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2020-05-08

2020年5月6日 平溪中央尖 - 東勢格山 - 青林山 - 畝畝山 五月雪の山道

五月雪油桐花が敷き詰められた山道
台湾でいう五月雪とは、本当の雪ではなく、台湾の人里近い山野に多く生える油桐花の花が大量に落ちて白くなっているさまが雪のようなので、そのように表現する。台北近郊でも多くの場所で油桐花がみられるが、多くの人が訪れるところは踏まれてしまい、必ずしも五月雪の美しさがない。今回の山行は、ほとんど人が歩かない山道で多くの油桐花の落花が長く続いている場所に遭遇した。

西から出発、二つの山並みを越えて下る
歩行高度表
今回訪れた山々は、その近くまでは今まで訪れている場所だ。しかし、よく歩かれているルートから枝分かれし、交通が不便などといった理由でほとんど登山者が訪れない。今回の東勢格山と青林山がそれにあたる。最近のボランティア登山者による道の整備で、この不人気山が再びアクセスしやすくなった。筆者が九年前に台湾の山を歩き始めたころに比べ、登山者数は確実に増えている。願わくば、こうした道も多く訪れるようになり、再び草に埋もれないでいればよい。近郊登山の不人気ルートで厄介なのは、すべてが棘で覆われた黃藤や、密生したカヤである。そして道を塞ぐ倒木だ。

東勢格古道入り口わきの張り紙
今日の目的地は、平溪である。今やスカイランタンとともに台北近くの観光地としてすっかりにぎやかになった。しかし、武漢肺炎で海外観光客はなく、平日であることもあって8時半にやってきたバスは空いている。木柵からバスに乗ること約50分、出発点の平溪國中バス停に着く。9時半過ぎ、東勢格古道の登山口から、階段を登り始める。ウィルス感染を防ぐために、マスクをして1メートル以上開けて歩くように、という地元政府の張り紙がある。右に石燭尖・峰頭尖方向への道を分ける。さらに階段を登り、もともと炭鉱からの石炭運搬用トロッコ線路だった東勢格古道に上がる。

平らな東勢格古道を進む
炭鉱採掘がおおなわれてた頃の石橋
沢沿いに進む道は、ほとんど起伏がない。線路があったころの枕木の両脇がまだ残っている。9時46分、左に慈母峰への道を分ける。さらに数分で、ベンチの広場にでる。すぐ左上にも道があり、石橋が見える。さらに進み沢を橋で渡って、9時52分廃坑前のベンチで休憩する。天気はよいが、沢筋でも今日は風が吹いているので、それほどつらくはない。助かる。

廃坑入口まえのメンバー
沢わきの土地公
沢を渡り中央尖へ向かう
分岐、左が中央尖への道だ
急坂を登る
少し登り、土地公の前を通る。谷幅が狭まってくる。10時10分、左に中央尖方向への道を取る。沢を渡り、道は階段などで高度を上げる。途中で体調のすぐれないメンバーが、断念しグループを離れて一人帰る。登ること十数分、沢を見ると中央尖への分岐に来る。次に進む前に中央尖を往復する。沢を渡りすぐにロープの急坂が続く。高度差は150mほどだが、距離が短いので勾配はきつい。約20分ほどで、岩尾根上にでる。左右の展望ができる。右側は、午後に登る畝畝山が、左は平溪の谷筋とその向こうに姜子寮の連山が長く続く。特徴ある薯榔尖や石筍尖はすぐ判別できる。少し下がり左から岩壁を登ってくる道を合わせ登り返し、10時53分中央尖山頂(標高580m)に着く。

中央尖山頂手前の岩稜から畝畝山-青林山の山並みを望む、その奥は枋山坑山の山並み
中央尖から平溪の谷間とその向こうの連山を一望する
東勢格山への分岐、直進すると臭頭山へ登る
林投が刈られてきれいになった道
約10分の休憩後往路を下る。分岐に戻り、臭頭山方向へ登っていく。尾根上にあがり、まもなく11時35分東勢格山への分岐に来る。左に最近手入れされ、道筋がはっきりしている尾根筋を下っていく。急なセクションは、新しいロープが取り付けられている。伸びると厄介な山林投は、ずたずたに刈り取られているので、まったく問題なく通過できる。思いのほか、小さな上り下りが続く。送電鉄塔下をくぐり、その先尾根上に小さな石板が転がっている。よく見ると鄭娘陳媽之墓と刻んである。墓石である。墓らしい様子は全くない。不思議だ。その先間もなく、樹木の脇に骨を入れるような陶器を見る。12時8分、東勢格山山頂(標高375m)に着く。そこそこ広いまばらな樹木に囲まれた山頂で昼食休憩とする。

