|
石古井 |
平溪と雙溪との間の山域は、今年になって何度か
訪れている。谷間の古道歩きが中心で、尾根道はまだあまりカバーしていない。そこで、今回は火燒寮から石古井経由で稜線に上がり、途中産業道路を経由して、和尚尖への稜線道入口へ向かい、そこから和尚尖を登った後灰窯產道をへてバス停に歩いた。石古井とは、古井戸といったひびきだが、自然の造形でできた滝壺のことである。そして、滝壺の前後は深く彫り込まれた岩の溝となっており、実にどうしてこの様な形になったのか、自然の力に感服する。火燒寮は、以前炭鉱があり、その炭鉱へつなぐための水取り用水管が、滝壺の真ん前に設けられ、今も残っている。自然の中の邪魔者ではあるが、支えの石柱も苔むして、一体となっている。
|
ほぼ反時計回り回遊式のルート |
|
前後と中間は産業道路歩き |
今年は、台湾は台風の当たり年なのか多い。2週間前に大きな被害をもたらした蘇迪勒台風の記憶がまだ新しいうちに、次の天鵝台風が発生し台風へ接近する可能性がある。しかし動きが遅くなかなかやってこない。天気予報と異なり天気がよい。高気圧が居座って、台風が近づいてこないのだ。今回は、この好天のもとの登山となった。一日中、青空が広がりまた稜線上では風が吹いていて、少しなぐさめになった。今回は名前のあるピークは和尚尖だけで、その他稜線上にはピークがあるが、すべて無名だ。標高は高いところで500mを少しこえた水準である。
|
今回目的地は平渓の谷右岸の山々 |
|
土地公背後は白鶯石名前由来の岩壁 |
火燒寮は、東勢格の集落から更に奥に入った場所にある。過去は、台北と宜蘭をつなぐ裏街道的な役割もあった場所のようだ。石炭採掘が行われていた頃は、炭鉱街として賑わいがあっただろうが、今は鄙びた谷あいである。住居があるので、舗装された産業道路はあるが、一般交通機関はない。東勢格までは、新北市のコミュニティバス新巴士が平渓から往復しているが、住人の足であるので、よそ者の登山者が乗るには時間が合わない。朝6時台の後は10時台となる。そこで、106号線の795番バスで東勢格への入口前行き、後は歩くことにした。車道歩きは単調で嫌われるが、周囲の景色が見れるのでそれはそれで良い所もある。
|
橋で沢を渡る |
今回は四名の山行だ。木柵7時15分発の795番バスに、MRT木柵駅バス停で7時23分ごろ乗る。今日は、半分以上席が空いている。795番バスは、平渓観光の人気が高まり台湾好行のバスとして休祭日は便数が多くなる。平日は少ないが、それでも結構乗客が多い。8時12分、白鶯石バス停で下車する。実はすぐにわかったことだが、その一つ先東勢格バス停のほうが、106号先から分かれて東勢格への道の分岐に近い。道なりに下り、分岐へ向かう。バス停では、自家用車でやって来た、Fさんと合流し四名となる。
|
中央尖のピーク、この角度からは初めて見る |
|
東勢格についた、左の道を進む |
芊蓁林溪にそって行く北43号県道(紫來產道)は、二車線に拡張され広い道だ。ゆるい登り坂を進んでいく。青い体の藍鵲鳥がこの土地のマスコットなのか、喫茶店の店名とされ、また道脇の土留壁に姿が描かれている。新巴士の自來水廠バス停を過ぎると道は一車線になり、沢を橋で渡る。坂が少し勾配を増してくる。しばらく進むと、右に
中央尖の特徴ある山容が現れる。この角度から中央尖は初めて見る。以前は、民間バスが運行していたようで、当時のバス停が残っている。平日であることも関係しているのだろうが、時々バイクが走って行く以外には、通過する車も少なく、歩いていても気にならない。少し開けた谷を進み、8時57分、東勢格に着く。
|
土地公の描かれた土地公祠 |
|
涼亭のある分岐部、左に進む |
|
民家前を端まで行き、階段を登る |
火燒寮へは、ここから左の道を進む。右に沢を挟んで寺院がある。その先に平渓小学校の休日分校と記された建物を通り過ぎる。門のわきには、子供が描いと思われる土地公の絵が壁一面の土地公廟が建っている。谷は狭まり、民家もない。9時20分、左上に炭鉱入口があり、中から水が流れ出ている。勿論今は廃坑である。その先数分で沢が合流する二俣にくる。右の開けた場所に涼亭が建っている。歩き始めて約1時間、約5キロ弱である。ここで休憩する。涼亭前の竹製掲示ボードには、火燒寮古道のことが記してある。
