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2020-10-07

2020年9月29日~10月4日 干卓萬群峰縱走 90数年前鹿野忠雄が登った3000m峰を歩く

北三段光頭山付近から眺める干卓萬山群峰(左端火山、中牧山、右干卓萬山、卓社大山は背後 2017/10)

台湾の中央山脈は、主要な稜脈が北から南へ貫いている。そのほぼ中央辺りから枝のように西側に張り出した一塊の山塊が干卓萬群峰といわれている3000m越の峰々である。台湾島のへその位置にある埔里の南東、台灣最大の河川濁水溪の右岸に大きくその存在を示している。その地理からして、台湾の高山群を望むのに絶好な場所になる。つまりは、雪山山脈から始まり中央山脈の北から南への数々の峰々が眼前に長々と延び、尚且つ玉山山脈も近々に望める。この位置的な優点に気づき、鹿野忠雄は『山と雲と蕃人と』の中で、「中央山脈の能高山以南には、... 高峰がたくさんある。それら未知の山々を眺めるには、この山(卓社大山)は最もいい展望台であるはずだ。」と記している。そして昭和3年7月に卓社大山を初登頂している。

火山から望む卓社大山
鹿野忠雄は、日本の山岳界での認知はあまり高くないように感じるが、台湾山岳界では有名である。第二次大戦終結直前の昭和20年7月、若輩36歳の学者登山家は、北ボルネオにて調査活動中失踪した。18歳の時内地からわざわざ台湾に赴き、開校されたばかりの(旧制)台北高等学校に入学、留年までするぐらいに台湾の山々を多く歩き、動植物調査をしながら数々の高山を登攀した。ハイカラな字句がちりばめられる紀行文は、文学青年的な雰囲気を醸し出すが、山登りそのものはシリアスである。台湾の山岳研究家故楊南郡にて中国語に翻訳された上記紀行文『山、雲與蕃人』は、台湾登山界で広く知られている。

卓社大山山頂のメンバー、背後右の山は干卓萬山
鹿野忠雄は、埔里から前山を越え濁水溪の右岸にある原住民ブヌン族の卓社部落へ入り、その後二日を費やして卓社大山を往復している。当時の高山は、原住民の狩場でもある。その狩猟道をたどり、また狩猟小屋を利用して山頂に近付き登頂している。他の高山がそうであるように、狩猟に訪れた原住民が登頂しているかもしれないが、記録が残る初登頂は鹿野忠雄である。一方筆者一行は、現代登山の一般的なルートである、干卓萬山(標高3284m)から、牧山(3241m)と火山(萬東山西峰、3258m)を巡り、その後卓社大山(3369m)を登る縦走をした。したがって、卓社大山への登りは異なるが、下山路の一部は、鹿野忠雄が歩いた道を歩いた。また、彼が宿泊した狩猟小屋と同じ場所である2900鞍部營地で露営した。

北側からスタートして回遊
歩行高度表、初頭鐵皮工寮への小セクションを含む
干卓萬群峰縦走路上には、難所が二カ所ある。一つは干卓萬山を越えた後の尾根上にある干卓萬斷崖,そして卓社大山へと続く稜線上にある十八連峰である。前者は、崩壊を続ける稜線にからむ岩場、後者は小さな峰々がこれでもかと続き、その前後や両脇は切り立った岩壁が多い場所だ。そうしたことから、このルートは経験者向けと認知され、今年6月に訪れた奇萊北峰東稜ルートと同じく、四大障礙ルートの一つと数えられている。一般的には、萬大(廃棄)林道から入り十粒溪營地で設営、二日目干卓萬山を越えて三叉峰營地で宿泊、三日目にはまず牧山から火山を軽装で往復して卓社大山東北峰下營地で一泊、四日目卓社大山を越えて2900鞍部營地投宿、5日目は武界(廃棄)林道を経て下山する。我々も、この日程で進行した。

赤色の四角が今回の対象地域

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第一日 9月30日(水) 萬大(廢棄)林道林務局鐵皮工寮 - 林道終點登山口 - 獵寮營地 - 十粒溪營地 

鐵皮工寮から十粒溪營地へ
第一日目の歩行高度、一度三來稜山への登りをへる
萬大林道を鐵皮工寮へ出発
我々七人のパーティは、昨日29日午後13時に台北から三菱デリカのシャトルサービス車で出発し、萬大林道9K付近までやってきた。林道の最後の部分は道の状態が良くなく、デリカなどの四駆でないと車高が足らずここまで来るのは大変だ。17時50分に車でいける最終点に着く。そこから約20数分の林道歩きで、宿泊の工寮に18時15分に到着した。この作業小屋は、管理の林務局はすでに使用しおらず登山者が利用している。到着するとすでに小屋には10名近くの登山者が入っており、隣の部屋のコンクリート土間にシートを敷いて寝袋を広げる。

