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川向うの三灣の街と背後の山々 |
樟之細路の旅はこれで5回目だ。前回終了の獅子山登山口から歩きはじめ、苗栗縣三灣鄉のセクションを通過する。今回も、大部分は舗装路の歩きである。登山道であっても、石段やそれに類似した部分が多く、土の道は少ない。三灣も過去は、山への往来で通過するだけで、この地を歩くことは今回が初めてだ。その目的の山々が、ふもとから眺めると、また違った印象である。平地の民がこの地に訪れ開墾を始めたころは、そうした山は山地原住民のテリトリーであり、むやみに足を踏み入れれば首をとられてしまう、危険な場所であった。彼らは山へ行くことなど、考えすらしなかっただろう。
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東側からぐるっと三灣を歩く |
春もだいぶその装いを深め、路傍には多くの花をみた。柚子やミカンなどをはじめ、その果実しか見ることがないが、畑に咲く花をみて自分がいかに都会の人間であるかを自覚する。一緒に歩くメンバー中には、植物に詳しいものがいて、いろいろと教えられる。普段の山登りとは、また違った経験である。ルート自体は、それほどきつい上り下りもあまりなく、割合と楽であった。春がだいぶ進み、太陽の下で歩くのは結構暑い。時々吹く風はまだ夏の暑いものでないのが、幸いだ。
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龍峎頂步道入口にて |
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竹南駅東口に5805A番バスがやってくる |
出発点の獅子山登山口へは、竹南駅8時20分発の 5805A線台灣好行のバスに乗るため、今回は鉄道の台北6時27分発103次自強號急行で向かう。桃園や新竹近くは通勤者も多い。それを過ぎると乗客はずっと減る。7時53分、竹南駅に到着。今回は全員で8名だ。西側出口に行くが、5905番バスはあるが5805A番バス乗り場ではないようだ。確認すると、反対の東側出口だといいう。前回下車した場所の近くだ。早速二階建ての駅を通過し、東側バス停に向かう。バスは8時23分、少し遅れてやってきた。
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獅頭山バス停で下車 |
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124号線から苗19郷道へ |
昨日の雨天はすっかり止み、今日は良い天気だ。雨が空気中浮遊物を洗い流したのか、遠くの山が見える。9時10分、獅子山バス停で下車、支度をして124号線を、西に向けて歩き始める。すぐ左に獅頭山風景區の大きなモニュメントとそのわきの駐車場を見る。平日のこの時間、車どおりは少ない。9時30分、竹南駅をほぼ同じ時刻に発車した5805番バスが通過していく。その先さらに5分ぐらい歩き、右に苗19鄉道に曲がる。道は少し上り、三灣鄉歓迎の看板を見てすぐに下り始める。下ったところで、左に畑越しに茄苳富士山と名付けられた小山を見る。誰がいつ命名したのだろうか。
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茄冬富士山(標高278m) |
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巴巴坑道の看板 |
9時47分、右に巴巴坑道への分岐がある。もともと炭鉱だったが、1987年に廃坑になったあと、それを利用して遊楽施設にしたもののようだ。南庄付近には確かに炭鉱がいくつかあったようだ。看板を見て左の道を下っていく。右側の沢の護岸工事が進行中で、その上には別の開墾作業がかなり上まで進行中だ。頂寮橋を渡り、その先でよい香りをかぐ。見上げると柚子の花が満開だ。白い花びらも路面に落ちている。東山國小への道しるべを見て間もなく、道は登り始める。
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東山國小への分岐 |
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銅鏡村の畑が広がる |
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銅鏡山林歩道入口 |
10時22分分岐に来る。手前には広い田畑が広がる。分岐は左にとり銅鏡山林步道へ向かう。平らな道を数分進み、分岐の道しるべに従い左に登っていく。左手に柵で囲われた前に歩道が始まる。歩道はコンクリブロックが敷かれている。進むと分岐があり、右に大草原へと向かう。10時34分、眼前に広い草原が広がる。その背後には五峰天際線の長い稜線とその右に加里山,その手前には神仙縱走の峰々が低く長く連なる。過去に登った山々をこのような角度から見るのは初めてで新鮮だ。草原を横切り、用水池に向かう。池の周囲を巡る道を歩き、11時6分木陰で休憩をとる。
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草原から山が見える |
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用水池と周囲の遊歩道 |
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集会場 |
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太原堂 |
池の周りをぐるっと回り、丘を越える道を進んで歩道入口に行く。降りた入口には、好客と大きく文字が書かれた集会所建物がある。脇には、村おこしの活動などの来歴を記した看板がある。集会所から少し行くと、きれいな三合院太原堂がある。この村は典型的な客家人集落のようだ。少し戻り、下って迎福宮の脇を行く。村の雑貨店の前で、苗19鄉道に合流する。左に苗19鄉道を進む。土留壁には、毎月の農事や教訓などを記したレリーフがある。11時55分、台3線に出る。
