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2020-10-28

2020年10月25日 魚寮山 - 新路尾古道 - 新路尾山 - 大竹林山 長雨の後の近郊登山

新路尾山山頂
今年の10月は、季節風である東北風の吹き出しで北部や東部は雨が多い。そのために、1週間前の高山縦走馬博橫斷山行は、はじめの二日だけで中断し下山した。過去の経験では10月は台湾高山の天候が一番安定しているときだが、最近の地球規模の温暖化でそれに影響が出ているのかもしれない。本来、今日はその下山日であった。10月19日に退却下山した後台北の天気はすぐれなかった。週末やっと良くなった。今回の登山は、そうした状況で急遽計画した。

西から東へ歩く

歩行高度
今回登山周辺の山域は、過去そこそこ歩いているが新路尾山は未踏だった。数年前に同じく新路尾古道の途中から分かれて大平林山と内平林山へ苦労して歩いた。その稜線を東に進むと新路尾山に着く。標高300mあまりの小山で、人気があるわけでもない。つい最近この領域の道整備がボランティアによって行われた。そうしたことで今回立ち入ることにした。当初は、新路尾山を登ったあと頂坑山へ足を伸ばす予定であった。ところが、地図上にある稜線上の道は草に埋もれ、入口すらはっきりしない状態であった。そこで頂坑山への縦走はあきらめて下山し、途中つい最近道整備された大竹林山を訪れた。

ハイカーでにぎわう三貂嶺駅
台北を7時34分発の区間列車で出発する。途中駅で車両はすぐに満員になる。台北をはじめ台湾北部はしばらく雨模様の天気が続いた。この週末は、閉じ込められた陰鬱を発散するかのように、多くのハイカーが山へ向かう。8時40分過ぎに三貂嶺駅につくと、狭いホームはハイカーであふれる。こんな盛況は、いままで見たことがない。参加者の一人が、指定の列車に乗れず30分ほど後の列車で来るので、待合室で待つ。9時過ぎ、十名全員がそろい出発する。空は曇りだ。

対岸に舊三貂嶺隧道口
線路わきの休み処
線路沿いに進む。基隆河の対岸には、旧三貂嶺隧道のトンネル入口がある。以前は草に埋もれた入口は、トンネルをサイクリング道路にするための工事が進行中だ。本線下をくぐり、右に平溪線の線路沿いに歩く。線路を渡った廃棄小学校には大勢のハイカーがいる。三貂嶺駅で下車したハイカーの多くは三貂嶺瀑布歩道を行くようだ。この周辺には休み処などもできて、だいぶにぎやかになってきている。基隆河を渡り、すぐに右に線路を渡って幼坑古道を歩きはじめる。

ロープ手すりが取り付けらた幼坑古道
魚寮山山頂
幼坑古道を訪れるのは久しぶりだ。その間に行政によって手入れがされたようで、ロープ手すりや説明看板など、だいぶ観光歩道の様子になってきている。それはそれで歓迎だ。9時41分、峠の分岐に来る。左は尾根を頂坑山へ進む道、右は魚寮山へと続く。ここも別のパーティが休んでいる。今日の古道はにぎやかだ。右に魚寮山へと登る。急坂を過ぎ、5分足らずで登頂する。標高210mの山頂は、最近草が刈られ基石の周りはきれいだ。樹木に囲まれた山頂には展望がない。すぐに折り返し分岐へと戻る。

新路尾古道の分岐点、左は又坑古道
平らで道幅のある新路尾古道
分岐からさらに幼坑古道を進む。少し上り下りのある道を進むこと数分、10時3分新路尾古道の分岐に着く。幼坑古道は大きく右に曲がり進み、新路尾古道は直進になる。間違って入らないようにするためか、こちらの道には柵で塞いである。もともと奥にあった炭鉱からの石炭運搬のためにトロッコ線路があったと思われる古道は、平らで道幅もそこそこある。一か月前日付の道標が新しい。沢を右下に見て進むこと約10分、右下の平らな場所に土地公祠を見る。

新路尾古道から見る土地公

阿媽之家民家跡
六年前同じく新路尾古道を歩いて土地公まで来た。その時は、右に分かれる沢沿いの道を進み、幼坑山から延びる尾根に取りついて大平林山を登った。当時すでに道の状態はあまりお良くなかったが、その後ほとんど歩かれることがなかったようで、今は土地公脇から入る道の入口すらわからない。土地公は、その前に様々な祭器がおかれ焼香されている。古道をさらに進む。10時25分、「阿媽之家(おばあちゃんの家)」と道標がある石壁が残る民家跡に来る。けっこう大きな家屋跡だ。今は竹などに囲まれた、古道でよく見かける民家跡だが、ここは新路尾5號という住所があったようで、移住していったのは比較的新しいのかもしれない。

