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2023-09-15

2023年9月12日 苗栗縣南庄 加里前山隘勇線の遺跡を訪ね再び騰龍山を登る

一水分遣所遺跡の石積土台
苗栗縣南庄の加里山は、多くの登山者が訪れる人気の山である。筆者はいままで異なるルートから三回登頂している。今年も近くの大坪山を訪れた。今回の目的地は、加里山の西側、南庄側からみると加里山の前衛になる山に1908年に設けられた隘勇線の遺跡を訪ね、その道筋をおって三年前に訪れた騰龍山(橫龍山北峰)に再び登頂した。

時計の針周りで回遊
隘勇線とは、一言でいえば台湾の山地に居住する(していた)原住民と平地との間に設けられた境界である。今まで、当ブログで何回か触れており、最近の台北近在の獅仔頭山登山ルートガイドでも紹介している。日本が1895年台湾を領有したあと、山地の資源開発の際に起きた原住民との流血衝突を防ぎ、その帰順を強いるための制度である。今回訪問の隘勇線も、樟脳生産を主とする山地開発が山の奥へ奥へと進むに従い、それまでにある隘勇線とつなげ、管理範囲を拡大するために設けられた。設置からすでに100年以上の時節が過ぎ、もともと簡易的な施設であった建物などはすべて消失している。しかし建物があった土台石積みや、そこで消費されたビールやその他飲物のガラス瓶、瀬戸物や薬瓶などは、腐らず遺物となっている。それらを訪れることで、当時の様子を垣間見ることができる。

騰龍山山頂の全メンバー
加里前山隘勇線は、現在の大坪林道の上部、加里山登山口近くにあった加里前山監督所の下に、10カ所の分遣所を有し、分遣所の間には監視所を設けた。10カ所の分遣所は、南側の橫龍山隘勇線に接する稜線上の東龍山分遣所、そこから谷へ下り西加里、一水、大園、石底、石壁の各分遣所へと高度を下げ、谷を渡って谷間分遣所へと登り返し、加里前山監督所へとつないだ。北側は、さらに太田、冷水、岡崎の三か所の分遣所をへて、鹿場隘勇線へとつないだ。

今回の登山は、北側大坪林道から歩きはじめ、谷間分遣所遺跡を訪れたあと、谷底に下って沢を渡り、そこから順次遺跡を追って加里山-橫龍山の稜線へと登った。稜線をたどって東龍山分遣所遺跡を過ぎ、騰龍山を登頂、下山は騰龍山から北へ伸びる尾根を大湳林道へと下り、朝に登った隘勇線の道を追って登山口へ戻った。

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大坪林道から出発
谷間を行く
もともと7月に予定した当山行だが、天気が悪く延期していた。盛夏がそろそろ終わりを告げはじめ朝晩も涼しくなってきている。それとともに日照時間も短くなってきている。朝が明けてきた5時半、台北を一台のシャトルカーで出発する。今回は筆者を含め7名のメンバーだ。第一高速道路を南下、6月に紅毛山から大坪山を訪れたときと同じ大坪林道を登る。平日なので登山者の車は少ない。8時少し前、加里山登山口の1,2キロ前で下車する(標高1266m)。

かなり大きい谷間分遣所

谷底へ下る
右に山に向かっていく道が今日のルートだ。まだ薄暗い谷間の緩い坂道を行く。10分足らずで鞍部に着く。左に登って間もなく、谷間分遣所遺跡(標高1300m)が現れる。石積土留壁があり、その上の台地はかなり広い。谷間という名称はここの地形からの名づけだろう。さらに進むと大きな岩盤斜面に行くようだが、写真を写し引き返す。

谷底の渡渉点
大きな岩盤
鞍部から沢に向かって急な坂が続く。所々にロープもつけられ踏み跡もはっきりしている。下ること約15分で、谷底(標高1152m)につき沢を渡る。沢を渡ったその先右に大きな岩盤斜面がある。道はその岩盤を横切って進む。岩盤は濡れ、その一部には水が流れている。幸い水管が横切りそれを頼りに渡れる。注意深く岩盤を登り、割れ目に足がかりをもとめて渡る。

濡れた岩盤を横切る

二つ目の渡渉点
全員が渡り切り進み、また別の沢を渡渉する。こちらは下るところが岩盤で滑りやすく注意する。沢を渡り、登りが始まる。まもなくサルスベリ大木の脇に石段が現れる。100年以上を経た石段は、ところどころ崩れているが、特に上部はしっかり原型を保っている。登り切り9時3分、石積土台がある石壁分遣所遺跡に着く。

サルスベリ大木の脇に石段
石段上部
地図には石底分遣所とあるが、資料と照らし合わせ、その設置順を考えると石壁が正しいはずだ。石壁は、石段上部右に大きな石の壁があることからの名づけなのか。本来隘勇線は暫時的な制度であるが、このような立派な石段を労力をかけて造ったのには特別な意味があるのだろうか。それともかなり頻繁に使用されたのか。途中の渡渉などで時間がかかったので、ここまで一時間であった。休憩をとる。

石壁分遣所遺跡
名札のつけられた石や樹木
地面を這う樹木
岩の割れ目の道
9時17分、雑木林の坂道を登りはじめる。道筋は予想していたより明瞭だ。そのうち名札をつけられた樹根が岩を抱えたところや、緑の苔に覆われた石などが現れる。坂は急なところや緩い場所が交互に現れる。一部杉林を抜ける。左に平らな場所があり、石底分遣所遺跡なのかもしれない。そのまま進み、道なりに右へとまいていく。

