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老官道のモニュメントと案内板 |
今月初めに歩いた
苗栗縣獅潭までの道のりに次いで、今回は大湖をへて卓蘭へと歩いた。台中の東勢まで続く樟之細路は、南へと行けば行くほど台北からのアクセス距離が増え、尚且つ交通がそれほど便利ではない土地を行くセクションは、日帰りで往復すると交通手段の時間が多く、一方活動時間は少なくなる。そのため、今回は途中で一泊し二日連続で歩いた。
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今まで歩いた樟之細路の軌跡 |
今回の樟之細路行は8回目となる。場所はすべて苗栗縣の里山的な場所だ。東には3000mを越える山々の前衛であり、西にはその丘をたどっていけば海岸になる。もともと23日~24日で予定していたが、天候が悪いので二日遅らせて実行した。一日目は雨は降らなかったものの、樟之細路全行程中最も高い場所を行くので、稜線を行く部分は濃霧に囲まれ展望はなかった。一方二日目は天気が好転し、東には今まで歩いたことのある苗栗の中級山やその奥に高山の影を望んで歩くことができた。
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樟之細路マーカーリボン |
行程としては、第一日目は前回の終点である獅潭から、錫隘古道を稜線上に登り返し、一旦谷に下る。その後また400m余の高度差を登りかえして沖庫山、銃庫山,新田山の稜線を進み、濃霧に咲く山桜の協雲宮から下って後龍溪の谷間に降り、対岸の民宿で一泊した。第二日目は、民宿の車で大湖鄉公所にいき、そこから苺畑の間を行く自転車道をすすむ。その後丘にのぼり、その上をずっと進む老官道を歩いた。一旦下って鱺魚潭水庫から壢西坪台地へ登り返し、大安溪北岸の卓蘭へと歩いた。
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老官道展望台 |
樟之細路は、
その名づけから覗えるように、単に道を歩くだけでなく土地の文化や歴史に触れることができる。筆者は、台湾に暮らして三十年ほどになるが、改めてこの土地の地形、自然や産業そして歴史などに触れ、新しい発見があった。3000m高峰を登ることは、もちろん楽しいし意義がある。一方、こうした日本でいう里山的な場所を、自分の足であることは別の楽しみをもたらしてくれる。
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第一日 1月24日(月曜日) 曇りおよび濃霧
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獅潭から南へ歩く |
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苗栗から5657番バスで獅潭へ |
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獅潭神秘小徑 |
台北7時発の自強號急行列車で、苗栗に向かう。平日だが新竹駅までは通勤者が多く、満席である。少し遅れて到着し、苗栗駅西口にある新竹客運のバスターミナルに行く。待つこと数分で9時発の5657番バスに乗車する。初めは我々7名のほかに乗客が少ないが、その後途中で乗車があり、ほぼ満席だ。台湾も地方は過疎化が進んでいる。若い人たちは自家用車で移動するが、バスがその足である高齢者が多い。9時40分過ぎ、汶水で台三線道路を北へ進む。バスはしばらく坂を上り、峠を越すと谷合の獅潭に入る。10時10分、獅潭老街近くのバイパスの終点で下車する。
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獅潭街はずれの大きな山門 |
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苗26県道を登る |
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錫隘古道入口 |
バス停から神秘小徑と名付けれた路地を老街へでる。
月初に訪れて記憶に新しい町並みだ。今日は時間や天候のせいもあるが、ひときわガランとした感じだ。10時20分南に歩き始める。左の丘にある小学校脇を行き、
仙山の大きな山門を見る。左に聳えているはずの山並みは全く霧のなかだ。コンビニに立ち寄り、台三線を少し進んで右に苗26線県道を登っていく。10時47分、錫隘古道の道しるべから、右に細い舗装路をとる。まもなく道案内板のある古道入口にくる。錫隘古道は、前回の鳴鳳古道などを含むこの周辺の古道群の一つだ。道案内は東西が逆転していて、注意しないと困惑する。
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錫隘崎の大岩 |
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古道は稜線に上がる、霧が深い |
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古道の分岐 |
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下の舗装路で階段道は終わる |
錫隘古道はかなりの勾配ががある。階段が長く続く。よく整備されているが、雨にぬれた石段は滑りやすい。11時5分、錫隘埼と呼ばれる巨石を過ぎて木製階段を過ぎる。岩に足場が刻まれた道を登ると分岐に来る。左にとり尾根上にでる。周囲は霧が濃い。尾根道を追っていき、11時23分分岐(標高457m)に来る。右は八達嶺古道、左は楔隘古道だ。左にとって下ると、すぐに舗装路にでる。
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途中の道しるべ |
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草に埋もれた廃坑道と右に廃屋 |
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老茄苳樹 |
表面の亀裂が大きな舗装路を20分ほど下ると、右に大きな廃屋が数棟ある。草に覆われた建物は、1989年に終業した雙溪炭鉱の建物だ。かなりの規模で経営されていたようだ。道をさらに下り、11時53分橋を渡ってすぐ右苗26線県道わきの老茄苳樹土地公(標高248m)で休憩をとる。茄冬樹は、脇の説明によると樹齢300年を超えるという。
