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台湾炭鉱博物館付近から望む望古山の主稜線、前をクロが先導する |
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西勢水庫堤防と背後の觀音湖山 |
二年前に、
平溪中窯尖から基隆市暖暖地区の東勢峽谷へ消墾嶺古道を経て下った。この時は踏跡もわずかでほとんど忘れされたような山道に苦労した。消墾嶺古道へ下る前に、中窯尖から北に伸びる枝尾根上に続く道を見ていた。しかし、消墾嶺古道の状態を見て、このあたりの山を歩くのはためらっていた。最近、基隆の登山者が暖暖の古道に入り道の整理をしていると聞いた。実際、つい最近消墾嶺古道を歩いたネット上の情報もある。そこで、今まで興味のあった西勢水庫(ダム)へ枝尾根上の東勢大崙や觀音湖山を越えていく山歩きをした。
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南の平渓十分から山を越えて暖暖へ縦走 |
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歩行高度プロファイル |
先週の天鵝台風は動きがもたもたしていたが、最終的には台湾の東海岸沖を北上、台風15号となって西日本に被害をもたらした。台湾も直撃はなかったが、大雨が降った。台風が去った後も、スッキリせず今回の山行は危ぶまれた。直前の天気予報では降雨率30%、最後まで迷ったが雨が降って問題あれば下ればよい、と行くことに決定した。結果的には、午前中は薄日がさすこともあり、夕方下山間際に少しぱらついたが、ほとんど雨に降られずに終了した。台北に着くと、結構雨がふっており、実にラッキーだった。
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新北市平渓区から基隆市暖暖区への縦走 |
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台湾炭鉱博物館の麓の建物、右は旧石炭洗浄施設 |
先週の山行に引き続き、今回も木柵から795番バスで出発だ。先週とは異なり、今日は長い行列である。十分に向かう団体が並んでいるためだ。7時25分にやって来たバスも、ほとんど空席がない。MRT文湖線で木柵に向かう時は、外は雨がぱらついていたが、106号線雙溪を過ぎる辺りからは、天気が持ち直し峠を越えて平渓の谷に入っても、高曇りで天気は悪くない。8時25分、十分寮橋で下車する。途中で乗車したメンバーも含め、今日は四名のパーティである。
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トロッコ乗場前の広場 |
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トロッコ線路を歩く、左は基平公路 |
支度をすませ鉄道平渓線の線路わきへ登る。線路を越え右に進む。この辺りは遊楽客が天燈を打ち上げる場所だ。線路脇の町並みがとぎれる。そのまま進むと旧炭鉱施設の前にくる。炭鉱博物館の麓の建物が駐車場の中にある。街を通り過ぎるときに出会った一匹の黒犬(台湾犬)がついてきて、駐車場にいる他の二、三匹に吠えている。炭鉱博物館へ通じる軽便鉄道の駅への道を登る。石炭積込みの大きなタワーのわきを通り過ぎる。今は線路などないが、操業していた頃はこの辺りは線路が敷かれ石炭が積み込まれていたのだと思う。
四年前にやってきた時にくらべ、道が整備されている。もっも大きな差異は、上空に谷をまたぐ2丙号基平公路橋である。当時はまだ工事が進行中だったが、それが完成している。今はトロッコ列車の駅となっている広場は、以前は石炭の処理作業が行われていたところだ。
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十分古道、高度が上がると遠くが見えるようになる |
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倒木がまだ道を覆う |
トロッコ列車の軌道は、基平公路に平行して進む(正しくは、基平公路は軽便軌道にそって建設された、というべきか)。クロ(黒犬)もついてくる。しばらく線路沿いに進む。右手にボタ山やその奥に
五分山も見える。炭鉱博物館の前で道路に上がる。このあたりからこれから上る山々、望古山なども望める。十分古道の登山口は、博物館の裏にある。トタンの塀にそって進み、石段道を登り始める。古道といってもここは五分山登山道として立派な花崗岩の道である。少し休憩し、9時に登り始める。すぐに橋で沢をこえる。クロは、沢におりて水を飲んでいる。
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土地公の祠とその前で休むクロ |
石畳道は、右に沢をみて登っていく。ところどころ台風がなぎ倒した倒木などが道を塞ぐ。十数分進むと、新しい橋がかかっている。ここは最近架けられたようだ。更にもう一つ橋を越す。一部石段が途切れるが、また現れる。道は沢から離れ、勾配がきつくなる。高度が上がると、背後に景色が広がる。最後にひと登りし、9時36分峠の土地公祠に着く。屋根のかかった立派な土地公である。一休みし、これからの尾根歩きに備える。
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主稜線の倒木を越えて進む |