森の中を行く
平らな場所、大園分遣所の場所か
大日本ビール、サクラビールの瓶
大日本麥酒會社の炭酸水瓶
右側から沢音が聞こえる。地図を見ると大園や一水といった分遣所を行く道筋から外れている。そこで左に森を抜けていく。すると平らな場所がある。大園分遣所遺跡か。近くに大日本ビールやサクラビールの空瓶がまとめておいてあり、また石段のような遺構もある。初めてみる大日本麥酒會社の炭酸水瓶もある。

一水分遣所の石段
森の中を登る
さらに登っていくと、また石積土台がある。こちらは一水分遣所遺跡(標高1376m)だろう。ここも同じくビール空瓶が残っている。時刻は10時10分、休憩をとる。大園も一水もおそらくこの隘勇線設置に関係した日本人の名前だろうか。一水とは珍しい苗字だが、宮崎県に集中しているので、台湾に来た日本人には九州人が多いことを考えるとうなづける。

大木も目立つ
分岐近くを登る
西加里分遣所遺跡
急須のかけら
森には大木も目立つ。不明瞭な分岐を右にとり進む。西加里分遣所遺跡のある場所はさらにこの道の右のようなので、森を突っ切り沢を渡る。緩い斜面に石積のような場所がある。また近くにはビール瓶や急須、茶わんなどのかけらもある。ここが西加里分遣所遺跡のようだ。珍しい三ツ矢サイダーの瓶もある。

三ツ矢サイダー瓶

稜線分岐
遺跡から稜線に向かっていく道は、踏み跡がはっきりしない。マーカーも少なく歩く人が少ないようだ。ここで道探しをすると時間を要するので、先ほどのよい道へ左にまた森を突っ切り戻る。勾配が次第に緩くなり、11時25分、稜線上の分岐(標高1638m)につく。食事休憩をとる。霧が出てきたこともあり、座ってしばらくたつと、少し涼しさを感じる。


苔に覆われた岩や樹木
東龍山分遣所遺跡
3年前に加里山の下山道として歩いたこの稜線を再び進む。一部杉林の中を行く。石や倒木はビッシリ緑の苔で覆われている。12時12分、稜線上のちょっと平らな場所に崩れた石積がある。ここが東龍山分遣所遺跡だろう。3年前は、ここから谷に下っていく加里前山隘勇線のことは知らなかった。遺跡のすぐ先に分岐があり、左に取ってすぐ騰龍山山頂(標高1655m)にでた。

騰龍山山頂
晴れていればこのような展望(2020/4撮影)
霧が出てきたので、残念ながら対面の山々などは見えない。先ほどの東龍山分遣所の名づけは騰龍山の東にあることからの名づけだろう。騰龍山は、橫龍山北峰とも呼ばれる。山頂について間もなく、反対橫龍山方向から三人のパーティがやってきた。

分岐を左に大湳林道へ下る
杉美林
杉林中の休憩場所
12時33分、下山を始める。分岐からは大湳林道へと続く道を下る。すぐに杉林にはいる。すくっと伸びる杉の密林は、霧と相まって深山の美である。けっこう急な坂を下り、杉が切られた場所(標高1557m)で休憩する。今日は、スムースに進行し時間も早いので、余裕である。
森の中の沢を渡る

路面にも苔

下って沢を渡り、さらに杉林を行く。13時17分、ほぼ廃道にちかい大湳山への分岐を過ぎる。そのうち道は山腹を横切り、下って13時33分、大湳林道の終点に出る。林道は未舗装だ。やってくる人も少ないだろう。すぐの分岐を右にとり、その終点(標高1355m)で休憩をとる。

大湳林道
左の沢に下り朝に歩いた道と合流

朝に登った道を下る
沢を渡り返す
道は沢を渡り、登り返して午前に歩いた隘勇線道と合流する。往路を下り、14時13分石壁分遣所遺跡で再び休憩をとる。さらに下って沢を渡り、登り返して15時06分鞍部に戻る。メンバーの持ってきたビールをいただく。15時28分、出発点に車が待っていた。

林道登山口で車が待っていた
塹壕や石積の残る加里前山監督所遺跡
帰途に着く前に、車で林道をさらに登り、登山口近くの加里前山監督所遺跡に立ち寄る。林道から少し登り、今は樹木や草に覆われた台地にでる。探してみると石積や塹壕、ビール瓶などがある。車に戻り16時過ぎ帰途に着く。帰路上台北近くで少し渋滞があったが、18時40分過ぎに戻りついた。



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大日本ビールポスター(1906年)
このルートは、想像していたより多く歩かれているようだ。そして遺跡を訪ねる人も少なくない。ビール瓶やその他遺物がまとめられているのが、その証だ。台湾の登山者で、歴史遺跡を訪ねる人が多くなっている。それは、郷土への関心の高まりであり、台湾人というアイデンティティの模索でもあると思う。中共政府のいう偽の統一(中共政府は台湾を支配したことが全くない。実は統一ではなく1912年に成立し今日まで続く独立国家中華民国台湾への侵略である)が、目前の関心事として高まる中、世論調査で自分は台湾人であるという人がかなり多くなっていることが、それを示している。

休憩をいれて約7時間半、距離は8キロほど、そして昇降は650mぐらいである。コース定数は23だ。




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