抜ける風が冷たく感じる。登山道をさらに進み、12時下内平林山山頂(標高504m、赤皮崙)に着く。山頂で昼食をとる。12時40分、下山を始める。淡蘭古道になっている稜線道とは別に、近道となる急な坂道が開かれている。途中右に北38鄉道上の區界涼亭へと登る道を分け、12時56分北38鄉道にでる。そのすぐ先で、道しるべに従い土地公山古道に入る。この古道も淡蘭古道になっているので、よく整備されている。自然工法と称される、その地の石などを使って道を整える方法だ。13時12分、右に絹絲瀑布への道を分けさらに下る。

土地公山古道入口
土地公山古道を進む
土地公山古道入口はすぐ下だ
淡蘭古道の道しるべを見て曲がる
13時16分、眼前が突然開け、畑の脇を土地公山5號の民家脇登山口(標高約150m)に降りる。舗装路を下っていく。13時24分、淡蘭古道の道しるべをみて三叉路を左に進む。土地公山橋を渡り、泰發炭窯遺跡を過ぎる。その先から右へ折れて歩道を行く。柑腳溪を渡る。橋からは、先ほど歩いた山や送電鉄塔が高い。階段を登り威惠廟へ上がる。13時47分、威惠廟すぐ下の長源バス停に着く。これで歩きは終わりだ。14時5分発の781番バスで雙溪駅へ戻り、14時半過ぎの区間電車で帰京した。

威惠廟
781バスで帰途につく
距離6.1km、休憩込みで約4時間、登坂527m、下降458mであった。コース定数15で、楽なハイキングである。道の状態も整備されて間もなく、問題ない。アクセスがちょと遠いが、昔炭鉱で栄えた柑腳を訪れ、近く古道や炭鉱跡を巡って歩くのも良いかもしれない。

満開の山香圓(ショウベンノキ)