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暗影產道上の警告表示 |
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象象莊園の脇の急坂を登る |
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高度が上がりまた霧が濃くなる |
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沖庫山 |
12時6分、苗26線県道を左に登る。数分で右に暗影への道をとる。坂はけっこう急だ。このあたりは私有地で通行や舗装をするのを禁ずる、という表示がある。この道の上部には開発地があり、おそらくこれら土地所有者間に争いがあるのだろう。我々歩行者は、関係がない。つづら折りの急坂を登り、右に象象莊園の大きな建物を見る。さらに上り、深藏という開発地を見る。登るにつれ霧が濃くなる。13時6分、ヘアピンカーブの端に冲庫山の入口を見る。登山道を少し下り気味に竹林中を行き、すぐに三角点のある冲庫山山頂(標高612m)に着く。
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階段道を登る |
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銃庫山 |
登山口へもどり舗装路をさらにすすむ。山桜の咲く霧の道を行き、階段を登る。天気が良ければ広く展望があるだろう。霧の中の展望台をすぎ、稜線上の道に取りつく。ここから協雲宮までの稜線道は、途上ピークを越えていく。見たところ、このセクションは、樟之細路が前後の古道などをつなぐため、新たに整備した山道のようだ。滑りやすい土の道には、ロープも取り付けられている。13時46分、銃庫山(標高762m)を越える。稜線上には岩が目立つ。14時少し前、風の当たらない鞍部で食事休憩をとる。
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鞍部で食事をとる
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滑りやすい急坂を下る |
20分足らずの休憩後、尾根道を進む。小刻みな登り下りが厄介だ。14時26分、無名ピークから左右に急坂が始まる。どちらもロープが取り付けれている。道しるべはない。手持ちのGPS魯地圖には、この辺りの道は一切記載されていない。別に用意したネット地図の道と比べ右にとる。果たしてこちらが正しく、急坂をおりしばらくして樟之細路のマーカーを確認する。分岐部分に結ぶべきだろう。
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舗装路が横切る鞍部 |
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濃霧の稜線を登る |
14時45分、下って稜線を横切る舗装路を突っ切る。また新田山への登りが始まる。10分ほど登ると、道しるべが頻繁に現れる。ロープのある登り下りを行き、15時7分新田山登山道の道案内を見る。この辺りは地元登山者によりメンテされているようだ。説明には、海岸に近い場所なども眺められるとあるが、今日の濃霧では無理だ。さらに稜線道を10分ほど登り、新田山山頂〔標高777m)に着く。少し下り、鞍部にビニールシートの休憩所がある。その左に新石門山へ道が登る。時間が遅いので、右に山腹道をとり巻く。山頂をこえてくる道を合わせさらに下り、15時42分石畳道になる。下りきると、右にキャンプ場を見てすぐに協雲宮上部の東屋(標高650m)につく。休憩をとる。
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新田山の案内板 |
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新田山 |
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鞍部のビニールシート休憩所 |
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山腹巻き道を行く |
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石畳道を下る |
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あずま屋で休憩 |
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霧に咲く山桜 |
時刻は16時を回り、予定の出雲古道まで歩くのは無理と判断する。多くの山桜が霧に浮かぶ階段道から広い駐車場を過ぎる。花見で多くの遊楽客が訪れるのだろう。すぐに十字路になり、直進する舗装路を登る。16時17分、左に八角棟山への道を分けると、道は出磺坑へ約高度差400mを下り始める。数分下ると霧は薄れてくる。16時40分、土留壁工事現場を過ぎる。16時57分、その根を広く伸ばしたガジュマル大木とそのわきの土地公を通過、17時5分分岐を右にとる。
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八角崠山への分岐 |
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土留壁工事現場 |
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八方に根を延ばしたガジュマル大木 |
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後龍溪の谷はすぐ下、対岸に快速道路高架橋 |
道はしばらく平らに進み、下って福基小学校脇を通り、台六線道路に降りる。右に進み、落石止めトンネルをくぐり、左に後龍溪を渡る橋を見る。そのすぐ先に出磺坑吊橋がある。吊橋を渡り、右に岩のトンネルをくぐる。頭上は第72快速道路の高架橋だ。谷合が開け、暗くなり始めた17時42分、本日の宿泊地戀戀山地農場民宿についた。部屋に荷物を置き、予約していた民宿での食事をとる。この辺りはほかにまったく食事できるところがないので、ここに泊まるのであれば、民宿での食事を頼んでおいたほうが良い。21時ごろ就寝する。