10分ほど休み、土地公の後を登りはじめる。登ったところが頂子寮山(標高550m)である。ここから稜線を追っていく。進んですぐに、倒木など障害物が現れる。台風後の整理はまだされていない。クロは、自ら先を進んでいく。しかし、道がわからないところでは我々を待っている。五分山から姜子寮山への稜線は、多くの登山者が縦走するところなので、軽く見ていたが台風後のこの道の状態では、大変だ。十数分歩き、森をぬけて草原の中を行く。左に平渓の谷とその向こうの山々が望める。薄日もさして、天気はすこぶるよい。ところどころ小ピークを越え、基本登り気味に稜線を追っていく。10時39分、望古山(標高577m)に到着する。基石などは無い。狭い頂上は木々がかこむが、葉っぱが吹き飛ばされているので明るい。クロは舌を出してハーハーやっている。やはり暑いのだ。わきの草むらから見ると、やって来た稜線の向こうに五分山が大きい。ただ、五分山の特徴であったレーダードームは、台風で吹き飛ばされてしまったので無い。
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望古山へあとひと登りだ |
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望古山頂上のクロ |
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人面に見える岩を越え主稜線を進む |
道は稜線をたどっていく。ギャップが大きく岩が露出して注意する場所もある。5分ほど歩くと、道は右に大きく曲がり急坂で下る。直進すると小高くなった小ピークがある。道を降る前に小ピークに登ってみる。独立しているので周囲360度を眺められる。先ほど歩いてきた、炭鉱博物館周辺も下に見える。
先週歩いた和尚尖を含む山々も、岩の露出して特徴のある平湖山の向こうにある。反対側を見れば、姜子寮山やその左の支稜上には
薯榔尖、
石筍尖、
烏嘴尖など、尖ったピークがのっている。今日は天気がよくて本当に良かった。
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独立ピークからの大パノラマ、平渓側を望む |
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五分山を望む、手前のピークは望古山 |
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山林投や矢竹を縫ってくだる |
少しもどって急坂を下る。この坂は補助ロープで下っていくが、クロは下れないようでオロオロしている。四人とも下っても下がれないようで、上で吠えている。このセクションは、矢竹や山林投などをくぐっていく。倒木もあり、通過は厄介だ。時々クロの鳴き声がする。下ってきているのか、もう一つ分からない。11時45分、下りきり少し登り返した場所で休憩する。クロが追いついてくるかと思ったが、やってこない。どうやら一緒に歩くのを諦めたようだ。今まで、山登り中についてくる犬がいたが、クロは結構ついてきたほうだ。
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山腹道もそろそろ終わり、前方に登山者 |
登り返して主稜線に上がる。その後すぐ右に杉林の中を下っていく。地図上では、左に稜線を追っていく道があるが、分岐がわからない。下がっていっても、その先右に龍船朵への分岐を過ぎた後、山腹を行く道があるので、先に下っていく。12時18分、龍船朵への分岐を左にとる。杉林が続くが、石を積んだ場所もある。ここは以前何かあったのだろう。右の谷は消墾嶺古道のある谷だ。そこには集落があったので、その時代に作られたものかもしれない。ところどころ、長い上り坂もある。山ひだにそって山腹を歩くこと約30分、左からの尾根にのっかる。前方に単独行の登山者が歩いている。手には鎌をもっている。途中には折れた枝などがとても多い。12時52分、風が吹いていく尾根上で昼食休憩をとる。
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竹林の中の東勢大崙への分岐 |
30分ほどの休憩後、13時20分過ぎに出発する。数分のゆるい登りで、右に東勢大崙への分岐点にくる。竹林の分岐点は、二年前に反対側からやって来た。これで、瑞芳の三爪子坑山から四分尾山をへて大尖山まで続く山脈稜線をすべてカバーしたことになる。五分山から四分尾山へ五四縦走として一気に縦走することがあるが、今日のような台風後の障害が多い中では、おそらく一日では歩ききれないだろう。分岐は右にとり、觀音湖山へと続く長い支稜を下り始める。二年前は細々と感じた山道は、今日はそれほどでもない。
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鞍部分岐、右へ消墾嶺古道 |
13時50分、鞍部に下りる。ここは右に東勢峽谷へ消墾嶺古道、左に内西勢坑古道へ分岐する。今月はじめの日付がついた、藍天隊の新しい道標が取り付けられている。藍天隊の標識だが、実際に道の整理をしたのは基隆地元山岳会のボランティとのことだ。メンバーのDさんは、ここで別れて消墾嶺古道へ下る。最近ここを歩いていて、道の状況は良くわかっているとのこと。実際、右に伸びる道は踏跡がはっきりしている。
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稜線上を東勢大崙へ進む |
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東勢大崙前の鞍部分岐 |