稜線上に残る墓石
東勢格山山頂
北43号線を曲がり登っていく
赤と白のコントラストが新鮮だ
12時40分、下り始める。数分で墓地の脇にでて、舗装路に降りる。路上には油桐花が一面に落ちている。12時51分、旭東橋を渡り北43号線道路に出る。左に道なりに下っていく。すぐに右に東勢格派出所を見る。背後の山は、青林山方向だが霧がかかってきている。天気は晴れから曇りになってきた。新巴士停留所のある分岐から左に折れて進む。13時05分、右に登っていく道を取る。登っていくと、ボランティアが野良犬を収容している場所の前に来る。昼食時に聞こえていた多くの犬の声は、ここの物だった。さらに進んでいき13時17分、教學葯園に着く。葯園のA歩道を歩きはじめる。登り始めて間もなく、五月雪を見る。石畳の道いっぱいに油桐花が落ち、まるで雪のようだ。最近塗りなおされたと見える橋の赤色に映えて目が覚めるようだ。花がたくさん落ちている休憩場所でしばし休憩をとる。

階段を登る

A歩道をさらに登っていく。途中でも多くの五月雪を見る。メンバーは立ち止まり、写真を撮るのに忙しい。14時12分、道が曲がるところで、踏み跡とマーカーリボンがついている。この道を少し入ってみるが、リボンは古く道筋も途切れた。これは以前歩かれ今は廃棄されたもののようだ。歩道に戻りさらに登る。木製階段が現れる。階段を登っていくと、最高部で右に道がある。ここで歩道を離れ、踏み跡を追っていく。すると14時19分、樹木の中の青林山山頂(標高492m)に着く。メンバー中のLさんは、最近この付近の道整備に参加したボランティアの一人だ。

@青林山山頂
山腹道を進む
山頂での小休憩のあと、畝畝山を目指し進む。すぐに石古井からの道を合わせる。稜線を行く道は、すこぶる状態がよい。14時35分、稜線を行く道と山腹を行く道を分ける。左に山腹道を取る。こちらは草深く、道筋がちょっとはっきりしない場所や崩れかけた場所もある。14時56分、前面に突然廃棄された家屋の石壁が現れる。おそらく廃棄された民家なのだろうが、かなり古い。そしてこんなところで、どうやって暮らしたのかと不思議に思う。道は右に谷間を登っていく。すぐに黃藤のトゲトゲがじゃまをする。そこで鎌を取り出し、枝を刈って進む。15時5分、稜線上の分岐に着く。こちらの道は状態がとてもよい。

草におおわれた廃屋石壁
トゲトゲの黃藤が道を塞ぐ
状態の良い稜線道に出る
全員が登ってくるのを待ち、稜線道を畝畝山へ登っていく。山頂との単純な標高差は大きくないが、上り下りが続き厄介だ。5年前に歩いたときは、それほどつらいとは感じなかったが、なかなか頂上につかないのがまどろっこしい。高度が高くなると、霧が少し出てくる。15時39分、左からの道をあわせ畝畝山山頂(標高579m)に着く。筆者にとっては三度目の登頂だ。休んでいる間に少し霧雨が降り出す。

霧が出てきた尾根道を畝畝山へ
 畝畝山山頂に到着
もともとの計画では平溪子山を経て下山する予定だった。しかし天候が下り坂、なおかつ時間も少し遅めなので、もっとも無難な石硿子古道経由の道で下ることに変更する。5分ほどで右に石硿子古道の土地公近くへ下る道を分ける。この道は、最近ボランティアによって整備された道だ。尾根上の道を続いて下る。山頂から17分で送電鉄塔下に出る。その下方には、ベンチのある平らな場所がある。付近は石を積んだ土留壁があるが、棚田跡としては場所が理屈に合わない。廃棄された炭鉱に関係する場所か。16時24分、石硿子古道に降りる。古道を数分進み、灰窯產道の登山口に出る。

新しく整備された道の分岐道標
送電鉄塔下の開けた場所を通る
石硿子古道へ降りる
登山口近くで小休憩し、舗装路を下っていく。途中民家のところで、長靴を洗わせてもらう。2キロほどの歩道歩きのあと、左に灰窯二號橋を渡り、萬寶洞バス停へ向かう。橋を渡ったすぐ後は、周辺の道整備が進行中だ。だいぶ様子が変わってきている。17時18分、バス停に到着、待つこと10分ほどで795番バスがやってきた。

未踏の道を歩くのは、楽しいものだ。何が現れるのかと期待し、探検心を満たしてくれる。思わぬ障害物も、もともと人が歩いたことがある道だ、過ごせないことはない。だめなら引き返す。時間の余裕と事前準備があれば、問題ない。今回は約13㎞、登坂は2カ所別々の山に登ったこともあり900mほどと標高が低い割にはある。所要時間7時間40分ほど、五月雪でちょっと時間を費やした。現状の道であれば、レベル3だ。ただし、畝畝山への山腹道はちょっと状態が良くないので、経験者向けだ。

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