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2026-08-20

2026年8月19日 南港山 筆者台湾登山の出発点

@九五峰山頂 2026/8/19 7:58

台北市市街(台北盆地)の東に位置する南港山は、筆者自宅近くからでも前方に建つビルの間からその姿を望める身近な山である。2011年の春に、仕事人生が一段落つき自由な時間が増えたことで、山登りを再開したときはじめて登った山が南港山である。それ以来、かなりの回数を訪れた。2022年に不注意でけがをし、しばらくの療養を余儀なくされたのもこの山であった。そして、この7月にめまいを感じる問題が起き、しばらく遠ざかっていた山にまた足を踏み入れたのも南港山である。筆者にとっては、とても親しく感じる山である。

実は7月4日の烏來大克山登山の登り途中で、ふわふわするめまい感覚を覚えた。その後縦走中には、それほどのめまいはなく下山した。家で体力回復する間に、同じようなめまいをを感じた。そのため、日本への登山計画を中止し、また登山を控えてきた。還暦後すでに干支をさらに一回りした年齢では、体に何かしらの問題が出てくるのは自然の摂理なのだろう。病院に行き、診断や検査を受け薬をもらっている。症状は、ここにきて少し緩和したように感じることになった。ただ、いつまでも山登りができないことはつらい。つまりは、少しの問題があっても歩くことができるように、体の方がどこまで対応できるのか、それを探るために二回ほど南港山を訪れた。この記事は、登山記録の意味もあるが、自分の登山人生の回顧である。

筆者17歳、  1972年1月 日本甲武信岳 背後は八ヶ岳連峰
筆者の登山経験は、高校生の時に始まる。当時、母校は幸いにして登山に対して非常に寛容だった。高校山岳部でありながら、週末の近郊登山はもちろんのこと、長期の夏山縦走、沢登、ちょっとした訓練岩登り、さらに冬の積雪期登山も行った。同級生に誘われそれとなく入った部活動だったが、のめりこみ二年生の時には部活動以外も含め年間で100日ほども山に入っていた。大学では、山岳関係部活動には入らなかったが、自分で登山は続けていた。交換留学した米国大学の活動で、西部Uinta山塊のトレッキングに参加したこともあった。卒業し仕事を始めた後、海外での仕事が長く、家庭もあり山登りからは遠ざかっていた。台湾での仕事も長いが、山にはいっていなかった。フルタイムの仕事が一段落した後、幸いに山が近いことがきっかけとなり、登山を再開した。それからもう15年が過ぎた。この間に、台湾以外の山も含め八百数十回の登山を行ってきた。台湾北部山岳の日帰りが多いが、数日にわたる活動も少なくない。年間平均をすればほぼ毎週一回の頻度だ。さらにこうした登山活動を通じて、様々な友人もできた。退職後人生としては、とても恵まれている、と思う。

友人と、当時の装備はこのようなキスリングやワカンであった
80歳になってもエベレストに挑んだ三浦雄一郎は、日ごろ大変な体力訓練をしていたようだ。また、筆者の日本故郷近くの丹沢山山域でも、ほぼ同年代のボッカの人が、30年間で八千数百回30㎏の荷担ぎを行い、80歳までに1万回を目指していると聞いている。筆者は、到底及ばないが、それでも高齢になっても登山は続けていきたい。60歳代と比べれば、体力は落ちているのを自覚する。同年代の山仲間でも、山から遠ざかる人もでてきた。ただ、気持ちは本当に動けなくなるまで続けたい。近くのジムに通い筋トレを行い、また実際に週一でも山を歩いて体力の低下速度を少しでも遅くしたいと思う。その山が歩けないのでは、それこそ残念だ。そうしたことから、また近くの南港山を歩き始めた。

赤:8/16 青:8/19
8月16日には、豹山溪步道から象山に登り、永春公園をへて下山した。約1時間半ほどの歩きだった。約3㎞のショートハイキングである。また表題19日は、北興宮步道から南港山鞍部へ上がり、九五峰を往復、下山は虎山步道と美的社區步道経由で歩いた。2時間45分、6㎞弱であった。この二回の登山中、歩いている間は、めまいなどはあまり感じなかった。道も、ほぼ全行程石畳道の整備された道であった。それもあり、わざと普段は使用する登山ステッキを使わず、バランス感覚のチェックをした。今の時期昼間は暑いので、二回とも7時には歩き始め、午前中に帰宅した。

8月16日

豹山溪步道入口

象山

永春公園へ下る
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8月19日
北興宮步道口、右奥が南港山主稜線
北興宮步道
稜線上から台北盆地を俯瞰、陽明山方向は雨のようだ
豹山峰
美的社區步道わきの松山一坑炭坑遺跡

歩いたルートは、過去に歩いたことがある部分はほとんどだ。しかし、山は同じだが2010年代には通れた南港山北側の岩登りルートが、フィックスロープが取り外され、通行止めとなってしまったことは、残念だ。2014年に第三岩壁ルートで死亡事故が発生した。その後登山道管理部門である台北市により、ロープが取り外された。その後も2021年にも不幸なことに第二岩壁ルートで、死亡事故が発生した。本来、登山は自己責任である。遺族がそれを理解できずルートの管理責任を問うのは人情としてはわかるが、筆者は自己責任をとるべきだと思う。そして何よりも、登山者本人は、自己責任で山を登っていることを自覚すべきだ。自覚があれば、登山に備えた心身ともの事前準備が大切であることがわかる。そのことは、自分への戒めでもある。

下から見上げる第二ルートN(2011/9)
登攀中に見る第二ルート(2015/1)


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