残りの三人で東勢大崙へ向けて尾根上を登る。最近整備されただけあって、道の状態はよい。先ほどの主稜線上より歩きやすい。ボランティアに感謝する。坂を登り返すと、右に先ほど歩いてきた主稜線が望める。風が吹いて快適だ。途中休憩した後、長い頂上部分を歩き、一度鞍部に下る。ここはまた右に東勢大崙へ分岐する。左にとれば、西勢坑古道へ下っていく。直進する稜線道を行く。急坂が現れる。ギャップが大きいところは、枝を掴んでこえる。十分ほどの急登のあと、14時40分、東勢大崙頂上(標高455m)に到着する。ここから右に東勢産業道路への道が分かれていく。
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広い東勢大崙山頂 |
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東勢坑山 |
十数分の休憩後、尾根道を更に行く。こちら側は概ねゆるやかな坂である。10数分で東勢坑山(標高305m)につく。山といっても、ここは基石があるだけで山頂ではない。一度下った後、また登り返す。大岩が現れる。他の場所であれば補助ロープがあるような場所でも、岩にステップが掘ってあるだけで、大したように見えない場所だが注意が必要だ。そのすぐ上は、倒木がのっかり、枝の下は中空だ。注意して通過する。遠く左に七堵の街が見える。
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ステップの彫り込まれた岩、これを登る |
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溝が掘られた稜線 |
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倒木をこえる |
稜線上には、数十センチの深さの溝が続く。塹壕の様に見える。なぜこんな場所に塹壕があるのか。1883年フランスとの間に起きた清法戰爭で、基隆は一時フランスの手に落ちた。これに対抗するため、付近には砲台などが設けられた。暖暖駅後方の丘には、石積みの塹壕が残るが、ここの塹壕もそれに応じたものなのだろう。こちらはもっと簡素な溝でしかないが、ずっと長く続くのは戦闘に備えてのものだ。最終的には、フランス隊は引き上げた。山道は、この塹壕の中やそのわきを進む。15時46分、觀音湖山(標高302m)に着く。本日最後のピークである。ゆっくりと20分休憩をとる。
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觀音湖山 |
雨がパラパラと降ってきた。天気もいよいよ下り坂のようだ。ここから左に西勢水庫(ダム、別名暖暖水庫、觀音湖)への道と、尾根を下っていく道がある。雨脚が強くなると西勢水庫経由だと、山道がまだ長いので直接車道へ下れる尾根道を下る。下っていくと、左側に木々を通して湖面が見える。十数分下る。16時24分、鞍部へ到着する。直進すれば、東勢街36号へ出る。先ほどの雨は、本降りにならず大丈夫のようだ。そこで、左に湖へ下る道をゆくことにする。
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木々の向こうに湖面が見える |
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水量の多い西勢坑渓を渡る |
最近整理された道は、まだ踏跡も頼りない。ジメジメした沢にそって下り、数分で湖畔にでる。湖畔に沿った道を行く。10分ほどで、觀音湖山から直接下ってくる道と合流、更に湖にそって進み、左に西勢坑古道が別れる。右に沢へ下りる。沢は水量が多く、巾も広い。登山靴で濡れずには越せない。登山靴を脱いで渡る。16時57分、沢を渡ったあとまた歩き始める。道の状態はよい。数分で、右に堤防をこえる。ここは段差が大きいので、注意が必要である。その先は、広い土の道が続く。右に觀音湖山が湖の対岸に見える。17時17分、堤防わきへ来る。小高くなった場所に基隆貯水池記念碑が建っている(中国語の水庫でも紀念碑ではないことに注意)。明らかに日本統治時代のものだ。ところが、そのすぐ下に嵌めこまれた石板には、民国25年竣工となっている。つまり、この石板はオリジナルを壊して新たに嵌めこまれたものである。
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西勢水庫と觀音湖山 |
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基隆貯水池記念碑 |
階段を下り、堤防が望める場所にくる。ここからは車道を下っていく。右に公園を見て下っていく。さらにくだっていくと、17時50分、右に義興祠が現れる。境内には水道もあるので、立ち寄り休ませてもらう。ズボンを捲ると、右足二ヶ所にヤマビルが食いついている。先ほど沢を越すときにスパッツを外したが、そのあとの草むらでヒルが取り付いたようだ。塩をふりかけて落とす。再び歩き始める。橋を越えて17時58分、水源地バス停に着く。あたりも少し暗くなってくる。待つこと10分で七堵駅行きのバスがやって来た。
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水源地バス停 |
頂子寮山-望古山-中窯尖の主稜線の道は、台風の影響がまだ濃厚に残っており、思う以上に歩くのに苦労し時間も要した。一方、心配であった東勢大崙の支稜線の道は、最近の整備でずっと良かった。聴くところによると、暖暖地区の古道の整理が進行中とのこと、この地域はさらに歩く価値があると思う。今日の行程は水平距離約13km、休憩込みの所要時間9時間半である。現在の状態であれば、山道体力ともクラス4である。もちろん、ボランティアによって台風後の障害物が除かれていけば、山道の状態は良くなる。体力的にも邪魔者が少ないだけ、楽になる。
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