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出磺坑吊橋 |
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民宿に到着 |
今日の行程は、19㎞、累計登坂985m、下降1030m、休憩込みで7時間半である。出発がすでに10時を回っていたので、休憩はあまりとっていない。コース定数は30である。
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第二日 1月25日 (火曜日)曇りのち快晴
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大湖から卓蘭へと南下 |
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大湖鄉公所 |
5時半前に起床、6時20分に民宿の用意する朝食をとる。外はまだ霧がある。昨日歩けなかった出雲古道から始めることを考えたが、これだと今日の行程が30㎞を越えることになる。そこで、出雲古道は後日再訪することにし、7時に予定通り車で大湖鄉公所(町役場)へ送ってもらう。20分足らずで着く。
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本来渡る予定の橋は架け替え工事中 |
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法寶寺入口 |
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サイクリングロードを行く |
近くのコンビニで食料を買い出発する。街をぬけ進むと、前方の古い橋は工事中で通行不能、そこで家屋脇の路地を経て苺畑から台三線道路に上がり、こちらの橋を越える。越えてすぐに左に曲がり、日本的な石燈籠が入口に鎮座する法寶寺の前を行く。そこから沢沿いのサイクリングロードが始まる。沢を挟んで台三線と並行して進む。
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南湖溪沿いに行くサイクリングロードの脇は苺畑 |
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畑では苺収穫中 |
サイクリングロードは、約3㎞ほどで道わきはずっと苺畑だ。筆者の子供がまだ小学生だったころ、訪れてイチゴ狩りをしたことがある。今がちょうど収穫時期で、畑で数人苺つみが進行中だ。約1.5㎞地点の東屋で、8時10分小休憩をとる。空はまだ曇りだが、今日は天候が期待できそうだ。
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道脇には客家語の発音も記したことわざの板 |
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左に苗55県道が分かれる三叉路 |
右に水頭寮橋を見て、道わきに客家語で書かれた成語やことわざの看板が次々と現れる。8時半、順義橋を渡り台三線に合流する。すぐに左へ
馬那邦山登山口へ続く、苗55線県道との三叉路を過ぎる。分岐から台三線を少し行き、左に細い舗装路を登る。民家を過ぎ、右に工事中の土地公を見ると、老官道の札がある。ここから老官道歩きだ。
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左の細い道を登ると老官道が始まる |
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土の道が始まる |
老官道は、途上の説明によると、1885年に当時の清朝政府東勢撫墾局がタイヤル(泰雅)族を抑えるための隘勇路として開かれ、その後日本時代には保甲路として利用されたという。台三線が開かれる前は、大湖と卓蘭との間の民間主要往来路だった。つまりは、官によって開かれ管理された道で、老官道である。この道はずっと永く続く稜線をたどっていく道で、その元祖が隘勇路だったことをうかがわせる。当時は、樟之細路の名前である樟脳がこの道によって運ばれた。まさにその名にふさわしい古道でもある。
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竹林の道を行く |
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竹林をぬけると西側が開ける |
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果樹園脇で休憩 |
今日の老官道は、一部は舗装され一般道路になり、或いは果樹園へのアクセス道であったりする。初めの部分は舗装路だが、進むと舗装が切れ土の古道になる。自然工法という、土地にある石や木材などを利用して整備された道が続く。雑木林や果樹園の脇を進む。ミカンがちょうどたわわに実っている。土の道を進むこと約10分、細い桂竹の林に入る。道幅も広く、実に快適な道だ。草原にでると、西側の
關刀山山稜が、台三線がいく谷間を挟んで、まだ上部は雲に隠れ続く。稜線の道は、丘を越えていく舗装路を横切りまた少し登る。右に果樹園の作業小屋をみて、9時16分休憩をとる。
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梨の花 |
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ミカンが実る谷の向こうは雲がはれてきた/關刀山 |
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大正六年の文字がある石柱 |
老官道の西側斜面は、果樹園だ。接ぎ木された梨の木には、花が咲き始めている。広い果樹園の向こうの山並みは、山頂も雲がはれて全容が見える。ミカン畑を過ぎ、また竹林に入る。竹林から出ると、またミカン畑だ。卓蘭は台湾でも果物の産地として有名だ。開けたところから、東側に馬那邦山が雲の上に姿を現す。しばらく稜線の東側を進む。10時、道脇に苔に覆われた石柱がある。大正六年の文字が見える。日本時代の保甲路の表示のようで、警察管轄の境界を示すようだ。
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自然工法で手入れされた古道 |
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果樹園脇の舗装路を登る |