はじめの渡渉点

胡超群農場の建物
右下の沢はだいぶ近づき、渡渉点に来る。ここからは頻繁に沢を渡っていく。メンバー中一人は登山靴なので、長雨で増水気味の渡渉は大変だ。長靴のメンバーが渡渉の手助けをする。2回の渡渉後、10時41分左岸の開けた場所に2階建ての家屋を見る。一階はオープンだが二階は住居できるようだ。胡超群農場と記してある。広場のはしからまた古道が続く。左岸から右岸、そして右岸から左岸へと渡渉点が途絶えることなく現れる。道脇には多くの棚田跡が現れる。この沢沿い道は、谷が深くなく両岸が緩やかでそこそこ幅もあるので、棚田が多くできたようだ。先ほど見た阿媽之家の住人が、これら棚田を開墾し作物を作っていたのだろう。

上流方向をのぞむ、右の平たいところは棚田跡
枝沢を越す

二俣、雙溪口
源流が近づき沢は細くなってきた
十数回の渡渉を繰り返し、11時23分雙溪口につく。ここで沢は大きく左右に分かれる。左は詰めると頂坑山への稜線に上がる。新路尾古道は右の沢沿いに進む。二俣のすぐ上の棚田跡で小休をとり、古道をさらに進む。ここにもまだ多くの棚田が現れる。これだけ多くの棚田跡が残るのは、珍しい。二俣から八回目の沢を渡る。沢もだいぶ水が少なくなる。左岸に渡ったあと、道は沢から離れ登っていく。最近多くの登山者が歩いた道は、草刈はしっかりされているが、ドロドロの部分もあり滑りやすい。

沢を離れ最後の登りを行く
峠近くの民家跡
新路尾山への急登
12時2分、竹林の中に石積民家跡を見る。この位置は少し沢から離れているが、周囲の竹や樹木を刈り取ればかなり乾いた状態にできる場所だ。すぐ上には大きな綠竹が密生して生え壮観だ。台湾の低山にはこのような竹林が多くみられる。竹の脇は分岐だ。右にとって急坂を登り、12時9分新路尾山(標高315m)に着く。最近草が刈られた山頂は、まばらな竹林に囲まれ、それを通して遠望できる。北側瑞芳の山々や平溪五分山、同じ稜線上の大平林山などが、曇り空に連なっている。昼食休憩をとる。

@新路尾山山頂
新路尾山下の緑竹
知らず知らずのうちに40数分が過ぎ、頂上を後にする。前方の燦光寮山や牡丹山が少しかすんできた。どうやら雨が降り始めたようだ。分岐の鞍部に下り、稜線道を進む。ちょっとした上り下りを行く。地図上で頂坑山への道が分岐する地点に来るが、道らしい道がない。この部分の道は、最近の整備対象ではないようだ。小雨もぱらつき、藪漕ぎしていくのも大変だ。そこで頂坑山への予定を変更してそのまま良い道を下っていく。そのうち道は廃棄されたコンクリ舗装道になる。檳榔林が間もなく現れる。

檳榔林の脇を行く
大竹林山登山口
緩やかな道を下り、峠越えの産業道路(下坑路)に出る。左に折れて少し進み、13時35分大竹林山登山口に来る。小雨が降り、大竹林山へ行くべきか迷うが、そう遠くないので登頂する。廃棄舗装路を少し進み、右に折れて山道に入る。稜線に上がると、まだ新しいロープが取り付けてある急坂を登る。14時、広く草が刈られた大竹林山(標高303m)山頂に着く。新路尾山で出会った、二人パーティがちょうど立ち去るところだ。

@大竹林山山頂

牡丹老街の奥に燦光寮山
メンバー中の三人は山道を雙溪へ下るので、ここで分かれる。他の七名は往路を下り、下坑路を進む。緩やかな下り道は、雨でも大丈夫だ。そのうち雨も上がる。14時51分、102縣道を横切り牡丹老街を進む。両側の家屋のちょうど間に燦光寮山の三角ピラミッドがのぞく。15時4分前、牡丹駅に到着、数分遅れの15時19分発区間列車で台北に帰った。

区間電車で帰京
距離約10㎞、登坂570m、下降594m、休憩込み活動時間は約6時間だ。天気予報では降雨確率20%ほどと低かったが、少し小雨に見舞われた。大降りにはならず、幸いだ。ここずっとぐづつきき気味の天気、その合間の登山となった。コース定数19.5で、今日は楽な登山であった。


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