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南外社區路傍の家屋に残る昔日のバス停留所標識(今は別のバス停)
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一週間前の竹東と隣の横山の樟之細路行に引き続き、竹東から北埔を経由し獅頭山までのセクションを歩いた。竹東や横山は、奥の山に行くための通過点で馴染みだ。一方、
獅頭山は数年前に訪れている。途中の北埔は、客家人の多い集落で古い町並みも残る。特に登山者の興味を引く山があるわけでもなく、また奥の山の通過点でもない。観光として訪れたことはあるが、しばらく行ったことがなかった。
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前回と今回の二回の軌跡 |
樟之細路は、里山的な場所を進む。今回も当然丘陵地を歩いていく。そして最後に少し高度がある獅頭山を越える。この山を越えていく獅山古道が樟之細路のルート上の一セクションとなっている。途中にある石硬子古道は、車交通が発展する前は、北埔と獅頭山とをつなぐ重要な通路だったが忘れられ、樟之細路のプロジェクトとしてボランティアなどの手で復活した道だ。3月になり、天気がよいと日差しがかなり強い。日陰ではまだ涼しいが、高度が低い丘陵歩きの樟之細路は、あと一、二回で残りの部分は秋になり涼しくなるまで、しばらくお休みということになるだろう。
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獅山古道入口にて |
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竹東員崠國小裏門 |
前回終了点の竹東へ國光客運 1820番バスで向かう。6時50分発のバスは、遅れることなく台北轉運站を発車する。雲が厚かった台北に比べると、龍潭あたりに来るとすっかり良い天気だ。8時50分、竹東の下公館バス停で下車する。前便のバスで来ているメンバーも含め、今日は16名のパーティだ。歩き始めのセクションは、今まで何度も車で通過している122号線だ。車上で見る風景とは、また違った発見がある。古い家屋なども気づく。ちょうど122号線23K表示の前の員崠國小に立ち寄る。日本時代には、小高い丘の上に神社があった。
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旧神社参道脇には昭和10年の灯篭が残る |
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昭和の文字がうめられている |
学校名が立派な後門だが、122号線に面した丘の部分は学校内ではなく公園である。門を入ってすぐ右の土地公脇から始まる歩道を登る。登りきると開けた場所にたくさんの石塊が並べてある。神社の石灯篭だった部品である。その奥に柵に囲まれた一段高い台座がある。ここにもともと神社の建物があった場所だ。今は孫文の銅像が立っている。昭和元年に員崠は油田が発見され、その油田で昭和10年に火災が発生した。そうした災害から土地を守るためにこの神社ができた、という説明文がある。神社の前には参道の階段があり、登口両側には石灯籠がある。ここの灯篭の建立年月は、ほかのと同じに昭和という文字が国民党政府によってうめられ判読できないようになっている。
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昔ながらの雑貨店(柑仔店) |
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大山背山 |
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右に竹39号県道へ曲がる |
9時半122号道路に戻り、先を進む。昔ながらの雑貨店(柑仔店)がまだあり、みんな懐かしがっている。日本時代には、大霸尖山などを登るために、竹東から今は車道となっているトロッコ道を上坪へと進んだ。さらにその先
シャカロー・サカヤチン警備道を経て山に入っていた。左に先週登った大山背山(大崎崠)が近い。歩く速度だと、車では見過ごしてしまう景色がゆっくりと眺められる。9時52分、右に竹39号県道に折れて進む。ここからは、丘陵地帯になり小さな上り下りが現れる。
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別荘地の脇を登る |
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土地公で休憩 |
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大湖社区を行く |
坂道を上ること数分、右に大きな別荘地がある。その対面は墓地だ。その先で峠部分(標高約220m)を超え、下っていくと右にテーブルや椅子がある土地公がある。祠の前には屋根があり、手前の台にはお供え物もある。日差しがそこそこ強く、屋根の下の日影は助かる。まだ新しいお手洗いもある。ここで休憩をとる。10分ほどの休憩後、道を進む。すぐに大湖観光案内図がある。古道や、桜、油桐などの花見についての記載がある。