綠色鐵皮工寮
20時過ぎには就寝するが、その後夜中にほかのパーティがやってきて騒がしく、目が覚める。今回は中秋節の連休利用なので、登山者が集中してしまっている。武漢肺炎で海外旅行ができないので、なおさらだ。下車して林道を歩いているときは、周囲は濃霧だった。目覚めると、外は雨が降っているようだ。

ヘッドランプを点けて登る
朝四時に起床する。昨日コンビニで買っておいた握り飯などで朝食をとる。天気は曇りだ。5時過ぎに歩きはじめる。昨日遅くやってきた登山者は、小屋に泊まり切れなかったようで、小屋の前にテントがある。昨日我々より先に小屋に泊まっていた高雄からのパーティーは、ほぼ同じころに出発する。少し進むと、三來稜山への分岐がある。道は右へ登っていく、左は水管沿いに谷を行く。高雄パーティは、大きな荷物を担ぎ経験が多いように見える。昨日のデリカの運転手は登山経験が豊富で、水管に沿って行くと終点になってしまう、と何度か繰り返していた。

林道分岐部
まだ暗い三來稜山への山道
そうした情報があったので、右に取って進む。数分進むが、GPSが示す方向から離れる。おかしいと思い、分岐にもどり水管沿いに行く。こちらはマーカーリボンが多くない。そこでまた悩む。昨日のアドバイスと前方を疑うことなく右にとったパーティのことを思い出し、また戻って尾根を行く道を登り始める。

急な坂道を登る


林道から見る望む
この道は、近道的なものだと思って進むが、なかなか廃棄林道に降りない。一度休憩し、さらに尾根を登っていく。もしこの道が正しくなければ、前方をいくパーティが降りてくるはずだと、自分に言い聞かせさらに行く。8時20分、尾根上の2269峰を越え少し下る。すると鞍部には廃棄された林道がある。尾根を直進すれば三來稜山へと続く。方向からして、この林道を左に降りていけば登山口へ行くはずだ、とザックを置いて林道の状態を確認する。進んでいくと、崖崩れなどもなく歩けるようだ。鞍部に戻る。すると高雄からのパーティが鞍部にいる。彼らは三來稜山へ登ったが、そこで道が終わりになったので、戻ってきたという。

状態のよい廃棄林道


林道終点登山口
これで、林道を行く道が正しいことを確認し進む。林道は、思ったより状態がよい。次第に下っていき、分岐を左に取ってさらに下っていく。9時10分過ぎ、鞍部から約30分の歩きで本来の林道終点登山口に着く。結局、本来の林道ルートに比べ、少し多く登りこの登山口に着いたことになる。鐵皮工寮は標高約1700m、鞍部は2250m、そして登山口は2140mなので、100m多く登ったわけだ。時間的には1時間ほど余計にかかった。本来のアドバイスの場所と三來稜山への分岐部とは、違う場所であったようだ。高雄パーティも我々と一緒に登山口に降りた。つまりは、地図を信じて進むのが正しかった、ということだ。

雑木林の中を行く
ご神木の前のメンバー
小休憩後、9時25分山道を歩きはじめる。道はしばらく平らに進んでいく。山道と称しているが、ここはもと林道であったようだ。道脇には伐採された大木の株が残っている。伐採後は植林されず、自然に任されたようで、雑木林になっている。10時過ぎ、道は登り始める。ヒノキの巨木が現れ、さらに行くともっと太く大きい神木と呼ばれている巨木が立ちはだかる。この斜面に数百年、根を張って生きてきた。

ご神木を後に登る
焚火跡のある小沢わきで昼食休憩

道が平らになる
神木の脇で小休を取り、さらに少し登る。10時32分、平らな場所が現れる。神木營地と呼ばれるキャンプ地だ。テント2,3張は設営できるだろう。道はしばらく緩やかに山腹を行く。崖崩れを過ぎる。道はまた登りはじめる。その後少し下り、11時17分、焚火跡のある小沢を越える。小沢脇で昼食休憩をとる。20数分の休憩後、また登り道を行く。11時54分、獵寮營地を過ぎる。山腹をゆるく行く道には多くの倒木が邪魔をする。これで終わりかと思っても、まだ出てくる。地図上で倒木帯と記されているわけだ。

倒木帯を歩く
雨の中の滑りやすい倒木を越す
午前は陽の光もさしていたが、次第に霧が濃くなり、13時を回ったころいよいよ雨が降り出す。雨具をつける。道は十粒溪に向け急坂で下り始める。13時半ごろ、十粒溪を渡りそのすぐ上のキャンプサイト(十粒溪營地、標高約2500m)に着く。すでに多くのテントが設営され、空地は少ない。なんとか我々の三張テントを設営する。14時前にはテント内に落ち着く。本来5時過ぎに出発したのは、ここのテント設営場所を確保するためだったが、回り道をしてしまったのでこのようになってしまった。