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土留壁上のレリーフ |
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600年楠と背後の土地公、手前にマーカーリボン |
台3線は、左に進む。バイパスの橋の脇を行く。推定樹齢600年と記された、楠の古木がある。100年前の台湾の山野にはこのような楠が数多くあったという。古木脇の土地公から下る道を行く。次に歩く三灣大橋が遠くに見える。三灣の集落に入らず、近道で橋へ進む。途中、土地の人に道を尋ねる。川沿いに行き、橋に上がる。橋上から、左に小高い丘が川沿いに続いている。この丘の上を、後ほど歩く
龍峎頂步道が行く。橋を渡り切り、少し道を登る。12時27分、龍峎頂步道入口の前で昼食休憩をとる。
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三灣大橋から見る中港溪とその向こうの丘 |
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龍峎頂步道 |
13時、龍峎頂步道を歩き始める。龍峎頂の名前は、客家語で長い丘を龍脈,低い丘の斜面を峎、そして地元內灣村で一番高いので頂、ということで命名されたとある。先ほど橋上から見た地形を思い出し、なるほどと思う。石畳の道が丘の上を登っていく。高くなるについれ、遠くの山々が視界に入る。下を流れる中港溪の遠く五指山とその右側に鵝公髻山から鳥嘴山が連なっている。後者は、つい先月訪れたばかりで身近に感じる。
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龍峎頂步道から先ほど渡った三灣大橋を見る |
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柚子の花 |
龍峎頂步道は1.5Kmあり、そこそこ長い。相思樹などの雑木林や竹林、果樹園など、路傍の様子が換わる。柚子の果樹園は、香りが漂う。13時26分、火炎山への分岐からわずかで行ける山頂(標高185m)へ往復する。13時40分、歩道入口に着き左に舗装路を下る。下っていくと左に三灣の街が川向うにたたずみ、その背後に青い山々が重なる。下ること10分ほどで、分岐脇の彌陀寺にくる。お寺の境内にあるあずま屋に上がり休憩をとる。
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火炎山山頂 |
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百年公婆樹 |
苗5郷道を進み、14時16分百年公婆樹に立ち寄る。1900年ごろにここに移植された楠と香果樹の二種の老木だ。楠がおじいさん、そして果実をつけ子供に与える香果樹がおばあさん、ということで公婆樹と呼ばれているとの説明がある。昔は村の人が樹下でくつろぎ、子供たちがその周りで遊ぶさまが思い浮かぶ。道をさらに進み、整備されてまだ新しい生態池を見て、サイクリングロードを行く。ちょっと小高い丘を行くサイクリングロードからは、また遠くの山々が望める。14時50分、サイクリングロードは貯水池の脇で終わる。この地は、今年あまり雨が降らず池の水量は少ない。
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サイクリングロードからの景色 |
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老銃櫃步道入口 |
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樹葡萄、幹に果実が結実 |
舗装路を進み、15時老銃櫃步道入口に来る。これが今日最後のセクションだ。老銃櫃の名前は、開墾が始まった頃身を守るため銃が使われ、その銃器を保管する場所を客家人は櫃ということから、来ていると説明がある。この道は、早期には原住民との境界的な役割の隘勇線であり、のちには物資運搬の道に使われた古道である。坂を上り、道が平らになったところで、農婦が道脇の樹葡萄果実園で収穫している。メンバーの一人が、話をしていくつかもらいみんなに配る。以前食したことがあるが、このように幹から直接結実するとは知らなかった。この歩道脇には楠が多い。15時12分、坂を上がったところにある休憩場所で休憩をとる。
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樹葡萄 |
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石畳の老銃櫃步道 |
全長1.5㎞の老銃櫃步道も、稜線上の上り下りを繰り返し進む。15時35分全く標識も基石もない下林坪山と思われる高みをを通り過ぎる。さらに数分で、歩道は山腹に大きく境内が広がる五寶慈湖禪寺の上で終了する。境内の中を下り山門をくぐって、台3線に出る。樟之細路は、ここからさらに南に台3線を行くが、今日はこれで終了し北へ員林バス停へと歩く。台3線100Kのキロポストをみて、あまり交通量のない台3線をさらに下っていく。16時7分、員林バス停に到着、待つこと10分ほどで5806番バスがやってくる。約30分の乗車で、頭份轉運站に着き、そこから國光客運1823番バスで帰京した。
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五寶慈湖禪寺 |
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台3線100K |
歩行距離19.8㎞、累計登坂下降はそれぞれ558m、616m、休憩込み6時間50分の活動時間である。コース定数は24だ。天気が良く、気温もそこそこ上がった。暑く感じる場面も多かった。春もたけなわだ。花々が咲きほこる。遠くの山々を眺めることもできた。今までの樟之細路の歩きの中では、比較的楽なほうだ。
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