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道路工事が進行中 |
10時46分、左に竹39‐1号県道が分岐する。またしばらく上りが続く。竹39号1Kの標識を見て間もなく、道路工事地点を過ぎる。作業中のシャベルカーが道を塞ぎ、車両は通行止めだ。その先長めの坂を登り切り、集落が現れる。11時4分、竹39号県道が終わり、北埔の街に入る。
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鄧南光攝影紀念館 |
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紀念館内部 |
県道わきには、鄧南光攝影紀念館がある。中に入り参観する。街はずれなので、今まで訪れることがなかった。戦前の法政大学に留学した鄧南光は、在学中に写真にのめりこむ。その後台湾へ戻った後、写真館を開く。1971年に享年63歳で亡くなる。台湾の写真界にその名を遺す写真家だ。記念館は家族が経営していた世源醫院を改装したものである。館内には、彼の写真作品や、暗室なども残されている。
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北埔慈天宮、改修工事中 |
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使用されていない古い橋 |
20分ほどの鄧南光紀念館参観後、細い路地を進む。路地を出たところは180年の歴史がある慈天宮だが、現在ちょうど改修中で養生シートにカバーされ外見は望めない。メンバー中には、老街で買い物をするものもいる。平日なので、観光地である老街も人通りが少ない。10時37分、北埔を後にする。街並みを出てすぐ、入口の門柱と壁だけが残る缶詰工場跡を見る。街の高台から下り、竹37号県道を南に進む。渡る川には、昔の橋が残る。橋脚のレンガが壊れ今は通行不能だ。
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もう使われていない共同洗濯場 |
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昼食の土地公からキャンプ場を見下ろす、右遠くに五指山 |
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壁全体が土地の広告になっている |
丘陵の上り下りを行く。11時57分、別の壊れた橋を見る。その先少し登ると、右側に共同洗濯場がある。屋根は新しいが、今はだれも使っていない。古跡としての扱いだ。12時を少し回ったところで、左に駐車場の奥に土地公がある。祠の前には屋根もあり、日差しを防ぐには十分だ。椅子がほとんどなく、床に直接座るが、風もあるので昼食休憩をとる。土地公は高台の上にあり、下にはキャンプ場があるようだ。その遠くには、特徴のある
五指山が望める。
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南外社區の石碑を右に見る |
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道脇の神様 |
30分ほどの昼食休憩後、竹37号県道をさらに進む。12時48分、南外社區歡迎蒞臨の石碑がある。別の地区に入ってきたようだ。12時56分、竹37号は左に上坪方向へ下っていくが、我々は右に小南坑產道に入る。進むこと約10分、右に大きな濟化宮の建物を見る。道は谷の間を登っていく。新竹客運の終点小南坑バス停を過ぎ坂を上っていく。右に分岐が分かれ、樟之細路のマーカーリボンが取り付けある。手持ち©の地図と比較するとその方向はおかしい。曲がらずそのまま道を行くが、方向が外れていく。結局手持ちの地図に今歩いている道が記載されていない、ということに気づき戻る。すると先ほど右に曲がる道のすぐ先に、また分岐する道があり、地図と合致する。つまりは、不完全な地図に惑わされたということだ。
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濟化宮 |
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ここを右に曲がる、左の道は地図上になし |
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樟之細路の表示 |
道路は、さらに細くなり小さな上り下りを行く。別荘のような家屋を過ぎ、刻まれた文字がまだ新しい石硬子橋を見る。橋の前で右に分かれる道は鉄の門でふさがれている。橋を渡り進むが、これもおかしい。橋に戻り鉄の門の脇を入る。こちらが正しい道であった。ミカン農園をすぎると、樟之細路の標識を見る。その先左に土の道が分かれ、石硬子古道が始まる。木製の橋を渡り囲いのある菜園のわきを過ぎると、雑木林の間を進む。自然工法というその地にある石や木材を使って、道の補修が行われている。古道入口から約10分ほどで沢を渡る。水量も少なく問題ない。渡って急坂を登り、平らに進む。14時4分、古道には舗装が始まる。下り気味に約数分行くと、集落に出る。ちょうど散歩中の土地のおばあさんに挨拶する。