夕方17時過ぎに食事をとる。雨は降り続いている。森の中のキャンプサイトなので風はないが、小枝から落ちる雫がテントをたたく。雨は引き続き降り続いている。明日からの好天を示す天気予報を信じて、19時までには就寝する。初日の歩行は8.3㎞、登坂1161m、下降355m、所要時間約8時間半だ。コース定数は29.6.ただし途中戻ったりしているので、本来ならばこれより少し少ないはずだ。

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第二日 10月1日(木) 十粒溪營地  - 東鞍營地 - 干卓萬山 - 干卓萬斷崖 - 三叉峰營地

干卓萬山を越えて三叉峰營地へ(最後の軌跡は未録)
歩行高度表
夜明け前のテント
4時半に起床する。雨は止んでいる。ただ昨晩の雨で、テントは濡れ寝袋もうっすらと外側が湿っている。隣に設営していた高雄パーティは、支度をしているがこの雨で撤退するという。我々は、とにかくまず干卓萬山に登り、もし天気が好転しなければ危険な断崖部分を避けるため、引き返すことにして6時過ぎに出発する。昨日の雨で矢竹はしっかり露がついているので、ズボンや雨具をつける。

撤収していざ出発@十粒溪營地


ロープの急坂
道はとりつきから胸突きの急坂だ。ロープのかかる急坂が次々と出てくる。沢音は次第に遠ざかる。十粒溪營地から約350mほど途切れることのない急坂は、ところどころ矢竹の海を泳ぎ、或いは木の根が邪魔する道だ。途中で一度休み、7時25分、標高約2750mの少し平らな場所で休みを取る。現れ始めた台湾ツガの梢を通して青空がのぞく。天気は好転している。

矢竹の中の平らな場所で休憩
矢竹の被さる急坂を登る
最後の急坂を登る
さらに急坂を行く。森の底の矢竹は珍しく枯れている。こうした現象は数十年に一度という。奇萊東稜でも同じく矢竹が枯れている場所があったが、今年は台湾高山で矢竹の世代交代が進行しているようだ。8時20分、少し緩くなり陽が当たる場所で休憩をとる。標高は2880m、高度差300数十mの急坂はついに勾配が緩くなってきた。

陽光のもと草原を行く
下方に埔里の街
8時47分、森の中の乳型峰營地を抜けると、眼前に広い草原が出現する。陽光のもと、なだらかな草原を行く。頭上には青空、実にラッキーだ。点在する小池を見ながら、草原道を行く。先ほど登ってきた乳型峰の遠く下方には、埔里の街の一部と思われる平地も見える。9時9分、開けた東峰營地で休憩をとる。早速、昨日雨に濡れたテントやその他装備を取り出し日干しする。太陽が嬉しい。そのうち、別のパーティがやってきた。台中からで、昨日は獵寮營地に設営したという。

陽光のあふれる東峰營地で休憩
ニイタカマンネングサ
約40分ほどの休憩の後、9時43分まだ標高差約200m以上ある干卓萬山山頂を目指す。勾配がまたきつくなる。下方から見ると山頂付近は雲であったが、その雲の中にはってきて周囲は霧が濃くなる。ニイタカマンネングサの黄色い花が岩陰に咲いている。今回初めて見る高原植物だ。10時39分休憩をとり、さらに進む。坂は緩くなり、稜線右側を進んでいく。

濃霧の山道を進む


道わきに水鹿の死骸
11時10分、道は森を出て眼前には霧に包まれた草原が広がる。後ろを歩いているLさんが呼び止める。振り返ると、道わきに水鹿の死骸が横たわっている。毛皮の下には白骨が透ける。死後時間がたっているようだ。どのようにして死んだのかわからないが、これが命の摂理だろう。広い霧の中の一本道を登っていく。11時28分、干卓萬山(標高3284m)山頂に着く。途中は青空が広がっていたのだが、山頂は霧の中、一瞬薄れることはあるが残念ながら展望はない。

干卓萬山山頂
一瞬霧がはれ下っていく方向が見える
干卓萬山山頂の筆者
粘板岩の壁脇を下る

反対側から登ってくる登山者がいる。撤退するということだ。12時過ぎ、約30分ほど過ごした山頂を後に、緩い坂を下り始める。広い稜線は次第に幅が狭まり、馬の背になっていく。白いコダマギクや紫のトリカブトを道端に見る。秋の入口だがまだ多くの花が咲いている。12時20分、ロープが取り付けられた岩場が出てくる。いよいよ干卓萬斷崖のプロローグだ。粘板岩の山は、もろい。風化されやすく、ザレになる。落石も発生しやすい。濃霧で見えないが、ナイフリッジの両側とも千丈の谷だ。