|
椎茸栽培の丸太で塞がれた廃坑口 |
|
山道のわきに選挙候補者垂れ幕 |
10分ほど休憩した後、石古井へ向かう。左の道路を少し進む。すぐ左に民家がある。山道はこの民家前を通りすぎて始まる。ちょうど家の左上で野良作業をしていた住人高さんが下りてきて会話する。民家わきを少し登り、また別の民家前を通り過ぎる。左には廃坑入口がある。今は入口の前に椎茸栽培用の丸太が並べれ、塞いでいる。階段が登っていく。この辺りは農作業で通る道のため、道は手入れがされている。竹林に入り、手前に墓が現れる。左に進むが道が途切れた。墓まで戻って探すと、そこは右に曲がるべきだった。下に谷を見ながら進む。選挙候補者の垂れ幕がそこここに取り付けてある。今は選挙期間ではないが、おそらく土地の人が取り付けたのだろう。
|
石古井前の様子、沢の対岸からやって来た |
|
枝尾根上を進む |
9時56分、沢に下り渡る。対岸の左奥が高くなっており、石古井のプレートが木に取り付けられている。登ってみると、滑滝があり、その中間には直径が2,3メートルある滝壺がある。その前を石積の柱に載った鉄管が横切っている。滝壺に流れ込む溝や、流れだす溝はかなり深く彫り込まれている。沢を渡った場所にもどり、苔むした石段を登る。すぐ分岐に着く。右にとり、そのうち枝尾根を行く。踏跡は少し細い。10時25分、ズボンの裾をめくると、ヤマヒルにやられている。塩をふりかけ取り払う。山腹を斜めに登って行き10時34分、主稜線の分岐に来る。ここは
二月に訪れたところだ。一休みする。
|
主稜線上の分岐、道に似合わない立派すぎる道標 |
|
大下りの前、右に枋山坑山 |
分岐は左に行けば畝畝山へ続く。右に山腹を進む。数分の歩きで、大下りの前にくる。前回は雨で全く視界がきかなったが、今日は右前方に
枋山坑山が望める。大きく下り、また登り返す。直線的な道なので、勾配がきつい。道脇にはカスミ網の残骸が残っている。登り返し、ベンチのわきを行く。11時9分、左に尾根上の道とまっすぐ盤山坑古道の峠への道との分岐に来る。折れた枝が、道標に引っかかっている。ここからは、左に尾根を進んで石硿子古道の峠部分へ進む。
|
枝がひっかかった道標 |
|
踏み跡のはっきりしない道を下る |
尾根上の道はあまり歩かれていないようで、もともと頼りない踏跡に加え、台風でおられた枝や倒木が行く手を妨げる。左に畝畝山が見えている。基本下りの道を進む。11時37分、休憩をとる。ときどき風が尾根を吹き抜けていくので、少しは楽だ。休憩後歩きはじめ僅か、倒木を巻き込むと鞍部分岐に来る。右に下っていく道は盤山坑古道をへて内盤山へ続く。ここも新しく立派な道標があるが、山道はそれに似合わない細々としたものだ。12時9分、薬師仏への分岐を左に分ける。更に尾根を直進し、12時18分石硿子古道の峠に着く。ここで休憩し、昼食を取る。気温は高いが、峠を吹き抜けていく風が嬉しい。ここで、今日の行程の約半分を歩いたことになる。
|
石硿子古道の峠で休憩 |
|
石硿農道の最高部 |
12時56分、長い休憩後行程後半の歩きを始める。尾根上をそのまま行けそうだが、標識リボンなどが全く見えない。左に一度下って、石硿農道を進む。右に車道を登りはじめる。まもなく左に石硿子古道が分岐して谷に下っていく。日差しの照りつける車道歩きは楽ではない。登って行き、道は尾根上を進む。先ほどの石硿子古道の峠からここまで直接来れるようだが、道もはっきりせず、何も入口を示すものはない。更に少し進み13時13分、農道の最高点を過ぎる。藥師山善覺寺の石碑が道脇にある。ここからも、谷を挟んで枋山坑山が望める。
|
和尚尖への尾根道入口 |
道はしばらく下りになる。道の右には、標識リボンがある登山口を三ヶ所過ぎていく。どれも上内平林山への登山口である。今日はここへは登らない。下り切った後、また車道は登り返す。左奥に特徴ある中央尖の山頂が望める。13時36分、右に大きく曲がるカーブに来る。その付け根の部分から、和尚尖への山道が分岐する。しばらくの車道歩きをしたので、ここで休憩をとる。車道といっても、ここまでの間一台も通っていない。お寺が最終点の道なので、それに関係ある車しか通らないのだろう。