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石硬子古道 |
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清河院 |
清河堂と名付けられている三合院は、最近修理がされたのか、白壁がまぶしい。その前の坂を下り、庭園に入る。ここは行き止まりだが、椅子があるので休憩をとる。休みに適当なところがなく、ずっと歩いてきた。休憩後清河堂前の道を進む。下って會獅橋を渡り、竹41号獅山道路にでる。まさに會獅である。左に折れて、広い道を登っていく。14時41分、獅頭山の山門(標高138m)をくぐる。
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獅頭山山門 |
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獅尾山にて |
ここから獅山古道が始まる。峠の望月亭(標高約460m)まで約300mの高度差だ。道は舗装され、古道という趣はない。かなりの勾配で道が登っていく。汗が流れる。今日の行程中一番の登りである。萬佛庵を右にみて進み、15時4分右に始まる獅尾山の土道をとる。ほんの2,3分で獅尾山〔標高290m)に着く。往路を戻り、獅山古道をさらに登る。古道1200mのキロポストを見るあたりで、右側が開け遠くまで展望できる。遠くの丘の上にたくさんのビルが並んでいる。おそらく新竹科學園區だろう。15時19分、左に以前歩いた六寮古道が分かれる。靈霞寺を左に見て上り、15時37分元光寺の階段が左に現れたところで、休憩をとる。
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遠くの丘に多くのビルがある |
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靈霞寺 |
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元光寺 |
元光寺の階段を上り、右に元光寺を見てさらに階段を上る。禪堂が現れ、その後ろの道を行く。猴山から続く稜線上の道に出て、右に進む。樹木が切れたところで、展望ができる。眼下の南庄の谷の奥に山が高い。加里山である。そのとがった山頂から右に長い尾根が伸びる。
昨年加里山とともに歩いた橫龍山だ。谷を挟んだ右にいくつかのピークを抱く低い尾根が伸びる。神桌山から
仙山へと続く尾根だ。以前獅頭山を訪れたときは、曇りがちで遠くは見えなかった。このような素晴らしい景色があるのは嬉しい。道をさらに下がり、15時58分望月亭に着く。遅れている二人を待つ間に、ほかのメンバーは獅頭山山頂へ往復する。
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南庄の谷を見下ろす、左は加里山、右は仙山 |
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望月亭 |
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岩壁の脇を下る |
16時30分、全員が戻り下山を開始する。ふもとのバス停には16時29分に5805番バスがやってくる。まだ一時間あるので十分だ。峠のこちら側の古道は石畳だ。石段を下ると、大きな文字が岩壁に刻まれている。そのすぐ下で道が分かれる。直進する道は、こちら側に多くある寺院を巡る。我々は左に折れ下っていく。16時40分、道德門をくぐり勸化堂(標高310m)に出る。この前庭からも南庄の谷が俯瞰できる。
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勸化堂 |
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勸化堂からの眺め |
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獅頭山山門 |
勸化堂下の駐車場を通り過ぎ、さらに古道を下る。17時10分、山門に下る。すぐわきがバス停で今日の歩きは終わりだ。17時30分、5805番バスがやってくる。沈み行く夕日を車窓から眺め、18時16分竹南駅に到着する。18時31分発の區間車で20時25分に台北駅に着いた。
人数が多いこともあり、今日は休憩込みで9時間の活動時間だった。距離は約20.2㎞、累計登攀772m、下降722mでコース定数は30となる。天気も良く、日光が強くなっているのを感じる。実際陽差しにあったていた腕は日焼けしていた。台中まで伸びる樟之細路は、まだ先が長い。急がず、ゆっくり鄉村の風情を楽しんでいくのは悪くない。
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