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雲が消えて馬那邦山が姿を現す |
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石畳道 |
10時7分、竹林が切れて舗装路にでる。道はまた稜線上で右にミカン畑をみて登る。少し下り、また土の道となる。10時20分、丘を越えていく舗装路を過ぎ、梨畑脇を登る。その先で、古道は花崗岩の石畳道になる。とても金がかかっているような道だ。道なりに進み、10時43分道脇に石碑がある。明治三十一年八月戦死と刻んである。石碑そのものは、レプリカの様だ。これはおそらく日本が台湾を摂取して間もないころ、荷物を担いだ担ぎ人18名が、この地でタイヤル族に首をかられた場所のようだ。特に説明文はない。そのすぐ先は、広いキャンプ地である。少し下り登り返し、10時52分広い展望台的な場所で休憩をとる。天気はすっかり良くなり、周囲は遠くまで望める。遠くの高い三角ピークは加里山だろう。
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道脇にあるレプリカの石碑 |
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展望台から東の山並みを望む、遠く左は加里山、手前はキャンプ場
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舗装された老官道 |
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丘の向こうに馬那邦山(左)から大克山の稜線 |
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梨果樹園の下方に鯉魚潭水庫 |
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丘の上の展望台へ |
老官道は、ここからはずっと舗装路になる。稜線を行く道は、展望がきく。
馬那邦山から大克山への稜線が続く。昨年9月に縦走した稜線だ。その奥にある
大雪山から降りる稜線上の峰々は雲に隠れている。右下梨畑の下方に鯉魚潭水庫が姿を現す。11時37分、道は山襞を回り込み、左に展望台への道が分岐する。展望台へ上がる。好天のもと360度の展望が広がる。今までの道で見えた以上の展望だ。遠くに
神仙縱走の稜線上の尖峰まで望める。好天に恵まれ、実にラッキーだ。眺め終えたあと、展望台下で昼食をとる。
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東側のパノラマ |
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西側のパノラマ |
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荷担ぎ人夫殺害記念碑 |
12時22分、展望台をあとにする。10数分下り、左に石碑を見る。碑文は、擔送人夫二十八名戰死之跡とある。大正六年六月建立の物で、こちらはオリジナルの石碑だ。捨てられ、頭の部分を鎌の研石として使われていたものを、1997年新しい台座を用意して復建された。ここでは28名の人夫が、タイヤル族に襲われ殺害され、唯一の生存者はのちに発狂したという。道は高度を下げ、左に広いキャンプ場を過ぎ、12時45分老官道の案内板を見る。さらに下り台三線と合流する。左に台三線を進み景山橋を渡る。橋を渡った右の休憩所に上がり休みを取る。
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景山橋の上から鯉魚潭水庫を望む |
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橋を渡ったところで休憩 |
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壢西坪台地の登り途中に咲くコスモス、背景は鯉魚潭水庫と關刀山 |
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台地は畑が広がる |
台三線を少し登り、左に壢西坪の台地へ登っていく。標高差は150mを越える。今日のこれまでの歩きの中で最も大きな落差だ。登るにつれ、鯉魚潭水庫とその対岸の關刀山は低くなる。20分ほどで台地の北端に登りつく。台地は広く、畑や観光農園が広がる。13時48分、台地南端から下り始める。車道はジグザグに下るが、近道の山道(吧哈崎步道)を下る。13時54分、土地公近くのあずま屋で最後の休憩をとる。
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台地からの下り途中で見る卓蘭と大安溪を挟んで東勢 |
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下り途中のあずま屋で最後の休憩 |
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豐原客運卓蘭バスターミナル |
休憩の間に、帰りのバス時刻を確認する。15時前に豐原行のバスが出る。さらに階段道を下り、平らになった台三線を南へ進む。14時30分、豐原客運の卓蘭バスターミナルに歩きつく。時刻表より少し早く、14時45分バスは発車する。今まで山行で何度か通り過ぎた東勢の街を経由し、約1時間で豐原バスターミナルに到着、近くの台鐵豐原駅から、16時7分発の普悠瑪自強號特急で帰京。この特急は、途中板橋まで全くノンストップで、1時間半で台北駅に着いた。
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普悠瑪自強號で帰京 |
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大湖で見かけたシャイな警備員 |
二日目は、出発が早かったことやルート上には大きな登坂下降もなくスムースに終了、かなり早い時間に歩き終えた。距離18.8㎞、登坂432m、下降310m、7時間強の所要時間で、コース定数は23となる。樟之細路もあと東勢までの28㎞となった。次回は早朝から一気に歩いて終わりにしたいと思う。
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