崩壊が続く稜線
一度ニイタカトドマツの森に入る
また崩れやすい稜線脇を進む
濃霧の断崖セクションを登る
遠景がまったくないので、足元に目がいく。ニイタカマツムシソウが紫の花を付けている。一度森に入って登り返し、13時過ぎ樹林營地を通過する。また少しくだり、干卓萬斷崖ハイライトのセクションが現れる。稜線は浸食がすすみ左(北)側は、土が雪庇のよう浮いているところがある。今も風化が進行中で、道は常に右側に移動していく。霧に包まれた険悪な岩峰が待ち構える。長く続くロープセクションの足元は崩れやすいザレ、落石を警戒しメンバー間距離を開けて進む。三段ほどの岩場セクションを登り、灌木帯に入る。またザレの急登をすぎ、14時16分休憩をとる。少し平らな場所にはえる台湾ツガの幹には、ニイタカマンネングサが苔の間にこびりつく様に花を咲かせている。寄生植物ではないので、幹についている土壌にはえているのだろうが、初めてみる光景だ。

断崖をだいぶ登ってきた
台湾ツガの幹にはえる花
倒木が厄介な最後の急坂
三叉峰に向けて最後の登り
三叉峰營地に到着
樹木がまばらに生える稜線を数分行くと、最後の急坂セクションに出る。倒木が溝に倒れ、そのわきを登る。最後には倒木を越えるが、重いザックを担いで越えるのは厄介だ。全員登り切り、干卓萬斷崖を後に三叉峰への最後の登り坂にとりかかる。標高差は、残り5,60mだ。坂が緩くなり、15時14分広い草原の三叉峰に出る。少しくぼんだ所でザックを下ろし、テントを設営する。すぐ前には、小さな水たまりがあり、それが水源にできる。

水溜まり脇のキャンプサイト
霧が晴れて牧山方向の稜線がはっきり見える
テント前を、後続のパーティが通っていく。もう少し進んだ避風營地や牧池營地まで行くという。我々の近くに設営するパーティもある。1時間ほどすると、霧が晴れてくる。17時過ぎに夕食をとる。そのうち水鹿が現れたと、テントの外から聞こえる。外にでて近くをふらつく。夕陽に雲海が染まり、霧が忙しく山肌を登っていく。18時過ぎ、満月が東の空に登ってくる。今日は旧暦八月十五日、中秋節だ。20時ごろ就寝する。

十五夜満月で明るい
今日の行動は、9時間強、距離約6㎞、登坂1020m、下降270mとなる。コース定数は、28.7だ。ただ、出発してすぐの急登が続いたり、危険な断崖セクションがあったりしたので、気分的には昨日より厳しいと感じる。

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第三日 10月2日(金) 三叉峰營地 - 牧山 - 火山 - 牧山 - 三叉峰營地 - 東峰東鞍營地

先に牧山を挟んで火山を往復、その後東北鞍營地へ
鋸刃状の火山往復と東北鞍營地への歩き
池には薄氷

昨晩は風はなかったが、かなり寒く感じた。薄手の寝袋を持って行ったので、ダウンジャケットなども含め着れるものを着込んで寝たが、寒さで目が覚めた。5時前に起床し、外に出ると西の空に満月が明るい。星も見える。今日は快晴だ。6時テントを残し、軽装で第一の目標牧山へ向かう。幅の広い緩い草原の稜線を下っていく。道脇の池には薄氷がはり、干上がった池には霜が降りている。昨夜は零度を下回ったということだ。寒いはずだ。

夜明けの三叉峰から北方をの望む、雪山山脈(左)は中央山脈北部が一望
牧山と牧池營地
牧山山頂のメンバー
坂を下り切り、右下に牧池をみて登り返す。6時22分、牧山山頂(表王3224m)に着く。山頂にはすでにほかのパーティがいる。早朝の高山山頂は、実に素晴らしい展望台だ。昨日の干卓萬山山頂は、霧の中だったのでなおさらだ。冒頭で触れた鹿野忠雄が期待したように、干卓萬群山は、その地理から広い範囲の山々を確認できる。北遠くには雪山山脈の主峰から延びる西稜大小劍を含む西南稜、手前に白姑大山、その東は合歡山の山塊だ。合歡山の右遠くに南湖大山と中央尖,またその手前右に目立つ少し傾き気味の三角ピークは奇萊北峰,右に奇萊主峰,そして能高山,能高南峰から安東軍山へと北三段の山々が続く。近くには馬海僕富士山が特徴ある山頂を見せる。これら峰々、今まですでに歩いてきた。

雪山山脈を遠望する、手前には朝もやの中の清境農場
合歡山から奇萊山、能高山の山並み、手前左に馬海僕富士
南方向の展望、長い南三段の山並みの右遠くには玉山
玉山の遠望
視線を東から南に向ければ、北三段が終わる七彩湖付近、それから続く南三段の膨大な山塊が続く。途中の鞍部から馬博橫斷の山々がちょっと顔を見せる。この山塊のさらに南は玉山山脈だ。主峰を挟んで、左から南峰、東峰、北峰、北北峰が存在を主張している。さらに右に、群大山が盛り上がる。南遠くには關山の三角ピークも頭を見せる。まだ歩いていない山頂も、これから訪れることがあるだろう。