|
山林投を縫って進む |
|
保線路は少し状態がよい |
山道の初めは、巾もあり良い道だ。数分で分岐があらわれる。左に進めば石硿子瀑布へ下る。右に尾根上の道をとる。ここからは、踏跡がまた細くたよりなくなる。山林投を避けて進んだり、すこぶる歩きにくい。一旦大きく下っていく。44号送電鉄塔のすぐわきを下っていく。しばらくは保線路なので、道がよくなる。14時42分、分岐に来る。すこしジメジメした感じだ。実はここは十字路なのだが、そのときは右側の道に気づかず、そのまま直進した。道は少し登った後、山腹を進む。状態は悪くないが、どうも和尚尖へ行く様子ではない。メンバーもGPSに照らし合わせると違うという。そこで分岐へ戻る。すると山側へ登る道がある。これを登り鞍部に来る。左にとり尾根に取り付いて登り始める。
|
和尚山頂上へあとすこし |
和尚尖というぐらいなので、岩の急坂が現れる。補助ロープなどもない。最初のピークにつくが前方に別のピークがある。一度下りまた登り返す。ここにも山頂を示す表示板などもない。更にもう一度下り登りで3つ目の山頂(標高467m)につく。幹にブリキの小板が付いているが、判読できない。もともと不人気の山なので、山名表示が無いのもうなずける。今日の山行中、唯一名前のあるピークだが、それでもこの水準である。15時10分、ここを頂上として休憩する。
|
急坂を下る |
15時30分、稜線方向に下り始める。ところが途中で道筋がはっきりしなくなった。その先の標識リボンもない。先ほどの頂上に戻り、道を探す。すると北側の急斜面に補助ロープが張ってある。これが下り道だ。とても急な坂を、ロープの助けを借りて下っていく。尾根の形が明確になり、尾根伝いに下る。約10数分くだり、尾根を離れて左に急斜面を道が行く。またひとつ分岐を通り過ぎるが、左右の道筋もはっきりしない。直進して下っていく。先に小沢が見え、それにそっていくとすぐ産業道路の登山口が現れた。ここにも立派な道標があるが、和尚尖の道は初心者がこの標識を頼りに入れるような道ではない。ここから先は舗装路歩きなので、16時20分道端で休む。
|
産業道路に出た |
|
中央尖が見える |
産業道路は少し登り気味だ。カーブのわきに司公碗帽山への道標がある。またいずれ来ることにしよう。そのままさらに進み、切り通しの峠に着く。下り始めてすぐ、真正面に中央尖の山頂が頭を出している。今日は朝からいろいろと姿を換えて中央尖が姿を表している。ジグザグに舗装路を下る。ここだけではないが、天燈の残骸が残っている。表面にはハングルが書いてあるので、韓国人観光客が十分で飛ばしたものだろ。16時44分、右に民家が現れる。入口に表示があり、Wifiが使えるので、緊急の場合はどうぞ、ということだ。吠える犬の民家を通り過ぎ、16時46分、灰窯產道と合流する。
|
民家わきに来る、Wifiが使えるという表示がある |
残りは、2キロほどの車道歩きだ。今まで何回か通りすぎているので勝手がわかっている。道の右側が土砂崩れをしている。すでに倒木などは整理済みだ。17時、左に橋をわたる。ここから萬寶洞へ道が続く。橋をわたって道を入ったところで、竹が倒れて道に覆いかぶさっている。人通りが多くないので、整理されていないのだ。その後は、少し崩れたところもあるが、概ね問題なく萬寶洞バス停に着く。Fさんの車が停めてある。17時8分、バス停についてすぐに795番バスがやって来た。
|
倒れた竹が道を塞ぐ |
今回は水平距離で14.5kmの道のりである。そのうち半分以上は産業道路だ。山道は、台風の影響もまだまだ残っており、もともと良くない道はさらに歩きにくかった。稜線では風も吹いていたが、暑いことも苦労の一つだ。休憩も含め約9時間の行動時間である。産業道路を除いた山道の水準はクラス4、体力要求度はクラス3というところか。ただ、倒木など邪魔が多い今の山道は、クラス4である。邪魔なものを迂回したり乗り越えたりということは、かなり体力を使うものである。
|
ハングルの書かれた天燈の残骸、今や自然を汚すゴミでしかない |
0 件のコメント:
コメントを投稿