前方遠くの火山を目指す
森の中を進む
牧山山頂は、帰りにまた立ち寄る。火山まではまだ先が長い。6時40分前、稜線道を下り始める。台湾百岳ルートには、このように空身で往復する山がある。南東に伸びる稜線を行くと、一番遠くに前のピークで半分隠された火山が見える。火山は標高が3258mで牧山とほぼ同じだが、その間にはいくつかのピークがあり、山腹をトラバースしたり乗り越えていかなければならい。距離がそこそこあるので、それも時間を要する原因だ。

ニイタカトドマツの森の矢竹は枯れている
崖際を進む
下っていくと森の中に入る。森の底のヤタケは枯れている。7時10分過ぎに小休を取り、さらに進む。最初の3251峰は右(南)側の山腹をトラバースしていく。トラバースといっても、平らではなく、障害物を避けるため上り下りがある。そのあとの二つのピークは忠実に尾根を追って上り下りを繰り返す。7時50分、3220峰南側の大崩壊の上を進む。その先すぐに、前方が大きく開けて、火山が前面の3228峰の奥に大きくそびえている。3228峰は、急な岩峰が樹木を纏ったような様相で、壯觀である。このピークを登るのかと思うと、道はその北側のふもとを下っていき、稜線は追わない。カール状にえぐれた草原に点在する池の近くに下り、8時10分過ぎ休憩をとる。

手前の岩峰の左に火山
火山へ最後の登り、背後は牧山、干卓萬山
道は尾根上に戻り、火山への最後の登りが始まる。偽ピークは右(南)側の山腹を登る。最後の草原斜面を行き、8時42分火山山頂(別名萬東山西峰、標高3258m)に着く。一般の百岳ルートはここまでだが、実は此の山の稜線を下っていくと、中央山脈北三段上にある草山(標高2811m)へと続く。北三段も安東軍山以南は、歩く登山者が少ないので、この稜線を歩く登山者も非常に少ない。進むにはそれなりの準備が必要だ。

火山山頂から望む北、東、南方向の大パノラマ
火山山頂の筆者
火山山頂からは、明日登頂予定の卓社大山が西南方向に卡社溪の源流を挟んでそびえる。その山頂から右(東)方向には、岩肌をあらわにしている小さなピークが長く連なる十八連峰が、そしてそのさら右には卓社大山東峰とそのすぐ下に広がる草原の東北鞍營地がある。今日の宿泊予定地だ。卓社大山の左側には、牧山からは隠れて見えなかった郡大山からさらに北に延びる尾根上の清水山、金子山そして金字塔の西巒大山が続いている。

山腹巻き道から牧山方向を望む
蝶が腕にとまる、塩分補強か
陽光のあふれる山頂で40分ほど過ごし、9時22分往路を引き返し始める。朝は氷がはるほどの寒さだったが、日光の下では今は暑いぐらいだ。幸いこの往復の道は、登り下りの差が大きくても100m以内なのが助かる。途中休憩をとり、11時半牧山へ戻る。山頂で10分ほど過ごし、最後のセクションを三叉峰營地へ登り返す。途中のキャンプサイトに設営していたパーティも、撤収して次の目標へ出発している。12時少し前に我々のテントに戻る。

前方に見える東北鞍營地に向け下っていく
鞍部近くの木陰で休憩
1時間半ほどゆっくり食事と撤収をすませ、13時45分次のキャンプ地へ向けて出発する。目的の東北鞍營地は今の位置より少し低い標高3100mぐらいの対面にあるが、先に鞍部へ落差約200mほど下る。下り始めは少し急な草原の坂を下る。池の脇を通り過ぎ、そのうち森の中を下る。休んでいるグループの脇を通り過ぎ、14時25分、標高2970mあたりの木陰の下で休憩をとる。

最低鞍部は矢竹の藪漕ぎ

歩いた山々を背後に最後の登り
雲海の上に干卓萬山
さらに少し下り、ヤタケが密生する谷間の鞍部を通過する。ここから約130mほどの登り返しが始まる。この斜面は樹木があまりなく、午後の強い陽光で少しつらい。ただ風を感じるのが幸いだ。ジグザグの坂を登りつめていく。振り返っては、対面の山が低くなってくるのを確かめる。15時35分、東北鞍營地に着く。すでにかなりの数のテントが張られている。我々は池のすぐわきの草地に設営する。メンバーは少し離れた伏流が流れ出す場所へ水くみに行く。

夕暮れ迫るキャンプサイト
16時半過ぎ太陽が山の向こうに沈むと、急に気温が下がり始める。昨日は霧の中の登頂だった干卓萬山が、谷を埋める雲海の上に浮かんでいる。苦労した斷崖部分も小さな峰と崩壊面が雲の上にある。18時頃食事をすませ、20時までには就寝する。今日も月が明るい。活動時間は休憩込みで9時間半、距離9.7km、登坂846m、下降996mである。コース定数 29.1である。

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第四日 10月3日(土) 東峰東鞍營地 -十八連峰 - 卓社大山 - 2900鞍部營地

十八連峰と卓社大山とを越えて2900鞍部へ
歩行高度表
夜明け前に出発
今日は難所十八連峰が控えている。できるだけ早く出発するため、3時半起床5時に出発だ。まだ月が残っている。日出前で、まだヘッドランプを点灯して進む。道はテント場のはしから登り始める。しばらく登ると、比較的平らな道を行く。西に向かって歩いているので、まだ月が前方の山並みの上に掛かっている。空が白み始め、卓社大山が遠くに佇んでいる。その手前には左(南)側に白い岩壁を見せるいくつかのピークがある。

月が空に浮かぶ、遠くに卓社大山
太陽が稜線を昇る
5時47分、太陽が尾根の上に顔を出し始めると、山肌はたちまち赤色に染まり、そのうち黄金色になる。小さな岩場を下り、森を抜ける。6時18分、前面にはまた広い草原が広がる。小さな水たまりがある。ここも設営できるようだ。最近取材した台灣誌MIT番組は、此の地を快樂營地と呼んでいる。下り気味の草原を進み、枯れた矢竹の間を行く。森の中の鞍部には、黒い池がある。そのわきを登り始める。十八連峰の難所がいよいよ始まる。

"快樂"營地
十八連峰の始まり
十八連峰は、本当に18のピークがあるわけではなく、多くの小ピークがあることを示している。地図上に記されているピークは八つだ。小ピークを登り降りするのは、それ自体面倒だが、それにまして、ロープが着く岩場やナイフリッジ、道のすぐわきの切れた場所など、気が抜けない難所が次々と現れる。当然通過には、距離に対して時間を多く要する。

岩壁の登り


登り下りを繰り返す
軽装で卓社大山を往復するという小パーティが追い越していく。その先の岩場で登っていくのが見える。自分たちもそれを追って登り、また下る。そうしたことを繰り返し、8時に狭い平らな場所で休憩をとる。谷を挟んだ南側対岸の山の緩やかな斜面には棚田のようなものがある。何なのかわからない。近くに住居があるわけでもない。不思議だ。尾根の北側は、遠くに埔里の街が見える。そのさらに先は海だが、そこまでは判別しない。

埔里の街を望む
棚田状の地形が対岸に見える
岩場を下る
下っていくと、長い下りの岩場がある。またその先には2カ所の岩場を下る。狭い尾根を進み、白っぽい幹の台湾ツガの森の中を登る。まだ上り下りが続く。大岩が並ぶ尾根を越えていくのはバランスに注意が必要だ。休みたいが休める場所がない。11時、降りた鞍部は全員が休める場所がある。出発の時は、できたら流水水場のある48K工寮への可能性も考えたが、今までの所要時間や体力消耗を考えると困難だ。そこでこの日陰の場所でながい昼食休憩をとる。

左奥に見える卓社大山になかなか近づかない

岩壁の登山者はまるで蟻のようだ
白っぽい樹幹の台湾ツガ林

ついに卓社大山は目の前だ
12時過ぎ、卓社大山への最後のセクションを進み始める。今までは同じような高さを登ったり下ったりだったが、これからは高さを稼いで行ける。登りつめ広い草原に出る。また岩場を下り、卓社大山前山頭の脇を登る。最後の登坂は、日差しが強くつらい。汗も流れる。坂が緩くなり、12時54分広い草原の上にちょこんと突出した山頂(標高3369m)に到着する。今回縦走の最高点だ。すでに多くの登山者が近くで休んでいる。その中には、以前台北ハイカーグループの台北近郊登山に参加した、ドイツ人やフランス人の登山者がいて、奇遇の再会に驚く。

山頂へ最後の草原を登る
卓社大山山頂
十八連峰を背後に筆者
広い山頂の北脇にいき、歩いてきた十八連峰を見下ろす。その向こうには干卓萬山から牧山そして火山に連なる稜線が連なる。よく歩いてきたものだ。卓社大山の山頂は屋根型で、その南側は切れ落ちている。反対側は今まで歩いてきた十八連峰だ。南側を望むと、屋根型山頂の向こう玉山連峰が一望だ。一世紀近く前、鹿野忠雄も同じ風景を見ていたはずだ。「台湾の山岳は高度も高く、そのスケールも大きい。下方は熱帯の炎暑に取り巻かれ、途中は荒々しい断崖に遮られる。しかしその多くは、頂上が何と平和な姿をしていることだろう。…」我々も、まさに同じような環境を経てここにたどり着き、柔和な風貌の山頂で周囲の山岳を眺めている。

歩いてきた十八連峰の背後に干卓萬山(左)、牧山を挟んで右に火山
草原を下り始める
13時52分、名残惜しく山頂を後にして下山を始める。鹿野忠雄は続ける。「まだ山頂には和やかな日光が暖かく照っているのに、そして青い山がまだ見えるのに。我々は、二度、三度この頂を見直して、頂上を後にする。」道は、緩やかで広い草原をしばらく進む。14時4分、尾根型尾根の最後に着く。ここから下方に今日の宿泊地である2900鞍部營地が見下ろせる。そして草原の一角には茶色の池があるのが見える。鹿野忠雄は登頂のルート上で「…その下にはちょうど今通ってきた急坂が森に被われて見下ろされ、また露営地が足元に見えて、小さな水溜まりが紅茶のような色をしている。」と記している。

足元に2900鞍部營地と池を望む
ガレーを下る
すぐに道は急なガレーの間を下る。足元はざらざらと流れ、緊張する。下って右にトラバースし、尾根上を下り始める。まだ300数十メートルの落差がある。急坂から緩やかな坂がしばらく続き、また坂が急になる。そのうち枯れた矢竹が続く緩やかな坂が続く。14時50分、矢竹のわきで休憩をとる。さらに下ると、またヤタケの密生地をくぐっていく。ここは枯れておらず、視界を遮る。矢竹が途切れ、左に谷を埋め尽くす雲海が広がる。その雲の上には、玉山山脈末端の郡大山から西巒大山、治卯山の山塊が浮かんでいる。15時37分、森から出て右に天幕をはった場所がある。さらに少し進み、鞍部に着く。15時45分、左に少し下り、草原のキャンプサイトに着く。100年前はブヌル(水溜まりの意)の小屋と呼ばれたブヌン族の狩猟小屋があった場所だ。

枯れた矢竹の間を進む
雲海の彼方に西巒大山などが浮かぶ
2900鞍部營地から卓社大山を望む
設営も官僚
キャンプサイトは、森に囲まれた草原だ。その西端には大小の池が二つある。水はかなり茶色だ。鹿野忠雄の言葉を借りよう。「標高は一万尺足らずであろう。... 絶頂はすぐ頭上に聳え立っている。…頂上に至る斜面は急な崖になり、ニイタカトドマツの密林が簇生して台湾山岳独特の景観を描きだす。草原の両翼にはタイワンツガの大木が生い茂って枝を交え、その背後は急な断崖である。真にここは理想的な野営地だ。...水もあり、山荒れにも平気、この要害では敵蕃が襲撃するのにも容易ではないであろう。」我々はテントを設営し、メンバーは池に水を汲みに行く。水はフィルターで濾す。メンバー同士協力し分業で対応している。心強い。

18時半ごろ夕食をとる。暗くなっても、外から声が聞こえる。下山してきたパーティーのようだ。休憩込みで10時間半の行動時間、距離6.3㎞、登坂504m、下降724m。距離や上り下りの数値は、時間に対し少ない。十八連峰など、緊張する上り下りが続き、そうした数字に対し多くの所要時間となる。コース定数26.3だ。

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第五日 10月4日(日) 2900鞍部營地 - 卓社山 - 43K工寮 - 武界林道 - 粟栖溪 - 登山口 -台北

下山は稜線ルートと武界林道
2000mの高度差を下る

撤収作業も終わり出発だ
朝陽の差し込む森を登る
いよいよ下山日だ。4時半に起床する。昨晩も寒かった。テントには霜が降りている。6時、撤収をすませ出発する。ここからは、右に武界林道へと下る道があるが、最近数年は稜線を下っていく道ができたので、こちらは歩く登山者が少ないようだ。我々も稜線道を追って約数十メートルの無名ピークへ登る。森の中の道は、間もなく最後部を越え下り始める。樹木が切れた場所から、玉山山脈が朝もやを足元に纏って近くに見える。

玉山山脈が朝霞に浮かぶ
稜線を下っていく
急な坂がしばらく続く。森の底の下草は少ない。7時29分、鞍部に降り卓社山へ登り返す。数分で山頂(標高2652m)に到着する。樹木中の山頂は展望がない。数名の登山者がくつろいでる。鹿野忠雄もここを通り過ぎたはずだが、当時は山名もなく、記述する対象にもならなかったのだろう。数分休憩し、48K工寮に向けて下り始める。道は卓社山からさらに尾根を辿って林道へと下る道もできているが、我々は流水の水場を求めて右に工寮へ下る。

卓社山山頂のメンバー


林道を48K工寮へ
尾根を下る道はかなり急だ。今は時間的に短くて済む新道を行く登山者が多いようだが、こちらもまだ道筋ははっきりしている。稜線から離れ山腹を行く。けっこうザレていて、落石に注意する。8時17分、林道に降りる。右から旧道である2900鞍部から下る林道を合わせる。すぐに近道になる山道が左に降りていく。そのうち道は杉人造林の間の緩い道になる。8時38分、レンガの壁だけが残る48K工寮に降りる。標高は約2250m、登山口まで高度差はまだまだある。

48K工寮
 林道のがけ崩れ部分を行く
メンバー三名が少し先の水場へ水くみに行く。そのうち戻ってきて、ここでお茶を沸かしゆっくり休憩をとる。いままでは、体が水不足気味だったので、多くの水分をとる。10時10分過ぎ、いよいよ林道を歩きはじめる。山腹を進む道は、緩い下り坂で気持ちも楽だ。廃棄されて久しく、もちろん崩れている場所もあるが、ほかの林道に比べればまだましなほうだ。48Kから10分ほどで、小沢の水場を通過する。右側には、干卓萬山の一部が望める。11時3分、新道を降りてくるパーティを前方に見る。林道歩きはここで終わり、少し近道を下る。先に小休憩する。

背後に干卓萬山をみて林道を行く
林道から近道への部分、前方にほかのパーティが

急坂の近道
近道は、急坂だが林道を歩くよりはるかに短い。15分で下り切り、林道に降りる。しばらくはとても状態のよい林道歩きだ。11時39分、大きな看板が現れる。民国66(1977)年7月の日付で濁水溪造林中心區と表示されている。戦後国民党政権時に新たに開発された林場だ。その後は、ほかの林場と同じに、廃棄される。しばらく休憩する。標高は1870mぐらいだ。先ほど合流した尾根上を進む新道や当時はまだできていないがこの林道部分は、鹿野忠雄が歩いたルートだ。我々はその先林道と同じに山腹を下るが、鹿野はそのまま稜線を下って卓社部落へ下ったはず。


民国66(1977)年の大看板
杉林の中の近道
さらに林道を数分進み、またジグザグに下る林道を突っ切っていく近道が始まる。12時22分、近道を降りきりまた林道に降りる。しばし休憩をとる。標高は1600mを切り、気温も高くなる。山上の服装では暑いので、着替える。さらに下り、林道に取り残されたオートバイを見る。筆者が30数年前に見た形式のバイクだ。まだけっこう状態がよい。林道上からは、すでにとても高く山頂が見えない干卓萬山とその右に干卓萬斷崖も高く浮かんでいる。

林道に取り残されたオートバイ
干卓萬山が高い、右に断崖が見える
高度も下がり植生も換わる
さらに近道を下り、14時小沢の水場(標高950m)を通過、植生もだいぶ変わってきた。川の水音が近づいてい来る。道は緩やかになる。14時16分、粟栖溪(標高805m)に降り立つ。山歩きは終了した。メンバーは思わず歓声が沸く。広い河原を、車が停めてある道の方向へ進む。場所を見定めて渡渉する。さすがに川幅のある粟栖溪である、水量はそこそこあり流れも強い。膝ぐらいの水流を横切る。長靴に水が浸水する。対岸に渡って長靴の水をだし、靴下を脱ぐ。残りのメンバー渡渉を助け、全員で川の上部にある道路へ登る。14時46分、シャトルサービスの車に着き、終了する。

粟栖溪の河原


黒犬が見守る中靴などを履き替える
車にはビールもあり、最高だ。歩き終えた満足感のビールは、何もにも代えがたい。サンダルに履き替えたり、荷物を車に乗せたりして、15時前には帰途に就く。途中武界でシャワーを浴び、埔里で夕食を食べ、21時前台北に戻った。活動時間は、休憩込みで8時間半だ。登坂194m、下降2142m、距離10.8㎞だ。下降高度は、6月の奇萊東稜の最後の下山と似たような水準だが、距離が短く楽に感じた。コース定数21.7である。



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ニイタカマツムシソウ
去年一度企画したが悪天で中止、今年も夏に企画したが同じく天気のために延期、三度目の正直で実現した干卓萬群峰縱走であった。そのたびに構成メンバーが替わったが、今回は体力的にそろったメンバーで順調に終了できた。安全に歩き終えることが、何よりも大切だ。さらにメンバー同士、お互いに助け合い協調して作業にかかるなど、とても素晴らしいグループであった。5日間を要した縦走全体のコース定数は135.4となる。



トリカブト

今まで何度が、別の高山から眺めてきた干卓萬山群峰。またつい3、4年前までは黒山と呼ばれ禁じらていたので、もぐりでしか登れなかった山塊は、今は開放され何のわだかまりもなく登山できる。勿論それだけの体力と経験が必要なのは言うまでもないが、入山許可書も正式に入手して入山することができるのは良いことだ。

コダマギク
今回でいわゆる百岳のピークは四座歩いた。自分の百岳カウントも増えてきた。今後も引き続き新しい場所の百岳を登っていく。百座全部を登るのは、まだ障害もあり簡単ではない。筆者としては、百という数字を満足できればそれはそれで嬉しいが、新しい山域を登るということは、なにより好奇心や冒険心を満たしてくれる、それがまず第一の目的である。



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